れっちゃんに願掛け
序
『れっちゃんに願掛け』
序
私の街に骨董品を扱う薄暗い店があって、店内に埃とカビの匂いを何処からか吸い込んで渦巻いていた。私の日常生活と骨董品屋には何の接点もない。まさに「ねじれの位置」というものだ。強力な重力で空間を歪まさない限り、交わることは永遠になかった。しかしそれが起こったのである。この世界はあらゆる歪みで充ち満ちており、直線が純粋な直線として存在するケースは極めて希であると言わねばならない。私は物理学者ではないが、この場を借りて断固言わねばならない。「この世界は歪みきっている」
私はこの空間の歪みにより、骨董店に吸い寄せられるように入り、こともあろうか雄猫を購入したのだ。猫の置物でもなく、ブリキのおもちゃでもない。正真正銘の生きた猫である。骨董品屋が猫を売り物にしていいのか、法律の規制があるはずだ。私は法律家ではないのであまりはっきりしたところはわからないが、動物を売るには許可がいるはずである。この骨董品屋はその許可を得ているとは思えなかった。更に驚くべきはその値段であった。159800円である。これは通常血統書付きの子猫につく値段である。しかしその骨董品屋で購入した猫は年齢が十五歳、体重は十キロという、かなり高齢で太った猫である。
私にとって最も気になったのはこの猫の年齢である。猫で十五歳ということは、人間の年齢に換算すると、だいたい八十歳くらいではないだろうか。売りものの動物としてはいささか高齢過ぎるのだ。飼って三日目に死んだら私は大損だ。しかし、その売り猫は檻やケージに入れられることなく、六十前後の店主の横に侍って寝ている。どうも怪しい。そのような諸処の悪条件にもかかわらず、ペットショップの愛くるしい子猫と同じような値段が付いている。私は店主におかしいのではないか、と問い詰めた。すると小声でこの猫はただの猫ではないことを教えてくれた。
「れっちゃんは霊験あらたかな願掛け猫なのです・・・」
「れっちゃん」というのはこの雄猫の名前のようであった。売り猫にはじめから名前が付いているなんて聞いたことがない。しかも「この名前以外で絶対に呼ばないでください」と店主に釘を刺された。譲渡契約書を結び、代金を支払うと、店主は領収書を発行したが、その品目欄には「猫・れっちゃんの代金として」と書かれていた。また契約書の第二条にも「乙は当該猫に甲との間であらかじめ取り決めた名前、れっちゃんと名付けることとする」とある。そもそも、契約者のうち、客である私が甲ではなく乙となっている契約書も初めて見た。
譲渡が決まったのちに、私はれっちゃんの「願掛け機能」(店主はそう呼んでいた)の説明を受けることになった。マニュアルらしきものは一切なかった。
『れっちゃんの願掛け規則』
1.かけられる願いは八つ
2.願掛けはひと月に一度を限度とする
3.同じ願いを二度かけてはならない
4.人を殺傷する等、法に違反する願いや公序良俗に違反する願いはかけられない
5.れっちゃん自身に関する願いはかけられない
6.無効な願いも数えられるので注意
これが願掛けの「ルール」である。この六項目が、大して重要ではない電話メモ程度の乱雑な字で、小さな手書き用紙に書いてあった。
また、れっちゃんの「願掛け機能の使い方」について、店主から説明があった。
『れっちゃんの願掛け機能の使用法』
1. れっちゃんには人間の言葉で願いをかけることができる。願い事を猫に言うだけでよい。れっちゃんはきちんとそれを理解する。別に短冊や絵馬に書かなくてもよい。
2. れっちゃんが起きていればいつでも願いをかけることは可能である。
3. かけた願いは当たればすぐに効果が出る。
4. 願いは必ず当たるとは限らない。当たる確率は常に「二分の一」である。
5. お願いの難易度は当たる確率には何ら影響しない。
願いは「八回」までで当たる確率は常に「二分の一」だ。どんなに大それたお願い事でも二分の一の確率で当ててくれるのである。つまり「総理大臣になりたい」という願いをかけても、「お母さんから褒められたい」でも常に確率は二分の一なのである。日本の国家予算並みの個人資産を持ちたいと願っても、ジャンボ宝くじの一等が当たるようお願いしてもやはり確率は同じだ。
私はこれはいい買い物だと思った。今の古いワンルームマンションから抜け出す絶好の機会である。願掛けは八回までと決められているが、まさか八回すべてハズレはしまい。私は電卓で二を八回かけて、二百五十六という数値を得た。八つの願がすべてハズレる可能性は二百五十六分の一である。私は数学者ではないので、あまりはっきりとは言えないが、これはかなり低い確率だ。百分率で表すと0.4%程度だ。しかし、必ず起こらないとも言い切れない微妙な確率であるようにも思える。いや、ここはポジティブに考えよう。最低どれか一つの願掛けが成功する確率は99.6%なのだ。そう考えるとほとんどの貯蓄を使い切ったこの出費は決して無駄ではなかったのだと確信する。私はにわかにほくそ笑んだ。
こう書くとめざとい読者は八回ともはずれるに違いないと思うかも知れない。残念ながらほとんどその通りなのである。だが、ここでこの本をパタリと閉じたり、そこいらに放り投げてしまわないで欲しいのである。多少飛躍するが、人生とは、宝くじが絶えずハズレていくようなものではないか。淡い期待が膨らんでは泡と消える。その連続ではないのか。少しでも著者の意見にご賛同いただけたのなら、少なくともこの物語は期待を裏切らないであろう。たぶん。おそらくは。
私とれっちゃんの生活が始まった。おんぼろワンルームマンションはペットを飼うことを禁じているので、私は、れっちゃんが「みゃあみゃあ」と大声で鳴かないか心配したが、それは取り越し苦労だった。れっちゃんはほとんど鳴かないのである。気がつくとれっちゃんは買ってきた猫用ベッドで寝ていた。おしっこも専用トイレでしていた。しつけのよい猫ではあったが、猫用ベッド、爪研ぎ、トイレ、トイレ用の砂、れっちゃんお気に入りの舶来メーカーのキャットフード大袋ひとつ、これだけで一万円はかかった。
れっちゃんはたいていは寝ている。起きているときは決まって食べている。キャットフードの大袋も二週間でなくなってしまう。食費はかなりのコストとしてみなければいけない。であれば、最初の願掛けは自ずと決まってくる。
私は気持ちばかり逸るので、少し慎重に考えてみようと思った。願掛け機能の説明書きにあったように同じ願いはかけられないし、無効であっても一回とカウントされてしまうので、慎重に何をお願いするのか決めておく必要がある。私は長い「お願いリスト」を作っておいて、不要だと思われるものを消していく消去法を採用することにした。はじめはやたらと書き込んだため非常に長いリストになってしまった。私はこのリストを半日ほど放置して、一度クールダウンさせた。夜になり、お風呂に入って出てきたあと、リストを再度見直した。すると時間の経過によって明らかに不要と思われるものが多数混じっていたのが目についた。その時は必要だと思われたものが、一時期の感情任せのもので、急に色あせて見えるようになるのである。私はそれを躊躇なく消していった。
さらに同じような傾向の願いをグループに分けていく作業を行った。お金に関する願い、社会的地位に関する願い、恋愛をナニする願い、個人的趣味に関する願い、等々。このようにグループに分けてしまうと。これらがほとんど、どこかしら重複した内容の願いになっていることに気がつく。私はこのようなものを整理し、一番十分条件を満たしている願望のみを残して、どんどん消した。たとえば「とびきり美人の奥さんが欲しい」と「いつまでもかわいらしい嫁さんが欲しい」は明らかな重複である。さらに、最初の願掛けが成功したらお金持ち、しかも半端ないお金持ちになるので、この種の願いをかけなくても奥さん選びに不自由はしないだろうという理由で、結局両方消した。
リストを十程度に絞るとそこからさらに絞り込んでいく作業は困難を極めた。どれもが外せない内容になってくる。この八つという制限は実に人間の心理をよく考察して作られている。このような設定はれっちゃん自身が行っているのだろうか。私にはよくわからないが、小憎らしいほど巧妙だ。
候補の中で「永遠の友を得る」という願いについては、採否にかなり迷った。これは不要のものとは思えなかったからである。たとえばものすごいお金持ちになれたとする。しかしそうなると、他人はすべて信用できなくなるのではないか。心許せる友はいなくなってしまうのではないか。やはりこのような願いを残しておくべきだと思うのである。私は、お金持ちになったことがなかったから、人間関係がどうなるのか想像力も働かなかった。
れっちゃんに願掛け