心象スケッチ : 屋上からの落下

心象スケッチ : 屋上からの落下

とあるビルの屋上で、一人の人間が柵の外に立っていた。眼下に広がる夜景をぼんやりと眺めているが、その体は震えていて柵を握る手は固い。ため息一つ夜空を見上げるも、絶望に沈んだ目に映る星もない。歯を食いしばり、目を閉じる。そして、柵を掴んでいた手を離した。

体がゆっくりと前に倒れていくのを感じる。不快な浮遊感が全身を包み、そうして落ちていく。風を切る音がやけに遠くで聞こえた。上から見たときは地面まで一瞬に思えたのに、その瞬間はなかなかやってこない。自分だけが周囲の空間と切り離されているような、恐ろしく鈍重に感じられる時間の中で、今までのあらゆる思い出が脳裏をよぎっていく。子供の時の他愛のないこと、学生の時の苦々しい記憶が、思い出されては消えていく。そして最後に思い出されたのは、ずっと信じていた人の顔。
不意に、恐れが体を貫いた。死ぬことへの恐怖が、突然心を支配した。覚悟を決めたはずなのに恐ろしくて仕方なかった。なぜ自分が死ななければならないのか、こんな恐ろしい思いをしなければならないのか、攻め寄る恐怖に涙が溢れて空中に散っていく。自分に死を選ばせた人間を呪いながら、もうどうにもならない状態で、恐怖に意識を押しつぶされた瞬間。

目が見開かれた。体勢を立て直すべく、空中で前に回転する。そして高所から落ちてきたとは思えないほど、不自然に静かに着地した。砂埃が舞う中、ゆっくりと立ち上がったそれは、おもむろに口に手を入れた。喉奥から引きずり出すように取り出したのは、半透明で球状の何か。無造作に空中に放り投げると、それは空気に溶けるように霧散した。開かれた目は先ほどと打って変わって、強い力に満ちていた。
そうして何者かは、静かに雑踏に消えていく。

心象スケッチ : 屋上からの落下

何も続きません

心象スケッチ : 屋上からの落下

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted