「森川さん、こーんにーちわーっ!」
 爽やかな、水着少女の声である。
 かなりの美乳といっていいだろう。そこは、奇抜な内装の空間だった。
 銃、果物、そして動物がいたるところに描かれている。
「頭が痛い…」 
 これがぼんやり感じた、僕の最初の言葉だった。直前までの記憶はなぜか欠落していた。
「“ステキな未来を夢でサポート”、先端脳科学寝具・ユメウォッチの提供でお送りいたします」
 僕を無視する感じで、少女はいった。非現実的である。ちなみに初対面だ。
「夢なのか…」
「はい、イエスです」
 水着女の(おそらく決まり)文句を、僕は黙って聞いていた。
 この世界の状況把握が、まだ出来ていなかった。少女はかまわずセミロングの髪をなびかせて、
「お相手は私、夢海マリ。人体に害のない一定の脳波長を維持するため、男性用ナビゲーターはこのように水着で担当させてもらってます。海外のお色気天気予報からの着想だそうです」
 脳波?胡散臭い話だ。
「女性用ではどうなるんだ?」
 すると、少女は両腕で大きな「×」を作り、
「ダメです!女のソレを、男子は決して覗いてはいけません!フロイトの野郎も、今に生きてたらそう言うはずです!」
「そうか…」
 釘を差された。
「じゃあ、何をするんだ、これから。トータルリコールは何度も見たぞ。でもあんなのは、今はお望みじゃない。それに、なんか気分悪いし」
「おお、あの映画をご存知なら話は早いです」
 マリと名乗った少女は、どこからと無く湧きでたソファに扇情的な仕草で寝そべっている。
「これは、なんか、エロい夢なのか?淫夢とかいう・・・」
 僕の問いかけに、
「いえー、まあ、それは、いろいろ問題がありまして…。少しでも、リラックスというか、愉しんで欲しいのはあるんですが…」
 と少女は苦笑いで濁す。
 別段、何が起きるというわけではないようだ。
「場所を変えてくれ。なんかこの空間は落ち着かない」
 と言うと、
「あ、了解です」
 と少女は言った。

*    *

「HRをはじめるわよっ。マリ先生のちょっぴりイイ話コーナーっ」
 見覚えのある場所だった。
 なつかしい、中学の教室だ。生徒はいない。
 僕は最前列の席に座り、妙なフェロモンを醸す女教師に扮したさっきの少女が教壇に立っている。
 黒板には大きく「自己犠牲」と書かれていた。
 頭痛のほうは相変わらずだった。心なしか、視界(映る背景)も不安定だ。
「温水洗浄便座を最初に開発したのは、実はアメリカです」
「え?」
「当時、痔の治療のために造られた機具を、日本が家庭用に開発し、今日の普及があるわけです」
「はあ…」
「万人の生活に役立つのは、科学にとって最善ですね。ハイ終了―っ」
「……」
 何だかよくわからない。一体、なんの説教なのだろう。
「先生」
 僕はノリに合わせて手をあげる。
「はい、森川くん」
 マリは女教師になりきって僕を指す。
「この夢、なんか面白くない。あと、やっぱり、なんかグラグラして、気分がわるいんだ」
「…………」
 少女は少しうつむいたあとで、教卓から、クイズ番組に出てくるような2つのボタンを僕の前に差し出した。
「やっぱり、あまり時間がないようですね。・・・前置きは省きましょう」
 と少女はいう。
「何のことだ?」
 急に、少女のトーンが下がる。軽妙な口調もなくなって、事務的になった。
「森川さん、あなたは先日、大きな事故に遭われたのです。現在も重篤です。高位脊椎離断に加えて、ちょっと複雑な」
「……」
「脳死まで、あまり時間がありません。あなたはドナーカードも持っていませんので、最新の医療技術で、ご両親の同意のもと、このような本人の意思確認を行なっています」
 現実の記憶はない。
 夢だからかもしれないが。
「…助からないのか」
「残念ですが」
「臓器ならびに利用可能な組織提供の、確認をさせてください。一部、宇宙医療開発にも。このお手元のボタンは脳波で識別されます。今の科学では、まだ「YES」「NO」の判断までしか確認できません。YESでしたら赤い方を、このハンマーで、思いっきり。できるだけ強く」
 いつの間にか手渡されたハンマー。
 黒板の自己犠牲や複雑な内装も、そういう暗示の意味があったのかもしれない。
 重さは感じない。
 頭痛はひどくなるばかりで、教室はゆっくりと歪み始める。
 自分で選択する。
 スイッチを思い切り叩くが、音はしなかった。
「ありがとうございました」と少女。
 自分の手足が、徐々に薄くなっていく。
 夢の外で、僕の意思を確認できたかは、こちらからは解らない。
「これでお別れです。短い間でしたが、どうも」
 と、少女は少し切なそうに笑う。僕は、もはやどうでもいいことなのだが、
「最期に1つ教えてくれ。夢を見させる寝具というのは?あんな会社、存在しないんだろ」
 トータルリコールは、好きな映画の一つだった。
 もう観れないのが残念だ。
 少女は、顔をあげて、
「あれは、私の夢です。はやくウォシュレット先輩みたくなりたいんで」
 と、胸を張っていった。
「それはいいな」
 少女は、最後にようやく僕を笑わせて、意識の奥へ消えていった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-02

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