言葉

 ―図書室で―

言葉には様々な意味と使い方がある。
元気になる言葉、勇気をくれる言葉、せっかくの気分が台無しになる言葉、泣ける言葉、多種多様な意味を持つ言葉。話し手、聞き手の認識によって変化する言葉。
忙しく過ぎていく日々の中、言葉の輝きにどれだけ気付けるだろうか。
人の気持ちが宿った言葉に触れる。すると、もう一つの世界が広がる。
そんな事を考えている俺は、人として少し変わっているんだろうか。そうだとしても、俺が幸せを感じる一時に違いない。  
織田 睦


その日はひどい夕立だった。どしゃ降りの雨、風は吹き荒れ、雷が鳴り響く。

そんな日に奴は俺の前に現れた。

髪は商社マンのような短髪だが乱れ、無精ひげが生え、うっすら笑みを浮かべてい

る。そして俺に近寄ってきた。

顔も声もそっくりだ。でも彼は俺の知っている中川ではなかった。

奴は俺にやってほしいことがあると説明を始めた。

その要求は強要ではないが、やらないと、

どうやら俺の命にも関わるらしい。

俺はこんな理解不能な要求を受け入れるのか。事実を何より重んじる俺が…

しかし、一つ揺るぎない事実もある。奴だ。奴は中川一翔本人だ。

その日から俺の人生は大きく変化していった。


 ―図書室で―

「ジリリリ・・ 」
目覚まし時計は五時半を指している。
「桃!時間よー!準備があるから、いつもより早く行くって昨日言ってたでしょ。」
(□▽☆※♡●〇☆△・・言ってたでしょ。)
??お母さんの声?あれ?なんでこの状況でお母さんの声?あ、これは夢だ。起きなきゃ!でも、これからいいとこだったのに…いーや、でも起きなきゃ!
ばさっ!淡いレモン色の掛布団が、跳ね上がる。
「はて?いい感じの夢だったのに、もうどんな夢だったか忘れちゃってる。損した気分。」
窓を開け、九月下旬早朝の清々しい空気に触れ深呼吸をする。まだ日が昇らない薄い水色の空にうろこ雲が浮かんでいる。
今日は文化祭。
「いい日になりそう。」
文化祭への期待が桃の心を晴れやかにしていく。
まだこのときは、本人はもちろんだれも予想などしていなかった。来年からこの日が桃の命日になることを。

六月下旬
 桃は鳩高校二年生。参考書がどっさり入った重たい鞄を肩にかける。重く感じるのは参考書の量でけではない。
学校へ行きたくない気持ちが、鞄を更に重くしている。
しかし休んだら自分に負ける。この不屈の精神で桃は毎日学校に足を運んだ。
今日は社会の課題の調べものをしなければいけない。
(とりあえず、そこれが今日の目標。これができれば、後は何が起きようが気にしない!)
桃はいつも小さい目標を立て、その目的を達成するためだけに学校へ行くと自分に言い聞かせている。
「行ってきます。」
今日も同じ時刻に家の玄関の戸を引いて出かける。
丘の上にある高校。登校中は学校へ向かう坂道に朝日が差し込み、光が学校まで導いてくれる。一年生の頃は胸を弾ませたその光景も見慣れたせいか、いや、今の桃の置かれた環境のせいだろう、坂は監獄へ続く道に見える。
校門をくぐる。いつも言い表せない不安が桃を襲う。
まず、下駄箱。
(なぜ、日本の学校は土足厳禁なんだろ?土足でいいじゃん。)心の中でつぶやく。
下駄箱を開ける瞬間、桃の手に緊張が走る。
カタッ
一足の白いシューズがちょんと昨日のまま並んでいる。
(ほっ。よかった。今日は何ともないみたい。)他の人には何でもないことが、桃を嬉しい気持ちにさせる。
次の試練。教室の扉を開ける瞬間。ガヤガヤ楽しそうに騒いでいるクラスメイトが一瞬静かになる。
(この瞬間が最も苦痛かもしれない。)
クラス中の冷たい視線。さやかのささやき声と女子のくすくす笑い。桃はいつも誰とも目を合わさないようにする。且つ、下も向かないようにして自分の席に着く。
(あ、今日は先に図書室へ行くんだった。)
教室まであと数メートルのとこで桃は図書室の方へ方向転換した。
あの瞬間が少し先へ伸びただけで気分が軽くなる。
(おっと、だめだめ、もっとしっかり自分を保たねば。何があっても気にしない。今日の目標を達成させることだけ考える。)再度言い聞かせる。
 朝の図書室は読書している者が数人いるだけで、校舎裏の林から鳥のさえずりさへ聞こえてくるほどとても静かだ。ここだけ違う時間が流れているような気にさせらる。
(大和戦艦、大和戦艦と・・・あ、あった!)
心で叫ぶ。すかさず、棚の五段目めがけて右腕を伸ばす。
と、その時、
「あった!」
右隣から手が伸びてきた。
その手は桃と同じ本を掴もうとする。
少しの差で桃の方が早かったようだ。
「あーあ、残念。まさか、こんな本が他の人に借りられてしまうなんて。…あなた、変わった趣味してるのね。」
「よければ先にどうぞ。2週間後の課題の参考にしようとしただけだから。今日じゃなくてもいいの。」
桃は本を差し出した。
「ありがとう。でもそれはあなたが先に見つけたのよ。」
彼女は受け取ろうとしない。
「いいの?」
「もちろん。先に取った人が優先でしょ。」
目が細くなり、唇はニコちゃんマークのように口角が上がっている。一見疑いようのない笑顔に見えるが目元のほくろのせいか、何かを秘めている魅惑的な笑顔にも見える。
「ありがとう。えっと、何さん?」
「横井七瀬。」
「私は、柳川桃。じゃあ、返却するときは声かけるね。何年何組?」
「二年三組。そんな丁寧な事してくれなくてもいいのに。」
七瀬は指をあごにあてながら少し考え、
「そしたら、文芸部の子に伝えてくれてもいいんだけど。クラスに渡辺初枝っているでしょ?」
桃はぎくりとした。
(私、クラスメイトとはもう一カ月以上も話してない。そんな高度な事はできないよ。)
「だ、大丈夫だから。私、学校ではやることが多い方がいいの。」
「ふーん、変わってる。私もよく言われるけど。」
桃をまじまじと見ながら、
「じゃあ、待ってるわ。」
「あれ?」
桃は今の会話に違和感を覚える。
「何で私が渡辺(..)さんと同じクラスだって分かったの?」
「超能力。」
「えー?!つ、使えるの?!」
「すこーし!」
「そんな人に会ったの初めて。」
「たくさんいたら、困るわ。」
「他にも何かできる?」
「そーね、桃ちゃんの今日の下着の色くらいは言えるけど?」
七瀬は桃の性格を見抜いたかのように、いたずらなことを言い始める。
「へ?だ、だめだめ!それはやめて!恥ずかしいよ。」
桃は七瀬の思惑に気付いていない様で真に受ける。
「冗談よ。」
七瀬はあっさり答える。
桃は、もぉ。と不満な顔で質問を続ける。
「じゃあさ、今日の私の運勢は?何か悪いこと起こる?」
「占いはちょっと、自信ないわ。でも、うーん、そーねー...大丈夫!悪いことは何も起こらない。」
「そっか。ありがとう!」
「でもそこは普通、悪いことじゃくて、良いことを聞くとこよ。」
少し不可解な顔の七瀬。
「いいの。悪いこと以外は全部良いことなんだから。」
「何それ!」
驚く七瀬に、桃は慌てて、
「暗いって言いわないでね。」
七瀬はそうじゃないわよと笑う。
「何?その幸せな脳は?!って言おうとしたの。」
「そ、そう...??幸せ?」
「うん。だって、悪いことが起こらないかって聞くってことは、それそれ以外が良いことなら、桃ちゃんは良いことだって感じることの方が多いってことでしょ?」
桃は唖然とした。確かにそういうことだ。私って幸せなの?思わず考える。
「その発想は新しいわ。私も真似しようなかな。」
七瀬はまた、あの笑顔になる。
「うん、お勧めする。」
「じゃあ、本の返却を待ってるから。」
「必ず訪ねる。」
見事、その日は桃にとって悪いことは何も起こらなかった。

 翌日
(すごいなー七瀬ちゃんの占い。当たちゃったよ。)
そんなことを考えながら、移動教室を一人でしていた桃の腕を、がしっと誰かが掴んだ。
そして、ぐいっと引き寄せられた。
「え?」
「柳川さん、あなたに確認したいことがあるんだけど。」
そこには、同じクラスの渡辺初枝が立っていた。 

―成功させなくていい―

31年後。初秋。
「もう!一翔のせいで、遅れそうじゃない!」
やや左後方にいる、学ラン姿の小柄な男子生徒に声をかけた少女は、鳩高校二年生の佐藤茜。
「僕は先に行けって言ったんだけどな。」
まだ眠そうな顔で冷静に答えるのは、鳩高校二年生の中川一翔。
「明日は文化祭だから、僕もいつもより早く行って準備するって言ったから、迎えに行ったのに。」
「早く行くって言っただけで、一緒に行こうなんて誘ってないよ。」
一翔と茜は家が近所で同級生。いわゆる幼なじみだ。幼稚園の頃から登下校を共にしてきた。生徒会執行部の茜は文化祭準備で日々忙しくここ一週間は早朝もその時間に当てており、一翔より早く登校していた。一翔の「明日は僕も早く行く」という発言を「一緒に行こう」と解釈するのも無理はない。
難癖をつけては茜に嫌がらせを言ってみせるのは、茜は自分に惚れてると確証している一翔の悪い癖だ。
「早く行かないと会長にどやされるよ。」
二人の通う鳩高校は丘の上にあり700m続く坂がある。その為丘のふもとにも学校の駐輪場が設けられており、多くの生徒はそこから歩いて登校する。
(確かにこのペースで歩いていたら時間に間に合わない。しかも、昨日から鳩時計が動き出して先生たちの様子が少し変だってさやかが言ってたから、それも気になる。)
茜は一翔を思いっきり睨んだ。
「そうね、運動音痴の一翔に合わせてたら遅刻だわ。お先に!べー!」
ざまーみろという顔をした次の瞬間にくるっと前を向く、合わせてプリーツスカートがふわっと回る。そして学校へ向かって駆け足で去っていく。
「今どきベーって・・・使わないよ。」
一翔は少し呆れた笑みをうかべる。
朝の六時を迎えた秋分の日。早朝の空気は少し冷たいが、太陽の暖かい日差しが、向かって西側にある学校への道を穏やかに照らしている。今日も日中に向けて暑くなりそうだ。
「長い人生、まだまだ見えてないものいっぱいあるから茜で決まりってわけにいかないんだよ。」
「大きい独り言。」
キレのある、そしてどこか余裕を感じるトーンの声。
「癖です。」
平然と答える一翔に、ふーん。といたずらな笑顔を浮かべて近寄ってくる男子生徒は鳩高校三年生の織田睦。
「おはようございます。」
「おはよう。茜ちゃん人気あるのにな。」
「知ってますよ。」
特別容姿が良いわけではないが、女の子らしい体系とふんわりした雰囲気の茜に優しくされて勘違いする男子は少なくない。
一翔は淡々と会話を続ける。
「睦先輩もこんなゆっくりでいいんですか。文化祭当日の朝は生徒会と最終の合わせするんですよね。」
「走れば間に合うから大丈夫。」
(今日は、朝から自分の運動音痴を馬鹿にされる。)
「今日は文化祭で体育祭じゃない。」
「独り言漏れてるって。」
一翔は少し躊躇してから、また会話を続ける。
「…睦先輩、今日の計画は成功しますよね?」
「どうかな。」
釈然としない返事に一翔は少しむきになる。それでは困る内容のことをこれから実行しようとしているのにと。
「図書部がやってきたことは間違ってないはずです。受け入れてもらわないと。」
今度は睦が平然と答える。
「成功しなくてもいいんじゃないか?」
(きた…こんな日でもこの人は理解不能の言葉をふっかけてくる。)冷静で温厚な一翔の心を睦の言葉が乱す。
「何を言ってるんですか。今日のためにやってきたことが無駄になりますよ。」
今から学校にとっての大イベントである文化祭をぶち壊そうとしているのに、その部長と副部長の意思疎通ができていない。こんなことで今日の計画は実行できるのだろうか。一翔は険しい顔になっていく。
睦が歩く速度を上げ、そして一翔を追い抜く。その瞬間、
ドンッ
「けほけほっ!な!何?!」
一翔はふいに背中を強めにどくかれた。
睦はそんな一翔を振り返り面白がっている。
「大切なのは自分の真髄だろ。一翔君。」
君付で呼ぶということはからかっている証拠。どついておいて更にこの仕打ちとは、完全におちょくられていると察した一翔はもはや黙り込むしかない。
「…」
「そうだなぁ、何も求めなければ恐くない。」
頭の中でまとまらない睦の言葉の連続。
「つまり、失敗してもいいってことですか?」
今度は真面目な表情で一翔の顏を見る。
「なぁ、一翔。」
睦は一息つき、
「お前は真実が知りたくて、これをやってきたわけじゃないだろ。」
それを捨て台詞に、睦は学校へと先を急いだ。 

 ―赤ペン貸してください―

 ―赤ペン貸してください―

(訳が分からない。睦先輩はいつも視点が違う。今日みたいに睦先輩の発言が理解できないことはよくあるけど今回は特に訳が分からない。)
図書部副部長の一翔は、部長である睦の発言に今まで幾度となく悩まされてきた。その度に必死に考える。
(今回図書部がしようとしていることは学校にとって触れてほしくない部分。つまり、図書部は学校のパンドラの箱を開けようとしている。それなりの覚悟で挑む。なのに成功させなくてもいいってどういうことなんだ?睦先輩の言う真髄って何?)
(あー、物理の問題解くより難しい。)
「だめだ。分かんないや。」
「何か分からないことがあるんですか?」
カウンタ―に座って考え込んでいた一翔に声をかけてきたのは、一年生の藤下加月。
「おはよう、加月。早いね。」
「もう、みんな来てますよ。」
(えっ?)
一翔はそのとき初めて、自分の耳に雑音が聞こえていることに気付く。思わず周囲を見渡した。
「考え込みすぎてたみたいだ。」
額に手を当て自分自身に呆れた。
 学校に着いた一翔は最終調整を行うため図書室に来た。部員がそろい次第、朝会を予定している。生徒会の会議に参加している数名の部員以外はみんな揃っている。
(春と比べるとずいぶん活気のある部になってきたんだ。)
もはや、体育系の部活と同じくらいの団結力があると言ってもいい。
(それだけ他の部員もこの文化祭のために頑張ってるんだ。成功させないと。)
一翔は責任の念に駆られた。 
 図書部の部員は一年10人、二年生8人、夏に引退しなかった三年生5人の23人だが、部活動といえるものに参加している部員は16人。文化部で顧問がゆるいため100%の参加率にはならないが、これでも去年と比較すると部活動への参加者は30%は増えている。
実のところ一年前の一翔は不参加の部員だった。
「中川先輩、最終確認していきますか?」
加月は状況判断が一年生の中では一番長けており、一翔の右腕になるであろう期待の一年生。
「睦先輩なしでもできるところからやっていこうか。」
加月は一翔の言葉に一瞬笑顔を失う。
「そうですね。でも、いつも部会の進行と決議するのは副部長の中川先輩ですよね。睦部長がいなくても中川先輩の一存で決まるんじゃないんですか?」
そう、第三者の目からはそう見える。
しかし一翔は部会の取り決め事に、自分の見解で判断を下したことはない。睦の普段の会話や行動の事象をパターン化し、それを筋に判断している。
睦の言動はよく分からない冗談や取るに足らない会話以外は事実に基づいている。筋が通っている。
例えば先日睦と一緒に図書室で校内新聞の記事の添削をしていたときのこと、赤ペンのインクが無くなってしましい、一翔は睦に赤ペンを借りた。会話は次の通り。

「睦先輩、赤ペン貸してください。」
「貸してちょんまげ。って言ったらいいよ。」
「他あたります。」
「あーあ、全然面白くない。それじゃあモテないぜ。一翔君。」
「赤ペン貸してくれないんですか?」
「好きなだけ使え。」
「じゃあ、すみません借ります。」
「何で?」
「え?」
「今の流れだと、ありがとうじゃない?」
「そうですか?」
「ペンがなくて困っていて、ペンを借りれて助かったんだからお礼でしょ?
もし、俺が赤ペンを使っているのに貸してくれたのなら、やっていた作業を中断させるからその場合はすみません。だけど。」
「ありがとうございます。」
「おっと、それも!今、本当に俺に感謝して言ったか?そう言われたからで、内心感謝なんてしてないだろお前。」
「…そうですね。」
「あぁ、分かってないなぁ一翔。これだから世の中のありがとうの価値がさがっていくんだよなぁ。」
「先輩、」
「何?」
「先輩ももてないっすよ。」
「・・・・・・・」

この調子から、睦に赤ペン一本借りるにも苦労することが分かる。という話ではない。睦はその言葉の本質的な意味が軽視されることを悲しみ嘆く。
この事象をパターン化すると、
「言葉の意味と使い方を大切にしよう。」
これを反映した事例は次の通り。

以前、部活動の一つにあるお昼の朗読について、改善点を部会で議論した。
・語り手の声が暗い
・アンケートで意見を聞く
・聞いてない人の方が多い
・そもそもやってる意味があるのか
以上の意見が上がった。ここで確認することは今回のテーマの意味だ。すぐさま電子辞書で引く。

 改善 ⇒ [名](スル)悪いところを改めてよくすること。

・そもそもやってる意味があるのか
は朗読の有無を問うもので、議論するのに妥当でない。次に、
・アンケートで意見を聞く
これは改善するための参考に実施するもので、改善点には当たらない。よって今回の議論すべき改善点は残りの2個となる。
この様にテーマから論点が外れていないかを慎重に吟味する。よって、部会だけ見ている他の部員にはすべて一翔が仕切っている様に見えるが、その陰では睦の思想が大きく影響している。
しかし、そんな曖昧なやり取りは第三者に説明し辛いし面倒なので、あえて説明する気は一翔にはない。
今回も加月に、そうだね。とだけ返した。しかし近い未来、加月にはきちんと話しておきたい内容ではある。
「では、部室へ集合するよう、皆さんに伝えてきます。」
「ありがとう。」
年齢関係なく、あいさつ、お礼を伝えることは一人一人を傾聴している表れ。
この心遣いも一年前の一翔にはなかったもの。
睦の一風変わった考え方や一翔への心遣いが、今の一翔に大きく影響しているのは本人にも自覚がある。
今まで人に対して興味を持てなかった一翔にとって人に影響を与える睦は異世界の人間に感じる。

 ―友人―


宮下さやかは高校に入学して初めてできた友人だった。
桃は、さやかと他の女子を入れて四人グループで行動をほぼ共にしていた。
半年ほど経った頃、桃はさやかたちと会話が合わないと感じ、少し距離おいた。
二年生にあがり、桃の異変にさやかが気が付く。
桃は努力家で勉強も力を抜かなかった。校内順位はいつも二十位以内。
それを快く思っていなかったさやか。更に距離を置く桃の態度も気に入らなかっ
た。
さやかは次第に桃へ陰険な嫌がらせをし始め、そのとばっちりを避けるように、他のクラスメイトも見て見ぬふりをし、それはいじめに発展していった。
六月上旬の二者懇で担任の舘にそのことを打ち明けると、舘はそれを受けれてくれた。
「学校側としても、何か対処できないかやってみよう。」
舘は積極的に相談に乗ってくれた。
しかし、当時は学校にとっていじめは深刻な問題にならず、教員会議で議題候補に上げてもそれが通ることはなかった。
先生に相談したものの、すぐ解決する問題でもないことは当事者の桃が一番よくわかっていた。
学校へ行くのは憂鬱だったが登校拒否はしたくなかった。とにかく毎日通った。
 そんな桃の支えになっていたのは、第一体育館の鳩時計。奇数時になると、鳩が飛び出すからくり時計。それはとても神秘的であった。
そのからくりは、周りの水晶やガラス玉が綺麗な光を放つ。大理石でできている鳩はその光を受けながら滑らかなに輝き、人の心を虜にする。
今年三月、放送部の大会で使う第一体育館の音響の調整をすることになり、放送部の桃はその作業に駆り出された。しばらく使われていないスピーカーも使用するため作業は難航し、終了予定時刻の四時を過ぎても調整は終わらなかった。
第一体育館の3階ギャラリーはフェンスの高さの問題で、普段は立ち入り禁止になっている。
その日は調整の為、フェンスに近づかないということと先生の監督の元で、特別にギャラりーに上がり、スピーカーの位置を確認をしていた。その時、五時を知らせる鳩時計が動き始めた。
ギャラリーから見る鳩時計は西側の小窓から入る春の優しい夕日を浴び、一層美しく輝いていた。そして、いつもは下のホールから見上げてみていた鳩時計が、3階のギャラリーでは目線と同じ位置にあり、いつもと違う角度から見る大理石の鳩は、凛とした表情で光を放つ。桃は思わず息を飲んだ。
「ギャラリーから見るとこんなに素敵なんだ。」
その日から桃は先生にばれないよう日を見計らい、第一体育館のギャラリーで、五時の鳩時計を見物することが習慣となった。

 「渡辺さん、どうしたの?」
クラスメイトに声を掛けられ、少し驚く桃。
初枝は目を下に向け、一呼吸おき、再び桃と視線を合わせる。
「柳川さん、昨日三組の横井七瀬と何か約束したでしょ?」
「うん、したけど。」
「何を約束したの。」
「借りたい本がたまたま一緒だったから、私が返したら教えるねって...」
尋問のような初枝の問いかけに、桃は声が小さくなる。
「あ、ごめんなさい。何か責めようとしてるわけじゃなくて。」
要領の得ない初枝に桃は不安そうな顔をしている。
「というか、約束の内容は別にどうでもいいの。ただ、話のきっかけがほしかっただけで。」
初枝は再び目を伏せる。
「柳川さん今、さやかから嫌がらせ受けてるでしょ?」
「う、うん。でも、そのきっかけを作ったのはおそらく私だから。」
またも意外な質問に、戸惑いながら答える。
「さやかってあの調子の性格だから、みんな、自分に火の粉が飛んでくると思って柳川さんのことは見て見ぬふりよね。」
「仕方ないよ。私も同じ立場ならみんなと同じ行動とると思う。」
桃の屈託ない返答に初枝は心がズキっとする。同時に桃が人格者であることを認識した。
「急にこんなこと聞いたのは、昨日七瀬に言われて。」
「横井さんが?」
「私も中学生の時、クラスのある女子から嫌がらせを受けたことがあって、その時は七瀬が同じクラスだったから、色々助けてもらったんだけどね。」
意外な告白に驚くも、同じ心境を経験したことのある彼女に桃は親近感が湧いた。
「だから、今のあなたの気持ちがよく分かる。よく分かるくせに、何もしないの?って七瀬に言われて。」
初枝はうつむきながら、少し辛そうな顔している。過去と向き合おうとしているようだ。
そんな初枝の表情に桃は慌てた。
「で、でも、それとこれとは別の話で、渡辺さんを巻き込むわけにはいかないよ。」
初枝は顔を上げる。
「別なんかじゃない。私にも大いに関係する話よ。だって、柳川さんはクラスメイトで良い子だって私知ってるから。」
桃の心をグッと締め付ける。
「渡辺さん。」
「ねぇ、私のグループにおいでよ。」
「そんな、みんな嫌がらせされたら、申し訳ないよ。」
「大丈夫。さやかだって、グループ全員にいじわるできないでしょ。そんな大胆なことしたら、内申書に響くし。」
桃は困惑した。初枝達を巻き込むかもしれない。でも、新しい友人ができるかもしれない。
「困ってるみたいね。じゃあ、これは柳川さんのためじゃなく私のたならいいでしょ?」
「どういうこと?」
初枝はにっと笑いながら、
「私は私の過去に終止符を打ちたいの。そのためには、柳川さんと向きあうことが大切なの。これならいいでしょ?」
「いいけど。本当にいいの?」
「うん。」
「分かったわ。」
「交渉成立ね。」
少し強引なところが七瀬に似ている。(中学からの友人だけあるなぁ。)と微笑ましい気持ちになる桃。
「ありがとう。すごく嬉しい。」
その日から、桃の重たい鞄は少しずつ軽くなっていく。

 本の返却日、桃は七瀬を訪ねた。
「わざわざ、ありがとう。」
「お礼を言うのは私の方。七瀬ちゃんのおかげで、学校が楽しくなったよ。ありがとう。」
七瀬はみけに少ししわをよせ、
「私、何もしてないけど。」
「初枝ちゃんが私の力になってくれてるのは、七瀬ちゃんのおかげだから。」
「いいや、本当に私なんにもしてないから。実際動いたのは初枝よ。」
桃はこれ以上言っても、七瀬は認めないと悟り、
「じゃあ、七瀬ちゃんの超能力のおかげ。」
と言い直した。
「やだ、あれは嘘。使えないわよそんもん。」
桃はふふと笑い、
「分かってるよ。冗談に乗っただけ。」
「あ・そ。」
七瀬は眼を細くして、桃を見る。
「この前はしんどそうな顔してたけど、元気出てきたみたいね。」
七瀬は桃を嬉しそうに見つめる。
その時、自分の心がふんわり温かくなるのを桃は感じた。
「七瀬ちゃんってやっぱり超能力者かも。」
桃は両手で顔を覆う。
「クラスも部活も違うけど、七瀬ちゃんと図書室で出会ったことは私の一生の宝物よ。」
「え、告白?!私、少し変わってるけどちゃんと男子が好きだから。」
「片想いでもいいの。」
七瀬は思わず両腕で肩を抱え、
「何か危険な発言よ。それ。」
「もちろん、人として。」
「それなら良かった。」
七瀬は冗談っぽく笑う。
「じゃあ、ホームルーム始まるから行くね。」
「うん、またね。」
またね。という言葉に嬉しくなる桃。
「うん、また。」
 
さやかが新しい友人たちに嫌がらせをするかもという桃の懸念は鳥越苦労だった。
初枝達のグループと共に学校生活を送るようになり、さやかの嫌がらせはあっさり引いて行った。
初枝の言った通り、変に先生に告げ口され自分の立場を危うくするのを恐れたようだ。
夏休み中の文化祭準備では何もなかったように、桃に話しかけるクラスメイトが徐々に増えいった。「調子いいんだから。」と少し腹を立てる初枝。「仕方のないことよ。」と桃がなだめる。

―鳩時計―


「では、これで文化祭早朝会議は終了です。お疲れ様でした。」
ガタガタ。ガタ。ガタガタ。一度にたくさんの椅子が動き出す。
「睦!図書室いくだろ?俺も行く。」
「おーよ。」
会議が終了するやいなや睦に声をかけてきたのは、三年生の坂本雄太だ。生徒会執行部の広報担当。そして、図書部に所属している。
「まぁ、今から行っても一翔がほぼ終わらせてるだろうけどな。」
「おーよ。」
雄太は少し、声を潜めた。
「いよいよか。緊張するぅ~。こんなこと言うとお前は何でだって言うだろうけど、これは曲げようのない俺の事実だ。緊張する。」
「おいおい。俺だって全く平気ってわけじゃないよ。」
(さっき、一翔にはあーは言ったけど。)
「図書部始まって以来の危機に立たされるかもなぁ。」
雄太はもともと写真部だったが、睦が声をかけて図書部に迎えた。
容姿端麗で、明るい性格なので女子からの人気が非常に高い。しかし、それを鼻にかけないので男友達も多い。自分をしっかり持っている典型的なタイプ。
雄太の撮る写真の定義は、本人いわく「心がうずくもの。」らしい。
その写真のテーマも斬新である。
例えば、学校のグラウンドの写真に「夏の風」という題名が付けられている。
しかし青い空が見えてるわけでもなく夏の生き物や花が映っているわけでもない。その写真からは、「夏」を感じさせる要素は一つもない。素人にはわからないのか。と本人に訊ねると、
「おう、あれはなぁ、本当は学校の中庭の大きいありを撮ろうと思ってたんだけどな、その時"ふわぁ"と風が吹いてな、湿気のある、夏だぁって感じる風あるだろ?あれが吹いたから、モデルをありから風に切り替えて撮ったんだよ。次の季節を予感させる自然現象って理由もなくワクワクするんだよ俺。」
確かに、グラウンドの砂が少し舞っているのは分かるが…
裸眼では確認できることができない風。これを撮ったという雄太の支離滅裂な返答が睦の心を掴んだ。
風を撮る男=坂本雄太
図書部でその腕を魅せてくれと、引き込んだ。
雄太もまた変わった考え方の睦に興味が湧いたようで、あさっり交渉は成立したらしい。
図書部でも写真を撮る腕は着実に上げている。
「睦君。」
生徒会室を出て図書室へ向かう渡り廊下で、後方から声をかけてきたのは演劇部部長の管井悠だ。
「今日はよろしくね。結果出すために、とんでもない練習量積んだから、迫真の演技に期待しててね。」
「さすが悠だよ。最初から任せっきりだったけど、リハが期待以上のできでびっくりしたよ。本番もよろしく頼むな!」
悠は照れ笑いをして少し顔が赤くなる。
「そう言われたら、頑張るしかないじゃん!睦君はのせるの上手でやんなるなぁ。」
「本当のことしか俺言わないよ。」
確かにそういう奴だと二人は心で納得する。
「それと、暗幕の件だけど、今日の最終リハ前に1年生に、言われた場所に付けてもらったから。確認だけしといてね。」
「ありがとう!助かったよ、後から見とく。」
悠は視線を少し遠くに移す。
「鳩時計また動き出したことは間違いないわ。すごい、神秘的だった。」
「なんせ、鳩高校だし?」
雄太がらかうように口を出す。
「学校のシンボルの鳩時計が30年間も放っておかれたなんて...」
と意味深に微笑しながら、次に視線を雄太に移す。
「陸君、例の約束忘れないでよね。」
雄太を見たままで睦に約束事の念を押す。
「陸、どんな約束をしたんだ?」
何か不穏な空気を感じ取った雄太が睦を睨む。
「まぁまぁ、そのうち分かるよ・・・」
逆に陸は雄太と目を合わせようとしない。
「と、あんまり話し込んでる場合じゃなかった。まだ準備が残ってるから、体育館に行かないと。」
悠は腕時計を見ながら、体育館に向かう姿勢をとった。
「悠、よろしく!」
「任せて。また後で。」
軽やかな足取りで悠は去っていく。
「おい!陸、約束って何だよ?俺に思いっきり関係あるだろ?」
「これが成功したら話すよ。そ、それより雄太、一翔も演劇部でステップ練習したら少しは運動神経良くなるんじゃあないか!!」
「ち、話を逸らせたな・・・
 うーん、あいつにリズムに乗るという感性があれば。だな。」
「・・・・・・」
「ないわ。」
二人同時に呟く。一翔の運動音痴は筋金入りのようだ。
 すると今度は茜と二年生の滝さやかが後方でおしゃべりをして、こちらの方に向かってきている。
「せっかく迎えに行ったのに、ひどいと思わない?」
「かず君は茜に甘えてるんだって。しばらくほっておいたら?」
「なるほどー・・・やってみようかな!」
「でも、茜にできるとは思えないけど。」
「もう!さやかも私をからかってる。私だってやるときはやるんだから!」
滝さやかは眼鏡が似合う和風美人。性格は悪くはないが、相手のご機嫌をうかがうことをしないので、女子の彼女への評価は分かれるようだ。しかし、そんなことは気にしないとこが彼女の肝が据わっているところ。
「あ!織田先輩!!」
茜は駆け足で睦に駆け寄る。
「茜ちゃん、俺もいるよ!!」
雄太は親指を立てて、手のひらをこちらに返す。
「坂本先輩、茜は織田部長のファンなんでアピールしてもだめですよ。」
さやかが後ろから声をかける。
「うそだろ!俺のが2.5倍増しいい男だぜ?!」
「2.5倍増しって、カップラーメンか俺たちは。」
ふざけた雄太に、睦が期待通りの突っ込みを入れる。
「あ、しまった。さやか悪いけど、今日の早朝会議の記録を生徒会から借りてこれるか?このれから図書部で合わせるときに、記録がないと一翔がうるさいんだよ。俺の記憶はあてにならんって。」
「ちゃんと持ってきてますよ。織田部長。」
笑顔で、バインダーを掲げてみせる。
「それにこれは、生徒会の記録とは別に図書部の記録用に複写したものです。」
「茜ちゃん、何でこいつはこんなに仕事ができるんだい?」
睦が感動している。
さやかは生徒会そして図書部で書記を務めている。昨年、睦に勧誘され図書部に所属した。もともと読書が趣味ではあるらしいが、このcoolbeautyな女子を睦がどうやって口説いて入部させたのかは図書部の七不思議になっている。
「織田先輩だからですよ。会長にはいつも注意されてるます!何でこれやってないんだ。ってね、さやか!」
「さっきのお返しね?茜。
じゃあ、そうですよ、私は織田部長の考えてることは大体分かるの。」
「わ!開き直った!」
茜が少し悔しそうに言う。
「ひゅ―ひゅ―。愛の告白が始まりました~。」
雄太が冷やかす。
「おいおい、こんな日の朝にそんな・・・」
和風美人相手に嬉しそうな睦。
「というか逆です。」
「何?!睦!お前、さやかのことが!!」
「えっ、え~!!」
驚く二人。
「あれぇ?」
続いて本人も驚く。
さやかがくすっと笑う。
「私が言いたいのは、織田部長は分かり易い。というのもそうですが、先輩は相手を縛らないから、動きやすいんですよ。希望の結果はしっかり伝えてくるんですが、その方法は自由なんですよね。途中、軌道がずれていれば、それを修正するようには言ってきますけど、それだけです。私みたいな人間はやりやすいし、先手も打ちやすい。今みたいに。」
と言って、また例のバインダーを手前に掲げる。
「そういうことか。」
ほっとする茜。
「確かに、俺も深く考えたことなかったけど、睦はやりたいようにやらせるよな。」
「俺のポリシーです。」
「でも、かず君にだけには少し違うみたいですね。」
(さやか、感も働くのか…)睦が心でつぶやく。
「まぁ、あいつは副部長やってるからなぁ。」
「そーね、一翔は性格という大きい問題があるしね。」
(雄太、茜ちゃん偶然だけど、ナイスフォロー!)
「そっかそっか、今のですっきりした。織田先輩の居心地の良さは、そういうことだったんだ。納得!」
自分の感情が腑に落ち、喜ぶ茜。
「今日はモテるなー俺!」
「なに!」
雄太が悔しそうにする。
「坂本先輩は普段からモテてるからいいじゃないですか。」
さやかが突っ込む。
「その他大勢じゃなくて、かわいい子にもてたい男心をわかってないなぁ、さやか。」
「え、それって私たちのことですか?」
驚きと喜びが混ざった顏で茜が訪ねる。
「もちろんだよ。」
雄太が決め顔する。
「坂本先輩すてき!!」
茜は浮かれ、さやかも面と向かって容姿を褒められ、少し顔が赤くなっている。
「あ!さやかも嬉しそう。めずらしー!」
そんな、かわいらしい二人の反応を見て、
「悪い、やっぱり今日も俺の勝ちだな。」
「俺の清き二票を返してくれ。」
雄太にあっという間に持って行かれた。
「そうそう、織田先輩に聞きたいことがあるんです。」
茜が少し深刻な顔になる。
「何?」
「体育館の鳩時計なんですけど…」

 ―優等生―

 「動かしてよかったんでしょうか?一部の先生たちが異常に反応してるので気になっちゃって。」
大人である先生が気にしている。それだけで根拠もない不安に駆られる。
「鳩時計の演出は俺もどうかと思ったんだけど、どうやら俺たちの意図しないところで何かが起こってるみたいで。」
「他に動かした人がいるってことですか?」
茜は更に不安そうな顏をする。
睦は首を横に振った。
「現状よく分からないんだ。ただ茜ちゃんの最初の質問に答えるとしたら、大丈夫だよ。」
茜は一瞬,腑に落ちない顔したが、
「織田先輩がそう言うならもう気にしません。」
そう笑顔で答える。
「素直でよろしい。一翔の幼なじみとは思えないなぁ。」
「僕はいつも冷静かつ現実的に判断してるだけです。後で聞かせてもらいますよ、僕たち意外に動いてる者が何なのか。検討ついてるんですよね。」
四人は話し込んでる間に図書室に到着していた。出入口付近にいた一翔まで会話が聞こえたようだ。
「これこれ。かわいくないんだよ。」
「だから、敵が多いんですこの人。」
一翔は自分の悪口に付き合う気は全くないという表情でさやかに声をかけた。
「会議のノート見せてくれないかな。持ってるよね。」
「もちろん。」
お礼を言ってノートを受け取る。
「時間ないですよ先輩。」
とっととやるぞと言わんばかりの視線を睦に送り、図書室へ入っていく。
「朝から、睨まれてやんの!」
「いーや、今日は二回目。」
運動神経をからかったときだ。
「でも、今度は何を怒ってるんだろう。素直じゃないって冷やかしたからか。」
睦の疑問に茜が答える。
「たぶんですけど織田先輩、一翔にクイズみたいな問題出してませんか?」
(登校中のあれか?)心の中で睦はつぶやく。
「・・・そうかも。」
やっぱり。という顔になる茜。
「茜、どういうこと?」
さやかも気になるらしい。
「一翔って賢いから、数学や物理の問題は参考書や先生の解説を聞けば解いちゃうのよ。でも、」
「でも、織田部長が考えていることは分からないから腹を立てる。そういうこと?」
さやかが途中から答える。
「そう。今まで何でも冷静に第三者の目で判断してきたから。家族や自分のことですらね。あの家で育ったらそうもなるけど。だから、最初は理解できなくても最後には納得させられる答えがある織田先輩の発言は一翔にとって、すごくもどかしい言葉(こと)なんだと思う。」
「なるほど。」
さやかが納得する。
「じゃあ、その副部長(あいかた)に愛想尽かされる前にとっとと最終打ち合わせしようぜ睦。」
「おう。」
すると、図書室の中を覗いながら茜がぽつりと言う。
「だけど、一翔変わりました。以前はこんな熱心に物事をやることなんてなかったから。」
「そう言われると。」
さやかも同意する。
「そうなの?何でも真面目にこなす優等生!って感じじゃん一翔って。」
雄太が、眼鏡をかけてないが眼鏡のズレを中指で直す真似ごとをする。
「一翔も眼鏡かけてないから。眼鏡は俺だ。」
睦が思わず突っ込む。
「昔から真面目なんだけど必要最低限のことはしない、要領だけいい優等生。という感じでした。」
眉間にしわをよせた顔から、さやかにとって当時の一翔が良い印象ではなかったことが覗える。
「中学一年生のとき同じクラスだったんです。かず君は学級委員長でした。ある日クラスメイトの財布が無くなって、学級会を開いて話し合いになったんだけど、なかなか犯人が出てこなくて時刻もかなり遅くなって。そんなときかず君はバイオリンの練習があるからって、帰ったんです。そもそも財布を持ってくることが校則違反だから時間がもったいないと、最後にそう言って帰ったんです。」
「言ってることはごもっともだし、一翔らしい意見だな。でも、責任感と人情に欠けるって?」
今の話を聞いて雄太が当時さやかが感じた気持ちを推測する。
「それで、みんなはかず君が内申書のために学級委員をやってると思ったみたい。それ以降、生徒の意向でクラス会が開かられることはなかった。」
「利己主義の学級委員長と思われちまったわけか。ま、今は違うからいいんじゃないか。」
雄太が一翔を擁護する。茜が続ける。
「ここ一年間くらいかな、変わったの。去年の林間学校行ってから少しずつ。」
茜は睦を見る。
「睦が強制的に全員参加にしたあの林間学校か。それでも来ないやつもいたけどね。」
雄太が真相を話す。
「茜ちゃん俺を見てるけど、参加したのは一翔の意思だよ。」
「でも、織田先輩がいなかったら一翔はきっと参加しませんでした。」
さやかが疑問を口にする。
「でも茜、あのころは睦先輩とかず君の関係って他人レベルじゃないの?」
うーん、目を細めながら雄太が思い出す。
「前部長が夏で引退したから、そこから睦が部長やることになって、いきなりあの企画だったな。確か。生徒会が主催で学校の所有してる山の中のログハウスでやったっけ。さやかもまだ、部員じゃなかったな。」
「はい。私はあの時はまだバレー部で。茜に誘われて行きました。」
ふと雄太があることに気付く。
「あれ?あの林間学校、今回の文化祭に協力してもらう部活はみんな参加してんなぁ。あのときから生徒会長も健悟だし。」
「睦。あれも何か企んでたのか。」
睦を指す。
「こらこら指すんじゃあない。企むって…特にないよ。」
「どうだか。睦が動くときは明確な動機があるからな。」
雄太が騙されないぞという顏をする。
「俺はいつだって本気100%だ。」
睦が拗ねる。
「去年の夏かぁ。八月上旬ですごく暑かったなぁ。」
笑みを浮かべる茜。
「茜はかずくんにおぶってもらって、更に熱(・)かったね。」
「さやか、見てたの?!」
茜の顔が赤くなる。
「そんなロマンスなことがあったのか!」
「はい、ハイキング班はそんな感じで。」
やられたという顔で雄太が
「俺が負ぶってあげたのになぁ!」
「そんなんじゃないんですよ。あれは仕方なく…」
言い訳を始める茜。
「確かにあの時からずいぶん変わったな一翔。」
睦は思い返している。
「茜ちゃんをおぶってからか。」
雄太がからかう。
「もう、そのネタ止めてくださいよ!というか、話が脱線してます。一翔と織田先輩の関係の話でしたよね!」
「そうそう、あの林間学校以降だな一翔が図書室に来るようになったの。」
茜をからかった罪滅ぼしのため、雄太が話を戻す。
 噎せ返るような暑い夏。そして森の匂い、川のせせらぎ、涼しい風が吹く夜。すべてが新鮮だった。去年の一翔はあの自然に触れ、生きてることの神秘に気付いていった。

―二人の出会い―

四月、公立で県内トップの鳩高校を主席で入学。
「本日は私たち新入生のためにこのような盛大な入学式を催して頂き、誠にありがとうございます。
 今日、ここへ向かう道は私たちを包む春の穏やかな光で輝いており、満開の桜を見つけるたび、まるで私たち新入生を祝福してくれているような気がいたしました――」
 入学式では思っていもいない言葉ばかりを並べ、新入生代表のあいさつを終わらせた。
母親は入学式に出席しなかった。僕を都内の私立高校を受験させたかった母。中学受験の時インフルエンザにかかり受験に失敗したこともあり、今度こそはとやっきになっていたが、僕が言うことを聞かなかった。そんな事情で郊外の公立高校に顔を出すのを渋った。
あの家を出られることに魅力はあったが、所詮親の引いたレールの上。大学卒業と同時に実家に戻ることになるだろうとふんだ僕は、実家から出られなくてもあえて親のレールから外れる方を選んだ。
親を恨んだり、憎んだりしたことはない。でも、家族といて幸せを感じたこともない。
せめて二つ歳の離れた妹は理不尽な目に合わせまいと努めていたが、気付けばその妹もしっかり中川家の色に染まっていた。
親、親族、近所の目をとにかく気にして生きてきた。正確に言うと気にしているフリをしてきた。
そんな生活がつまらなくて仕方ない。でも、代々警視庁に勤める家に生まれてきてしまったことを悔やんでもこれも仕方ない。
運命を受け入れ自分をも傍観して生きていく。これが僕の人生だ。
 入学してから、一週間。クラスに少しずつ馴染み始める時期。女子はすでにグループを作り始めている。
「ねぇねぇ、サッカー部の椎名先輩かっこいいよねー!」
「かっこいい!二年の坂本先輩もやばいよね!」
「あとさ―、
女子の声が小さくなる。
「中川君も影があっていいよね。主席だし。」
「わかるー!」
「え!全然わからない。ちっこいじゃん。」
小声でも聞こえてるんだよね。
小学生時代から一部の女子にうけがいいのは自覚している。だからといって噂されても何も思わない。それで、誰かが僕をここからつれだしてくれるわけでもないのだから。
でも...ちっこいは失礼だな。
いや、むきになることじゃない。どんな噂されようがどう思われようが僕の人生はもう決まっている。
帰りのホームルームのチャイムの音、担任が教室に入ってきた。
「明日から、部活見学が始まります。部活は学校の生活態度でも評価されるので、大学の推薦入試には大きく影響します。しっかり見学して、部活に所属しましょう。」
部活は入るつもりはなかったが確かにどこかに所属はしといた方がいいか。
部活動に参加しなくてもよさそうなとこにしようかな。
「ねぇ、一翔は部活どうするの?」
幼なじみの茜に下校時に質問される。
「まだ考えてないよ。」
駐輪場の僕の自転車の前で待っていた茜。
「茜、中学の時と違って自転車通学だから、もう合わせることないんじゃない?」
少し冷たく言う。
「そうだね。じゃあ、偶然ここで会ったときは一緒に帰ろうよ。」
茜にしては機転の利いた返しだな。僕と一緒に帰りたいときは偶然を装ってここで待ってればいい。
別にこばむ理由がないか。
「お好きにどうぞ。」
少し間を置いて答える。案の定、茜の表情は明るくなった。
「私、文芸部に入ろうと思うんだ。」
「そう。頑張ってね。」
ママチャリのスタンドを蹴り、気持ちゆっくりサドルに乗る。そして、バランスを気にしながらペダルを漕ぐ。運動神経が悪いと、乗るときと降りるときは人一倍気を張ってなくてはいけない。
そして、既に前方で茜が待機している。
自転車乗る練習でもしようかな。そんなことを思いながら待っている茜を無視して進んだ。
「あ、待ってたのに。」
後ろから茜が付いてくる。
 翌日、隣の席の杉本君と部活見学に行った。杉本君は知的で話も合う。
「俺、放送部に興味あるんだけど見学行かない?」
誘われ一緒に行った。
文系の部活だが毎日がっつり活動している。春、秋の大会は毎回県大会優勝は当たり前のようだ。
杉本君は興味津々に部紹介を聞いている。
「もう少し、ここで話を聞いていくよ。中川君どうする?」
部活にここまで力を入れるつもりはなかった。
「僕は他も見て帰るよ。」
「了解。じゃあまた明日な。」
「また。」
放送部を出て、下駄箱に向かう途中で図書室があった。
図書部ってあるのかなとふと思い、図書室を覗く。静かに読書をしている生徒。本棚の陰でひそひそ会話をしている生徒。勉強に夢中になっている生徒。
特に部活動をしている気配はない。部屋を見渡していると、部室という看板が目に入った。
あるんだ、図書部。
部室の看板がかかっている扉を開けた。そこには数人の生徒が読書をしている。
「あれ?もしかして部活見学?」
三年生らしき人が近寄ってきた。
「はい。」
「そっか。俺は部長の堀田。今日は特に活動してないんだ。」
「曜日で決まってるんですか?」
「そうなんだ、月・木だよ。まぁ、ほぼ読書で終わるんだけどね。」
ここで決まりだな。
「分かりました。また来ます。」
すると、部室にいた他の部員が僕に気付いたらしい。
「おい、睦。あれ一年の主席だ。」
声を潜めても、ここまで聞こえる。
「そうなんだ。」
相方はあまり興味がなさそうな返事をしてこちらを見ようともしない。大概の人は見せ物の様に見てくるのに。珍しい...が気にすることでもないか。
「失礼します。」
図書室を出た。
翌日図書部の入部届けを提出し、僕は図書部の幽霊部員となった。

―事件の始まり―

「外の風が気持ちいいよ。」
そう言って、西側の窓ガラスを開け網戸にする。
7月上旬、夕立が去った後の生温かな風がふわっと部屋に舞い込む。風は夕立で濡れた一翔の髪を通り抜け、ベッドで寝ている彼女の頬を撫でる。
「気分はどう?」
彼女からの返答はない。
ベッドの横の椅子に腰かけ、彼女に語りかける。
「さっき、やっと完成したんだ。」
瞬きをするだけで、表情に変化はない。
彼女の手を握る。
「次の夕立の日に試してみることにした。睦先輩の同意は得られないままだけど。」
窓から注がれる風で揺れる彼女の髪を人差し指でそっと梳く。
「茜、僕の声聞こえてるよね。」
茜が事件に巻き込まれてから、一二年以上経つ。その間、茜が声を発することはなかった。
植物状態の茜の部屋を訪れるのは、茜の両親と妹。友人達は自分の家庭を持ち始めると忙しい日々に追われまず来ることはない。
一翔が週に三回。そして睦が半年に一回程来ていた。
茜の顔をしばらく見つめる。
「道徳的に間違ったことをしてるのは承知だよ。でも僕にとってはこれが正しいことだ。」
また、風が舞い込んでくる。少し強い風に窓のレースが大きく揺れる。
「また、来るよ。」
一翔は部屋を出た。
 ―この研究に10年以上費やした。警察は諦め大学院も科学専門に切り替えた。
周りからはおかしくなったと思われている。でも、そんなことは今の僕にとっては何の意味も持たない。
ただ、睦先輩との関係の変化は正直悩みの一つだ。
研究に没頭する僕を唯一人として接してくれる先輩と意見がぶつかり合う日々はこの鋼のような心を持ってしてもつらい。
先輩だからこの研究をこの僕を理解してほしい。その想いが強く、でも届かないことに腹を立てて先輩を困らせている。
その睦先輩と昨日、完全に絶縁した。
そして、僕は実行する。―
 施設を出た後、まっすぐ研究室に向かう。最近の僕はこの繰り返しだ。今日も研究室の扉を開ける。
ーー?
研究室の様子が何かおかしい。出たときと様子が明らかに違う。
そして次の瞬間、自分の目を疑った。
「先輩!?!」
床に流血した睦が倒れていた。血だまりもできている。
「ど、どうしたんですか!救急車!」
睦の意識はほとんどない。頭を強打されたのか、後頭部から出血している。
とにかく手当てをしないと。電話を終えると、部屋に置いてあるバスタオルで患部を覆い睦の頭をゆっくりかかえ、心臓より上にした。
「いったい何が...」
睦先輩を失うかもしれないという恐怖で頭が真っ白になる。何も考えられない。
「救急車はまだ来ないのか。」
一分がとてつもなく長い。
こんなことになるなんてーーー!
何で絶縁なんかしたんだ。本当は分かりあいたかった。分かりあいたかったから僕も睦先輩とは正面から向き合っていた。
鋼の心が痛むのも当然だ。僕にとって睦先輩はもうなくてはならない存在なんだから。
もし睦先輩を失ったら僕はもう生きてはいけないだろう...
「現状は命に別状はない。」
医者のその発言をきくまでは記憶が飛んでしまった。きっと恐ろしくて何も考えられなかったからだ。
早期発見と応急処置が良かったと医師の診断。本人の意識が戻り次第、本格的な検査に入るようだ。
「どうして、先輩がこんなことに。」
警察も犯人を捜査している。第一発見者の一翔も疑われたが、犯行時刻の少し前に茜の施設で防犯カメラに写っていたことから、容疑者から外れた。
事情聴取も受けたが、一翔の方が一体何があったのか知りたいくらいだった。
 事件の次の日の午後、一翔は現場検証が終わった自分の研究室に戻った。
少し落ち着きを取り戻したので、ゆっくり考える。
睦は恨みを買う人間ではない。
睦が研究室に来た理由はおそらく実験のことだ。僕の帰りを待っていた睦は、僕に用があった人物に襲われたのだろ。
「僕を恨んでる奴?いないとは言いけれないな。」
いつもの客観視思考ができるようになってきた。
ゆっくり記憶を辿る...あの日、研究室に入った瞬間の違和感。
荒れた棚、引き出し、ファイル類...最初は犯人と先輩が争ったからと思ったが、荒れていた箇所がおかしい。
はっ。
こんなこと、いつもならすぐ気付くのに、あの時は睦の事で冷静に考えられなかった。とにかく研究室へ...
やられた...
研究ノートがない。研究作品も足りない。
僕の研究を狙った犯行だ。
でも一体誰が?
睦以外に研究内容を口外することはなかったが、周りはなんとなく気付いていた。
完成した抜群のタイミングに狙った犯人。
しかし、完成を知らせたのは睦だけ。
誰だ。分からない。
いや、ゆっくり落ち着いて考えるんだ。
すると、携帯電話が鳴る。
「睦が病院から消えた。」
睦の家族からの連絡はさらに事態を悪化させる内容だった。

言葉

言葉

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1.  ―図書室で―
  2. ―成功させなくていい―
  3.  ―赤ペン貸してください―
  4.  ―友人―
  5. ―鳩時計―
  6.  ―優等生―
  7. ―二人の出会い―
  8. ―事件の始まり―