失われた夏 8 ダイキリの夜
花火大会が終わった後、
二人はリゾートホテルに帰ってきた。
受付のカウンターの前まで来た時、彼女は立ち止まった。
「ねえ、バーラウンジがあるわ。カクテルが飲みたいわ」
「いいね。僕も一杯飲みたかったところだ」
彼女の提案に、彼は賛成した。
二人は、そのまま受付カウンターを素通りしてエレベーターホールへ歩いた。
バーラウンジは、最上階にある。エレベーターに乗った二人は、黙ったまま硝子張りの外を見た。
海岸線の道路は、渋滞していた。赤いテールランプの長い列が続いている。
対向車線もヘッドライトの長い列が続く。
二人は、夜の闇に浮かぶ光を静かに眺めた。
「綺麗ね」
「そうだな」
「あの、光の中に色々なストーリーがあるのよ」
「色々なストーリーか」
「そうよ。例えば、出逢った二人が、花火大会をきっかけに恋愛のストーリーが始まるのよ」
「うん、悪くない」
「その逆も、あり得るのよ。花火大会をきっかけに、ストーリーをこれで終わりにしょうとしている二人」
「まあ、それもあるかもしれないね」
「いいえ、あるかもしれないじゃない。それは、実際にあるのよ」
彼女の何か意味深な言葉が、気にかかった。
「実際にあるとは、何……」
彼が質問しょうとしたところで、エレベーターは最上階に着いた。
「さあ、行きましょ」
彼女は、彼の質問を遮るようにエレベーターを出た。
二人は、そのままリゾートホテルのバーラウンジに入った。
照明を暗くおとしてある室内には、中央にバーカウンターがある。奥には、レザーソファーのボックス席が10席程のスペース。
各席のバーやテーブルの上にキャンドルライトが灯されている。落ち着いた大人の雰囲気だ。
二人は、バーカウンターに並んで座った。
「いらっしゃいませ。ご注文は」
「そうだな、ダイキリをください」
「じゃあ私も」
バーテンダーは、二人の前に冷えたカクテルグラスを置いた。
それから、シェイカーに氷を入れてラムとライムジュースを入れた。そして最後に砂糖を入れた。
バーテンダーは、シェイカーをシェイクした。
シェイクする心地よい音が響く。
シェイクが終わると、二人のカクテルグラスにダイキリを入れた。
二人は乾杯した。
「これを、フローズンにしても美味しい。文豪ヘミングウェイがこよなく愛した酒だよ」
「何かのフレーズみたいね。貴方は読書が好きだったのよね」
「ああ。それで、アメリカ行きの話を聞かせてくれ」
「さっき言ったとおりよ」
「何故、行くんだ」
「何故……」
「僕と君は、恋人同士なのに……」
「恋人同士だから、一緒じゃいけない決まりなんてないわ」
「何故、アメリカに行くんだ。理由がわからない」
「理由なんてないわ」
「じゃあ、何故なんだ」
彼女は、静かに無表情で前をみた。
「貴方は、私以外にも女性がいるでしょ」
彼女の言葉に、彼は少し焦った。それから、平静を装いながら言葉を返した。
「何を言ってるんだ。言っている意味がわからない」
「もう、決めたの。何を言っても気持ちは変わらないわ」
「アメリカで、もう一人の女性と住むのか?」
「ええ」
「誰」
「そのうちわかるわ」
彼は、彼女のはぐらかした態度に苛立ちを募らせた。
「アメリカの何処に住むんだ」
「ニューヨークよ」
「ニューヨークで、女性二人で住むんだ。で、いつ迄…」
「当分は帰らないわ。もしくは、一生帰らないかも」
彼は、彼女に問いただすように聞いた。
「僕は、どうすればいいんだい。時々、ニューヨークまで逢いに行くのか」
「その必要はないの」
「何故……」
「だって。私たちの関係は、今日で終わるから」
彼は、彼女の言っている意味がわからなかった。
「彩…急に何を言い出すんだ。僕達は、今日まで上手くやってこれたじゃないか」
「そうよ。けど、もう終わりなの」
「何故……」
その時、
二人の背後から誰かが声をかけた。
「今晩わ」
女性の声だ。何処かで聞き覚えのある声だった。
彼は、後ろを振り向いた。
「あっ」
「夏木くん。久しぶりね」
そこには、阿木貴子が微笑して立っていた。
彼は、かなり動揺した。
「何故、君が……。ここにいるんだ」
「ここに座っていいかしら」
「かまわないわ」
森下彩が言った。
彼は、驚きと焦りで狼狽している。
「どうなってるんだ」
「同じものをお願い」
彼女は、彼の右隣りに座るとバーテンダーにダイキリを注文した。
失われた夏 8 ダイキリの夜