夏の日の光。

夏の日の光。

夏を掴みそこねた。
私の見た夏はどうもいつもぼんやりとしていた。

夏の日の光。

陽の光が当たると、彼らはみんな瞬く間にライオンに変化する。
塩素で抜けた茶色い髪から、零れる水滴が光を反射している。
『今日も他、来ないの?』
部員は五人。プールサイドに立つ人数はいつも3人ほどだ。
『夏休みだから、みんなどこか遊びに行ってるんだろ』
礼、と部長が号令をかけて、しあーすっ。と不揃いにプールに向かって挨拶をした。
『お前も泳げば?どうせコース空いてるんだし』
25メートルプールが9コースに区切られている。
実際に使うのは3コースほどで、部員が揃っても4コースしか埋まらない。
『いいよ、私は。水着持って来てないし』
ストップウォッチとスコアシートを片手に、部長に笑いかけた。
『まあ、マネージャーだからな』
淡白な返事とは裏腹に、部長の顔はいつも無邪気な笑顔だ。
『すきにしていいよ、暑いし。入ってくれてもいいから』
そう言って、部長はゴーグルを調節してイルカのように水中を舞う。
靭やかな身体のうねり、美しくついた筋肉。
テンポの乱れないストロークに、見ながらも心地よさを感じる。
制服姿の時には見せない真剣な表情に、時折胸が熱くなる。
鼓動が加速していく。体が火照るのがわかる。
聞くところによると、この感情には名前があるらしい。
誰も教えてはくれないが、誰もが自覚するこの感情は、病だと聞いたことがある。
『部活終わったら、』
折り返して帰ってきた部長がプールサイドに立つ私に声をかけた。
『ん?』
『部活終わったら、時間ある?』
高校生の夏は、夢見ることを許される。
『あるよ』
『話したいことあるから、待ってて』
やはり無邪気な笑顔を浮かべて、夏の日のライオンは水中を舞う。
期待してはいけない。
そう思ってはいても、胸の奥に一匙分くらいの期待はある。
今すぐ飛び込みたいくらいに躍動した心が、焦りと不安と、膨張していく期待を抑えきれずにいる。
夏の日に潜む魔物とはこういうことだろうか。
顔が緩む。
水しぶきを上げながら艶光するミラーゴーグルが、ライオンの鋭い目つきによく似ていた。
『今日のメニューは?』
ウォーミングアップを済ませ、ライオンは水を引き上げながら上がってくる。
荒い息遣いと、近距離に心臓が大人しくしているわけがなかった。
『昨日と同じだよ』
手元のスコアシートを覗きこむ。
塩素の香りが鼻をくすぐった。
『ありがとう。毎日記録とってくれてありがとな』
にこっと笑ってプールサイドから飛び込んだ彼は、水滴で出来た足跡を残して水の中で生きる。
このライオンは水中で生きるのだ。
陸で呼吸をしている私の声は、水中には届かない。
心臓の音さえも、水しぶきに拭われてしまう。
セミの声がやけに遠く感じた。

──ザザザッ
目の前のスクリーンが砂嵐にまみれた。
『いかがでしたでしょうか』
気づくと隣には執事服姿の男が、柔らかな表情でこちらを見ていた。
真っ暗な空間にただ2人、目の前には巨大なスクリーンだけがライオンを静止したまま捉えていた。
『えっと……え? ここはどこ? 』
『若干ですが、最後の映りが悪かったですね。まあコチラに来られたばかりですから仕方ないかと……』
『ここはどこなの? 』
つい先程までプールサイドに立っていたはずなのだ。
『ご存知ありませんでしたか! ここは記憶を辿る部屋です。人が死ぬ直前の目で見たことを全てこのスクリーンが映し出すのです』
人が死ぬ直前?
そうか、これは夢だろうか。
『私が死んだというの? 』
執事服姿の男はにこにこと微笑むだけだった。
『どうしたら帰れるの? 私はまだやり残したことがある。それに死んだなんてありえない、だっていつも通り部活に行ってただけなんだから』
執事服姿の男は、そうですねぇと渋い表情をして
『一つだけ可能性があるとすれば、』
と言いかけて、ううむううむと唸りだした。
『最後の映りが悪かったので、もしかしたらまだ植物状態で生きているのかもしれません。しかし、光がお迎えに来られないとどうも私にはなす術がございません』
執事服姿の男は渋い表情のまま、こちらを見据えていた。
『光が迎えに来るって? 』
『まだ生きることができるのならば、万華鏡のような美しい光が自ずとお迎えに来られるのです。それまで待ってみてはどうかと。もっとも、永遠に待つことは不可能ですが』
執事服姿の男はふふふと薄気味悪い笑みを浮かべてすぅっと暗闇に溶け込んで消えていってしまった。
この暗闇の中、スクリーンの前にただ佇み待つだけで良いのだろうか。
そう考えた途端、万華鏡の様な美しい光が私を包み込んだ。

次に認識した景色は、青だった。
その青はいかにも空で、太陽が眩しかった。
私の髪をなびかせていたのはライオンの手に持つタオルだった。
私は熱中症で生死を彷徨っていたようだった。
『起きた!よかった、急に倒れたからびっくりした』
と、私に微笑みかけたライオンは、やはり光が照らし、きらりきらりと輝くのだった。
『このまま起きなかったら俺、お前になにも伝えずに終わるのかと思った。』
ぐすんと鼻をならしたライオンは、先ほどまで泣いていたのだろうか、目元が赤くなっていた。
夏の日は様々なことが滲んで見える。
暑さのせいか、涙のせいかわからない。
夢なのか現実なのかもわからない。
はたまた、生きているのか死んでいるのか、触れたものがすべての真実だ。
きらりきらりと輝くライオンの色素の薄い髪はいつも通り塩素の香りを運んできた。
それがまた私の鼻をくすぐり、指先と唇に私とは別の、体温が通った。
夏の日はあまりにも刺激が強すぎて、陽炎に溶け込んでしまいそうな日だ。

夏の日の光。

いつだって学生の夏は上手く行かなくて、平凡な日ほど退屈な毎日はない。
夏空はいつも私達を取り囲んで、眩しいくらいに夢を見させてくれる。
現実なのか夢なのか、いつも真実は触れたものが正しい。

イメージカラーは空色。

夏の日の光。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-08

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