ローズマリーの咲く庭で

花言葉シリーズ第一弾

レリアには、幼いころの記憶がありません。正確には、10歳より前の。不自由はしていないでしょう。綺麗で大きい家、庭。そして優しい両親。欲しいものはなんだって買ってもらえるし、自分のやりたいことにはなんでも挑戦させてくれます。そんな環境の中で、レリアは美しく気高く、そしてとても素直な子へと成長しました。しかし、レリアは、16歳になった今も、なんだか何かが足りないような、大切なものをどこかにおいてきてしまっているような、そんな気がしているのです。この数日間というもの、レリアの心は嵐の前の海のように、不透明なままでした。
 ある日、レリアは街に買い物に行きました。いつもなら必要なものはお付きの人が買ってきてくれるのですが、大好きな本だけは自分で買いに行くことにしているのです。目当ての本を一冊買って、帰り道。なんだか違和感がするのです。来る時と同じ道のように見えるのに、全く違う道を歩いているような。曲がり角を曲がれば、お屋敷が見えるはずでした。ところが、レリアの蒼い瞳に移りこんだものは一面のローズマリーの花畑でした。「わたし、道を間違えたかしら。」そう、つぶやいてきた道を引き返そうとしました。「え…?」レリアが驚くのも無理はありません。今通ってきたばかりの道がきれいさっぱりなくなってしまっているのですから。混乱する頭と裏腹に、体はしっかりと歩き出していました。ローズマリーの花畑を、ゆっくりと。どこを見渡しても、建物や人は一切見当たりませんでした。10分ほど歩いたでしょうか。レリアは突然激しい頭痛に襲われました。痛みに耐えきれずにローズマリーの上に倒れこみました。鼻に、ローズマリーの香りがいっぱいに通っていきました。その香りをかいでいると、不思議と頭痛は収まってきたようでした。
『あら、やっと来たのね、待ちくたびれたわ。』すぐそばから、声がしました。レリアは声を出していないのです。
「だれか近くにいるの?」レリアの中に、恐怖感はもちろんありましたが、それよりも好奇心が勝っていました。
『私よ。私。』レリアは、気が付きました。ローズマリーがしゃべっているのです。
「あなたって、お話しできたの?私、全然知らなかったわ。」その言葉に、ローズマリーは少し悲しそうに言いました。
『そうね、あなた、全部忘れてしまっているのだったわね。』レリアは、その言葉に反応せずにはいられませんでした。
「ローズマリーさん。あなた、私が記憶をなくしたことを知っているの?」
ローズマリーは少し黙ったのち、こう言いました。
『私はあなたの思い出を預かっているのよ。あなたが10歳になる前までの思い出を。16歳になったら、返す約束で。』ローズマリーは、少しずつ語りだしました。レリアの『思い出』を。
 レリアには、仲良しの幼馴染がいました。名前はミイサ。レリアより2歳お姉さんでした。レリアが3歳のころから、レリアとミイサはまるで姉妹のように育ちました。ミイサの家の庭にはたくさんのローズマリーが咲いていました。レリアとミイサはその庭でお昼寝をするのが好きでした。その日ミイサは、レリアに絵本を読み聞かせてくれました。レリアはミイサの優しい声に包まれながら香るローズマリーの中で幸せな時間を過ごしていました。午後三時。暖かい太陽の下で、レリアはすやすやと眠っていました。夢の中で、ミイサが、「ごめんね。」という声が聞こえました。太陽が沈んで、お月さまが少し顔を見せたころ、レリアは一人で目覚めました。隣にミイサはいませんでした。今までに、ミイサがレリアを一人残してどこかに行ってしまうことなどありませんでした。その頃レリアはまだ5歳になったばかりでした。「何か理由があったのだ」と考えるには、まだあまりに幼かったのです。次の日になっても、その次の日になっても、ミイサがレリアの前に現れることはありませんでした。「きっとすぐに戻ってきてくれる」という希望は、春の終わりとともに消え去ってしまいました。「ミイサに捨てられた」そんな感情ばかりが、彼女の心を支配しました。日に日にレリアは笑わなくなり、大好きな絵本に、目もむけなくなりました。ただただ、窓の外をぼーっと眺めるだけの日々でした。ある日、ミイサがよく読んでくれた絵本に手紙が挟まっていることに気が付きました。ミイサがいなくなって5度めの春を迎えたときでした。その手紙には、「16歳になったら、会いに行くわ。それまで、あなたが笑顔でいられますように。」とだけ書かれていました。手紙には、一房のローズマリーが同封されていました。漂う香りに、なんだか眠気が襲ってきました。次に目が覚めたときには、レリアはミイサとの思い出の一切をなくしていました。ミイサにとって、それが、突然姿を消したことに対する罪滅ぼしの魔法でした。
 「ミイサは…自分勝手だわ。」レリアは、思い出を返し終わったローズマリーの花の前でぽろぽろと涙を流していました。
『あの時は、そうするのが一番だと思ったのよ。あの子もまた、幼かったから。』レリアの涙が、ローズマリーにかかり、きらきらと輝いていた。遠くに太陽が沈んでいくのが見えました。
「まだ、聞きたいことが、たくさんあるわ。」レリアは涙を流しながら言う。
『それなら、直接本人に聞きなさい。それと、恨み言もたっぷりと。』遠くで足音が聞こえる。レリアが振り返る。遠くに見えたのは、思い出の中よりもっともっと美しく可憐な少女。レリアは、全速力で駆け出した。

ローズマリーの咲く庭で

ローズマリーの花言葉は「思い出」です

ローズマリーの咲く庭で

花言葉シリーズ第一弾

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-01

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