World Dream
神なんてものは、この世には存在しない。なぜなら、もし神なんてものがこの世にいたならば、毎日がこんなにつまらないわけがないからだ。
一年前の春、僕が高校に入学して一年が過ぎた頃だった。僕は、中学とあまり変わらない高校生活に、少し飽き飽きしていた。部活も珍しいものもなく、それこそ中学と変わりなんかなかった。
朝起きて、学校に行って、授業を受けて、部活に行って、意味もなく疲れて、くたくたになって帰って、そして寝る。そんな変わりのない日々、つまらない日々に、いったいどんな価値があるのだろう。そんな日々を送る僕には、いつしか、
「ツマンネー。」
が口癖になっていた。そして心の底から思ったんだろうなぁ、『こんなつまらない世界なんか壊れてしまえばいいのに。』って。そして、誰かに聞こえちゃったんだよ。心の声が…。だからこの世界は壊れてしまったんだ。
あれは、そんなことを考えていたある日のこと。僕はその時間、体育の時間だったため、グランドで、何が楽しくてかトラックを何周も走らされていた。
「ツマンネー。」
「出た、天理の『ツマンネー』。まあ、確かにこれはつまんねーよな。」
僕がふとこぼした口癖に突っかかってきた幼馴染の神橋拓斗は、そう言って、僕の隣にやってきた。
「なんだよ、拓斗。」
「いや、別にこれといった用はないけど…」
そう言いかけると、拓斗は、「ん~、ん~」と、唸りながら俯き、しかし、ちゃっかりと僕の走るペースに合わせて着いて来る。すると突然、拓斗が驚いたような顔をして、僕の方へ向き直り、
「来る。」
そう言うのだった。そして僕が、「何が来るのさ?」と、拓斗に聞き返そうとしたその時だった。
周りでは、ほかのクラスの生徒たちが、幅跳びに砲丸投げ、ハードルなどをして、全員が全員、忙しなく動いている時だった。それは、突然現れ、僕たちを襲ったのだ。
「グラッ。」建物の中にいるわけでもないのに感じるくらい大きな揺れがあったかと思うと、それはどんどん大きくなり、次第に地面には亀裂が入り、人は立つことすらままならない状況が数十秒と続いた。この数十秒がはじまりの合図だった。これから起こるすべての始まり。その合図が、この歴史上最大の震災だったのだろう。
校舎は半壊し、火煙が所々で立っていた。「学校の崩壊…」
誰もが学生の時、一度はなってほしいと思うが、そうそう起こり得ることのない状況が、今、僕の目の前には広がっていた。しかし、実際に起きてしまったこの状況を、この光景を見た僕は、もう二度とそんなことを望むことはなかった。
『緊急事態発生。緊急事態発生。直ちに…』
遅れて入った放送が、周りの状況に唖然としていた僕を我に帰す。
「拓斗、学校がやばいぞ…」
そう言い、隣を見ると、拓斗の姿はどこにもなかった。辺りを見回すと、フェンスの下敷きにされている人や、木に足を挟まれて動けない人など、多くの人がパニック状態で、みんな不安で押しつぶされそうな表情をしていた。そして、僕もその一人だった。
「使穂…」
生徒たちが続々と校舎から避難してくる中、妹がまだ出てきていないことに不安を感じずにはいられない自分が、そこには立っていた。
大丈夫。使穂に限って何かあるわけがない。
そう自分に言い聞かせ、不安を和らげる僕がいた。だが、所詮それもきれいごとにすぎない。そうとでも思わなければ、ここでじっとしていることなどできるわけがなかった。僕は、不安や、焦りが混ざり合う中、彼女が出てくるのを待った。
それから十分がたったころだろうか、
「これで最後です。」
そう言って、校舎の中から先生が出てくるのが見えた。
使穂は?
辺りを見回すが、彼女の姿は、どこにも見えなかった。途中、使穂の親友の神風千春が泣いているのを見かけた。彼女は僕に気づくと、僕に抱きついてきて、
「天理先輩…使穂が…使穂が…私を助けて…それで…」
と、僕の服を握りしめながら、必死で訴えてきた。
「私…何も出来なくて…怖くて…」
「もういい。使穂なら大丈夫だ。だからもう泣くな。」
僕は、震える千春の手を握り、体を離して、
「先生を呼んできておいてくれ。使穂のことは心配するな。」
と、彼女の不安が少しでも和らぐよう、優しく言った。彼女もぎこちないながらも、笑顔で答えてくれた。だが、彼女も僕もそうすることしかできないと知っていた。そうしなければ、不安に押しつぶされてしまう。そうしなければ、ここで立っていることすらできなくなってしまう。それを、僕と彼女は知っていた。そんなことしか知らない自分が悔しくて、僕はいつしか、拳をギュッと握りしめ、校舎に向かって駆け出していた。
「こらー、神丘―!」
先生に呼びとめられているのにも気づかず、僕は、ただがむしゃらに妹の元へ急いだ。
学校の中は、思った以上にひどい状態だった。窓はすべて割れ、床も所々破損し、反対側の校舎では、火まで上がっていた。『早く助けなければ、手遅れになってしまう。』その気持ちが焦りを呼び、足場の悪さが、余計に足取りを遅らせた。ようやくのことで、僕は使穂の教室に着いた。
「使穂―」
煙と炎が立ち上る中、僕は必死で使穂を探した。そして、瓦礫にうずまっている彼女を見つけた。
「使穂!」
急いで彼女の元へ行き、上に乗っている瓦礫をどける。
「使穂。使穂…。」
何度読んでも使穂は目を覚まさなかった。息があることを確かめ、僕は彼女を抱きあげ、出口へと走った。僕が教室を出る頃には、もう周りの炎は高くなり、一刻を争う状況だった。
出口だ。
出口には千春と先生達二、三人が僕らを待っていた。
「先輩。天理先輩早く。もう少しです。」
千春が手を振り、先生達も笑顔で僕たちが帰って来るのを待っていた。
もう少し、あともう少し。
千春たちの待つ出口に近づく中でそれは起こった。
「先輩、危ないっ。」
千春の叫び声が聞こえたかと思うと、その瞬間、僕の上の天井が崩れ、そして僕の上に降ってきた。僕は、とっさに使穂を前に投げ、先生達が彼女を受け取るのを見て、安心している中、目の前は真っ暗になった。
神
「ようこそ、選ばれし少年。メガネの少年よ。」
その声で僕は目を覚まし、周りの状況に驚いた。僕の目の前には真っ白な、ただただ真っ白な空間が広がっていた。
「ここは?天国?」
「ここは、この世とあの世の境界ですよ。」
そこには、拓斗の姿があった。
「あれ、拓斗。お前無事だったのか。」
「拓斗?ああ、これね。」
すると、拓斗は光に包まれたかと思うと、見る見るうちに形が変わり、三十代くらいのおじさんの姿になった。
「ええっ、ええっ!」
「驚いたか、メガネの少年。」
「なんで、拓斗がおじさんに…」
「なんでって、それは、あれは『もらいもの』だからなぁ。そして、これが本当の姿ってわけですよ。」
そう言うと、おじさんは、その場で一回転し、かっこいいだろ、みたいにポーズを決める。僕は、驚きのあまり、彼を見て、ただ唖然とするしかなかった。それを見かねたおじさんは、僕に近づき、帽子をとり、深々とお辞儀をした。
「改めまして。ようこそ、World Dreamへ。選ばれし少年よ。私は、この世界の神、ヘヴンと言います。以後お見知りおきを。」
僕は、混乱していた。とても混乱していた。拓斗がおじさんになったことに。そして、そのおじさんが神であることに。そして、この状況に。
「World Dream?神?何がどうなっているんだ。拓斗は…拓斗はどこに行ったんだよ!」
「よっぽど混乱しているようですね。よし、いいでしょう。それでは、一つずつ説明してあげましょう。そうですね、まずは、ここ、『World Dream』について話しましょうかね。」
そして、ヘヴンと名乗るおじさんは、ここについて話してくれた。
ここは、さっきも言った通り、この世とあの世の境界で、ヘヴンが神として住んでいる場所であり、世界が夢見た場所。だから、『World Dream』…
「どうだい。ここは素敵だろ。何もない、ただ真っ白な空間が広がっている。」
「何もないことは素敵だと思うけど、やっぱり僕には少し寂しいかな。本当に、ここを世界が夢見ているの。」
「本当だとも。」
おじさんは、そう言うと、指をパチンと鳴らした。すると、地面から白いイスと机がわき出てきた。
「すげー。手品か何かか?」
「いえ、これは私の力です。まあ座ってください。」
おじさんは、そう言いながら僕に近いイスを指した。僕は、椅子に腰をかけると、質問を続けた。
「でも、なんで世界がこんな所を夢見ているとわかったんだよ。普通わかんないだろ、そんなこと。」
「それは、私が神だからです。」
「そんな。それこそ一番信じられないよ。あんたみたいな、普通の人間の格好をしたおじさんが神だなんて。」
「そうですか?これでも、結構証拠は見せてきたつもりなんですけど。変身したり、椅子や机を出したり…。」
「うっ。それは…そうだけど。」
「まさか、少年の周りにも、こんなことができる人がいるとか。」
「そんな奴いねえよ。わかった、じゃあ最後の質問だ。」
「なんなりと。」
「拓斗に何をした。」
ぼくは、おじさんを睨むように見つめた。おじさんは、まあまあと僕をなだめるような素振りをし、苦笑いを浮かべながら席を立った。そして、机の上の帽子をかぶり、続けた。
「神橋拓斗さんは、死にました。そう、私が彼を殺したのです。」
「なんで、なんでなんだよ。」
僕が怒鳴っても、神は顔色一つ変えず、冷静に答えた。
「彼は、私とのゲームに負けたのです。ただ、それだけです。」
「ゲーム?」
「ええ、ゲームです。これから始まるゲームです。その名も『神殺し』。名前の通り、神、つまり私を殺すというゲームです。」
「なんだそれ。」
僕は、よくわからず、首をかしげる。すると神は続けた。
「彼もこの『神殺し』というゲームに参加し、そして彼は負けたのです。」
「それと拓斗の死とどういう関係があるんだよ!」
僕がまた怒鳴ると、神は、不敵な笑みを浮かべ続けた。
「関係?大ありですよ。何て言ったって、このゲームの参加料は、自分の『命』なんですから。」
「えっ。」
僕は、思わず手で口を塞ぎ、絶句した。だが、神はそんなことお構いなしに続ける。
「あははは。いいリアクションです。人間はみんなこれを言うと決まって同じリアクションをする。私は、この瞬間がとても好きだ。下郎な人間が俯き、懸命に考える。そして次に発する言葉は毎度『なぜ』という一言だ。違うかね、少年。」
当たっていた。まさしく、今、僕は、俯き、必死になって考え、そして、たどり着いた答えは『なぜ』という一言だ。
「どうやら、図星のようだな、少年。では教えて差し上げましょう。なぜそんなゲームに君の友達が参加したか、それは、商品です。このゲームに勝利した時に出る商品欲しさに、君の友達は、死んだのです。」
「商品?」
「ええ、商品です。」
ニヤニヤしながら、悪魔のような笑い声で、僕の友達、人間の死を笑い、喜ぶ神の姿が僕の目の前にあった。
「嘘だ。そんなふざけたことが、こんな神が、あってたまるか。」
「あるんだよ、そんなことが。いるんだよ、こんな神が。」
「くそっ。くそっ。」
僕は、怒りを覚え、そして、抑えきれなくなり、おじさんに殴りかかろうとした。しかし、神がそんなこと許すはずもなく、おじさんが手を鳴らした途端、僕は、見えない壁にぶつかった。
「まあ、待てよ、少年。一旦落ち着こうではないか。」
彼は、クスクスと笑いを抑えながら、僕を椅子に座らせた。僕は、彼のいちいち気に触る行動に腹を立てつつも、一旦落ち着きを戻した。僕は、神を睨み、神は、僕をあざ笑うように見下し、睨み合う中、両者が落ち着いたところで話を戻した。
「で、その商品とやらは、いったい何なんだ。」
「よくぞ聞いてくれました。このゲームの商品、それは、『何でも一つ願いが叶う』というものです。」
「何でも?」
「そう、何でも。ただし、条件が一つあります。」
「条件?」
「それは、神にできる範囲で『何でも』ということです。」
おじさんはそう言うと、椅子に座り、カップを空間から取り出し、紅茶を作り始めた。
「神にできる範囲って神にできないことなんてあるのかよ。」
「ありますとも。」
そう言って、おじさんは、できた紅茶を一口飲み、上出来だ、と言わんばかりの満足気な顔で続けた。
「神にだって、できないことはありますよ。神にできないことは、三つほどあります。一つ目は、『神は、自殺をすることができません。』二つ目は、『神という存在で、地上に降りることはできません。』最後の三つ目は、『死んだものを生き返らせることはできません。』という、三つのことは、私にもできないのです。」
「へぇ~。そうなんだ。」
僕が、感心していると、おじさんは、紅茶を飲みほし、真剣な表情を浮かべ、こっちに向き直った。
「それで、これからが本題ですが、少年。あなたは、もちろん、このゲームに参加してくださるんですよね?」
「えっ。」
僕は、神の質問に、一瞬驚いたが、その答えは決まっていた。
「そんなの、やらないに決まってるだろ。なんでたかがゲームに命賭けなきゃいけねんだよ。」
「そうですか。でも、商品は欲しくないのですか。こんな権利二度と手に入れられませんよ。」
「そりゃあ、その権利は魅力的だ。でも、命を賭けてまで欲しくはないね。」
僕は、冷静に笑顔で答えると、おじさんも笑顔で返してくれた。
「そうですか。それは、残念です。あなたの妹さんも、さぞお辛いでしょう。」
おじさんの笑顔は、見る見るうちに不敵な笑みに変わり、僕を憐れむような言いぐさで、見下してきた。
「そ、それは、一体どういうことだ。」
「それは、それは、悲しい運命です。」
神は、笑いが収まらないとばかりに、口に手を当て体を震わせながら、僕の様子をちらちらと覗くのだ。それは、もう、いたずら好きな小悪魔のように、ニヤニヤと僕を笑うのだ。
「なんなんだよ。使穂に何があったって言うんだ。」
「そんなに怒らないでください。これも運命です。」
「運命って、ふざけるな。その運命は、神であるお前が作ったんだろうが!」
僕が怒鳴っても、クスクスと僕をあざ笑う神、もはや、その姿は、悪魔にしか、僕の目には映らなかった。
「そうですとも。何せそれが神というものですから。そして、あなたがゲームに参加する、これも私のシナリオに、ちゃんと入っていますので、ご安心を。」
「ふざけるな。だれがそんなゲームに…」
「いいんですか。」
僕が怒りを吐き出そうとした瞬間、おじさんは、僕の言葉を止めた。見ると、おじさんは、さっきとは違い、笑ってなく、真剣な表情で僕を見つめていた。
「いいんですか、妹さんがどうなっても。このままだと彼女、一人では何もできなくなってしまいますよ。」
「どういうことだ。」
「簡単に言うと、妹さんは、瓦礫に一度つぶされたせいで、体中のいたるところの神経が、大分損傷しています。このままだと、彼女は、植物人間になってしまいます。」
「そんな…」
僕は、ショックで何も言えなかった。使穂が植物人間に…。そんなのって…、ないだろ。でも、目の前の悪魔は、容赦なく現実を突き付けてくる。
悪魔は、手を叩き、その場にスクリーンを出した。そして、リモコンのスイッチをつけると、そこには、酸素マスクをつけ、目を閉じたままの妹の姿と、その隣に僕が寝ていた。
「少年、君はもう、あの地震から三日間眠り続けている。そして、君の妹も。どうする?君は、この後もとに戻れるが、彼女は違う。どんどん体が衰退し、やがて、動かなくなってしまう。それでもいいのか。」
「いやだ。そんなことは、絶対にさせない。だってそうだろ。妹は、使穂は、僕よりも才能があって、僕より将来を期待されてて、それなのに、それなのに、そんなことがあってたまるか。そんなことが…」
「そうだろう、そうだろう。ならば欲しいはずです。妹さんを救う力が。このゲームの商品が。」
そうだ。神の言う通りだ。あの力さえあれば、使穂を助けられる。もう使穂と話せないなんていやだ。もう使穂の笑顔が見られないなんていやだ。
「そうだな。そのゲーム、やってやろうじゃないか。そして、使穂は必ず僕が助ける。」
「そうこなくては。」
おじさんは、真剣な表情から、にこやかな笑顔に変え、手を叩いた。すると、さっきまで出ていた椅子や机が消え、スクリーンがどんどん大きくなっていった。そして、今度は指をパチンと鳴らしたかと思うと、おじさんの影が、ひとりでに動き出し、それは、見る見るうちに僕と同じくらいの女の子に変化したのだ。
「紹介しよう。天使のイヴだ。」
「天使?」
イヴと呼ばれた彼女は、僕ら人間と何ら変わりがないが、ひとつだけ、決定的に違う部分があった。
「輪っか?」
僕は、彼女の頭の上に浮いているそれに目を奪われた。
「天使のリングだよ、少年。彼女には必需品だろ、何せ、彼女は天使なのだから。」
フフフ、と上品な笑いをおじさんは立て、僕を茶化す。
「それじゃあ、天使も呼び出したことですし、ゲームの説明としましょう。」
おじさんは、天使を下げ、ゲームについて話し始めた。ゲームは、最初に行った通り、神であるおじさんを殺せば勝ちというゲームだ。ただし、制限時間つきだった。それまでに神を殺さなければ、僕の負けとなるらしい。
「でも、神って殺せるの?」
不意に思った疑問だった。だって、普通神を殺すなんて無理だろ。だが、神は、またもフフッと僕を小馬鹿にするように笑い、教えてくれた。
「神は殺せます。何せ、前の神を殺したのは、私なんですから。」
ここに来てからは、このダンディで紳士なおじさんに驚かされっぱなしだった。
「えっ、前の神を殺した?」
「ええ、私が神を殺したのです。今から始まろうとするゲームで、神を殺したのです。そして、私は、商品の権利で、新しい神となったのです。」
「じゃあ、もしかして、もともとは人間だったってこと?」
「ええ。」
おじさんは、軽々しくとても恐ろしい事実を僕に打ちつけた。神は、もとは人間だった。
「でもなんで、神になろうとしたんだ。こんな、何もないところに閉じ込められると知って。」
「そんなの、おもしろそうだったからに決まっているではありませんか。確かに私はここに閉じ込められてしまいました。しかし、それ以上に、私は、力を手にしたのです。それはもうこの地球が、宇宙がこの手の中にあるといっても過言ではない程の、絶大な力を。」
腕を大きく広げ、目をキラキラと輝かせながら、それはそれは恐ろしいことを言うおじさんを僕はもう理解できなかった。
「理解できないといった顔ですね、少年。私も初めはそうでした。でも、今は違う。こんなに楽しいことはない。私は、そう思っていますよ。」
「僕には分からない。」
「そうですか。それは、残念です。まぁ、私の話はこれくらいにして、そろそろ本題に入りましょう。」
おじさんは、さっきまでの雰囲気を変え、笑顔になった。
「本題?ゲームの説明ならさっき聞いたけど…」
「私、ヘヴンこと『神』の殺し方です。」
やっぱり、神というものは分からない。
今、なんて神は言った。『神の殺し方』。なぜ?自分の殺し方を敵に教える奴がどこにいる。
「じゃあ、一つ目は、…」
「ちょっと待て。なんでそんなことをゲームの相手に教える。それじゃあ、自分の弱点を教えるのと同じことだぞ。」
おじさんのマイペースには困ったものだ。僕が驚いて固まっているのに、そんなのお構いなしに続けようとするのだから。
「それが何か?」
だが、おじさんは、なんでそんな事を聞くんだ?みたいな顔をして首を傾けて続けた。
「だって、知りたいだろう、私の殺し方。それに、ワンサイドゲームは嫌いなんです。つまらないですからね。」
そう神は、子供のように、楽しそうに理由を話してくれた。その様子に僕はあきれるしかなかった。
「そんなことで、と思うでしょうが、私にとっては大事なことなんです。面白いかつまらないかということは。では、本題に入ります。『神の殺し方』、これも三つほどあります。一つ目は、科学を発展させることです。」
「科学?」
「そう、科学です。」
「なんで科学なんかを?そんなことでお前は死んじゃうのかよ。」
僕は、彼の答えが全く理解できず、首をかしげていると、おじさんは、指をパチンと鳴らし、机の上にリンゴを一つ出した。
「少年、これは何ですか。」
おじさんが、リンゴを指し、僕に質問をしてきた。
「リンゴでしょう。」
僕が即答すると、おじさんは、うんうんと頷き、もう一度指をパチンと鳴らせ、今度は、みかんを机の上に出してきた。
「では今度はこのように答えてください。」
すると、おじさんは、みかんを指差して続けた。
「これは、オレンジ色で酸っぱくて木になるものです。」
そして、今度は、リンゴを指して、僕に
「さあ、あなたの番です。」
と、僕に答えをせがんだ。
「えーと、これは、赤くて甘くて木になるものです。」
「That’s right!さすがです。」
そう言って、神は僕に向かって手を叩いてきた。
「私もそう思います。きっと彼女も。」
そう言って、神の影だった天使のイヴを指した。すると、天使も神に同意するように、首を二、三回縦に振って応えた。
「これがさっきの答えです。」
「はっ?」
「ですから、これが先ほどの『なぜ科学を発展させると、神を殺せるのか』という質問の答えです。」
「えーと、全然言ってることが分からないんですけど…」
僕の苦笑いに、おじさんは、仕方ないなぁ、といった具合に軽く溜息を吐き、僕に説明してくれた。
「つまりですね、このリンゴがここにあって、それをリンゴだと証明するには、少なくとも二人以上の人が『これは、赤くて甘くて木になるものです』と、答えなければならないということです。そして、それは、神の存在を証明するうえでも同じなんです。ですから、地球上の現象をすべて科学で解き明かせば、神の存在を信じる者はいなくなり、必然と私は、この世界から消えてしまうのです。」
「なるほど~」
神の丁寧な説明に関心し、やっとのことで僕は理解した。
「けれど、この方法で私を負かすのは、もう無理な話ですよ。」
「なんで!」
「キリスト教って知ってますか。」
「まあ、名前くらいは。」
「あれを作ったのは私なんです。」
ニヤニヤと、僕の驚く顔を楽しむ神に、僕は、ふと思った疑問を訴えた。
「でも、それが何で神を殺せなくなるのと繋がるんだよ。」
「それは、私を信じる人を増やしたからです。さっきも言った通り、すべての現象を神の力、未知の力でなく、科学の力だと証明すれば、私を信じる人間がいなくなり、私は、死にます。なので、それを防ぐために、私は、その頃ちょうどこのゲームに参加していた『イエス・キリスト』という男性を殺し、彼の着ぐるみを着て地上に降り、あたかも生き返ったように見せ、これを神の力だ、と言って、信者を増やしたのです。」
「マジかよ。それじゃあ、みんなの知るキリストは、実はお前だったってことかよ。」
「そうなりますね。他にも、戦争のきっかけを作るために、セルビア人の着ぐるみを着て、オーストリアの皇族を暗殺したり、もうすぐで天下統一というところだった織田信長を明智光秀の着ぐるみを着て、殺してやったりと、いろいろとね。」
「何でそんなことすんだよ!」
「そんなの楽しいからに決まっているじゃないですか。今まで信じていた人に裏切られた瞬間の人間の顔ときたら、もう、それは言葉にできないほどすばらしい。」
「いってやがるぜ。」
「人間はもろい。そのうえ強欲だ。弱いくせに、何でも欲しがる。金に権力、人望に愛。その傲慢っぷりが自分自身を殺すというのに。今までの参加者は、みな自分のことばかり考えるものばかりだった。それ故、そこに付け込まれて、身を滅ぼした。少年も用心するんですね。」
おじさんは、もはや神ではなく、死神か、悪魔のようだった。特に、人間のことを話すときは決まって怖い笑みを見せる。
「それに、私は、退屈になっても死んでしまうのです。だから、私は退屈しないように、いろんな人とゲームをし、世界を着ぐるみで壊してきたのです。」
おじさんは、さらっと二つ目の殺し方を言ってきた。退屈になると死ぬとか神としてどうなの、とは思うけど、問題は、この殺し方も無理だということだ。だとしたら、もう最後の殺し方に賭けるしか僕の勝機はなくなった。「それで、最後の殺し方は?」
「最後の殺し方は、彼女だ。」
おじさんは、イヴを指してそう言った。
「はっ?」
またも神のわけのわからない発言で、僕の頭の中は?マークでいっぱいになった。
「彼女は、私を殺すために、この私の手で造られた、いわばおもちゃなんですよ。」
そう言うとイヴが前に出てきた。そして僕の前まで来ると、またおじさんが指を鳴らす。すると、拓斗と同じように彼女の体が光り出したかと思うと、見る見る形を変え、天使の女の子が小型の短剣へと姿を変え、僕の前にそれは浮かんでいた。
「それこそがあなたの勝機。それこそがあなたの希望ですよ。」
「それじゃあ、これでお前を刺せば、おれの勝ちなんだな。」
「ええ。その通りです。」
神は、そう言ってほほ笑み、再び指を鳴らしました。すると、また短剣が光り、もとの天使の女の子に戻りました。それを確認すると、神は、話を続けた。
「それでは、このゲームへの招待状の代わりに、私からプレゼントがあります。少年、少しの間目をつぶっていただけませんか。」
僕は、おじさんの言う通り目を瞑りました。すると、おじさんのいた方から、だんだん足音が近づいて来て、それは、僕の目の前辺りで止まったかと思うと、僕の閉じた瞼に、何か柔らかく、温かい感触が触れた。目をあけると、目の前には、少し頬を赤くし、唇に手を当て、ほほ笑んでいるイヴの姿があった。そのしぐさと笑顔に、僕の鼓動が早まるのを感じ、僕は彼女から目をそむけた。
「どうですか。天使のキスは。」
僕が照れているのに気づいたおじさんは、ニヤニヤしながら、おどけた口調で茶化してきた。
「えっ。き、キス!」
さっきの感触は、彼女の唇の感触だったのか。だが、そのキスは、僕に甘い思いばかりはさせてはくれなかった。
「イタッ。」
僕は、突然、激しい頭痛に襲われ、地面にうずくまった。まるで、頭の内側から、思いっきり殴られているような痛みが僕を締め付けた。
「大丈夫ですか、少年。ものすごく辛そうですよ。」
嫌味にしか聞こえない神からの励ましに、言い返すこともできず、ただ、頭を押さえ僕はうずくまっていた。
「そろそろですかね。」
神は、そう言うと、指を鳴らし、再びイヴを短剣に変えました。そして僕の方にそれを持って近づいて来て、それを僕に背中に突き刺したのです。
「うはっ」
僕は、なんとも声にならない叫びを発し、その場で倒れた。神はそれをニヤつきながら見降ろし、
「それでは、また逢う日まで。」
と、帽子をとり、深々とお辞儀をしながら、右手を前に出し、指を鳴らした。すると、突然、僕が倒れていた地面が消え、僕は、何か分からない真っ白な空間から投げ出された。天使のキスによるものであろう頭痛と刺された背中の痛みに意識がもうろうとする中、僕の目には今の日本の悲惨な光景がまじまじと映ってきた。渚に築かれた砂の城のように、崩れ去った町並みが。そして、その光景を見るのを最後に、僕は力尽き、目の前が再び真っ暗になった。
妹
朝。朝日を受け、いつも通りに目を覚ます。しかし、目の前には、いつもとは違う天井が広がっていた。
「そうか…」
僕は、あの時、瓦礫の下敷きになって、と震災時の記憶を振り返りながら辺りを見回していると、隣のベッドに、今一番見たくない妹の姿があった。いつも道理の寝顔で寝ているように見えるが、彼女の腕には、二、三本の点滴が、顔には酸素マスクが付けてあるという、なんとも見苦しい光景が、僕の目にまじまじと映ってくる。あの真っ白な空間で、神にモニターで見せられたのと同様、無残な妹の姿がそこにはあった。夢であってほしいとどれほど願ったか、でも、願うだけ無駄だ。その願いを聞くのは、たぶん、すべての原因を起こした神なのだから。
「…使穂。」
使穂とは一歳違いで、年が近かったため、小学生の時は一緒に遊ぶことが多かった。「お兄ちゃん、お兄ちゃん」って、いつも僕の後ろにくっついてきて、ほとんどいつも僕たちは一緒だった。
僕が中学に入ると、自然と一緒にいる時間が短くなってしまった。でも、僕が入っていたバスケ部の試合にはいつも応援に来てくれていた。そして、試合が終わると毎回、「お兄ちゃん、かっこよかったよ!」って、言ってくれて、それがとてもうれしくて、僕は、バスケに夢中になった。使穂も、中学に入学すると、バスケ部に入り、また一緒にいる機会が増えた。最初は、僕のまねをして、バスケを必死にやっていて、そんな妹が可愛いと思っていた。でも、神から授かった才能というものは、どうも本人に似て、いたずら好きらしく、彼女は、日に日に上達し、いつの間にか、僕は、妹に追い越されてしまっていた。妹の活躍を聞くたびに、僕は嫉妬に似たモヤモヤを抱き、いつしか、そんな事がいやになり、僕は、バスケをやめた。そして、妹とも、再び一緒にいることがなくなった。けれど、彼女は、どんどんバスケがうまくなり、県大会にも参加するようになった。そして、僕は、彼女が試合に勝つたびに彼女の才能をねたみ、しかしその一方で、兄として、自分のことように妹の活躍に喜んでいる自分がいた。
妹は、いつしか有名になり、僕が東校に入って一年が過ぎようとしている頃、妹に私立からのスカウトが山のように舞い込んできた。毎日のように、強豪校からの誘いの電話がきて、土日には、家にまで来る熱心な教師もいた。けれど、電話に出る時も、スカウトマンの説明を聞く時も、彼女は浮かない表情ばかり見せるだけであった。
妹の受験が終わり、って言っても、スカウトがあれだけあって、正直、なぜ受験したのか分からない僕は、母さんに結果を聞くと、「東校に決めたらしいわよ。」
と、そっけなく返された。彼女の選択に驚いた僕は、すぐに志穂のもとに行き、なぜスカウトをけって東校に行くのかを聞いた。すると彼女は、
「兄さんがいるから…」
と、少し、顔を赤らめて言うだけだった。でも、それだけで僕はうれしかった。これまで散々構っていなかったにもかかわらず、使穂はずっと、僕と一緒がいいと思ってくれていた。それが、ただうれしくて、高校に一緒に行くようになって、親友の千春や、拓斗と一緒に遊んだり、お昼を食べたりと、やっと昔みたいに兄弟仲良くなろうとしていたのに、僕らには、また、厄介な壁ができてしまった。しかも、それがただの遊び心なのだからなおさら腹が立つ。それと同時に、人間の脆さと、無力さが僕の心を引き裂くように痛めるのだ。
「…うっ…ううっ。」
誰かが泣いていた。うるせぇなと思って、気づいたら僕が泣いていた。いつも冷静な僕でも、彼女の才能をねたみ続けた僕でも、あの笑顔がもう一度見たい。もう一度僕のことを「お兄ちゃん」と呼んでほしい。そんな、たったひとりの兄弟への思いが、涙となってあふれ出て来て、僕にはもう、止めることができなかった。歯を食いしばり、必死に声を殺し、彼女の眠るベッドの隣で、ただ、静かに僕は泣いていた。
「泣いているのですか。」
不意に、後ろから声をかけられた。
「えっ」
とっさに涙をぬぐい、後ろを振り返る。
「あんたは…」
そこには、表情が硬いながらも、心配そうな顔をしたイヴの姿があった。
「何であんたがここに?」
「それは、私があなたの希望だからです。」
「それは、…そうかもしれないけど…」
でも、まさかこっちにまで来れるとは思ってもいなかった。
じゃあヘヴンも?
僕は、ヘヴンもこっちに来ているのではないかと、周りを見回した。
「マスターは、こちらには来られていませんよ。」
僕の行動から読めたのか、イヴは僕の疑問に答えてくれた。ヘヴンがきていないことに安心し、ひとまずは落ち着くことにし、ベッドに腰をかける。そして、冷静になって考えてみた。これからのこと、イヴのこと、そして志穂のことも。
この間までの平凡で、つまらなくて、何もなかった日常。あんな日常に飽き飽きしていて、何も起こらない、起こさない僕にも世界にも嫌気がさしていたあの頃が、僕にとってどれだけ幸せだったかと、今となって分かった。分かってしまった。
だから、やるせない気持ちがあふれだしてくる。あの地震が引き金で、そんな幸せは、跡形もなく崩れ去ってしまったのだから。それも、ただの暇つぶしという目的のためだけに。このやるせなさと、何もできない無力さが今の僕だ。こんなことなら、願わなければよかった。『こんなつまらない世界なんか壊れてしまえばいいのに』なんて。まあ、そんな後悔とは裏腹に、僕の願いは見事達成され、めでたく、つまらない世界は壊れてしまいました。
「ハハハ…」
もう笑うしかなかった。隣で不思議そうにしているイヴをよそに、僕は狂ったように笑った。もう、考えるのも嫌になった。いっそ、あの時、瓦礫の下敷きになって死んでいればとも思った。でも神は逃げることを許してはくれなかった。もう、何をどうしたらいいのかと、考えるのも嫌になり、ベッドに倒れこんだ。
ガラガラ
その時、扉が開く音とともに、千春が現れた。
「…天理…先輩…」
千春は、驚きのあまり、持っていたカバンを床に落とした。そして、僕の方へ駆けて来て、ベッドに倒れている僕に抱きついてきた。
「先輩…私、すっごく…心配…したん…ですからね。」
抑えきれなくなったのか、僕の上にまたがる千春は、その眼にためていた涙をこぼした。
「あの日から、一日たっても、二日たっても、三日たっても、先輩たちは、起きる気配がなくて、私、先輩たちが死んじゃうんじゃないかって、ほんとに心配で…」
「それは悪かったな。心配してくれてありがと、千春。」
僕は、起き上がり、千春を慰めるよう、千春の頭に手を置いて感謝した。その後、千春が落ち着くまで、僕は千春の頭に手を置いたまま、たわいもない話をしながら過ごした。
「ところで、そちらの方は先輩の知り合いさんですか。」
千春は、落ち着くと、イヴを指して僕に訪ねた。
「あっえっ、えーと…」
まあ、いつか触れられると思ったが、いっそ気づかないままでいてくれたらと思っていた。しかし、現実は厳しかった。
「しっ、親戚だよ。ただの…」
「そうなんですか?」
千春は、首をかしげ、イヴに尋ねた。
「いえ、親戚などではありません。」
「えっ!」
「私は、天理様に遣える天っ…」
「わーわーわー…」
イヴからの予想外な返答に、僕はあわててイヴの口を手で塞いだ。
「親戚ではない…?天理様…?天理先輩、これはどういうことなんですか。」
イヴの発言に慌てふためいているところに、すぐさま千春が追い打ちをかけてくる。
「え、えーと…」
まずい。何か考えないと、
「えーと、つまり、そのー…、げっ」
「げっ?」
「げっげっ、ゲーム!そうゲームをしてたんだよ。ちょうどさっきまでやっててさ、それで今は、僕が王様、主人になってたんだよ。」
とっさに漏らしたそれは、苦し紛れとは言え、最悪の言い訳だった。僕は、「あはは」と、苦笑いしつつ、恐る恐る横目で千春を見る。千春の表情は…、とてもじゃないけど信用していそうな顔ではなかった。もう駄目だ、と思った時、千春の追い打ちがまたイヴにかかる。
「ふーん、本当なんですか今のこと?」
「本当に決まってるだろ。」
僕は、イヴが答えようとする前にイヴと千春の間に割り込んだ。
「誰も、先輩になんか聞いていませんよっ。」
そう言って、僕を両手で押しのけ、イヴの前に彼女は立った。
「で、どうなんですか、本当のところは。」
「ちょっとターイム。」
千春がイヴに詰め寄ったところに、すかさず僕は割り込む。そして、底となくイヴの肩を掴み、そっと千春に背を向けるような形をとる。そこで、千春には聞こえない声量で僕はイヴに言った。
「いいか、今から話すことにちゃんと合わせてくれよ。」
イヴが頷くのを確認して、さっきまでゲームをやっていたということにしてもらうべく、手短に説明した。
「ちょっとー、何こそこそと二人で話してるんですか。」
さすがに気になったのか、そう言って千春は、僕たちの間に割り込んできた。
「えーと、彼女に、さっきのゲームはもうおしまいだからって説明してたんだよ…。」
すかさず僕は、千春の前に出て答えた。
「へー、そうなんですか。じゃあもう一度聞きますが、彼女はいったい誰なんですか。」
「えーと、それは、さっきも言った通り、僕の遠い親戚だよ。」
再び僕は、作り笑いをして答えた。しかし、千春の表情からは、やはり疑いの色は消えなかった。
「と、言ってますが、どうなんですか。」
少し不機嫌そうに千春はイヴに尋ねる。
「…はい、私は、天理さんの親戚です。」
少し間は空いたが、ちゃんと合わせてくれてよかったと、ほっと胸をなでおろすのと同時に、僕は、千春の反応を横目で確認した。千春は、まだ腑に落ちないのか疑いの色を漂わせている。
「あのさー」
「はぁ~」
少し無理があったかと思い、説得を続けようと、千春に話しかけようとした途端、千春は大きなため息とともに表情を変えた。
「わかりました。今回は、そういうことにしておいてあげます。」
そう言って、少し不満を残しながらも、千春は、いつもの千春に戻った。
「私は、神風千春。よろしくね。あなたは?」
すると、イヴは一度僕の方を見てきたが、すぐに千春の方へ向き直った。
「…私は、天理さんの親戚のイヴというものです。」
にこにこと自己紹介をした千春とは打って変わって、イヴは無表情のまま棒読み状に名乗った。
「へ~、イヴさんって言うんだ。もしかして外国の人なの?」
「あーえーとっ」
またしても思いがけない千春の質問に、僕は割り込まずにはいられなかった。
「えーと、ハーフなんだよ、イヴは。」
これもまた苦しかった。よくも次々と出まかせを吐けるものだと、自分でも自分に失望した。
「やっぱりー。イヴさんスラーっとしてて、とってもきれいだから、外人さんか何かかなぁーって思ってたんです。」
しかし、僕の考えとは裏腹に、千春の反応はとてもよかった。確かに、イヴはきれいだ。しかし、あの、長くてきれいな黒髪に、少し茶色に染まった、日本人特有の瞳を見て、外人じゃないかと思う千春は、まさしく天然だった。
「今日は、天理先輩が目を覚まして、きれいなイヴさんとも出会えて、とっても良かったです。まあ、使穂は寝ぼ助さんだから、こうやってみんなが起きてほしいって思っても、あと五分、とか言って粘ってるだけだろうから、あまり心配しないで待つとしますかね。」
そう言って、彼女はいつも以上の明るい笑顔を僕に向ける。いつも以上に明るい千春…それはやっぱり僕に、何より自分に、大丈夫だよ、と言い聞かせるような、いつもとは違う千春だった。
「そうだな…」
僕も笑顔で答えた。
「さて、天理先輩の元気そうな姿も見られましたので、そろそろ帰るとしますか。」
腰かけていた椅子から立ち上がり、千春は、出口の手すりに手をかけた。すると、いきなり千春は驚いたように、僕の方へ振り返った。
「そう言えば、すっかり忘れていました。さっきここに来る途中で、先生に出くわしまして、伝言を頼まれていたんです。もし目を覚ましていたらーって。」
そして、千春は、伝言を伝えると、元気よく病室を出て行ってしまった。
World Dream