妄想トラベラー
”次の方、中へお入りください”
アナウンスと共にトラベリングルームに入って来たのは冴えない三十代前半の男だった。アナウンスの音声は続いて、”何年後にトラベリングを御希望なさいますか?”と男に問いかける。
「一年…いや、三年後にトラベリングをお願いします」
”かしこまりました。では、目を閉じて下さい。フューチャートラベリングをスタンバイします”
スタッフ達は直ちにこの冴えない三十代前半の男のデータを機械にインプットし始める。この男の過去、現在、全てのデータは政府により管理されている。この男だけでは無く、現在では全ての人類のデータベースが政府の管轄下のコンピューターに管理されている。生い立ち、家族構成、趣味趣向、までに留まらず、最後に性交渉をしたのがいつか、昨夜の夕食のメニューまでもを政府は把握している。そうする事により犯罪を減少させ、人々に安全で幸せな暮らしを提供しているのだ。しかし管理される事に人々は辟易していた。自由が欲しい、誰にも管理されない未来が欲しいー
暴動が起きかねない現状を危惧した政府は、誰も知り得ない未来を旅する権利を人々に与えた。
フューチャートラベリング
ー貴方の未来は、貴方だけのものー
未来を旅する事が出来るシステムに人々は歓喜した。未来が分かる!今はパッとしない人生だけれど、未来はきっと幸せに満ち溢れているはず…実際、フューチャートラベリングを体感した人々は大いに満足していた。未来は自分が思い描く希望通りの未来だった。何故なら人々が体感する未来、それは本当の未来では無く、フューチャートラベリングを体感する人物が思い描く妄想の未来に過ぎないのだから…人々の妄想を映像化させて、それをただ”見せている”ーそれがフューチャートラベリングのカラクリだ。けれど人々はそれが自分自身の妄想の未来では無く、現実の未来だと信じて疑わなかった。未来は幸せに満ち溢れていなくてはいけないのだからー
トラベリングルームに三ヶ月待ちでやっと入る事が出来た三十代前半の冴えない男のデータベースを見て、フューチャートラベリングのスタッフは本当に冴えない人生だな…と同情した。両親は早くに他界、兄弟や親戚も無く、仕事はフリーランスのエンジニアとは名ばかりのフリーター。恋人などいる筈も無い。そんな男が妄想する未来は手に取る様に分かる。
”フューチャートラベリングを開始します”
「一年後だと変わり映えしないだろうから、一縷の希望を託して三年後をチョイスする辺りがいいよな。三年後だったらもしかしたら何かが変わってるかもしれない。今頃ナイスバディのお姉ちゃんでも抱いてる未来を妄想しているかな…」
フューチャートラベリングのスタッフの男がニヤニヤしていると、アシスタントスタッフが慌てて叫んだ。
「トラベリングルームに鹿が!鹿が紛れ込んでいます!」
トラベリングルームのスタッフの男がモニターをチェックすると、ピンク色の妄想未来にとろけそうな冴えない三十代前半の男の横に一匹の鹿が映り込んでいた。
「あれれ…どうやって紛れ込んだんだ?裏山の野生の鹿か。全く、人間は管理するくせに動物は野放しにしてるんだから、本当に政府の考えは分からんな」
「…どうしますか?」
「別に問題無いだろう。鹿だし…しかし、鹿も妄想とかするのかな?」
「する訳無いじゃないですか!」
「だよな…じゃあ今この鹿は何を見ているんだ?…本当の未来を見てたりしてな」
モニターに映り出された鹿は一点を見つめていた。その哀しげな瞳の先には何が見えているのか?誰もいない荒れ果てた大地だけが存在しているのかもしれないと考えると、トラベリングルームのスタッフの男はゾッとした。
”フューチャートラベリングを終了します”
希望通りの未来を旅する事が出来て、冴えない三十代前半の男は非常に満足していた。鹿が紛れ込んでいた事をトラベリングルームのスタッフの男は謝罪したが、冴えない三十代前半の男にとってそんな事はどうでも良い事だった。
「未来はいかがでしたか?」
「大満足です」
浮き足立って帰って行く三十代前半の男を眺めながら、トラベリングルームのスタッフの男は、未来が思い描く通りになる様に努力しろよ、と思う。そして紛れ込んだ鹿を裏山に放した。おまえの見た未来はどんな未来だった?明るい未来だと良いのだけれどー
妄想トラベラー