short hair.
「好きだった、と思うよ」
「好きだった、と思うよ」
その言葉に思わず足が止まった。
私はゆっくりと振り返り、彼を見つめる。
幸せになってね。
私に背中を向けたまま、彼はそう付け加えた。
最後まで。 本当に最後の最後まで。
なんてずるい人だったのだろう。
「―――せっかく伸ばしてたのに、切っていいの?」
失恋したから髪を切るなんて、古典的すぎるだろうか。
でも、自分の決心を受け入れるために切りたかった。
「気が変わったからいいの。バッサリとお願いします」
「そう言うなら了解。ショートも似合うと思うよー」
しゃきん、とハサミを入れられる音を聞きながら、私は自分の髪がぱらぱらと床に落ちてゆくのを見つめていた。
『2番目でも、いいです』
どうして彼に惹かれたのか。
どうして諦められないのか。
どうしてこんな台詞を吐いてしまうのか―――。
わからない。わからないけれど。
私は彼に恋をした。
彼には生涯を共にすると誓った人がいた。
きっと、ただそれだけのことだった。
間違えたのは、それでも私が彼の気持ちを求めたことなのだろうと思う。
ずるい私は彼にこのずるい気持ちを委ねた。
お願い。こんな台詞を吐く私を突っぱねて、断って。
今ならまだ、私だけが悪者でいられるから。
でも、少しでもいい。少しでもいいから、こっちを見て欲しい。
まるで小さな子どものよう。
そして、彼は。
「自分から苦しいほうを選んじゃうような女の子、僕は好き」
"2番目"を、私も彼も受け入れた。
"手を、繋いでいい?"
"ねぇ、キスしていい?"
2番目の私は、いつも確認をとる。
そのたび彼は、どうぞと微笑んだ。
そうやって微笑んでくれるのが嬉しくて、何よりも苦しかった。
ハグだけは、彼からくれた。
何も言わず不意に、まるで子供とじゃれてるみたいに後ろからぎゅうっと腕を回して。
驚いて、嬉しくて、少し痛くて。
時間が止まればいい、とずるいけれど思った。
「髪、綺麗だよね」
私の鎖骨辺りまで伸びた髪を指先で散らすように遊ぶ。
「ロングヘアー好き」
そんな、彼のひと言。
バカみたいに覚えて、伸ばす決意をバカみたいにした。
間違っていても、私は確かに彼が好きで、恋をしていた。
「はーい、お疲れ様でした」
肩が、軽い。
鏡に映る自分の姿が見慣れなくて、なんだかくすぐったい気分になる。
「かなりスッキリしたねー。どう?」
綺麗にブローされた髪は、耳下辺りまで短くカットされていた。
雰囲気に合わせてカラーもしてもらい、少しだけ大人びて見える。
「軽くなりました。気に入ったよ!」
「よかった~。長いのも素敵だったけど、ショートもやっぱり似合うね」
「髪、伸びてきたね」
そう言って、ふんわりと触れてくれる彼が好きだった。
彼から触れてくれる、彼から目線を向けてくれる。
それだけで、それだけの時間がいとおしくて大好きだった。
「思いきって、ショートにして良かった」
鏡に映る私は、久しぶりに心から笑った。
軽くなった髪が、ふわりと風に揺れる。
帰り道、彼と過ごした最後の時間をふと思い出す。
私が彼への言葉を告げた時、彼は少しだけ驚いたような表情になった。
でもすぐに、私の大好きな笑顔に戻り、頷いた。
「そっか。わかった」
それだけ。 "2番目"の関係の終わり。
泣き出しそうになるのを堪え、私は「ずるくてごめんね」と明るく言った。
彼はその瞬間、少しだけ寂しそうだった。
それじゃあ、と口にしようとした私の言葉に彼の声が重なる。
「最後に、ハグしていい?」
思わず、息が詰まる。
彼から初めて確認された。
手を繋ぐのもキスも、そのたび私が確認をして…
彼は微笑んで受け入れてくれたけど。
最後の最後に、そんな、ずるいひと言を。
私は一度きゅっと口を引き結んでから、微笑んだ。
「握手でいい?」
指先が震えないように力を込めて、手を差し出す。
「…そうだね。ありがとう」
彼は優しく笑って、優しく私の手を握り締めた。
「こちらこそ、ありがとう」
手が離れ、私はそれじゃあ、とゆっくりと彼へ背中を向ける。
好きだった。苦しくてもずるくても間違ってても好きだった。私は。
彼からそのたったの2文字が聞けたのは、絶対に振り返らないように立ち止まらないようにと足を進めていたその瞬間で。
「ずるいのは、僕もだよ」
本当に、そうだよ。
暖かい雫が、頬を伝っていくのを止められない。
幸せになってね。
その言葉を聞いて、私は堪えきれず走り出していた。
日を追うごとに、私はショートヘアの自分が好きになっていた。
友達からもよく似合うと褒めてもらえて、雰囲気変わりましたねと、バイト先のお客さんからも声をかけられた。
彼が好きになってくれた私は、少しずつ薄れてゆくけど。
私は、あの時のずるい自分も、少しだけ愛してあげたいと思えるようになっていた。
許されることでなくても、私はあの時もたくさんのいとおしさを感じていたから。
鏡の中のショートヘアの自分を見て、私はまた、微笑んだ。
short hair.
自分勝手で、どこまでもずるいお互いだなぁと思いながらも書きました。
間違っているとか許されることでない、と本文では書きましたが、個人的にはそう断言は出来ないかなぁ…と思ってしまいます(笑)
こういう、しょうもない苦しさとかやるせなさを書くのは好きです。
読み苦しい点が多々あったと思いますが、読んで頂きありがとうございました。