夏風ノイズ

夏風ノイズ

閲覧ありがとうございます。突然ですがこの作品も最終章に突入致しました。書き続けていてよかったと、改めて思っております。今後の展開、どうか楽しんで頂けると嬉しいです!

夏の喧騒、三分前に

 何年前のことだったか・・・
 ふとしたときに思い出すそれは、希に小さな雫となり、瞼の下へと溢れ落ちる。
「私は、バケモノなんだよ」
 妹のひなは、特別な能力を持っていた。
 自分自身に怯える彼女に、俺は否定と慰めの意を込めて語りかける。
「大丈夫!怖くない、俺がいるから」
 ひなは赤い目を擦り、涙を拭った。
 俺はその後も、あれやこれやと慰めの言葉をかけ続けたが、自分でもおかしくなるほど口下手で、途中からさっぱり訳のわからないことばかり話していた。
 そんな俺を見て、ひなは自然と笑顔になった。
 いつも、そうだった。
 そして、その楽しい日々が、いつまでも続いてほしい。そう願っていた。それが、当たり前だと思っていた。
 不意に、騒々しさが耳に戻る。
 また、三年前に亡くした妹のことを考えていた。なぜ、またこの記憶が蘇ってしまったのだろう。
 夏の喧騒から、三分前を思い出してみようとした。
 結果、何も思い出せなかった。いつもそんな調子だ。寧ろ、その方が楽かもしれない。
 七月下旬、高校二年の夏休み、街の中を行き交う人々の雑踏に交じり、バスターミナルを目指す。青く澄んだ空、日照りの中、コンクリートが揺らぐ道の向こう側を見ると、何処か、別の世界に繋がっているような錯覚を覚える。
 バスターミナルに着くと、バスは既に停留していた。俺はそれに乗り込み、整理券を取って一人分の席に座った。
 バスは直ぐにエンジンをかけ、駅を後にした。
 乗客は、少なかった。
 俺のほかに、買い物帰りの女子が二人と、おばあさんが一人だけだった。
 バスは、走り続けた。
 途中のバス停で乗る人も居らず、軈て、二人の女子は降車し、乗客は俺も含めて二人だけになった。
 段々と、俺の降りるバス停が近付いてくる。
 俺は降車ボタンを押し、バスが停まると同時に立ち上がった。
 料金と整理券を料金箱に入れながら、まだバスに残っているおばあさんは何処へ行くのだろうと、余計なことを考えてみる。
 バスを降りると、街中とはまた違う騒々しさが耳に入ってくる。
 蝉時雨。
 俺の名前、雨宮しぐるの“しぐる”は、冬に降る雨から取ったのではなく、真夏の蝉時雨から取ったらしい。どうでもいい話だ。
 そんな、真夏の喧騒が降り注ぐ炎天直下の道を歩き、家を目指す。
「ただいま」
 玄関の戸を開き、口からは、自然と一言のあいさつがこぼれた。
「おかえりなさ~い。わぁ、汗びっしょり!た、体調とか大丈夫ですか?あっ、タオルタオル・・・」
 汗だくで帰宅した俺を出迎え、突然慌てだした、水色の長髪が特徴的な少女。彼女の名は露(つゆ)、二年前に、俺の親父がうちに養女として引き取った。つまり、俺の義妹というわけだ。
 今は十三歳で、市内の中学校に通っている。ひなが生きていれば、同じ歳だった。
「大丈夫だよ、外が暑すぎただけ」
「そうでしたか、お疲れ様でした!あ、これどうぞ」
 露はそう言って、汗拭きタオルを差し出した。
「ああ、ありがとう」
 俺はそれを受け取り、顔と首を拭いた。
「あ、そうだ。旦那様、先ほど長坂さんからお電話がありましたよ。あとで、折り返しの電話が欲しいそうです」
「そうか、わかった。ありがとう」
 長坂さんは、うちとは祖父の代からの知り合いで、神主をしている人だ。
 俺も、幼い頃からお世話になっており、親しい人物ではあるが、まだ謎なところも多く、良い噂も、悪い噂もある人だ。無論、俺は長坂さんを信用しているのだが。
 彼は、よく俺に仕事の手伝いをさせる。かつて、その業界では名が知れ渡っていた祓い屋の男、その孫であり、わずかながら霊能力のようなものを持っている俺に、神職やお祓いをやらせたいのだろうか。
 おそらく、今回も仕事の手伝いか何かだろう。
 ちなみに、露が俺のことを旦那様と呼ぶのは、初めて出会った時に俺がちょっとやらかしたのだが、その話はまた今度にしよう。
 俺は台所へ行き、水分補給をすると、受話器を取り、長坂さんがいるであろう社務所の電話番号を入力し始めた。
 あの人はケータイを持っていないので、現代社会においては連絡が面倒だ。
ツーコールで、長坂さんは電話に出た。
「もしもし」
「あー、もしもし。しぐるです。さっきの件で」
「おお、そうそう、いやーちょっとお前にバイトを頼もうと思ったんだがな。やっぱり、無かったことにしてくれんか?」
 案の定、用件はお祓いのバイトについてだったが、どうやら関わらなくてもいいらしい。
「そうですか、構いませんよ」
「すまんなぁ、また何かあったら頼む」
「いえ、ではまた」
そういって、俺は受話器を置いた。
 正直、休みたかったので、丁度よかった。
「何でしたか?」
 露が、訊きながら近づいてきた。
「お祓いのバイトのことだったけど、無しになった。ダルいから丁度よかったよ」
「ですね、ゆっくり休んでくださいね」
「ああ、ありがとう」
 俺は自室へ行き、ベッドに入った。疲れたので、少し休みたい。
 夏休みだというのに、ここのところ忙しい。それは、現実的なことも、現実とは、少し離れた怪異的なこともだ。さっきも、用事があって駅の方まで出掛けていたのだが、暑すぎてかなり体力を奪われた。
 イヤホンを耳に当て、好きなアーティストの曲を詰め込んだ再生リストを再生する。
 ・・・
 変な夢を見た。
 早朝、無人駅のホームに俺一人。暫く突っ立っていると、始発の電車が近づいてきた。
 俺がそれに乗り込むと、電車は出発した。その電車は、途中で止まることはなく、気付けば終点の駅が近づいていた。
 俺はその駅で降りると、何となく歩き始めた。
 海辺の街だった。そこは知らない場所だったが、何故だか見覚えがあるような気がした。
 見ると、砂浜には一人の少女が立っていた。知っている。俺はその少女を知っていた。だが、思い出せないのだ。知っているはずなのに、俺の、身近な人間のはずなのに・・・。
 そこで目が覚めた。
 いや、正確には起こされた。
「旦那様、晩御飯ですよ~」
 露だった。どうやら、夕飯の時間まで寝てしまっていたらしい。
 直ぐには起こせない身体が、言うことをきくまでベッドで待機する。やっと起こせた身体で、いい匂いのする居間へ向かった。
 居間に入ると、露が笑顔で「どうぞ」と言った。
「悪い、ちょっと遅くなっちゃったな」
「いえいえ、さぁ、食べましょう」
 食卓には、露の作った和食が並べられている。美味しそうだ。
「いただきます」
 そう言うと、俺たちはそれらを箸でつかみ、口に入れ、咀嚼して飲み込んだ。
「お味はいかがですか?」
 露が俺に訊ねた。
「美味しいよ、すごく」
 俺の言葉に、露は満足げな表情を浮かべた。
 実に、ごくありふれた食卓の風景が広がっていた。
 やがて食べ終え、「ごちそうさまでした」と言い、俺は自室に戻った。
 静かな夜だった。
 入浴まで済ませた俺と露は、縁側に座り、星空を眺めていた。蚊取線香の香りが、良い感じに分散されて心地よい。
「月が、きれいですね」
「うん。」
 月は満月では無かったが、とても美しく、夜空に浮かんでいた。
「あのお星さま、何だか可愛いです」
 露がそう呟き、一等星を指さした。何座だか、わからない。
「そうか?」
「はい。なんか、かわいいです」
 かわいいかどうか、よくわからないが、綺麗だ。
 本当に、静かな夜だ。
 虫の声が響く。心が癒される。何だか、ウトウトしてきた。
「俺、寝るよ」
 そう言って、俺は立ち上がった。
「おやすみなさい、旦那様」
「うん、おやすみ。」
 一日が、終わろうとしていた。何でもない、平凡な一日が。そう、俺たちにとってごく当たり前の日常は、今日で終わろうとしていたのだった。
 
 ○

 朝日、なのだろうか。眩しくて目を覚ました。
 時計を見る。
「十時半・・・」
 時刻を口に出してみる。
 どうやら、寝すぎてしまったようだ。疲れていたので仕方ないのかもしれない。
 暫くベッドでぼんやりしていると、起きれそうな気がしてきたので、ゆっくりと身体を起き上がらせた。
 居間へ行くと、露が漫画を読んでいた。少女漫画好きの露は、空き時間はだいたい漫画を読んでいる。毎日家事ばかりさせてしまっているが、女の子らしい趣味を持ってくれて、なんだか嬉しい。
「あ、旦那様。ごはん食べますか?」
「うん、もうちょっとしたらな。朝食と昼食は一緒でいいよ。午後からちょっと出掛けるからさ」
「わかりました~。それでは、食べるとき言ってくださいね。すぐに準備するので!」
 露はそう言って、また漫画を読み始めた。
 いつもありがとう・・・そう言いたいけれど、なんだか照れくさい。素直に気持ちを伝えることは、実に難しい。
 俺は自室に戻り、本棚から一冊の本を手に取ると、カウチに腰かけて、そのしおりが挟まれているページを開いた。最近はまっているホラー小説だ。
 我ながら自分はおかしい人間だと思う。霊感が強いせいで、今まで散々な目に会ってきたくせに、オカルトの類が好きなのだ。勿論、怖いものは怖いし、嫌いなものは嫌いだ。だが、その恐怖や嫌悪などという心理的感覚が働く度、得体の知れない気持ち悪さと共に、それとはまた別の感情が沸いてくるのだ。俺の異常性癖ともいえるそれは、抑えようのない好奇心から生まれてくるものなのだろうか。
 時間が過ぎた。
 かなり読み進めてしまった。時計を見ると、昼の十二時半を回っていた。本を閉じ、居間へ向かう。
「露、メシの用意してもらって良いか?」
 そう言いながら居間に入ると、露がすでに昼食の準備をしていた。
「あ、もうすぐ出来ますよ」
 露はそう言いながら、パスタの盛られた皿をテーブルに置いた。よくわかったものだ。
「流石だな」
 素直にそう思った。
「旦那様のお食事の時間なんてだいたいわかりますよ」
 露はにっこりと笑い、そう言った。
 テーブルに並べられた昼食を食べ終えると、自室へ戻り、外出の準備をした。喫茶店へ行くのだ。最近いろいろあって疲れているので、少しのんびりとしたい。もちろん、家でも休めるのだが、たまには喫茶店のまったりとした雰囲気もいいだろう。
「いってきます」
「いってらっしゃいませ」
 家を出ると、イヤホンで音楽を聴きながら、晴天の下を歩き始める。今日も暑い。干からびてしまいそうだ。
 そんなことを考えていると、不意に、何かの視線を感じた。
 ゾクリ・・・
 イヤホンを外し、後ろを見たが、誰の姿も無い。またなのか・・・最近疲れていると言ったが、その半分くらいの理由がこれなのだ。「怪異」霊感が強いせいでいろいろな目にあっているが、ここ二週間で二日に一回は怪異に遭遇している。異常なのだ。いくらなんでも多すぎて、流石に病みそうだ。もういい気にしない。俺は喫茶店に行くんだ。何がなんでも!
 ・・・気付けば、喫茶店の前に立っていた。無事にたどり着けたみたいだ。入口のドアを開け、顔馴染みのマスターとあいさつを交わす。
「お、いらっしゃい」
「どうも」
 いつもの席が空いていたので、そこに着いた。アイスコーヒーを注文し、先に出されたお冷を飲んだ。アイスコーヒーが来たので、カップに口を付ける。冷たくて美味しい。至福のひと時だ。
 ガラン・・・
「いらっしゃいませ」
 ドアが開き、マスターの声が聞こえた。誰かお客さんが来たのだろう。後ろを向いて座っている俺には見えない。
 足音は俺に近付いてくる。なんだ?
「あの~」
 声を掛けられた。女子の声だ。
「はい?」
 疑問形で返事をする。見ると、俺と同じ歳くらいの少女が立っていた。
「あなた、雨宮しぐる?」
 全くその通りだが、なぜ俺を知っているのか。
「そ、そうだけど」
「やっぱり!あたし、城崎鈴那ってゆーの。よろしくね!」
 何の前触れもなく、声を掛けてきた鈴那という少女。右目が長い髪で隠れており、一見は暗い印象だが、口調は明るい。どこかで会ったことあるような気もするが、他人の空似か、或いは勘違いだろう。
 午後の優雅な一人の時間を邪魔されて不機嫌になった俺は、少々不愛想な態度を取ってしまった。
「それで、俺に何の用だよ」
「あなたのね、その、超が付くほど中途半端な霊力のこと、ずっと前から気になっていたのよ」
 出会って早々、なんだこいつはと思った。確かに、俺には祓い屋だった祖父譲りの霊力がある。あるのだが・・・
「超が付くほど中途半端ってところ要らないだろ。事実だけどさ・・・」
 そう、力が弱いのだ。しかし、なぜそんな俺に目を付けていたのだろうか。まさか・・・
「あたしはね、あなたのこと、何でも知ってるのよ。好物は揚げ出し豆腐、あなたがロリコンだってことも知ってる」
「ちょっと待て、俺はロリコンじゃない。それに何でも知ってるってなんだよ。ストーカーか」
 変な誤解を招くかもわからないので、一応否定しておく。
「そ、そうよ~!あなたのストーカー!」
「開き直った・・・」
 思わず声に出してしまった。ちなみに、この城崎鈴那という少女だが、俺と同級生で、しかも隣のクラスの生徒らしい。たしかに、それなら見覚えがあってもおかしくない。
 そんなやり取りをした後、漸く本題へと移るらしく、向かいの席に腰かけた城崎は、真面目な表情になった。
「さて、もう察してるかもだけど、あたしはお祓いとかする人なのよ。それでね、あなたにお祓いを手伝ってほしいんだけど・・・いいかな?」
 と、小声で話す城崎。やはり、こういう話は周りに聞かれてはまずいのだろうか。
「お祓いを手伝ってほしいって、なんで俺なんかに?」
 お祓いの手伝いや、お祓い紛いのことはしたことがある。だが、霊能力があるかというと曖昧で、そもそもこの世界で「幽霊」というものの位置づけは極めて低く、その存在すら、あるかないかで、心霊研究家や学者たちの間で賛否両論が繰り広げられている。そんなものを退治するなんて、突飛な話だ。
「兎に角ね、あなたに手伝ってほしいのよ!お願い!」
 両手を合わせ、上目遣いで懇願する城崎の姿に、少しドキリとする。変わり者だが、容姿は普通にかわいい。
「わ、わかった。別にいいけど、お祓いなんて出来るかどうかわからないぞ?」
「やったー!ありがと!!それじゃ、今からいくわよ!」
 今からって、実に、実に唐突だ。それでも俺は承諾し、これから行くことになった。
「悪い、行く前に、家帰って荷物とかの準備していいか?」
「もちろん!あたしも着いてく~」
 別にいいだろう。そう思った。城崎が着いてくることも、自ら怪異に目を向けることも、その時はそれで、それでいい。寧ろ、それがいいのだ。確証なんてものは一つもないが、楽しいから。だいたいそんな気分だ。
 
 ○

 夕方が近い。飛行機雲が見える。荷物の準備をし終わった俺は、城崎と共に例の場所へ向かっていた。俺が部屋で準備をしている間、城崎は露から色んなことを聞いたらしく、俺のことを散々馬鹿にしてきた。露に旦那様と呼ばせていることも。ちなみにその理由だが、露がはじめて家にきた時、「住まわせていただくので何でもします」と言ったので、俺が調子に乗って、「俺のことを旦那様と呼べ」と言ったのだ。それがいまでも続いている。そういうことだ。
「まったく悪趣味ね~」
「ほっといてくれ」
「ねぇ、ところでさ、お風呂がどうしたの?」
「っ・・・何でもない」
 一緒に風呂入ったなんて死んでも言えない。
 そんなくだらない会話をしている間に、目的地へ着いてしまった。そこは、駅前の通りに聳え立つ、四階建てのビルだった。元は不動産会社だったらしいが、三年前に倒産し、古くなった建物だけが、今でも残っているのだそうだ。
「それでね、今回の依頼だけど、ここの不動産会社が倒産してから一年後ぐらいに、変な噂がたったらしいのよ。噂の種類は様々で一貫性は無いけれど、それを聞きつけたおバカたちが、肝試しのつもりでビルに入ったらしくてね」
「何人だ?」
「三人だったような気がする」
 城崎は続けた。
「それでそいつら、そのまま行方不明になったらしいの。だから、ここの管理人に頼まれたのよ。早いとこ噂の元凶となっている怪異を解決してほしいって」
「なるほど」
 行方不明。その言葉を聞いて、少し身震いした。
「じゃあ、行くわよ」
 そうして俺たちは、ビルの中へと入っていった。
 ビル内は蒸し暑かった。まずは一階を探索してみたが、これといって怪しいものは無かった。その後、二階と三階も見てまわったが、特に変わった点は見当たらなかった。最後は四階だ。階段を上る。四階に着くと、不自然な点に気付いた。
「うそ・・・」
 城崎が恐ろしげに呟いた。
 もう一階分の階段があったのだ。最初に見たとき、このビルは四階までだった。しかし四階には、更に次の階へと続く階段が存在していた。
「ここ、進むのか?」
 そう言った俺の声は、震えていただろう。恐怖と好奇心が混ざり合う。怪異とリンクした瞬間だ。
「行こう」
 城崎が言った。
 存在しないはずの階段を上る。上まで行くと、恐ろしい光景が広がっていた。
 五階と表現するべきなのだろうか。そこは、血塗れだった。床も、壁にも血飛沫が飛び散り、赤黒く染まっている。
「なぁ城崎、大丈夫なのかこれ」
「たち悪い。逃げる」
 城崎はそう言って、元来た階段を下りようと、後ろを向いた。俺もそれに続けて後ろを向く。
 ・・・無い。階段が無い。
 先ほどまでそこに存在していた四階へと続く階段は、薄汚れた壁に変わっていた。
「閉じ込められた・・・」
 咄嗟にそう思った。
「うそ、やばい。マジやばい」
 城崎も動揺を隠せないようだ。
「・・・ぅ」
 不意に、何かが聞こえた。
「うぶばあぁぁぁ・・・」
 今度ははっきりと聞こえた。その方向に目をやると、そこには灰色の汚れた着物を着て、下半身を引き摺りながら両腕だけでこちらへノソノソと向かってくる首の無い化け物がいた。
「ひっ・・・なんなんだよあれ」
「し、しーらない!」
 城崎はお手上げのようで、ついさっきまで階段があったところにある壁を、何とも言い難い表情で眺めている。
「や、やばいだろ。どうするんだよ!」
 化け物との距離は、段々と狭まっていく。どうすればいい・・・?
 俺は、俺は・・・
「俺がなんとかする」
 目の前には悪質な妖気を放つ化け物がいる。俺はそいつに両手を向け、意識を集中させた。すると、俺の周りにオーブのようなものが浮かび上がった。
「失せろ!」
 俺は化け物に向かってオーブを放った。
・・・
 気が付くと、化け物は消え、階段も姿を現していた。
 俺はただ、ずっと同じ場所に突っ立っていた。隣には城崎がいる。
「やったのか?」
 俺は城崎に問いかけた。
「うん、しぐるくんが」
 城崎が言った。
「俺が、やったんだ・・・はぁ、帰ろうか」
「うん、帰ろ!」
 外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。さっきまでの現実離れした光景とは打って変わり、いつも通りの街を行き交う人々の雑踏が、眼中に広がっていた。そこで、俺は改めて、怪異が日常と隣接していることを実感した。
「見て」
 城崎は、道行く人々を眺めながら言った。
「何も知らない人たちは、いつも通りに生活をしている。こんなにも、こんなにも近くに、怪異は存在しているのに」
 城崎は続けた。
「死霊も、怨念も、妖怪も、感じることすら出来ない人間の前では、虚無でしかないのよ」
 そう呟いた彼女の横顔は、どこか悲しそうで、そして少し、皮肉めいていた。
「ねぇ、今日はありがと。お疲れ様。また、こんなこと手伝ってくれたりする?」
 俺が返答すべき答えは、一つだけだった。
「もちろん」
 怪異とは、目を開いて見る価値のあるものだ。少なくとも、俺はそう思う。守るべきものがあるから、そのために。関係の無いようで、関係のある、そんな理由をつけてみた。

呪術師ゼロ(前編)

 目が覚めると、俺は自分の部屋に居た。時刻は午前10時半。
 前日の夜、確か俺はお祓いをしたのだ。
 本当に疲れた。
 なぜなら、初めて本格的なお祓いというものをやったのだから。
 あれが本当のお祓いというのかは定かではないが、少なくともあの気色悪い化け物は俺が退治したのだ。
 それでも、何だかよくわからない。
 俺の想像していたお祓いは、寺の住職とかがお経のようなものを唱えながら見えない相手を供養するって感じのばかりだと思っていた。
 しかし俺は、突然現れた化け物に霊力を練って生成されたオーブのようなものを投げつけて退治したのだ。
 だんだんと前日の記憶が蘇ってくる。
「あっ」
 何を思ったか、俺は枕元に置いてあるスマートフォンを手に取り、電源を入れて画面を見た。
 寝起きでパソコンやスマホの画面を見ると、眠気が覚めるという体験をしたことは無いだろうか?
 俺は時々、その方法で無理矢理目を覚ますのだが、この時は眠気を覚ますためではない。
 電源がつくと、メッセージの通知が表示された。
 名前の欄には「すずな」というひらがな三文字が並んでいる。
 城崎鈴那(しろさきすずな)、前日出会ったばかりの少し変わった同級生の少女で、俺をお祓いの道に引きずり込んだ張本人だ。
 メッセージを開くと、「午後1時に昨日の喫茶店集合」とだけ書かれていた。それに対し「了解」とだけ返信して、スマホを閉じると俺は居間に向かった。
居間に入ると、露がテーブルを拭いていて、俺に気づくと「おはようございます」と言ってニコリと微笑んだ。天使のようだ。
「おはよう。悪いな、昨日の疲れがあって起きるの遅くなっちまった」
「いえ、すみません、先に朝食済ませてしまいました。旦那様、とても気持ち良さそうに寝ていらしたので」
「いやいや、良いんだよ。あっ、今日午後1時から出掛ける用事が出来たから、留守番頼むな」
「はい」
 そうして俺は朝食のような、昼食に近いようなものを済ませ、予定通り、午後1時頃に着くように家を出た。

 喫茶店には予定より3分程早く着いてしまったが、中へ入るとそこには既に城崎が座っていた。
「あ~、しぐ!昨日はお疲れ!」
「よぉ、しぐって、俺のことか?」
「そうよ!しぐるだからしぐ!」
 まぁ、俺の呼び名なんて何でもいい。
「それで、今日は何の用だ?」
「今日は連れていきたいところがあってね~、今からそこに行くの!」
 何のために店内へ入ったのか。
 城崎は席を立ち上がり、会計を済ますと店の外に出た。俺も城崎の後に続き、入ったばかりの喫茶店を後にした。

 木造の家々が並ぶ住宅街を抜け、少し歩くと、自動車1台が辛うじて通れるくらいの薄暗い路地に入った。
 そこに俺たちの目的地はあった。
 城崎は大きな木造の家の門前で立ち止まると、そこのインターホンを鳴らした。
 ブーと音がする。「はーい」と聞こえた直後に玄関から顔を出したのは、中学生くらいの女の子だった。女の子は俺と城崎を見ると、ニコリと笑ってこう言った。
「鈴那さんいらっしゃい!その方が、この前話していた雨宮さんですか?」
「そうよ!中途半端な霊能力者の!」
「だからさ、中途半端は余計だって」
 俺はそう言うと女の子の方に向き直り、「よろしく」と軽く挨拶をした。
 その後、俺たちはリビングへ招かれ、椅子へと腰掛けた。
 何も伝えられずにここへ来て、今から何が起こるのか分からないのだが、女の子がお茶を出してくれたのでとりあえずそれを飲む。
 しばらくすると居間の戸が開き、一人の少年が入ってきた。少年は俺たちの方を見ると、「あっどうも」と言って会釈した。
「ふふふ♪雨宮しぐるを連れてきたよ~」
 城崎がそう言うと、少年は俺を見てもう一度会釈をした。
「こんにちは、今日は来てくださってありがとうございます」
 少年の名前は、神原零(かんばられい)と言い、年齢は16歳で高校一年生、俺の一つ下だった。
 ちなみに、最初出迎えてくれた女の子は神原琴羽(ことは)と言い、14歳で神原零の妹だそうだ。
「早速ですが、しぐるさん、貴方は有名な霊能力者のお孫さんなんですよね?」
 本題を切り出したのは神原零だった。
「え?ああ、そうだけど、知ってたのか」
「知っているも何も、そうでなければ貴方をここにお招きしてません。鈴那さんから何と聞いてきたんですか?」
「何と聞いてきたって…連れていきたいところがあるから、って。」
「あー…そうでしたか、それは申し訳ありませんでした。鈴那さん、貴女って人は…」
「あっはー!ごめんごめん!何も言ってなかったね~」
 城崎は相変わらず適当な態度だ。
「それで、城崎はともかく、君達は何者?」
 ここに来てからの一番の疑問だ。
 俺の祖父のことを知っているということは、霊媒師か何かの関係者だろうか。
「これは申し遅れました。僕は呪術師です。霊や、妖怪の退治をしたり、霊にとり憑かれた人の中から霊を祓ったり、時には、霊や妖怪の手助けもします。」
「じゅずっ、じゅじゅちゅ…じゅ、じゅ、つし…霊の手助けまでするのか」
「あっはぁ!言えてないし!!」
「うるせぇな城崎!じゃあお前言えんのかよ!」
「呪術師って、言えるわよ?」
「ぐっ…」
「まぁまぁお二人とも、言えようが言えまいがいいじゃないですか。そもそも呪術なんて世間一般では知られていないものなんですから。」
 確かにそうだ。
 俺が前日に体験したお祓いも、俺自身初めて知ったものだ。
 それにしてもくだらない争いをしてしまった。
「そ、そうだな。俺のじいちゃんも、その、それだったのか」
「とうとう呪術師って単語を使うことを諦めたぁぁっはぁぁ!」
「いちいち突っ込むんじゃねぇよ!じゅずっ…もういいや…」
 こいつ…マジで何なんだよ…
「あ!あのね、ちなみにアタシも呪術師なんだけど、霊媒体質だから霊媒師としての活動がメインなのよね~」
「へぇ~、霊媒師ってあれだろ、口寄せとかなんとかってやつ」
「そうそう!しぐ、分かってんじゃん!なんだ~、満更バカでも無いみたいね~」
 その程度の知識ならネットなどからでも入ってくる。
 暇な時には某ネット掲示板を覗いてオカルト知識を取り入れたりしているのだ。
「あの~、すずなさん、しぐるさん、そろそろ本題へ移っても良いですかね?」
「お、あぁ、悪かった」
「ごめんね~ゼロ」
 ん?ゼロとは、神原零のことだろうか?
「あ、そうでした!僕、皆さんからゼロって呼ばれてます。神原零の零でゼロです」
「お、おう」
 呪術師って、やっぱり変わったヤツが多いのだろうか…?
「それで、本題ってのは?」
「雨宮しぐるさん、貴方に、正式な呪術師として活動してもらいたいのです」
「正式な呪術師に…?なんだ、それを職業にしろってことか?いや無理無理、そもそも俺、じゅじゅつ…とかってよくわかんねぇし、しかも…なぁ、呪術師になれば、霊も妖怪も、退治できんのか?」
 三年前、俺の妹である雨宮ひなが死んだ理由は、何かの事件に巻き込まれて殺された。殺害されたのだ。
 俺はこの時から薄々勘づいていた。俺の妹、雨宮ひなを殺したのが人ではないということに。
 俺のじいちゃんは有名な呪術師だった。だからこそ、人ならぬモノから恨みを買うことも多かったはずだ。その恨みが、俺達の代にまで続いているのではないのか?
 今まで俺の周りで起きた怪奇現象も、ひなの次の標的が俺だからではないのだろうか。
「え?まぁ…退治できますよ。何か、恨みでもあるんですか?」
「ちょっと敵討ちがしてぇんだ。よし決めた!俺はじゅずつ師なる!」
「・・・大事なとこで噛んでるし~」
「うっせぇな城崎!霊でも何でもとりあえずぶん殴りてぇんだ!ゼロ、俺はやるぞ」
「わかりました!ありがとうございます!では、明日履歴書書いて持ってきてください、呪術師連盟のT支部で面接をするので」
「面接なんてあるのか?意外と面倒だな…しかも呪術師連盟って何だよ。そんなもんあるのか?」
「大丈夫ですよ、面接官には合格にしてもらうように言っておきます。呪術師連盟とは、その名の通りですよ」
「待て待て待て、合格してもらうように言っとくって、お前何者だよ!」
「僕の父が、呪術師連盟T支部の支部長なんです。父にも、しぐるさんのことは話してあるので大丈夫ですよ」
「そ、そうか。ゼロお前、すげぇやつなんだな…」
「そんなすごいもんじゃないですよ。あと、明日手伝って欲しい仕事があるので、午前中に履歴書持ってきてください。そのまま仕事行くので」
「ああ、わかった」
「ありがとうございます。わざわざ呼び出したりしてすみませんでした。今後とも、よろしくお願いします」
 そう言うと、ゼロは椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。
 それに対し、「いやいやこちらこそ」と返し、ゼロの家を後にした。
「ねぇ…しぐ、あなた、妹ちゃんのために今回の件を承諾したんでしょ?」
 帰り道、城崎が俺に問い掛ける。
「なんでそんなこと知ってんだよ、露から聞いたか?」
「うん、ごめん…」
 なんだか、珍しく城崎が素直だ。いや、本当は素直なだけなのかもしれない。あの悪ふざけも、素直だから何でも正直に言ってしまうのかもしれない。
「まぁな…いや良いんだ。妹殺った野郎をぶん殴ってやる。それを目標に頑張るか」
「でも気を付けて、あなたが呪術師になるってことは、自ら危険に晒されるってことよ?それに露ちゃんにも危険が及ぶかもしれない」
 そうか…俺は大事なことを見落としていた。俺が危険に晒されるということは、身内の露にも危険が及ぶかもしれないのだ。いや、だが問題ない。
「それなら、露も守ればいいだろ!この俺が露を守る。だってさ、もう喪いたくねぇんだよ…敵討ちてぇけど、それも大事だけどさ、喪いたくねぇから。そのためにも、俺は呪術師になる」
 俺はこの時、覚悟を決めた。もう二度と、大切な人を喪わないために。
「って言うかさ~、あなたさっきから呪術師ってちゃんと言えてるよね~。言い慣れたのかしら?」
「あ、確かにそうだな。呪術師、おぉ!言えるぞ!」
「それ言えたぐらいで盛りあがんないでよ…」
「お?あぁ、すまねぇ、へへっ」
 赤に染まる町の中を歩く俺は笑っていた。
 過去を忘れたわけではない。だが、いつまでも引きずってはいられない。いつか立ち直らなければいけないのだ。
 だから今も、こうして前に進み続けるのだ。
 一歩一歩を大切に。

呪術師ゼロ(後編)

 そこには何も無かった。
 まるで隕石が落ちた跡のように…その場所だけにポッカリと大きな穴があった。
 俺たちは、その穴の前に立っていた。
 昨日、俺は仕事の手伝いを頼まれた。
 ついさっきのことだ。呪術師になるために履歴書を持って、ゼロの家へ行き、その後、直ぐにこの仕事へ移った。
「なぁ、ゼロ。ここは…何なんだ?」
 俺はゼロに問い掛ける。
 俺の左隣にいる16歳の呪術師、神原零は皆からゼロと呼ばれている。
 ゼロは俺の問い掛けに答えた。
「今から、ここでお祓いをします。かなり危険な仕事なので、しっかり指示に従って行動してください」
 突然連れてこられたのに何だそれはと思った。
「おい…その危険な仕事に素人の俺を巻き込むのか?」
 ゼロはニコリと笑った。
「しぐるさんなら、大丈夫です。むしろ、しぐるさんの力が必要なので」
 俺は溜め息を吐いてから「わかった」と言った。
 すると、俺の右隣に立つ少女が口を開いた。
「しぐ、あなたの力は中途半端なんだからね。本気でやってよ!あ、ちなみにもう術は使える?」
 普段はふざけているような口調の彼女も、今はやや真面目である。少女の名は城崎鈴那といい、俺と同級生で、ゼロと同様に呪術師をしている。
「術なんて…使えねぇよ」
「えー、使ってたじゃんあたしとお祓いしたとき!あれだよ!あれ使えないの?」
 確かに、あれで化け物を倒した記憶はある。だが、あれは俺の力じゃない。そんな気がするのだ。
「お二人とも、そろそろです」
 ゼロはそう言って、呪文のようなものを唱え始めた。
 すると、穴の中心辺りにゲッソリとした男が浮かび上がってきた。男は何かを探しているかのように、辺りをキョロキョロとしていた。
 白い着物を着たその男は、その場から動くことも無く、ただ辺りを見回すだけだ。
 不意に、その男と目が合った。俺は直感的にヤバいと思った。
「しぐ!力使って!能力解放!覚醒!開眼!!」
 城崎が叫ぶように謎の言葉を俺に投げ掛けてきたが、俺はどうすれば良いかわからない。
 あの時、あれをどうやったか全く覚えていないのだ。
 こうしている間にも、男の顔つきはみるみる変わっていった。完全に俺たちのことを睨んでいる。
 ゼロが呪文を唱えるのを止め、俺に話し掛けてきた。
「しぐるさん!あいつはほんとにヤバいやつなんです!人死にますから早く!」
 人が死ぬ。この言葉を聞いて、俺の中の何かが動き出した。
 さっきまで穴の中心に留まっていた男も、ゼロが呪文をと切らせたからか、少し前に進んでいる。
 俺はその男を睨み付け、両手を前に出し、力を集めた。
「このバケモノめ!俺を誰だと思ってんだ!汚ねぇ顔で睨み付けやがって!」
 俺は振り絞った霊力を右手に集めると、拳を作り、その男がいる穴の中に飛び入った。
「ちょっと!しぐ違う!!そうじゃない!」
 城崎が何かを言っているが、そんなことは関係無い。
「しぐるさん危険です!戻ってきてください!」
 ゼロの声が聞こえた直後、俺の拳は男に直撃した。はずだった。
 俺は男の体をすり抜け、何もない地面に転がり込んだ。
「後ろを振り返ると、男が人間のものとは思えないほど大きな口を開いて立っていた」
 まずい、喰われる。
 そこで俺はふと我に返り、自分がしたことがどんなに恐ろしいことかということに気付いた。
 もう駄目だ。俺は死ぬ。妹のところに逝けるといいな…
 グシュッ…!
 何か、不快な音が聞こえた。
 ゆっくりと目を開けると、さっきと同様にあの男が大きな口を開いて立っていた。
 しかし、その口の真ん中辺りから何かが突き出ている。見たことがある。その何かは、刀だった。
 刀は、まるで男の体を溶かすようにしながら、真っ二つに切断していく。
 徐々に刀を持つ者の姿が見えてくる。
 それはゼロだった。その姿が見えたところで、俺の記憶は途絶えた。
 目が覚めると、そこは俺の家の居間だった。
「旦那様?」
 声の聞こえた方を向くと、露が心配そうに俺を見ていた。
「何?どういうこと?俺生きてる?」
 意味不明な言葉を喋りながら上半身だけを起き上がらせると、そこには城崎とゼロの姿もあった。
「しぐるさん、無茶し過ぎです。指示に従って行動してくださいと言いましたよね?」
 そうだ。俺はあの時、なぜあんな行動をしてしまったのだろう。
 心当たる点ならある。
 2年くらい前だっただろうか。その時初めて知った自分のことがあった。
「しぐるさん!聞いてますか!?」
 不意にゼロが強い口調で言った。
「ああぁ、悪かったよ」
「まぁ、今のしぐるさんにそう言っても仕方ないですよね。あのとき行動したのは、もう一人の方ですから」
 ゾクリとした。なぜこいつがそのことを知っているのか。もしかして、バレたのか。
「おい待て、なんでそのことを」
「バレバレですよ。そもそも、それを調べるために、しぐるさんに今回の仕事を手伝ってもらったんですから」
「ソレとお祓いに何の関係があるんだよ」
 詳しいことは今から話しますとゼロは言った。
 また一つ、新たな真実が明らかになろうとしていた。

二面性霊力差

 2年くらい前のことだっただろうか。
 露に連れられて、心療内科へ行った俺は、このとき自分について新たに知ったことがあった。
 妹を亡くしたショックで病んでいたというのもあるが、それ以外にも気になることがあるから一度精神科へ連れて行ってくれと、俺のクソ親父から露は頼まれたそうだ。
 診断の結果、俺は解離性同一性障害であることが発覚した。
 解離性同一性障害とは、所謂、多重人格のことである。
 俺の場合、二重の人格があり、時折それらが入れ変わるそうだ。
 そして、ゼロによれば、俺の二つの人格のうち、日常的に多く覚醒している方の人格では、霊力が中途半端で、普通の霊感が強い人間と然程変わりは無いらしい。
しかし、もう一つの日常的に出る頻度の低い方の人格では、かなり強い霊力を生成できるという。
 つまりこうだろう、お札のお祓いに成功する時としない時があったのは、それが関係しているからだ。
 なぜそうなるのかはまだはっきりしないが、人体が心理と関係しているのならば、霊的なものも、心理と結び付く何かがあるのだろう。

雨天の怪異

「雨の日の怪異とかよくあるなぁ」
 そう言ったのは俺だった。
「とにかく怖かったんです!どうすればいいでしょうか…」
 神原怪異探偵事務所を訪ねてきた少女は怯えた表情で言った。
 神原怪異探偵事務所とは、俺が世話になっている呪術師の神原零(通称ゼロ)の営む怪異専門の探偵事務所のようなものだ。
 ゼロは朝からお祓いの仕事で遠出をしているため、今日は不在。
 本来ならば、城崎がここに座る予定なのだが、彼女も今日は外せない用事があり、消去法で俺が番をすることになった。
 事務所は古い木造で、中は薄暗くぼんやりとしている実に不気味な場所だ。
 今日は雨、夏の暑さと雨の日特有のじめじめ感で兎に角蒸し暑い。
 そんな中、少女は怖いことがあったとここへ駆け込んできた。
「そっか、場所はどの辺?」
「ここを出て、ずっと左に進んだところです。おうちの近くなんです」
「何があったのか、詳しく説明できる?」
「う~ん、なんか丸っこいやつに追いかけられました。黒い、サッカーボールよりちょっと小さいくらいのやつに」
 俺が質問し、少女が答える。
 その声だけが事務所内に響いている。
「わかった。じゃあ、今から一緒にその場所まで行ける?怖ければ俺一人で行くけど」
「い、いきます。ここに一人でいるのも怖いし」
 少女は中学1年生で、髪型はショートボブ。可愛らしい感じの子だった。
 傘をさし、事務所に鍵をかけ、そこから左に真っ直ぐ歩いて行く。
「ここから追いかけられました!」
 少女は立ち止まり、一本の大きな木の下を指差した。
 しかし、そこをよく見てみるも、特に悪いものは見えなかった。
「何処かへ行ったのか。それとも…」
 過去にこれと同じようなことがあったらしい。
 まだそれと同じものと断定は出来ないが、可能性はあるかもしれない。
「それとも、なんですか?」
「いや、なんでもない。それより、この場所からどの辺りまで追いかけられた?」
「えっと、こっちです」
 少女に連れられ、来た道を戻る。
「ここらへんです。ここまで走ってきたら、急に消えちゃいました」
 そこは、事務所から三メートルほど離れた地点だった。
 ちょうど事務所を中心に張った結界がそこまで届いている。
「なるほど、消えたのか。どんな感じで?」
「さぁ…ずっと後ろでコロコロ音がしてて、ここまで来たら急に音が止んだので、あれ?って思って後ろを見たらなくなってました」
 だめだ。まだ情報が不十分でハッキリしない。
「そうか…よし、とりあえず俺が調べておくから、君はもうお帰り」
「あ、そういえば、初めましてですよね?ゼロさんのお知り合いの方ですか?」
 今更かとも思ったが、そんなことより、この少女がゼロのことを知っているということに驚いた。
「ああ、まぁ知り合いだな。なんだ?君、ゼロと知り合いか?」
「はい、時々会いますから。私、ちょっと霊感みたいなのあるので、よくゼロさんに助けてもらってるんです」
「そういうことだったのか」
 この少女に霊感があったとは…
 それなら、今回のようなことも初めてでは無いのだろう。
「それじゃあ、お兄さんもお祓いできるんですか?」
「まぁ、お祓い紛いのことは出来るがな。まだまだ未熟者だ」
 俺がそう言うと、少女は不安げな表情を浮かべた。
「そうですか…ほんとに大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ俺に任せろ。俺だってこれでもじゅじゅず師やってるんだ」
「…言えてませんけど」
 また大事なところで言えなかった。
「と、兎に角、俺がなんとかするしか無いだろう。さぁ、家まで送ってあげるから」
「はい、帰ります…」
 少女はそう言うと溜め息をついた。
 俺はなんだかハズレ扱いされているようで少し悲しくなった。
 少女の家が近くなってきた頃、俺は何か嫌なものを感じた。
「ひぃっ…」
 突然、隣の少女が声を上げる。
「どうした!?」
 少女が指差す方向を見ると、そこでは、木の下で黒いボールのような何かが小刻みに揺れていた。
「あれか?君の言っていたものは」
「ひ…」
 少女は俺の後ろに隠れ震えている。
 黒いボールとの距離は約五メートル程しかない。
 俺がそれをどうにも出来ずに凝視していると、不意にそれと目が合ったような気がした。
 無論、それに目のようなものなどは付いていないが、その時、確かに目が合ったように感じたのだ。
 すると、それはコロコロとこちらにゆっくり近付いてきた。
 コロコロ…
 四メートル
 コロコロ…
 三メートル
 コロコロ…
 ニメートル
 俺は少女の手を引いて反対方向へ走り出した。
「えっ、ちょっ!退治してくれないんですか!?」
 少女が驚いたように言った。
「ちょっと今は無理だ。相手が何なのかさっぱりわからない」
「それどういう意味です?」
「あれの正体がわからん。とりあえず潰す!」
 俺は咄嗟に足を止め、追ってくる黒いボールの方を向き直った。
 それに釣られて少女も足を止め、俺の後ろに隠れた。
 黒いボールはあれから速度を上げていないのか、少し距離があった。
 ボールはコロコロとゆっくり転がってくる。
 俺もボールに向かって歩き始めた。
「え、えぇ!?あの!」
 少女はその場に立ち尽くし、俺の行動に戸惑っている。
「安心しろ、俺が潰す」
 俺はボールの前まで行くと、それを右手で掴み、思いっきり握り潰した。
 瞬間、ドロドロとした黒い液体が手からこぼれ落ちていった。
「なんだ、案外弾けなかったな」
 そんな俺の様子を見て、少し離れた位地に立っていた少女が駆け寄ってきた。
「潰すって言って本当に潰しちゃったんですか!?」
 少女は俺の手から流れるドロドロとした液を気持ち悪そうに見ながら言った。
 俺はとりあえず手に付着した黒い液をティッシュで拭き取り、それを所持していたコンビニの空袋に入れた。
「なんでビニール袋なんて持ってるんですか?ティッシュもたくさん」
「アレルギー性鼻炎だ」
 俺はそう一言だけ言った後、また自分のしたことに後悔した。
 なぜ、素手で潰したのだろう。
 知らないうちにまた人格が変わっていたのだろう。
 そうでなければ、おそらくあれを潰すことは出来ない。
 少し自分の手の臭いが気になり、鼻に近付けて嗅いでみた。
 臭いは全く無かった。
「どうかしましたか?」
 と、少女が問い掛ける。
「いや…何も臭わない」
「良いじゃないですか、臭くなく。」
「そうじゃないんだ。あれが霊や物怪の類いなら、必ず特有の臭いを発する。だが、こいつに臭いは無い」
 そこで俺は確信した。
「呪詛か」
 誰かがこの少女、或いは少女の家族を呪ったのだろう。
 それが関係しているに違いない。
「お兄さん…」
 少女に呼ばれてそちらを向くと、何やら顔を引き攣らせている。
「どうした、何か心当たりでもあるのか?」
 少女は俺の問いにコクりと頷き、それについて話し始めた。
 以下、少女の話。
 この前、友達と遊んだ帰りに、お気に入りのメモ帳を無くしてしまったことに気付き、心当たりのある場所を探していた。
 すると、突然中年の男に話しかけられた。
「君が探しているのはこれかな?」
 男はそう言うと、私が探していたメモ帳を見せた。
「これです!ありがとうございます!」
「そこのベンチに落ちていたよ。持ち主が見つかってよかった」
 その時はいい人だなと思い、私はもう一度その男に礼を言い、家に帰った。
 夜、金縛りに合うようになったのはその日からだった。
 以上が少女の話だ。
 しかし、金縛りに合うだけで他には何もなく、毎日そうなるわけでもないため、あまり気にしていなかったのだそうだ。
 原因はメモ帳なのだろうか?
 しかし男は何のために?
 俺は少女と家まで行き、そのメモ帳を見せてもらった。
 そのメモ帳からは、特に悪意のようなものは感じられなかった。
 それよりも、メモ帳の中から何かを感じたのだ。
 悪意とは違う何か、霊的なものを。
「中、見ても大丈夫か?」
 俺が少女に問うと、少女はコクりと頷いた。
 俺はメモ帳の最後のページを開いた。そこから何かを感じたのだ。
 ページを開き、目に入り込んできたものに少しゾッとした。
 それは、黒いマルだった。
 メモ帳の最後のページには、ペンか何かでぐるぐると書かれたマルがあったのだ。
「君、その中年男からメモ帳を手渡された後は、メモ帳の中を見なかったの?」
「見ましたけど、最後のページは見てませんでした…あの、これ棄てた方が良いですか?」
「いや、もう少し方法を探してみよう。行ったり来たりで悪いんだけど、もう一度事務所まで来てくれるかな」
「はい」
 俺と少女はもう一度事務所まで戻り、メモ帳をどうするかを考えることにした。
 事務所にある呪術資料を見れば、何か分かるかもしれない。
 事務所に着くと、ゼロが帰ってきており、椅子に座ってフランソワーズ・サガンの小説を読んでいた。
「あ、お帰りなさい。あれ?○○ちゃん(少女の名前)、何かあったの?」
 ゼロはやはり少女と知り合いのようで、何があったのかを訊ねてきた。
 俺と少女は、今までのことや先程起きたことを全て話した。
 するとゼロは、少女のメモ帳を拾った中年男について追及してきた。
「その、中年男の特徴ってわかる?」
「えっと、背が高くて、眼鏡をかけていて、ダンディーでかっこいい人でした。あ、でも和服着てた。今時珍しいなと思いましたね。」
 それを聞いたゼロは「なるほど」と言い、少し考えてから口を開いた。
「たぶん、いや、あの人に違いないね」
「おい、ゼロの知ってるヤツなのか?」
「はい、御影って男です。かなり危険な人ですよ」
 どうやら、その御影という男がメモ帳を通じて少女に呪詛をかけたらしい。
 だが何のためにそんなことをしたのだろうか。
「なぁ、その御影って男は、そんな危険なヤツなのか?それに何のためにこの子に呪詛なんて」
「それはわかりません。でも、今あの男には、呪術師が一人潜入捜査しているので、いずれ分かるかもしれませんね。それより、そのメモ帳」
 ゼロは少女の持つメモ帳を見て、難しい表情を浮かべた。
 少女はゼロにメモ帳を手渡し、
「もう無理ですかね…?」
 と言った。
 ゼロは首を横に振った。
「いや大丈夫、それより、これにかけられた呪詛があまりにも単純で、本当に全く 何をしたかったのかわからない」
 そう言うとゼロは、メモ帳の黒いマルが書かれた最後のページだけを契り、マッチに火を着けて燃やしてしまった。
 その後、最後のページだけが無くなったメモ帳を少女に返してこう言った。
「ごめんね、最後のページ無くなっちゃったけど…これで呪いは解けた」
「いえ!ありがとうございます!大切にします!」
 少女はそう言うと、嬉しそうにバッグの中にそのメモ帳を仕舞った。
「よかった。でも、もうあの男には関わらないようにね。一度縁を持ってしまった相手だから、また何かされるかもしれないけど」
「はい、気を付けます!」
 最後に少女は俺の方を向くと、
「今日は本当にありがとうございました!」
 と頭を下げ、事務所を出て帰っていった。
 少女が帰った後、俺はゼロに一つ気になっていたことを訊いた。
「なぁゼロ、その御影って男のところに潜入捜査をしてる呪術師って、何て名前のヤツだ?」
「北上 昴(きたかみ すばる)、義眼の呪術師です。しぐるさんと同級ですよ」
「そうか、ありがとう」
 別に、その呪術師に心当たりがあったわけではない。無論、北上昴なんて名は初耳だ。
 ただ、俺は知りたいと思った。
 この世には、俺が知らないだけで、まだ霊感の類いを持つ人間が大勢いる。
 そんな人間と話して、俺がまだ知らないことや、俺との共通点、そんなことを知りたいと思ったのだ。
 勿論、その御影という男にも興味がある。
 いつか、この二重人格の霊力差の謎も、解ける日が来るのだろうか。

鬼灯堂

 朝になり、障子の向こうから照らされる太陽の光で目を覚ました。
 暑い。
 夏休みに入ってから何日が経過したのだろうか。
 身体を起き上がらせると、障子を開き、日光を浴びる。
 冴えない目でカレンダーを見ると、まだ八月に入っていなかった。
 そうか、そういえば、まだ夏祭りもしていなかったな。
 そんなことをぼんやりと考えながら時計に目をやると、時刻は午前七時四十分。
 俺は身仕度を済ませ、居間へと向かった。
「おはよう、露。」
「あ、おはようございます、旦那様」
 水色の長髪、小さな可愛らしい容姿。俺の義妹である露が、朝食の準備をしていた。
 露が俺のことを“旦那様”と呼ぶことについては…まぁ、色々あったわけだ。
 築八十年の広い木造建築に、俺と露の二人暮らし。
 ちなみに普段は水色の和服を着ている。
 なぜ和服を着ているかって?
 それは…俺の趣味の問題だ。
 何にせよ、理由は色々あるわけだ。
 それについても、また次の機会に話すとしよう。
「旦那様、体調は如何ですか?」
 世話好きの露は、身体の弱い俺の体調をいつも気遣ってくれる。
 そんなに心配することでも無いのだが。
「ああ、大丈夫だ。昨日はよく眠れたからな」
「よかった!もう、また体調崩して出掛けられないとかだったら、困りますからね」
 そう、今日は久々に露と二人で外出をするのだ。
「なんか、デートみたいだな」
 街中を歩きながら、ポツリとそんなことを呟いてみる。
 それを聞いた露は「そうですね」と笑顔を見せた。
 露の着ている水色のワンピースが風に揺れる。
「そのワンピース着るの、久しぶりじゃないか」
「そうかもです。最近スーパー以外お買い物しに行ってませんでしたね」
 俺はほとんどの家事を露に任せてしまっている。
 たまには、こうして年頃の女の子らしいことをさせてあげなければ可哀想だ。
 と言うか、露にはもっと子供らしくしてほしい。
 家事くらい、俺もやるのに。
「なぁ露、もう少し友達と遊んだりしても良いんだぞ?家事とか、そういうときは俺もやるし」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。だって旦那様、私が居ないと家が散らかりそうで」
 露は可笑しそうにフフフッ笑った。
「あ、あれは前のことでさ、今はもう大丈夫だよ。たぶん…」
 ガサツだと貶されているのだろうけれど、露に言われると上手く反論出来ない。
 寧ろ少し納得してしまう。
 決してMではないぞ。
 しばらく買い物を楽しみ、ある雑貨屋を出た時だった。
「あれ?しぐるさんじゃないですか」
 後ろから声を掛けられ、振り返ると、そこにはゼロの姿があった。
「おお、なんだゼロか!」
「今日はお買い物ですか?その子が、露ちゃん?」
 ゼロは俺の隣にいる水色の髪の少女に目をやった。
「ああ、そうだ。露は、ゼロに会うの初めてだったな」
 露は頷き、ゼロに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 それを見たゼロも、露に「よろしく」と言って笑顔を見せる。それから、何かを思い立ったような顔をして話を始めた。
「あ、そうだ。しぐるさんに、鬼灯堂の話はしましたっけ?」
「鬼灯堂?いや、初耳だ」
 ゼロは「やっぱりでしたか」と言い、話を続けた。
「ここから少し歩いた所に、鬼灯堂っていう駄菓子屋があるんです。そこの店主が呪術絡みの人で、僕の知り合いなんです。今から行くんですけど、一緒にどうですか?」
 俺達は特にもう行きたい所もなかったため、ゼロと一緒に鬼灯堂という駄菓子屋へ行ってみることにした。
 狭い路地へと入り、そこを真っ直ぐ歩いて行くと、鬼灯堂という看板が掲げられた一軒の古ぼけた駄菓子屋を発見した。
 ガラス戸の向こうには人影が二つ見える。
 先客だろうか?或いは、店の従業員か?
 ゼロが店の入り口らしきガラス戸をガラガラと開くと、店内には二人の少女がいた。
 俺はそのうちの一人に見覚えがあった。
「城崎?」
「わぁ、びっくりした。しぐとゼロじゃん!それに露ちゃんも。どしたの?」
 そこには城崎鈴那の姿があった。
 彼女は、俺をお祓いの道へ引き摺り込んだ張本人である。
 もう一人はカウンターの向こう側に座っていて、城崎より年下に見える。
「あら~、いらっしゃい。ゼロくん、お友だち連れてきたの?良いわねぇ」
 その少女はニッコリと笑った。
 声こそ幼い少女のようだが、喋り方はまるで御近所のおばさんって感じだ。
 銀髪に可愛らしい顔立ち、ワンピースの上に薄手のカーディガンを羽織っている。
 彼女は何者なのだろうか。
「久しぶりですね、日向子さん。紹介します。こちら、雨宮しぐるさん。そして、この子は露ちゃんです」
 少女は俺と露を交互に見ると、よろしくねと言って笑顔を見せた。
 俺達はとりあえずその少女によろしくお願いしますと頭を下げた。
 そして再びゼロが口を開き、俺達にその少女を紹介した。
「しぐるさん、こちら、十六夜日向子さんです。もう気付いているかもしれませんが、彼女は妖怪です」
「いや、全然人だと思ってたんだけど」
 俺がゼロにそう返すと、城崎と十六夜日向子という少女は二人揃って笑った。
「しぐ~、あなた鈍感すぎぃ~」
「あらあら、これでも400歳は越えてるのよ~わたし」
 急にそんなことを言われても直ぐには「ああ、そうですか」と納得することは出来なかった。
 隣の露はもうそれを信じているのか、「へぇ~!ほんとですか!」と目を輝かせている。
 もう少し人を疑ったりしないのだろうか?
「ちょっと待て、妖怪?400歳って、それ、どういうこと?ゼロが言ってた呪術絡みの人って妖怪?」
 俺が戸惑っていると、十六夜さんは椅子から立ち上がり「証拠でも見せてあげましょうかね~」と言った。
 それは驚くべきものだった。
 十六夜さんの首の後ろから、何本もの触手が生えてきたのだ。
 それを見て俺は絶句した。
 触手をうねうねと動かしながら十六夜さんは俺にニッコリと笑顔を向けた。
「これで信じたかしら?ウフフ」
 そう言うと彼女は、ゆっくりとその触手を仕舞っていった。
 俺が何も言えずにただただ驚いた表情で固まっていると、ゼロが横から話掛けてきた。
「どうです?すごいでしょう。彼女は僕達の協力者です。困ったときは力を借りています」
「お、おお。なるほど」
 そんな俺の様子を見て、城崎はケラケラと笑っている。
 十六夜さんはというと、「ちょっと驚かし過ぎちゃったかしら~」などと言い、申し訳なさそうな顔をしていた。
 露は好奇心の方がが上回っているらしく、十六夜さんの能力に関心していた。
「へへ、すげぇなこれ」
 この言葉を呟いた時の俺の笑顔は、おそらくかなり引き攣っていたことだろう。
「へぇ~、十六夜さんって、ゼロの師匠だったんですね」
「そうよ~。ゼロくん、才能あったからすぐ育っちゃったわ」
 俺達は居間に通され、暫しの間談笑をしていた。
 俺もすっかりこの中に溶け込んでしまった。
 話をしていた中で知ったことがあった。どうやらゼロに呪術を教えたのはこの十六夜さんらしい。
「俺はてっきり、ゼロの親父さんがゼロに呪術を教えたのかと思ってたよ」
 俺がそう言うと、ゼロがアハハと笑った。
「そう思いますよね。父さんは忙しいので、あまり修行には付き合ってもらえなかったんです。小さい頃、休日とかは時々遊んでもらえましたけどね」
 そう言ってゼロは、出されたお茶を飲んだ。
 十六夜さんも楽しそうに話出した。
「ゼロくんのお父さん、いい男よねぇ。まぁ、わたしは若い子が好きだけど。ウフフ」
 彼女の正体を知らない人からしたら、この言葉は理解出来ないだろう。
 不意に、十六夜さんが手をポンと叩き「あ、そうだったわ」と言った。
「そういえばもうじき夏祭りよねぇ。あなたたちは行く予定あるのかしら?」
 彼女はそう言うと、夏祭りのポスターを持ち出してきた。
 それを見た城崎は身を乗り出し、俺に視線を向けてきた。
 ちなみに城崎は俺の隣に座っているため、彼女が動いたときにほんのり甘いいい匂いがした。
「夏祭りー!!ねぇしぐ、一緒に行こうよ!露ちゃんとゼロも!四人で行こう!」
 城崎は意外とこういうイベントが好きなのだろうか。
「僕は、その日仕事があるので。すみません」
 ゼロはお祓いの仕事があるらしく、申し訳なさそうに言った。
「おっと、そうだったの?それじゃあさ、しぐと露ちゃんとあたしたち三人で行かない?」
 露も乗り気のようで、ワクワクといった感じの表情を浮かべながらポスターを眺めている。
 正直、俺は乗り気では無かった。
 あまりそういったイベント事は好きではない。
「祭りか…俺はいいよ。城崎、よかったら露と二人で行ってきてくれ」
 俺がそう断ると、城崎は不満げな表情で「え~」と言った。
 露もこちらを見て悲しそうな顔をしていた。
「あらあら、いいんじゃない?折角だからしぐるくんも行ったら?夏祭り」
 十六夜さんにまで言われてしまった。
 それに続き、城崎も俺を見ながら「そうだよ~」と言った。
 俺はそれに少しドキリとした。
 ドキリというか、これはキュンと表現した方が良いのだろうか。
 城崎の顔が近い。いつも普通に話している相手なのに、何故だか少しだけ緊張する。
「あ、ああ、そこまで言うんなら、行ってみようかな」
 俺がそう言うと、城崎は「やったぁー!」といって露にハグをしていた。露も子供のように喜んでいる。
 こんな露を見るのは、ひょっとしたら初めてかもしれない。
 楽しそうに笑う二人。それを微笑ましそうに見ているゼロ。不意に、俺は十六夜さんと目が合った。
 パチリと、十六夜さんは俺にウインクをした。
 俺がこのウインクの意味を理解するのは、もう少し後のことだ。

夏の宵、見上げた火の花

 汗ばんだ手を無造作にズボンの横へ擦り付ける。
 冷たくない彼女の手が、俺の右手を掴み、俺達は街の喧騒の中へ飛び込んだ。
手を引かれ、露店の並ぶ通りの人混みを歩いて行く。
 高校二年の夏。祭りなど行く予定は無かったのだが、城崎に無理矢理連れ出された。
 彼女が身に纏う紫色の浴衣には、何匹か金魚のようなものが游いでいる。
 彼女が動く度に、深紅の髪飾りが美しく揺れた。
 あまりの美しさに、思わず見とれてしまう。
「しぐ、何ボーッとしてんのさ!」
 城崎の声で、ふと我に返った。
「あ、あぁ、悪い」
「旦那様!りんご飴があります!あっちは何でしょうか!?すごいすごいっ!お祭りですっ!」
 俺の横では、露がありえないくらい楽しそうにしている。
 それもそのはずだ。露にとって、夏祭りは今日が人生初なのだから。
「露、好きなもの買っていいからな。金魚すくい以外なら…」
 金魚が嫌いなわけでは無いが、ただ飼うのが面倒なのだ。従って金魚すくいだけはなるべくしてほしくない。
「え~、しぐはイジワルだなぁ。夏祭りなんだから、金魚すくいくらいやらせてあげたら?」
「いや~、でも飼うのがさ…」
「お屋敷の庭に池があります!そこで飼えないでしょうか?旦那様、金魚さん…」
 水色に色とりどりの花火が咲く浴衣を着た青髪の少女は、俺を見上げて金魚すくいをねだってくる。
 こんなに甘える露を見るのも、今回が初めてだ。
「お、おぉ、その手があったな。よし、それなら大丈夫だ」
「やったぁ!」
 嬉しそうに笑う露を見て、亡き妹のことを思い出す。
 そういえば行ったな、夏祭り。俺が中学一年の頃だ。妹のひなは、まだ小学三年生だったか。
 あの時も楽しかった。
 夜空に咲く火の花を眺めながら、来年も一緒に行こうと約束したきり、一度も行っていない。
 ひなが生きていれば、毎年一緒に行っていたのかもしれない。
「ほら~、しぐ!ボーッとしてないではやく行こうよ!」
「旦那様~!楽しそうですよ~!」
 二人の声が少し遠くから聞え、俺の脳を優しくノックした。
「おう、今行く!」
 俺はそう言って、二人が待つ方へと歩いていった。
 街を歩いていると、人に混じって何かが視界に入ってくる。
 それは、角の生えた人のようなものだったり、宙を游ぐ見たこともない美しい魚だったり、姿形は様々だが、恐らく妖怪の類いなのだろう。
 こんなものまで見えるのだから、時々自分が怖くなる。
 それでも、今までとは違う。
 露は勿論、ゼロや城崎、それに、十六夜さんだっている。
 露には、それらが見えていないようだったが、城崎にはしっかり見えているようだ。
 ふと、城崎が俺の視線に気付いたのか、顔を近付け小声で話掛けてきた。
「ねぇ、あれ何か知ってる?」
 城崎はニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、その魚のようなものに目を向けた。
 顔が近い、良い香りがする。
 城崎からは、いつもほんのり甘い香りが漂ってくる。
 そして今更だが、彼女の美しい顔が目の前にあることで、少し鼓動が高鳴った。
「え、あれって、あの魚?」
「そう、あれね、死者の霊魂が姿を変えたものなの。綺麗でしょ」
「ああ、綺麗だな。」
 死者の魂は姿を変えるとあのような姿になるらしい。
 どうすればその姿になるのかは、城崎も知らないらしい。
 しかし本当に綺麗だ。
 俺が歩きながらその魚に見とれていると、すぐ耳元で囁き声が聞こえた。
「あの鬼みたいなのは、ただの妖怪だけどね」
 城崎の口が俺の耳に触れそうなくらい近くまできていた。
 至近距離で囁かれ、かなりゾクゾクした。
 彼女の吐息が耳に当り、なんだか擽ったい。
「そっ!そうなのかぁ!」
 驚いて変な声を上げてしまい、それを見た城崎が吹き出して笑っている。
 露も俺の素っ頓狂な声が聞こえたのか、声を出して笑っていた。
「お前、急に耳元で囁かれたら驚くだろ」
「はっはぁ!!だってボーッとしてんだもん!どんな反応するかなぁって思ってさ~」
 やれやれ、相変わらずだ。
 だが、たまにはこういうのも悪くはない。
 夏がこんなに楽しいと思ったのは、本当に久しぶりだ。
「あら~、しぐるくん。よかったわ~来てくれて」
 不意に、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
 振り返ると、十六夜さんが着物を着て立っていた。
「十六夜さん!来てたんですか」
 俺がそう言うと、十六夜さんはフフフと可愛らしい声で笑った。
「来てたも何も、わたしのおうちはすぐソコだからね。フフフ。でも本当によかったわ、三人揃って仲良さそうにして」
 そう言われると、少し照れ臭い。
 隣の城崎を見ると、少し頬を赤らめていた。
 彼女も、俺と同じような気持ちなのだろうか。
「そうだわ、わたし一人だと寂しいから、露ちゃん借りてもいいかしら?もう可愛くて可愛くてたまんないわ~」
 十六夜さんは、そう言って露の頭を撫でた。
 ちなみにこの二人、ほぼ身長同じだ。
「え、露が構わないならそれでも良いですけど、四人で行動するのはどうです?」
 俺がそう提案すると、十六夜さんはウフフと笑ってこう言った。
「いいえ、あなたたち二人があまりにも仲良くしてたから、邪魔したら悪いかなってね。ねぇ、露ちゃん」
 そしてまた露の頭を撫でる。
「はい、そのようですので。私は十六夜さんと金魚掬いします」
 露も乗り気なようで、ニコリと笑ってみせた。
 俺達、そんなに仲良さそうに見えただろうか。
 そう言われて、無性に恥ずかしくなった。
 城崎も恥ずかしがっているようで、顔を赤くしながらこう言った。
「いやいや、そんなんじゃないし!日向子ちゃんったらからかわらないでよ~」
「フフフ、あまりいじめても可哀想だから、このくらいにしておきましょうかね。さぁ露ちゃん、行きましょ!」
 そう言うと、十六夜さんと露は二人で祭の喧騒の中へと消えていった。
 何故か残された俺達は、これからどうすれば良いのか?
 そんなことを考えていると、城崎が口を開いた。
「ねぇしぐ、ちょっと歩き疲れちゃったからさ、何処かに座らない?」
 たしかに、ずっと歩きっぱなしだったから、俺も疲れた。
「あ、ああ、そうだな。そうしようか」
 俺達は座れる場所を見付け、そこに腰掛けた。
「二人きりだね…」
 そう言ったのは城崎だった。
「あ、うん」
 少しだけ鼓動が早くなった。
「あのね、しぐには、話しておきたかったんだ。あたしの過去のこととか、あと、色々…」
「ああ、聞かせてくれ、お前のこと」
 こう言った俺は、きっと微笑んでいた。
「あたしが、中学2年の時のことなんだけどね」
 そう言って、彼女は自分の過去を語り始めた。
 その物語は、彼女の人生の分岐点ともいえるものだった。

七月末の最後に

 昔から、他の人には見えないものが見えた。おばけとか、妖怪とか、たぶんそういうものだ。
 幼い頃は、それらと人を区別することが困難だったせいで、周りからは気持ち悪がられたり、虐められたりしていた。
 そんなことがあり、次第に私は学校を休みがちになっていった。
 学校には行っても、途中で帰ったり、登校中に行くのが嫌になって、何処かで遊んだりした。
 それだから、不良少女なんて呼ばれるのは当たり前のことなのかもしれない。
そんな私でも、ママは優しくしてくれた。
 ママは身体が弱く、風邪を引いて寝込んだり、入院したりすることが多かった。それでも、私の面倒をしっかりみてくれた。
 パパは私のことを見捨てていたみたいだったし、ママともよく夫婦喧嘩をしていた。
 自分の部屋にいたら、急にリビングから食器の割れる音がしたり、怒鳴り合ったりして、正直、二人の喧嘩には慣れてしまっていた。
 中学二年の秋頃だったと思う。
 いつものように息苦しい学校を脱け出し、街を歩いていた。時刻は午後0時、ちょうどお昼時だった。
 とりあえずコンビニでパンを買い、特にすることもなかったので家に帰ることにした。
「ただいま~」
「あら鈴那、おかえりなさい。何か嫌なことあったの?」
 家に帰るとママがいた。
「めんどくさかっただけ。先生がピアス外せってうるさいんだもん」
「あらあら、明日はちゃんと最後まで授業受けなさいよ。先生も心配してるから注意してくれるのよ」
「わかってるけどさぁ…うん、わかった」
「でもまぁ、ピアスは別にしてもいいんじゃないかしら。他にもしてる子いるでしょ?オシャレしたいわよね~」
「うん、ありがと」
 どんなことがあろうと、大好きなママのことだけは絶対に信じることが出来た。
 ママは、私の味方だから。
 それからは、居間でテレビを観て過ごした。
 いつの間にか、ママはソファーで寝てしまっていた。
 ふと時計を見ると、時刻は午後六時を過ぎていた。いつもなら、そろそろ夕食の時間だ。
 あれ?ママが起きてこない。
 ママが寝ているソファーに目を移すと、ママはまだ寝ていた。
 起こしてあげようと思い、揺すろうと肩に手を触れる。
 熱い…息が荒い。
「ママ?ママ!大丈夫!?」
 そんな…どうして気付いてあげられなかったのか。私が同じ部屋に居たのに。
 兎に角直ぐに救急車を呼び、私はママの傍で泣いていた。
 ママがこんなふうになってしまったこともあるけれど、それ以上に自分が許せない。ママの異変に気付いてあげられなかった自分が。
 家に救急車が到着したと同時に、パパが帰ってきた。
「何があった!?」
「ママが…!ママが熱くて、返事しなくて…!!」
 私は泣きながら必死でパパにそう訴えた。パパはそんな私をいつもと変わらぬ目で見ていた。いつもと同じ、家のゴミを見るような目で。
 私はママと一緒に救急車へ乗り、パパは後から車で来た。
「ママ、ママ…」
 病室で、私はママの手を握り、泣きながら何度もそう言い続けた。
 ママは目を覚まさない。
 暫くするとパパが病室に入ってきた。
「お前はもう帰れ。」
 パパが私にそう言った。
 反論しても痛い思いをするのは目に見えているので、私は一人で帰ることにした。
 パパは車で来たのに、私を同じ車には乗せてくれないんだ。私が乗ると穢れるから。
 病院前のバス停でぼんやりしていると、遠くの方から二つの光が近づいてきた。
 それとの距離は次第に狭まり、やがて目の前にバスが停車した。
 私はそれに乗り込み、後ろの二人分の席に一人で座った。他に乗客の姿は見えない。
 扉が閉まり、「発車します」という車内アナウンスが流れる。それと同時に、バスは動き始めた。
 バスに揺られながら見ていた夜景は、どこか懐かしく感じられた。
 ・・・
「次は、○○、○○、です」
 ぼーっとしていると、私が降りるべきバス停の名前が車内アナウンスで呼ばれたので、慌てて近くにあったボタンを押した。
 バスが停車する。私は立ち上がり、料金箱に整理券とお金を入れ、バスを降りた。
 無事、家に着いた私は、食欲が無かったのでお風呂に入り、その後寝てしまった。
 ぼんやりとした光が視界に入り込んでくる。
 ゆっくりと目を開く。まだ眠い。
 パパはどこだろう。ダルい身体を起き上がらせてリビングへと向かう。
 パパがいた。ソファーに腰掛けて俯いていた。
「パパ?」
 私が呼び掛けると、パパはゆっくりとこちらを向いた。疲れきった表情で私を見ると、こう言った。
「死んだよ…」
 死んだ。その一言だけだったが、誰が死んだのか直ぐにわかった。
 その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
 パパは話を続けた。
「昨日の夜中、容態が悪化して…」
 そんな…私は、あのとき私が助けてあげられたら、こんなことにはならなかったのかもしれないのに。
 パパは立ち上がると、私に近付いてきた。私の前に来て、足を止める。
 …お腹に激痛が走った。蹴られた勢いで、私は床に倒れる。
「お前のせいだ…お前のせいだぞ!!どうしてくれるんだ!責任取れるのか!!!」
 倒れた私にパパは怒声を浴びせる。
 そう、私のせいだ。全て私が悪い。だからパパにこんなことされても仕方がないんだ。
「ごめん…なさい…」
 泣きながら謝る私に、パパは睨み付けながら言った。
「お前、出てけ。もういらないから。」
 いらない。遂に言われた。
「そんなっ、じゃあどうやって生きていけばいいのさ!?」
「そんなこと知るか。いいから出てけっ!」
 そう言ってもう一発私のお腹に蹴りを入れると、ソファーに座り俯いてしまった。
 暫く痛くて立てなかったが、次第に痛みも引いてきたので、私は部屋に戻り、着替えてから荷物をまとめた。
 家出しよう。そう決めたんだ。
 イヤホンを耳に当て、部屋を後にする。
 リビングを通り過ぎ、玄関を出た。
 もう授業は始まっている。
 無断欠席はよくすることだし、別に気にすることはないか。
 人通りの少ない道を当てもなく歩いて往く。
 どれくらい歩いたのだろう。
 疲れたので、バス停でバスを待つ。
 バスは五分ほどで着たので、それに乗り、整理券を一枚取る。
 乗客は私だけだった。
 ・・・
「次は、終点、○○駅、○○駅です」
 イヤホン越しから、車内アナウンスが終点の駅名をコールする声が聞こえた。
 もうそんなに乗っていたのか。ぼーっとしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
 とりあえず整理券の番号と料金表を照らし合わせる。駅に停車したので、料金箱に整理券とお金を入れた。
 隣の街まで来てしまった。これからどうしよう。
 仕方なく、その街を歩いてみることにした。
 何処か休める所はないだろうか。お腹も空いた。
 コンビニを見付けたので、そこでパンと炭酸を買った。そしてまた歩く。
 周りの大人たちは、私のことを変な目で視てくる。それもそのはずだ。まだ中二なのだから。学校に行ってなければおかしいのだ。
 河川敷のベンチに座り、そこでさっき買ったパンを食べて少し休憩をすることにした。
 秋の日差しが気持ち良い。なんだかうとうとしてきた・・・
・・・・・
 ふと目が覚めた。いつの間にか寝てしまっていたのか。イヤホンから流れる音楽を止め、腕時計で時間を確認する。
 午後一時。これからどうしようか。辺りを見回すと、人影が見えた。
 河川敷の上の通りに二人の人いる。一人は男の子のようで、歳は、私と同じくらいだろうか。中学生くらいの背丈で、顔も確認できる。あ、かっこいいかも。
 もう一人は、和服を着たおじさんだった。二人は楽しそうに話している。
 でも、男の子の方は学校には行っていないのだろうか?
 そんなことを考えていると、二人は歩き出した。
 咄嗟にベンチから立ち上がり、近くにあった階段を駆け上がる。
 あの人に訊いてみよう。この街のことを。もしかしたら彼も、何かの理由で学校を休んでいるのかもしれない。と、何故かその時はそう思った。
 階段を上がりきると、二人が路地の向こうに消えていくのが見えた。
 急いでそのあとを追いかける。
 ドンッ‼
「きゃっ!」
「うわぁっ!」
 誰かとぶつかった。私は転ばなかったが、相手を軽く突き飛ばしてしまったようだ。見ると、ピンク色のワンピースの上に、白いフード付きのパーカーを着ている女の子だった。
 それにまだ小さい。私より歳は下にみえる。
「あっ、だっ、大丈夫?ごめんね」
 私が声を掛けると、少女は顔を上げて立ち上がった。
「ふぅ、大丈夫。なんともないわ。あなたこそ、大丈夫だったかしら?そんなに急いで、何かあったの?」
 あどけない顔立ち、可愛らしい声、どこからどう見ても少女のようだが、口調はまるでおばさんのようだ。
「えっ、あ、あぁ、あたしは、大丈夫だけど。君、小学生かな?学校は?」
 私がおどおどしながらそう言っていると、少女はニコリと笑った。
「あらあら、わたしはもう大人よ?あなたこそ、学校には行っていないの?何か、事情があるの?」
 大人?どういうことだろう。キツネに騙されているのだろうか?それとも、この少女はおばけとかなのか?
「あの、何者?」
 私がそう訊ねると、小学生はウフフと笑い「ついていらっしゃい」と言った。
 先程の少年とおじさんのことも忘れて、私はわけがわからないまま、その少女の後をついていった。
 狭い路地を抜けると、少しだけ広い道に出た。それでもまだ変な感じだ。陰気臭くてじめじめしている。
「着いたわ」
 少女はそう言うと、一つの建物の前で足を止めた。
 その建物はかなり昔のものらしく、かなり寂れたように見える。
 上には、『駄菓子屋、鬼灯堂』と書かれていた。
「ここがわたしの家、駄菓子屋をやっているの。さぁ、遠慮しないで入っておいで」
 少女はそう言い、ガラガラとガラスの戸を開いて店の中に入っていった。
 私もそれに続いてゆく。
 店内の丸椅子に腰掛けるように言われたので、少し古い木製の丸椅子に腰掛けた。
「あの、君は、何者なの?」
 私は少女に質問をした。
「わたし?わたしはね、妖怪。あなたも見えるのでしょう?幽霊も、妖怪も」
 一瞬、思考が停止した。
 妖怪?それになぜ私が霊を見るということを知っているのか。
「妖怪?君が!?妖怪!?」
 私はここにいて大丈夫なのだろうかと思った。ようやくそのことに気付いたのだ。
 そもそも初めからおかしかった。こんな違和感のある少女になぜついてきたのか。それにこんな廃れた場所に、普通の少女が住んでいるはずは無い。
 さっきまで封印されていた恐怖が、心の底からじわじわと沸き上がってくる。
 まずい。逃げた方が良いだろうか。
「安心して、怖がらなくても大丈夫よ?食べたりしないから」
 少女はそう言って、向かいの丸椅子に腰掛けた。
 私は椅子から立ち上がった。勢いよく立ったせいで、椅子が後ろに倒れる。
 逃げようとしたが、倒れた椅子に足をつっかえて転倒した。
 痛い・・・
 後ろから足音が聞こえてくる。
「大丈夫?すごい勢いで転んだけど」
 声のする方を見ると、少女が私の顔を覗きこんでいた。
 私はゆっくりと立ち上がり、少女の方を見た。少女は笑顔でそんな私を見ている。
「落ち着いて。わたしはあなたの味方だから」
 少女はそう言うと、手を差し出してきた。
 私も手を出す。そして勢いよく少女を突き飛ばした。
「ふにゃっ!」
 少女は変な声を上げ、床に倒れこんだ。
 逃げなきゃ。
 店を飛び出し、さっき来た道を走る。
 と、足に何かが絡み付いた。
 次に両腕、脚を伝ってニョロニョロと胴体まで何かが絡み付いてきた。
「ひゃっ!なにっ!?」
 驚いて変な声を上げてしまった。
 触手?が絡み付いてきたんだ。なんかニョロニョロ動いて気持ち悪い・・・
「謝りなさい」
 背後から声がした。あの少女の声だ。
 首を回して後ろを見ると、少女は背中から触手を出して腕組みをし、ムスッとした顔で私を睨んでいた。
「どうしてあんなひどいことをするの?痛かったわ!」
 どうやら怒らせてしまったらしい。これがあの少女、いや、妖怪の力なのか。
「まっ、まずこれ離してよ!気持ち悪いんだからっ!ひゃっ!」
 いちいち変に動いて気持ち悪い。素直に言うことを聞いておけばよかった。
「謝るまで離してあげなーい」
「ごめんなさいごめんなさい!だから離してくださいお願いします!」
 私が全力で謝罪すると、ゆっくりと身体を地面に下ろされ、触手は離れていった。
「あぁ~、びっくりした」
「それはこっちの台詞よ。急に突き飛ばすんだから。せっかく力になってあげようと思ったのに」
 そう言うと少女は手を差し伸べてきた。
 私は恐る恐る少女の手を掴む。
 少女はニコリと笑った。
「ごめんね、驚かせちゃったわね。怪我しなかった?」
「あ、は、はい。大丈夫でした。ごめんなさい」
 何故か敬語でもう一度謝罪する。この人、いやこの妖怪、怒らせちゃいけない。
 駄菓子屋に戻り、少女と話をした。
 少女の名前は十六夜日向子といい、もう百年くらい前からここで駄菓子屋を営んでいるらしい。とは言っても、認知度はかなり低く、客が来ることは少ないのだそうだ。
 それもそうだろう。こんな場所にそもそも人が来るのだろうか。
「それで、日向子ちゃん生活できてるの?」
 私は彼女を日向子ちゃんと呼び、気付いたら警戒心も薄れて仲良くなっていた。日向子ちゃんの笑顔が、私をそうさせたのかもしれない。
「ええ、大丈夫よ~。駄菓子屋は趣味でなんとな~くやってるだけで、本業は別にあるわ」
「でもさ、妖怪なんでしょ?それにその外見だと、なんか、不便じゃないの?」
 そう、日向子ちゃんは小学生のような外見で、しかも妖怪だ。人間社会でどのように生きているのだろうか。
「まぁ、平日の昼間は怪しまれるから、あまり外には出ないわね。でも、ちょっと用事があったりすると、目立たないように外出するわ」
「ふ~ん、じゃあさ、お仕事とかは?人間社会で働けるの?」
「ウフフ、それがちょっと裏のお仕事なのよね。詳しくは教えられないけど」
 何か怪しい仕事でもしているのだろうか。そのことについては詳しく教えてもらえなかった。
「あ、そうだわ。鈴那ちゃん、何か困っているんじゃないの?だから学校も行ってなかったのでしょう?」
 そうだ。すっかり楽しい話で盛り上がっていたが、それまでに色々あったんだ。
「うん…実はさ、色々あって」
 私は日向子ちゃんに、今まであったことを全て話した。私が霊能力のせいで学校にはあまり行けていないこと、ママやパパのこと、家出をしてしまったことなど、途中から泣いてしまったので、上手く伝えられたかは分からない。
 それでも、一生懸命日向子ちゃんに話した。
 話し終えると、日向子ちゃんは頷いた。
「うんうん、なるほど。家には、もう戻らないつもり?」
「戻りたくないけど、あたし、どうやって生きていけばいいのかな・・・」
 もうパパにも会いたくない。でも、生きていく術がない。
「もし本気なら、ここで一緒に住んでも良いのよ?鈴那ちゃんさえよければだけど」
「えっ?」
 耳を疑った。私のためにそこまでしてくれるの?あんなにひどいことをしたのに。
「あ、でも学校遠くなっちゃうわね。この近くの中学校に転入させてあげることもできるけれど、ちょっと考える時間が必要かしら?」
 学校も?この人本当に何者なんだ?
「は、え?転入できるの!?」
「ええ、一応手続きしてあげられるけれど。それでも良いのならね」
 それなら、もう答えは決まっている。
「したい。こっちに住みたい。日向子ちゃんのとこに居たい!」
 本気だった。実は死のうとも考えていた。でも、きっとママは私が死んだら悲しんでしまう。それなら生きていたい。
 そう思っていた。
「なら、パパさんに電話してあげたら?ちゃんといってあげなきゃ、向こうも困っちゃうでしょう」
 そうだ、そうしよう。最後にパパと話すんだ。そして大人になったら見返してやろう。
 私はパパに電話をかけた。
 パパは暫くして出てくれた。
「もしもし?」
「もしもしパパ、あたしね、一人で生きてくことにした。大丈夫。助けてくれた人がいてね。学校も、こっちの学校に通うの。だからパパ、さようなら」
「・・・そうか、勝手にしろ」
 そう言ってパパは電話を切った。
「良いって?」
 日向子ちゃんは私の様子を伺っている。
「うんっ!」
 私は笑顔で返事をした。
 それからは、日向子ちゃんと一緒にこの場所で暮らした。
 学校の手続きとかも全部してくれて、私はこの近くの中学に通うことになった。
 日向子ちゃんに言われて、ピアスは外すことになった。逆らうと、また怖い目に合わされそうだ。
 転入してきた私は、暫くクラスから浮いていたけど、ある時話しかけてくれた女の子と仲良しになり、次第に他の子とも話すようになった。
 日向子ちゃんはごはんも作ってくれて、私を娘のように可愛がってくれた。
 それと、一緒にお風呂に入った時に気付いたことがある。
 日向子ちゃんが背中から出す触手、あれはどのように出しているのだろうと、あのときからずっと気になっていた。
 彼女の背中には、大きな亀裂、いや、口があった。
 日向子ちゃんはそれを「第二の口」と呼んでいたけれど、あれが開いて触手がうねうねと出てくるのを想像すると、なんだかグロテスクだ。
 中学三年生の夏、日向子ちゃんを通じて一つ年下の神原零という男の子に出会った。彼は、みんなからゼロと呼ばれているらしい。
 ゼロは呪術師といって、心霊関係の悩み相談、お祓い、時には妖怪の手助けなどをしている、今はその修行中なのだそうだ。
 私は霊媒体質だったこともあり、才能があると見込まれ、ゼロに勧められて呪術師の修行と手伝いをすることになった。
 修行とは言っても、そんなに辛いものではなかった。
 中学を卒業すると、呪術の方も実践が多くなり、お祓いのアルバイトみたいな感覚でやっていた。
 高校一年の春、私は一人暮らしをすることを決意した。
 家賃とかは日向子ちゃんが払ってくれるらしく、とても助かった。そのほかにも、何か困ったことがあったらいつでもうちにおいでと言ってくれた。
 日向子ちゃんにはお世話になりっぱなしだ。いつか恩返しがしたい。
 高校でもなんとなくの友達は出来たが、本当に仲良しの子はいなかった。普通の女の子と、あまり話が合わない。
 初めは仲良くしていても、時が経つにつれて一人でいることが多くなった。
 別に友達が居ないのは慣れていたし、どうってことはなかったけれど。
 高校二年の春、新学期が始まって直ぐのことだった。
 ゼロが中学卒業を機に始めた神原怪異探偵事務所という、表向きは古本屋「神原堂」の探偵事務所がある。そこでいつものようにのんびりとお菓子を食べながら過ごしていると、ゼロがある話を始めた。
「昔、この辺りでは有名な呪術師が居たんです。その孫が、僕らと同じ高校に通っているらしいんですけど」
「へー、名前はなんてゆーの?」
「雨宮しぐるです。変わった名前でしょう。鈴那さんと同級生だと思うんですけど」
 雨宮しぐる、聞いたことがあるような無いような・・・
「あっ!」
 思い出した。
「なっ、なんですか?」
「いや、その雨宮しぐるってやつ、隣のクラスに居たかも!わかんないけど、明日確認してみるね!」
「え、本当ですか!お願いします!」
 次の日、私は隣のクラスを怪しまれない程度に見張っていた。雨宮しぐるは直ぐに見付かった。
 一人の男子生徒が、ある男子生徒に「なぁ、しぐる~。」と言っているのが聞こえたんだ。その呼ばれた生徒の方を見ると、そこには見覚えのある男子が座っていた。
 あの時だ、河川敷から見上げたときに和服のおじさんと一緒にいた、あの男子だった。
 学校が終わると、ゼロの事務所に直行し、そのことを話した。
 そして私はゼロに訊いてみた。
「ねぇ、あの時、雨宮しぐるは何かあったから学校休んでたの?」
 “あの時”とは、河川敷の通りで彼を見掛けたときのことだ。
「あぁ、彼、妹さんを亡くされて、暫く不登校だったんです。他にも、色々辛いことがあったらしくて」
 そんなことがあったなんて。苦しんでいるのは私だけじゃないんだ。
 それなら、助けたいと思った。もし、まだ彼が苦しんでいるのなら、同じように苦しんできた私が助けてあげたいと思ったんだ。
 それから私は、雨宮しぐるの行動を観察するようになった。そうしていくうちに、少しずつ彼に惹かれていった。
 そしてある時、喫茶店でコーヒーを飲んでいた彼に声を掛けてみた。
「あなた、雨宮しぐる?あたし城崎鈴那ってゆーの。よろしくね!」
 夏祭りの日、俺は城崎の歩んできた人生の話を聞いた。
 今はこんなに明るい彼女に、昔そんなことがあっただなんて。今日、俺にそれを話して、少しは気持ちが楽になれただろうか。
 全て聞き終えた俺は、城崎に言った。
「お母さん、本当に良い人だったんだな」
「うん…優しかった。でも、悪いことはちゃんと注意してくれたし、ママの言うことはちゃんと聞くようにしてたの」
 彼女にとって、母親がどれだけ大事な存在だったのかが話を聞いてわかった。
 それと、話の中に出てきた俺のことについても気になったことがある。
「なぁ、その、河川敷のとこだけどさ、俺、城崎が寝てるところの前を通ったんだ。なんでこんなとこに一人で居るのかなぁって思って通り過ぎちゃったんだけど。あれお前だったのか~」
「そうだったの!?なんだ、話し掛けてくれたら嬉しかったかも~」
 城崎が笑う。彼女の笑顔に、少しだけ鼓動が高鳴る。
「あぁ、それで階段上がったら、知り合いの長坂さんっていう、神主やってる人に会ってさ、あの、和服のおっさんがその人」
「へ~、あの人神主さんだったんだ。なんか不思議だね、あたしたち二人で思い出話だなんて」
「そうだな、この前会ったばかりだと思っていたのに、実は過去に知らないところで会ってたなんて」
 まるで、何かの運命みたいだ。そこまでは恥ずかしくて言えなかった。
「あ、それと、なんでゼロのやつあんなに俺の情報知ってたんだよ。しかもあの探偵事務所って、表向きは古本屋だったのかよ。全然知らなかった」
「へへへ、古本が多いなとは思ってたけど、本目当てのお客さんが来なければ、それらしい看板も無いもんね~。あれじゃあわかんないよ」
「それと」と、城崎は続けた。
「ゼロには優秀な情報屋さんがついてるからね。しぐのことも、それで知ったんだと思う」
 優秀な情報屋とは誰のことだろう。祖父のことまで知っているとは、まだ俺の知らない呪術関係の人間がいるということなのだろうか。
「ねぇ、しぐ。」
 城崎に呼ばれ、色々と考えていたことが一度ストップする。
「ん?なんだ」
「ほら、あたしたちってさ、まだ、仲良くなったばかりでしょ?でも、あたしはしぐのことずっと見てたわけで、その、あなたのことが、好きなんだわけさ・・・」
 緊張しているようで、城崎の日本語がおかしい。自然と俺も緊張する。しかも然り気無く告白された。なんだこの状況。
「それでね、だから・・・あたしと、お付き合いを前提に友達になってくだひゃい!」
「・・・は?」
 唖然としてしまった。
 待て、俺達はまだ友達にすらなれていなかったのか?
「おいおいちょっと待て、今から付き合うんじゃないのか?俺達はまだ友達ではなかったのか?」
「え、だ、だって、その、まだしぐのことで知らないこと沢山あるし、そりゃ、友達のつもりだったけど、しぐはどうだったのかなぁって・・・」
「いや、俺もお前とは、と、友達のつもりで。しかもさっき俺、然り気無く告白されてたよな」
 今更城崎が顔を赤くする。今まで見たことが無いくらいに恥ずかしそうだ。
「そ、それは、いや、あなたのことが好きですよ?できたらもう付き合っちゃいたいけど、しぐは・・・あたしで、いいの?」
 見つめられて益々鼓動が高鳴る。答えは・・・
「も、勿論。俺も、鈴那が好き・・・。それに、付き合ってからお互いのことを 色々知ることだってあるし、早くても良いんじゃないかな」
 彼女のことを初めて下の名前で呼んでみる。
「そうだね、改めてよろしくね。しぐ!」
「あ、ああ。よろしく。と言うか、十六夜さんはこのために露を俺達から外したのか?それとも、露もグルだったのか?」
 そう、初めて鬼灯堂で十六夜さんに会ったとき、祭の話が上がって俺が行くことになった時、ウインクしたことも、露を俺達から外したのも、何となく彼女の行動が気になってはいたが、そこまで深くは考えていなかった。
「日向子ちゃんに相談しててさ、協力してくれるって言ってくれて。露ちゃんは違うよ」
 露は違かったのか。あいつ、もう少し人を疑うことをしないのだろうか。
「そうだったんだ。露のやつ、祭りで浮かれてたのかな」
 ドンッ!
 不意に、夜空で光と共に大きな音が鳴った。俺も鈴那も音のした方向に目をやる。
 ドンッ!
 まただ。それは、俺達の目の前で一瞬にして咲き、そして散っていった。
 花火だ。
 花火を見るなんて、何年ぶりだろうか。ドンッという低い音が心臓まで届く。
「わぁ~花火だーっ!」
 鈴那は目を輝かせて花火に釘付けになっている。
「かわいい。」
 彼女を見てそう思った。
 ・・・声に出てた。
「へ?何か言った?」
 鈴那が花火から目を反らしてこちらを見る。どうやら花火の音でちゃんと聞こえていなかったらしい。よかった。
「い、いや、なんでもないよ。」
「ふ~ん。まぁいいや。それより見てよしぐ!花火すっごい綺麗!」
 再び花火に向き直り、子供のように目を輝かせている。
「そうだな。綺麗だ」
 鈴那が。とは言えない。考えただけで顔が熱くなる。全く、さっきから妄想ばかりだ。
 ・・・?
 何かに肩を突つかれたような気がした。
 後ろを振り返るが、誰もいない。
 気のせいか?また花火の方に向き直る。
「ツンツン」
 また肩を突つかれたと思えば今度は声も聞こえた。
「十六夜さん?」
 後ろには見た感じ誰も居ないが、確かに十六夜さんの声だった。
「いるんですよね。十六夜さん。」
 鈴那が「どうしたの?」とこちらを見てくる。
「いや、十六夜さんの声が聞こえたんだけど・・・」
 二人して後ろを見る。
 誰も居ない。
「あらあら、可愛いわね~」
 前から声が聞こえた。
 二人して慌てて向き直ると、十六夜さんと露の姿があった。
 二人ともニヤニヤしている。
「露、どこから見ていた?」
「二人が花火に夢中になっているところからですよ~。話は十六夜さんから聞きました!旦那様は、花火より鈴那さんに見とれていましたね」
 そう言われて顔が熱くなる。
「その様子だと、もうお二人はカップルさんかしら?」
十六夜さんがそう言うと、鈴那も顔を赤くした。
「まぁ、そうだけど」
 鈴那が照れ臭そうに答える。
 露も先程からニヤニヤが止まらない。
 こいつのこんな顔を見るのは初めてだ。なんか可愛い。
 鈴那と俺は顔を見合せて笑う。
 ドンッ!!
 その時、今日一番の大きな花が夜空に咲いた。
 七月末の最後に、俺達は一生忘れることの無いであろう体験をした。

夜祭後の

 夏に溺れている。
 火照った頬を、夏風が撫でる。彼女は、どんな顔をしているのだろうか。
 ドンッ!
 花火の音が夜空に響く。彼女の方を見ると、彼女もこちらを見ていた。
「ねぇ」
 彼女が言う。
「ん?」
 俺は短く答えた。
「抱きしめて、いい?」
 少し照れた表情で、彼女は言った。俺も少し照れる。
「うん・・・」
 彼女の温度が伝わってくる。お互い、汗をかいているはずだが、彼女からはほんのりと甘い香りがする。同じようだが、どこか違う愛を、ずっと前にも感じたことのあるような気がする。このあと、どうすればいいのだろう・・・。
「はいは~い、おしまい!それ以上いくとベッドでイチャラブハァハァなんてことになっちゃいそうで怖いわ~・・・!」
「っ・・・!何言ってんすか十六夜さん!」
 照れ隠しに、少し大きめの声を出した。そうだ、十六夜さんたちが居たことを忘れかけていた。となりでは露もニヤニヤしている。
 鈴那は顔を赤くして俯いている。余程恥ずかしかったのだろう。俺まで更に恥ずかしくなってくる。
 七月末の最後に、俺と露、鈴那は夏祭りへ行き、途中で十六夜さんと会い、そこで露が十六夜さんと行動することになった。その後、俺と鈴那は二人になり、恋仲となった。これまでの出来事を超簡単に纏めると、そういうことになる。
「ところで、お二人さんはもうお祭りは楽しんだ?ゼロくんから連絡があったのだけれど・・・」
 十六夜さんが申し訳なさそうに言った。ゼロとは、俺と鈴那より一つ年下の呪術師である。ちなみにゼロというのはあだ名で、本名は神原零という。
「ゼロが、何かあったんですか?」
 俺がそう訊くと、十六夜さんは難しい顔をしてこう言った。
「実はね、あの子、今お祭り関係のお仕事してるのだけれど、ちょっと人手不足らしいの。だから、お二人に手伝ってほしいのよ。できるかしら?」
 祭り関係の仕事?お祓いじゃないのか?と思ったが、それを読み取ったかのように十六夜さんが教えてくれた。
「ごめん、説明不足だったわ。お祭り時のお祓い。ほら、夏祭りと怪異は紙一重でしょ?よくあるじゃない、お祭りの怪談」
 確かに、夏祭りに関する怪談は多い。だが、本当だったのか。
「人がたくさん集まる場所には霊や妖怪も集まりやすい。そういうものね」
 鈴那が独り言のように言った。やはりその表情は、どこか悲しそうだった。
「鈴那、行くか?」
 と、俺は少し俯き気味の鈴那に訊ねた。
「うん、ゼロの頼みなら行こ」
 彼女は笑顔で答えてくれた。
「決まりね。それじゃ、行きましょう」
 俺たちは十六夜さんに連れられ、ゼロの元へ行くことになった。

「で、なんで露も一緒なんだ?」
「いいじゃないですか~、仲間に入れてください♪」
「え・・・いや、大丈夫なのか?」
 不安だ。不安しかない。なにかあったときに対処できないからという理由もあるが、血はつながっていなくても俺の妹だ。心配するに決まっている。
「大丈夫よ、私がついてるんだもの~」
 俺が不安げな表情を浮かべていると、十六夜さんが笑顔でそう言った。まぁ、この人がいれば大丈夫かもしれない。あ、人じゃなかったんだっけ。
「それなら・・・わかりました」
「ひひっ、しぐったらシスコン全開」
 隣を歩いている鈴那が茶化してきた。
「う・・・良いよ別にシスコンで」
「ありゃ、珍しく開き直った」
 もう何と言われようが構わない。今なら何でも許してしまえる気分だ。「あ、しぐるさん」
 不意に呼ばれたので、声のしたほうを見ると、一本の木に寄り掛かったゼロがいた。
「ゼロ、何してるんだ?」
「何してるって、待ってたんですよしぐるさんたちを」
「そりゃそうだけど、俺たちは何をすればいい?」
 お祓いをするとは聞いたが、詳しくなにをするかはまだ聞いていない。
「説明は移動しながらします。まずは行きましょう」
 ゼロはそう言って、俺たちを目的地まで誘導し始めた。露が同行していることには触れなかったが、十六夜さんが前もって伝えておいたのだろうか?
「ねぇねぇゼロ、今年も去年と同じアレやるの?」
 鈴那がゼロに問いかけた。去年?毎年やっていることなのだろうか。
「そうですけど、今年は去年と少し・・・いや、結構イレギュラーでして」
「なぁ、アレって何なんだ?」
 俺が訊くと、ゼロが説明をしてくれた。
「人々が賑わう祭りの裏で、人ならぬモノたちの祭りが開かれているんです。年に 数回あるんですが、夏の祭りが一番盛大でしてね」
 裏でそんなものがあったとは、そういえば、そんな怪談も読んだことがある。自分がその世界に入り込んだようで、少しワクワクする。ゼロは話を続けた。
「封印の儀式があるんですよ、夏の祭りは。年に一度、この時期にバケモノの封印が解けるんです。それをもう一度封じ込める儀式を毎年手伝っているんですが、聞いたところによると、どうも今年はいつもと違うらしくて。なので、しぐるさんと鈴那さんにも手伝っていただこうと思ったんです。急に呼び出してしまってすみません。折角いい雰囲気になっていたところを・・・」
 既にゼロにも話がいっていたのか。少し恥ずかしい。
「あ、いやぁ・・・っていうかさ、お前どうやってそういう情報収集してるの?」
「へっへっへ~。腕のいい情報屋がいるんですよ。今度しぐるさんともお話する機会があると思います」
「なるほど。じゃあ、今回のお祓いの情報もその人から?」
「はい、そうです。あ、もうすぐ着くので、みなさんこれを着けてください」
 ゼロはそう言うと、俺たちに狐やら烏やらの面を差し出してきた。
「これは?」
 俺は狐の面を受け取りながらゼロに訊ねた。
「今から僕らが行くのは、人ならぬモノたちの祭りです。これ被ってないと喰われますよ」
 喰われる。それを聞いてゾクリとした。そんなに恐ろしいところへ行くのか。
「ちゃんとお面付けてれば大丈夫ですよ。こうやって」
 ゼロはそう言って、何だかわからないものの面を着けた。蛇だろうか。
「わかった。これなら喰われないんだな」
 俺は受け取った狐の面を着けた。ちなみに鈴那は烏の面で、露と十六夜さんは筆で文字の書かれた紙の面で目の辺りだけを隠している。なぜ十六夜さんは妖怪なのに面を着けるのかと疑問に思ったが、そこには触れないでおいた。
 少し歩くと、微かに祭囃子のような音が聞こえてきた。
「そろそろですよ。心の準備はいいですか?」
 そう言うゼロの顔は、少し楽しそうだった。
「おっけ~い」と鈴那。
「うん」と俺。
 露と十六夜さんは、声を揃えて「はーい」と言っている。すっかり意気投合してるな。
「じゃあ、行きましょう」
 俺たちは眩しく夜を盛り上げる光と喧騒の中へ入っていった。
 ・・・
 騒々しい。眩しい。いい匂い。様々な情報が入り混じる。混沌とした世界だ。
「このまま真っすぐ進めば目的地です。屋台とか並んでますが、無視してもらって結構ですから」
 ゼロは俺たちの方を見てそう言った。左右に陳列する露店を見てみると、皆が面を着けている。その中には人型の者もいたが、多肢の者、下半身が蜘蛛や蛇の者など、明らかに人ではないモノが混ざっていた。そんな現実離れしたものを目にして、少し怖くなる。そういえば、露は怖くないのだろうか。さり気なく露を見てみたが、至って平然としている。十六夜さんと手を繋いでいるので、安心感はあるのかもしれない。だが、露は前から霊的なものにあまり恐怖心を抱いたりはしなかった。なぜかはわからないが、まぁ、怖くないのならそれでいい。
「あっ」
 不意に、ゼロが誰かを見付けたようで短く声を出した。彼の目線を辿ると、そこには赤い狐の面を被り、朝顔だか昼顔だかの着物を着た女性がいた。すると、向こうもこちらに気付いたようで小さく手を振っている。
「市松さん、もういらしてたのですか」とゼロ。
 市松と呼ばれる女性はコクリと頷き「ええ、お久しぶりです」と言った。
すると、ゼロがその女性についてのことを簡単に説明してくれた。
「この方は市松さん。祓い屋さんで、トレードマークはその赤い狐のお面です」
 ということは、常にその面を身に着けているということか。変わった人だ。
「さぁ、少し早いですが行きましょうか」
 市松さんはそう言って歩き始めた。ゼロはそのすぐ後に続き、彼女と楽しそうに話している。俺たちもその後をつけた。

 しばらく歩くと辺りに露店は見えなくなり、気付けば山を登っていた。さっきまでの喧騒が嘘のように木々の間をすり抜ける風の音だけが聞こえてくる。その音に微量の懐かしさを感じながら歩いていると、急に道が開けた。
 そこは広場のようで、中心地点には池があり、その周りを縄で囲ってある。あそこに例のモノが現れるのだろうか。そして、その付近には和服を着た人が三人おり、一人はまだ子供のようだ。ゼロによると、今日一緒に封印の儀式をする仕事仲間だそうだ。
「さぁ、お面を着けるのはここまでで結構です。外さなくても構いませんが」
 ゼロがそう言うと、皆が一斉に面を外した。それに続いて俺も外す。確かに、これを着けていると暑い。面を外した途端、視界が開けた。
 ゼロと市松さんを先頭に池の近くまで行くと、三人のうち一人の男がゼロの名前を呼んだ。
「ゼロくん、来たね」
 その男は俺と同じ歳ぐらいに見えたが、それにしてはやけに落ち着いており、左目がカラコン?義眼なのだろうか?瑠璃色をしている。
「昴さんこんばんは。お久しぶりですね」
 すばる?どこかで聞いた名前だ。その昴という男はゼロと軽い挨拶を交わした後、直ぐに俺の方を見た。
「君が、雨宮しぐるくん?」
「あ、は、はい」
 年上なのか?とりあえず敬語を使ってみる。そんなことより、なぜ俺の名はこんなに知られているのだろうか。有名人か何かなのか?
 そんなことを考えていると、ゼロがクスッと笑ってこう言った。
「しぐるさん、この人は北上昴さんです。しぐるさんと同級生ですよ。この前、話しませんでしたっけ?」
「あ、思い出した!」
 そういえば以前、北上昴という義眼の呪術師の名前をゼロから聞いたことがある。なんだ、同級生だったのか。ゼロはあとの二人の紹介を始めた。
「それで、こちらの男性が藤堂右京さん、こっちの女の子が蛍ちゃんです」
 右京という背の高い男性は、俺を見るとへへっと笑った。
「よろしく、しぐちゃん。右京さんとでも呼んでくれや」
「どうも、よろしくです」
 なんか、名前に似合わずチャラい人だ。髪は金髪だし。もう一人のピンクの浴衣を着たおかっぱの女の子、蛍ちゃんは、右京さんの後ろからひょっこりと顔を出している。あまり積極的では無さそうな子だ。
「・・・んばんは」
 挨拶はしてくれたが、少し睨まれているような気がする。嫌われているのか?すると、右京さんは蛍ちゃんの頭を撫でて笑いながらこう言った。
「アッハハ、この子人と話すの苦手でさぁ。目付き悪いのは元からだから、勘弁して」
「お二人は、どういったご関係で?」
「親子だよ。蛍はオレの娘。かわいいだろ~」
「親子って!?右京さん、お幾つなんですか?」
「三十四歳だよ。ちなみに嫁は看護師~」
 三十四か・・・それにしては若く見えた。正直、嫁さんの紹介は要らなかったが。その後も、皆で少し駄弁っていた。俺と露以外は全員知り合いだったが、快く俺たちを歓迎してくれた。露と蛍ちゃん、気付いたら仲良くなってるし。この人たち、変わり者だが、心は温かい。少し嬉しくて、目頭が熱くなるのがわかった。
「さぁ、そろそろ本題へ移りたいのですが、いいですか?」
 雑談が一段落ついたとき、ゼロが本題を切り出した。皆がそれに頷く。
「さて、あと十五分ほどで蛛螺(しゅら)の封印が解かれます。既に準備は整っていますが、これから皆さんには、それぞれの役割についてもらいます」
 蛛螺とは、これから再封印をするバケモノのことだろうか。質問をしようと思い口を開きかけた時、ちょうど隣にいた昴が教えてくれた。
「蛛螺っていうのは、クモのような妖怪で、昔からこの地に住み着いていたんだ。人里に下りては農作物を荒らし、夜道を歩く女子供を攫ったりしていたらしい。それに困った人間は、隣町に住む有名な祓い屋に蛛螺の退治を依頼したんだ。祓い屋は自分の他に四人の呪術師を引き連れ、蛛螺の住む山へ入っていった。それからしばらくして、祓い屋たちは山から下りてきてこう言ったらしい。蛛螺はこの山にある池へと封じたが、年に一度、封印の儀式をしなければまたヤツは目覚めてしまう。これから毎年、この日に蛛螺を封じる儀式をする。とね」
 それが陽暦のこの日と重なったわけか。
「なるほど、ありがとう北上」
「昴でいいよ。どういたしまして」
 北上昴、外見通りいいヤツみたいだ。だが、確かコイツって・・・。
「それでは、役割分担をしましょう。僕、市松さん、昴さん、右京さんで、池の縄の周りを囲み、印を結びます。蛍ちゃんは援護をお願いします。ここまでがいつも通りで、鈴那さんとしぐるさんは、蛍ちゃんと一緒に援護をお願いします。日向子さんは、露ちゃんを守ってあげてください」
「私、迷惑ではありませんでしたか?」
 露が申し訳なさそうに言った。
「大丈夫だよ。日向子さんがいればたぶん最強だから」
 ゼロが笑いながら言った。それを聞いた十六夜さんは、むぅっと頬を膨らませている。
「ちょっとゼロくん、私を怪物みたいに言わないでちょうだい。正直、私より蛛螺のほうが強いわよ」
「すみませんって、僕たちがすぐ封印してしまうので大丈夫ですよ。さぁ、では皆さん、定位置についてください」
 ゼロの合図で皆が一斉に移動を始めたが、俺にはまだ疑問に思っていることがあった。
「なぁゼロ、その、蛛螺がいつもと違うって、どう違うのかまだ詳しく聞いてないんだけど」
「あ、そうでした。実は今年、何者かが池に細工を施したらしくて、その影響で蛛 螺の妖力が強くなってるんです。どのぐらい強くなってるかは予想できませんが。ごめんなさい、言い忘れてました」
「なるほど、いや、ありがとう」
 何者かが・・・それは人間なのだろうか。そんなことを考えながら、俺は定位置に着いた。ゼロから時計回りに、市松さん、右京さん、昴の順で、その後ろは、ゼロと市松さんの間に鈴那、右京さんの後ろに蛍ちゃん、昴とゼロの間に俺の順で並んでいる。
「では、始めます」
 ゼロは緊張した口調でそう言うと、呪文のようなものを唱え始め、前列で池を囲む四人の足元が白い光の線で繋がれ、正四角形になった。すると、何の変哲も無かった池が突如泡立ち始め、水面から蜘蛛の足のようなものが出てきた。あれが蛛螺なのだろうか。
「うわっ、あれ去年より大きくねぇ?」
 右京さんが驚いたように言った。ゼロが唱える呪文が変わった。少し早口にもなっている。右京さんの後ろでは、蛍ちゃんが何かを自分の周りに飛ばせている。暗い中でうっすらと光るそれは、紙人形だった。彼女は池を囲うようにそれらを浮遊させている。鈴那はというと、自分を囲うように六つのオーブを漂わせている。いつでも攻撃ができるように待機しているのだろう。俺はというと、全く何をしたら良いのかわからずにただ立っているだけだ。そもそも俺は人格が変わってくれないと呪術が使えない。
 次は池を囲む四人全員が同じ呪文を唱え始めた。すると忽ち光の柵が現れ、それらが檻を形成し、池を囲んだ。
 気付けば、池から蛛螺が全貌を現していた。それは、身体は蜘蛛だが顔はイヌ科の動物のようで、大型ワゴン車程の大きさはあった。蛛螺は檻を壊そうと足掻いている。それを阻止しようと、檻の外から蛍ちゃんの紙人形が押さえつける。が、人形が檻に触れた途端、黒く灰のようになってしまった。
「な、なんで?おかしいよ」
 蛍ちゃんが泣きそうな声で言った。右京さんの呪文を唱える声に少し力が入ったような気がする。
「おかしいですね。檻が溶け始めました」
 そう言ったのは市松さんだった。見ると、確かに檻が溶け始めている。
「なぁ・・・これヤバいんじゃねぇのか?」
 右京さんは疲れてきたようで、息切れしている。俺に、俺に出来ることがあればいいのに・・・。
(俺を使えよ、雨宮しぐる)
 声が聞こえた。誰かはわからない。
「誰だ!?」
(俺だよ、もう一人のお前。俺に体を貸せ)
 俺の、もう一つの人格だと?
「ならなんでもいい、早く代わってくれ!お前しか居ねぇんだよ!」
(おっと、随分積極的じゃねーか。わかったよ)
 すると、俺の体は俺の意思通りには動かなくなった。檻は完全に破られ、蛛螺が池から出ようとしている。蛛螺は昴の方を向き、口から蜘蛛の糸のようなものを吐き出した。
「やっぱり僕が狙いだったんだね」
 昴はそれを間一髪かわした。鈴那は蛛螺へと六つのオーブを一気にぶつけた。しかし、蛛螺には傷一つすら付いていない。
「うそっ!マジか!」
 鈴那はなぜか笑いながらそう言った。大丈夫だろうか・・・?
「おい蛛螺ぁ!テメエちょっと強くなったからって調子に乗ってんじゃねーぞ!」
 そう言ったのは俺だった。蛛螺は俺の方を見た。すると、俺は真正面から蛛螺に突っ込んでいった。何をするつもりなんだ?
「このやろおぉぉぉぉ!!」
「グオォン!グオォン!」
 俺の叫びと蛛螺の咆哮が交わった瞬間、俺の目の前に大蛇が現れた。いや、俺の足元から伸びているのだ。大蛇は蛛螺の首根っこへと咬みつき、肉を引き千切ろうとしている。すると蛛螺は首から出血し、池の畔へ倒れこんだ。それと同時に大蛇は消え、俺の体は自由になり、その場にへたり込んだ。。
「皆さん、今です!」
 ゼロが叫ぶと、今まで目の前で起きていた出来事に呆然としていた皆がふと我に返り、再封印の体制を立て直した。
 今度は四人一斉に呪文を唱え、素早く檻を形成させた。檻は蛛螺を閉じ込め、池から見えない何かが檻を掴んでいるかのようにズルズルと引きずり込まれていく。蛛螺と檻が見えなくなった頃、呪文を唱えるのがゼロ一人だけになった。さっきまでとは違う呪文だ。すると、池を中心に陣のようなものが刻印された。ゼロは呪文を唱えるのをやめ、ふぅとため息を吐くとこう言った。
「念には念を入れておきました。陣でほんの少しだけ封印の質を高めたんです」
 やり切った表情の彼は、両手を組んで伸びをしている。
「今年もお疲れ様でした。なんとか無事に終わりましたね」
 市松さんがゼロに歩み寄りながら言った。
「今年もありがとうございました。それよりしぐるさん、大丈夫ですか?」
 ゼロと市松さんが俺に近付いてきた。俺はなんとか立ち上がり、ゼロたちの方へ歩み寄った。
「大丈夫だと思う。何があったんだ?」
 俺は自分に起きたことが何なのか理解できず、思わず訊いてしまった。すると、ゼロは神妙な面持ちでこう言った。
「まだ、はっきりは分かりません。でも気を付けてください」
「気を付けるって、何に?」
「いえ、しぐるさん、ここ数日間で人格の解離が激しくなっているんじゃないですか?」
 確かに、そう言われてみればそうだ。特にさっきのは異常だった。もう一人の俺が俺に話しかけてきたのだ。それに解離しているときだって、いつもなら俺の意思は無く、もう一人の俺がすべての主導権を握っている。そして人格が戻った時に、解離中の記憶が流れ込んでくるのだ。しかしその記憶は断片的で、そして客観的である。だが、さっきは違った。体の主導権はもう一人の俺が握っていたが、中には俺の意思が残っており、リアルタイムで記憶を共有することができた。これは、良いことだったのだろうか。それとも・・・。
「みんな~、おつかれさま~!」
 そう言いながら、十六夜さんと露が俺たちの方へやってきた。
「旦那様、すごかったですね!あんなことできちゃうなんて!」
 露が目を輝かせながら言った。
「あははは、そうだなぁ」
 どう反応したら良いのかわからず、苦笑いになってしまった。
「まぁ、なんとかなってよかったんじゃね?昴も無事みてぇだし。それより蛍~、頑張ったなぁ~!パパ見てたぞ~蛍の活躍!」
 右京さんが蛍ちゃんを抱きかかえながら言った。小柄な蛍ちゃんだが、妙に落ち着きがある。何歳なのだろうか?そんなことより、昴は「僕が狙いだったんだね」と言っていた。それはどういう意味なのか?昴の方を見ると、池の近くに座り込んで何かを見ていた。俺は昴に近寄り、あの言葉の意味を聞こうとした。
「なぁ、昴。お前、自分が蛛螺に狙われていること知ってたのか?」
「え?あぁ、うん。ある人が僕を殺そうとしたみたい。ちょっと前までその人のスパイをしてて、取れるだけの情報を盗んだままこっち逃げてきたから、たぶん殺そうとしてたんだと思う。今回、蛛螺に施された細工が、その人の呪にそっくりだったんだ」
 俺はそれを聞いてあることを思い出した。あの雨の日に、ゼロから聞いた話を。
「そのある人って、御影ってヤツか?」
「そう、知っていたんだね」
 やはりそうだったか。御影とは、呪術師の間で要注意人物とされている中年の男だ。俺もそうだが、名前は知っていても、まだ顔を見たことのない人の方が多いらしい。
「昴さん、しぐるさん、そろそろ解散にしましょう。皆さん、お疲れでしょうし」
 ゼロが欠伸をしながら言った。そういえば今何時なのだろう?腕時計を見ると、もうすぐ夜の十時になるところだった。蛍ちゃんも右京さんに抱かれて寝てしまっている。
 俺は鈴那の方を見た。彼女は十六夜さんと何かを話していた。俺とゼロと昴以外はもう集まっている。
「鈴那~、お疲れ」
 俺が駆け寄りながらそう言うと、鈴那がこちらを見た。
「しぐ~!からだ大丈夫?そっちこそお疲れさま!」
 鈴那はそう言いながら俺に手を振ってきた。俺も手を振り返しながら言葉を返す。
「ああ、なんとか。ありがとう」
 俺が鈴那の前まで来ると、彼女は俺の頬にそっと手を触れさせた。少し、ドキドキする。
「しぐ、ほっぺに泥付いてる。ひひひっ!」
 そんなことだろうと思った。実に鈴那らしい。
「あはは、ありがと」
 一応拭き取ってくれたので礼を言った。
「さ、そろそろ帰ろう。蛍も寝ちゃってるし」
 右京さんが寝ている蛍ちゃんに微笑みながら言った。
「そうね、帰りましょ」
 十六夜さんもニコリとわらって言った。露も眠たそうにしている。
 ついさっきまで夜空を彩っていた花々はもう消え、静かな夏の夜空が広がっていた。月明りに照らされた木々は、会話をするかのように風で揺れており、少し気味が悪い。だが、それでも、こんな現実離れしたことも、たまにはいいかなと思った。

 虫や蛙の鳴き声と、微かな風の音だけが聞こえる。前を歩くしぐるさんたちとは少し離れた位置で、隣の昴さんと会話をしている。
「しぐるさんの能力、あれは、僕も初めて見ました」
「なるほど、それじゃあ、ついに目覚めたってことだね」
「はい、恐らくは。それで昴さん、しぐるさんに、御影のことは話したんですか?」
「いいや、御影の話はしたけど、例のことは、まだ」
 例のこと・・・それをしぐるさんが知ったら、きっとショックを受けてしまう。だから、まだ話すときではない。今はただ、この環境に慣れて、色々なことを楽しんでほしい。きっと、鈴那さんもそれを望んでいるだろうから。お面越しに満天の星空を見上げ、そんなことを願った。

海中列車(前編)

「なんとか、お願い出来ませんかねぇ・・・」
 八月初旬、探偵事務所を訪ねてきた中年の男性が、怪異絡みの依頼を持ち込んできた。
「そうですねぇ、とりあえず、島内を調べさせて頂けますか?」
「勿論です!では、承けて頂けるのですね!」
 どうやら、交渉が成立したようだ。
 依頼を承けたのは、十六歳の高校生呪術師、神原零だ。
 彼は、皆からはゼロと呼ばれており、呪術師界では名のある神原家の後継ぎであり、その才能を認められ、若いながらに怪異探偵として探偵事務所を営んでいる。
 しかし、流石に怪異探偵事務所と大っぴらには公表出来ないため、表向きには古本屋ということになっている。
 そんな彼が、今回引き受けた依頼は、龍臥島(たつがとう)公園で噂されている“海中列車”を調査してほしいというものだ。
 事務所を訪れた男性は、その公園の管理人で、“海中列車”の噂は、公園の利用者から聞いたそうだ。
 龍臥島公園とは、俺達の住む街の隣街にある小島を開拓して造られた公園で、地元民からは良い散歩コースなどとして、利用している人も多いらしい。
 ちなみに、島と陸との距離はそれほど離れてはいないため橋で繋がれており、利用可能時間内は自由に往来出来るようになっている。
 聞いた話によれば、公園内にある堤防を歩いていた利用者が、電車の汽笛のような音が聴こえたので、その方向に目をやると、コバルトブルーに輝く海面の直ぐ下を電車が走っていたそうだ。
 日光が海面に反射してよくは見えなかったが、あれは確かに電車だったと言っており、これと同じような目撃証言は多数あるらしい。
「出来れば、明日にでも調査をお願い致したいのですが、ご都合宜しいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。では明日、助手を連れてお訪ね致します」
 こうして二人の会話は終わり、クライアントの男性は帰っていった。
「なぁ、龍臥島公園って、なんか伝説がなかったっけ?龍がなんたらとか言って」
 高校二年の夏休み、今まで事務所の隅の椅子に座り、焼そばを食べながらゼロと男性の会話を聞いていた俺は、ゼロに龍臥島に纏わる伝説について話を切り出した。
「あ~、龍臥島は殆どが岩山で、その中に龍神が眠っているみたいな伝説がありますね。今回の事件と、何か関連性があるのでしょうか?」
「そう、それなんだよ!例えば、その龍神が目覚めて、電車に化けて海の中を走ってるとか。或いは、目覚めて海を泳ぐ龍神を、公園の利用者が電車と見間違えたか」
「それは無いと思います」
 俺の言ったことを、ゼロはあっさりと否定した。
「前者の場合は否定出来ませんが、龍って電車に化けられるんですかね?よく分かりません。後者の場合、複数の目撃者がいる中で、一つも龍に見えたという人はいません。これだけの確率で、目撃者全員が龍を電車と見間違えるのは無理があります。そもそも、眠っていた龍が目覚めた時点で、島、または島周辺に異常が起きないわけがないんですよ。つまり、前者の方も確率としては極めて低いんです」
 成る程。確かに、島に眠っていた龍が目覚めたことで起こった異常が海中列車の出現だけというのは可能性が低い。
「まぁ、とりあえず、現地調査してみないとわからないよな」
「はい。明日、僕としぐるさんと鈴那さんで行ってみましょう」
 明日、俺達は“海中列車”の謎を探るべく、隣街の龍臥島へ行くことになった。

 帰り道、暫く歩いていると、少し先に見知った人を発見した。
「長坂さん!」
 俺はその人の名前を呼び、駆け寄っていった。
「おぉなんだ、しぐるか」
 長坂さんとは、うちの近所にある神社で神主をしている中年の男性である。
 外見は渋く、かっこいい感じの人で、着物を着ており、中身も優しい人だ。
 三年前、俺の妹の雨宮ひなが死んだ時も、長坂さんが俺のことを慰めてくれた。仕事が忙しいという理由で、ひなの死を哀れもうともせず、俺を家に一人残して行ってしまった親父の代わりに面倒を見てくれたのも、この人だった。
「長坂さん、こんなところで何してるんですか?」
 長坂さんは、寂れたマンションの前に呪術用の紙人形を持って立っていた。
「あぁ、ちょっと仕事を頼まれてな。お祓いだ」
 長坂さんは紙人形を隠すように袖に入れ、少し皺のある顔で微笑んだ。
「お祓い…?長坂さん、神主なんだから、いつもの服着ないんですか?あの、狩衣と袴着て、烏帽子被ってる長坂さん、かっこいいですよ?」
 俺は冗談混じりに、それでいて、少し真面目な質問をしてみた。
 すると、長坂さんは「アハハ」と困ったように笑い、こう言った。
「今日はただの下見さ。神主姿で行くと目立つからな。あ、こいつも念のための護身用だ」
 そう言って長坂さんは、さっき袖に仕舞った紙人形を取り出した。隠したように見えたのは、俺の気のせいだったようだ。
「そうでしたか。ついでなので、何か手伝いましょうか?」
 俺がそう言うと、長坂さんは頭を振った。
「いや、今回はいい。お前は家に帰れ、露ちゃんが待っているだろうに」
「そうですね、では」
 俺は長坂さんに軽く一礼をして、再び帰路に着いた。露が待っている家を目指して。

 家に着き、玄関の戸を開けると、靴が一足多く置いてあることに気付いた。
 俺のスニーカーは、まだ俺が履いている。玄関には、俺のサンダル、今は海外におり、家には居ないが、親父のサンダル、露の草履・スニーカー・サンダル、それと…もう一足ある。
 何処かで見たことのあるような気もするが、無いような気もする。誰のだ?
 あ、思い出した!
「旦那様~、おかえりなさい!」
 と、居間の方から露が出迎えてきた。
「ただいま、露」
 露は俺の義妹で、二年前、一人だった俺が可哀想だと思ったのか、身寄りの無い露を親父が引き取ったのだ。現在、歳は十三歳。ひなが生きていれば、同じ年齢だった。因みに、なぜ俺のことを旦那様と呼ぶかというと…まぁ、色々あったわけだが、俺の仕業だ。
「しぐ~!おかえり~!」
 露の後に居間の方からやってきたのは、城崎鈴那だった。
 鈴那は、俺をお祓いの道に引きずり込んだ張本人であり、俺の彼女でもある。
 しかし、なぜ彼女が俺の家に?
 それを訊くと、ただ遊びに来ただけらしい。
 全く、相変わらず自由気儘なネコみたいなヤツだ。そういうところが、少し可愛いと思うのだが。
「丁度良かった。鈴那、明日なんだけど…」
 俺は、先程ゼロから告げられた明日の予定について話そうとした。
「あ~、龍臥島のこと?」
「なんだ、知ってたのか。」
「もう知ってるよ。ゼロがグループでメッセージ送ってたじゃん」
 俺はポケットからスマホを取り出し、画面を見た。すると、「神原探偵事務所」という名前の付けられたグループチャットに、ゼロが明日の予定を書き込んでいた。
「そんなことよりさ~、しぐ宛になんか届いてたみたいよ?」
 鈴那がそう言うと、露が思い出したように居間へ向かい、封筒のようなものを持って戻ってきた。
「これです」
 渡された封筒を見ると、「日本呪術師連盟」と書かれている。
 わかった、合否の通知だ。
 よくわからないが、どうやら日本呪術師連盟とかいうものがあるらしく、俺は公式な呪術師になるため、この前、その呪術師連盟のT支部で面接を受けたのだ。
 因みに、T支部と呼ばれているが、正式には東海支部であり、本部は関東地方のどこかにあるらしい。どこかは分からないけれど。
 面接はごく普通であり、わりとあっけなく終わった。それにゼロが言っていた。合格にしてくれると。
 ゼロの父親は、T支部の支部長で、どうやら俺に呪術師になってほしいと言い出したのは、そのゼロの父親だったのだそうだ。
 俺の祖父が有名なお祓い師だったので、俺にもその業界へと来てほしかったらしい。
 つまり、もう封筒の中身は見なくても知っている。
 俺は封筒を開き、中の書類を取り出した。
 “合格”
 そこには、そう書かれていた。
「…だろうな」
 俺は何となく呟いた。
「あ、おめでとー!」
 と、鈴那。
「え?合格ですか!おめでとうございます!」
 と、露。
 封筒の中には、呪術師の免許証が同封されていた。
 裏で、ゼロの父親の権力が使われていることを知らない露が一番喜んでくれた。
 それでも、少しだけ嬉しかった。なんだか、亡き祖父の後を継げるみたいで、胸がワクワクした。そして、死んだ妹のためにも。
 さて、これで呪術師としての活動が出来るようになったわけだ。因みに、呪術師の免許を未取得の場合でも、それなりの能力を持ち合わせていれば、助手やアルバイトとして、呪術師の下で働くことは可能だ。しかしそれでは、個人的に収入を得られるわけではない。
 だが免許を持っていれば、誰かの下に付かずとも、個人で活動することが可能になるのだ。
 そんなわけで、俺は個人で活動できるようになったのだ。
 とはいえ、まだそんなつもりはない。免許を持っていても、所詮は素人なのだから。
「よ~し!私、今日は頑張っちゃいます!夕ごはんいっぱい作りますね!」
 俺の合格祝いのつもりだろうか、露が張り切っている。嬉しい。
「やったぁ~!あたし楽しみ~!!」
 なぜか俺より先に鈴那が喜んでいる。うちで夕飯を食べていく気なのだろうか?
「鈴那、今日うちで食ってくのか?」
「うん!しぐの合格祝いだよ!好きな人の合格を、その彼女が祝わないでどうすんのさ~!」
「あ、あぁ、ありがとう」
 照れ臭いことを言われたが、おそらく、露の作る夕飯を食べたいだけだろう。
 今夜は賑やかになりそうだ。

 ○

 三十分前…
 八月初旬の昼下がり、私は、雨宮しぐるの家を訪ねた。雨宮しぐるは私の彼氏で、かっこいい。かっこいいんだ。
 私は、彼のことをしぐと呼んでいる。しぐとは、付き合い始めて、まだ一週間も経っていない。私は、彼のことを三ヶ月ほどストーキングしていた。それは、決して不純な動機ではなく、呪術師のゼロに頼まれてのことだった。
 好きになった理由は、彼を放っておけない。そう思ったから。見ているとどこか危なっかしくて、誰かがついていないと直ぐに消えてしまいそうなんだ。だから気に入ってしまったのかもしれない。ただ、もっと大事な理由があった気がするのに、それを思い出せない。私の勘違いかもしれないけれど。
 そして、時期を見計らい、しぐに話し掛け、夏祭りの日、私が「好きです」ということと「友達になってください」という想いを彼に伝えた。すると彼は「ちょっと待て、今から付き合うんじゃないのか?俺たちって、まだ友達にすらなっていなかったのか?」などと言い出し、「え、じゃあ…」という感じで、私たちは付き合うことになった。なんか、適当だ。けれど、それでよかったのかもしれない。それに、私はしぐを愛してる。しぐは、どうかわからないけれど!
 おそらく、しぐも私を好きでいてくれてると思う。だって、彼は私が寂しいとき、私に優しくしてくれるから。しぐは基本、誰にだって優しい人だけれどね!
 それはさておき、なぜ私がしぐの家を訪ねたかというと、露ちゃんに用があったんだ。
 露ちゃんは、しぐの義理の妹ちゃん。水色の長くて綺麗な髪が印象的な、可愛くてしっかりした女の子だ。
 ピンポーン。
 私は門の隣にあるインターホンを鳴らした。
「はーい!」
 直ぐに、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
「あ、露ちゃん?鈴那だよ!」
「あ、どうぞ~!」
 私は門を開き、玄関まで続く甃の上を歩いて、しぐの家の玄関を開いた。
「お邪魔しま~す」
「いらっしゃいませ」
 玄関には、露ちゃんが出迎えてきてくれていた。今日は水色のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っている。
 普段は水色の着物を着ているけれど、最近はそれ以外の服もよく着ると、しぐが言っていた。女の子だから、オシャレをしたい年頃でもあるのだろう。
 私だって同じだ。オシャレして、しぐに見てもらいたい。
「どうぞ、お上がりください」
 居間へ通されると、露ちゃんが麦茶を出してくれた。
「お疲れ様でした。お暑かったでしょう?」
「あ、うん!ありがと!」
 礼儀正しい子だ。しぐが羨ましくなる。
「旦那様、出掛けちゃってます」
 露ちゃんは申し訳なさそうに言った。
「あ、いいのいいの!あたし、今日は露ちゃんに用があったの」
「へ?私にですか」
「そう、ちょっと訊きたいんだけど」
 私は麦茶を一口飲むと、会話を本題へ移した。
「あのさ、しぐの二重人格って、いつからなの?」
 実は気になっていたが、訊いて良いものなのか迷っていた。露ちゃんは少し難しい顔をしてから、こう言った。
「う~ん、私が来たときには、もう解離の傾向があったので、おそらく、私が来る前からです。わからなくてすみません」
 私は、露ちゃんに「いいのよ、ありがとう」と言い、少し考えた。
 もし、しぐの二重人格が、妹ちゃんの無くなった直ぐ後に出たものなら、何らかの関連があるかもしれない。そう思ったのだ。
「あ、でも旦那様、私が家に来る半年くらい前から、それっぽくなっていたとか言ってましたっけ。詳しくは知りませんが」
 露ちゃんが思い出したように言った。やっぱり関係があるのかもしれない。何か解決策があれば、少しでも彼の負担を無くしてあげられるのに。余計なおせっかいになってしまうかもしれないけれど。
「それと・・・」
 私はもう一つ話したいことがあり、それを言いかけたが、少し躊躇した。
「なんでしょうか?」
 露ちゃんが首を傾げた。
「い、いやぁ、あの、露ちゃんさ・・・自覚ある?」
 しまった。躊躇していたせいで全く意味の不明な質問になってしまった。
「自覚?何のですか・・・?」
 露ちゃんは少し怪訝そうな表情を浮かべた。
「え・・・あ、あのね、露ちゃん、その能力のこと、しぐは知ってるの?」
 今度は直球過ぎたけれど、露ちゃんは思い当たったような顔をした。
「あぁ、私のですか?いいえ~、秘密です」
「よかった~自覚はあったのね、それなら話が早いよ~」
 露ちゃんと最初に会った時から気付いていたんだ。霊感はそこまで強くないのに、何か不思議な念を感じた。その正体までは分からなかったものの、ゼロに話したら彼も興味を示していた。この前、夜祭後の妖怪封印儀式に連れて行ったのも、少し試したかったからだ。案の定、彼女は霊的なものへの恐怖心を然程抱いてはいなかった。
「それで、その力は昔からあったの?」
「はい、私のおばあちゃんも同じ力を持っていて、小さい頃は時々その力で遊んでいたんです。けど、その能力が他の子たちには無いものだと知ったときから少し怖くなって、それ以来、力を使うのは控えてるんで。」
「露ちゃんのパパとママにその力は無かったの?」
 私がそう訊くと、露ちゃんは少し切なげな顔をした。
「私が小さい頃、お母さんとお父さんが離婚しちゃって、その後すぐにお母さんは病気で死んじゃったので、おばあちゃんと二人で暮らしてたんです。それでおばあちゃんも居なくなっちゃったので、今は、ここにいます」
「そっか・・・なんか、ごめん」
 申し訳ないことをしてしまっただろうか。
「いえ、いいんです」
 露ちゃんも色々大変だったのかな。おばあちゃん、きっと良い人だったのだろうな。
 ふと、私のスマートフォンが短く振動した。画面にはゼロという名前と共に、何か文章が表示されていた。
「あれ?ゼロから何かきた」
 メッセージを開いてみると、仕事についてのことのようだった。
 どうやら明日、ゼロとしぐ、私の三人で仕事をすることになったらしい。遊びたかったけれど、お金もほしいから丁度よかったかもしれない。
「あっ、そうだ!」と、露ちゃんが何かを閃いたようにニコニコしながら言った。
「今夜、鈴那さんもうちで晩ごはん食べていきませんか?」
「えっ!いいの?!」
「もちろんです!楽しくなりそうです!」
「やったぁ!食べる食べる~!」
 私は兎に角嬉しかった。露ちゃんのごはんを食べてみたかったし、しぐと一緒に食べれるのが嬉しすぎる。今夜は賑やかになりそうだ。
 そんなことを考えていると、ガラガラガラッと、玄関の戸が開く音がした。
「あ、旦那様です!」
 露ちゃんはそう言って、立ち上がり、玄関の方へと歩いて行った。
「旦那様~、おかえりなさい!」
「ただいま、露。」
 しぐの声が聞こえてくる。私も出迎えに行こう。そう思い、立ち上がって玄関へと向かった。
「しぐ~!おかえり~!」
 照れ隠しに、少しだけ大きめの声で言った。

 街全体に夕方五時のチャイムが鳴り響く。
「どうも、本日はよろしくお願いします」
 龍臥島公園の管理人である脇田さんは、公園を訪れた俺達にそう言って一礼をした。
「こちらこそ、お世話になります」
 それに対し、ゼロも一礼をする。次いで俺達も頭を下げた。
 脇田さんは、昨日探偵事務所を訪れた男性で、この龍臥島公園を管理しているのは、この人の他にあと五人いるらしい。
「夕方の六時に閉園するので、それまで、建物の中でお茶でも飲んでいってください」
 脇田さんはそう言うと、俺達を管理棟の中へと案内してくれた。どうやら、調査は閉園後に行うらしい。
 管理棟は橋を挟んで島の対岸にあり、すぐ隣にある閉鎖門の開閉は、ここで行うらしい。中に入ると応接間のような部屋へ案内され、お茶と饅頭を出してくれた。
「ご丁寧にどうも、わざわざすみません」
 ゼロが申し訳なさそうに言う。脇田さんは「いえいえ」と言いながら笑顔で首を横に振った。
「祓い屋さんに仕事の依頼をするなんて初めてなので、どうしたらよいかわからないことだらけで。本当に、今日はよろしくお願いします」
 この人、本当に穏やかで優しそうな人だ。既に仕事の話そっちのけで饅頭を口へ運んでいる鈴那に何も言おうとしない。
「すみません、まず、うちの事務所の存在はどうやってお知りになられたのですか?」
 ゼロが脇田さんに訊ねた。確かに、普通は知っていて良いことではないだろう。霊や妖怪という、本来見えざることのないものを専門としているのだから。
「はい、お話は顔見知りの女の子から聞かせていただきまして、中学生の子です。神原さんのことをよく知っていたようですが」
 脇田さんがそう言うと、ゼロが何かを納得したと同時に苦笑いをした。
「あ~、またあの子ですね。よくうちのことを頼んでもいないのに宣伝してくれるんですよ。おかげで助かってますけどね」
 どうやら、ゼロの知り合いから紹介されたようだった。
 その後、俺たちは脇田さんと簡単な打ち合わせを済ませ、閉園時間を過ぎた頃、管理棟を出て公園内の見張りを始めた。
「ここで、件の列車が目撃されてるのか」
 俺は欠伸をしながら言った。真面目な話が続いたため、少し退屈になってしまったのだ。鈴那なんて話の途中からほぼ俯いていた。真面目に打ち合わせをしていたのはゼロだけだ。俺が言うのも何だが、このメンバーで大丈夫なのだろうか。
「はい。普通にいい景色ですよね」
 確かに、悪くない眺めだ。ふと、俺はさっきの話で気になったことを口にした。
「あっ、ところで、脇田さんに事務所のこと紹介した子って、もしかして・・・」
「ああ、しぐるさんも会ったことありますよね。そうです、あの子ですよ」
 以前俺が探偵事務所の番を任されたとき、雨の中を走って駆け込んできた少女がいた。どうやら、神原探偵事務所の噂を広めているのはその子らしい。
「やっぱりそうだったか。まぁ、良いんだか悪いんだかわからないけど」
「そうですね、とりあえず・・・」
 ゼロが話すのを止めたとき、俺もその嫌な気配を察して総毛立った。
「ん~?なに、二人ともどうしたの?」
 鈴那はそう言った後、少し遅れて気配に気づいたようで一気に顔色を変えた。
「何なんだ、この感じ・・・」
 俺が誰に訊ねるわけでもなくそう呟くと、ゼロは身構えながら短く答えた。
「黄昏時」
 人間と人ならぬモノの世界が交わる時間、黄昏時が近くなっているのだ。しかし、それにしてもこれほどまで唐突に気配が強くなるものなのか。さっきまで俺たちは何の気配も感じていなかった。何かがおかしい気がする。
 身構える俺たち三人の周りを、何かの気配だけが行ったり来たりしている。それも一つや二つだけではない。もっと多い。かなりの数が居るような気がする。しかし姿は見えない。そのことが余計に恐怖心を煽り、嫌な汗をかく。
 しばらく無言のまま身構えていると、視界の奥にある浜辺の右側の立入禁止看板が立てられている岩場の方から、人型の“なにか”が、ノソノソと前のめりで歩きながら現れた。その“なにか”は、人間のミイラのようで背が異様に高く、目は生気のない魚のようで、数秒間立ち止まって俺たちの方を一瞥すると直ぐに前を向き直り、またノソノソと歩き始めた。気付けば、それが向かう先には人が・・・いや、霊がいた。いつの間に現れたのだろうか。
 人型のバケモノは霊の前で立ち止まると、大口を開けてそれの頭に食らいついた。
「霊を、食べた・・・?」
 ゼロが目を見開いてそう呟いた。
 やがて人型のバケモノは霊を丸呑みすると、元来た道を戻り、岩場の奥へと消えて行った。
 ・・・
 しばらく俺たちは呆然としていた。ふと我に返った頃には周囲の気配は薄くなっており、空も少し暗くなっていた。
「さっきの、何だったんだ?」
「さぁ・・・見たこと、ありません」
「あたしも、初めて見た・・・」
 あまりの予想外な展開に、疑問を口にすることしかできなかった。海中列車の調査をしに来たはずが、まさかあのようなバケモノと出くわすことになるとは。あれはヤバい。素人の俺が見てもはっきりわかった。
 その後も無言で立ち尽くしていた俺たちだったが、不意にゼロが静寂を振り払った。
「まぁ、かなり、すごいことが起こりましたね。ちょっと予想外のことが起きたので、今日はもう脇田さんに事情を話して解散しましょう」
 正直、俺も鈴那も疲れていたのでそれに賛成し、管理棟へ向かおうと足を踏み出したその時、「あっ!」と、鈴那が声を上げた。俺とゼロが鈴那の指さす方を見ると、そこには、薄っすらと光を放つ列車が海上をゆっくりと進んでいた。
「か、海中列車・・・!?」
 思わず俺も声を上げた。海中列車は怪しい光を帯び、少しずつ沖の方へと向かっている。
「遂に出たかっ!」
 ゼロは手で印を切るような仕草をとり、最後に両腕を前に出してクロスさせた。すると、海上を一瞬雷のようなものが走り、海中列車の周囲に半透明な長方形の結界が張り巡らされた。
「列車からすごい霊気を感じます!間違いなく霊的なものでしょう!しぐるさん、鈴那さん、僕の援護をお願いしま・・・」
「無駄だ」
 ゼロの言葉を遮ったのは、俺だった。いや、俺ではあるが、俺ではない。いつの間に切り替わっていたのか。以前のときと同じように、俺は俺で意識がある。解離した人格と意思を共有できているのだ。
「お前の結界じゃ、そいつは抑制できない。況してや除霊することも不可能だ」
「しぐるさ・・・違うな、誰なんですか」
 ゼロは俺を睨み付けた。見たことのない表情だ。
「しぐ!?ねぇ、しぐじゃないなら誰なの!?」
 鈴那も海中列車そっちのけで俺を見ているが、その目はどこか不安そうだ。
「俺は雨宮しぐるさぁ。しぐるのもう一つの人格だ。ただ、最近は力が戻ってきたから完全に起きていられるようになってな。悪いがもう今の俺はしぐるではない」
 俺は二人にそう言い終えると、俺の方に意識を向けた気がした。今の俺は、もう一人の俺の中に居る。そのせいだろうか。俺へ意識を向けたことがわかったのだ。
「ん?なんだ、俺が目覚めたのにまだ起きてんのかぁ。なぁに、少し話するだけだ。お前は大人しく寝てろ」
 俺の声が遠くなっていく。ゼロと鈴那が、何かを言っている声も聞こえるが、それも、もう・・・
 そこで、俺の記憶は途絶えた。

「あんた、誰なのさ」
 鈴那さんはしぐるさんの身に起きている状況を知らない。悪いが、今は僕もそれどころではない。海中列車の力が予想以上に強いのだ。そろそろ結界が破られる・・・。
「ほら、だから言っただろ。お前じゃそれには勝てない」
「うるさいです・・・集中してるじゃないですか・・・っ!?」
 列車は僕の結界を破り、角度を下に向けてそのまま海の中へと消えていった。
「まぁ、よくやった方だろう。流石は神原家の跡取りだな」
 そいつはそう言って、僕に拍手をしてみせた。
「ふざけないでくださいよ。僕だって、まだ本気を出してるわけじゃないんですから。それと、あなたの名前を教えてください。あなたのことをしぐるさんと呼ぶには、少々気が引けます」
 そいつはしぐるさんの顔で笑った。目が紫色に薄く光っている。
「アッハッハ、おいおい、人の子のくせに俺の名前を知りたいのかぁ。本名を教えることはできないが、そうだなぁ、サキとでも呼んでくれ」
「それではサキさん、あなたは、なぜしぐるさんの体に、もう一つの人格として憑依していたのですか?」
「そうよ!あんた、しぐから離れ・・・」
 鈴那さんは言葉を途切らせたと思うと、その場に倒れ込んだ。
「鈴那さんっ!」
「安心しろ、ちょっと強めの妖気を当てて気絶させただけだ。女に乱暴はしない」
 サキさんはニヤリと不気味な笑みを浮かべ、続けてこう言った。
「それとお前、俺の正体知ってただろ」
 確かに、僕はしぐるさんの二重人格の正体を知っていた。しぐるさんをこの業界へ入らせた理由の半分がそれだと言っても過言ではない。しぐるさんの中にいるこの怪物を、僕の監視下へ置くためだ。
「そうですね。僕はあなたを知っていた。けど、あなたがしぐるさんで何をしようとしているのかまでは知らない。目覚めるまで待ってましたけど、質問に答えてくれますか?なぜあなたはしぐるさんの中に?」
「それはまだ教えられないなぁ」
「そうですか、まあいいです。話してくれるまで気長に待ちますよ」
 僕がそう言うと彼は目を細めた。
「お前、なにが目的だ」
 彼の気配が強くなる。妖気を出しているのだ。
「目的?サキさん、あなたは僕を少し勘違いしているようですね」
 僕は右手に妖気を集めた。幼少期から日向子さんという妖怪から修行を受けていたので、簡単な妖術なら使うことができる。妖力を練り固めて刀を作り、それを霊力でコーティングする。これが僕の武器だ。
「あまりしぐるさんのことを傷付けたくはないんですが」
「ちょっとした腕試しさ」
 サキさんはそう言って体から妖気を放出した。それは大きな黒い蛇のようになり赤い舌をシュルシュルとさせながら紫色に怪しく光る眼で僕を睨み付けた。その瞬間、僕の体は金縛りにあったかのようにピクリとも動かせなくなってしまった。何かが圧し掛かるような感覚、重い・・・視界がぼやける。
「立っていられるのがやっとって感じかぁ。おいおい、もう少し楽しませてくれよぉ」
 信じられない、僕が睨まれただけで動けなくなるなんて。
「そんな顔すんなって、動けなくなって当然だ。ほらっ」
 彼がそう言ったと同時に、僕の体は自由を取り戻した。黒い蛇はその形を崩し、やがて消えて行った。
「悪い、そろそろ限界だ。またな」
 そう言って彼はその場に倒れた。僕もその場にへたり込んだ。
「・・・バケモノだ」
 僕は力なく呟いた。

 その後は大変だった。
 なんとか鈴那さんが目を覚ましたものの、焦点の定まらない目でボーっとしており、歩くにもフラフラとして危なっかしい。
 珍しく家にいた父さんに車を出してもらい、僕は鈴那さんに肩を貸して車まで連れて行った。しぐるさんは脇田さんが運んでくれた。脇田さんには事情を話し、また明日の夕方に調査をすることになった。
 帰りの車中で、僕は父さんに先ほどのことを話した。鈴那さんも一緒だったのであまり密な内容までは話さなかったが、少し腹が立っていたせいで冷静さが欠けていた。
「睨まれただけで動けなくなったんだ。僕が、僕が・・・くそっ!」
「零、 少し落ち着け。勝てなくても仕方がない相手だ。お前はよくやったよ」
 父さんは静かにそう言った。神原雅人、それが父さんの名前だ。
 普段、父さんとは仕事以外で話すことが少ない。最近は特に仕事が忙しく、家に居ないときが少ないので滅多に会わない。
「父さん、あんなものが憑いたまま平然と生きていられるしぐるさんは何者なの?物凄い妖気だった。手も足も出なかった」
「しぐるくんのことについては何も言えないが、零、あまり無茶をしない方がいい」
「だって!神原家の当主に相応しい祓い屋にならなきゃ、今の地位を維持できるかわからないじゃない!」
「それはそうだが、零、お前は俺に出来ないこともできるじゃないか。俺は妖力を持っていないが、お前は妖力が使える。いくら日向子さんの教え方が上手くても、人が妖力を使えることは少ない。あまり焦らなくても、これから強くなれるさ」
父さんは励ますように微笑みながら言った。その目はどこか疲れているようだった。
「・・・ごめん。疲れてるよね」
 僕が謝ると、父さんはフッと笑った。
「大したことはない。上がうるさいからな」
「上って、本部のこと?」
 父さんはそうだと頷いた。
「まったく、何を企んでいるのかわからん。別にやましいことでは無いと思うが、この前本部の人間が来たときに意味深なことを言っていたからな」
「意味深なこと?」
「うむ、雨宮家の若旦那さんと言っていたが、つまりはしぐるくんのことだ。彼には注意しておけと」
 注意しておけ。その言葉を聞いて、後部座席のしぐるさんを見た。まだぐったりとしており、やっと意識が戻ってきた鈴那さんの膝枕で寝ていた。鈴那さんは後ろを向いた僕と目が合うと、きょとんとして首を傾げた。別に羨ましいだなんて思っていない。ただ、彼に注意しろという警告が、どういった意味なのか。漠然としているが、何かとても重要なことのように感じられた。
「ゼロ」
 不意に鈴那さんが僕の名前を呼んだ。
「はい」
「しぐは、大丈夫だよ。ちゃんとあたしが見てるから。おっちょこちょいで、照れ屋さんで、ちょっとだらしないけど、優しくて頼れる人だよ。だから大丈夫、あたしが守るから」
 鈴那さんの表情は、まるで母親のようだった。きっと、彼女の母親のあんな笑顔で鈴那さんのことを見ていたのだろう。
 しぐるさんの家に着くと、僕と鈴那さんが車から降りてインターホンを押した。電気はまだ点いており、直ぐに露ちゃんが出てきた。
「遅くなっちゃってごめんね、しぐるさん、疲れて倒れちゃったんだ」
「あわわ!大変です!あの、大丈夫なんですか?」
 露ちゃんは血相を変えてそう言った。本当に申し訳ない。
「気を失っているだけさ、そのうち目が覚めるよ」
 父さんがそう言いながらしぐるさんを背負ってきた。
 しぐるさんを部屋まで運んで寝かせると、僕と父さんだけが車に乗った。
「鈴那さん、ほんとにいいんですか?」
「うん、今夜はしぐの家に泊まるよ。心配だし」
 そう言って彼女はまた微笑んだ。その笑顔は儚げで、とても優しいものだった。

海中列車(後編)

 夢を見た。薄暗い世界の中、二つの目が紫色に光り、こちらを視ている。そいつは、口からシュルシュルと赤いものを出し入れしている。蛇だ。

「よぉ、相棒。気分はどうだ?」

 そいつが俺に話しかける。俺はそいつのことをよく知っている。

「最悪だ」

「そうかそうか、なぁ、今回のヤツはなかなかやべぇぞ。いざという時になったら俺を出せ。じゃねぇとお前の仲間が危ねえぞ」

「わかったよ、そうする」

「ほんとかよぉ、この夢はお前が目覚めたら覚えてるか分からねえんだぜ?」

「大丈夫、だと思う」

「・・・そっか。まぁ、とにかく気を付けろよ」

 目が覚めると、俺は自室で寝ていた。
 確か、ゼロたちと龍臥島で・・・。
 布団で寝転がっていると、徐々に記憶が蘇ってきた。俺は、また倒れたのか。
 今は何時なのだろう。時間を確認しようと思い、時計の方を見る。午前九時過ぎ。もう起きなければ。
 自室を出て居間へ向かうと、誰かの話声が聞こえてきた。義妹の露と、もう一人誰か居る。襖を開けると、その人物が誰なのかすぐにわかった。
「鈴那!お前・・・随分早いな」
「あ、おはよーしぐ!体調どう?」
「あわわ!おはようございます!大丈夫ですか?」
 鈴那の存在に驚いた俺はただでさえ慌てているというのに、寝起きで急に心配されたら余計にあたふたしてしまう。昨日はそんなにやばかったのか俺は・・・
「あ、ああ、もう大丈夫だから。ってか鈴那、なんでうちに居るの?」
 俺がそう訊くと鈴那はアハハと笑って答えた。
「あたしね、昨日はここにお泊りしたの~!」
「なんだぁそういうことか~・・・え、お泊り!?う、うちに!?」
 鈴那の口から発せられた“お泊り”という言葉に驚いていると、鈴那は話を続けた。
「だって~しぐのことが心配だったんだもん。それに昨日はゼロのパパさんが車で送り届けてくれたんだから、あたしの家まで行ったら時間かかっちゃうでしょ?」
 知らなかった。いや、知ることができなかった。昨日、俺は気を失っていたせいで途中から何があったのか全く覚えていない。ゼロの親父さんが来ていたなら挨拶ぐらいしておきたかった。
「そうだったのか。まぁ、心配かけて悪かったよ。ちょっと、シャワー浴びてくる」
 そう言って俺は居間を出た。鈴那の服装が昨日と変わっていないことには、敢えて触れないように。

 シャワーを終えて居間に戻ると、露が少し遅めの朝食を用意してくれた。朝食を食べている時、鈴那から今日も夕方から龍臥島での調査があることを伝えられ、昨日起きたことも全て聞かせてもらった。
 鈴那は一通り話し終えると席を立った。
「じゃあ、あたしは一旦家に帰るよ!また後で、ゼロの事務所に集合ね!」
 そう言って彼女は手を振った。
「ああ、また後で」
 俺も手を振り返す。
 それにしても、鈴那から聞いたことの中に気になるのがあった。もう一人の俺についてだ。俺の中に何かが居ることは分かっている。昨日意識が途切れる前に、そいつの声を聞いた。
 だが、そいつが何者なのか、何が目的なのかなどは検討も付かない。それに、そいつはもう“俺”ではない。
 少し前までは人格が変わると気性が荒くなっていたが、解離中の記憶が断片的には残っていた。しかしここ最近のものは、まるで身体を何かに乗っ取られたかのような感覚だ。
 そしてもう一つ、俺はそいつのことを知っている気がする。名前も、そいつの名前も知っているような気がするのに、何故か思い出せないのだ。勿論、俺の勘違いである可能性もあるのだが。
 とりあえず、今はそんなことよりも目の前にある仕事が優先だ。
 海中列車と謎の怪物・・・俺は、ゼロたちの力になれているのだろうか。足手まといになっていないだろうか。どちらにせよ、今年の夏はいつもよりなんだか楽しい。そんな気がした。

 相変わらず、蝉たちが狂ったように耳障りな音楽を奏でている。そんな蝉騒から耳を塞ぐかのように、イヤホンで音楽を聴きながら炎天下の道を歩いている。
 目的の場所に着くと、ガラガラと入り口の門を開いて中へと入った。
「こんなボロいのにクーラー完備なんだな。」
 神原探偵事務所。俺が世話になっている一つ年下の祓い屋、ゼロの怪異専門探偵事務所だ。
「あ、しぐるさん。昨日はお疲れ様でした。体調、大丈夫ですか?」
 ゼロは心配そうな顔で俺を見た。
「ああ、今はもう何ともない。途中で意識無くして悪かったな」
 事務所にはすでに鈴那も来ており、それともう一人少女がいる。
「えっと、確か君は琴羽ちゃんだったっけ?」
 俺がそう訊ねると、少女はニコリと笑った。
「はい、零の妹の琴羽です」
 琴羽ちゃんとは初めてゼロの家に行ったとき以来会っていなかったので、改めて挨拶を交わした。
 するとゼロが「あ、そうそう」と、何かを思い出したかのように話し始めた。
「この前言ってた腕のいい情報屋っていうのは、琴羽のことですよ」
「え、そうだったのか!」
 以前、ゼロが情報を仕入れるのがあまりにも早かったので、どうやって情報収集しているのかと訊いたことがあった。まさか琴羽ちゃんがそうだったとは、意外だった。俺が驚いていると、琴羽ちゃんは照れくさそうに笑った。
「さぁ、メンバーは揃いましたし、そろそろ出発しましょう」
ゼロはそう言って、腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「ふゎ~・・・行こう行こう~」
 鈴那が欠伸をしながら言った。相変わらずだ。服は着替えたらしく、さっきと変わっている。
 なんだか、今年の夏は楽しい。そう感じた。

 現地に到着すると、管理棟の前に見たことのある顔の男が立っていた。彼は俺たちの存在に気が付くと、さわやかな笑顔で軽く手を振ってきた。北上昴。左目が瑠璃色の義眼で、歳は俺と同じだが少し背が高い。
「やぁ、みんな。蛛螺封印のとき以来だね」
「よぉ、お前も来てたのか。」
「僕が呼んだんです。やっぱり、僕らだけではどうにも・・・よくわからない怪物も出てきちゃいましたからね」
 ゼロが苦笑しながらそう言った。確かに、昨日現れたあのミイラのような怪物は異様な気を感じた。
「その怪物、昨晩ゼロくんから連絡もらったあとに調べてみたけど、僕も詳しくは分からないよ。ただ、少し心当たりがあってね・・・」
 昴は顎に手を当ててそう言った。
「心当たりですか?」
 ゼロが首を傾げる。
「うん、御影が似たようなものを飼っていたんだ。飼っていたというより、持っていたかな。彼の家には蔵があったんだけど、その中をこっそり覗いたときに、頑丈な結界の中に沈めて置かれていたんだ。沈静させているはずなのに凄まじい妖気を放っていて、直ぐに蔵を出たよ」
 御影。またこの名前が出てきた。一体何者なのだろう。
「そうですか・・・もし御影が関わっているとなると厄介ですね。とりあえず、そちらにも気を使いながら、まずは海中列車をなんとかしましょう」
 ゼロが難しい顔で言った。確かに、今回の依頼内容は海中列車の調査だ。それにしても、昨日感じた霊の気配は何だったのだろうか。今まで感じたことのない、尋常じゃない数だった。
「異常だ・・・」
 俺は思わずそう呟いた。
「ん?しぐ、何か言った?」
 鈴那がこちらに顔を向け、首を傾げている。
「いや、なんでもない」
 俺は頭を振った。
「ふ~ん」
 鈴那は特に追及するようなこともせず、ただそう言った。
「みなさん、そろそろ調査開始しましょう」
 ゼロがそう言うと、俺たちは目的地へ向かい歩き始めた。

 夕方の海辺、美しいようでどこか不穏な空気が漂っている。もうすぐ黄昏時だ。今日もあの気配は沸いてくるのだろうか。
「あっ!」
 不意に昴が声を上げた。
「なっ、どうした!」
 俺が咄嗟にそう訊くと、昴は視線を彼方此方に向けながら「いる」と言った。いるって、霊のことだろうか?俺は何も感じない。
「何が?霊なのか?」
「ごめん、そうなんだけど、しぐるくんはまだ見えない?見えなくても、何か感じない?」
「ああ・・・何も感じない」
 俺がそう言うと、昴は周囲に気を配りながらもう一度「ごめん」と謝った。
「僕、左目が義眼でしょ。実はこれ呪具の一種で、これのせいで霊がよく見えるんだ。恐怖という感覚が麻痺してしまうほど。」
 ゾッとした。どんなに霊感が強くても、全ての霊が見えるわけではない。それが昴には見えてしまうのだ。そして何より、俺の見えないところに霊がいるということに言い知れぬ恐怖を覚えた。
「昴さん、流石ですね。どんな感じですか?」
 ゼロが昴に訊ねる。
「特にこっちを気にする様子はないよ。でも悪意みたいなのを感じるし、数が多いね。今のところ三十以上はいる。どこから沸いてきたのか・・・。」
「そろそろ、来るかもしれないね」
 鈴那がそう言って身構えた。釣られて俺も身構える。
「しぐ」
 鈴那の呼びかけに視線を向ける。
「たとえそこに存在していたとしても、見えなければ何もない。虚無同然よ」
 その言葉にハッとした。そういえば、あの時も鈴那は同じことを教えてくれた。見えなければ影響を及ぼさない。虚無なのだ。
「そうだったな、ありがとう」
「見えるものだけ、見ていればいいから」
 彼女は軽く微笑みながら言った。
「来ますっ!」
 不意にゼロがそう言った直後、じわじわと何かの気配が周囲に沸き上がってきた。姿は・・・見える!昨日は気配のみで見えなかった者たちが、今はハッキリと目視できる。それは皆も同じようで、一様に驚いた顔をしていた。
「霊・・・だ・・・」
 ゼロの表情が険しくなり、何かの構えをとった。その瞬間、背後で汽笛のような音が鳴り響いた。それと同時に俺の身体の主導権は入れ替わる。
「海中列車かぁ」
 俺の声だ。俺ではない方の。今日はちゃんと意識がある。
「やっと出てきましたか、サキさん」
 ゼロが俺を睨みながら言った。サキとは、今の俺のことだろうか?
「よぉ、なんか大変そうじゃねーか。手伝うぜ」
 そいつは指を鳴らしながらそう言った。
「手伝うなんて、どういう風の吹き回しですか?」
「相棒の友人に手を貸すのは当然だろぉ。敵の敵は味方って言うしな。おい見てろ、これが俺だ」
 そいつの最後の言葉は、俺に向けて言われたような気がした。ゼロは両手に力を集め、バチバチと電磁波のようなものを発生させている。
「僕は今からこの大群を一掃します。サキさん、海中列車をお願いできますか?」
 ゼロは相変わらず俺のことを睨んでいる。いや、今はサキと呼ぶべきか。
「おう、任せとけ」
 サキは静かにそう答えた。
「鈴那さんは僕の援護をしてください。昴さんは列車にも気を向けながら適当にそこらの雑魚をお願いします」
 ゼロはそう言い終わるや否や、益々激しくなった電磁波で大鎌のようなものを生成した。
「ほう、やっぱりそこそこ力はあるんだなぁ」
 サキが揶揄するように言った。
「プラズマサイズです。ここまでしないと流石にこの数はキツイですからね。サキさん、列車を」
「わかったよ、やってやるからそう急かすなって」
 サキはそう言うと、海面の真下をゆっくりと走る列車に視線を向けた。
「サキくん、その列車の正体は怨念の塊だよ!気を付けて!」
 昴がそう言った。
「怨念かぁ、道理で悪意感じると思ったら。昴とかいったか?詳しいんだな」
「ちょっとばかり目がいいんでね。見ただけでそういうのが分かるんだ」
 サキは妖力で巨大な黒い蛇を作り出し、その蛇は海中列車目掛けて海の中へ飛び込んだ。
「丸呑みだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 サキの声が周囲に響き渡り、付近にいた数体の霊を消滅させた。声の波動だけで霊を消せるとは、どうやら俺の中にはかなりやばいヤツが住んでいるようだ。蛇は列車に喰らいつき、そのまま吞み込もうとしている。列車は抵抗しているのか、その形を徐々に崩しながら蛇の胴体に纏わり付いた。蛇はそれでも構わず、もはや列車では無くなった怨念の塊を吸い込むように呑み込み、動きが鈍くなったかと思えば、その場で爆発した。その衝撃で起きた波と爆風が押し寄せてきたが、ギリギリのところでゼロが結界を張り巡らし、それらを塞き止めた。
「ふぅ・・・間に合いました」
 ゼロが額の汗を袖で拭いながら言った。
「よっしゃぁどうだ!!」
 サキはそう言ってハッハッハと笑った。
「除霊・・・出来たの?」
 昴がサキに訊ねる。
「おう、あいつが腹の中で消化しちまったよ。雑魚どもは?」
「清掃完了ですよ」
 ゼロが左手でピースサインを作りながら言った。その直後だった。
「グ・・・グガㇻァァァァァァァ・・・」
 突然響いたその音、いや・・・声に、謎の恐怖を覚えた。
「ねぇ・・・あいつ・・・」
 鈴那が声を震わせながら指さした方を、皆が一斉に見る。そこには、あの白くて背が異様に高いミイラのような怪物が、まるでこちらの様子を窺うかのように立っていた。
「御影の蔵にいたヤツと同じだ・・・」
 昴が身構えながら言った。
「テメェ・・・なんか見たことあるヤツだなぁ。まぁいい。おいゼロ、こいつは倒していいのか?」
 サキはゼロにそう訊きながらも、倒すべきだと自己判断したのか妖力をフルに右拳へ溜めている。俺の身体だから分かるが、サキの妖気から緊張感が伝わってくる。
「はい、お願いします・・・」
 ゼロも既に妖力で生成した刀を手に持っている。
「いくぞ」
 サキはそう言い終えると同時に、物凄い速度で怪物へ飛び掛かった。拳が怪物の腹部に直撃し、怪物は突き飛ばされた。
「頼む・・・」
 サキは緊張感を解さず、願うようにそう言った。しかし怪物はゆっくりと立ち上がり、こちらへ向かってノソノソと歩き始めた。
「おいマジかよ・・・俺、もうガス欠なんだけどなぁ・・・」
 サキが力なくそう言った。
「サキさん、ご協力に感謝します。あとは僕たちでなんとかします」
 そう言ったゼロの声は緊張感に満ちていたが、どこか温かみの感じられるものだった。
「おう、頑張れよ」
 サキがそう言い終えた瞬間、身体の主導権が俺に戻った。一瞬クラッとなったが、なんとか動けそうだ。
(しぐる、聞こえるか?)
 不意に聞こえてきたその声は、サキのものだった。
「あ、うん。サキなのか?」
(そうだ。あれはやばい。おそらくさっきまでの戦いでエネルギーを消耗したあいつらじゃあれには勝てねぇ。だからお前がやれ)
「はぁ?いや、俺じゃどうにも・・・」
(お前、自分の潜在能力を上手く引き出せてないだけなんだよ。いいか、俺がお前の力を制御してやるから、全力で戦え)
「おい待て・・・マジか。わかった」
 サキとの会話を終えて気が付いたが、今の傍から見ればただの独り言だったのでは?そう思ったが、俺以外の三人は怪物に集中していたので、幸いにも見られずに済んだ。依然として怪物はノソノソと歩いているが、何かとてつもなく悍ましい気を放っており、そのせいかゼロも刀を持って怪物を凝視したまま動けずにいる。
「ゼロ・・・俺がやるよ」
 俺のその言葉に、皆が驚いた顔で振り向いた。
「だ・・・大丈夫なんですか!?」
「大丈夫・・・だと、思う」
 俺は怪物の方へと歩みを進めた。怪物もこちらにゆっくりと歩いてくる。よし、射程圏内に入った。俺はなるべく多くの霊力を練り、球状の物体をイメージした。すると俺を囲むように、いくつもの光の玉が生成された。出来た!記憶の中にある、もう一人の俺が使っていた技だ。
 俺はすべての玉を全力で怪物目掛け放った。
「しぐ!すごいっ!」
 鈴那が褒めてくれたが、生憎喜んでいられる余裕は無い。玉が直撃したのを確認し、すぐさま両手に霊力を集めて拳を作ると、全速力で怪物目掛けて飛び掛かった。怪物の姿は先程の攻撃で起きた爆発の煙により、ハッキリと見えない。そのうえ辺りはもう暗くなってきているので、余計に視界が悪い。だがあの攻撃は確実に効いているはず、となれば・・・
「くらえっ!」
 俺は全体重を乗せて怪物を殴った。当たった!その衝撃波で怪物を包んでいた煙は消え、それの様子を目視できる状態になった。
 怪物は、右腕が無くなっていた。どうやら俺の拳が右肩に直撃したようだ。怪物との距離はごく僅か。至近距離で見ると、その恐ろしい風貌に少し怯んでしまいそうになる。
 だが油断はしていられない。そう思い、両掌にエネルギーを集めていたそのときだった。怪物は凄まじい速度で後ろに撥ね退け、足を着いたかと思うとその勢いをバネにして俺へと突進してきた。もうこうなったらやるしかない。
 俺は両手を前に突き出し、そこに霊力を集中させた。
「来いっ!!!」
 俺はそう叫んだ直後、怪物とぶつかり、目の前で爆発が起きた。その衝撃波で俺の身体は後ろへ突き飛ばされ、砂浜に倒れた。
 そこからの記憶は、もう無い。

 目が覚めたとき、俺は事務所のソファーで横になっていた。
「しぐ・・・?」
 声が聞こえる。鈴那の声だ。声の方に視線を向けると、俺を心配そうな顔で見る鈴那の姿があった。
「・・・俺、生きてるよな」
「うん、生きてるよ。怪我も大したことなくて良かった」
 鈴那はそう言って涙ぐみながら笑った。するともう一人、誰かの気配を感じた。
「目が覚めたか、しぐるくん」
 大人の男の声だ。見ると、眼鏡をかけた四十代ぐらいの男性が鈴那の後ろから俺を見下ろしていた。
「直接会うのは初めてだな。神原零の父、雅人だ」
「あ、どうも初めまして」
 俺はそう言って身体を起こした。
「起きられたか、よかった。よくやってくれたなぁ。感謝するよ」
 そう言って雅人さんは軽く微笑んだ。
「依頼は・・・倒したんですか?ゼロは?」
「君が倒したんだよ。ゼロは琴羽のところにいるが、呼んでくるか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
 俺は雅人さんに頭を下げた。
「いやいや、そちらこそお疲れ。それと、あの白い怪物なんだが・・・本来、この地域には存在するはずのないものだった。俺も詳しくは知らないが、もっと遠くの県に似たような特徴の妖怪が居るらしい。やはり霊を食べるそうだ。誰が持ち込んだのか分からないが、しぐるくんが退治してくれて助かった」
 俺はアハハと照れ笑いをした。あの怪物、やはり御影という男が持ち込んだのだろうか。だどすれば、御影とは本当に何者なのか。
 話を終えると、俺と鈴那は雅人さんに別れを告げ、事務所を出た。送っていこうかと訊かれたが、悪いので徒歩で帰ることにした。事務所を出るとき、雅人さんがボソリと独り言を呟いたのが聞こえた。
「何が起こっているんだ・・・この街で」
 確かに、ここ最近は怪異に遭遇することが多くなった。それは、俺が祓い屋になる前からだ。そして今回の霊の大量発生、海中列車、異常だ・・・。何か、良くないことが起こる前兆なのではないのだろうか。
「しぐ、なに難しい顔してるの?」
 不意に隣を歩く鈴那が顔を覗き込んできた。
「お、おう。なんでもないよ」
「それにしても凄かったね!しぐ、いつの間にそんな力を身に着けちゃって。」
「アハハ・・・それはどうも」
 あの力はサキが制御してくれていたからこそ上手く使えたのだが・・・まぁ、今回は黙っておこう。
「ねぇ、今夜も泊まっていい?」
「は?なんでだよ!」
「いいじゃん~!露ちゃんのごはん食べたいの~!」
「わ、わかったよ。着替えは?」
「今からお家に取りに行く~。一緒に着いてきて!」
「はいはい。」
 そんなたわい無い会話を交わしながら、俺たちは帰路に着いた。
 やっぱり、今年の夏はなんだか楽しい。

喰らう(異聞)

 黄昏時に外へ出てはいけない。少女は幼い頃、祖父からそう聞かされていた。
少女の住む町には、ガリョウ様という妖怪の言い伝えがあった。ガリョウ様は、黄昏時になると町のどこかに現れ、霊を食べるのだそうだ。確かに不気味な話だが、なぜ外に出てはいけないのかと、少女は祖父に訊ねたことがあった。すると祖父はこう答えた。
「ガリョウ様は、毎日黄昏時になると、腹を空かせて現れる。じゃから、近くに食える霊がおらん時は、人を食らっとる」
しかしそんな言い伝えも、今の世代ではほとんど忘れ去られ、次第に黄昏時でも平気で外を出歩く者が出てきた。

 少女が中学生の頃、大好きだった祖父が他界して一年が経ったある日のことだった。朝食時にテレビを観ていると、少女の住んでいる町でここ数年間謎の不審死が多発しているというニュースが流れた。死因は心不全だが、その全員が道端で突然倒れて亡くなっているらしい。
 その日、少女は友達と遊んで帰りが遅くなり、帰路に着いたときにはすでに空が赤く染まりかけていた。ふと祖父の言葉を思い出した少女は、早く帰らなければガリョウ様に会ってしまうかもしれないと思い、なるべく足早に歩を進めた。
 その直後だった。
 丁字路を曲がったところに、何かがいた。それは、異様に背が高く、白いミイラのような怪物だった。
 少女は足が竦んで動けなくなり、その場に硬直していた。すると怪物は大口を開け、ノソノソと少女の方へ歩み寄ってきた。
 殺される。少女がそう思ったその時、誰かの声が聞こえた。
「だから外へ出ちゃいかんと言ったんじゃ」
その声は祖父のものだった。少女の目の前に半透明の祖父が現れ、怪物の方へスゥーッと近付いて行ったのだ。そして祖父は怪物の大口に捕まり、少女の目の前でガブガブと喰われていった。怪物は満足したのか、後ろを振り返りノソノソと歩き去っていった。もう、辺りは暗くなっていた。
 それ以来、その少女は黄昏時に外出をしなくなったという。

中に潜むもの

 思い出話を一つ。
 妹のひなが殺されてから二年が経ったある日。季節は春で、俺が高校一年生になったばかりの頃の話だ。
 生まれつき霊感の強かった俺は、知り合いである神主の長坂さんからお祓いを手伝わされることが時々あった。長坂さんにはお世話になっており、特に断る理由もないので頼まれればいつでも引き受けていた。勿論、謝礼も貰えた。
 その日も、長坂さんに頼まれてお祓いを手伝うことになっていた。
「心霊スポットへ遊び半分で行ったらしい。悪質な霊が憑いておった」
 そう言って長坂さんはため息を吐いた。
「アハハ、またそういうのですか。祓えそうなのですか?」
「うむ、お前がいるから楽勝だろう」
長坂さんは俺を見てそう言った。俺は苦笑して「どうですかね」と言った。
 俺の祖父は有名な祓い屋で、当時は雨宮家もその業界では栄えていたらしい。しかし、それが続いたのも祖父の代までだった。祖父の息子である俺の親父は能力に恵まれず、祓い屋の道は諦めざるを得なかったのだそうだ。
 じきに祖父は他界し、雨宮家はもう終わったと、誰もがそう思っていたところに、“見える”力を持つ俺が生まれたのだ。
 長坂さんは、能力のある俺に霊感の使い方を教えてくれた、今思えば師匠のような人だ。祖父のこともよく知っており、一緒に仕事をしたこともあったのだそうだ。
神主の行うお祓いと、祓い屋と呼ばれる者たちのお祓いは少しタイプが違うらしいが、長坂さんは神主ながら、少し祓い屋に近い技術を駆使していたのだと、今になって思った。あまりよくない噂も聞く人だが、少なくとも俺にとっては恩師のような存在で、とても優しい、勇敢な人だ。

 依頼人は、俺と同じ高校の同じクラスに通う男子生徒だった。山岡というやつで、友人と三人で心霊スポットへ行ったところ、痛い目にあったのだそうだ。今日来ていない二人の友人は軽い霊障を受けただけだったので、長坂さんが簡単なお祓いを一人で済ませたらしい。
「な、なぁ、君って、同じクラスの雨宮くんだよなぁ」
山岡が俺の方を見て言った。
「うん、そうだよ」
「なんで、君がいるの?」
「お祓いの手伝い。バイトみたいなもんだよ」
俺がそう言うと、山岡は驚いたような顔をした。
「マジで!?除霊とかできんの?」
俺は頭を振った。
「いや、まだそんなのはできない。ただ、今日やるのは“除霊”と“浄霊”だから。違うんだよ、この二つは」
 以前、長坂さんから教わったことがある。“除霊”というのは、とり憑かれた人間の中から霊を追い出すことで、完全に霊を消滅させるには“浄霊”をしなければならないのだそうだ。
それを山岡に説明していると、お祓いの準備を終えた長坂さんが俺達の元へ戻ってきた。
「さぁ、二人とも社殿の中へ」
 長坂さんに促されて社殿に入ると、何やらいつもと違う仕掛けのようなものがあった。
「少し手強いから、仕掛けを使おうと思ってな。しぐる、そこに立っててくれないか?」
 俺は長坂さんに言われた場所に着いた。そこには、仕掛けに繋がる縄のようなものがあり、俺がなんだろうと眺めていると、長坂さんは「それを引っ張ると仕掛けが作動するから俺が合図したら引っ張ってくれ」と言った。
 長坂さんが山岡を座らせ、その向かい側に立つ。
「始めるぞ」
 そう言って長坂さんは呪文を唱え始めた。すると山岡は俯き、何かをブツブツと呟きながら身体を小刻みに震わせた。山岡の声は次第に大きくなり、ふと止まったかと思うと、突然「やめろっ!!」と叫んだ。その声は、もう山岡のものでは無かった。
 長坂さんが呪文を唱える声を大きくすると、山岡の中から何かが出てきた。それはモヤモヤ沸いてきたかと思うと、突然ものすごい勢いで飛び出してきた。
「しぐる!今だっ!」
 長坂さんに言われた通り、俺は縄を強く引いた。すると文字のようなものが描かれた紙が等間隔で付けられた縄が周囲に張り巡らされ、結界を作り出した。
 山岡の中に潜んでいたものは、結界の中央で小刻みに震えながら唸っている。そいつは黒い人型だけで表情のようなものは分からず、やがてその影が薄くなり、最後は断末魔の叫びと共に除霊されていった。
 俺と長坂さんはホッとため息を吐いた。山岡は気を失って倒れている。
「やりましたね・・・」
「うむ、助かったよしぐる。よく怯まなかったな」
「アハハ、慣れちゃってますからね・・・」
 いつから慣れてしまったのか。異形のモノは怖いけれど、それらを見るのは嫌いではない。
 もし、ひなが霊として今も存在しているならば、俺は会うことを望むのだろうか。それとも・・・。

見えない刃

 八月、茹だるような暑さの中、暗い顔で俺の家を訪れてきた少女の両腕には、包帯が巻かれていた。
「はじめまして・・・」
 少女は少し戸惑い気味に頭を下げてそう言った。名前は夢乃といい、中学一年生で俺の義妹である露と同じクラスなのだそうだ。
「いらっしゃい、どうぞ入って」
俺はそう言って、夢乃ちゃんを居間へと案内した。
「ごめんね、露はもう少しで帰ってくると思うけど」
「いえ、大丈夫です。あの、すみません突然・・・」
「いやぁ、全然いいんだよ」
 夢乃ちゃんから連絡があったのは、つい昨夜のことだった。
 俺が電話に出ると、聞き慣れない少女の声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「もしもし・・・あの、露ちゃんはいますか?」
「はい、居ますよー。名前を教えてくれる?」
「あ、夢乃です」
 露に電話を代わってもらうと、少し仲良さげに話し始めた。通話を終えると、露は俺の方を少し困ったような顔で見た。「どうした?」と訊くと、人差し指で頬を搔きながら話し始めた。
「私のクラスメイトの子なんですけど・・・旦那様に相談があるらしくて、その・・・とても困っていたので勝手に引き受けちゃったんですけど!あぁ・・・ごめんなさい。明日って、ご予定お有りですか?」
「明日?うん、いいけど、おばけ関連なのか?」
俺がそう訊き返すと、露はコクリと頷いた。そんなモジモジしながら頼まれたら断れなくなるだろう・・・。
「はい、そんな感じです。以前から相談には乗ってはいたのですが、私が出来ることではないので。義理の兄さんがそういうのに詳しいと言ったら、いつか相談してもいいかと訊かれたので、いいよって・・・」
 兄さん・・・外では俺のことをそう呼んでいるのか。まぁ、そんなわけで今日、家に夢乃ちゃんがやってきたのだが、露は夕飯の買い物に行っていて今は俺一人なので、とりあえず彼女を居間に座らせて飲み物を出した。
「ありがとうございます」
「いやいや、相談は露が帰ってきてからの方が話しやすいかな?」
 夢乃ちゃんは「はい」と頷いた。
 ・・・暫しの沈黙が続く。何か気まずい。
 不意に、玄関の戸が開く音がした。
「ただいま帰りました~」
 露の声だ。
「おかえりー、夢乃ちゃん来てるよ」
俺がそう言うと、露は「えっ!」と言い、大急ぎで居間へとやってきた。
「いらっしゃい!ごめんね~」
 両手を顔の前で合わせながら謝罪する露に、夢乃ちゃんは首を横に振って「大丈夫」と言った。

   ○
 最初に本題を切り出したのは、夢乃ちゃんではなく露だった。
「以前から、相談を受けていたんです。夢乃ちゃん、自分で話す?」
 夢乃ちゃんは露の問いかけに少し戸惑いながらも頷いた。
「えっと、その・・・」
 人と話すのが苦手なようで、俺とは目を合わせずに俯きながらモジモジとしている。
「ゆっくりでいいよ。話しにくいことなのかな?」
 彼女は頭を振った。
「いえ、話します」
 そう言って夢乃ちゃんはポツリポツリと話し始めた。その内容を時系列に纏めるとこうだ。
 彼女の家は父子家庭で、両親が五年前に離婚して、父親に引き取られたのだそうだ。それも、母親が不倫をしてそのようなことになったらしい。夢乃ちゃんは幼い頃から母親の虐待を受けていたこともあり、離婚後は父親と暮らすようになった。しかし父親も父親で、彼女に対する態度は素っ気なく、それでいて機嫌が悪いときや仕事が上手くいかなかった時には暴言を吐かれるらしい。暴力は無いものの、精神的苦痛は大きいだろう。
 複雑なのは家庭環境だけではなかった。小学校ではずっといじめを受けており、中学に入ってから少しは落ち着いたものの、やはり陰湿ないじめは続いており、今はほぼ不登校なのだそうだ。そんなこともあってか、彼女は自傷行為をするようになった。所謂、リストカットなどの自ら自分の身体を傷付ける行為のことだ。辛いことを誰にも相談できずに傷が増えていくばかりだったが、あるときから異変が起き始めた。
 家に一人でいるとき、突然右腕に痛みを感じたので見てみると、見覚えのない新しい傷が付いていたらしい。それからも何もないところで突然腕や手首が切れることが時々あり、どういうことかと一人で怯えていた。
ある日の下校中、いつもと変わらない道を歩いていると、不意に右腕に痛みが走った。見てみると、そこには新しい切り傷が出来ていたのだそうだ。その傷はいつもより深く、血があふれ出していたらしい。彼女は訳が分からなくなり、咄嗟に止血を試みていると背後から誰かに声を掛けられた。
「それが私だったんですよ~」
露が言った。
「最初は誰かとびっくりしたけど、同じクラスの露ちゃんだったから・・・誰に対しても優しくて、夢乃にも優しくしてくれたから、こんなわけのわからないことだけど相談に乗ってもらったんです。ごめんね・・・」
夢乃ちゃんはまた、露に頭を下げた。
「いいんだよ~。私も少しは霊感あるし、何か力になってあげられたら嬉しいよ」
露はそう言って微笑んだ。何故か少しだけ場の空気が和む。以前からそうだった。露の言葉には不思議な何かがあるようで、俺もそれに助けられたことがある。
「ありがとう、露ちゃん」
 夢乃ちゃんは照れくさそうに言った。
「うむ・・・霊の仕業というより、呪詛的なモノのように思えるなぁ。とりあえず、俺だけじゃ解決は難しいから専門家の所に行ってみようか」
専門家というのは、俺が世話になっている祓い屋の神原零というやつの事務所だ。神原零、通称ゼロは俺より一つ年下で、怪異専門の探偵をやっている。
「ゼロに頼めば、解決に繋がるかもしれない。夢乃ちゃん、大丈夫そうかな?」
俺の問いに夢乃ちゃんはコクリと頷いた。
 
   ○
 自傷行為。事務所への移動中、俺はそれについて色々と考えていた。確か、鈴那の手首にも傷の痕があった。本人が何も言ってこないので特に触れてはいないが、彼女自身はどう思っているのだろう。鈴那の過去の話を聞いたことがある。彼女の家庭環境も複雑で、孤独を感じていたのだろう。俺なんかがその気持ちをわかった気になろうなんて無責任なことは出来ない。彼女の苦しみは、彼女にしかわからないのだから。それを話してくれるまでは、そっと待っていようと思っている。
 それにしても、皮膚を切り裂かれる怪異とは鎌鼬のようだ。鎌鼬とは、日本に伝えられる怪異の一つで、鎌のような爪を持ったイタチの容姿をしている妖怪が有名だろう。しかし鎌鼬に切られた場合、痛みを感じることはなく出血も無いという。夢乃ちゃんは痛みを感じており、出血もしたと言っていた。つまり、鎌鼬が犯人であるという説は白かもしれない。
 他にも、見えない何かに傷を付けられたといった事例は複数ある。俺が知っている中で今回の事件に近いものを挙げると、過去に海外で起こった見えない怪物の事件がある。
 1951年、フィリピンのマニラで裏通りのパトロールをしていた警官に18歳の少女が「誰かが私に噛み付いてくる」と訴えてきた。不審に思った警官は少女を署まで連行し事情を聞いていると「またあそこにいるわ!」と叫び声をあげ、それを言い終えた直後に少女は床の上に躓いて倒れた。すると今度は警官の見ている前で、肩と腕に噛み傷がいくつも現れ、その傷からは血がにじみ出て唾液のようなものがべっとりとついていたという。その光景を見た警察は様々な対処をとってはみたものの、見えない怪物に効果は無かったのだそうだ。因みに、その後見えない怪物の攻撃はおさまったのだが、それの正体を突き止めることすら出来ず、事件は迷宮入りとなった。
 その少女は見えない怪物のことを「黒い何か」と言っていたらしい。夢乃ちゃんも切られた時に何かを見たのだろうか。
「夢乃ちゃん、切られたときに何か、気配とかを感じたりはしたかな?」
俺は露と二人で前を歩いている夢乃ちゃんに声を掛けた。夢乃ちゃんは俺の方を振り返り、少し考えた後、曖昧に頷いた。
「たまに何かに見られてるようなことはありました。あと、黒い影みたいなのが見えた気がします。気のせいかもしれないんですけど・・・」
黒い影・・・ゾクリとした。例に挙げた事件は噛み傷だったが、今回は切り傷だ。しかし本当に黒い影を見たとなると、これは重なるかもしれない。もしそうだとしたら、俺達の手に負えるだろうか。
「どうかなさったのですか?」
露が怪訝そうな表情で俺を見た。
「いやぁ、なんでもない。ありがとね、夢乃ちゃん」
そんな会話をしているうちに事務所へ着き、入り口の戸をガラガラと開けると、中に居た二人が揃ってこちらを見た。
「あれ、しぐ~どーしたの?」
 城崎鈴那、ここのアルバイト調査員で、俺の彼女だ。
「鈴那、来てたのか。いや、ちょっとゼロに用があってな・・・ゼロは?」
「ゼロくんなら、今日は支部長のところに行ってて不在だよ」
 俺の問いに答えたのは、北上昴という男だった。
「そうだったのか。まぁ、二人が居ればいい。この子なんだけど・・・」
 俺はそう言って露の真後ろからひょっこりと顔を覗かせている夢乃ちゃんを見た。
それから、鈴那と昴にこれまでの経緯を話し、とりあえず何かしらの対策案を出してみることになった。
「夢乃ちゃん、傷がどんな感じか見せてくれないかな?」
 鈴那がそう訊くと、夢乃ちゃんはコクリと頷き、腕に巻かれている包帯を外し出した。
「あの・・・気持ち悪いかもしれませんよ?」
 包帯を外しながら、夢乃ちゃんは申し訳なさそうに言った。
「大丈夫よ、実はあたしも切ったことあるし」
鈴那が苦笑しながら言った。俺もそれに頷く。
包帯の外れた腕や手首には、無数の切り傷があった。その中でも、右腕にある傷の一つがけっこう深い。
「この、右腕の深い傷が、下校中に切られたやつです」
そう言いながら夢乃ちゃんは右腕を前に出した。
「なるほど・・・う~ん、傷口から見て、鎌鼬では無さそうだね。出血もあるようだし」
昴は右腕の傷を暫く凝視すると、「はぁ・・・」とため息を吐いた。
「僕の知っている限りでは、原因が分からないなぁ」
「呪詛とかではないのか?」
俺がそう訊くと、昴は頭を振った。
「呪詛なら、目でそれが見えてる。でも、それらしきものが見えないから・・・」
 昴の左目は瑠璃色の義眼で、しかもそれが呪具の一種らしく霊や呪いの類にはすごい視力を発揮するらしい。その彼が見えないというのだから、恐らく呪詛ではないのだろう。
「ポルターガイスト・・・」
 鈴那がボソリと呟いた。彼女の方を見やると、微かに笑みを浮かべていた。
「ポルターガイストって、心霊現象の?」
 俺がそう訊ねると、彼女は軽く頷いてから話し出した。
「ポルターガイストって、一般的には霊によって起こされる怪現象って感じで知られてるけど、実は人間が犯人ってことも多いのよ。あたし自身もそうなんだけど、そういう現象を無意識に起こしてしまうのは、精神的に不安定な思春期の女性に多いらしいの。あたしはもう能力を制御できるけどね」
彼女はそう言いながら右手の人差し指を立てた。すると、彼女の前に置かれていたオレンジジュースの入ったコップが宙へと浮いた。それを見た夢乃ちゃんは啞然としている。
「精神的心霊現象、これは念動力ね。あたしの場合、こっちの力はそんなに強くないから、霊媒師として浄霊をする方が専門だけど。しぐは典型的な念能力者よね」
 鈴那が俺を見て言った。
「まぁ、祖父譲りの霊能力だからな。最近使えるようになったばかりだけど」
 俺はそう言いながら苦笑した。
「皆さん、すごいんですね・・・!」
 夢乃ちゃんは目を丸くして俺達を見ている。霊能力・・・または、超能力と呼ぶべきだろうか。そんなものを初めて目にしたら、誰だってそうなるだろう。そんなことを考えていると、鈴那は浮かせていたコップを手前の台に戻し、また話を始めた。
「つまり、その腕の傷を付けたのは・・・夢乃ちゃん自身なんじゃないかなと思ってね」
 俺は絶句した。自ら起こしたポルターガイストによって、自身を傷付けているなんて・・・そんなことがあるのだろうか?いや・・・あるのだろう。これまで見てきた突飛な世界からすれば、当然のように起こってしまうことなのかもしれない。
「で、でも私、黒い影がサッと動くのを何度かみたんです。それで、腕が切られてて・・・」
 確かに、夢乃ちゃんはさっきもそう言っていた。
「だとすれば、霊によるポルターガイスト・・・」
「違う」
 俺が言い掛けた言葉は、昴のその一言でかき消された。
「切られるのに、場所や時間帯は関係無いんだよね。それなら、君に憑いている霊、或いは、君の持っている何かに憑いている霊が現象を起こしているはずなんだ。けど、僕が見る限りそれらしきモノの気配は感じられない。君の周囲にいる人も同じ被害に遭っているというのなら、話は別だけど」
 昴は話し終えるとコップに入った麦茶を飲み干した。俺は夢乃ちゃんを見た。彼女は軽く俯いており、少し顔色が悪い。
「でも・・・でも・・・」
 夢乃ちゃんがそう呟いた直後だった。サッと、彼女の左手首に切り傷が付けられたのだ。
「なんだっ!?」
 俺は咄嗟に叫んだ。傷口からは鮮血が溢れ始めている。
「外に出よう。室内だと危険だ」
 そう言ったのは昴だった。全員がそれに従い、事務所の外に出た。
「なんで、あそこ何かいる・・・」
夢乃ちゃんが目に涙を浮かべながらある一点を指さし呟いた。昴は何かを探すようにそこを凝視していたが、少ししてからため息を吐いた。
「だめだ・・・何も見えない」
俺も見てみたが、そこにはそれらしきものどころか気配すら感じられない。何か居るのなら、昴には確実に見えているはずだ。
「だ・・・旦那様」
不意に、露が俺の服の裾を引っ張りながら呟いた。
「露、どうした?」
「・・・見えるんです。黒い、モノ」
露はそう言いながら夢乃ちゃんと同じ場所を指さした。おかしい・・・どういうことだ?
「おい露、見えるって・・・」
「あっ!危ないっ!」
 露が俺の声を遮って叫んだ。その直後、夢乃ちゃんの首に切り傷が付けられた。
「夢乃ちゃんっ!」
 露は俺から離れて夢乃ちゃんへ近付いた。夢乃ちゃんは露を見て目を見開いている。
「露ちゃん、見えてるの!?」
「うん、なんでかはわからないけど・・・」
 だが、露に見えていたとしても何かできるだろうか。俺達のように能力を持たない彼女では・・・
「露ちゃん、今は使ってもいいときだよ」
 不意に鈴那が言った。どういうことだ?
「で、でも・・・」
露が困った顔で俺と鈴那を交互に見やる。
「大丈夫、あたしを信じて!」
「・・・わかりました。やってみます」
「おい露、どういうことだ?」
 俺はもう何が何だかわからず動揺しながら訊ねる。すると、鈴那が俺の肩に手を置いて行った。
「大丈夫、露ちゃんなら」
「あいつ・・・何か出来るのか?」
「しぐ、知らないと思うけど、露ちゃんも超能力みたいなのが使えるらしいの。この前、あたしにだけ教えてくれた」
 鈴那はそう言いながら笑みを浮かべているが、どこか緊張しているのが見て取れた。
 俺は露の方を見た。義兄として心配だが、こうなったら彼女に任せてみよう。
「夢乃ちゃん、私の後ろに」
そう言うと露は夢乃ちゃんを庇うように両腕を左右に広げ、何かが居るであろう場所をじっと睨んだ。
「夢乃ちゃん、私が一緒にいるよ。だから大丈夫。怖くない、寂しくない」
 露はそう言いながらゆっくりと屈み、足元に生えている草に手を触れた。その瞬間、露の触れた草を中心に無数の植物たちがくねくねと動き始めた。
「念で植物に命令を送ったのか!?」
 昴が驚嘆したように言った。俺もそんな状態だ。まさか露にあのような能力があったなんて、何故今まで隠していたのだろう。
 露が命令を送った植物たちはくねくねと謎の動きをしながら右往左往している。これは・・・上手くいっているのか?
 少しの間そんな状態が続いたが、軈て植物たちは元の位置へと戻り動きを止めた。気のせいだろうか?何故か少し癒されたような感覚になった。
「・・・あれ?消えてる」
 露の背後に隠れていた夢乃ちゃんが安堵の表情を浮かべて言った。どうやら見えない何者かは無事に消えてくれたらしい。
「除霊、しました」
 露はそう言ってニコリと笑った。除霊・・・というのか、どうなのかはさて置き、とりあえずよかった。
 事が済んだので全員で事務所へ戻り、先程の出来事について皆で話し合った。
「なぁ、一体どういうことなんだ?なんで、夢乃ちゃんと露には見えて俺達には何も見えなかったのか。露にも見えてたってことは、夢乃ちゃんの幻覚ではないんだろ?」
 困惑する俺を見て、鈴那がププッと笑った。
「ハッハッ、しぐ、大丈夫?」
「だ、だって、なぁ・・・おい昴、どういうことだ?」
 昴は俺の唐突な質問にも動揺することなく、冷静に話し始めた。
「結果から言うと、原因は夢乃ちゃん自身が起こしたポルターガイストだよ。僕らに見えなかったあの透明な怪物も、彼女が無意識に作り出した幻覚。何かに分類させるならば、イマジナリーコンパニオンに類似しているかもわからない。」
 イマジナリーコンパニオン、本人の空想の中だけに存在する者のことだ。幼少期に多いと言われているが、大人でもあるという話を聞いたことがあるので、思春期の夢乃ちゃんならそれを作り出してしまうのも有り得るだろう。
「でも、なんで露にもそれが見えたんだ?」
「露ちゃんは、たまたまそれとのチャンネルが合ってしまったんだと思う。露ちゃん、君の能力は植物を操るだけではないよね?」
 昴の問いかけに露は「はい」と頷いた。
「空気を澄ませるというか、安心させるというか、エアーセラピー能力とでもいうのでしょうか?まだ、上手く使えませんけど」
 露はそう言って苦笑した。昴はそれに頷き、話を続けた。
「やっぱりそうだったか。見えない怪物を消したのはその能力だろう。露ちゃん、それを分かっていてしたことだね?」
 昴が笑みを浮かべながら再び露に訊ねた。
「はい。私、たまにそういうのと波長が合っちゃって、霊じゃないけど、やっぱり他の人には見えないものが見えてしまうのは、怖いですね」
 露はまた苦笑した。彼女が俺の知らないところでそんな苦労をしていたなんて、気付いてやれなかった自分が悔しい。いや、ひょっとしたら知られたくなかったのかもしれない。俺に余計な心配を掛けたくなかったから。露なら、そう考えるかもしれない。
「露ちゃん・・・」
 不意に夢乃ちゃんが口を開いた。露は夢乃ちゃんを見ると、優しい笑みを浮かべた。
「なぁに?」
「ごめんなさい・・・私、苦しくて、リスカ、ほんとはもっと深く切って、沢山血を流して安心したかった。でも、自分で深く切るの怖くて・・・そんな弱虫の自分がまた嫌いになっちゃって、だから、あんなことしちゃったのかもしれない・・・ごめんね、露ちゃん。ありがとう・・・」
 夢乃ちゃんは嗚咽しながら言った。苦しかったのだろう。あの見えない怪物は、彼女の自己嫌悪が具現化したものだったのかもしれない。俺達が決して触れることの出来ない、彼女だけの世界で。それを考えると、言い知れぬ悲しみと共に、僅かな虚無感が心を突いた。
「夢乃ちゃん」
露が夢乃ちゃんの頭を撫でながら言った。
「なに?露ちゃん」
「また、何かあったらなんでも相談してね。私たち、お友達だから」
 まだ泣いている夢乃ちゃんに、露は優しく語り掛けるように言った。
「そうよ!あたしたちもいるから、いつでもおいで!」
 鈴那もそう言って夢乃ちゃんを励ました。
「露ちゃん、皆さん・・・本当にありがとうございます」
 夢乃ちゃんはそう言ってまた泣いた。彼女の世界に、もうあの怪物が現れることはないかもしれない。確証は無いが、たぶん大丈夫。そんな気がした。

ジョゼと夕立

 蝉の声が聞こえる。
 静まり返った事務所に反して、相変わらず外は騒がしい。硝子越しにぼーっと外を眺めていても、人っ子一人通らない。太陽に熱されたコンクリートは、誰かとの思い出のように揺らいでいる。あの日も、今日と同じように陽炎の立ち揺らめく真夏日だった。赤い目の少女は、赤いランドセルを背負いながらたった一人で歩いていた。俺は彼女に声を掛けて近寄り、頭を撫でる。彼女は俺を見ると、儚げに微笑んだ。俺は、彼女に何と言ったのだったか。遠い夏のことのように、はっきりと思い出せない。僅かに開いた記憶の引き出しから出てきたその言葉は、陽炎のように揺れていた。
「ひなは人間だよ。その能力は、ひなの個性だから」
 妹のひなが殺されてから、俺は変わってしまったのだろうか。今の俺は、誰なのだろうか。俺は・・・
 ふと、ソファに座り本を読んでいる少女の方に目をやる。彼女も俺の視線に気が付いたようで互いに目が合った。
「何か?」
「いや、何読んでるのかなと思って」
 少女は微笑みを浮かべながら本に栞を挟み、表紙をこちらに向けた。
「サガンの小説です。兄から借りてて」
「そっか、そういえばゼロも読んでたなぁ。琴羽ちゃんもそういうの読むんだ」
「はい。私、けっこう好きなんです」
 中学二年生でサガンを読むとは、なかなかいいセンスかもしれない。愛・・・サガンと聞いてその言葉が脳裏に浮かんだ。俺は、愛せているのだろうか。彼女を、鈴那のことを。
 そんなことを考えていると、事務所の戸が開く音がした。
「ただいま~。琴羽、しぐるさん、留守番ありがとうございます」
「おかえり、ゼロ」
「おかえりなさい」
帰宅した事務所の所長、神原零を二人で迎える。と、不意に俺のスマホが振動した。画面を見ると、鈴那からだ。トーク画面を開くと「デートしよー」と書かれたメッセージがある。断る理由などない。暇すぎて干からびそうだ。

   ○
 不思議なことだ。これほど暑いというのに、駅近くの街には人が多い。いや、俺達の住んでいる場所が田舎だから、そう感じるだけか。本当の都会は、こんなものではないだろう。
「ねぇねぇ、アイス食べにいこーよー」
 隣を歩いていた鈴那が俺の一歩前に出て言った。
「いいけど、どこにする?」
「ここだっ!」
彼女はそう言ってデパートを指さした。そちらに目を向けると、視界の端に何かが動いているのが見えた。魚だった。
「なぁ、魚がいる」
俺は宙を優雅に泳ぐ赤い魚を見ながら鈴那に言った。
「あ、ほんとだ!でも、昔に比べて少なくなっちゃったみたいね」
「そうなのか?」
「うん、なんか、あたしらが生まれる前はもっと頻繁に見られたらしいんだけど、最近はこうして稀に見る程度でしょ。なんでかな~って、日向子ちゃんが言ってた」
 俺達にしか見ることの出来ないこの美しい魚。夏祭りの時に見た以来か。ちょうどその時に鈴那から聞いたのだ。この魚は死者の霊魂が姿を変えたものなのだと。
「死者の魂がなぁ・・・不思議だ」
「不思議だらけよ。ほんと・・・ね」
彼女はそう言うと俺の手を取った。
「へへっ、はやくアイス~」
「あ、おぉ、そうだな」

   ○
 店内は涼しい。俺達はデパートの二階にあるカフェで取り留めのない会話をしながら涼んでいた。鈴那はアイスが乗っかった夏限定のパフェを嬉しそうに食べている。俺はというとアイスコーヒー、パフェを食べられるほど腹は減ってない。
 ふと、俺の視線は鈴那の左手首へいった。見えない怪物の一件があってから、少し気にしてしまう。鈴那は俺の目線に気付くと、僅かに困ったような表情を浮かべた。
「やっぱり、気になるよね~・・・」
そう言って彼女は苦笑した。左手首の傷痕は、苦しみから生まれたものなのだろう。
「・・・いや、自傷ってさ、心に傷を負ったからするものだろう。なら、鈴那の心はそれだけ傷ついてるってことだ。だからいいんだ。その傷は、もうお前の一部なんだから。鈴那は何があっても鈴那、そういうものだと思うんだ」
 途中から何を言っているのか自分でもよくわからないが、彼女の痛みは彼女のものであって、俺が下手に触れることはできない。その代わりに、彼女に何があっても受け入れようと、そう思った。
「うん・・・なんか、そんなこと言われたの初めてだ。ヒャハハッ、やっぱりしぐは面白いなぁ」
 そう言って照れ臭そうに笑う彼女は、どこか楽しそうだった。いつもの、あの怪異を語るときの皮肉めいた表情とは程遠い、楽しそうな彼女。
「お、面白いか?まぁいいや。なぁ、この後どうする?」
「う~ん。あ、鬼灯堂行こうよ!日向子ちゃんに魚見たこと言おう!」
 俺もそれに賛成した。なんだか今日は平和だ。いや、今年の夏が忙しないだけだろうか。

   ○
 鬼灯堂に着く頃、空からは雨が降ってきた。夕立だ。急いで店内へ入ると、十六夜さんの他に俺の見知った顔の人物がもう一人いた。
「あら、二人ともいらっしゃい。雨降ってきたわね」
 十六夜日向子さん。薄暗い路地で鬼灯堂という駄菓子屋を営んでいる見た目少女の妖怪だ。
「こんにちは。で、長坂さん!?なんで居るんですか?」
「おお、しぐるか。ちょうど日向子とお前の話をしていたところだ。噂をすれば影というものだな」
 もう一人居たのは、俺の知り合いで神主をやっている長坂さんという中年の男性だった。
「あっ!この人が長坂さん?初めまして鈴那でーす!」
 鈴那はそう言って右腕を挙げた。
「そうか~君がしぐるの彼女の鈴那ちゃんか。日向子から聞いてるぞ」
 長坂さんは笑顔で言った。
「というか、お二人はどういったご関係で・・・?」
俺がそう訊くと、十六夜さんはニコニコと笑いながら答えた。
「なぁに、昔からのちょっとした知り合いよ~。ね~」
「うむ、そんなもんだ。ところで二人とも、何の用だ?」
 そう言って長坂さんが俺達を見やった。その問いに、鈴那が思い出したかのように身を乗りでして答える。
「あっ、そうそう日向子ちゃん!さっきね、魚見たんだよ!デパートの前の宙を泳いでた!」
 すると十六夜さんは「あら~」と言ってにこやかな笑みを浮かべた。
「そうなのね~、まだいたのね・・・ウフフ、なーんか懐かしいわねぇ」
 十六夜さんはそう言って長坂さんを見た。長坂さんも「ああ」と言いながら十六夜さんに目線を合わせるように腰を屈ませ、丸椅子に腰かけた。
「そうだなぁ。今から、ちょうど20年くらい前だったか。日向子、いい機会だから、この子達に話してみないか?」
「ええ、そのつもりだったわ」
 十六夜さんは少し苦笑しながら言った。
「え、なに?何のこと?」
 鈴那が興味深そうに二人へ訊いた。十六夜さんはそれにウフフと笑いながら、長坂さんとの昔話を、懐かしそうに語り出したのだった。

   ○
 十六夜さんから聞いた話。
 強い日差しが照り付ける。蝉たちの奏でる音色は、お世辞にも綺麗だとは言えない。そんな中、一人ぼっちの私はいつもと同じ道を歩いていた。昼下がりの散歩だ。
 相変わらずの町に、ずっと住み続けている。そのせいか、町の地図はほぼ頭の中に入っているし、気付けば、人間としてそれなりの地位にも立っていた。元々、人ではないのに。こうして人の姿をして生活している妖怪は他にもいる。それで、悪さをしている妖怪も。けれど私は・・・私の心は、もう人に近いものになってしまっているのかもしれない。
饒舌なのは昔からで、頭もよかった。私は高貴な存在だということもしっかり自覚していた。それでも、決して威張るようなことはしなかった。誰かに言われたからではない。自然とそんな考え方になっていたのだ。悪者になりたくないから。それが一番の理由かもしれない。
「今日も散歩か?」
 不意に背後から男の声がした。振り向くと、見知った顔がある。
「なによ、またいじめに来たの?」
「滅相もない。たまたま見かけたから声を掛けただけだ」
 男はそう言って微笑を浮かべた。この長坂という男は、地元の神社で神主をしている。というのは表の顔で、本性はちょっと危ない人間だ。
「あんまりしつこいと警察呼ぶわよこのロリコン」
「おいおい、お前自分の外見がそれだからって調子に乗るなよ。中身はバケモンじゃないか」
 彼の言葉に少しカチンときた私は攻撃をしようとも考えたが、人を傷付けるのは好きではない。
「これだから人は好かないの」
 そう吐き捨てるのがやっとだった。瞼から何かが頬を伝ってくるのがわかる。
「お、おい。ちょっと言い過ぎた。悪かったよ。警察は呼ぶな」
「女の子泣かせた」
「女の子ってお前・・・まぁ、言い過ぎたことは謝罪しよう。飴ちゃん食べるか?」
彼はそう言って着物の袖から飴を取り出した。
「・・・うわ」
「うわとは何だ!飴で釣れんのでは仕方ないなぁ・・・」
 何だかんだ言い合いながらも、気が付けば二人で河川沿いのベンチに腰かけていた。
 彼と出会ったのは、この時から二年ほど前のこと。確かその時も散歩中だった。たまたま怪しい気を放つ男を見かけて追跡してみると、松林の中で猫を捕えて殺そうとしていたのだ。見ていられなくなった私は男に声を掛け、猫を逃がすように言った。男は私の正体が妖だと見抜いたようで、猫を逃がすと次は私を捕えようと術を使ってきた。その時はすぐ逃げたが、それからというものの、兎に角この男は私にしつこいのだ。
「なぁ、お前は人が嫌いでは無いのか?」
 河の流れをぼーっと見つめながら飴玉を食べる私に、隣の男はそう問いかけた。
「人は・・・好きなのかも。でも、アンタは嫌いよ」
「ふん、そんなこと言って結局は俺と居るではないか」
 彼はそう言うとこちらを横目で見た。
「アンタがしつこいからでしょ!というか、作戦変更ってわけ?術で捕まえられないから手名づけようっての?」
「全く、お前のような勘のいいガキは嫌いだ」
「ガキじゃないわよ」
 なぜあの時、この男を追ってしまったのかを今でも後悔している。本当に気味の悪い、嫌な男だ。
「ねぇ」
 そう言って私は彼を見上げた。
「なんだ」
「どうして、私に執着するのよ」
 彼は少し考えてから答えた。
「なんだろうな、面白いんだ。俺とは真逆のようで、それでもどこか似ている。そんな気がするんだよ」
「どこが似てるのよ」
 私が嫌そうに言うと、彼は苦笑した。
「傷つくなぁ。お前は、妖怪のくせに人間みたいなやつで面白いんだ。でも俺は・・・人のくせに、闇を深く覗きすぎてしまった」
 そう言った彼の顔を覗き込むと、どこか悲壮感に苛まれているような表情を浮かべているのが見受けられた。
「神主さんが何を言ってるのよ。もっとほら、神様と関わる人なんだからしっかりしなさいよ」
「ハハハ、そうだなぁ。俺は神主だった」
 彼は苦笑した。
 不意に、視界の端に何かが動いているのが見えた。
「魚だな」
 そう言ったのは彼だった。私もその魚に目をやった。宙を優雅に泳いでいる魚に。
「あっちにもいるわ」
 二匹、三匹、四匹・・・と、無数の美しい魚たちが宙を踊るように遊泳していた。ポツリと、何かが頬に落ちてきたような感覚があった。雨だ。
「夕立か」
 彼がボソリと呟く。私たちは近くの橋の下へと避難した。それからはずっと、夕立雨の中を優雅に泳ぐ無数の魚たちを眺めながら、何を話すでもなく、二人で雨が止むのを待っていた。

   ○
 雨の音が聞こえている。雨がアスファルトの地面に落ちる音、雨が屋根に落ちる音、雨が街を濡らす音・・・その音を聞いていると、不思議と過去の記憶が蘇ってしまうようだ。十六夜さんが聞かせてくれた話は、この街で過去にあった小さな出来事。俺達が生まれる前、この街で十六夜さんと長坂さんが互いにほんの少しだけ心を許した瞬間の物語。
「日向子ちゃん、今も昔も可愛いねぇ~」
 鈴那がそう言いながら十六夜さんの頭を撫でる。
「イヤン、すずちゃんったらもう~」
 満更でもなさそうな十六夜さん、確かに可愛らしい。
「長坂さんって、長いこと神職をされてるんですね。それに、良くない噂があるとは聞いたことがありましたけど、まさか本当だったとは・・・」
 俺が苦笑しながら言うと、長坂さんは少し真面目な表情になった。
「ほう、噂程度はお前にも知られておったか。まあ、もう隠す必要も無いだろう」
 長坂さんは俺の目をじっと見つめてから話を続けた。いや、俺の目の奥に潜むもの。それを見据えているのかもしれない。
「俺はなぁ、お前たち呪術師連盟が要注意人物としている者だよ。御影という名に聞き覚えがあるだろう」
 御影・・・その名前なら何度も聞いた。まさか・・・それを察した俺の顔から笑顔は消えていたのだと思う。
「俺がその御影だ」
 今まで信頼していた人の、突然の告白。それを、俺はどう受け止めればいいのだろう。と、初めはそう思った。だけど・・・
「そうだったんですか。でも、俺にとって長坂さんは長坂さんですよ」
「ありがとう。お前ならそう言ってくれると思っていた」
 そう思うしかなかった。それに、この人が御影なら訊きたいことが山ほどある。
「長坂さん、訊いてもいいですか?」
 長坂さんは無言で頷いた。
「蛛螺を呪詛で暴走させたのも、龍臥島に霊を喰う怪物を放ったのも、貴方なんですか?」
 今まで御影という男が関連してきたかもしれないことを、ここではっきりさせておきたい。そして、その目的も。
「T支部に北上昴という青年が居るだろう。彼がスパイとして俺の家の守衛に成りすまして来たことがあるよ」
 昴が御影のところにスパイとして行っていたのはゼロから聞いていた。
「成りすますって、どうやってですか?」
俺が訊くと長坂さんは少し笑みを浮かべながら答えた。
「あれは幽体離脱だな。守衛の男の精神を乗っ取っていた」
 幽体離脱、昴はそんなこともできたのか。長坂さんは話を続けた。
「彼は有能だ。結界師が本職らしいが、幽体術も使えるとは。まぁそれはそれでいい。彼には全て話した。だから、蛛螺が彼を襲おうとしたと聞いて驚いたのだ」
「と言うことは・・・」
「蛛螺に呪詛をかけたのは俺ではない。あの後、昴が直接俺の所へ来て訊いてきたのだ。蛛螺に何かしたのかと。呪術まで俺のモノそっくりだったと言っていた。」
 聞いた。確かに覚えている。夜祭後に行われた封じの儀式、それを終えた後、昴は御影がしたことかもしれないと言っていた。
「だが、俺は蛛螺にそんなことをした覚えは無い。昴はその後も何度か家に来て、色々話をしたよ。龍臥島のこともな」
 彼は湯呑のお茶を一口飲むと話を続けた。
「確かに龍臥島の件は俺が関わった。黄昏時以外は姿を現さない妖怪だ。閉園後なら、人は居らんと思ってなぁ。霊を喰わせるために放ったんだが、ヤツは意外と小食で無駄なことをしたと後悔しておる。龍臥島、悪霊の数が異常だっただろう」
「はい。あれだけじゃなくて、ここ最近色々起こりすぎじゃないですか?」
 俺の問いに長坂さんが頷く。と、不意に鈴那が話に入ってきた。
「ねえ長坂さん、しぐの二重人格について何か知らないの?」
 長坂さんは曖昧に頷いた。
「もう目覚めておるだろう。ちょっと出てこい」
 彼がそう言うと、俺の身体の主導権が切り替わった。
「俺様のことか?」
 俺・・・いや、俺の中に憑依しているサキという蛇のバケモノがそう言った。
「おお、早速ご登場か。もう調子は良いみたいだな」
「おかげさんでなぁ。憑依先がこいつでよかったぜ」
 長坂さんとサキは親しく話し始めた。どういうことだ?知り合いだったのだろうか。鈴那もそれに唖然としている。
「とりあえず、元気そうで何よりだ。出てきてもらって直ぐで悪いが、もうしぐると代わってくれるか?」
「おい早いなぁ、まあいいや。じゃあな」
 サキがそう言うと俺の意識は自由を取り戻した。
「長坂さん、どういうことですか?」
「サキとは、前に少し話したことがあってな。まぁ、詳しい話は俺が話すよりそいつから聞いた方がいいだろう。その方がお前の妹さんのこともわかるだろう」
「サキがひなのことを知ってるんですか!?」
俺は思わず大声を上げてしまった。
「ああ、まぁ落ち着け。しぐる、さっきお前が言った通り、ここ最近は異常な怪異が多い。何かが起こっているんだ。俺もそれについて調べている」
「俺達にも何か出来ないんですか?」
「お前たちは呪術師連盟の人間として動け。昴が仲介してくれたおかげで、今度T支部の支部長と面会することになっている。その時に色々と話すつもりだ」
「ゼロの親父さんとですか」
「うむ」
呪術師連盟T支部の支部長、神原雅人さんはゼロの父親だ。俺の知らないところで、色々なことがぐるぐると回っている。どうやら俺はその渦の中に、知らず知らずのうちに巻き込まれていたらしい。
「長坂さん、ありがとう」
 その言葉は、俺の口から自然と発せられた。
「お?うむ、どうした急に」
「いいえ、やっぱり長坂さんはいい人だ。あ、御影さんと呼んだ方がいいですか?」
 俺が冗談交じりに訊くと長坂さんは苦笑した。
「今までどおりでいい。御影というのは仮の名だからな」
「了解、長坂さん!」
 気付けば雨は止んでいた。鬼灯堂から見える薄暗い路地は更に暗さを増している。
「しぐ、そろそろ帰ろっか」
 鈴那が俺を見て言う。その顔は笑っていた。
「そうだな」
 何が正解でどれが間違いかなんて、そんなことはどうだっていい。長坂さんが裏でどんなことをしていようと、俺にとっては保護者とか師匠のような存在だ。だから、俺は俺の心のままに先へ進めばいい。その気持ちを心の中でそっと抱きながら、鬼灯堂を後にした。

   ○
 雨上がりの星空、その下を二人並んで歩く俺達。
「俺さ、今まではひなを殺した犯人に復讐してやろうと思ってたんだ。でも、もうやめた」
「どうして?」
 鈴那が俺の顔を覗き込む。優しい笑顔だ。
「なんか・・・なんとなくかな。俺がそう思ったから」
 本当にそれしかない。他に理由なんて、何も無い。
「フフッ、そっか。いいと思う!」
 彼女は笑っていた。その笑顔は俺の答えを肯定してくれていた。
「鈴那!」
「ふぁっ!?」
・・・
 彼女の顔は見えない。どんな顔をしているのかわからない。でも、彼女の唇は柔らかかった。
「・・・ごめん鈴那、嬉しかったから」
 自分からしておいて恥ずかしがっているなんて、俺もまだまだ小さい男だ。
「しぐ、ありがと」
 彼女の顔を見る。優しい笑みを浮かべた彼女の顔を。
「鈴那、こちらこそだよ」
 照れているせいか、真面な言葉が浮かばない。それでも、鈴那は微笑んでいた。彼女のこんな笑顔は初めて見た気がする。俺がいつもより緊張しているからそう見えるだけなのだろうか?それでも・・・もしそうだとしても、俺は嬉しかった。
「さ、帰ろ~」
 鈴那は一歩踏み出してそう言った。
「ああ、帰ろう」
 俺も彼女に並んで歩いた。明日は何が起こるのだろう。そんな期待と不安の入り混じる感情も、前に進むための動力へと変えながら。

潮風アンサー

 青く澄んだ空。磯の香りを含んだ空気は、忘れたと思っていた記憶を、一つ二つと思い出させてくれる。楽しかったこと、悲しかったこと、恐ろしかったこと・・・それら全てが、今では遠い昔の出来事のように思えてしまう。
 噎せ返るような暑さの中で潮騒を聞いている。堤防の下、目の前に広がる大海原を見ていると、服を脱ぎ捨ててそのまま飛び込みたくなるようにも思える。だけど、海は怖い。そんなことを考えていると、僅かだが寒気がした。
 ふと、隣に立つ少年を見やると、彼は水平線のどこか、果てしない海の向こうを身動ぎせず見つめていた。潮風に靡く彼の髪は美しく、整った顔立ちということも相俟って、まるで女性のようにも思えてしまう。神原零、日本呪術師連盟T支部支部長の長男であり幹部。俺よりも一つ年下だが、その才能は自他共に認めるものだ。周囲からはゼロの愛称で親しまれ、普段から穏やかな好かれやすい性格。しかし、彼の纏うオーラはどこか神秘的で、妖艶ささえ感じられる。そんな彼に呼び出されたのは、今から90分ほど前のことだった。

   ○
 目が覚めると、いつもとは違う違和感があった。妙に身体が軽い。時刻は午前八時、隣で寝ていた鈴那の姿は無い。もう起きたのだろうか?
 案の定、居間へ行くと鈴那と露の姿があった。城崎鈴那は俺の彼女で、昨日のデート後にそのまま家へ泊ったのだ。
「おはよう」
「おっはよーしぐ!」
元気にあいさつを返した鈴那だったが、彼女も寝起きなのだろう。その声はどこかふわふわとしており、なんだか新鮮だ。
「旦那さま・・・に、兄さん。おはようございます」
露は水色の着物を着てモジモジとしながらそう言った。
「お、おはよう・・・兄さん?」
 俺が訊き返すと、鈴那が笑いながら言った。
「露ちゃん、これからはしぐのこと兄さんって呼ぶんだって~!兄妹って感じでいいじゃん!」
兄妹か。そもそも露は俺の義妹なのだから、兄さんと呼ぶ方が正しい。家に来て直ぐ、俺が「旦那様と呼べ」なんて言ったばっかりに、今までずっと俺のことを旦那様と呼んできたのだ。
「に、兄さん!兄さんでも、いいですよね・・・?」
「もちろんだ!」
 俺は即答した。露・・・可愛過ぎるぞ、お前。
 それにしても、今日は朝から変わったことの多い日だ。いや、普段気にしていないだけで、毎日何かが必ず変わっているのかもしれない。
 事が起こったのは、朝食を食べ終えてから少し経った頃のことだ。不意に何かの気配が家の外に充満し、それらは屋内にも浸み込んできた。
「何だっ!?」
 俺は咄嗟にそう叫んだ。鈴那と露も気配に気が付いたようで身構えている。まるで、黒色の蟲たちの大群が視界を覆ってゆくかのような空想が目に浮かぶ。それほど圧縮された悪意のようなものが一瞬で肥大し、数秒で風船が萎むように小さくなっていった。
「なんだったの・・・今の」
 鈴那が震えた声で呟く。
「わからない」
 俺がそう言った直後、手に持っていたスマートフォンが振動した。画面を見ると、ゼロからの着信だ。俺は通話ボタンを押して電話に出た。
「もしもし」
「しぐるさん、今すぐ事務所へ来てくれませんか?」
「おお、わかった。鈴那は?」
「しぐるさんだけでいいです。では、また後で」
 そう言って電話は切られた。ゼロの声から察するに、やや焦っているようだ。やはり何かがあったのだろうか。
 露と鈴那に事務所へ行く旨を伝え、俺は家を出た。

   ○
 事務所にはゼロ一人だけだった。俺が到着すると、彼は「行きましょう」と一言だけ言って事務所の外へ出た。
「おい、どこに?」
「兎に角ついてきてください」
 彼のいつもより真面目な口調に返す言葉が見つからず、黙ってついていくことにした。先程のこともあったので彼に訊きたいことは山ほどあるが、どうも訊ける状況ではなさそうだ。そんなことを考えていると、彼の方から声を掛けてきた。
「あれ、あんなことは初めてです」
 “あれ”とは先程の気配のことだろう。俺は頷いた。
「俺も小さい頃からこの街に住んでるけど、あんなすごいのは初めてだ。なぁ、何があったんだ?」
「たぶん、あんなものじゃないですよ。除霊できないとかそういうレベルじゃないヤツがどこかにいる」
彼の顔には微笑が浮かんでいた。楽しんでいるのか?この状況を。そう思ったが、もれなく俺もそのようだ。得体の知れないモノへの恐怖で気が動転していた。だが、そのどこかでは凄まじい悪意を放つ何かの正体を知りたいという欲求が渦巻いていた。
「ゼロ、何が起きているんだ?この街で・・・」
「それを今から見に行くんですよ。いや、その一つを。この目で。」
 そう言った彼の目は・・・。

   ○
 潮風に混じり皮膚を刺激する冷たい空気は、ジリジリとその強さを増しているような気がする。
「怪異と相対する者、陰にて闇を斬る。尚、死して屍拾う者無し」
 隣で海を見据える彼が独り言のように呟いた。
「まるで隠密同心だな」
 俺がそう言うと彼はフッと笑った。
「同じようなものですよね。怪異が見え、能力を持つが故にそれらと戦う。そんな僕らでも、本当に恐ろしいものをまだ知らない」
 その通りだ。よく、幽霊よりも人の方が恐ろしいと言うが、果たして本当にそうなのだろうか。幽霊や人よりも恐ろしいものが存在するのではないのだろうか。『絶対悪』という言葉が脳裏を過った。
「しぐるさん、あそこ」
 不意にゼロがそう言ってある一点を指さした。そこに目をやると、テトラポットに何かがくっついている。よく見ると、それは子供の霊だった。
「あそこに、ずっといたのか?」
 俺の問いにゼロは頭を振った。
「急に出てきましたね。龍臥島の時もそうでしたが、一時的に霊の気配が強くなったり弱くなったりと、変動が激しいんですよ。あれは黄昏時という条件付きでしたが、今は真昼。霊自身がそうしているのならいいのですが、これは違う」
 彼がそう言った直後、俺達と程近い場所の海面を見たこともない小魚の群れが一斉に飛び跳ね出した。
「何かの異変を察知したんですね」
 俺があっけにとられていると、ゼロがそう言った。彼は至って冷静だ。俺はふと子供の霊のことが気になり、そちらに目をやった。
「除霊、するか?」
 俺がそう言うと、ゼロは頭を振った。
「浄霊してあげましょう。除霊は、痛いですから」
 彼のその言葉に、俺は少しだけ胸が締め付けられた。あの子も、元は生きていた人の子なのだ。それなのに俺は除霊しようと思った。有無を言わさず消してしまおうと・・・。
「・・・そうだな」
 俺がそう言い終えた瞬間、子供の霊が居た方向から水飛沫が上がった。そこには、もう子供の霊の姿は無かった。
「喰われたんですよ。他の霊に」
ゼロが言った。その顔は、少し憂いを帯びていた。
「見たのか?」
 俺がそう訊くと、彼は頷いてからため息を吐いた。
「霊同士の共喰い・・・信じられませんよ。同種を食べるなんて」
「一体、何が起きているんだ?」
 この街で・・・何度目かになるその質問を口にする。しかし彼は黙ったままだった。そして、ただひたすら海を見つめていた。
 暫くすると、ゼロが口を開いた。
「3年前の7月10日、覚えていますか?」
 覚えている。忘れることもない、妹のひなが殺された日だ。俺は黙って頷く。ゼロは話を続けた。
「しぐるさんは、妹さんの能力についてどこまで知ってるんですか?」
 どうしてお前がそんなことを・・・と言いたいところだが、ゼロがそのことを知っていても何ら不思議なことではないだろう。
「エナジードレインとでも言うのだろうか。ひなは自分に憑依した霊の力を吸収してしまう能力を持っていた。まだ幼かったあの子は、力を上手く制御できないことがあって、色々と問題も起こしてたんだよ」
 俺は話を続けた。
「だから、あの事件もそれが絡んでるんじゃないかと思ってさ」
「しぐるさんは、ひなちゃんを殺した犯人が悪霊だと思っているということですか?」
「うん。あと、サキが何か知ってるらしい。御影・・・長坂さんから聞いたよ」
 俺の言葉にゼロは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに何かを察して苦笑した。
「あはは、もう知ってたんですか。御影のこと」
「長坂さんを、信じればいいんだよな?」
 俺の問いに、ゼロは無言で頷いてから話し始めた。
「あの人は、昔から禁術使いとして有名でした。要注意人物とされてるのは、呪術師連盟の本部がそうしたからです。この前T支部で父さんと話したんですけど、御影、長坂さんはそんなに悪い人ではないです」
 そう言ってゼロは苦笑した。
「今度、親父さんと会うって言ってたな」
「はい。この街で起きている異常について話し合うそうです」
 ひなのこと、長坂さんのこと・・・今起きている事態と、何か関連があるのだろうか?漠然とそんなことを考えていると、背後から聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
「しぐ~ゼロ~!こんなところで何してんの~?」
「鈴那、どうしてここに?」
 駆け寄ってきた彼女に俺が問いかけると、ニッと笑ってからこう言った。
「しぐ、今日起きてから何か変わったことなかった?」
「突飛なことがありまくって思考が追いついてないよ。露も急に俺の呼び方変えるし、なんか街全体でも色々起こってるみたいだし・・・」
 俺はそう言ってため息を吐いた。
「サキちゃんからの伝言あるよ~」
 疲れて俯き加減の俺に鈴那が言った。
「サキちゃん?誰だそれ」
 俺が訊き返すと彼女はクスッと笑った。
「やっぱり気付いてなかったんだ~。しぐの中にいた子だよっ、今朝抜け出したみたいで、しぐが起きてくるまで話してたの」
 俺は唖然とした。俺の中にいたあの蛇が抜け出した・・・だから今朝起きたときに身体が軽く感じたのか。
「それで、サキは何て言ってたんだ?今は何処に?」
「サキちゃん、今は露ちゃんとお散歩に行ってるよ~。あ、伝言ね。明日の午後に事務所へ連中集めろーって言ってた。T支部の人で、しぐのこと知ってる人にはみんな集まってほしいみたいなこと言ってたよ」
 サキのやつ、俺には何も言わないで勝手なことを・・・。それにしても明日、人を集めろだなんて、大事な話でもするのだろうか?恐らく、あの事を。
「では一応、来れそうな人に僕から連絡入れておきますね」
 ゼロがそう言ってスマートフォンを手に持った。
「あぁ、なんか悪いな」
 俺がそう言うと鈴那が首を横に振った。
「しぐが謝ることじゃないよ~。あ、露ちゃんにしぐの呼び方変えさせたのもサキちゃんだって~」
「なっ・・・!」
 感謝すべきか、どうなのか・・・俺は微妙な気持ちのまま海を見た。さっきまで騒がしく水面を跳ねていた魚たちの姿はもう何処にも無く、ただひたすらに、静かな海が広がっている。僅かに吹く潮風だけが鼓膜を振動させ、ノイズがかかった音声のように心へと響いた。まるで、何かの答えを教えようとするかのように。

回想レスト

 八月の海。案外、綺麗なものだ。
「そういえば、そんなこともあったなぁ」
 堤防の上、俺と鈴那とゼロが腰を下ろして駄弁っている。気付けば、俺の思い出話になっていた。
「しぐは、霊感があることをオープンにしてるんだね」
 鈴那がそう言って缶ジュースを一口飲んだ。
「そこまで公けにはしてないけど、気付いたら噂程度に広まってた」
「そうなんだ、いいなぁ~。あたし、霊感のせいでいじめられてたりしたからさ・・・」
「そうだったな・・・なぁ、鈴那は霊的なものを嫌ってたりするのか?」
 俺の質問に、鈴那は少し考えてから軽く俯いた。
「嫌いと言ったら嘘になる。この能力があったから、しぐにも出会えたし。でも・・・あまり好きではないかな」
 彼女はそう言って苦笑した。
「そっか」
 俺は短く呟いた。
「ねぇ、しぐ。怖い話してよ!」
「えっ、今ここで?」
「うんっ!しぐの怪談語り、ゼロにも聞かせてあげよっ!」
 そう言った彼女の顔は楽しそうに笑っていた。そういえば、ゼロに話していない俺の実体験があった。
「しぐるさん、怪談語りするんですか?」
 ゼロが興味津々といった目で俺を見てきた。
「おいおい、あまり期待するなよ」
 潮風に当たりながらそんな会話をしている。先程まで、怪異が起きていたこの場所で。
「これは、俺が今年の夏休み初日に体験した話なんだけど・・・」
 そう前置きし、俺は自らの体験談を淡々と語り出した。

   ○
 思い出話を一つ。高校二年の夏休み、まだ鈴那やゼロたちと出会う前に体験した話だ。
小さい頃から、霊という存在が見えてしまうのだ。例えば、川から顔だけを出し、生気の無い目でこちらを見つめる黒髪の女、マンションの最上階から人が飛び降りるのが見え、驚いてその場所へ行ってみれば、そこには誰もいない。
そんな俺に霊感があるという噂がいつの間にか広まっていた。そのせいか、妙な体験をした友人などから相談されることがある。 噂を広めた犯人は、大体想像がつく。俺のクラスメイト、山岡という男子生徒だ。 今から語るこの話の原因を作ったのも、その山岡というやつ。以前、心霊スポットで取り憑かれてきた山岡の除霊を長坂さんがすることになった際、俺も手伝ったのだ。何となく噂を聞くようになったのはそれからだった。
俺はそんな山岡に頼まれて、近所の山にある廃屋での肝試しに付き合うこととなった。俺以外のメンバーは山岡の他に二人居た。よく山岡をパシリに使っている遠藤という不良生徒、その友人だが性格は優しく、わりと真面目な杉山。全員俺と同じクラスのやつだ。
 肝試し当日、俺達四人は例の廃屋の前に集まった。時間帯は夜だったので、かなり雰囲気もあった。
俺は既に廃屋からの嫌な気配を感じ取り、手に汗を握っていた。
「な、なんか、すごい、雰囲気、あるね」
山岡がそう言うと、遠藤が馬鹿にするように言った。
「山岡、もうビビってんのか。まだ何も出てねぇだろが。おい雨宮、なんか見えるか?」
 遠藤とはあまり話したことが無かったが、口調の荒いやつだ。
「いや、まだ見てはいないけど、確実にいる。これ入らない方が身のためだな」
「ったく、お前までビビってんのかよ。ほら、行くぞ」
俺が何気なく忠告すると、遠藤が溜め息を吐いて言った。そして遠藤は山岡の腕を掴み、廃墟の入り口へ向かって行く。杉山は俺の方を見て苦笑した。遠藤の態度に呆れているらしい。ここへ来る前にも俺に向かって暴言を吐いた遠藤に対し「せっかく着いてきてくれるんだから」と杉山が制止していた。彼は柔道をやっており、確か黒帯だったはずだ。喧嘩っ早い遠藤でも杉山には勝てない。なぜ性格の似ていない二人が友人同士なのかは分からないが、遠藤が羽目を外さないのは杉山のおかげなのだろう。
廃屋の入口に鍵は掛かっておらず、簡単に入ることができた。建物の造りは古く、玄関を入って右側に、12畳ほどの部屋があった。居間のようだ。
「雨宮、ここなんか居るか?」
遠藤は怯える様子も無く俺に訊いてきた。
「いいや、ここじゃない」
俺がそう言った瞬間、背後から背筋の凍るような気配を感じだ。
「!?」
咄嗟に後ろを振り返ると、そこには何もいなかった。 気のせいだったのだろうか。いや、確かに感じだ。この廃屋には何かがいる。
俺の行動に驚いた山岡は、「ひぃ」などと弱々しい声を出している。 それに続き、遠藤も俺に訊いてきた。
「いま、なんか居たのか?」
「いや、気のせいだったみたいだ」
俺は気のせいだったと言い、先を進むことにした。が、その時、居間のような部屋の隣にある部屋から、女の呻き声のようなものが聞こえてきたのだ。
俺はまずいと思い、進む遠藤の腕を掴んだ。
「なんだよ」
「聞こえる。呻き声みたいなのが。そこの部屋から」
「まじか、ちょっと見てみようぜ!」
「おい、やめろ」
遠藤は俺の制止を振り切り、その部屋へ入ってしまった。山岡はさっきの俺の一言で完全に怯えきっているようで、その場に縮こまってしまった。
仕方なく俺は遠藤の後をついて部屋へ行くことにした。
「杉山、山岡に付いていてやってくれないか?」
「わかった」
俺は山岡を杉山に任せ、部屋の入り口まで来た。どうやら台所のようだ。遠藤は入口付近で部屋の一点を凝視していた。
俺が遠藤の指差す方を見ると、そこには女が蹲り「うぅぅ」と唸っていた。 俺は直ぐに遠藤の腕を引き部屋を出ようとした。すると、さっきまで唸っていた女が言葉を発した。
「待って・・・どうして・・・私を・・・」
無論待つわけがない。遠藤を連れて部屋を出るため振り返った。しかし、そこにはさっきまで台所の隅にいた女が目の前にいたのだ。その顔は見るに堪えないものだった。
声が出ない。動けない。金縛りのような感覚に襲われ、俺はただその恐ろしい顔を見ていることしか出来なかった。
しかしその女は、こちらを見ているだけで何もしてこない。その時は不思議に思ったが、今思えば俺が無意識のうちに念のバリアでも張っていたのかもしれない。
しばらくすると女も諦めたのか、目の前でスゥ…と消えてしまった。それと同時に体を自由に動かせるようになり、直ぐに台所を出て杉山たちと合流した。どうやら二人には何もなかったらしい。
俺は遠藤を支えながら台所で起きたことを杉山たちに簡単に話すと、もう帰ろうということになり、玄関から外に出た。
「うわぁっ!!」
外を見た杉山が突然大声を出した。無理もない。そこにはさっきの女の霊の他に、顔の潰れた子供二人の霊が道を塞ぐように立っていた。それを見た山岡は気絶してしまい、杉山に支えられている。
「お父さん…お父さん…」
突然、子供二人の霊がそんなことを喋り始めた。すると遠藤はゆっくりと、その子供の霊の方へと歩いていく。
「おい、遠藤!待てよ遠藤!」
俺が声をかけるが止まらず、腕を掴んで戻そうとしても、そのまま進もうとしてしまう。顔は無表情で目は虚ろだ。それでも俺はなんとか遠藤の歩みを止めようと、必死で彼の腕を引き戻そうとした。
そこからは記憶が曖昧だ。次に覚えているのは、遠藤が地面に倒れ込み、さっきまで道を塞いでいた霊がいつの間にか消えていたところだ。これも今思えば、解離を起こしてもう一つの人格が霊を祓ったのかもしれない。
その後、遠藤も山岡も直ぐに目を覚まし、俺たちは家へ帰った。

   ○
「次の日、遠藤が家に礼を言いに来たんだ。そしてはっきりと見えた。遠藤が玄関を開けたとき、家の門の外で遠藤を待ち構えるように立つ女の霊が・・・以上、俺の体験談でした」
 そうして俺は話を締め括った。
「つまり、女の霊を完全に除霊できてはいなかったんですね」
 ゼロが顎に手を当てて言った。その顔はどこか楽しそうだ。
「そうだと思うんだよな。その後、長坂さんが遠藤に憑いたそいつを除霊してくれて、一件落着って感じだ。今の俺なら念力で簡単に除霊できそうなのになぁ」
 俺はそう言ってから気が付いた。俺の中にいたサキという蛇の妖怪、アイツはもう俺から出ていったのだ。今まで能力が上手く使えたのはサキが霊力を制御していてくれたからであって、俺一人では・・・。
「まぁ、コツは掴んだ」
 俺は独り言のように呟いた。
「ん、何か言った?」
 鈴那が怪訝な顔でこちらを見てきた。
「いや、なんでもない」
 それだけ言うと、俺は自分の持っているさっきまでジュースの入っていた空き缶を念動力で浮かせた。やっぱり、もう俺一人だけでも大丈夫か。
「念動力ねぇ・・・そういえばゼロ、俺達が所属してるのって呪術師連盟なんだろ?でも俺、呪術師って言うかただの念能力者じゃないか?」
 俺はふと思った疑問を口にした。するとゼロは苦笑しながら「そうなんですよね~」と言った。
「日本呪術師連盟とは、日本の呪術師を始めとして、霊能者や超能力者も集められた結構何でもありの組織なんです。それに一般的には知られていない組織なので、俗に言う秘密結社みたいなものですね」
 秘密結社・・・その言葉に少しゾクゾクした。
「俺って、秘密結社の一員だったのか」
「確かに、今まであまり気にしてなかったけど、呪術とか霊能力とか普通じゃないもんね~」
 鈴那も面白そうに言った。
 つい最近まで平凡な生活をしていた俺だが、今は霊能力者として除霊を専門に活動している。こんな突飛な現状を、俺自身はどう受け止めているのだろうか。それでもそんなことは関係無く、今年の夏はやっぱり楽しい。そう思った。

炎天プロムナード

炎天プロムナード

 熱を帯びたアスファルトが、視界の奥でユラユラ揺れている。暑すぎて頭がクラクラ・・・
「いけません!」
 私は自分に一喝した。
「なっ!どうしたよ急に・・・」
「すみません、暑さに負けそうだったのでちょっと気合い入れました」
 右肩に乗った小さな黒い蛇のサキさん。どうやら、妖怪らしい。
「お、おう。いいんじゃねーか~。つーか暑い」
 サキさんはそう言うと私の髪に身体を絡ませ、頭を肩の上に乗せて項垂れた。
「暑いですね~。夏って、感じです」
 夏は嫌いじゃない。特に、今年の夏は。
 兄さんの家に養子として引き取られたのは、今から二年くらい前のこと。元々は一人っ子で、兄弟姉妹のいる生活とは無縁だった。引っ越して来て直ぐの頃は怖い人だと思っていた兄さんも、本当はとても良い人で、突然一緒に住むことになった私に優しくしてくれた。露なんて自分でも変な名前だと思うけれど、兄さんにそう呼んで貰えるのが嬉しい。
「んで、アイツのこと兄さんって呼ぶにゃ慣れたか?」
 不意にサキさんが右肩の上から問いかけてきた。
「へ?はい。まだちょっとしか呼んでませんけど、兄さんです!」
「ん。そもそも旦那様ってなぁ・・・あのシスコン野郎。露ちゃんよぉ、お前もお前だぜ。今まで素直にアイツのことをそう呼び続けるとか、ほんと何者だよお前・・・」
「ん?何者って・・・私は、私ですけど」
「あーもういい。大丈夫」
 そう言ってサキさんはまた肩の上に項垂れた。何が言いたかったのかよくわからなかったけれど、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
「それにしてもサキさんって、お身体そんなに小さかったんですね」
 私がそう言うと、サキさんは怠そうに首を上げて「うるせぇ」と力なく言った。
「完全に力を取り戻してねぇからこんなちびっけぇんだよ。つーかデカいよりいいだろ、移動に便利だぜ」
「そうですけど、サキさんってそんなに強いんですね。なんでしたっけ?蜘蛛みたいな妖怪を倒した時に、大きい蛇を出したじゃないですか。本当の実力はあれよりすごいんですか?」
「いやぁ・・・あれはしぐるの中に居たからアイツの力を借りれてただけだ。あれでも本来の力に比べりゃ劣るが、今よりマシだったな。」
「と言うことは、兄さんの力が強かったのですか?」
「おう。アイツの精神を一通り見回ってみたが、一ヵ所だけ強力なバリアが張られてるとこがあって、そこから凄まじい霊力の流れを感じてなぁ。バリアが固すぎて通れなかったから中に何があったのかは知らねぇが、おそらくあそこがしぐるのエネルギーの元だな」
 サキさんは淡々と話した。兄さんの御祖父さんは有名な霊能力者だったらしいけれど、それが関係しているのかもしれない。
「でも、兄さんのお父様には霊感すら無いのですよ?何故でしょうか」
「そりゃ能力者の血筋だからって必ずしも能力を持つ者が生まれるわけじゃねぇよ。そんなことよりお前、もっと自分の能力を磨きたくはねぇか?」
「えぇ、どうして急にそんなことを?」
「だってよぉ~、そんな中途半端な超能力じゃ自己防衛出来るかどうか見てるこっちが不安になってくるぜ。しぐるが霊能力者としてお祓いの仕事を請け負ってる以上、お前にも危険が降りかかるかもしれねぇだろ。それに特訓すりゃ霊感も強くなるだろうから、しぐるたちと同じ世界が見える。一石二鳥だろ~」
「まぁ、確かにそうですけど」
 正直なところ、元々争いごとが嫌いな私は能力のことなんかどうでもよかった。でも・・・
「兄さんたちと、同じ・・・」
 少しだけ羨ましかった。それと同時に、虚しかった。兄さんが私よりも多くの霊を見ている分、それらの存在を完全に理解してくれる人は、兄さんの中から居なくなってしまう。今は鈴那さんやゼロさんたちが居て、同じ世界を見れる仲間が増えたけれど、あの人たちと出会う前まで兄さんにとって霊が見えるのは私だけだった。その私も霊感は兄さんの半分かそれ以下しか無くて、兄さんに見えて私に見えないなんてことがあった時は、いつも申し訳なく思っていた。それだけで、兄さんとの間に見えない壁が出来てしまっているようで・・・その壁の向こう側で、兄さん一人に孤独を感じさせてしまっているような気がしてならなかった。
「サキさん、能力を使いこなせるようになれば、本当に霊感も強くなりますか?」
「お、勿論だぜ!どうだ、やる気になったか?」
「はい、やってみます」
 兄さんには、仲間もお友達も彼女さんもいる。でも、兄さんと一番時間を長く過ごしてるのは私だけ。これからはそうで無くなってしまうかもしれないけれど・・・それでも、今だけは・・・
「私だって、兄さんの一番になりたいんですから・・・」
「・・・おう!そうと決まればこの俺様」
「いっ、今の聞かなかったことにしてくださいっ!」
「なんだなんだ~可愛いじゃねぇか~って、いてぇっ!」
 恥ずかしい。口に出すつもりなんてなかったのに・・・気付けばサキさんをブンブンと振り回していた。

   ○
 植物操作能力。植物にチャンネルを合わせて念力操作する能力を私は持っている。元々自然のものと波長が合いやすいのか、幼い頃から何となく使えた。
「それで、どうすれば上達するんですか?」
 私はサキさんと松林の遊歩道を歩きながら能力のことについて話していた。
「お前自身が能力を使うようになれば直ぐに上達するさ。初めのうちはコントロールが難しいだろうから、俺様がお前の中で霊力を制御してやるよ」
「サキさん、私の中にも入れるんですか!」
「おう。お前の器がどの程度かも知りてぇからな」
 そう言ってサキさんは遊歩道を外れた獣道へ入るように言ってきた。その獣道をしばらく歩いていると、少し拓けた場所に出た。何故か空気も変わった気がする。
「ここは普通の人間は入れねぇ場所だ。妖者か幽霊か、能力を持つ人間しか入って来れん。呪術に“人除け”なんてのがあるけど、それはこういう人の踏み入ることが出来ない場所を模して作られてんだよ」
「へぇ~。なんか詳しくは分かりませんけど、すごいですね」
 正直、恐怖は全く感じなかった。サキさんが居てくれるからというのもあるけれど、私自身も恐怖という感情が少し麻痺しているのかもしれない。
「そんじゃ、ちょっと失礼していいか?」
気が付くとサキさんが私の頭の上に乗っていた。
「あっ、入るんですか?はい、どうぞ」
 私がそう言うや否やサキさんはスッと私の中に入ってきた。心の中に自分とは違う誰かが居る。
(露ちゃん、聞こえるかい?)
「あっ、サキさん?なんか脳内に直接って感じで聞こえます!」
(よし。もう霊力は俺が制御してっから、とりあえず其処らにある植物に触れて好きなように動かしてみろ)
「やってみます!」
 私は近くの木に巻き付いている蔦に左手で触れた。すると蔦は少しずつ動き始め、暫くすると大きく躍動するようになった。
「すごい・・・こんなの初めて」
 私と植物のエネルギーが通い合っている。それをはっきりと感じることができた。軈て蔦が寄生していた木の根までもが躍動し始め、それら全ての司令塔が私であるということを証明するかのように、私の思い通りに動いてくれていた。
(すげぇじゃねーか!でも気を付けろ、そいつらの司令塔はお前だ。植物のチャンネルに吞まれるなよ)
「大丈夫です!もうお友達になれました」
 この植物たちの声が聞こえる。声というには乏しいけれど、この子たちは私を慕ってくれている。それだけは分かった。
(ここまで植物たちがお前に忠実なのはセラピー能力の影響だな。あと、今は俺様が霊力を制御してるから上手くいってるが、自分だけで出来るようにこの感覚を覚えておくんだぜ。とは言っても、暫くはこの俺様が手伝ってやる)
「ありがとうございます、サキさん!頼もしいです!」
(全く素直で可愛いなぁ露ちゃんはよぉ!こうなったら俺様が一人前の超能力者に育て上げてやるぜ!)
 サキさんがそう言い終えた直後、背後から誰かの気配を感じた。念のため植物たちの態勢を保ったまま振り返ると、視線の先には見知った顔の男性が立っていた。
「あっ、長坂さん!」
 兄さんの知り合いで神主さんをやっている人だった。私は植物の動きを止めた。
「露ちゃん!こんなところで何をしてるの?」
 長坂さんは不思議そうに私を見た。するとサキさんが私の中から飛び出し、再び右肩の上に乗った。
「なんだロリコンジジイか!驚かせやがって。あ、言っておくがこいつは渡さねぇぜ。俺のオカズだ」
 サキさんは長坂さんにそう言い放った。
「黙らんか蛇のくせに。と言うかもう出てきたのか、元気そうで何よりだ」
 長坂さんもサキさんにそう言いながら苦笑した。
「サキさん、長坂さんとお知り合いだったのですか?」
「おう、ちょっとしたな。それより長坂、明日あの呪術師坊ちゃんの事務所で俺様の講演会を開くんだが、来るか?」
 そういえば家を出る前、明日ゼロさんの事務所に皆さんを集めてほしいと鈴那さんに伝言していた。サキさんが何を話すのか、詳しくは聞いていないけれど。
「いや、すまんが明日はちと大事な用があって行けないんだ」
「大事な用ってなんだよ。珍しいじゃねーか」
「暇人みたいに言うな。呪術師連盟T支部の支部長、神原さんと面会の約束をしていてな。悪いが明日は行けん」
 T支部の支部長、確かゼロさんのお父様だったはず。そういえば、兄さんも同じようなことを口にしていた気がする。私は少し気になることがあり訊いてみた。
「あの、その面会で話す内容って、さっきの変な現象と関係があるのですか?」
 そう、あれは一体何だったのか。一瞬だけ感じたあの見えない悪意のようなもの。長坂さんは直ぐに分かったようでうむと頷いた。
「俺もあれを感じて外へ出たんだが、直ぐに消えてしまったからなぁ。確証は無いが、おそらく関係している。それで、どうして露ちゃんはサキとこんなところに?」
「あっ、えっと・・・」
私が答えようとすると、サキさんが口を開いた。
「能力の特訓さ。俺様が力の使い方を教えてやってんだよ」
「ほう、やはり露ちゃんにも能力があったか。何かを感じてはいたが、植物を操る能力とは珍しい」
「さっきの見てたのか。スゲーだろ!隠しとくにゃ勿体ないぜ」
「えへへ~」
 なんだか照れ臭い。兄さんに見せたら、同じように褒めてもらえるだろうか?
「おい、出てこい」
 不意に長坂さんが茂みの方を見て言い放った。私もそちらに目をやると、カサカサと草が揺れている。
「何者だ。つーかよく気付いたなお前。流石は禁術使い」
 サキさんも続けてそう言った。
「黙れサキ。いいからそこに居るのは誰だ。出てこい」
 長坂さんがそう言った直後、茂みの中から何かが勢いよく飛び出してきた。それは、黒い毛むくじゃらの怪物。目は赤く光り、犬のようにも見えるが明らかに違う。まるで、悪魔のような・・・。
「サキさん、あれ何ですか!?」
 私が驚きながらそう言うと、サキさんは「分からん」とだけ言い、また私の中に入ってきた。
(露ちゃん、戦えそうか?)
「えっ、私そんな・・・」
 私があたふたしていると、長坂さんが着物の袖から紙人形を取り出し、怪物に向けてそれを飛ばした。幾重にも連なった紙人形は怪物の身体に絡みつき、動きを封じ込めている。
「どこからやってきたか知らんが、日本の妖者では無いな。悪霊か、悪魔か?」
「おい、こいつ倒しちまっていいか?」
 聞こえたのは私の声・・・だったが、私は喋っていない。いつの間にかサキさんが私に憑依していた。
(サキさん!?)
 私が心の中からそう叫ぶと、サキさんの意識はこちらに向けられた。
「急に代わって悪かったな露ちゃん。少しの間借りるぜ」
 サキさんはそう言って意識を再び怪物の方に向けた。
「サキ、とりあえず生け捕ろうと思うのだが、良いか?」
 長坂さんが怪物に視線を向けたまま言った。それに対し、サキさんは笑いながら答える。
「生け捕るってお前、あんな得体の知れないモンを!?つくづく闇が深い人間だなぁお前は」
「何とでも言え。壺にはいるだろうか?」
 長坂さんはそう言いながら小さめの壺を懐から取り出し、怪物に歩み寄った。怪物は長坂さんを睨みながらグルルルルゥと唸っている。
 その刹那、怪物を取り囲むかのように閃光が走った。
「何だと!」
 長坂さんはそれに驚いた様子で身を引いた。
「イズナか」
 サキさんがポツリと呟いた。怪物を囲っている光をよく見ると、高速で走り回っている数匹の狐のような姿がうっすらと確認できる。
 イズナたちは怪物に攻撃を加えながらグルグルと円を描いている。余りに不思議なその光景に私は見とれてしまった。軈てイズナたちは怪物を呑み込むかのような形で包み込み、暫くすると動きを止め、高速で私の後ろへ走り去っていった。
「おいおいマジかよ。イズナなんて久々に見たぜ!」
 気が付くとサキさんは私から出ていたようで、また私の右肩に乗りながらそんなことを言っている。私は先程イズナが走り去っていった方が気になり後ろを振り向くと、そこには見覚えのある女性の姿があった。女性は私と目が合うと軽く微笑み「お久しぶりね」と一言だけ言った。
「えっと、お祭りのときの方ですよね?」
 私の問いに女性は頷いた。
「そうよ。呪術師連盟T支部の幹部、市松。しぐる君の義妹ちゃんよね?この前はしっかりご挨拶出来なくてごめんなさいね」
「あっ、こちらこそ。露と申します。あ、ええと・・・助けてくださってありがとうございます!」
 私は慌てて頭を下げた。
「いいのいいの。怪我が無くてよかった」
 そう言って市松さんは微笑んだ。綺麗な人だ。
「次から次へと・・・あの程度の怪物じゃ俺様と露ちゃんだけでも倒せたな」
 サキさんが自慢げに言った。それを見た市松さんは「あら」と声を出し、また微笑んだ。
「もしかしてしぐる君の中にいた蛇さん?元気になったんですね~」
「あ?俺の存在は一体どこまで認知されてんだよ。市松とか言ったか?俺のことは誰から聞いた?」
 サキさんはそう言いながら市松さんを睨み付けた。
「ちょっとサキさん!助けてくれたんだから先にお礼を言わなきゃですよ」
 私はそう言ってサキさんの頭を人差し指で小突いた。
「っておい露、今の地味に痛かったぞ。お前あまり調子に乗ってるとその身体乗っ取って・・・」
「お礼を言いなさい」
 私が言葉を制するとサキさんはムスッとして「へいへい」と言った。
「助けてくれてありがとう マル 俺たちだけでは手に負えませんでした マル」
 ふざけながら感謝を述べたサキさんに市松さんはクスッと笑って「どういたしまして」と言った。
「サキさんでしたっけ?あなたのことはゼロくんから聞きました。思ったよりも可愛らしい蛇さんですね」
「あ~そりゃどうも。女ってめんどくせぇなぁ。て言うか露ちゃん、お前さっきの言い方が日向子にそっくりだったぞ」
「えっ、そうでしたか?兄さんにはいつもこんな感じですけど」
「お前、慣れた人には歳関係無く厳しいんだな。俺様は人じゃねーけど、もう慣れたんだな」
 サキさんはそう言ってため息を吐いた。
「だってサキさん、妖怪と言うよりペットみたいなんですもん」
「おいおいこれでも上級妖怪だぞ!今はかつてないほど弱ってるけどよぉ・・・あ、そういえばアイツは?」
 サキさんはキョロキョロと周囲を見回している。それで私も気が付いた。
「長坂さん、どこへ行ってしまわれたんでしょうね?」
 先程まで一緒にいた長坂さんの姿が見当たらない。
「アイツ、逃げたな」
 サキさんがニヤリと笑って言った。
「なんで逃げたんですか?」
 私が訊くと、サキさんは「色々あるんだよ~」とはぐらかすように言った。何だか、色々なことが起こって頭がごちゃごちゃしている。
「あの黒い怪物、日本のものではなかったですね。」
 まるで悪魔みたい・・・市松さんは独り言のように呟いた。

   ○
「しぐしぐ~!今日も泊まっていい~?」
 隣を歩く鈴那がハイテンションでそう訊いてきた。
「お前さぁ、ほぼ毎日うちに泊まってるぞ」
「だって、一人だと寂しいんだもん」
 そういえば、鈴那はアパートに一人暮らしだ。俺はため息を吐いた。
「別に駄目とは言ってねぇよ。て言うか、寧ろ賑やかで嬉しい」
 賑やかで嬉しい・・・俺は言ってから照れ臭くなった。
「やったー!じゃあこれからは一つ屋根の下でずっと一緒だね!」
「なっ!は、まだ早いっつーか、それは・・・都合が悪いときは正直に言うからな」
 照れ隠しが下手くそな自分が情けない。
 炎天直下の道を二人で歩いている。先程まで同行していたゼロは用事があるからと言って別れた。色々な話をした。多くの知識を得た。それら全てが楽しかった。至って平凡な夏の一日が、小さな出来事で突飛な世界へとつながった。日常に隣接している異界への扉を開いてしまった。
「こんな一日も、悪くないな」
 俺は独り言のように呟いた。
「そうだねっ」
 鈴那が前を向いたままそう言った。ふと彼女の顔を見やると、楽しそうに笑っていた。釣られて俺も笑顔になる。
「そうだ。明日、事務所に集まるんだっけ?」
 俺は何気なく気になったことを口にした。
「うん、サキちゃんが色々話すって」
 明日サキが話すこと。それは、俺の妹が殺された事件にも関りがあるのだろう。サキが何をどこまで知っているのか。今日にでも聞き出したいが、サキにもサキの事情があるのだろう。
「あっ、露ちゃんだ」
 不意に鈴那が言った。前方を見やると、家の玄関前に露の姿がある。いつの間にこんな家の近くまで来ていたのか。話に集中していて気が付かなかった。露も俺達に気付き、手を振っている。
「おかえりなさい!」
 そう言って笑う露の右肩に何かが乗っていることにふと気が付く。よく見ると黒い蛇のようだ。
「おい、そこに乗ってるのはサキか?」
 俺がそう言うと、黒蛇は赤い舌をシュルシュルとさせながら笑った。
「よぉ相棒!ご機嫌いかが~?」
「ご機嫌いかが~?じゃねーよ!俺に黙って露とどこ行ってたんだ」
「兄さん、大丈夫ですよ。サキさんいい子ですから」
 露がにこやかに言った。
「そ、そうか~、いい子だったか」
 俺は苦笑した。まるでペットだ。
「サキちゃん、もう露ちゃんのペットみたいだね~」
 俺が思ったことを鈴那が口にした。するとサキはため息を吐いて「やっぱりそう見えるか」と言った。どうやら他の誰かにも言われたらしい。
 俺達は家に入り、居間へと集まった。サキは相変わらず露の右肩に乗っている。
「サキ、露が気に入ったか?」
 俺の問いにサキは「おう」と頷いた。
「今日からここは俺様の特等席な。露ちゃんめっちゃいい匂いすんだぜ!しぐるお前嗅いだことあるか?」
「ねぇよ、あるわけねぇだろ。つーかどんな匂いだよ」
「そりゃ美味そうな匂いが」
 そう言い掛けたサキの頭を露が人差し指で小突いた。
「サキさん、あまり変なことばかり言ってると舌切っちゃいますよ」
「マジか!それはご勘弁」
 どうやら俺が心配する必要は無いらしい。
「いいコンビができたな」
 俺はそう言って苦笑した。サキという蛇の妖怪。こいつが何者なのか詳しくは分からない。でも、長坂さんや十六夜さんとは知り合いのようだった。それなら、無駄に警戒する必要は無いだろう。

   ○
 夜空を見ている。蚊取り線香の匂いが夏を感じさせる。
「あっ、一等星~」
 俺の右隣では鈴那が星を数えている。
「兄さん、お月様綺麗ですね」
 左隣に座っている露が俺の顔を見上げて言った。
「あぁ、綺麗だな」
 ついこの間までは、露と二人きりで夜空を見ていたのに、いつからか鈴那が加わり、そして今日からサキも一緒だ。サキは露の膝の上で気持ちよさそうにしている。どうやら肩よりもいい場所を見付けてしまったようだな。そんなことを考えながらサキのことを見ていると、不意に目が合った。
「しぐる~なに露ちゃんのふとももジロジロ見てんだよ~」
「馬鹿、お前を見てたんだよ」
 そうツッコミを入れるが、多少の下心もあった。
「サキさん、なんか眠そうですね」
 露がサキの身体を撫でながら言った。
「うむ、なんか今日は疲れた」
「妖怪も寝るんだな」
 俺がそう言うとサキはモゾモゾと動きながら「まあな~」と言った。
「寝ても寝なくてもいいんだけど、俺はまだ弱ってるから寝ないと回復出来ねぇんだよなぁ。露ちゃんと寝てれば回復が早くなるんだよなぁ」
 サキは片目で俺をチラリと見てきた。まったく、赤くて不気味な目だ。
「露さえよければ構わないけど、余計なことすんなよ」
「わかってるよ~大丈夫大丈夫~いいよなぁ露ちゃん」
「私は別に構いませんよ。サキさん、なんか可愛いですから」
 サキの「大丈夫」は全く信用できないが、露が楽しそうなのでいいだろうと思った。
 夏の宵、虫たちの静かな歌声が聞こえる。
「鈴那、寝るか」
いつの間にか俺に寄り掛かっていた鈴那に声を掛ける。
「うん」
 小さく短い返事が返ってきた。
 夜空には幾つもの星々が輝いている。それを見ながら、心の中でポツリと呟いた。俺達は今、何処へ向かっているのだろう。

蛇と少女

 冷房が効いているはずの事務所内は、いつもより人の密集率が高いせいか、少しだけ暑い気がする。
今日ここに集まった人たちは、俺と少しだけでも関係を持った人物であり、その全員が日常とは異なる世界を見ている。
「全員揃ったか?」
 露の膝上に身を置いている黒い蛇、サキが言った。
「まだ、あと一人・・・あ、来ました」
 この事務所の所長であるゼロが入口を見て言った。ガラガラガラと、戸を開ける音がする。
「おっ、もう結構集まってたな」
 戸が開いたことで、外の熱気が室内へと流れ込む。入ってきた人物は、俺達を見るなりそう言った。
「こんにちは、岩動さん」
 呪術師連盟T支部に所属する幹部の一人、岩動さん。俺が入会するときの面接を担当してくれた人だ。体格が良く、一見は強面な印象だが、内面は優しく正義感の強い人である。彼は俺のことが目に入ると、笑顔で「久しぶり」と言った。
「お久しぶりです、岩動さん。面接のときはどうも」
「いやいや、こちらこそあの時はどうも。俺、見た目がこんなだから初対面の人から怖がられるんだけど、雨宮くんは最初から普通に接してくれて面接もしやすかったよ」
岩動さんはそう言うとゼロが用意したパイプ椅子に座った。その様子を見たサキが俺のことを見る。
「しぐる、口借りていいか?」
「えっ、俺の?ああ、構わないけど」
「悪いな。そこそこ長くお前の中で眠っていたせいか、その方が落ち着いて話せる」
 そう言うとサキは俺の中にスゥッと入ってきた。
「よし、これで全員揃ったな」
 サキが俺の口を使ってそう言った。俺も意識の中で改めて事務所内を見回してみると、俺を含めて10人も集まってくれた。全て、このサキが語ろうとしている物語を聞くためだけに。
「皆さん、今日は急な呼びかけにも関わらず、集まってもらいありがとうございます。えっと、まぁ、今はしぐるさんに憑依してますけど、サキさんです」
 ゼロが皆にそう言いながら俺を指した。いや、俺ではなくサキか。今ここにいる全員はサキに注目しているのだ。
「サキさん、初対面の方の紹介が必要なら、そうしますけど・・・」
 ゼロがサキを見て言った。その目は少しだけ睨んでいるようにも見える。彼はまだ、サキのことを警戒しているのだろうか。
「えーっと、鈴那ちゃんと露ちゃんと~、市松だっけお前?」
 サキの少々乱暴な問いかけに市松さんは軽く微笑んで「はい」と頷いた。
「よし、それと~目が青いヤツ」
 次にサキが示したのは昴のことだった。彼はそれに対し苦笑している。
「北上昴だよ。海中列車の件で少しだけ話したよね」
「あ~そういえばそうだったなぁ。思い出した。んで、おーまーえーはー・・・誰だ?」
 サキはそう言って金髪の男性を指さした。T支部の幹部で、呪術師の藤堂右京さんだ。
「おいおい、人を指さすなよ~。俺は藤堂右京で、こっちが娘の蛍だ」
 右京さんは苦笑しながら言った。彼の隣に座っている蛍ちゃんは静かにこちらを見つめている。
「右京ねぇ~、覚えとくわ。娘ちゃん可愛いねぇ~」
 サキは嬉しそうに言った。コイツ・・・。
「だろぉ!自慢の娘なんでよろしくなっ!」
 右京さんも相変わらずだ。サキとは結構気が合うかもしれない。
「いやぁ、お前さんとは仲良くなれそうだぜ。あ、それで最後に来たそのデカいヤツ。岩動って言ったか?」
「そうだ、霊能力者の岩動。さっきも言ったけど、怖い人じゃないよ」
 岩動さんは笑いながら言った。
「へぇ~、見るからに強そうだなぁ。どんなことが出来るんだ?」
「主にPSI、一般的に言う超能力だが、趣味が筋トレだから重いものを持ったり、物理攻撃が得意だったりするぞ」
 岩動さんはまた笑いながら言った。
「物理・・・除霊の時は霊を殴るのか?もちろん拳にゃ念力込めてるよなぁ」
「あぁ~勿論、除霊の時はね。込めてない時もあるけど」
「マジか、物理攻撃か」
 除霊(物理)か。と、サキは勝手に何かを納得し、本題へ移ろうとした。
「よし、今ここにいる奴らがどんな人間かは大体理解できた。今から俺様が話すのは、この雨宮しぐるの妹、雨宮ひなが殺害された事件の真相だ」
 俺の妹、雨宮ひな・・・素直で可愛い子だった。そして、不思議な能力を持っていた。事件後、ひなの遺体は身体中を傷付けられ、事件現場には大量の血が遺されていた。警察は殺人事件と断定して捜査を始めたものの、それらしい手掛かりは見つからず、結局事件は迷宮入りしている。その真相が今日・・・漸く分かるのだ。

   ○
 サキから聞いた話。
 赤い・・・世界が赤い。違う、血塗れなのだ。俺の視界一面が・・・。
 真っ赤な世界の中心で、黒いものが渦巻いている。ヤツだ。ここに倒れている人間全員がヤツに殺された。黒色は範囲を広め、また力を増した。危険だ。俺も早く逃げなくては・・・!
 俺はただ散歩をしていた。森の空気がいつもと違っていることには気が付いていた。そのことに、もっと注意しておくべきだった。でなければ、あんなことにはならなかったのかもしれない。
 それは偶然目に入った光景だった。邪悪な悪霊を何人もの霊能者や呪術師たちが取り囲み、一斉に除霊を試みている。しかし、どれも効果は無く、悪霊の呪と霊力は増すばかりだった。終にはそいつの怨念によりそこにいた全員が一斉に殺された。首を捥がれた者、目を潰された者。更には、全身を八つ裂きにされている者もいた。念だけでこれほどのことができるとは、恐ろしいヤツだ。人間の手助けをするつもりは無いが、俺の散歩コースを荒らされても困る。とは言え、いくら俺の力でもそいつにだけは敵う自信が無かった。それだけ巨悪なオーラを放っていた。
 その悪霊は女だった。ボロボロの服と恐ろしい形相で、凄まじい霊気を放っている。俺は気付かれる前にその場を離れようとした。今の俺ではそいつに勝てない。そう思ったのだ。一瞬、そいつと目が合ったような気がした。俺は恐ろしくなってすぐさまその場所を後にした。
 落ち着いたところで、あることを思い出した。1週間前、俺はとある呪術師の男に消されかけた。無論、俺は何もしていない。男が勝手に襲ってきたのだ。辛うじて逃げ出すことは出来たが、そのせいで殆どの妖力は失ってしまった。確か、その呪術師が言っていた。「もうじき、この街に大きな災害がやってくる」と・・・「私はそれを手に入れる」とも言っていた。大きな災害・・・恐らく先程の悪霊を比喩したものだろう。ということは、あの呪術師も近くにいるかもしれない。そう考えると、尚更この場から離れなければならない。
 暫くうろついていると、人間たちの住宅地に出た。道路を一人の少女が歩いている。可愛らしいワンピースを着ており、髪には赤いリボンを結んである。それに何かを感じる。その少女からは霊能力を感じた。それに気づいて、俺が興味を示さないはずがない。すぐさま少女へと近付き、声を掛けた。
「よぉ嬢ちゃん、いい天気だな」
 少女は俺に呼び掛けられると、一瞬肩をピクッとさせて俺の方を振り向いた。
「こんにちは蛇さん。喋れるんだね」
 少女はそう言ってニコッと微笑んだ。俺は嬉しかった。正直、俺に驚いて逃げてしまうと思っていた少女は、俺の言葉に返事をしてくれたのだ。
「お、あぁ、喋る蛇さんだ。嬢ちゃん、名前は?」
「私、ひな。雨宮ひなっていうの。蛇さんの名前は?」
 名前・・・名前を訊かれることなんてほとんど無かった。そんなものは、もうずっと昔に無くしてしまったのだから。
「あ、俺の名前か・・・サキだ。サキって呼んでくれ」
「サキさんっていうのね!よろしく!」
 ひなという少女はそう言ってまた笑った。サキというのは古い友人が名前を無くした俺のことをそう呼んでいたのを思い出し、咄嗟に口へ出した仮の名だ。俺は少女に好意を抱いた。人の子は好きだ。何故なら喰うと美味いから。だが、この少女は違った。俺はこの人の子に、何か別の好意を持っていた。
「サキさん、どうして尻尾が火の玉みたいになってるの?」
 不意に少女が言った。俺の尻尾は名前を奪われた時と同時に切られてしまった。そのせいで、尻尾の先は紫色の鬼火のようになってしまっている。
「あ、これか。昔切られちまってなぁ。そのせいでこうなってるんだ」
「サキさん、尻尾切られちゃったの!?誰にそんな酷いことされたの?痛くない?」
 少女は心配げな顔で俺を見た。
「え、いやぁ今は全然痛くねぇよ。ちょっとな、俺が悪いことしちまったから、その罰で切られたんだ。だから、こうなったのは俺が悪いんだ」
「そう・・・なんだ。えへへ」
 少女はそう言って笑いながら俺の頭を撫で始めた。
「なっ・・・」
「なでなでされるの嫌だ?それとも、人にされるのが嫌なだけ?」
「いやぁ、全然!慰めてくれんだな。嬉しい」
「よかった」
 少女はそう言うとまた微笑んだ。俺は何とも言えない気持ちになった。妖が人を嫌っているということを、この少女は知っている。だが実際そこまで嫌ってはいない。人間が好きな妖者も沢山いる。俺だって・・・俺だって、人が好きだ。この少女は、人だけでなく妖の気持ちまで理解しようとしているのか。そう思うと、何だか目頭が熱くなった。
「お兄ちゃんがね、幽霊とか妖怪には近付いちゃだめって注意するんだけど、私はたまにこうやって妖怪さんとお話するのが好きなの。だって、悪い妖怪だけじゃないもん。サキさんみたいに、優しい妖怪もいるでしょ」
「へぇ、兄がいるのか。いい兄貴だな。確かに悪い妖ばかりではないが、容易に関わるのは駄目だぜ。ひなちゃんみたいな可愛い子は狙われやすいからな。たまには、兄貴の言うことも聞くんだぜ」
「お兄ちゃんの言うことはちゃんと聞いてるよ。お兄ちゃん、優しいから。でも、ちょっと心配性なの。自分だって身体弱いのに、私のことばかり気にかけて」
 少女は苦笑しながら話した。何だか微笑ましい。
「仲いいんだな、兄貴と」
「うん、今年も夏祭り一緒に行こうねって言ってくれたの。去年はお兄ちゃんが病気で入院して、行けなかったから」
 それから少女はしばらく兄のことについて話した。俺はそれに相槌を打ちながら聞いていた。
「ひなちゃん、本当に兄貴のことが好きなんだな」
「うん」
 また笑った。本当に可愛い笑顔だ。ふと、何かの気配を感じた。先程と同じ、あの邪悪な気配・・・。
「まずい、ひなちゃん逃げろっ!」
 俺が見た少女の目は、赤く光っていた。透き通った美しい赤色に。
「ダメだよ・・・こんなすごいの、逃げられない」
 少女の赤い目から大粒の涙が零れ落ちる。
「やめろっ!力を使うな!」
「無理だよぉ・・・!力が抑えられない・・・」
 この少女は自分の膨大な力を恐れている。何故ならばそれを制御しきれていないからだ。
「待ってろ、俺がお前に憑依して力を抑えてやる!そしたら逃げるぞっ!」
「だめっ!」
 少女は叫んだ。今までで一番大きな声で。
「私に憑いたら、サキさんが死んじゃう!そんなの嫌だ!」
 俺がこの少女に憑依すれば、俺の力は少女に吸収される。そんなことは百も承知だ。彼女の能力はそういうものだ。だから強大な悪霊の霊気に触れて自然に発動してしまったのだろう。その力を呑み込むために。
「やってみなきゃわからねぇだろ!俺の力が消える前に、お前の力を抑え込めばいい話だ!」
 俺はそう叫んで少女に憑依しようとした。その瞬間、少女を黒い霊気の渦が取り囲み、軈て少女の中で悪霊の霊力が暴走し始めた。
「おい・・・嘘だろ」
 俺は呆然と見ていることしか出来なかった。今この少女に近付けば、俺は跡形も残らず消えてしまう。どうすればいい・・・。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
 九字?誰が切っている!?
「離れろっ!」
 少女の後ろに誰かが立っている。和服姿の男だ。そいつが退魔術を試みている。
「おいアンタ!霊能者か?」
 俺はその男に近付き声を掛けた。
「お前は、妖怪がこんなところで何をしているのだ?」
「話は後だ!この嬢ちゃんを助けてやってくれ!」
 俺が叫ぶように言うと、男は難しい顔をした。
「済まんが、彼女の命は保証できんぞ」
「俺様も力を貸す!だから何とか何ねぇのか!」
 この時の俺は必死だった。何故この少女一人を守るためにここまで必死になれたのかは分からない。だが、俺はどうしてもこの子に死んでほしくは無かった。雨宮ひなを守りたかった。
 男は少し考えてから言った。
「貴様、あの少女に憑依できそうか?」
「なっ・・・」
「俺が術でサポートする。その間に憑依して、出来るだけ彼女の能力を抑えてやってくれ。その間に俺が除霊してみる」
「わかった」
 俺は迷わず即答した。男は退魔術で霊気の渦に風穴を開けて叫んだ。
「いけっ!」
 俺は男がそう言い終わるや否や、少女を目掛けて風穴に飛び込んだ。
 そこからはどうなったか、あまり覚えていない。気が付くと、俺はコンクリートの地面に倒れ込んでいた。少し顔を上げて、俺は絶望した。少女が、倒れていた。
「おい、意識はあるか」
 不意に頭上から声が聞こえた。顔を上げると、そこには先程の男が右腕を押さえて立っていた。
「テメェ、怪我してんじゃねーか」
「大したことはない。それより・・・」
 男は少女の方を見てから目を閉じて俯いた。
「済まなかった。しぐる・・・ひなちゃんを、守ってやれなかった」
 しぐる・・・少女が言っていた。彼女の兄の名前だ。不意に、誰かの視線を感じて振り返った。そこには一人の少年が立っていた。少年は隣の中年男に声を掛けた。
「長坂さん、ひなは・・・?」
 おそらく彼が少女の兄だろう。俺は思わず顔を伏せた。
「しぐるか・・・ごめんな、しぐる。約束、守ってやれなかった。本当に、ごめんな」
 男がそう言い終えた直後、少年は男に掴みかかった。
「なんでっ!なんでひなが死ななくちゃいけなかったんだよ!長坂さん!」
 何も言わず俯いている男に、少年は泣きながら縋り付いた。そこで俺はやってしまった。仕方なかったのだ。
 俺は少年に憑依し、精神を乗っ取った。
「こいつの記憶、俺が弄っとくわ」
 俺がそう言うと男は驚いて顔を上げた。
「おい、それはまずいだろう・・・」
「大丈夫だ。つーか、そうするしかねぇだろ。雨宮ひなは殺人事件に巻き込まれて死んだ。こいつは何も知らないし何も見ていない。それでいいだろ」
 正直、俺も限界が近かった。このままでは時間の経過と共に消えてしまう。
「なぁ、暫くこいつの身体を借りててもいいか?今の俺様じゃ起きていられるのがやっとだ。記憶の処理が終わったら俺様は眠りにつく。そんで、次に目覚めたとき、こいつに全てを話そう」
「お前、ただの蛇妖怪だと思っていたが、どうやら少し違うらしいな。そういうことなら任せた。それが今の最善策だ」
 そうして俺は男と共に少年の家まで行った。俺は少年の記憶を弄り、今日あったことは全て忘れさせた。そこから俺の意識は曖昧だが、その後、少女の遺体が発見されて事件となった。俺もあの中年男も、その事件からは目を背けた。

   ○
 サキはいつの間にか俺から出て、露の膝の上に乗っていた。気付けば、俺は涙をポロポロと零していた。
「と、それが真実なんだ・・・しぐる、悪かった」
 サキが俯きながら言った。俺は、なんだか気怠くなってきてしまった。
「はぁ・・・人の目を見ろよ、サキ」
 俺はサキを見て言った。サキはゆっくりと顔を上げ、無言で俺と目を合わせた。
「・・・思い出したよ、全部。お前と長坂さん、ひなを助けようとしてくれたんだな。ありがとう」
 俺は目から溢れる涙を袖で拭いながら言った。サキは何も言わず、ただ俺の目を真っ直ぐ見ていた。外から聞こえてくる蝉の声が遠く感じる。暫く何もせずに、ただその声だけを聴いていたい。あの時と同じ夏の音色で、耳を塞いでおきたい。何となく、そんな気分だった。

呪術師連盟

 天候だけは最高の真夏日だ。暑い・・・かき氷でも食べたいが、今はそんな状況ではない。
「ゼロ、済まなかったな・・・」
 傷だらけの男性は数枚の呪符が貼られた木刀を杖代わりにして立ち上がり、茶髪の少年に力なくそう言った。
「・・・気にしないでください。斬島さんは悪くないんですから」
 茶髪の少年はそう言ったが、明らかに動揺している。呪術師のゼロ、それが彼の通称だ。木刀の男はもう一度ゼロに頭を下げた。斬島さん、俺達の所属する呪術師連盟T支部の幹部で、黒呪術師の男性だ。彼の着ているワイシャツは所々が破れ、血も滲んでいる。
「T支部の幹部が全員揃ったところでこの状況とは・・・随分と舐められたものですね」
 ゼロが行き場の無い怒りを吐き捨てながら地面を蹴った。殺気が彼を纏っている。何故、こんなことになったのか。事が発覚したのは、今から約二時間前のことだ。
 ゼロの事務所に集まった俺達は、サキという蛇の妖怪から三年前の俺の妹が殺害された事件の真相を明かされた。重い空気の中、誰かのケータイのコール音が室内に鳴り響いた。
「もしもし」
 電話はゼロへのものだった。彼は電話相手から話を聞きながら、初めは真剣な面持ちで相槌を打っていたが、次第に表情を強張らせていった。
「はい・・・わかりました」
 彼はそう言って電話を切ると、青ざめた顔でこう言った。
「T支部が潰された。父さんも、本部に連れて行かれた・・・」
 最初、俺は言葉の意味をよく理解できなかった。ただでさえ三年前の事件のことで頭がいっぱいなのだ。他のことに気を遣う余裕があまりなかった。
 電話を掛けてきたのは斬島さんで、彼は支部で面会中だった支部長でゼロの父親、神原雅人さんと、俺の知人で神主をやっている中年の男性、長坂さんの守衛係として他の構成員たちとT支部に残っていたのだ。ゼロによると、長坂さんが面会を終えて帰った後、呪術師連盟本部の人間がT支部を襲撃し、雅人さんを拉致すると共に支部の解体命令を出されたのだという。
「父さんが言った通りだ。本部は何を企んでいるかわからない・・・」
 ゼロが顔を強張らせて言った。父親を拉致され、組織の上から唐突な解体命令を出されたのだ。当たり前だろう。
 俺達は急いでT支部へと向かい、そして今に至る。
「クソッ!まさかこんなことになるなんて・・・」
 金髪の男性、藤堂右京さんはT支部だったコンクリートの壁を殴りながら言った。
「本部に裏切られたのは確かです。まずは神原支部長の安否が分からなくては、下手に動けません」
 右肩に使い魔のイズナを乗せた女性、市松さんはそう言ってゼロを見た。
「父さんは、恐らく生きてはいます。そもそも、あの父さんが簡単にやられるはずがありません。斬島さん、父さんが連れて行かれるところは見ていましたか?」
 ゼロは斬島さんを見て訊ねた。
「見ていた。確かに、支部長が抵抗している様子は無かった。本部から来た連中に幻術使いも居なかったから・・・支部長は何かを知っているか、それとも何か対応策があるのか」
「そうでしたか。父さんなら、何か考えているのかもしれません。しかし・・・」
「神原雅人は本部に引き抜く。神原零と神原琴羽、お前らもだ」
 不意に話し出した声の主は、近くの木の影から姿を現した。半袖のポロシャツにジーパンというシンプルな服装で、歳は俺と同じくらいの男だった。T支部のあった場所は森の奥で木々に囲まれており、隠れやすかったのだろう。
「アンタは、春原・・・」
 木の陰から姿を現した男をゼロはそう呼んだ。
「よぉ零、久しぶりじゃん。悪いなぁ、上からの命令なんだ」
「・・・春原、何か知っているのか?」
 ゼロは春原を睨み付けて言った。
「あぁ、会長が神原家の人間だけ欲しいってさ。残りの雑魚はいらねぇって」
「悪いが、僕は本部の構成員になるつもるはない」
「まぁ、そうカリカリすんなって。素直に本部へ来てくれれば、二人とも幹部入りだ。あ、それとお前」
 春原はそう言って俺のことを指さした。
「雨宮浩太郎の孫だったな。会長が会いたがってたぜ」
「俺に?」
 雨宮浩太郎、おれの祖父の名だ。有名な霊能者だったということは知っているが、その認知度は俺の予想を遥かに上回っていたらしい。
「しぐるさんも僕たちも、本部には行かない。支部が無くなった今、僕らは自由に行動させてもらう」
「私もお兄ちゃんと同意見。お父さんを返して」
 ゼロに続いて琴羽ちゃんもそう言った。琴羽ちゃんがこんなふうに話しているところは初めて見た気がする。そもそも、普段は無口な印象が強い。
「なるほどな、お前らの態度はよく分かった。本部に逆らったらどうなるか教えてやるよ」
 そう言うと春原は瞬間的にゼロの目の前まで移動した。
「早いっ!?」
 ゼロはそう言いながら慌てて躱そうとしたが、春原の攻撃が先制した。ゼロは術でバリアを張っていたらしく、突き飛ばされはしなかったが、ダメージは受けたようだ。
「油断禁物だ小僧」
 いつの間にか春原の背後へ回っていた岩動さんが右の拳に強力な念力を込めて殴り掛かったが、春原はそれを片手で受け止めた。
「その程度の念動力じゃ俺のバリアは壊せねーよ」
 春原は岩動さんの腹部に平手で念を押し当て、勢いよく突き飛ばした。
「グハッ・・・!」
 岩動さんはコンクリートの壁に背中を強打し、その場に倒れ込んだ。
「クソッ、プラズマサイズ!」
 ゼロは身体から電気を発生させ、雷の鎌を生成した。それを振りかぶると、春原へ向けて薙いだ。春原は最初の攻撃を躱したが、ゼロは続けて鎌を振り回しながら猛攻を加えている。春原もそれに対抗するかのように両手に集中させた念動力で鎌を受け止めている。
「派手に攻撃してくるなぁ。だが、隙だらけだぜ」
 春原はゼロの振り翳した鎌を避けると、ゼロの腹部に平手で念力を押し当て、そのままゼロの身体を突き飛ばした。ゼロの鎌は消滅し、彼は地面へと倒れた。
「ゼロ!大丈夫なのか!?」
 俺がそう叫んだ瞬間、目の前に春原が現れた。先程から念動力で高速移動をしているようだが、それにしても早すぎる。
「お前は来るか?」
 春原は俺にそう言って笑みを浮かべたその刹那、春原の身体を何かが貫通し、彼は体勢を崩した。
「クソッ!なんだ!?」
「ガキ一人を相手に随分と苦戦されてますなぁ」
 声のした方を振り返ると、そこには長坂さんの姿があった。
「長坂さん!」
 俺が名前を呼ぶと、彼は右手を軽く上げた。
「テメエ、御影か?」
 春原の問いに長坂さんはニヤリと胡散臭さ満載の笑みを浮かべた。
「如何にも、だが御影というのは仮の名。本名は長坂だ」
「なぜ戻って来た?」
 斬島さんが長坂さんを見て言った。
「帰宅途中で連盟本部の呪術師三人が襲ってきたんでなぁ、逆に取っちめて理由を聞き出したらこうなっとることが分かったから戻って来たのだ。神原さんが攫われたというのは本当か?」
 そう言うと長坂さんは俺を見た。
「はい、どうやらそのようで・・・」
 俺は未だに状況が飲み込めておらず、曖昧な返事をした。
「おいおい、本部の呪術師三人を相手に余裕だったみてーだな・・・」
 春原が腹部を手で押さえながら言った。先程の長坂さんの攻撃が効いているのだろう。
「当然だ。お前たちとは見てきた世界が違う」
「流石は禁術使い・・・さっき俺をぶっ刺した悪霊もアンタが使役してんのか?」
「その通り。俺の使役している式はお前でも除霊できんぞ」
 長坂さんは自慢げに言った。先程春原の身体を貫通したものは長坂さんの使役している式だったのかと俺は理解した。
「フンッ、今日のところは引き上げてやるよ。零、少し考える時間をやる。気が向いたら本部まで来いよ~」
 そう言うと春原はスゥッと消えていった。まるで幽霊のように。
「クソッ、あの野郎逃げやがった!」
 ゼロが春原のいた空間を睨みながら吐き捨てた。これほど怒りを露わにしているゼロを見るのは初めてだ。
「神原少年、俺も協力してよろしいかな?」
 長坂さんがゼロに近寄りながら言った。ゼロは暫く俯いていたが、軈て顔を上げると長坂さんを見た。
「お願いします。しぐるさんの師匠ということで、長坂さんとお呼びさせて頂いてもいいですか?」
「うむ、しかし御影でも構わんぞ?」
 長坂さんが冗談交じりに言うと、ゼロは真剣な顔で答えた。
「これでも由緒ある神原家の次期当主なのでね。禁術使いの御影とは関りを持ちたくありません。なので、今回限りはしぐるさんの師匠である長坂さんということで、僕たちに協力して頂こうと思います」
 ゼロの目は、まるで異形を見るようなものだった。長坂さんを嫌っているわけでは無いだろう。ただ、禁術を軽々しく使う御影という闇の人間に、嫌悪感を抱かざるを得ないだけなのだろう。
「ん、分かった。禁術は使わんよ」
 長坂さんはそれを察したのか、両手を軽く上げてそう言った。ゼロはその行動を無言で見終えると、服の汚れを掃って口を開いた。
「皆さん、お騒がせしてすみませんでした。支部は潰されましたが、今後も僕に協力して頂けますか?」
 その言葉には此処にいる全員が頷いた。勿論、俺もだ。
「ゼロ、大丈夫か?」
 俺はゼロに向かって何故かそんな言葉を掛けた。漠然とした感情だが、彼が心配だった。ゼロは俺を見て軽く笑った。
「僕は大丈夫ですよ。それよりしぐるさん、今日は帰って休んでください。斬島さんも病院行かなくて大丈夫ですか?」
 斬島さんは頷いた。ゼロはその様子を見て話を続けた。
「そうですか。でも今日は家に帰って休んでください。岩動さん、市松さん、昴さん、あと長坂さんは僕に着いてきてください。少し話があります。あとの方は帰って頂いて結構です。あ、サキさんも来て頂けますか?」
 ゼロは露の右肩に乗っている蛇の妖怪に声を掛けた。
「あ?おう、わかったよ」
 サキはそう言って露の肩を下りると長坂さんを呼び、彼の右肩に乗った。
「じゃ、行きましょう。では、しぐるさん、ゆっくり休んでくださいね」
 ゼロはそう言って長坂さんたちを引き連れ、行きに来た道を戻っていった。どうやら俺のことをかなり心配してくれているらしい。実際、体調が悪いわけではないのでグダグダ休んでいるわけにもいかない。
「で、俺達はどうするよ。しぐちゃんたち、送ってこうか?」
 右京さんがポケットから車の鍵を取り出して言った。
「鈴那と露を、家まで送ってやって頂けますか?俺は、少し寄るところがあるので」
「しぐ、どうしたの?あたしたちは・・・」
 鈴那が首を傾げて言った。
「いや、個人的な用事だから、二人は先に帰っててくれ」
 俺の言葉に鈴那と露は顔を見合わせてから頷いた。
「よし、じゃあ車乗って~。斬島は大丈夫なの?」
 右京さんは斬島さんを見て言った。
「問題ない、一人で帰れる」
 斬島さんはそう言って歩き出した。
「そっか、気をつけてな」
 右京さんは鈴那たちを車の停めてある場所まで連れて行き、この場には俺一人だけが残された。
「さてと・・・」
 俺は深呼吸をするように言葉を吐くと、最寄りのバス停を目指して歩き始めた。まずは駅まで行かなければ、目的地はこことは別の地域だ。気分転換という訳でもないが、少し自分を落ち着かせたい。森の新鮮な空気を吸いながら、道の続く方へ歩を進めた。

除霊と焦燥感

 今日の日のことが脳裏に焼き付いている。夏の温度が、それを更に深く刻み込む。深く、深く、深く・・・忘れないように。
 妹を殺したのは悪霊だった。それをサキから聞いた。支部が潰された。春原という能力者が俺達の前に現れた。そうだ、アイツはいったい何者だったのか・・・強かった。でも、長坂さんはもっと強かった。そして、俺の祖父は確かに強い霊能者だった。俺も休んではいられない。もっと強くなって、ゼロ達に追いつかなければ。
 超能力のコツは掴んだ。除霊のコツも掴んだ。でも、まだ操作できる力の範囲が小さい。サキが俺の能力をコントロールしているときは、そこそこの力を発揮できた。でも、いざ自分で超能力を使おうとすると、思った通りにいかない。何故だろう、俺に何か足りないのだろうか?いや、考えても仕方ないと思って、今ここにいるのではないか。そうだ、前々から目を付けていた心霊スポットがある場所に。
 今立っている海沿いの土手の下に広がる松林の奥に、一つの古い公衆トイレがある。そこは見た目からして怪しいが、実際問題はそれ以上だ。一つの強大な怨念が数多くの霊たちを呼び集め、今や邪霊の巣窟と化している。学校で聞いた話によれば、既に利用する人もいないため、荒れ放題なうえに悪臭を放っているとのことだ。しかも近くには首塚もあり、ここらでは最恐心霊スポットが二つ揃っているとしてオカルト好きの間では有名らしい。
 つまり何が言いたいかというと、俺は今から公衆トイレの悪霊を除霊する。これは依頼でも任務でもない。俺が自主的にやるだけだ。万が一除霊に失敗して俺が命を落とすことになったら、その時は仕方ない。露や鈴那たちには悪いが、死ぬ覚悟はある。
 祖父が有名な霊能者、死んだ妹の雨宮ひなは特殊な霊能力を持っていた。そのせいで命を落とした。俺は何だ?何か特別な力を持っているか?生まれつき霊感は強かった。そのおかげでひなと同じものを見れた。でも霊能力は使えなかった。
鈴那やゼロに出会って初めて自分の能力に気付いた。そして俺の中で眠っていたサキという蛇の妖怪の存在を知った。気付けば義妹の露まで超能力が使えるようになっていた。サキは俺の体を離れてからは露に付きっきり・・・いや、憑きっきりだ。俺の多重人格は無くなった。でも能力を存分に発揮することが困難になった。だから俺は一人で変わらなければならない。もっと、強い力を使えるように・・・。

   ○
 トイレは木造の小屋のような造りで、想像していたよりも広かった。ただ、外から見ただけでも怨念の強さがわかってしまう。しみ出しているのだ、黒いオーラのようなものが。
 俺は両手に念を込め、出力を最大まで高めたところでトイレの入り口付近へ向かった。
「ナンダ・・・霊能力者・・・カ・・・」
 トイレの中から声が聞こえてきた。低く掠れたような男の声、その一言一句に悪意のような念が込められているように感じる。
「そうだ、今からお前を除霊する。そこを離れるな」
 俺は両手に集めていた霊力を一気に解放し、トイレの建物全体をそれで囲った。
「クダラン・・・ソレデ、結界ヲ張ッタツモリカ・・・」
 俺は霊の言葉を無視し、建物を覆った霊力を圧縮させた。最初に強く念じて挑発を掛けたが、霊が姿を見せなかったので、一筋縄ではいかない相手らしい。だから霊のいる空間ごと除霊してしまおうと思い、建物を念で囲った。それが一番手っ取り早いと思ったのだ。
「ただ閉じ込めただけじゃない。それにしても妙だな、お前以外の低級霊どもはどうした?」
 俺がそう訊ねると、霊は「ゲッハッハッハ」と気色の悪い声で笑い言った。
「雑魚ハ、俺ガ喰ッチマッタ・・・」
「なるほど、お前にとってただのエサでしかなかったというわけか。まあ、数は少ない方が除霊しやすい」
 俺は公衆トイレを囲った念を一気に圧縮させ、更に力を強めていった。
「馬鹿ナ人間メ、ソノ程度デ俺ヲ消セルト思ウナ」
 刹那、俺の張っていた念が霊の一波により容易く破られた。
「そんなっ!」
「後悔シテモ遅イゾ人間・・・俺ガ殺シテヤル」
 公衆トイレの上には黒い渦が巻き始め、それは徐々に巨大な人のような姿を模っていった。
「フンッ、ついに正体を現したな!お前が姿を見せればもうこっちのもんだ!大人しく除霊されるがいい!」
 などと言ってみたものの、正直お手上げだ。やはり無理だった。俺はまだまだ半人前で、なんとか強くなりたくてこいつに挑んだのに、こんなあっけなく負けて終わるのだ。結果は最初から見えていたのかもしれない。それでも、俺は自分の能力を認めて欲しくてこんなことをした。こいつの言う通り、俺は本当に馬鹿な人間だ。
「威勢ダケハイイナ人間、殺ス」
 悪霊の黒い拳が俺に向かってくる。何か出来ることは無いだろうか。せめて少しでもこいつにダメージを与えられれば・・・
「グアッ・・・!」
 唐突にその声を上げたのはあの悪霊だった。見ると、黒い人型の頭部分に呪符の貼られた簡素な木の槍が突き刺さっている。
「無茶するねぇしぐちゃん。こいつは俺の大事な部下だ。テメエみてーな中級の霊にやられていい人材じゃねーんだよ」
 声のした方を見やると、松の木の上で術を発動している右京さんの姿があった。
「このまま消えろ、奥義・流星時雨!」
 右京さんの前に現れた無数の陣からは数多の閃光が降り注ぎ、それらは全て公衆トイレ上の悪霊を突き抜いていった。
「ガアァ・・・クソ、油断シタ。霊能力者メ・・・覚エテイロ」
 悪霊の消えてしまいそうな最後の言葉は、憎悪そのものに思えた。
 右京さんの術により怨念が除去された公衆トイレは、汚さは残っているものの霊的な気配は一切感じなくなった。
「よっ、しぐちゃん。あまり無茶すんなって」
「右京さん・・・なぜここが分かったんですか?」
「ん?ああ、こいつだよ。ほれっ」
 右京さんがそう言うと、俺のズボンのポケットから一枚の紙人形が飛び出してきた。
「うわぁっ、なんですかこれ」
「これはまぁ、あれだな、GPSみたいなもんかなぁ。さっき別れるとき、ちょっと気になったんで仕込んじゃった。ごめんよ」
「い、いえ、おかげで助かりました。すみません」
「いいってことよ。強力な力が欲しくて焦ってしまう気持ちも分かるけど、それに囚われると自分を見失っちゃうぜ」
 何故だろう・・・俺の心を読まれた気がする。右京さんが言っていること、全て図星だ。
「すみませんでした・・・」
「まあまあ」
 そう言って右京さんは俯いた俺の頭を撫でてくれた。
「分かるよ、その気持ちだけは。俺もそうだったからさ」
「右京さんも、ですか?」
「おう、俺もしぐちゃんぐらいの頃は、そうやって焦ってた。藤堂家はそこそこな呪術師の家系だったけど、俺の祖父の代で見える人が居なくなっちまったんだ。だから呪術師として終わるはずだったんだよ。でも、霊感の強い俺が生まれてきた。幼少期から無意識にサイコキネシスを使ってしまい、周囲の人間からも怖がられた。あ、喉渇いたな。あっちに自動販売機あるから、ジュースでも買ってどこかに座ろう」
 右京さんは海のある方角を指して言った。
「はい」
 俺と右京さんは松林を抜けた所にあった自販機で飲み物を購入し、近くのベンチに腰掛けた。
「はぁ・・・あ、悪いねぇ俺なんかの話聞かせちゃって」
「いえ、もっと詳しく聞きたいです」
「あ、そう?じゃあ、話そっかな」
 俺は右京さんの過去が他人事には思えないような気がしてきた。それだけじゃない。右京さんの話に興味があった。俺にとっても何か分かるかもしれない。そう思ったのだ。

   ○
 右京さんから聞いた話だ。
 俺には呪術を教えてくれる師匠なんていなかった。当然といえば当然だが、見えてしまうが故に危険を伴う限り、護身用としての呪術ぐらいは使えるようになっておきたかった。
 そこで俺は自分の超能力を制御しようと努力した。毎日スプーン曲げの練習をしたり、鉛筆を浮かせようとしたりして、それなりに努力してみた。しかし、スプーンは一度も曲げられず、鉛筆は一ミリも動かずで、何の結果も出せなかった。
 ある日、俺は自分の力がストレスと関係しているのではないかと思うようになった。当時反抗期だった俺は、父親に気に入らないことを言われ、ムカついてハサミを飛ばしてしまったことがあった。また、学校で気に入らないヤツのことを触れずに突き飛ばしたこともあった。そこで俺は自分にストレスがかかったときに何かを念じてみようと試みた。
 放課後、高校二年生になった俺は、世間一般でいう不良生徒だった。髪は金髪に染め、耳にはピアスを付け、授業なんかもしょっちゅうサボっていた。ある時、俺に目を付けていた学校の悪い連中が絡んできた。そこで俺はそいつらに力を使ってみることにした。結果、見事に全員をぶっ飛ばした。その中の一部は俺の下につきたいとか言い出す輩も居り、あっという間に俺は学校内の不良の中心に立っていた。その日から段々と自由に力を使いこなせるようになった俺に、もう敵など居なかった。凡人相手では圧倒的に俺が有利、喧嘩で負けたことは無く、俺は最強になっていた。
 しかしその裏で俺は恐れられ、近づこうとする者は少なくなった。そんなある日のことだった。珍しく真面目に授業を受け、放課後まで学校にいた日の下校中だった。見慣れない顔だが、同じ高校の女子生徒が何かを見て腰を抜かしていた。女子生徒と同じ方を見やると、そこにはまるでホラー映画に出てくるような髪の長い女の霊が女子生徒に手を伸ばしていた。放っておけばいいものを、何故か俺はその女子生徒の前に立ち、女の霊を除霊した。相手が低級だったおかげで簡単に消せたが、今思えば術も使えないのによく立ち向かえたものだ。
 女子生徒の名前は西園沙耶といい、俺より一つ下の学年の生徒だった。ちなみに先に言っておくと、今の俺の奥さんだ。彼女は少しばかり霊感があり、昔からたまに霊を見てしまうことがあったのだそうだ。こんなこと、俺が除霊した後に沙耶が声掛けてくれなかったら、知ることの出来なかったことだ。
 除霊してそのまま立ち去ろうとした時、後ろから彼女に声を掛けられたのだ。
「あ、あのっ・・・!ありがとうございました」
「・・・おう」
 俺は振り返り、その一言だけ言ってまた立ち去ろうとした。しかし、この子がかなりしつこかった。
「今の、霊能力ですか?すごいです!あの、うちの学校の先輩ですよね?なんかたまに噂聞きますよ!すごく喧嘩とか強いんだって」
「あのさぁ、しつけぇぞお前。邪魔なんだよ」
「あっ、すみません。でも、私すごいと思うんですよ。えっと・・・名前、何でしたっけ?」
「あ?教える必要ねーだろ。いいからさっさと帰れよ。俺の近くにいると危ねーぞ」
「え、なんでですか?」
 彼女は首を傾げた。
「・・・俺の力はたまに無意識のうちに動くんだよ。今お前がそうやって俺にベラベラ喋ってくると、俺のストレスになって、もしかしたらお前に危害を与えちまうかもしれねーんだよ。だから俺に関わんな」
「あ・・・そうなんですか。先輩、優しいんですね」
「どうしてそうなるんだよ!後輩の女相手にこんだけ暴言吐いてる俺のどこが!・・・はぁ、めんどくせぇ」
「だって、私のことを心配してそんな暴言ばかり吐いてるじゃないですか。私に危害を
加えるといけないからって・・・本当は、優しい人なんですね」
 自意識過剰かこの女は・・・そう思った。
「いやいや、別にお前のこと心配してたわけじゃなくて・・・その、問題になったら困るだろ・・・罪もねぇ後輩を傷付けたくねーし。それに、お前見た感じ真面目そうじゃん。俺の近くにいたら何か勘違いされんぞ」
「別に構いません!それで、名前なんでしたっけ!」
「お前・・・!あーもう何なんだよ・・・俺は藤堂右京。お前は?」
「は、え?私ですか、西園沙耶です!よろしくお願いしますっ!藤堂先輩!」
「いやなんで友達みたいになってんだよ!関わんなって言ったろ!」
「そういうわけにもいきません!先輩は私を助けてくださいました。なので私も先輩に恩返しがしたいんです!」
「は?いや別に何もしてほしくはねーよ。」
「何かさせてください!何でもしますから!」
「いやいやだから・・・その何でもするっての言わねーほうがいいぞ」
「へ?なんでですか?」
「何でもだ。兎に角、俺に関わるな」
「嫌です!先輩何か私にお願いしてください!えっと、すみません、名前何でしたっけ?」
「右京だぁ!さっき言ったばかりだろ!何なんだテメエは!」
「あ、すみません。私けっこう忘れっぽくて、人の名前とか直ぐに忘れちゃうんですよ~」
「ニワトリかテメエはっ!」
「えへへ、ありがとうございます~」
「はぁ?褒めてねーから!どうして褒められてると思った?大丈夫か?」
「私は大丈夫でした。先輩が助けてくださったおかげです!」
「え?あ、うん。それはよかった・・・」

   ○
「と、まぁこんな感じで、沙耶は頭がいいけど馬鹿な子だった。その後も色々関わってきて、話してるうちに沙耶がこんなことを言い出したんだ。先輩の家に呪術の資料とか残ってないんですか?ってな。それで家の蔵を探してみたら、見つかったんだよ。俺の先祖が書き残した藤堂家の呪法の資料が」
 右京さんはノリノリで話をした。
「なるほど、右京さんが本当に奥さんのこと好きなんだなってことはよ~くわかりました」
「大好きさ、本当に愛してるよ。こんな俺のことを好きになってくれたんだから」
「それはいいとして、その後資料を読んで呪術を学んだんですか?」
「そうそう、さっきの術もその資料に書いてあったのさ。あれは藤堂家の秘術、奥義・流星時雨っていうんだ。しぐちゃんにも教えてあげよっか?」
「えぇっ!?いいんですか、秘術なんですよね?」
「大丈夫大丈夫~、寧ろしぐちゃんに使ってもらいたいからね~」
 右京さんはそう言うと缶の中に残っていたジュースを飲み干した。
「ところで、明日って空いてる?」
 右京さんがベンチから腰を浮かせながら俺に訊ねた。
「え、明日ですか?空いてますよ」
「そうか~、ならちょっと俺の仕事を手伝って貰っちゃおうかなぁ。そしたら、流星時雨を教えてあげるよ」
「ほんとですか!やります!」
「よし決まり!それじゃ、明日しぐちゃんの家まで車で迎えに行くから、準備しといてね~」
 右京さんの仕事の手伝い、もしかしたら、いい勉強になるかもしれない。それにあの術・・・凄まじい威力だったが、使えるなら俺も使ってみたいと思った。
「よし、そろそろ帰るか。しぐちゃん、送ってくよ」
 右京さんはズボンの右ポケットから車の鍵を取り出した。
「あ、ありがとうございます。えっと、一つ訊き忘れてたんですけど・・・」
「ん、なに~?」
「さっきゼロと闘った春原って超能力者、何者なんですか?」
「あ~、春原は元呪術師連盟T支部の幹部で、ゼロのライバルみたいな存在でさ・・・一年前に本部へ引き抜かれたんだけど、あまりいい子では無いなぁ。歳はゼロと同じだけど、実力はたぶん今のゼロよりも上だと思う。しぐちゃんも彼には気を付けた方がいい」
「そうなんですか・・・」
 まだそんなに強いヤツが居るのか・・・ゼロたちに追い付くのも気が遠くなりそうだ。
「まぁ、焦ることは無いさ。呪術とか覚えたかったら俺が教えてやるから、何でも聞けよ。んじゃ、帰るぞ」
 また心を読まれた。表情に出てしまっているのだろうか?
「はい。あの、右京さんってテレパシストとかですか?」
「ん?いやそんなわけないだろ~、俺が使えるのはせいぜい念動力程度だよ」
「ですよね~、ハハハ」
 やはり違うか。単に勘が鋭いのかもしれない。
「人の表情を見れば、何となくその人の考えてることがわかるんだよ。こういう仕事してると、そういう技術も必要になってくるからな。必ずとはいわないけど」
「そうだったんですか、実はさっきからずっと図星を突かれてるので、テレパシーでも使えるのかなと思ってました」
「まぁ、しぐちゃんって初対面だと無表情な子に見えるけど、慣れてくると結構感情が顔に出てるからね」
「え、俺ってそんなに分かりやすいですか?」
「さぁ、大丈夫だよ」
 右京さんのその一言には違和感があった。微妙に俺の質問とずれているような、そんな気がした。

   ○
 家に着いた頃には、既に夕方の六時を回っていた。丁度夕飯が出来上がったらしく、居間からはいい匂いが漂ってきている。
「ただいま~」
「おかえりなさ~い」
「おかえり~しぐ~」
 今から二人の声が聞こえてきた。一人は義妹の露、もう一人は彼女の鈴那だ。
「悪い、遅くなった」
「いえ、丁度ごはんが出来ましたよ。どこへ行かれてたのですか?」
 露が俺に訊ねた。
「ちょっとな。あ、明日右京さんの仕事手伝うことになったから」
「わかりました。気を付けて行かれてくださいね」
「しぐ、右京さんと会ったの?」
 鈴那が俺を見て首を傾げた。
「え、うん。たまたま会ってね」
「そっか」
 流石に一人で悪霊を除霊しに行ったなんて言えない。成功したなら未だしも、大失敗して右京さんに助けられたのだから格好悪すぎる。
「しぐる、おかえり」
 不意に声のした方を見ると、露の長い髪をかき分けるように胴体を躍動させながら小さな黒い蛇が顔を出していた。
「サキ、帰ってたのか」
「おう、明日は俺様忙しいからついて行ってやれねーぞ」
「大丈夫だ、一人でも能力は使えるようになったし」
「・・・そうか。ならいいが、無理すんなよ」
 本当はまだ何もできない。今日だって失敗した。だがサキの力に頼ってばかりもいられない。俺は自分で強くなりたい。だから一人で努力するのだ。
「サキ、明日忙しいって、またゼロに呼ばれたのか?」
「いや、明日は露ちゃんと散歩するので忙しいんだ」
「あっそ・・・まぁいいや」
 寧ろ、露にはサキが付いていてくれた方が安心だ。この蛇も、胡散臭いように見えて案外信用できる。
「鈴那、一緒に居てやれなくてごめんな」
「え?いいよ~!しぐは明日お仕事頑張って!あたしそろそろ学校の課題に手を付けなきゃだから」
「そっか、ありがとう」
 俺も鈴那も苦笑した。こんな平凡で楽しい日々が、いつまでも続いてほしい・・・なんて、少し我が儘なことを心の中で呟いてみた。

憑代と操り人形

 最近、少し忙しい気がする。
次から次へと色々なことが起こりすぎて、頭が追い付かない。
「うわっ、どんどん道が狭くなってく。軽でよかったわ」
 運転手の藤堂右京さんは苦笑しながら言った。少し激しめのロックが流れる車内には三人、右京さんとその娘の蛍ちゃん、そして俺が乗っている。海沿いの道路だが、反対側は岩壁に面しており、崖崩れ防止のネットが張られている。
「すごい所ですね。海は綺麗ですけど、夜は幽霊とか出てきそうです」
「だなぁ・・・って、ここ本当に出るらしいぜ」
「え、マジですか!」
 本当に出るなら見てみたい。そんな好奇心が胸を突いた。
「俺は見たことねーけど、噂ではすげーカオスで魑魅魍魎的な悪霊が出る場所があるらしいぜ。ゼロが一度だけ見かけたことあるって言ってたなぁ。カオスすぎて笑えたって」
「悪霊を前にして笑うとか、流石ゼロはちょっと違いますね」
「ゼロにとっては道端で不細工な野良猫に出くわした程度のことだからな~。それにその霊、ヤバそうな見た目なのにそんなに危険じゃないらしい」
「そうなんですか。でも一応は悪霊なんですよね」
「おう、一応な」
 俺はその霊を退治出来るだろうか。ふとそんなことを考えてしまった。
「まぁ、気になるなら今度見に行ってみるといいさ。出現率はそんなに高くないらしいけど」
「ですね、機会があったら見てみたいです」
 そんな会話をしながら、何気なく隣に座っている蛍ちゃんを見た。相変わらず無言で、ずっと外の景色を眺めている。
「そういえば、蛍ちゃんっていくつなんですか?」
 俺はずっと気になっていたことを右京さんに訊いた。
「この前11歳になったよ~。今は五年生。な、蛍」
 そう言って右京さんはバックミラー越しに蛍ちゃんを見た。蛍ちゃんは外を眺めたまま頷いた。
「そうでしたか。小学生なのに術が使えるなんてすごいですね」
 以前、蛍ちゃんが術を使っているところは見たことがある。確かあの時は複数の紙の人形を操作していた。
「だろ~、蛍は大したもんだ」
 右京さんは相変わらず蛍ちゃんをベタ褒めしている。親バカとはこのことだろうか。
 暫く車を走らせると、ナビが目的地周辺に着いたことを知らせた。
「お、見えてきたぞ」
 今日ここへやってきたのは、とある中学校から依頼を受けたからだ。目的地である浦海崎中学校の校長によると、体育館の舞台裏に妙な人影が時たま現れるという噂があるらしい。噂だけなら未だしも、実際に被害者が一人出ているのだそうだ。
「その被害者ってのが、この学校に勤めていた教員らしいんだ」
 右京さんはそう言い終えると、駐車場に駐車した車のエンジンを切った。
「んじゃ、行こうか」
 俺達は車から降りると、まず事務室に向かった。そこで校長を呼んでもらい、すぐに会議室へと案内された。
「裏海中校長の櫻井です。本日はお越し頂きありがとうございます」
 俺達の向かいに座った年配の男性はそう言って名刺を差し出した。頭の毛が少し薄いが、穏やかな印象の人だ。
「藤堂右京です。この二人は、助手の蛍と雨宮です。こちらこそご依頼ありがとうございます」
 右京さんはそう言って俺達の紹介も簡単にしながら名刺を取り出し、校長へ差し出した。
「それでは早速ですが、今回の依頼内容について詳しく話して頂けますか?」
 右京さんの言葉に校長は「はい」と頷き、今回のことについて話し始めた。
「電話で話をさせて頂いた通り、体育館の舞台裏に現れる謎の人影を調査して、出来るようならばお祓いをして頂きたいのです。生徒たちの間で噂が出始めたのは一昨年の秋頃だったかと思います。最初は誰かの悪戯か、単なる冗談かと思っていました。しかし暫くすると、生徒達だけでなく教員達の中にもそれらしい人影を見たというものが現れ、遂に二ヵ月ほど前、見回りをしていた男性教員が一人・・・体育館の舞台裏で、バラバラの遺体となって見つかりました」
 校長は恐怖に満ちた表情で話を終えた。
「それで、今回調査を依頼したというわけですか」
 右京さんが訊ねると校長は黙って頷き、少ししてからまた話し始めた。
「警察は殺人事件として捜査をしましたが、結局犯人は見付からず・・・もしかしたら例の人影と関係しているのではないかと思い、調査をしてくれる霊能者を探していたところ、うちの学校の教員が知り合いに詳しい人がいると言ったので、その方にお話を伺ったら藤堂様をご紹介して頂きまして」
「なるほど、わかりました。では、早速体育館を調査させて頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、はい。ご案内します」
 こうして俺達は校長に案内され、体育館へと向かった。
 体育館の中へ入ると、右京さんは少し辺りを見回し、その後に俺を見て訊ねた。
「しぐちゃん、何か感じる?」
 俺は唐突な質問に驚いたが、なんとか曖昧に首を振った。
「今はしませんけど、あまり俺の霊感を信用してもいいことないと思いますよ」
「いや、しぐちゃんの霊感は俺より強い。蛍は俺と同じくらいだし、この中で一番霊感が強いのはしぐちゃんだ」
「そう・・・なんですかね?」
 俺は少々困惑しながらも舞台裏に意識を向けた。しかし何も感じない。おかしい、影の正体が霊的なものなら直ぐに分かる。例えそれが呪詛でも、少しなら霊気を感じれるはず・・・。
「隠れてるのかもなぁ。ちょっと挑発してみるか」
 右京さんはそう言うと所持していた鞄から一枚の紙人形を取り出し、それをひょいと投げた。その様子を見た校長は目を丸くしている。
「蛍、一応お前も準備しとけ。たぶん必要になるぞ」
 右京さんの言葉に蛍ちゃんはコクリと頷いた。その直後、飛ばした紙人形が空中で散り散りに破れて床に散乱した。
「うわマジか・・・」
 右京さんはそう言いながらもう一枚紙人形を飛ばした。
「な・・・今の何ですか!?」
 俺が問うと右京さんは少しニヤリとしながら話してくれた。
「紙に術で霊力を込めた紙人形、それを飛ばして挑発してみたが、上手く乗ってくれたみたいだな。それにしても今回は手強いぞ。あの範囲で人形が壊されたってことは、俺達も迂闊に近寄れねーな」
 俺は息を呑んだ。そんな恐ろしいものが中学校の体育館に存在しているのだ。身体中を小さな虫が這いまわるかのように悪寒が走った。それと同時に、得体の知れないモノへの興味も湧いた。
 飛ばした二枚目の紙人形も先程と同じくらいの場所で破れ散った。右京さんはその様子を見ると、ポケットから車の鍵を取り出して蛍ちゃんに渡した。
「蛍、車からあれ持ってきて」
 蛍ちゃんは鍵を受け取ると、小走りで体育館を出て行った。
「と、蛍が戻って来る前に俺達も出来ることをやってみよう」
 右京さんは少し前に出ると、その場で合掌した。
「あの、右京さん。蛍ちゃんは何を?」
 俺は色々と訊きたいことがあって少し頭が混乱していたが、なんとかそれだけを質問できた。
「蛍にしか出来ない術があるんだ。それに必要な道具を取りに行った。道具ってか、蛍にとっては友達みたいなもんかな」
「友達・・・ですか」
「よし、俺も術を使うぞ。しぐちゃん、見ておくといいよ」
 そう言った直後、右京さんの周囲を幾つもの紙人形がグルグルと舞い始めた。
「さぁ、これなら届くか?龍の舞!」
右京さんが叫ぶと同時に幾つもの紙人形は舞台を目掛けて龍のように飛び舞い、そのまま舞台裏まで入って行った。
「よしっ!これで姿を見せるだろ!」
 右京さんがそう言いながらガッツポーズをした直後、舞台裏から激しく紙の破れるような音が鳴り響いた。
「うわっ、えげつないな」
 右京さんは苦笑して言った。するとそれから数秒も経たないうちに、目標は姿を現した。
 人形だった。遠目から見ているのではっきりとした特徴や大きさなどは分からないが、どうやら少し大きめのフランス人形のようだ。それが舞台裏からひょっこりと顔を出してこちらを見ている。
「人形を使うなんて面倒な悪霊だなぁ。それに今まで気配を感じなかったってことは力を消してたか。なかなかやるじゃねーか」
 右京さんは独り言を言い終えると俺を見た。
「しぐちゃん、気功は使えるか?」
「えっ・・・いや、たぶん出来ないです。でも、このぐらいの距離なら・・・」
「おっ!何か出来そうか?」
「・・・はい。上手くできるか分かりませんが」
 俺は全身の霊力を体外へ放出するよう強く念じた。すると、少しずつだが力が強くなっていってるのが分かった。
「おお、頑張れしぐちゃん」
 そろそろだろうか・・・いや、まだだ。サキが力をコントロールしていた時はもっと強力な力が使えた。俺は更に強く念じ、空中に幾つか霊力の玉を生成した。
「これで、どうだっ!」
 俺は玉を人形へ向けて放った。が、人形の一メートル前ほどで消滅してしまった。
「やっぱり駄目か・・・」
 サキのいた頃に比べ、生成できる玉の数も大きさも劣っている。やはり俺だけでは無理なのだ。だが、まだ終わってはいない。俺は右手を前に出し、左手で右手首を掴んだ。そして右手の指先へ力を集中させるよう強く念じ、人形を睨み付けた。
「おっ、その技は!」
 右京さんが先程言っていた気功だ。ダメ元でやってみたが、上手くいきそうだ。
「最大出力・・・最大出力・・・最大出力っ!!」
 俺は何度も最大出力と叫び、思いっきり念じた。そして力を抑えきれる限界まで達したとき、俺の意思に沿わず右手から閃光が放たれた。俺はその勢いで尻餅をついたが、気功は人形へ届いたようだ。一瞬攻撃が通ったかのように思えたが、寸前で防がれたようだ。
「クソッ!」
 俺は拳で体育館の床を殴った。勢いでぶつけたので地味に痛い。
「仕方ないさ、けっこう強い悪霊だ。俺の龍の舞が届かなかったんだからな」
 右京さんはそう言って俺の肩に手を当てた。待てよ、ってことはダメ元で俺にやらせたということか?
「右京さん、それって・・・俺の技が通じないことがわかっててやらせたんですかね?」
 俺が訊くと右京さんは苦笑しながら頷いた。
「へっへへ、ちょっとしぐちゃんの実力を見たかっただけさ。でも今の気功はなかなかだったぜ。たぶん出来る時と出来ない時の波が激しいんじゃないか?」
「さあ、それは分かりませんけど・・・でも、今のはなんだか手応えがありました。まあ、防がれましたけど」
 確かに、右京さんの言う通りかもしれない。今みたいに強い念を溜めれることもあれば、ほとんど力が入らないこともある。練習すれば、それをコントロールできるようになるのだろうか。
「お、おかえり蛍」
 右京さんの言葉で後ろを振り返ると、車の鍵を手に持った蛍ちゃんが立っていた。
「あれ、鍵だけ?」
 俺は思わず呟いた。蛍ちゃんは何かを持ってくるのではなかったか?
「いや、たぶん連れてきてるんだろ」
 俺の言葉に右京さんはそう返した。連れてきてる?何をだろう。
そう思った直後、蛍ちゃんの後ろから何かの音が聞こえてきた。何か、カラコロというような・・・。
「うん、連れてきた」
 そう蛍ちゃんが言った時には、もうその姿が見えていた。人形だ、マリオネットというべきだろうか。5体の木人形がカラコロと関節を曲げながらこちらへ歩いてくる。
「あれが蛍にしか出来ない特技、人形術だ。最大8体までの木人形を念動力で遠隔操作できる。ただし、操る人形の数が多ければ操作に負担がかかるから人形一つ一つの動きは鈍くなるんだ。その逆に数が少なければ、人形の動きが俊敏になる。まあ、今回は俺たちが生身で近付くのは危険だから、数体の人形であの悪霊が憑依した人形を取り抑えてもらおうと思ってな」
 右京さんは自慢げに話した。全く、この人は親バカだ。しかし確かに蛍ちゃんの術はすごい。あれだけの数の人形を念動力で遠隔操作・・・器用だ。いや、器用だなんてそんなレベルではない。凄すぎる。天才だ。
「抑えれば、いいの?」
 蛍ちゃんは舞台裏から半身を出している人形を真っ直ぐ見つめながら呟いた。
「ああ、ついでにヤツの術も抑えられるか?」
「うん・・・」
 蛍ちゃんが頷くと、5体のうち3体の人形が舞台へ向かって歩き出した。残った2体は操縦を解除されたのか、ガランと床に崩れ落ちた。蛍ちゃんは俺たちの後ろでただ立っているだけのように見えるが、人形の操作にかなり集中しているようだ。3体の木人形は舞台へ上がる階段を上り目標の近くまで到達すると、次はそのフランス人形を囲うように動き出した。あれだけ近くにいるのに、悪霊の術で壊されないのか。と思った直後、木人形のうち1体の左腕が肩から折られた。
「ごめん、力が抜けちゃった」
「蛍、大丈夫か?ヤバかったら他の方法を考えるから引き上げてもいいんだぜ?」
 右京さんの言葉に蛍ちゃんは軽く首を振り、また操作に集中し始めた。たぶん、蛍ちゃんが今謝ったのは、俺たちにではなく、腕を折ってしまった人形への謝罪だったのだろう。彼女の様子から、そんな気がした。
 木人形たちが目標を囲うと、今度は蛍ちゃんが印を切るような動作をし始めた。するとフランス人形を中心に陣が描かれ、3体の木人形たちはそれに覆い被さるようにゆっくりと前のめりになった。
「封じたよ、壊す?」
「よしっ、さすが蛍!いや、人形を調べたいから中身を落とそう」
 右京さんはそう言って人形の元へと近付いていった。それに続いて俺も恐る恐る近付く。しかし何も起こらない。蛍ちゃんは見事に術を封じたようだ。
「ああ、あのぉ・・・」
 不意に後ろから男性の声がしたので見ると、櫻井校長が呆気にとられた様子でこちらを見ていた。そういえば依頼人の存在を忘れかけていた。
「ああ、こちらでなんとかするので大丈夫ですよ!」
 右京さんは校長にそう言うとまた人形の元へ歩き出した。
「よし、落としたらすぐに除霊するぞ。蛍はまた人形に憑依しないよう依代を封じててくれ」
 右京さんはポケットからお札を取り出してフランス人形の頭に貼ると、呪文のような言葉を唱え始めた。
「闇より生まれし招かれざる悪しき者よ、我が力は我が物にあらず、我が力は神より授かりし物。そこから離れよ」
 すると忽ち人形から黒い何かが沸き出し、それはヴヴゥと唸りながら人のような形を形成し始めた。
「人間め、俺を祓おうというのか。邪魔だ、邪魔だ!消え去れ!」
 黒い何かはそう叫びながら抵抗しているが、右京さんの術か蛍ちゃんの術が効いているのか、あまり大きな動きを取ろうとしない。
「お、お前の目的は何だ」
 俺が問うと、それは顔のような部分をゆっくりとこちらへ向けて話し出した。
「俺はただ楽しんでいたのだ。人が恐怖する様子を、人が俺の力で死ぬ様子を!それの何が悪い!俺は楽しんでいただけだ!!」
「そんな身勝手な動機で人を死なせたのか・・・しかも女の子のフランス人形に憑依するとは悪趣味だな。なら、問答無用で除霊させてもらうぞ」
 右京さんがそう言って印を切るような動作をとった。
「除霊だと?ハッハッハッハ!やれるものならやってみるがいい!その前に殺してくれる!」
 すると、悪霊はより鮮明で大きな影の形を形成し、右京さんに向けて拳を放ってきた。
「右京さん!」
 俺が叫んだ瞬間、目の前を物凄い速度で何かが駆け抜け、悪霊の影を切り裂き始めた。
「グアアァ!!!」
 悪霊は叫び声を上げて収縮し出した。
「あっぶねえ、詠唱中に攻撃してくんなよ時間かかるんだよこれ!まあいいや、呪撃・影縛の陣!」
 右京さんの術で悪霊の影は拘束され、そのまま跡形も残さず消えていった。その後、体育館に残ったのは俺たち3人と校長、そして人形たちだけで、影を切り裂いた何かの姿はどこにも見当たらなかった。

   ○
 仕事を終えて報酬を受け取った俺たちは、悪霊の憑依していたフランス人形を持って裏海中学校を出た。駐車場へ向かう途中、路上に一台の車が駐車しているのが見え、その付近には見覚えのある女性が立っていた。
「やっぱり市松ちゃんのイズナだったか。助かったぜ、ありがと」
 市松さん、イズナを使役している祓い屋の人だ。
「詠唱に時間がかかるならもう少し緊張感を持てばいいのに、油断してるからですよ」
 市松さんは苦笑しながら言った。
「悪かったって、蛍の呪縛が効いてたから大丈夫だと思ったんだよ~」
「もう、またそうやって蛍ちゃんに任せて・・・まあ、右京さんより蛍ちゃんの方が器用だし強いですからね。蛍ちゃん、今日はお疲れ様」
 そう言って市松さんは蛍ちゃんの頭を撫でた。
「なっ、そりゃ事実だけどさ・・・うん、確かに蛍はすごいぜ。可愛いし」
「貴方って人は・・・」
 市松さんが呆れるほどの親バカだ。俺は苦笑した。
「ところで、どうして市松ちゃんがここに?」
「ああ、気分転換にドライブをしていたらイズナたちが反応したので、たまたま見付けたのです」
「そうだったのか。もう帰り?」
「いえ、この後少し寄る所があるので」
「そっか、ありがとな。じゃ、俺たちはこれで」
「はい、また今度」
市松さんはそう言うと俺を見て微笑んできたので、俺も市松さんに頭を下げてその場を後にした。

   ○
 車の中は冷房が効いていて涼しい。疲れたのか、蛍ちゃんは後ろの座席で寝てしまっている。
「そのフランス人形、どうするんですか?」
「うーん、ちょっと調べて燃やす。校長も任意だ」
「そうですか」
 俺はそれだけ言うと窓の外に目を移した。相変わらず綺麗な海だ。水中を泳ぐ魚たちの姿が見える。
「しぐちゃん」
 不意に右京さんが俺の名を呼んだ。
「はい」
「さっきの霊、強かったと思うか?」
「え、はい。たぶん」
「自分で気配を隠せるほど、強かったかなぁ?」
「それは・・・わかりませんけど、たぶんそこまででは」
「だよなぁ」
 右京さんは少し考えるようにため息を吐いた。
「最近おかしいよな、この町も俺たちの町も。霊の気配が曖昧になったり、海中列車の件だったり・・・呪術師連盟のやってることもよく分からねーし。何か、不吉な予感がする」
「そうですね。ゼロも言ってました」
 恐らく、先程の悪霊も何かの力が作用して気配が薄くなっていたのだろう。何かが起きている。その何かは、やっぱり悪いものなのだろうか。俺はもう一度、窓の外の海を見た。そこに怪しいものは何も無く、ただただ美しい景色が広がっているだけだった。もしも何かが起これば、この眺めも変わってしまうのだろうか。予測でしか無いが、そう考えると少しだけ、ほんの少しだけ悲しくなった。

海辺の街で

 早朝からゼロに呼び出され、海へ来ている。夜が明けたばかりで、潮風が心地よく波も静かだ。
「風が心地いいですね」
「そうだな」
 ゼロも同じことを思ったようだ。俺は頷いた。昨日は右京さんの仕事を手伝ったので疲れていたが、大事な話があると言われたので仕方ない。本当に最近は忙しすぎて、休む暇も落ち込む暇も無い。
「それにしても、なんでこんな早朝から・・・」
「へへ、夏だしたまにはいいかなと思って。それに僕、今日は少し予定が詰まっているので」
「そうか。まあ、確かに朝の海は悪くないかな」
 こんな時間に呼び出してまで話さなければいけないこととは、余程重要なことなのだろう。
「今、話しておかなければいけないことなので」
 俺が思ったことをゼロは口にした。
「そっか」
 俺はそう言って海を見た。

   ○
 ゼロから聞いた話。
「今回の件で、皆さんを巻き込んでしまい、申し訳ありません」
 僕は頭を下げた。
「ゼロが謝ることじゃないだろう。悪いのは本部の連中だ」
 岩動さんはそう言って僕の肩に手を乗せた。
「それよりゼロ、大丈夫なのか?無理してないか?」
 強面な外見に反して性格の優しい岩動さんは、僕が父親を攫われたことに傷心していないか心配してくれているようだ。
「大丈夫ですよ。父さんなら平気でしょう」
 正直、少し強がりもあった。でも、父さんには何か考えがある。僕はそう思っていた。いや、確信かもしれない。父さんのことだから、上手くやってくれている。そんな希望が僕にはあった。
「まあ、神原一門の当主だからな。業界では名のある祓い屋だ。ゼロの言うとおりかもしれねぇぞ」
 長坂さんの肩に乗っている小さな黒蛇のサキさん、彼のことはまだよく知らないが、警戒する必要はあまり無さそうだ。
「サキさんもありがとうございます。人の事情に関わらせてしまってすみません」
「んなこと言うな、しぐるも関わってる問題だろうが。それなら俺様にも関係がある」
 サキさんは、しぐるさんの妹を守れなかったことを気にしているのだろう。それだけではない・・・しぐるさんの記憶にも干渉してしまったことだって、仕方の無いことだったのかもしれないが、本人は悪いと思ってしまうのだろう。
 僕は椅子に座って、今この事務所にいる全員を一人ずつ見た。神主でありながら裏の顔は禁術使いの長坂さん、妖怪のサキさん、念動力者の岩動さん、狐憑きの市松さん、結界師の昴さん、妹の琴羽、全員が僕のことを見ている。みんな不安なのかもしれない。琴羽は特にそうかもしれない。
「皆さんにご報告があるのですけど」
 不意に口を開いたのは琴羽だった。
「ん、どうしたの琴羽?」
 ぼくが訊くと琴羽は少し安心した表情で微笑んだ。
「お父さん、暫く本部で働くことになったから家に戻れないって。安否もちゃんと確認できたよ。寂しくなるけど、父さんは無事」
「本当なの!?そんな情報どこで・・・」
 僕が驚いた顔で言うと琴羽はおかしそうに笑った。
「お兄ちゃん、私の能力忘れたの?さっき支部に残ってたお父さんの思念から伝わってきたの。詳しく話すとね、攫われたって言えばそんな感じなんだけど、本部に引き抜くって話を持ち掛けられて任意で同行したみたい。でも、あくまで本部のしていることを探るだけだから、敢えて向こうの思った通りに事を進めたらしいの。斬島さんにはそこまで伝える余裕が無かったのね。本部にはお父さんの仲間もいるから、きっと大丈夫。心配するなって言ってた」
 僕はホッとして肩を撫で下ろした。そうか、琴羽の超能力は情報収集に特化したものだった。予知も占いも、思念から人の状況を読み取ることもできる。僕は焦っていたのか、そんなことすら忘れていた。なんだ、琴羽より不安を感じていたのは僕だったのか。
「よかった・・・やっぱり、父さんなら大丈夫です」
「ゼロくん、少し落ち着きましたか?」
 市松さんが僕の顔を見て言った。まるで僕が不安に感じていたことを初めから察していたかのようだ。
「はい、ありがとうございます。もう大丈夫」
 僕はそう言って笑った。今度は本当に安心できている。でも、まだ話すことはある。
「長坂さん」
 僕が名前を呼ぶと、彼は顔をこちらに向けた。
「はい、何だい?」
「あなたには幾つか聞きたいことがあります。とある少女のメモ帳の件と、龍臥島の件です」
 この人は禁術使いだ。しかし、悪い人とはあまり思えない。だから、今までこの人が御影としてやってきたことについて聞いておかなければならないのだ。
「蛛螺の件については昴さんから聞きました。あれは恐らく、何者かがあなたの仕業に見せ掛けるために偽装したものでしょう。しかし、他は違います。中学生ぐらいの女の子が落としたメモ帳に呪詛をかけたことがあるでしょう?」
「うむ、確かにそれをしたのは俺だ」
「なぜ、そんなことを?」
「龍臥島の件と関係があってな。しぐるには話したが、俺が龍臥島に放った怪物は、龍臥島に溜まった霊を喰わせるためのものだったんだ。黄昏時にしか姿を見せぬから人に危害は無いと思ったんだが、神原くんの言っている少女がその件に首を突っ込んでいると耳にしたので、ちょっと怖がらせてあげようと思っただけなんだ。懲りてくれると思ってな。妙に勘が鋭い子で驚いたよ」
「そういうことでしたか・・・」
 何となく予想は出来ていた答えだった。この人ならそんなことをしそうだ。今なら分かる気がする。
「残念ながら、あの子はそんなことで懲りるような子じゃないですよ。オカルト大好きですから。それに、勘が鋭いのは彼女が潜在的な超能力者だからです。全く、意外と似た者同士が集まるものですね。この街は」
 本当に、気付いたら仲間が増えていた。神原家の長男として生まれた僕は見える人たちと初めから関りがあったけれど、それは家族だったり、父の友人だったりと、僕の友人ではなかった。けど今は、ここにいるみんなや、鈴那さんや露ちゃん、そしてしぐるさんもいる。全員が僕の友人だ。
「ほんと、増えたね」
 昴さんは微笑みながらそう呟いた。彼も僕と同様に祓い屋の一家で生まれたが、同じ世界が見える友人が欲しかっただろう。だからきっと、今が楽しいはずだ。
「そうですね」
 僕は笑顔で言った。

   ○
 ゼロの話を聞いているうちに、日差しでアスファルトは温められたようで、手を付くと熱を感じる。
「親父さん、無事でよかったな」
「はい、母さんには騒動のことは伝えてないので、ただ父さんが本部へ行ったことだけを・・・余計な心配はかけたくないので」
「そうだよな・・・」
 愛する人が危険な目にあったら、どんな気持ちになるか。俺にもわかる。全てがわかるわけではないが、俺なりには理解できる。もしも鈴那が、もしも露が・・・正直、そんなことは考えたくない。
「鈴那、寂しくないかな」
 思わず口に出てしまった。そうだ、昨日は鈴那とスマホでやり取りしただけで、直接会えてない。自由にやってくれてるといいけれど、時々、心配になってしまうことがある。それは余計なお節介だろうか?
「鈴那さん、早く課題終わらせて夏休みの最後はまたみんなで遊ぶんだって張り切ってましたよ」
「なんだ、そうなのか。それなら心配ないかも」
 余計な心配だったようだ。そうだ、事を片付けてから、また楽しめばいいのだ。
「さて、事務所戻りましょう」
「そうだな」
 俺たちは立ち上がると服に付いた砂を手で掃い、アスファルトの土手を歩き始めた。
「俺さ、このあと長坂さんのとこ行ってくるよ」
「そうですか。何か御用が?」
「うーん、ちょっと訊きたいことがあってさ。昔のことなんだけど」
「なるほど、では、事務所まで行ったらお別れですね」
「うん、ありがとな。色々教えてくれて」
「いえ、早くからすみません。お気を付けて」
 そんな会話をしながら歩いているうちに、すっかり昼間の陽気になってしまった。相変わらず暑い。でも、夏はそれでいいかなと思った。
 ゼロと別れてから長坂さんの居るであろう神社までの道を歩いてると、歩道から河を眺めている中年の男性が目に留まった。
「長坂さん」
「お、なんだしぐるか」
 ここで会うとは、神社まで行く手間が省けた。
「ちょっと、訊きたいことがあるんです」
「ん、何だい?」
 俺は一呼吸置いてから話し始めた。
「長坂さん、俺に幾つか嘘を教えてますよね。何故ですか?」
 長坂さんは表情を崩さずに俺の目を見た。
「まあ、今のお前では気付くよな。特に深い意味は無かったのだ」
「除霊は霊を強制的に消してしまうこと。浄霊は魂を清め浄化すること。それが事実ですが、あなたは俺に間違った意味で教えていました。それを今まで訂正しなかったのは、あなたが禁術使いの御影だからですか?」
 途中で自分は何を訊きたいのか分からなくなった。意味は無い。その言葉を聞いたにも関わらず、禁術について触れた。
「そのことを間違って教えてしまったのは、確かに俺の除霊法に禁術が含まれていることがあったからだ。今のお前なら分かるだろう。俺のやり方は神式とは少々違う。勿論、神式のお祓いもするが、正直あれは苦手だ。それを知られたくなかった。純粋なお前に・・・すまんな」
 長坂さんは真っ直ぐ俺の目を見て言った。
「いえ、まあ、分かってました。何となく・・・」
 俺は苦笑した。それに釣られてか、長坂さんも苦笑した。
「今の俺も、長坂さんのことを嫌ってませんよ。だって、俺の知ってる長坂さんは禁術使いの御影じゃない。ひなを守ろうとしてくれた恩人であり、俺の師でもあります」
「そうか、お前でよかったよしぐる。しかし俺は、闇を深く覗きすぎてしまった。実は、もうこの仕事は辞めようと思う」
 突然の告白に俺は少し戸惑った。
「えっ、辞めてしまうんですか?」
「うむ、この歳になって漸く他にやりたいことが見つかったのだ。これを機に、呪術師からも神職からも身を退こうと思う」
「そう、ですか」
 俺はそう言って微笑んだ。少し安心したのだ。この人はもうこの危険なことに関わらなくなるんだなと。
「しぐるは、この仕事を続ける気なのか?」
 俺は少し考えた。どうするのだろうか。俺には能力があるから、祓い屋の仕事は続けていける。けれど、他にやりたいことは無いのだろうか?
「わか、りません。他にしたいことがあるのかも分からなくて、まだ考え中・・・ですかね」
「そうだな、焦らんでもよい。俺だって、この歳でやっとそれが見つかったのだ。もし望んでいた道に進めていなかったのならば、もう一度始めればいい。お前は真面目だから色々気を使ってしまうかもしれんが、そこがいい所だ。流れゆくままに、進んで行けばいい」
「ありがとうございます」
 師匠が長坂さんでよかった。照れ臭くて、心の中だけでそう呟いた。
「あら、こんなところに」
 不意に後ろから聞き覚えのある声がしたので振り返ると、イズナを肩に乗せた女性が微笑み顔で立っていた。
「あっ、市松さん」
「おお、なんだね君か」
 そういえば、長坂さんもこの前会っていたのだった。市松さんは長坂さんに軽く頭を下げると、俺に目を向けた。
「ゼロくんに訊いたら、長坂さんの所へ行ったって聞いたから。お迎え来ちゃった」
 市松さんはそう言って笑った。笑い顔は微笑んでいる印象の強かった人だが、こんなふうにも笑うのか。
「え、お迎えって?」
 俺が訊くと、市松さんは右手に持った車の鍵を掲げて言った。
「しぐるくん、ちょっと私とドライブデートしない?」
 俺はその言葉を聞いて戸惑った。
「で、でーと・・・ですか!えっと・・・」
「鈴那ちゃんがいることは知ってるわ。例えよ例え。面白い場所に連れてってあげる」
 市松さんは笑いながら言った。この人、こんなキャラだったのか?印象が一気に変わった。
「あ、はい。では・・・」
「いいなぁしぐるは、モテるなぁ」
 長坂さんはそう言って俺を茶化した。
「や、やめてくださいよ」
 俺は苦笑した。
「ウフフ、しぐるくんイケメンだもんね。車、そこに停めてあるから。用が済んだら行きましょ」
「はい、もう大丈夫です」
 こうして俺は、狐憑きのお姉さんと一日だけデートをすることになった。鈴那には、絶対に黙っておかないと・・・そう思いながら、茜色の軽自動車に乗り込んだ。
「そういえば、今日はまだ午前中なんだよな」
 と、独り言を呟きながら。

納涼ブレイク

 先程まで左右に木々の生い茂った狭い道路を走っていたが、途端に視界が開けて目の前には広い海が飛び込んできた。相変わらず綺麗な海だ。
「この先に縁結びの岬があるの。今度鈴那ちゃんと行ってみたら?」
 縁結びか。そういえば、そんな話を聞いたことがある気がする。
「まあ、景色楽しむだけならいいかもしれませんね」
 俺は苦笑した。隣で車を運転している女性は、俺の反応を見るとクスッと笑った。
「なんなら、今日このまま二人で行っちゃう?」
「え、いやぁ・・・」
「冗談よ冗談!浮気になっちゃうものね~」
 俺の動揺する様子が面白いのか、やたらと茶化してくる。狐憑きの呪術師、市松さん。こんなキャラだったのか。普段は凛としていてお淑やかに見えるが、意外と肉食系・・・まさに妖狐のような女性だ。それにしても、以前ゼロが「市松さんのトレードマークは狐の面」みたいなことを言っていたが、夜祭りの時以来この人が狐の面を着けているところを見たことがない。その代わり、今日は後部座席にそれが置いてあった。何かに使うのだろうか?
「ねえしぐるくん、君ぐらいの年齢だと、好奇心で危ない場所とか行ったりする?」
「え、危ない場所ですか?」
「うん、例えば心霊スポットとか」
 行ったことがある。それもけっこうヤバい場所だ。
「あります。一度だけ、霊感が強いからとクラスメイトたちに付き添いを頼まれました」
 俺は夏休み初日に行った山の廃屋での出来事を話した。
「そんなことがあったのね~」
「まったく、ひどい目に遭いましたよ」
「でも、楽しかったんじゃない?」
 市松さんの言う通り、楽しかった。元々オカルトやホラーが好きで、それに霊感も強い。今では霊能力だって使えるのだ。今の俺はきっと、前よりも霊に対する恐怖の感覚が麻痺してしまっている気がする。
「楽しかったですよ、あの時は。でも今は、どうなんでしょうね」
 俺は窓の向こうで移り変わる景色を見ながら言った。今の俺は、以前の俺とは少し違う。そういえば、この前まで強くなりたいと必死で色々なことを頑張り、除霊だってしようとした。でも、そのおかげで今まで怖いと感じていたものへの恐怖感は薄れてしまっていた。
「こういう仕事をしているとね、霊の怖さとかよくわかんなくなっちゃうんだよね。しぐるくん、今そんなこと考えてたでしょ」
「そうなんです・・・なんか、少し寂しいかなって」
 寂しい。物事の捉え方が自分の中で変わってしまうということに、寂しいという感情は生まれるものなのか。こんな風に感じたのは初めてだ。
「そうかもね~、私は生まれたときからイズナや妖怪たちが傍にいたから、そういう喪失感は無いけどね。でも、しぐるくんの言う通りだと思う。ホラーとか怪談とか大好きなしぐるくんは、ある日を境にそれらを祓う側の人になっちゃった。今のしぐるくんの気持ちって、複雑なのかもね」
 今の俺の気持ち・・・寂しいような、虚しいような、物語の主人公になったみたいで嬉しいような、でも、普通に戻りたいような・・・。
「でも、今は楽しいです。ゼロみたいな祓い屋仲間がいるし、鈴那も能力者だし、なんか、今までとは違うけど、楽しいです」
「それなら、よかった。しぐるくん、今すごく悩んでるんじゃないかなーと思っててね。それでちょっとドライブに誘っちゃったんだけど、そのこともお話してくれてよかった」
 市松さんは俺の顔を見て微笑んだ。やっぱり、綺麗な人だ。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「ま、そんな感じなんだけど~、最初の目的地。この先にある大波崎って場所なんだけど、そこにある階段を下りてくと、ちょっとしたお散歩コースみたいになっててね。奥まで行くと古いお墓があるんだけど、そこ、出るのよ」
 俺は少し鳥肌が立ったと同時に、ワクワクした。
「心霊スポットってことですか!」
「そうそう、たまには初心に帰って、純粋にオカルトを楽しむのもいいかなと思ってね。しぐるくんを連れてきたかったの」
 嬉しい、なんだか久しぶりにゾクゾクしてきた。
「ところで、その大波崎ってどんな噂があるんですか?」
 俺は恐る恐る訊いてみた。
「フッフッ・・・武士の亡霊が出るの」
 市松さんはニヤリと笑いながら言った。
「武士の・・・なんか、すごく心霊スポットっぽいですね」
「私は一度行ったことがある場所なのよ。その時は元カレと一緒に行ったんだけどね」
 市松さん、20代前半のように見えるが、いくつなのだろう。元カレと聞いてそんなことを考えてしまったが、今は大波崎の噂の方が興味ある。
「その時は、何か見たんですか?」
「見た、元カレくんにも見えてた。夜だったんだけど、武士が墓石の前で胡坐をかいて星を眺めてたの。私達はそっとしておいてあげようって、そのまま静かに帰ったんだけどね」
 なんだか不思議だ。その武士の亡霊は、夜空を眺めながらどんなことを考えていたのだろうか。
「今日は、居ますかね?」
「どうかしら、姿を見せてくれるといいわね」
 そんな会話をしていると、大波崎という文字の書かれた看板が見えてきた。市松さんはそこの駐車場へ車を停め、俺たちは降車した。
「そういえば、裏海中学校だっけ?この前右京さんと行ってたの。ここから近いわよね」
「ですね、眺めのいい学校でしたよ」
 裏海中学校とは、一昨日右京さんと俺と蛍ちゃんで除霊の依頼を受けて行った中学校である。山の上にあるため、校内から見渡せる海は絶景だ。
「実は私も同じ日に近くで仕事があったのよ。イズナで手を貸したのはその帰り」
 そう、あの日は除霊に苦戦して、最後は市松さんのイズナたちが手助けしてくれたのだ。
「あの時は、ありがとうございました。市松さんのイズナたちって、強いんですね」
「まあ、かーなーり食いしん坊で困っちゃうけどね。でも可愛いよ。この子たちのおかげで、いつも元気で居られるし、祓い屋の仕事も出来てるからね」
 市松さんはそう言って右肩に乗っているイズナを撫でた。狐憑きか。市松さんはイズナと呼んでいるが、確か管狐とかいう名称もあったような気がする。
「憑き物の家系って、大変なんですよね」
「んー、慣れちゃえばどうってことないわよ。私なんて生まれた時からこの子達と居たから、もう完全に慣れちゃった」
 市松さんはエヘヘと笑った。慣れるものなのか。確かに、俺も自分が能力を使えるということに少し慣れてきている気がする。

   ○
 俺と市松さんは下に続く木造の階段を下り、遊歩道を進んで行った。道はそんなに広くは無く、大人二人がギリギリ並んで歩けるほどの幅だ。
「もうすぐ見えてくるわよ」
 市松さんはそう言ってニヤリと笑った。俺は彼女の後について歩いて行き、少しすると遠くに墓石のような物が見えてきた。
「あ、あれですか?」
 俺が訊くと市松さんは頷いた。
「そう、しぐるくん何か見える?」
 俺は首を横に振った。今のところは何も見えないが、ここへ近くなってから少し空気が変わった気がする。ひんやりして、僅かな霊気を感じる。
「見えないんですけど、やっぱり感じますね。もう少し近くに行ってみますか?」
「そうね、もしかしたらあの霊がどこかにいるかも」
 俺たちはもう少しだけ墓石に近付いた。しかし霊気が強くなることも無く、結局墓石の目の前まで来てしまった。
「誰も居ませんね」
「もしかしたら、今は眠ってるのかもね」
 眠っている。本当はどうなのか俺達にはわからない。けれど、確かにこの場所には何かが眠っているように思えた。今はただ姿を見せないだけで、きっとこの場所には・・・。
「眠っているんでしょうね、ここには」
 俺と市松さんは来た道を引き返し、駐車場に停めてある車の元へ戻った。
「ここでは何も見れなかったけど、今から車で通る場所でちょっと面白いのが見れるかも」
 運転席に座り、車のエンジンをかけた市松さんが言った。
「面白いものですか?」
「たぶん聞いたことはあると思うんだけど、すっごいブサイクでヘンテコな悪霊が出るのよ。運がよければ見れるかも」
 聞いたことがある。というかこの前その話を右京さんから聞いたばかりだ。その時俺はそれを見てみたいと思った。それにしても、悪霊を見れるのは運がいいと言うのだろうか?
 茜色の軽自動車は大波崎の駐車場を出ると、また少し狭い道路を進んでいった。暫く湾曲した道を進むと、左側に何かが見えてきた。
「あっ!」
 俺は思わず声を上げた。そこにあったのは、地蔵だった。しかし俺が驚いたのは地蔵ではない。地蔵の上に何かが居たのだ。そいつは紫色で毬栗のような体をしており、左右には鴉のものに似た翼が生えていた。顔は目と口のようなものが中央に寄っており、まさに不細工といったところだ。
「すごい、ほんとに居たんですね」
 俺は市松さんの方を向いて言った。
「だいたいいつもあそこに居るのよ。何でか分からないけどね」
「なんか、面白いですね」
 俺はそう言って笑った。何だか楽しい。そういえば、久々にちゃんと笑った気がする。最近、忙しいうえに色々と大変だったので、何かを楽しむ余裕が無かったのかもしれない。過去の出来事になってしまえばいい思い出になるのかもしれないが、やっぱり現在進行中だと大変に思えてしまうものなのだろう。

   ○
 気付けば結構な時間が経っていたようだ。時刻は午後3時、俺と市松さんは偶然見つけた喫茶店でコーヒーを飲みながら休憩していた。
「今日は楽しいね~」
「そうですねー、色々ありがとうございました」
 俺は笑顔で言った。
「こちらこそよ、連れまわしちゃってごめんね。疲れたでしょ」
 市松さんは苦笑した。体は疲れたかもしれないけど、心は少しリラックスできた気がする。
「いえ、本当に楽しかったです」
 俺はそう言うとコーヒーを一口飲んだ。
「俺、考えてばかりで色々なことがよく分からなくなってたんです。妹のこととか、怪異のこととか、霊能力のこととか、色々。でも、市松さんたちのおかげで、一人で抱え込まなくてもいいようになれました。本当に、感謝してます」
 こんなことを言うのは照れくさいが、それでも気持ちを伝えたかった。心から思っているこの気持ちを、感謝しているということを伝えたかったのだ。
「よかったね。私はほとんど何もしてないけど、ゼロくんとか鈴那ちゃん、あと、右京さんは、しぐるくんの心の支えになってるのかもしれないわね。なんだかそんなこと言ってもらえると、こっちまで嬉しくなっちゃうなー」
 市松さんは笑いながら言った。本当に俺はいい人たちと出会うことができた。いつか倍ぐらいのお礼が出来たらいいのに、きっとそれ以上に、これからもっとお世話になるのだろう。それだけが、ほんの少しだけ歯痒い。
「しぐるくんって、優しい子ね。だから鈴那ちゃんもしぐるくんのことが好きなのかもね」
「ええっ、そうですかね?」
「ゼロくんが言ってた。しぐるくんと鈴那ちゃんはまだ付き合い始めてそんな経ってないのに、もう結構長く一緒にいるように見えるって。きっと、出会うべくして出会えたのかもしれないわね。なんかロマンチック」
 急にそんなことを言われると恥ずかしい。確かに鈴那とは上手くいっているけれど、そんなに仲良く見えるだろうか。嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちで、何だか熱い。
「ありがとうございます。鈴那は・・・鈴那は、俺に生きる意味をくれました。今まで変わりの無い日々を朦朧と過ごしていただけの自分に、恋をさせてくれて、仲間をくれて、笑顔をくれました。だから・・・まぁ、そんな感じですね」
 最後は恥ずかしくなってしっかり言えなかった。そんな俺の様子を見て、市松さんはクスッと笑った。
「そういうところもしぐるくんのいい所だと思うよ。鈴那ちゃんとお幸せにね」
「は、はい」
 自分では分からないが、きっと今俺の顔は赤くなっているのだろう。それでも、悪くない気分だ。いや、寧ろ嬉しいかもしれない。こんな感情も、俺一人だけで感じることはできなかった。
「少しだけ、夏が好きになりました」
 俺は鈴那の顔を思い浮かべながら言った。それから手元にあるコーヒーカップを手に取り、残りのコーヒーを全て飲み干した。この夏を忘れないように。

放置された闇

 空の青、海の青、涼しげな色。その全てが、容赦なく照り付ける八月の太陽で熱されているようだ。
「暑いなぁ」
 俺と鈴那はゼロからの緊急な呼び出しを受け、事務所への道のりを歩いていた。
「だねー、熱中症になりそう」
「水分補給、しっかりしないとだな」
「あ、そういえば今日サキちゃんは?」
「あいつは露と家にいるよ。露のこと大好きだからな」
「うわ、さすがロリコンヘビね」
 そんな会話をしているうちに、見慣れた古い建物が見えてきた。俺達はそのガラス戸を開いて中に入った。
「あ、来ましたか」
 一番に声を掛けてきたのは、呪術師の神原零。通称ゼロだ。そいつの他に部屋には三人の少年がいた。少年たちは中学生ぐらいで、その中の一人からは何やら黒い靄のようなものが出ていた。
「俺達を呼び出した理由はその子か?」
 俺はその靄が出ている少年を見て言うと、ゼロは黙って頷いた。
「最初は、長坂さんの神社に行ったそうです。そこでこの場所を紹介されたらしくて」
 ゼロはそこまで言うと靄が出てない少年の一人に事情を説明するよう促した。少年は小川と名乗り、これまでの経緯を話し始めた。
「俺達、昨日心霊スポットに行ってきたんです。婆捨穴っていうんですけど、最初は何事も無かったんです。でも、帰ろうとしたときに木下が足首を何かに捕まれたって言って、その時は気のせいだろと言って急いで帰ったんですけど、夜中に木下が金縛りにあったらしいんです」
 木下というのは、靄が出ている少年のことだろう。それにしても、婆捨穴は聞いたことがある心霊スポットだ。地元の山にあるということは知っていたが、恐ろしい噂が多いので近付いたことは無かった。
「えっと、木下くんは、金縛りにあったときに何か見た?」
 俺の質問に木下くんは怯えた表情で頷き、ポツリポツリと話し出した。
「夜中、目が覚めたと思ったら金縛りになって、上に目の潰れた老婆が乗っかってて、首を絞められたんです。他にも子供が泣きながら俺の周りを歩いてたりして・・・そのまま気絶して気付いたら朝になってたんですけど、急いで二人に電話して神社に行ったんです。そこでこの場所を紹介されました」
 木下くんが話している間も、彼からは絶え間なく黒い靄が湧き出ていた。
「あの、木下を見た時にその子が理由かって言ったのは、何か見えてるってことですか?」
 そこで三人目の少年が俺に質問をしてきた。
「ああ、見えてるよ」
「そうでしたか。あ、俺は鈴村っていいます。お二人も霊能者なんですか?」
 鈴村と名乗った少年は俺と鈴那を見て言った。
「まあ、霊能者なのかな?」
 俺が鈴那を見ながら言うと、彼女は溜め息を吐いた。
「はぁ、質問に質問で返したら安心できないでしょ。この人はすごい霊能力者だから大丈夫だよー」
「おいっ、ハードル上げるな。まあ、除霊なら出来るけど。おいゼロ、今日俺と鈴那は何をすればいいんだ?」
 俺が訊くと、ゼロは数枚のお札のようなものを手に取り言った。
「まずは木下くんの憑き物を落とします。その後に、念のためですが婆捨穴へ行って完全除霊しましょう。このまま放っておくのは危険だ」
「確かに、根本も消さないとまた被害者が出てしまうか」
「それもそうですが、今現在の状況からして危険なものは早めに排除しておくのが妥当です」
 ゼロは神妙な面持ちで言った。今現在の状況か・・・この、何かが起きている状況。ゼロもそれについての情報が少なすぎて色々と警戒しているのだろう。
「そうだな、俺にできることがあれば何でも言ってくれ」
 そうだ、今はこの仲間と協力することが俺の一番の目的かもしれない。俺に楽しさを取り戻させてくれた仲間と。
「では早速ですがしぐるさん、今から結界を張るのでこの呪符を部屋の四方に貼ってください。術を行うのは僕なので、そんな正確でなくても構いません。鈴那さんは、一瞬でいいので木下くんの身を清めてあげてください。そのままの状態で結界に入ると命に関わります」
 そう言ってゼロは手に持った四枚のお札を差し出してきた。俺はそれを受け取り、すぐに作業へ取り掛かった。
「木下くん、こっち見て。あたしの目を見て」
 鈴那もやるときは行動が早い。木下くんと目を合わせ、手を彼の前頭部に当てて何かを念じている。鈴那がこういうことをしているのはあまり見たことがないが、やっぱり霊媒師なんだなと思った。ちなみに木下くんはかなり緊張しているようで、鈴那から何度も力を抜いてと言われている。
 俺がお札を全て貼り終えた頃には、もう木下くんも身を清められていた。ゼロは何やら服の上から着物のようなものを羽織り、いつも以上に本格的だ。
「それでは、今から部屋全体に簡易結界を張り、空間を浄化させます」
 そう言うとゼロは何かをブツブツと唱え始めた。その直後、部屋の空気が少し変わった気がした。
「よし、では除霊を開始しましょう。木下くん、そこに正座で座ってください」
 ゼロの指示で木下くんは床に敷かれた座布団の上に正座をした。その時には、鈴那が身を清めたおかげなのか黒い靄がかなり少なくなっていた。
 準備が整ったところで、ゼロは何かを唱えながら木下くんの左肩に手を置いた。すると木下くんはゆっくりと目を閉じ、コクリと俯いてしまった。
「さぁ、出てこい。お前がこの子に憑いてるのはもう分かってるんだ」
 ゼロが強い口調で言うと、木下くんの体は左右に揺れ始め、暫くするとパッと目を開いた。
「ハヒヒヒヒヒヒ!祓い屋の小僧めワシをこのガキから落とそうってのかい!残念だけどこいつはこのまま持っていくよ!ワシらの養分になってもらうさ!ハヒヒヒヒヒヒ!!」
 俺は全身にゾワゾワと鳥肌が立った。声は間違いなく木下くんの口から出ているものだ。それなのに、全く別人のものだ。そんな突然の豹変ぶりにも関わらず、ゼロは真っ直ぐ木下くんの血走った目を睨み付けている。
「僕は優しくないから、速やかにお前を排除する。まずはその子から剥がしてやるけど、まぁ耐えられないだろう」
 ゼロがいつになく格好よく見えた。これが神原家の呪術師・・・やはり実力はかなりあるのだろう。
「耐える?ヒヒヒ、落とせるもんなら落としてみんしゃいこの小僧め!」
「僕を甘く見るな」
 ゼロが霊に対して放ったその言葉は、冷酷非情で余裕のあるものだった。
「ヒィッ!!」
 それが木下くんにとり憑いていた霊の最後の言葉だった。ゼロは剥がしたそいつを一瞬で消し去ってしまったのだ。木下くんはまた俯き、少し怠そうに頭を動かし始めた。
「除霊完了です。木下くん、まだ怠いでしょうから少し横になっててください」
 ゼロがそう言うと、見ていた二人の少年はホッとしたようだが、どこか怯えた様子でお礼を言った。俺はその時、少しだけゼロが恐ろしく見えた。霊に対するあの態度、そして冷血な目、それはまるで・・・悪のようだった。

   ○
 少年たち三人を家に帰した後、俺達は事務所の前に着いた一台の車に乗り込んだ。
「急に呼び出してすみません、右京さん」
 ゼロがそう言うと運転手の右京さんは笑いながら頭を掻いた。
「いやいやー、どうせ暇だったからいいって。今日は嫁も休みだから蛍は家に置いてきた」
 蛍ちゃんは右京さんの娘さんで、人形使いの呪術師だ。右京さんも呪術師としてはすごいと思うが、蛍ちゃんは最大8体までの等身大マリオネットを念動力で遠隔操作できる天才だ。
「右京さんって、元は俺と同じような超能力者なんですよね?」
 俺が訊くと右京さんは「ああ」と頷いた。
「念能力、高校生の頃は呪術なんて使えなかったから、そればかりだったなぁ。でも、今の方が色んな術を使えてけっこう面白いぜ。ぶっちゃけ俺そんなに力が強いわけじゃないから、呪術を使えた方がお祓いの時は便利なんだ」
 確かに、右京さんが超能力だけで除霊している場面はあまり見たことがない気がする。
「でも、藤堂家の術は強力なものが多いですから、それなりの霊力は必要となるんです。なので、今の右京さんは昔に比べてかなり力は強いと思いますよ」
 ゼロが付け足すように言った。呪術か、そういえば俺の祖父はどうやって除霊をしていたのだろう。術を使っていたのなら、家のどこかに資料が残っているだろうか。
「あ、そうだ。しぐちゃんに俺の秘術を伝授すると言ったきり教えてなかったな。この仕事が終わったら一応教えるだけ教えるよ」
「え、本当にいいんですか」
 確かにこの前約束をしたが、俺に使えるのか。
「右京さん、秘術って流星時雨のことですか」
 ゼロの問いに右京さんは頷いた。
「そうそう、しぐちゃんが必殺技的な感じで使えればいいなーと思ってさ」
「代々伝わる秘術を他人に教えるとは・・・」
「しぐちゃんだから教えるんだよ」
 右京さんはそう言って苦笑した。本当に俺なんかが教わっていいものか。
「ねぇ、しぐ・・・」
 ふと、鈴那が小さな声で言ってきた。
「ん、どうした?」
 俺も小さめの声で返事をする。
「えっと・・・ううん、やっぱり何でもない」
「そっか、何か悩みがあるならまた言ってよ」
「うん、ありがと」
 本人がまだ言いたく無いのなら、無理に聞き出す必要もないだろう。深く追求しすぎて、傷付けてしまうこともある。そう思い、話題を切り替えることにした。
「なぁ、婆捨穴って有名な心霊スポットだけど、どんな感じの場所なんだろうな」
「あれでしょ、生活が苦しくなった人たちが家の老人を捨てたって話を聞いたことある」
「捨てられたのは老人だけでなく、子供も捨てられていたそうです。木下くんに憑いていた悪霊は老女でしたが、あれは子供の霊を呑み込んで力が強くなっていました。おそらく、次々に捨てられた者たちの苦しみや憎しみが大きな怨念となり、今は穴の中で渦巻いているのでしょう」
ゼロが鈴那の言葉に補足した。話を聞いたところでは、今回の仕事はかなりハードになりそうだ。婆捨穴の怨念は、間違いなく強いだろう。
「さて、もう着くぞー」
 右京さんはそう言いながら車を登山口の駐車場へ入れ、適当な場所に駐車させた。俺達は車を降り、婆捨穴のある場所へ歩を進めた。
「なんだ、この空気は」
 俺は車を降りてから少し歩いたところで、かなり空気が重いことに気付いた。
「婆捨穴、これはいくらなんでも空気が違い過ぎる。右京さん、これって」
 ゼロが険しい顔つきで言った。
「例の現象と関係あるのかもな。こりゃ予想以上に危険だ」
「その現象って、霊の気配が消えたり強くなったりするあれのこと?」
 俺の問いにゼロが頷いた。
「はい、現段階ではそれしか確認できませんが、おそらくはもっと大変なことが起こる予兆なのかもしれません。今回も不測の事態に備えて集中しておいてください。除霊は僕が前衛的に行うので、皆さんは援護をお願いします」
「はーい」
「おう」
 流石はゼロだ。霊能力と妖力の両方を兼ね備えた呪術師である彼の技は強力で頼もしい。正直、ちょっと羨ましいと思う。
 暫く会話をしながら歩いていると、少し遠くに婆捨穴らしき空洞が見えてきた。
「あれですね。不意を突かれないよう気を付けて近付いてください」
 そう言うとゼロは武器である妖刀を生成し、力を強めた。それに反応したのか、婆捨穴からは先程の木下くんから出ていたものと似た黒い靄が出始め、透かさず俺も身構えた。
「右京さん、影縛りは届きそうですか?」
「いや、もう少し近くないと無理だな」
「分かりました。では僕が出てきた霊を片っ端から除霊してくので影縛りで穴の怨念を削ってください」
 ゼロはそう言ってから刀を片手に念動力で一気に穴付近まで移動した。すると穴からは幾つかの霊が這い出るように穴から姿を現し、ゼロを睨み付けた。
「よし、俺達も行くぞ」
 右京さんの合図で俺達三人は走り出し、いつでも能力を使えるように準備した。その間、ゼロは穴から出てきている悪霊を妖刀で切り裂くように除霊していった。
「呪撃・影縛りの陣」
 右京さんの呪術。どうやらこの術は、霊の動きを封じてから呪で力を消耗させるもののようだ。
「鈴那、気功を撃つときは力を合わせよう。その方がいいかも」
 俺の提案に鈴那は「わかった」と言って頷いた。右京さんの術が効いているのか、穴からは呻き声のような音と共に黒い靄がその濃さを増してきていた。邪悪な霊気が強い。そろそろ大物が姿を現すかもしれない。俺がそう思った直後、黒い靄は渦を巻き、白髪の乱れた巨大な老婆の姿に形を変えた。それは白目で右京さんを睨み、口からはウオオオオォという大きな呻き声と同時にドロドロと赤黒い血のようなものを垂らしていた。
「な・・・やばいな、あれ」
 俺は思わず固まった。あんなものが婆捨穴の中に居たのかと思うとゾッとする。老婆の悪霊は穴から這い出るように両手を地に付いた。その様子をゼロは間近で睨みながら刀を構えた。
「・・・嘘だろ。予想以上にやばいのが出てきた」
 そう言ったのはゼロだった。まさか、あのゼロがそんなことを・・・?確かに老婆の悪霊は俺も今まで感じたことの無いほど強い霊気を放っていた。それに残りはそいつ一体のみで、他の霊は全て呑み込まれてしまったらしい。
「ゼロ、ちょっと離れろ!」
 右京さんはそう言うと何かの構えをとり、頭上に大きな陣を作り出した。
「奥義・流星時雨!」
 その言葉と共に陣からは無数の閃光が降り注ぎ、老婆の霊を貫いた。
「オオオオォ・・・!!」
 悪霊は声と共に口から血をドロドロと流して俯いた。
「鈴那、気功だ!」
「おっけー!」
 俺達も負けてはいられない。出来るだけ早く最大限まで霊力を溜め、合体気功を撃った。それは見事悪霊に直撃し、そこそこ効いたようで苦しそうに髪を振り乱している。
「よし!ゼロ、除霊できそうか?」
 俺が訊くとゼロは「はい」と頷いた。
「やってやります」
 そう言うと刀を構え、更に強い念を出しながら勢いよく薙いだ。
「高出力サイコウェーブッ!」
 それは巨大な悪霊を切り裂くようにダメージを負わせたが、それでもまだ除霊されない。するとゼロは休むことなく一枚の呪符を悪霊に向けて投げ、印を切るような動作をとった。
「終わりだ、闇に眠れ」
 彼がそう言うと、穴を中心に大きな陣が描かれた。それは強い光を放ち、悪霊の霊力を大きく削っているようだった。
「キサマアアアアア!!」
 悪霊はもがくように髪を振り乱し、そう声を発した。陣から放たれた光はそれも消し飛ばすかのように強さを増し、軈て跡形も残さず除霊してしまった。
「・・・終わったのか」
 俺は一言そう呟いた。凄いものを見てしまった気がする。巨大な怨念に、強力な呪術、そして、身近な場所にこれほど恐ろしいものがあったということへの恐怖。
「はぁ・・・はぁ・・・なんとか、除霊できた」
 ゼロはそう言って膝から崩れ落ちた。
「ゼロ!大丈夫か」
 俺は急いで彼に駆け寄り、顔色を窺った。
「大丈夫です。強力な術を連続して使ったのもありますが、少しあいつの霊気に当てられたっぽいです。少し休めば平気ですよ」
「そうか、ちょ、車まで負ぶってやるよ」
「大丈夫ですって、一人で歩けます」
 ゼロは怠そうに立ち上がった。
「そ、そうか?」
「本当に平気です。ありがとうございます」
 やっぱり強いやつだ。俺ももっと強くなれたらいいのに。
「それにしぐるさん、僕のこと背負ったら倒れちゃいそうですよ」
「・・・一言余計なんだよお前」
 ひょろっとしてて悪かったな。心の中でそう呟いた。
「あっはは!しぐかわいいー!」
 鈴那が腹を抱えて笑いながら言った。
「これでも気にしてんだよ、一応」
 俺はそう言って苦笑した。
「あーあ、婆捨穴も綺麗にやられちゃったなぁ」
 不意に聞き慣れない男の声がしたのでそちらを向くと、いかにも怪しい風貌の男性が婆捨穴を覗いていた。そいつは夏だというにも関わらず、暑そうな長袖のカーディガンを着てマフラーを首に巻き、ダボダボの長ズボンを穿いている。手には包帯が巻いてあるのだが、それがまた余計に怪しい。
「おい、お前は誰だ」
 右京さんが問いかけると、男はゆっくりとこちらに顔を向けてニヤリと不吉な笑みを浮かべた。そいつの目は黒く、白目が無かった。
「ああー、もしかしてここのババアを除霊した人?困るなぁ、せっかくそこそこの出来だったのに」
「除霊したのは僕だ。出来とはどういうことか説明しろ。ここの悪霊たちに何かしたのか?」
 ゼロが男を睨みながら言った。
「へへへ、さぁて、何をしたでしょうか~。っと、君は神原零じゃないかい?呪術師連盟の」
「確かに僕は神原零だ。けど、生憎もう呪術師連盟には所属していない。お前は何者だ」
「そんな一度に質問されても困るよ~。ボクのこと知りたい?教えてあげようか。ボクはね~、呪術師のロウっていうんだ。言っちゃえば君たちの敵だよ。この婆捨穴には怨念を強くする術をかけた。君たちが禁術と言っている術。でもそれを除霊しちゃったんだね~。神原零、すごいね~」
 ロウと名乗った男の喋り方は何というか粘着質で気持ちが悪かった。
「ロウ、お前の目的は何だ?」
 ゼロは再び妖刀を生成して言った。また戦う気なのだろうか。
「目的ね~、まだ教えられないなぁ。ねぇ、刀はしまってよ。今の君は体力を消耗しているしボクに勝つことは出来ないよ。まぁ、万全の状態でもボクが勝つけどね~。へへへへ」
「僕をなめるな」
 ゼロはそう言うと刀を構えてロウに突っ込んだ。
「妖狂連斬っ!」
 あれほど体力を消耗していたというのに、先程の除霊時より激しい攻撃だ。
「おお~、本当に妖術が使えるんだ。びっくりした。でもやっぱり人間だね、妖術っていうのは・・・」
 ロウはゼロの猛攻を避けながらそう言ってニヤリと笑った。その瞬間、ゼロは何かの力で束縛されたかのように動きを止め、地面に崩れ落ちた。
「こういうものだよ」
「ゼロ!」
 俺が叫ぶと、ロウはゆっくりと俺の方を見た。嫌な予感がする。
「君は~、雨宮・・・雨宮浩太郎と同じ匂いがすると思ったら孫か。そうか~、じゃあここで消しておこうかな~」
「なっ、俺の祖父を知っているのか」
「もちろんだよ~、あの無駄死にした人だよね~」
 無駄死に、何のことだ?俺は祖父の死因を詳しく知らない。
「よくわからないけど、祖父のことを悪く言うのなら俺の敵だ。殺せるもんなら殺してみろよ」
 こうなったら自棄だ。ダメ元で戦ってやる。
「ちょっとしぐ!無理だよ!」
「しぐちゃん、ここは俺がやるから鈴那ちゃんと逃げてな」
 鈴那も右京さんも俺を心配して言ってくれているのは分かる。だが・・・と、その瞬間、倒れていたゼロが妖刀をロウの足首へ向けて薙いだ。ロウは不意打ちに気付かなかったようで、足首から血を噴出させて体勢を崩した。
「痛っ!しぶといなぁ・・・くそっ。へへへへ、ボクの術をまともに受けてまだ戦えるなんて、大したものだね」
「悪いけどお前の相手はこの僕だ。しぐるさんを殺すなら僕を殺してからにしろ」
 ゼロはそう言いながら立ち上がったが、もう見るからにボロボロで勝機があるようには見えない。
「へぇ~、君も殺していいんだ。強いのは厄介だから今ここで消しておくのもよさそうだね。いいよ~」
 相変わらず気持ちの悪い口調だ。ここは応援を呼んだほうがいいのだろうか。直ぐに来れそうな強い人・・・長坂さん、は携帯を持っていない。誰か来てくれと心の中で祈るしか無いのだろうか。
「気功斬!」
 不意に右京さんがロウに向けて技を放ったが、寸前で避けられてしまった。妙に反射神経のいいやつだ。こいつは人間なのか?
「雑魚は邪魔しないでよ。それとも先に殺されたいの?」
「俺はお前が思ってるほど雑魚じゃねーぞ。ゼロ、こいつは俺に任せてお前も逃げろ」
 右京さん、かっこいいが勝ち目はあるのだろうか。
「右京さん、死にますよ?僕に任せてください」
 ゼロも強がってはいるが、明らかに今は逃げた方がいい状況だ。戦うのなら協力して戦えばいいのに・・・。
「まだ僕の本気を見せてないぞっ!」
 ゼロはそう言うと身体から電気を発し始めた。
「僕が使えるのは呪術と霊能力と妖術だけじゃない。僕の超能力の恐ろしさを思い知らせてやる」
 電気は徐々に強さを増し、彼の全身を包み込んだ。
「スパーク!」
 ゼロの超能力、詳しく教えてもらったことは無いが、おそらく体内で電気を発生することができるというようなものなのだろう。超能力にも色々な種類があるようだ。
「プラズマサイズッ!」
 そう言うとゼロは妖刀を消滅させ、電気の大鎌を生成した。
「電気の超能力か~、面白そうだなぁ」
 そこからはゼロとロウの一騎打ちが始まった。ゼロは大鎌を的確にロウへ向けて振り翳すが、攻撃は当たらない。しかしロウも足首の怪我が効いているのか、先程より動きが鈍っているようにも見える。
「おいおい、凄いな」
 右京さんが目を丸くして言った。確かに、ゼロがあんな風に戦っているところは初めて見た。この前、別の超能力者と戦っていたのも間近で見たが、その時よりも敵意が強いように思えた。
「そこまでだ、ロウ」
不意に聞こえた声の方に目をやると、白に赤い蛇の模様が描かれている和服を着た長髪の男性が立っていた。そこでゼロも攻撃を止め、声の主を見た。
「ん、なんだキノか。いいところだったのに」
「馬鹿め、いつまで遊んでいるつもりだ。首領様が待ち草臥れておられるぞ」
「はいはい、わかりましたよ~。神原零、命拾いしたね。ボクは忙しいからもう帰るよ~、またそのうちね。へへへ」
 ロウはそう言うとキノという男性と共に姿を消した。ゼロは安心したのか、大鎌を消滅させるや否や地面に膝を着いた。
「クソ・・・なんなんだあいつ。強かった・・・人間じゃない」
「ゼロ、大丈夫か?」
 右京さんが心配してゼロに近付いていった。透かさず俺と鈴那もゼロの所に走って行く。
「大丈夫ですけど、あのロウってやつ、妖術を使ってました。人の姿をしてはいますが、妖怪ですよ。あと迎えに来たキノという男、何者なんだ・・・」
 確かに、ロウが身に纏うオーラは人とは違っていた。しかし俺の知り合いの中にも人の姿をした妖怪がいる。十六夜日向子さん、鬼灯堂という駄菓子屋の主人だ。あの人を最初に見たときは人間だと思った。そこまで妖怪らしい雰囲気が見受けられず、背中から触手を出されて初めて正体を知ったのだ。十六夜さんに訊けば何か分かるだろうか。
「妖怪か・・・俺は悪霊なら未だしも、妖怪は専門外だからな。てか悪霊と妖怪って同じようなもんだと思ってたんだが、違うんだな」
「妖怪相手なら右京さんの術も通用しますよ。ただ、悪霊と妖怪の違いはあります。悪霊とは俗に言う霊の一種なので、人間らしい意思を持ったものもいれば、こちらの呼びかけに応じる者もいます。妖怪というものは、元々が人とは別の存在であり、自然から生まれた異形です。なので、勿論人の意思なんて通用しませんし、神にも近い存在だったりもします」
 そういう違いがあったのか。ということは、サキが神に近い存在・・・何だか可笑しい。ただ、昔の言い伝えで若い娘を欲しがる妖怪がいるというのを稀に聞くことがある。あのロリコンヘビ、露のことを狙ったりしていないだろうな。
「でも、日向子ちゃんは人間みたいだし、人間よりいい人だよ?」
 鈴那が不満げな表情で言った。その通りだ。十六夜さんは妖怪でありながら俺達に協力してくれるし、鈴那の保護者でもある。
「日向子さんのような例外もいます。本来ならば人と妖怪が交友関係を持つことはありませんし何せ危険です。でも、ごく稀に人と交流をしたがる妖怪もいるんです。例えば友情であったり、恋であったり、妖怪にも、そういう人に似た感情を持つ者がいるんです。しぐるさんちのサキさんもですね」
「サキもそういうやつなのか。まぁ、あいつは正義感とか責任感が強い所があるかもな」
「なるほどなぁ、人も霊も妖怪も、色々いるんだな。さて、疲れたしそろそろ車に戻ろうぜ。しぐちゃん、修練する元気はありそうか?」
 右京さんがポケットから車の鍵を取り出して言った。
「はい、まだ大丈夫です」
「よし、んじゃゼロと鈴那ちゃん帰してそのまま術の練習だ。行くぞ」
 俺達は車に戻り、右京さんの運転で帰路に着いた。
「しぐ、今日泊ってもいい?」
 帰りの車内で鈴那は俺に訊ねた。
「いいよ、じゃあせっかくだから術の練習も一緒でいいか?右京さん、鈴那が一緒でもいいですよね?」
「もちろんOKだぜー。じゃあゼロだけ家に帰すな」
「やったー!しぐが術使うとこ見たい」
 鈴那はそう言っておかしそうに笑った。何を期待しているのか・・・。
「僕も付き添いましょうか?」
 ゼロが真顔で言った。あれほどハードな戦闘をしておいてまだ休まないのか。
「いや、ゼロはもう休め・・・琴羽ちゃん心配するだろ」
 右京さんが苦笑しながら言うと、ゼロは表情を崩さずに「冗談ですよ」と言った。ならせめて冗談っぽく言ってくれないと何か怖い・・・。
「ゼロ、疲れてるな。ゆっくり休めよ」
 右京さんの言葉にゼロは無言で頷き、そのまま目を閉じた。
 結局ゼロは車で寝てしまい、右京さんが家の中まで背負って帰した。その後とある森の中の広場へ行き、俺は右京さんの指導で術の練習をした。教えてもらったのは、藤堂家の秘術である奥義・流星時雨と、呪術では無いが気功斬という超能力の技だ。気功斬は直ぐに覚えることができたけれど、流星時雨の方はなかなか習得に時間が掛かった。それでもなんとか使えるまでにはなり、家に帰ったのは夜の7時過ぎだった。
 夕食後、鈴那と露が入浴中にサキが怪しい行動をとろうとしていたので、引き留めるついでに気になっていたことを訊いてみた。
「おいサキ」
「はっ、なんだよぉしぐれ」
「しぐるだ馬鹿。よく間違えられるけど・・・今日さ、ロウっていう人の姿をした妖怪に会ったんだけど、まぁ会ったというか命を狙われたんだけど、サキ、何か知らないか?」
「ロウか・・・聞いたことねーなぁ。余所者かもしれねーぞ。なんだ、強かったのか?」
「ああ、たぶんゼロよりも」
 あの時、ゼロは万全の状態では無かった。だが、恐らくロウはまだ本気を見せていない。それだけ表情や仕草に余裕があり、まるで遊んでいるかのようだった。
「ロウなぁ、洒落た名前しやがって。そうだ、日向子ちゃんに訊きゃいいじゃねーか。あいつも人に化けた妖なんだから、何か知ってるかもしれねーぜ」
「そうだな、明日鬼灯堂に行ってみる」
 俺は今日あったことを思い出しながらぬるくなったコーラを飲み干した。ロウは婆捨穴に怨念を強くする術をかけたと言っていた。そしてそれが禁術であるということも。それは、ひょっとしたら蛛螺の時にかけられていた術もそれなのでは無いだろうか?長坂さんのものに見せ掛けた術、あれは、もしかしたらロウが・・・?だとしたら、なぜそんなことを?考えても考えても次から次へと疑問が湧いてくるばかりで、一向に答えが見付からない。
「サキ、なんか怖いな。色々なことが起こりすぎて・・・サキ?あれ、あいつどこいった?」
 その直後、風呂場から露の怒鳴り声が聞こえてきたのは言うまでもない。

   ○
「しぐぅ、露ちゃんのお肌めっちゃかわいいねー」
 夜10時を過ぎた頃、俺と鈴那は部屋でベッドに寝転がりながら駄弁っていた。
「肌がかわいいってどういうことだよ」
「てゆーかしぐ、露ちゃんと一緒にお風呂入ったことあるんだから分かるでしょ。あの可愛さ」
「その話は・・・ああ何となく分かるよ」
「エッヘヘ、なーんか今日は疲れちゃったー」
 鈴那はそう言いながら伸びをした。
「疲れたな、早めに寝ようか」
「えーもう少し話そうよー」
「わかってるよ。そういえば、課題終わった?」
 俺が訊くと彼女はうつ伏せでクッションに顔を埋もれさせて「まーだーだー」とモゾモゾ言った。
「ふぁっ、まーまー焦ることは無い。あたしは提出期限過ぎても出さない派だからねー」
「マジか。今年は分かんないとこ俺が教えてやるからちゃんと出そうな」
「えっ、いいの!?」
「もちろん」
 鈴那は「わーい」と言ってクッションを上に投げた。まったく相変わらずだ。そんなところも好きだけど。
 今年の夏は大変なことも多いが、その分楽しいかもしれない。この町で起きていることが俺達の日常に邪魔をしようとするのなら、俺は強くなってそれを止めてやる。過去に大切な人を守れなかった。だからこそ、今度は絶対に守ってみせる。そう心の中で、静かに決意した。

夏に囚われて

 炎天直下のバス停に立っている。俺の他には誰もいない。暑すぎるからだろうか?
 少し待つとバスが着たので、俺はそれに乗り込んだ。俺が今どこへ向かっているかというと、街の路地裏にある怪しい駄菓子屋、鬼灯堂だ。今日はそこの店主である十六夜日向子さんに用事がある。
 駅近くのバス停で降車すると、大通りを外れて薄暗い路地へと入って行く。少し歩くと、鬼灯堂という看板の掲げられた古い商店が現れた。俺はそこのガラス戸を開き、カウンター越しで椅子に座り欠伸をしている少女に声を掛けた。
「こんにちは、十六夜さん」
「あら、しぐるくんじゃないの!今日は一人?最近鈴那ちゃんがお世話になってるみたいで~ありがとね~」
 俺が店に入った瞬間、機関銃の如く話し始めたこの少女こそが鬼灯堂の主人である十六夜日向子さんだ。見た目は本当に露と同い年ぐらいだが、正体は妖怪なので歳はけっこういっているらしい。
「いえいえ、すみません急にお邪魔してしまって」
「いいのよ~暇だから~。何か用があるのかしら?何でも言って~。あと、呼び方は日向子ちゃんでいいのよ~」
 十六夜さんはそう言うと椅子から降りて右手の人差し指を頬に当て「てへ」と言った。
「ああ・・・じゃあせめて日向子さんで」
「んも~その反応~、うねうねの刑にしちゃうぞ~」
「ちょっと話があって来たんですけど、いいですか?」
「え、無視・・・はい、何かしら~?」
「実は昨日、婆捨穴という心霊スポットの除霊にゼロたちと行ってきたんですけど、そこでロウと名乗る人の姿をした妖怪に会ったんです」
 俺がそのことを話し始めると、日向子さんは何か分かったような顔をした。
「ロウね、昨日の夜にゼロくんから電話で聞いたわ」
 やはり、既にゼロが話していたか。そうだとは思っていたが、さすがゼロは行動が早い。
「そうでしたか。まぁ、それで日向子さんなら何か知らないかなと思って」
「実はその子、私の知り合いのお弟子さんだった子かもしれないのよ。他の町に住んでる妖なんだけど、木斬という強力な妖術使いがいてね。それで、彼の弟子にロウって名前の子がいたんだけど、何十年か前に破門にされたと聞いたわ」
 日向子さんは喉が渇いたらしく、お茶を飲んで話を続けた。
「それで破門にされた理由が、邪悪な意思を持ち始めたからと言ってたのよ。私も長らく木斬には会っていないけれど、そう人伝に聞いてね。あ、人じゃなくて妖か」
「そうだったんですか・・・ありがとうございます。でも、なぜそのロウがこっちに来て悪霊に術なんかかけてるんでしょう。あ、そういえばロウともう一人居ました!確かー、キノとか言ってたような・・・あと、そいつが首領様がどうとかって言ってて、何のことなんでしょう」
「キノという男については知らないけど、恐らくは組織化されてるわね。ロウもその組織の一員なのでしょう。でも意味が分からないわね、何が目的なのかしら」
 確かに意味が分からない。日向子さんの言う通り何かの組織だということはありそうだが、なぜこの町でそんなことをする必要があるのだろうか。
「まぁ、深く考えてもよく分からないし~。それよりしぐるくぅん、ちょっと私といいコトしない~?」
 日向子さんはそう言うと背中から触手をうねうねと出し、俺の胸元を突いた。
「な、なんですか急に・・・しませんよ」
「え~?うねうねでロリロリの子といいコトしたくないの~?」
「うねうねって気持ち悪いんでやめてください・・・なんですかいいことって、意味深なんですけど」
「ウフフ、冗談よ。びっくりした?」
 日向子さんは俺に絡めかけていた触手をシュルシュルと背中に戻した。
「どうしたんですか?突然そんな冗談を」
「別に~、特に意味はないけれど、鈴那ちゃんとはもうしたの?」
「したって、どういう意味ですか?」
「え、だって一緒に寝たりしてるんでしょ?それなら~・・・」
 そういう意味だったか・・・。俺が言葉の意味を察して顔を赤らめると日向子さんはニヤリと笑みを浮かべた。
「ないないないです!俺たちまだ17ですよ!ていうか何てこと訊いてくるんですか!」
「え~高校生でもいいじゃないの~。ダメなの?鈴那ちゃんは求めてこない?」
「いや知りませんけど・・・いや、求められたことは、ないかな」
 そういえば、鈴那から身体の関係を求められたことは無い。俺もそんなに意識していなかった。というか、正直こんな話を日向子さんとするのは恥ずかしい。
「そうなのね~、プラトニックね~。じゃあ、鈴那ちゃんから何か悩みの相談されたこととかある?」
「悩み、ですか・・・あ、そういえばこの前、何か言い掛けてましたけど・・・教えてくれませんでした。あの、何かあるんですか?」
 俺が訊くと日向子さんは少し考えてから首を横に振った。
「いいえ、本人が話すまで私は何も言わないわ。しぐるくん、鈴那ちゃんがもし何か相談してきたら、その時は優しく聞いてあげてね」
 勿論、そのつもりだ。
「わかりました。そうだ日向子さん、もう一つ訊きたいことがあるんですけど」
「ん、なになに~?」
「その・・・ゼロは、霊や妖怪が嫌いなんでしょうか?」
 俺が訊くと日向子さんは「う~ん」と言いながら視線を逸らした。
「どうしたの?そんなこと訊いて」
「いえ、何かそんな感じがしたので」
 訊いてはまずいことだっただろうか。
「・・・あの子、お祖父さんを悪霊に殺されたのよ」
 そういうことだったのか。
「だからゼロは・・・すみませんでした」
「いいのいいの、ゼロくんには黙っといてくれれば大丈夫。お祖父さんを亡くしてからあの子、ちょっと変わったのよ。いい人だったから、きっとゼロくんにも優しかったのね」
 つまりゼロは、悪霊を憎んでいる。そう思うと、俺も同じかもしれない。妹のひなは悪霊に殺されたのだ。いつか妹を殺した悪霊に復讐してやりたい。それに似た憎悪が、ゼロの中にもあるのだろうか。
「大切な人が殺されたら、誰だって殺したヤツを憎みますよね。ゼロも、悪霊が許せないんだろうな」
「そうね。あの子は、もう二度と大切な人を死なせたくない。そんな思いで祓い屋をしているのよ。きっと、しぐるくんもそうなんでしょ?」
 俺は黙って頷いた。確かに、俺もこの仕事を始めた時はそう心の中で決めた。そうだ、俺はそのために祓い屋をしいているのだ。強くなることばかりに囚われ過ぎて目的を見失いかけていた。
「日向子さん、俺もそのために祓い屋になったんです!最近色々なことがあって忘れてたけど、俺の目的はこの手で妹を殺した悪霊を除霊し、露や鈴那たちを守りたい。でも・・・認めたくないけど俺は弱い。強くなりたい。どうすればいいんでしょうか」
「しぐるくん、弱く見えないけど、どうして力を思うように発揮できないのかしらね・・・何かトラウマがあったり過去に縛られていたりすると、無意識にブレーキが掛かっちゃうこともあるようだけれど。」
 ブレーキか、俺は一体何に囚われているのだ。なぜ強くなれない?祖父は強かった。ひなも強い霊力を持っていた。俺は・・・そんなことを考えながら俯いていると、日向子さんは俺の肩にポンと手を置いた。
「しぐるくん、一人で何でも抱え込んじゃうタイプね」
 そう言うと俺の肩に置いていた手を頭に移動させ、撫でようとした。が、身長の差で届かないようだ。
「う・・・まぁ、悩みを吐き出したい時があればいつでもここへおいで。私でよければ聞いてあげるわ」
 日向子さんは照れ臭そうに笑うと背中から触手を出し、それで俺の頭を撫でた。
「ニュルニュル・・・あ、ありがとうございます」
 もし俺に深刻な悩みがあるとしたら、それが力のブレーキになってしまっているのだろうか?日向子さんの言う通り、俺は一人で抱え込んでしまうタイプかもしれない。と言うか、感情表現が下手なだけだ。過去にそれで親父からも個性が無いと言われたことがある。正直そのことは今でも根に持っているが、なるべく考えないようにしている。
「鈴那ちゃんが心配してたわよ、しぐがずっと元気ない~って」
「え、鈴那がですか?」
 そんなことにまで気付いて心配してくれていたとは、それだけいつも俺のことを見ていているのか。
「しぐるくんが少しでも元気になるにはどうすればいいかなんて話しにきたりして、ほんと、いい子だわ。思い切って鈴那ちゃんに相談してみたら?その方が彼女も気が楽になるかも」
「そう・・・ですね、そうします。今日にでも、色々話してみようかな」
 俺は鈴那に悩みを話したことがあまり無い。そもそも誰かに悩みなんて話さない。だけど、鈴那になら話せるかもしれない。
「日向子さん、ありがとうございました」
 俺は頭を下げた。
「いいのよ~、またおいでね」
「はい!ではまた」
 そう言って俺は鬼灯堂を出た。そういえばまだ昼前だ。昼飯を何処かで食べて行こうかと思い、とりあえず駅近くの公園のベンチに座った。鈴那と露とサキは家で遊んでいる。一人の散歩は久しぶりな気がして、たまにはいいかもしれない。
「しぐるくん、何してるの?」
 不意に横から声を掛けられたのでそちらを振り向くと、オッドアイの青年が微笑みながら立っていた。
「昴!あ、さっき鬼灯堂に行って来て、今は街をウロウロと」
 俺はそう言って苦笑した。北上昴はゼロの仲間の呪術師で、俺とは同級生だ。仕事で一緒になることはあるが、二人だけで会ったのは今日が初めてである。
「そうなんだ。お昼ご飯食べた?まだなら、よければ一緒にどう?」
「あ、そうしようか」
「よし、いいお店があるんだ。行こう」
 ゼロから聞いた話によれば、昴は頭が良く運動もできて顔もかっこいいハイスペックな高校生らしい。勉強がそこそこでも他が駄目な俺とは大違いである。確かに、今こうして話していても話しやすい。俺は人見知りなところがあるけれど、昴はこちらが話しやすいように接してきてくれるのだ。イケメンとはこういう人のことを言うのか。
 昴に案内されて入った店は街中のラーメン屋だった。どうやらそこそこ有名らしく、客は多かった。
 注文したラーメンが来ると、俺達はそれを食べながら雑談をし始めた。
「昴は、なんで祓い屋になったんだ?」
「僕?元々家が祓い屋の一家だったから、その跡を継いだだけだよ。うちは結界師の家系でね、結界を使った術が得意なんだ」
「結界師か、かっこいいな。じゃあ、気を悪くしたらごめんだけど、その義眼について訊いてもいい?」
「全然いいよ」
 昴は笑顔で続けた。
「僕は幼い頃に左目が見えなくなって、実は右目の方もほとんど視力が無いんだ。だから、このまま全盲になるのはまずいって、両親に連れられて町の有名な呪術師の所に行ったんだ。そこでこの義眼を貰った。これは適合する人と適合しない人が居るらしいんだけど、適合すれば普通の目のようにはっきり見えるようになる。でも、その代り色々なものまで視えてしまうんだ。霊とか、妖怪とか」
「昴は、適合したんだな」
「うん、僕は元々霊感がそこまで強くは無かったんだけど、この義眼を着けてからは世界が変わった。そこら中幽霊だらけなんだ。初めは怖かったけど、案外慣れてしまうものだよ」
 本当に慣れとは恐ろしいものだ。霊の見える生活が当たり前だなんて、随分と突飛な話である。
「しぐるくんは、どうして祓い屋に?」
「俺か、俺は・・・妹を殺した悪霊に復讐するためなのかもしれない。勿論、露や鈴那を守りたいという意思もある。けど、それ以前に俺が弱いから今のままじゃどうにもできない」
「なるほど、それで焦ってたんだね」
「うん、どうすれば少ない霊力で効率的に除霊できるかみたいなことも自分なりに調べて考えてはみたんだけど、やっぱり難しい。一応、右京さんに術を教えてもらったから、それだけでも前よりはいいかもしれない」
但し、呪術の威力は大半が自分の霊力に依存するものだ。つまり俺が右京さんの術を使ったとしても、右京さん程の力は発揮できないということである。
「色々頑張ってるんだね。僕は見守ることしかできないけど、応援してるよ」
 昴はそう言って優しく笑った。
「ありがとう」
 俺達はラーメンを食べ終えると、店を出て駅のバスターミナルへ向かった。
「じゃあね、しぐるくん。また機会があれば」
「ああ、今日はありがとうな。また」
 俺は昴と別れてバスに乗り込んだ。今の俺に必要なものは何なのだろうか。悩みを解消することか、何かを克服することか、ただ強くなるために修練するのか・・・。
「君は復讐するためなら、命も惜しくないの?」
「ああ、ひなの仇を討てるのなら俺なんてどうなろうと構わない。って、は?」
 不意に聞こえてきた誰かの声と共に、視界は真っ白な世界へと移り変わった。
「それは、ひなちゃん喜んでくれるのかな」
 声は背後から聞こえる。
「いっそのこと、ひなと同じ場所に行ければ・・・」
「鈴那のこと、忘れちゃった?」
「・・・!」
 俺は背後にいる声の主を見るべく振り返った。
「こんにちは、雨宮しぐるくん」
 綺麗な女性が俺を見て言った。どこかで見たことのあるような顔で、とても懐かしいような感じがする。
「あなたは・・・?」
 俺が訊くとその女性はフフッと笑った。
「鈴那がお世話になってます。嬉しいよ、あの子が君のような人と巡り合えて」
 そこで俺は気が付いた。この女性は・・・。
「鈴那の、お母さんですか」
「あ、もう時間が無いや。また会えたら、次はもっと沢山の話をしよう」
 女性はそう言うと、優しい笑顔を浮かべて消えていった。

「きっと君は、あの夏の温度を忘れられないままでいるんだね」

 目が覚めると、そこはまだバスの中だった。車内アナウンスが家に近い停留所の名前を言ったので、俺は慌てて降車ボタンを押した。
 バスから降りると、先程まで見ていた夢のことを思い出してみた。どんなことを話したのかは何となく覚えている。だが、話した相手のことを全く思い出せない。
「復讐のためでも・・・俺が死んでいいはず無いか」
 俺は小さく呟いた。俺には鈴那や露が居るのだから、復讐のためだけに命を懸けるのは間違っている。夢の中のその人は、それを気付かせてくれた。どんな人だったのか忘れてしまったけれど、とても優しい笑顔の人だった気がする。
 家に着くと玄関の戸を開き「ただいま」と言って靴を脱いだ。
「おかえりなさーい」
「おかえり~!」
 露と鈴那の声が聞こえた居間へ行くと、そこでは二人が仲良さそうに何かの話をしていた。サキはどこかと探してみれば、露の横で丸くなっているのが見えた。
「何の話してたの?」
 俺が訊くと鈴那と露は楽しそうに話し始めた。
「色々だよ!漫画とかテレビとかの話~!」
「鈴那さんも私と同じ漫画が好きだったので、その話で盛り上がってました~」
「なるほど、趣味が合ってよかったね。サキはどうしたんだ?」
「サキさん、寝ているのでしょうか」
「起きてるよ、ちょい考え事してただけだ。おかえり、しぐる」
 サキはそう言いながら頭だけを上げて俺を見た。
「そうか、ただいま」
 サキが考え事なんて、一体どんなことを考えていたのだろうか。彼なりの、妖怪なりの悩みみたいなものがあるのだろうか?
「サキさん、夕飯のお買い物行くけど一緒に行きますか?」
 露がサキを手で拾うように持ちながら言った。
「行く。てか連れてく前提だったろ」
 サキはそう言って露の肩に飛び乗った。正直なところ、サキが露の外出に付いていてくれた方が安心である。

   ○
 二人が・・・いや、一人と一匹が夕飯の買い物に出掛けて、家には俺と鈴那だけが残った。
「鈴那、ちょっと相談があるんだけど」
 俺は思い切って鈴那に言った。
「ん、どうしたの?」
 鈴那は心配そうに俺を見た。
「いや、何ていうか・・・漠然としていて自分でもよく分かんないんだけど、その・・・」
 やはり誰かに言葉で伝えようとすると上手く出てこなくなる。昔からそうなのだ。
「俺、どうすればいいんだろうって・・・」
 そう言ったところで、堪えきれずに大粒の涙が流れてきた。本当に俺は泣き虫だ。格好悪すぎる。
「しぐ・・・しぐ、大丈夫だよ」
 鈴那はそう言いながら俺を抱いてくれた。その優しい温もりで更に泣いてしまった。
「おれ・・・俺、ひなが死んでから生きる気力なんかとっくに無くしてて・・・それでも生きてれば色々考えなきゃいけないし、ひなが死んだって事実も受け入れなきゃいけないし・・・」
「ずっとそれを一人で抱え込んじゃってたんだね。一人、怖かったよね」
「うん・・・怖かった。何よりもずっと、一人でいることの方がずっと怖かった」
「でも、今のしぐは一人じゃないよ。だって露ちゃんも居て、あたしも居て、ゼロたちだっているよ。だからもう一人で怖がらなくても大丈夫。大丈夫だから」
 鈴那はそう言いながら俺の頭を撫でてくれた。俺はただ泣くことしか出来なかった。こんなに泣いたのは何時ぶりだろうか。
「鈴那、ごめん・・・ごめんね。俺はまだ・・・まだあの日のことを」
「しぐ、謝らなくていいんだよ。何も悪くないんだから。あの日のこと・・・?」
 バスの中で夢から覚める直前に聞こえたあの言葉が、再び脳裏を過る。

「きっと君は、あの夏の温度を忘れられないままでいるんだね」

 あの夏・・・俺はまだ、ひなが死んだ三年前の夏に囚われたままなのだ。きっと心も、そこに置き去りなのかもしれない。
「ひなが死んだ夏のことを、忘れられないんだ。今までずっと目を背けてきたけど、やっぱり乗り越えたい。鈴那・・・手伝ってくれる?」
「当然だよ、しぐの心の痛みまで好きになってみたい。そうじゃなきゃ嫌だ。だって、大好きだもん」
 鈴那はそう言って涙を流しながらまた俺を抱き締めた。俺もまた涙が溢れてきた。
「それなら・・・それなら、俺だって鈴那の痛みを愛したいよ」
「しぐ・・・もう、受け入れてくれたじゃん」
 鈴那は頬に涙を伝わせながら微笑んだ。
「あたしの消えない過去も、手首の傷も、全部受け入れてくれたじゃん。今度はあたしの番だからね」
 そうだった。気付いたら俺は・・・。
「鈴那、ありがとう」
 俺は涙を流しながら言った。
「しぐ、いっぱい泣いたね」
「うん・・・服ごめん」
「いいの、ちょっとは溜まってたの吐き出せた?」
 俺は無言で頷き、涙を拭った。
「そっか、よかった」
 鈴那はそう言いながら俺の頭を撫でた。心地いい、今はただ、鈴那の温もりに触れていたい。暫くは、このままで。

   ○
「サキさん、どうしたんですか?」
 夕飯の買い物を終えてスーパーから家までの道を歩いている途中、今日はサキさんがいつもより元気のないように見えるので訊いてみた。
「ん~?いやぁ・・・」
「何か、お悩み事ですか?」
「・・・露ちゃん、昨日は勝手に風呂覗いてごめんな」
「それは、別にもう気にしてないのでいいですよ。そのことで元気無かったんですか?」
「いや、それもなんだけど・・・俺さ、元々は蛇神だったんだわ。でも、ちょっと悪いことしちまって、神の地位を剥奪されると同時に尻尾の先を切り落とされたんだよ」
 サキさんは自分の切られた尻尾から出ている紫色の炎のようなものを見せてから続けた。
「まぁ、それだから今この町で起きてることがどんなことなのか何となく分かるんだわ。それをどのタイミングでしぐる達に話せばいいもんかなぁと思ってさ」
「なるほどです。サキさんってやっぱり神様だったんですね」
 以前から何となくそんな気がしていた。特別な理由は無いけれど、サキさんの話を聞いているとそれっぽいようなことも話していたからだ。
「今はもうただのちっこい蛇妖怪だけどな」
 サキさんは苦笑した。
「小さくてかわいいですよ。それにしても、この町で起きていることですか?」
 私の問いにサキさんはチョロリと舌を出してから小さく呟いた。
「災厄さ、それに・・・」
 ヤツが近くにいる。夕景を背にして、最後にそう言った。

しぐると露(前編)

 目が覚めた。ここは、俺の部屋だ。
「しぐ、おはよ」
 隣から声がした。聞き慣れた、安心できる声だ。
「おはよう、鈴那」
「今日もいいお天気だよ」
 鈴那がそう言ってベッドから降りると仄かに甘い香りがした。
「そっか」
 俺は怠い身体を起こして時計を見た。
「8時か」
 時刻を確認すると、それを声に出して言った。
「今日、ゼロからお仕事の手伝いしてほしいって声掛かってるけど、しぐはどうする?」
 仕事か、いつもなら行くところだが・・・今日は何もしたくない気分だ。それを察してか、鈴那もそのような訊ね方をしてきてくれた。
「ちょっと、休みたい」
「わかった、ゼロに言っとくね」
 鈴那はスマホを開きゼロにメッセージを送った。
「しぐ、大丈夫?」
 鈴那が心配そうに言った。
「一応。鈴那、ありがとう」
 俺がそう言うと鈴那は優しく微笑んだ。
「朝ごはん、食べに行こ」
「うん」
 居間へ行くと、一匹の黒い蛇がテーブルの上で丸まっているのが目に入った。
「おはよう、サキ」
 俺の言葉にサキは「おう」とだけ返した。昨日に引き続き元気が無いように見えるが、大丈夫だろうか。
「あ、おはようございます。朝ごはんもうちょっとで出来ますー」
 露が台所から顔を出して言った。最近は鈴那も手伝っていることもあるらしいが、今日は俺に気を使って起きるまで傍に居てくれたようだ。
 朝食の準備が出来ると、俺達はテレビのニュースを観ながら食べ始めた。
「今日、あたしはゼロのお手伝い行ってくるね」
 鈴那はそう言って麦茶を一口飲んだ。
「ごめんな、ゼロによろしく」
 俺が申し訳なさそうに言うと彼女は優しい口調で「大丈夫だよ」と言った。
「今回は大したのじゃ無さそうだし、しぐは家でゆっくり休んでてね。あ、てゆーか露ちゃん毎日のように泊まっちゃってごめんね!」
「いえ、鈴那さんが居たほうが楽しいです!ね、兄さん」
「え、うん。楽しいよ」
 この感覚は何なのだろう。鈴那はこれからゼロの手伝いに行ってしまう。それが少し寂しい。鈴那が傍に居ないのが不安に感じてしまう。こんなふうに思ったのは初めてだ。
「兄さん、大丈夫ですか?」
 露が不安そうに訊いてきた。大丈夫なはずだ。鈴那は出掛けても家には露がいる。一人では無いのだ。
「うん」
 俺はそう言うとコップの麦茶を飲み干した。
「食欲、無いのですか?」
 そう言われてみると、露の作ってくれたサンドイッチは一口ぐらいしか食べていなかった。
「だ、大丈夫。ごめん」
 俺はサンドイッチを食べ始めた。食欲が無いわけではない気がする。ただ、あまり食べる元気が無い。
「露ちゃん、今日はしぐのことよろしくね」
 鈴那がそう言うと露は「はい」と言って微笑んだ。俺は・・・今日、どう過ごせばいいのだろうか?

   ○
 鈴那がバイトに行ってから少し経った頃、俺が居間のソファで横になりボーっとしていると、朝の家事を終えた露がサキを頭に乗せて部屋へ入って来た。
「兄さん、もしお話したいことがあったら、私でよければいつでもお聞きしますよ。いつでもいいので」
 露は俺の顔の前にしゃがんで言った。
「ありがとう・・・ちょっと散歩してくる」
 俺はそう言ってソファから立ち上がった。
「・・・そうですか、いってらっしゃい」
 先程まで一人が寂しかったのに、今はなぜか一人になりたい。俺は準備を済ませると、一言「行ってきます」とだけ言い、家を出た。ああ、今日も相変わらず暑い。

   ○
 兄さんの元気が無い。私が話しかけても、まるで上の空だった。私は先程まで兄さんが寝そべっていたソファに腰を下ろし、頭の上の黒い蛇を摘まんで横に置いた。
「露ちゃん、今のちょっと乱暴じゃ・・・」
 黒い蛇の妖怪、サキさんは少し悲しそうな声で私に言った。
「私じゃ駄目なのかな・・・」
 こんな気持ちになったのは初めてだ。私がこの家に来て間もない頃の兄さんは確かに元気が無かった。それでも、私の声が届かないなんてことは一度も無かった。しかし今は違う。兄さんが、私のことを見ていない。
「しぐるは今、自分の過去と戦ってる真っ最中なんだろうな。まぁ、俺様の知ったことじゃねーけど・・・露ちゃんだって、しぐるの心の支えになってると思うぜ」
 サキさんは私の横で丸まったまま言った。そんなことは分かっている。でもどうしてなのだろう。どうして私は、こんな気持ちになってしまっているのだろうか。
「鈴那さんは兄さんの彼女さんですから、兄さんにとって特別な存在なのは分かってます。でも、私だって今まで兄さんと一緒に暮らしてきたんです。悔しいわけじゃないですけど・・・私が兄さんにとっての特別になりたいなんて言うのは、ワガママでしょうか」
「露ちゃん・・・鈴那ちゃんに嫉妬してる?」
「嫉妬じゃありません!」
 恥ずかしさを隠すためか、少し怒鳴ってしまった。
「あ、だよね。いや、ごめんマジで」
「すみません、怒鳴るつもりは無かったんです。ただ、私にとって兄さんは特別なんです」
 私が幼い頃にお父さんは家を出て行ってしまい、お母さんは病気で死んでしまった。それからはずっとおばあちゃんに育てられたが、おばあちゃんもこの世を去ってしまうと、その後は親戚中をたらい回しにされ、挙句の果てに施設へ入所させられた。
 私とおばあちゃんは少し変わった力を持っており、そのせいで親戚からは嫌われていたのだ。だから私の話をちゃんと聞いてくれる人なんて、今までおばあちゃん以外に居なかった。
 しかしある時、この家に引き取られたのだ。最初は兄さんを少し怖そうな人だと思ったけれど、話をしているうちにとても穏やかで優しい人だと気付いた。お父様は海外で仕事をしており、顔も一度しか見たことは無いのでどんな人なのかはよく知らない。それでも、兄さんはいい人で、私の話もちゃんと聞いてくれた。
兄さんには元々、ひなちゃんという私と同じ歳の妹さんが居たらしいけれど、私が来る一年ほど前に亡くなられたそうだ。ひなちゃんは強い霊能力を持っていたらしく、私は自分以外にも特殊な力を持った人が居るということに少しだけ安心した。
それでも、当時の兄さんには霊感があっても霊能力は無かったので、私はこの力については隠していたのだ。
「なので、兄さんは私にとっておばあちゃんと同じくらい特別な人なんです。ちょっと変わってる人だとは思ったけど、私のことを大切にしてくれました。だから・・・ちょっと寂しいんですよ」
「露ちゃん、そんな過去があったのか」
「同情とかはやめてください。私、そういうことされるの苦手なんです。ごめんなさい、勝手に話しておいて同情するなだなんて・・・迷惑ですよね」
 私がそう言うとサキさんは少し動揺しながらこちらを見た。
「い、いやぁ、同情するつもりはねーけど・・・露ちゃん、しぐるにはそのこと全部話したのか?」
「一応話しましたよ、能力のこともこの前知られましたし。もう隠してることはありません」
「いや、あるだろうよ露ちゃん」
 その言葉を聞いて、私はサキさんの目を見た。サキさんも私を見ている。
「じゃあ私が何を隠してるっていうんですか?サキさんは何か分かるんですか?」
「まぁ落ち着け。確かにしぐるは露ちゃんみたいなしっかり者の子がいて嬉しいと思う。でもなぁ露ちゃん、本当はもっと甘えたいんじゃねーのか?義理だか何だか知らねーけど妹なんだから、しぐるもそうして欲しいと思うぜ?」
 ハッとした。確かに、私から兄さんに甘えたことは少ないかもしれない。本当は優しい兄さんに甘えたい。もっと沢山撫でてもらいたい。それなのに私は、その気持ちを隠したまま兄さんと接していた。
「露ちゃんが気持ちを隠したままなら、しぐるだって本音は言ってくれないぜ。まぁ、ぶっちゃけ今のしぐるに甘えたところでどうなるかは知らんが・・・」
「じゃあどうすればいいんですか!」
 私はサキさんの言葉を遮るように言った。胸の辺りが熱い。こんな気持ちになったのは初めてだ。
「ど・・・どうすればって、とりあえず気持ちだけでも伝えりゃ」
「そんな簡単に気持ちを伝えられたら、苦労しませんよ」
 私はそう言ってソファから立ち上がり、バッグを肩に掛けて玄関へと向かった。
「露ちゃん、どっか行くのか?」
「散歩です。サキさんは来ないでください」
「・・・おう」
 私は振り返らずに戸を閉めた。今は、一人で考える時間が欲しい。

   ○
 小さな神社の隅、石のベンチに座りながら海を眺めている。俺は、こんなところで何をしているのだろう。
 何気なく、空と海の境界線を指でなぞってみた。青い、呑まれてしまいそうなほど青い。
「ひな・・・どこにいるんだ」
 どこにいるかなんて、死んでしまった人間の居場所が分かるはずもない。それでも零れてしまった言葉は、きっと心のどこかでまた会いたいと思ってしまっていることの表れなのだろう。
 ふと、誰かの視線を感じて振り返った。
「雨宮じゃーん、何してんの?」
 視線の相手はそう言うと手を振って笑った。
「春原・・・っ!?」
 俺は思わず身構えた。春原は以前、呪術師連盟T支部を潰された時にゼロと超能力で戦っていたところを見たことあるが途轍もなく強い。確か、ゼロとはライバル同士的な関係で、呪術師連盟本部の人間だ。
「まぁまぁ、そんな警戒すんなって。別にお前に何かしようってんじゃねーよ。偶然見かけただけ」
 春原はヘラヘラと笑いながら先程まで俺が座っていたベンチに腰を下ろした。
「本当に・・・何もしないんだな」
「しねーって!ほら、お前も座れば」
 春原はベンチの空いているスペースをポンポンとして俺に座るよう促した。
「あ・・・うん」
 俺はまだ少し警戒していたが、とりあえず春原の隣に座った。
「大丈夫かぁ?元気無いように見えたけど」
「う・・・い、色々あって」
「色々なぁ・・・大変だもんなぁ。俺んちも会長がめんどくさくてさぁ、特に今は本部に人が増えたから俺もだりぃ・・・人多いの苦手だからさ~」
「なぁ、なんでT支部を潰したんだ?」
「お?消したのは全支部だぜ。そんで各支部の長は全員本部に連れてった。ぶっちゃけゼロの手も借りたいんだけどさぁ、アイツめっちゃピリピリしてんじゃん。なんか、会長のことが気に喰わないらしくて、本部を毛嫌いしてんだよなぁ」
「会長って、どんな人なんだ?なんで、有力者達を招集するほど大事なことがあるのか?」
「おう、大事なことだな。あ、会長は人じゃねーぜ。なんだったかなぁ、妖怪だか・・・なんかそれっぽいこと言ってたけど」
 人ではないのか。それならゼロが嫌うのも頷ける。
「なるほど。じゃあ、なんで支部を潰すなんてことしたんだ?普通に集めればいいのに」
「会長の指示だよ・・・外部に洩らしたくないことだからこういう手が一番だとか言ってさ。ほんとめんどくせーことするよなぁ」
 春原は欠伸をしながら言った。
「あのさ、訊いていいことなのか分かんないけど、それってこの町で起きてる現象と関係あるのか?」
俺の問いに彼は「あるぜ~」と伸びをしながら答えた。
「だからゼロも本部で活動すりゃいいのに、アイツ頑固だからな。まぁ、どうせ親父さんに伝わった情報が琴羽経由で入ってきてるだろうけどよ」
「琴羽ちゃんの能力か。俺、よく知らないんだけど」
「ああー、なんかぁ予知とかしたり、残留思念を読み取ったり、あと自分から相手に念波を発信することで記憶のやり取りができるらしいぜ。サイコメトラーにしちゃ芸が達者だよな~、すげーと思うぜ」
 春原はそう言って笑った。記憶のやり取りまで出来るのか。流石は神原家の人間である。
「でも、ゼロの親父さんって本部だから東京とかに居るんだろ?それでも念波って届くのかな」
「相手の顔と名前とオーラが分かれば出来るとか言ってたなぁ。だから出来てるんじゃね?あ、呪術師連盟の本部は東京じゃなくて神奈川だぜ。温泉で有名なとこのすぐ近くだよぉ。だから俺もこっちの方にはよく遊びに来るんだよな~」
「そんな近かったのか・・・まぁ、T支部も森の中にあったし、本部もそういう場所にひっそりとある感じなのかな。え、春原ってここまで何で来たの?電車?」
「いや、超能力」
「・・・うん?」
「冗談だってー!!電車でこっちの駅まで来て、あとは念動力で高速移動すればバスなんか使わなくったって余裕でこの町観光できるぜ!」
「だよな・・・いくら超能力があっても県境一つ跨いで移動するのは無理があるよ」
「一応できるぜ」
 できるのか・・・確かに春原はすごい超能力者だ。念動推進力の高速移動、おそらく彼はそれを使って移動しているのだろう。
「でも、いくら速く移動してても目立たないか?」
「あぁ、俺って普段は使ってないけど認識阻害の能力もあるから、そういう時は一般人には見えないようにしてるぜ」
「認識阻害か、便利な能力だな」
 だからあの時、幽霊のように消えることが出来たのか。俺は納得した。
不意に春原のズボンのポケットから携帯の着信音が鳴りだした。彼はその電話に出ると、面倒くさそうに相手と話し始めた。
「もしもーし・・・あ?今そっちに居ねーんだけど。わかったよ、すぐ戻りまーす。うい」
 春原は電話を切ると俺を見て苦笑した。
「わりぃ、本部から呼び出されちまったわ。またな~」
「あ、おう。また」
 俺の返事に彼は手を振りながら姿を消した。ここから飛んで帰るつもりなのだろうか。春原、少し不良っぽいところ以外は普通にいいヤツそうだ。初めて会ったときとは一気に印象が変わった。
 スマホの画面を開くと、そこそこの時間が経過していることに気付いた。春原と会う前まで、ずっとここでボーっとしていたのか。本当に俺は何をしているのだろう。そろそろ家に帰らないと露も心配するかもしれない。そう思い、神社の階段を下りて海沿いの土手へ続く道を歩き出した。

しぐると露(後編)

 容赦なく照り付ける日差しがアスファルトの上に陽炎を作り出している。それを見ると、この向こうに別世界があるような気がしてしまう。しかし、そんな不安もすぐに人々の雑踏に掻き消された。
 流石、夏休みだ。街中は多くの人で賑わい、背の低い私は大人たちにぶつからないよう注意して歩かなければならない。
 本当は近所を散歩しようと思っていただけなのに、なぜバスを使ってまでこんな街の方まで来てしまったのか、少し後悔している。正直、近所だと兄さんに会ってしまいそうで避けたのかもしれない。だって、今兄さんと顔を合わせても何を話せばいいのか分からないから・・・。
 ふと、街中の書店が目に留まった。そういえば明日は好きな少女漫画の新巻発売日だ。一日遅ければついでに買えたのに、仕方ないか。そんなことを考えていると、書店から見覚えのある人物が出てきた。向こうは下を見ていたので私に気付かなかったが、私が声を掛けると一瞬ビクリとしてからこちらを向いた。
「夢乃ちゃん、こんにちは」
「つ、露ちゃん」
 彼女は声を掛けたのが私だと気付くと少し笑顔になった。夢乃ちゃんはこの前、見えない怪物の一件で私が助けることの出来たクラスメイト。私の大事なお友達だ。
「本、買いに来たの?」
「うん、好きな漫画の発売日だったから」
「そうなんだー!私の好きな漫画は明日だよ~。今日だったらついでに買えたのに」
 私は苦笑しながら言った。
「あぁ~、惜しかったね。露ちゃんは何しに来たの?」
「へ?私は・・・う~ん、散歩?」
「こんな方まで歩いてきたの!?」
「あ、ううん違う。バスで、来たんだけど・・・なんだろうね、へへ」
 私は曖昧な答えしか出来なかった。自分でも、こんな街のほうまで何をしに来たのか分からない。
「露ちゃん、何かあったの?」
 そんな私を見て、夢乃ちゃんは怪訝そうな表情を浮かべている。何というべきだろう、本当に何も分からなくなってしまいそうだ。
「・・・夢乃ちゃん、この後って時間ある?」
「え、うん。全然大丈夫だよ」
「そっか・・・ちょっと、お話しない?」

   ○
 家に着いて居間へ行くと、露は居らずサキだけがソファの上で丸まっていた。
「ただいま、露は?」
「露ちゃんなら不貞腐れて出掛けちまったよ」
 サキは丸まったままモゾモゾと言った。
「え、ああ・・・もしかして俺のせいかな。せっかく話聞くって言ってくれたのに」
 俺がそう言うとサキは身体を起こして舌をチロチロさせた。
「それもあるけど、本人が頭冷やすまで一人にさせてやろうぜ。悩んでんのはお前だけじゃねぇ、露ちゃんはお前の妹だろうが。兄妹二人揃って暗い顔しやがって、こっちまで陰鬱になるだろうが」
「ごめん・・・」
「あーもういいから謝るな。結局お前は露ちゃんが居ないと不安なんじゃねーかよ。露ちゃんも一緒だぜ?仲良し兄妹め・・・これからはもっと露ちゃん可愛がってやれよ」
 サキが俺の頭の上に飛び乗って言った。全くその通りだった。鈴那が居ないと不安、露が居ないと不安、結局俺はただの寂しがり屋じゃないか。自分のことで頭がいっぱいになって露の気持ちなんて考えてなかった。なんて馬鹿なのだろう。
 サキの言葉はまるで俺の感情を見透かしているかのようなものだった。こいつは本当にすごい。俺はサキを頭に乗せたままソファに腰を下ろした。
「わかった・・・ハハハ、お前には隠し事なんて出来ないな。露のおかげで今まで生きてこられたのに、これからは俺が露を守るんだって決めたくせに、その俺が落ち込んでたら全然ダメだ。サキ、いつも露のことありがとな」
「な、なんだよぉ気持ちわりぃ・・・まぁ、お前も色々辛かっただろ。仕方ねーよ。それとだなぁ、ちと大事な話があるんだが」
「大事な話・・・?」
 サキはソファに下りると俺の隣で蜷局を巻きながら話し始めた。
「落ち着いて聞けよ。この町は今、巨大な呪詛によって人の世では無くなろうとしている。この町だけじゃない、周辺の町まで巻き込まれてやがる。俺様はその呪詛を実行したヤツが誰なのか、何となく見当がついている。そして、最悪のタイミングでヤバい奴もこの町に来やがった。」
 彼は小さな舌をチラつかせながら続けた。
「いいかしぐる、お前の潜在能力はバケモンだ。なぜ今はそこまで抑制されてるのか知らんが、お前が力を解放させれば呪詛は消せなくてもそのヤバい奴は止められる。ただし、俺様がお前に憑依して能力をコントロールしても恐らく本来の半分以下しか発揮出来ん。お前自身がやるしかねーんだ」
 俺の霊能力・・・日向子さんからも言われたが、どうすれば本来の力を出せるのだろうか。それにしても、今サキの話したことが本当ならば、この町は・・・。
「なぁ、巨大な呪詛って何なんだ?それをやったのは誰だ?あとこの町に来てるヤバいのって・・・」
「落ち着けって言ったろ、一遍に質問すんな。巨大な呪詛ってのは、あの世とこの世をくっつけちまうってやつだ。霊の気配が増したり消えたりしてんのはそれの影響だな。やったのは恐らく・・・アイツだな。名前は知らんが、以前俺を一方的に襲って来た呪術師だ。臭いで何となく分かる」
「なるほど・・・それで霊の気配が消えたりしてたのか。すまん、それでこの町に来てるヤバい奴って?」
「一言で言うと、大悪霊だな・・・お前が復讐したい相手だよ」
 サキのその一言で俺は分かってしまった。大悪霊・・・そう、三年前の7月10日に俺の実妹であるひなを殺したアイツのことだ。
「なぁ・・・そいつは今どこに居る?どれぐらい強いんだ?お前、戦ったことあるんだろ」
「除霊するつもりならちょっと待ってろ、まだ本格的に動き出してるわけじゃない。おそらく、今はクールタイムとでも言ったところか・・・ヤツは完全に暴走状態で意思が曖昧だ。だから一度暴れるとその後は休憩状態に入り、それを何度も繰り返しながら怨念を強めていっている」
「今が休憩状態ならチャンスじゃないのか?本格的に動き出したらこの町が危ないかもしれないぞ」
「勿論そのつもりだ、暴走する前に除霊する。でもな、話しにくいんだが・・・そいつは」
 サキがこの後に続けた言葉で、俺は頭が真っ白になった。
「ひなちゃんに憑依したままだ」
 どういうことなのか、最初は理解できなかった。否、理解したくなかったのかもしれない。
「は・・・それじゃあ、暴走してるのって・・・」
「ひなちゃんの方だな・・・三年前、あの子の霊魂はヤツに憑依されてからそのままなんだろう。正直、お前にこれを話すのが辛かった。俺だってそんなの認めたくねぇ、だが事実だ。今感じ取れるのは間違いなくひなちゃんの霊力で、例の悪霊はひなちゃんに呑み込まれたまま暴走してる」
 サキは声を震わせながら話を続けた。
「だからヤツは、以前よりもかなり強くなってるはずだ。呪術師連盟とかいう連中にお前の祖父さんほど強いヤツがいれば話は別だが、このままだと確実にまずい。おそらく連中はこの町の怪異について既に対策を練っているだろうな。となれば、大悪霊を・・・ひなちゃんを止められるのはお前だけだ」
 サキの言っていることを頭で理解するのに時間がかかる。どうすればいいか分からない・・・いや、分かる。ひなの暴走を止めればいいんだ。やるしかない、俺がやるしかないんだ。
「サキ、教えてくれてありがとう。ひなは今どこにいるんだ?」
「今はまだ遠すぎて霊気を感じるだけ、居場所までは感知できない。だから、近付いてきたそのときが勝負だ」
「こっちからは行けないのか・・・分かった、ひなの居場所を特定できたら直ぐに教えてくれ。他の祓い屋に手を出される前に、俺の手でひなを止めてやりたい」
「しぐる・・・?」
 サキが丸い目で俺を見ながら言った。
「ん、どうしたんだ?」
「いやぁ、俺から話しといて何だが、お前・・・大丈夫なのか?ひなちゃんのこと」
「大丈夫も何も、妹のためなら俺は何だってする。昔からそうなんだよ。今はひなの暴走を止めてやるのが一番だろ、それなら何だってやるぞ」
「そうか・・・流石しぐるだな。お前シスコン世界一だぜ」
「ハハ、そうかもな」
 なぜ俺が今こうして冷静でいられるのか、俺自身も全く分からない。ただ、俺にはやるべきことがある。ひなを助けること、そして露や鈴那たちを守ることだ。
 何のために祓い屋になったか、最初は復讐のためだけだったのかもしれない。だが、もう復讐の相手はひなに呑まれてしまっている。ひなはそれで苦しんでいる。だったら、俺が助ける。
「待ってろよ、ひな」
 俺は小さくだが、はっきりと呟いた。

   ○
 駅前の喫茶店に入ると、冷房が効いていて外とは比べ物にならないほど涼しかった。私と夢乃ちゃんは適当な席に座り、それぞれ好きなものを注文した。
「ごめんね、夢乃ちゃん」
「ううん、どうせ暇だったし露ちゃんともお話したかったから、大丈夫だよ。何か、あったの?」
「うん・・・実は今、兄さんと会うのが気まずくて。って、私が勝手に気にしちゃって避けてるだけなんだけどね」
 私は夢乃ちゃんに今の兄さんのことを話した。兄さんには元々、ひなちゃんという実の妹さんが居たこと。ひなちゃんが三年前に起きた事件で亡くなられたこと。そして兄さんは今、そのことで落ち込んでいるということ。
「兄さん、私が話しかけても上の空みたいで、落ち込んだまま出掛けちゃった。だから私がサキさんにそのこと話したら、露ちゃんが本音を言わなきゃしぐるも言わないみたいなこと言われて、確かにそうかもしれないけど、今の兄さんに私が本音を言ってもどうにもならないじゃんってなったから一人で出かけてこっちまで来ちゃった」
「えっと、サキさんって誰?」
 そうだった。夢乃ちゃんはまだサキさんの存在を知らない。これは話しても大丈夫なのか。
「う~ん、なんか蛇の妖怪さん。ペットみたいなものだよ」
「妖怪がペットなんだ・・・お兄さん、色々大変そうだね。露ちゃんがお兄さんに言いたい本音って、どんなことなの?」
「え、えっとぉ・・・」
 本音は、兄さんにもっと甘えたい。でも、中学生にもなってそんなことを言うのは流石に恥ずかしい気がする。
「言いにくいことなの?」
 夢乃ちゃんはいちごミルクを飲んでからそう言って私を見た。
「まぁ・・・その、私あまり兄さんに甘えたこと無いから、本当はもっと甘えたいかなと思ってるんだけど・・・なんか、気を遣っちゃって」
「そっか、でも難しいよね。人に気持ちを伝えるのって」
「うん・・・夢乃ちゃんはどう思う?やっぱり、今すぐ兄さんに気持ちを伝えたほうがいいのかな」
 私の問いに夢乃ちゃんは一瞬戸惑ったが、すぐに「うん」と頷いた。
「伝えたいときに伝えたほうがいいと思う。露ちゃんが今伝えたいなら、それでいいと思う」
「ありがとう、夢乃ちゃん・・・なんか、ちょっとスッキリした」
 本当は、今直ぐにでも気持ちを伝えたかった。私は、誰かの後押しが欲しかったのかもしれない。昔から遠慮がちで、したいことも言わずに人の言うことばかり聞いて、ずっと自分に嘘を吐いていた。だけど、これからは本当の気持ちと向き合っていきたい。大好きな兄さんに、本音で接したい。
「よかった。なんか、上手に言えなくてごめんね」
 夢乃ちゃんはそう言って苦笑した。
「ううん、本当にありがとう。私、兄さんにちゃんと言ってみる」
「うん!でも、露ちゃんみたいに何でもできる子にもそういう悩みってあるんだね。勉強も運動も家事も出来て、超能力だって使えるのに、お兄さんのこと大好きだなんて、なんか可愛い」
「かっ、かわいくないよっ!あっ・・・」
 恥ずかしくて少し大声を出してしまった。照れ隠しにアイスコーヒーを静かに飲む。
「そういうところが可愛いの~。すごくお淑やかでアイスコーヒー飲んでるのに照れて動揺しちゃってるのとか」
「そ、そんなこと言ったら夢乃ちゃんだっていちごミルク似合い過ぎてて可愛いよ!」
「夢乃は全然だよ!露ちゃんの可愛さはなんか、天使みたいな感じなんだよ」
「天使って・・・エヘヘへ、なんか面白いね!」
 思えば、今まで友達とこんなふうに遊んだことは無かった。これも兄さんの家に引き取ってもらえたおかげだ。だから当然兄さんには気を遣わせたくない。そのためにも、これからは兄さんに本当の気持ちを言いたいと思った。
 お互いに、気を遣わないでいられる兄妹になりたい。
 カフェを出た私達はその足でバスに乗り、二人席に並んで座った。
「夢乃ちゃんありがとう。楽しかった」
「こちらこそだよ。露ちゃんが仲良くしてくれて嬉しい。今日はもうこのまま帰る?」
「ううん、私はこの後スーパー行くよ」
「それなら、夢乃も一緒に行っていい?今日の夕ごはん、まだ買って無くて」
「いいよ!一緒にお買い物しよう!」
 いつも一人で買い物をしているので、友達とスーパーに行くのは初めてで楽しみだ。
 バスを降りた瞬間、何か嫌な視線を感じた。私が気になってキョロキョロしていると、夢乃ちゃんは不思議そうに「どうしたの?」と訊いてきた。
「たぶん、気のせい」
「そっか」
 恐らくは何かに見られてる。幽霊?こちらが気にしなければ大丈夫かな。少し歩くと、その視線は感じなくなった。できれば友達と居るときは変なことは起こらないで欲しい。このまま何もされなければいいけど・・・そう思った直後、目の前に黒い何かが飛び出してきた。
「ひゃっ!」
 それは夢乃ちゃんにも見えているようで、彼女は悲鳴を上げた。私は咄嗟に夢乃ちゃんを守ろうと思い、近くの木に念信号を送った。黒い化物は毛むくじゃらで目が赤く光っている。
「夢乃ちゃん、私の家に電話して兄さんに」
 私はそこまで言うと一気に植物たちを自分の前まで動かした。サキさんから自己防衛の基礎は教わっている。以前よりも植物たちと上手くコミュニケーションが取れるようになったので、兄さんが来るまでの時間稼ぎくらいは出来るかもしれない。恐らく、もう家に居るはずだ。
「わかった」
 夢乃ちゃんはそう言ってスマホを取り出した。毛むくじゃらの化物は私を睨みガルルルルと威嚇している。そういえば、この前サキさんと居るときも同じ姿の化物と遭遇した。私のことを狙っているのだろうか?
 そんなことを考えていると、化物は私に飛び掛かってきた。それを咄嗟に植物たちの集合体で防ぎ、蔦を纏めた鞭で化物を強く叩いた。見えないわけではないけれど、かなり動きが早い。しかし今の一撃が少し効いたらしく、黒い化物はよろけている。もしかしたら一人で退治できるかもしれない。そう思い、私は更に強い信号を植物たちへ送った。
「皆さん、力を貸してください」
 化物が移動しないうちに植物たちで取り囲み、そこへ強い念波を送った。
「ガルルルルルル・・・グルル、ガル・・・」
 化物の声は植物たちの中で小さくなり、軈て聞こえなくなった。
「はぁ、はぁ・・・倒せたかもしれない」
 そう言いながら植物たちを退けると、そこに怪物の姿は無く、代わりに黒い小さなお札のようなものが落ちていた。
「露ちゃん・・・やっつけたの?」
「たぶん・・・あ、兄さんは?」
「すぐに来てくれるって」
「ありがとう。じゃあ、一応待ってよう」
 私がそう言って助けてくれた植物たちを元に戻そうとしたとき、何処からか手を叩くような音が聞こえてきた。
「凄いな~、まさかシャドウハウンドを倒してしまうとは」
 声のした方を見ると、太い木の横にゲームに出てくる魔法使いのような服を着た細目の男の人がニヤニヤとしながらこちらを見ていた。私は少し怖くなったが、夢乃ちゃんを庇うように一歩後ろへと下がった。
「夢乃ちゃん、大丈夫。兄さんが来てくれるから」
 夢乃ちゃんは私の服を掴みながら震えていた。その様子を見ていた男の人は、一歩前に出て口を開いた。
「俺はシャドウシャーマンの黒影というんだ。さっきのは俺の使い魔、雑魚だけど除霊できたことは褒めてあげるよ。可愛い子ちゃん、ウヘヘヘ」
 男の人はそう言って気持ち悪い笑みを浮かべ私を見ている。恐怖と気持ち悪さで一気に鳥肌が立ってしまった。
「な、なにをするんですか」
 私が震える声で問うと、男の人はまたニヤニヤとしながら一枚の黒いお札を取り出した。
「異界連盟の命令で人質を取ってこいって言われたんで、ちょっと前から狙ってたんだけどね~、雨宮の妹ちゃん。せっかくなら人質は可愛い女の子がいいよね~。俺が可愛がってあげるよぉ~」
「やっ・・・ぜったい嫌です」
 気持ち悪い・・・こういう人は苦手だ。
「うっへっへ、ついでだから二人とも誘拐しちゃおう。人質は多くてもいいよね~」
 どうしよう。早く来て、兄さん・・・。
「蛇咬砲っ!」
 一か八かやってみようと念信号を送る準備をしていた瞬間、サキさんの声と共に紫色の閃光が男の人の左腕を掠った。

   ○
 居間でサキと話し終え、その後はお互い黙り込んだまま時間が過ぎた。
 不意に、プルルルルと家の電話が鳴った。俺はソファから立ち上がり、受話器を手に取った。
「もしもし」
「も、もしもし、夢乃です。お兄さんですか?露ちゃんが」
「あっ、露がどうかしたのか?」
「なんか、おばけと戦ってて・・・」
「露が!?わかった直ぐに行く。ありがとう!」
 夢乃ちゃん、露の友達だが一緒に居たのか。俺は電話を切ると急いでサキに事情を話した。
「サキ、露が何かと戦ってるらしい。お前、露の匂いで居場所分かるよな?急ごう」
「なんだと!?お、おう分かった!」
 俺はサキを頭に乗せて家を出た。
「どっちだ?」
「左」
 サキの指示した方向へと走る。今日は元々体調があまりよくなかったので直ぐ息が切れそうになったが、それでも走った。
 露は植物操作の超能力を使える。サキが最低限の自己防衛術は教えたと言っていたが、何とか無事であってほしい。
「近いぞ、ヤバいのがいる」
 サキのその言葉に俺は足を止めた。
「ヤバいの?どれぐらいだ。悪霊か?」
「いや、霊の臭いもするが・・・ヤバいのは妖っぽいな。ただ気配が独特でよくわからん。しぐる、とりあえず様子を見て強そうな相手だったら、俺様が出力を調整してやるから全力で戦え」
「わかった」
 妙な気配は俺も感じ取っていた。コンクリートの壁から恐る恐るその気配がする場所を見ると、そこには露が夢乃ちゃんを庇うように立っており、その向かいに怪しげな男がいた。男は露に何かを話しているようで、僅かに声が聞こえてくる。
「サキ、見えるか?あの男は誰だ」
「分からんが、人じゃねーな。たぶん妖者だ」
「よし、行こう」
 俺達は気付かれないよう物陰に隠れながら静かに近付いていった。と、不意に男が怪しい行動を取ったので、サキが俺の頭から飛び跳ねて紫色の閃光を口から放った。
「蛇咬砲っ!」
 男はそれに気付いて避けようとしたが、サキの攻撃は左腕に当たった。
「クソッ、外したか」
 サキは急いで露の前まで行った。俺もその後を追い、露達を庇うように立つ。
「なんだよ、お前」
「それはこっちの台詞だ!俺の露に何してんだよ。許さねぇぞ」
 俺はそう言って男を睨んだ。
「俺はシャドウシャーマンの黒影。お前、雨宮か。なら先にお前を殺さないと人質は取れないな」
「シャドウシャーマン?まぁいい、そっちがその気なら俺はお前を消す。サキ、いくぞ」
 俺の言葉にサキは「おう」とだけ言い、勢いよくジャンプした。
「憑依!」
 俺がそう叫ぶと同時にサキは俺の中に入った。いつもより自分の中で霊力が増していくのが分かる。
「ハッハッハ、やる気だな。なら、本気で潰させてもらおうかっ!」
 そう言うと男の顔は青白く変色し、もはや人間のものでは無い不気味な笑みを浮かべた。男は黒い札のようなものを宙に投げ、それら一枚一枚が気色の悪い悪霊へと姿を変えた。
 悪霊は全部で6体。俺は霊力の玉を大量に生成し、前方へと拡散させた。やはり自分だけでやる時とは威力が格段に違う。男は玉を避けたが悪霊達には命中し、一撃で全てを除霊することが出来た。
「馬鹿な!俺の使い魔たちが一撃で・・・クソッ」
 男は文句を垂れながら俺に殴りかかって来ようとしたので、俺は念動力で動きを封じた。男は空中で身動き一つ取れずに硬直する。やはり金縛りは最強だ。
 俺は問答無用で男を地面へと叩き付け、その上に飛び乗ると襟首を掴んだ。
「グハッ・・・!こんな強いだなんて聞いてねーぞ」
 男が苦しそうにもがきながら言った。
「お前、シャドウシャーマンとか言ったな。目的は何だ?」
「うっ・・・異界連盟から、人質を」
 男はそこまで言うと奇声を上げながらミイラのような姿になっていき、身体がボロボロと崩れ落ちると服だけを残して消え去った。それを間近で見届けた俺は、気持ち悪くなって思わず後退りした。
「なんだ・・・?」
「ボクがやったのさ。もう必要無くなったからね~」
 不意に声のした方を見ると、そこには見覚えのある厚着をした男が立っていた。以前ゼロと遊ぶように戦っていた、ロウという自称呪術師の妖怪だ。
「テメェか、この前しぐるの言ってたヤツは」
 ずっと静かだったサキが俺の身体を乗っ取り、そう言ってロウを睨み付けた。
「雨宮・・・じゃないな。物の怪が憑依しているのか。ボクはロウっていうんだ。異界連盟の幹部だよ」
 ロウは白目の無い目でギョロギョロとこちらを見ながらニヤリと笑った。相変わらず粘着質な喋り方で気持ちが悪い。
「異界連盟?なんだそりゃ。さっきのヤツもその仲間なのか」
「どうだろうね~。黒影は外国で影呪術を学んでたそこそこのヤツだったんだけど、それを簡単に倒しちゃうなんて、君すごいねぇ」
「だから異国の悪霊を使ってたのか。なるほどな。じゃあテメェら異界連盟とやらの目的を教えてもらおうか」
「ばーか、その前にボクを倒してみろよ」
 ロウの妖気が強くなっていくのが分かる。サキもそれを察して一気に力を強めた。
「なら、そうさせて貰うぜっ」
 サキがそう言ってロウに飛び掛かろうとした直後、ロウは一瞬で俺の目の前まで移動し、俺は蹴り飛ばされた。
「ぶはっ!」
 サキは透かさず体勢を立て直し、ロウへと殴りかかった。が、ロウはそれを躱して俺の身体を地面に叩き付ける。痛い。身体を使っているのはサキだが、痛みは俺も感じる。
「ねぇ、ボク強いでしょ?」
「うっせぇ・・・」
 サキは身体を起こすと高速でロウとの距離をとった。
「もう勝負はつきそうだね」
「へへ、どうだか」
 するとサキは何かの構えを取り、強い霊気を溜め始めた。知っている、この構えは・・・。
「奥義・流星時雨!!」
 サキが宙に飛び上がってそう叫ぶと俺の前に巨大な陣が描かれ、そこから無数の閃光がロウを目掛けて降り注いだ。しかし溜める時間が長かったので、ロウはそれを簡単に躱す。
 だが、サキの目的はそれでは無かった。急いでロウの背後に回ると、大口を開けて強い妖力の閃光を放った。
「蛇咬砲!」
 ロウは避ける間もなく閃光に貫かれ、地面に膝をついて唸り声を上げた。
「ハッハッ、簡単に引っ掛かりやがって!テメェは確かに強い。だが、俺も強いぞ」
 サキは地面に着地しながら言った。ロウは殺意に満ちた目で俺を睨み、顔には血管が浮き出ている。
「クソ・・・殺す。ボクの恐ろしさを分からせてやる!」
 そう言うとロウは何かを叫びながら俺に突進してきた。サキはそれを避けるがロウの攻撃は止まらず、透かさず防御態勢に入った。たまに鋭い爪で腕を引っ掛かれて痛い。サキが隙を見てロウの右脇腹に強い蹴りを入れると、ロウは突き飛ばされて地面に手をついて倒れるのを堪えた。
 お互いにかなり体力を消耗しているようで、息が荒い。俺が見た限りでは、ロウと俺のサキ憑依では実力がほぼ互角だ。このまま戦いが続くのはまずい。なんとか逃げ出せないだろうか。
「はいはーい喧嘩はそこまで!」
 そう言いながら俺達の間に入ってきたのは鬼灯堂の日向子さんだった。
「はっ、日向子どうしてここに!?」
 サキが訊くと日向子さんはニコッと笑った。
「人除けの結界が見えたから気になって来てみたら、しぐるくんが戦ってるじゃないの~。しかもお相手の方は、なかなか強い妖さんね」
 日向子さんはそう言ってロウのことを見た。サキは俺の中から出ると、露のところへ向かった。俺も釣られて露の方を見ると、そこにはゼロと鈴那も一緒に居た。
「しぐるさん、大丈夫ですか?」
「しぐ!怪我してる!」
 ゼロと鈴那が心配そうに言った。
「ああ、俺は大丈夫」
「ここは私に任せて、あなた達は逃げなさ~い」
 日向子さんがこちらをチラッと見て言った。ゼロも「早く行きましょう!」と俺を呼んでいる。
「す、すみません。お気を付けて!」
 俺が日向子さんにそう言って走りだそうとすると、後ろから「逃がすかっ!」というロウの声が聞こえてきた。思わず振り返ると、俺に飛び掛かろうとしてきたロウを日向子さんが背中から出した触手で突き飛ばした。
「あなたは私がいっぱい可愛がってあげる。さ、しぐるくんは早く逃げて」
 俺はその言葉に甘え、ゼロ達と家に逃げ帰った。

   ○
 全員で俺の家に着くと、居間へ入った。
「露、夢乃ちゃん、無事でよかった・・・よく頑張ったね」
 俺は体力が限界に近かったが、二人のことが心配だったので泣きながら抱き締めた。二人も泣いていた。それは怖かっただろう。
「うぅ・・・兄さん、ありがとう」
「露、夢乃ちゃん守ってあげたんだな。ごめんな。俺、自分のことばかり考えててお前のこと何も・・・」
「違います、私が勝手に・・・私が」
 露は声を出して泣きながら俺にしがみ付いた。こんなに泣いている露を見るのは初めてだ。俺は慰めるための上手い言葉も浮かばずに、ただただ二人の頭を撫でた。

   ○
 獣道を一人の男が歩いている。腕や脚からは血を流し、服もボロボロだ。
「クソッ・・・何なんだよあの女。まさかあんな強い妖がボク達の他に居たなんて」
 男は文句を垂れながら地面を蹴った。その振動が脚の怪我に響き、更に痛む。
「あああくそぉぉぉっ!!何だあの触手、てっきり簡単に切れるかと思ったら刀みたいに鋭くなりやがって。ギリギリで逃げ出せたけど・・・前のヤツとの戦いで体力を消耗してなければ、もう少しマシな戦いが出来たかもな」
 ブツブツと言いながら細い道を歩いていると、先程の女が妙なことを言っていたのを思い出した。私には野望がある、そのためにあの子たちは必要なのだと、そんなことを言っていた気がする。
「あれはどういう意味なんだ?ボクら異界連盟の邪魔立てになるなら厄介だな」
 男はそう言って立ち止まったが、脇腹を抑えながら再び歩を進めた。

   ○
 暫く経って落ち着いた頃、ゼロと鈴那が夢乃ちゃんを家まで送ってくれると言ったので、俺達は夢乃ちゃんに別れを告げた。帰り際、露が「また遊ぼうね」と夢乃ちゃんに言うと、彼女は「うん」と笑顔で返した。
「兄さん・・・」
 リビングへ戻ると、露が俺の服を引っ張って言った。
「ん?」
「あの・・・兄さんは、私がワガママ言うのは嫌ですか?」
 露はモジモジしながら言う。俺はそれに対し、首をゆっくりと横に振った。
「そんなことないよ。寧ろ、もっとワガママ言ってほしいと思ってる」
 俺は露の目線になるようにしゃがんで言った。見ると、彼女は薄っすらと目に涙を浮かべている。
「本当ですか・・・?じゃあ、兄さん。私はこの家に引き取って頂けて嬉しかったです。だって、兄さんが居るから。兄さんは優しくて勉強も出来るけど、ちょっと身体が弱くて、たまに心配になっちゃう時もあります。でも、そんな兄さんが、私は・・・」
 露が頬を赤らめて下を向く。俺はそんな彼女の頭を優しく撫でた。
「わ、私はっ・・・大好きです。だから、これからはもっと、優しい兄さんに甘えてもいいですか?」
 露の目からは涙がポロポロと零れている。
「ありがとう。もちろんだよ・・・だって、露は俺の一番の妹だから」
 そう言って俺は露を抱き締めた。
「うぅ・・・兄さん・・・」
「大好きだよ、露」
 俺はいつまでもひなとの思い出を愛したままだ。けど、もういない。それでも、ずっと愛していたい。愛しているけれど、今の俺には露という妹がいる。
 この子が家に来てから、度々ひなと重ねてしまうことがあった。だからなのだろうか?俺は、本当の露を見ようとしていなかったのだ。こんなにも可愛くて、優しくて、素敵な子なのに・・・。
「馬鹿だな、俺は・・・」
 俺がそう呟くと、露は俺の肩に乗せていた頭を上げてこちらを見た。
「どうしてですか?」
「本当は、こうして露と兄妹になりたかったんだ。それなのに、俺も気持ちを隠したままだった。ごめんね、露」
「そんなことない!兄さんは初めて来たときから私に優しくしてくれたじゃないですか。私の話をちゃんと聞いてくれる人は、兄さんだけだったんですから」
 露は涙を拭って笑顔を見せた。
「ありがとう。なぁ、露。もしよかったらなんだけど、俺と話すときは、敬語じゃなくてもいいんだよ。だって、兄妹なんだから」
「えっ・・・いいんですか?」
「うん、もちろん」
「じゃ、じゃあ・・・これからは、こうやってお話するね。兄さん」
 露が照れ臭そうに言って目を逸らした。そのあまりの可愛さに、俺は少しドキッとする。
「あ、あぁ、良い感じだ!なんか俺達、やっと兄妹になれたかもね」
「えへへ、そうだね。じゃあ~、今日からいっぱい兄さんに甘えるっ!」
 露はそう言いながら俺に抱きついてきた。俺も優しく抱き返す。
「じゃあ俺も、いっぱい甘やかしちゃおうかな」
 兄妹の形なんて何通りもあるわけで、何が正しいとか何が間違いとかは無い。勿論今までだって、俺達は兄妹だったかもしれない。けど、やっぱり俺は露を露としてちゃんと見てあげたい。だから、今なら胸を張って言える。
 俺と露は、こういう兄妹だ。

デスゾーン

 ガラガラガラ・・・と、玄関の戸が開く音がする。
「再びお邪魔しますー」
 ゼロの声だ。夢乃ちゃんを家まで送っていったゼロと鈴那が帰って来たのだろう。
「おかえり、ゼロ」
 俺が玄関まで出迎えに行くと、そこに鈴那の姿は無く、ゼロ一人だけだった。彼は俺の表情から何かを察したようで、軽く頭を掻いた。
「鈴那さんは、そのまま帰りました。ちょっと大事な用事があるらしいです」
「そっか、わかった。とりあえず上がって」
 俺はゼロを居間へ通すと、席へ座るよう促した。露が気を利かせてくれていたようで、既にテーブルには麦茶が置かれている。
 俺と露はゼロと向かい合うように座り、サキはテーブルの上で蜷局を巻いている。
「先程は、ご苦労様でした。ロウは日向子さんが返り討ちにしたそうです」
「そうか、ありがとな。露たちも無事で本当によかったよ。でも、なんでゼロたちはあの場所に?仕事じゃなかったのか?」
 俺の問いにゼロは苦笑した。
「そうだったんですけど、まぁ色々ありまして・・・仕事の方は片付いたんですけどね。とりあえず、それも含めてしぐるさん達に話しておかなければならないことがあります。聞いてくれますか?」
 俺が無言で頷くと、ゼロは淡々と話し始めた。

   ○
 ゼロから聞いた話。
 朝の事務所内はやけに静かだ。外の光に負けてしまいそうな裸電球の灯りが、手元の書類たちを薄っすらと照らしている。
「海中列車、婆捨穴、それと~、右京さんからもらった浦海中学校の報告書・・・と、これは~」
 僕は手元にある書類を眺めながら、今までの事件を整理していた。最後に見た書類は、長坂さんから頂いたガリョウ様と呼ばれる龍臥島に現れた白い怪物について纏められた書物だった。正直、これにも興味はあるが、今はそれよりも大事なことがある。
「婆捨穴はなんとか除霊出来たけど、次が海中列車と同等かそれ以上なら、今の僕には無理かもな~・・・」
 僕は一人きりの事務所内で柄にもなく弱音を吐いた。今日の仕事は、呪術師連盟の本部から依頼されたものだ。その連絡は昨晩、琴羽のパソコンのメールに届いた。
「旧海城トンネルの除霊か・・・どんなバケモノが居ることやら」
 旧海城トンネル。そこを除霊すれば、この町で起きている怪奇現象は弱化するらしい。
現在、呪術師連盟は本部以外を解体して有力者のみを集め、町全体を蝕む怪異への対策を取っている。あの時、春原達にT支部を潰させて僕の父さんを連行したのは、敵側に詳しい事情を漏らさないためだったそうだ。
 敵とは、異界連盟という妖怪や悪人呪術師の集まりのことである。連中についてはまだまだ謎も多いが、本部からある程度の情報を教えてもらったので「厄介な奴等」ということだけは確かだ。婆捨穴で僕と戦ったロウという妖怪も異界連盟の仲間らしく、あれ程の妖怪達が組織化されているとなると、考えただけで恐ろしくなる。
 今回起きている巨大な怪異も、全て異界連盟の仕業だ。放置しておけば、この町も周辺の町も人の世では無くなってしまうらしい。
「早く、なんとかしないと・・・」
 そう呟いてはみたが、正直僕には何もできない。もし、出来るとするのなら・・・。
「おっはよ~」
 書類を見ながらボーっとしていると、挨拶と共に事務所の戸が開いて鈴那さんが入って来た。
「あ、おはようございます。急に連絡してすみませんでした」
「いえいえ~、しぐはちょっと疲れちゃってるみたいだからお休みさせてあげて」
「はい。急な呼び出しをしたのはこちらなので、しぐるさんには申し訳なかったです。詳しい内容は右京さんと昴さんも来てから話しますが、とりあえず今回行くのは旧海城トンネルです」
 今日は右京さんに車を出してもらい、四人で目的地まで向かう予定だ。昴さんを呼んだのは、僕一人では不安だったからである。彼は結界師としてはかなりの実力者で、今頃本部に居てもおかしくないぐらいの力は持っている。僕と昴さんの二人がいれば、あの海中列車だって消せたはずだ。
「ねぇ、ゼロ」
 鈴那さんが困惑した様子で僕を見た。
「どうしましたか?」
「・・・今、色々なことが立て続けに起きてるけどさ、大丈夫なのかな」
 鈴那さんが不安に思うのも無理は無い。今年に入ってから、明らかに怪異は増えているからだ。以前、鈴那さんが住んでいた町でもその影響は出ているらしく、夏に入ってからその町でも除霊の依頼を受けた。
「適当なことは言えませんが、何とかしましょう」
 僕は彼女にそれだけ言うと手元の書類に視線を戻した。何とかしなければいけないのだ。僕が、やってやる。

   ○
 右京さんの運転する軽自動車は、狭い上り坂を軽やかに走行している。
「まったく、狭い道ばっか走ってるから運転慣れちまったぜ」
 右京さんは運転席で笑いながら言った。
「アハハ、この前もしぐるくんと浦海中まで行ってましたもんね」
 助手席の昴さんも右京さんに笑顔で話しかけた。僕の隣に座っている鈴那さんは少し眠たそうだ。数十分前、僕は今回の任務について車内で詳しく説明をした。今、これほど恐ろしいことがこの町で起きているということを伝えたのだ。
 それなのに、なんだこのお気楽なムードは・・・僕等は今ピンチだというのに、この無駄話をしている間にも打開策を話し合ったほうがいいのではないか?
「皆さん、もう少し緊張感を持ちませんか?」
 僕は思わず口に出してしまった。刹那、車内は静寂に包まれる。僕は続けた。
「既に呪詛は動き出しています。デスゾーンを破壊したら次の任務を速やかに遂行できるようにしておいてください」
「ゼロ、そりゃそうだけど・・・なんかいつもと違くないか?」
 右京さんがバックミラー越しに僕を見ながら言った。そうかもしれない。僕はいつもと違うかもしれない。何故なら・・・。
「右京さんは怖くないんですか?この状況が。下手したら僕等死ぬんですよ?」
「俺だって怖いさ。ぶっちゃけ何が起きてんのかさっぱりだし、デスゾーンに何の意味があんのかだってイマイチ理解してない。でもさ、気持ちがいつも通りじゃねーと、仕事もいつも通りに出来なくなっちゃうだろ?」
 確かにそうかもしれない。しれないけど・・・いや、その通りだ。今の僕は落ち着きがない。気持ちに乱れがあっては思うように術も使えなくなる。
「すみません、焦りすぎていたみたいです」
 僕はそう言いながら軽く頭を下げた。
「いいんだ、今は目の前の仕事を万全の状態で頑張ろうぜ」
 右京さんは僕に笑いかけながら言った。普段チャラチャラしているように見えて、いざという時にこうして支えてくれるのは、父親としての経験があるからなのだろうか。どうであれ、人間性ではこの人に敵わない。
 暫くすると、山道の向こうに寂れたトンネルが姿を現した。
「あれが旧海城トンネルです。ネットでも紹介されているそこそこ有名な心霊スポットですが、噂によるとトンネル内で車のエンジンが異常を起こしたり、女の霊が出るなどと、様々なものがありますね」
「ありきたりな噂だな~」
 僕の説明に対して右京さんがポツリと呟いた。
「そうですね。デマ情報も多いと思いますが、何かが起こるということはほぼ確信できます。本部からの依頼ですから」
「だな~、まぁ何が出るにしてもこのメンバーならなんとかなるだろ。見てろよ~、俺の術でトンネル丸ごと浄化してやるからな」
「右京さん、いつになく強気ですね。何か秘策でもあるんですか?」
「お、気付いちゃったか?フッフッ・・・」
「でもすみません。作戦では、鈴那さんにトンネルを霊視してもらってから僕と昴さんの二人でトンネルへ入り、お二人には何かあった時のために外で待機していて欲しいんですけど」
「え、そうなの・・・」
 車を降りると、夏だというにもかかわらず外は涼しかった。海と山に囲まれたこの場所ならではの気候だろう。
「空気がいいね。トンネルも見た感じでは神秘的でおどろおどろしい様子は窺えないけど、中に入ってみないと分からないかな」
 昴さんが目の前に聳えるトンネルを眺めながら言った。僕も同じことを思ったが、彼の義眼で何も視認できないということはトンネル内に身を隠しているのだろう。
「そうですね。外は気持ちがいいです。鈴那さん、早速ですが霊視をお願いできますか?」
「・・・うん。ねぇ、ゼロたちは何も感じないの?」
 僕は鈴那さんの言葉に首を傾げた。今ここで空気がいいと言ったばかりなのに、なぜそんなことを訊くのだろう。そう彼女に問い返すと、意外な答えが返ってきた。
「トンネルから、すごい霊気みたいなの感じるんだ。霊視する前から、車降りてからずっと・・・みんなが触れないから気のせいかなと思ったんだけど、そうじゃない。龍臥島の時とは違うけど、すごい強烈なものを感じる」
 鈴那さんの言っていることは間違いではないかもしれない。だが、現に僕と昴さんは何も感じない。
「鈴那さん、チャンネルが合いましたね」
 僕はトンネルの中に広がる闇を睨みながら呟いた。果たして、このまま彼女に霊視をさせてよいものか。
「あたしに任せて。たぶん、今なら色々見える気がするんだ」
 鈴那さんはそう言ってトンネルに意識を集中し始めた。本人が言うなら信じてみようかと、僕は「お願いします」とだけ言った。
「・・・なんか、テレビの砂あらしみたいなのが見える。入り口からけっこう進んだ
場所からだけど、気を付けて。あっ!」
 鈴那さんは声を上げると、目を見開いて後退った。僕が「どうしたんですか?」と訊くと、一言・・・
「やっぱり、ここやばい・・・」
 そう言った。
「なにが、見えたんですか?」
「・・・やばいやつ」
「具体的には?」
「わからないけど・・・大きくてやばい」
 大きくてやばい。語彙力はアレだが僕と昴さんはその言葉に思わず身構えた。鈴那さんの反応がいつもと明らかに違ったのだ。まるで、本当に恐ろしいものを目の前で見たような・・・。
「ゼロくん、行こう」
 昴さんはそう言うとトンネルの入り口へと足を踏み出した。
「はい」
 それに続いて僕も歩き出す。ここまで来たら、どんな化物が待っていても行くしかない。
「突っ込んで一掃しますか?」
 僕が冗談交じりに訊くと昴さんは微笑しながら頭を振った。
「慎重に行こう。ゼロくん、ちょっと怖がってる?」
「なぜそう思ったんです?」
「いや、ゼロくんって余裕がない時は冗談言って強がるからさ。流石の天才呪術師さんでも今回は厳しいと感じてるのかな~って」
「僕ってそんなですか。自分のことは自分でも分からないものですね」
 僕はそう言って苦笑した。先程までは目の前のトンネルに正体不明の恐怖を感じていたが、今はそれが少しだけ和らいだ気がした。僕達ならできる。
 トンネルに入ると、体感温度が急激に下がった。
「なるほど」
 その異様なほどの寒さに、昴さんは何かを察したようだ。
「どうかしたんですか?」
「トンネルの外から霊気を感じ取れなかったのは、入り口に簡単な結界が張られていたから。ここに潜む何かがそれを施したのか、或いは外部の者がやったか・・・いずれにしても、僕の目からも隠してしまうほどのモノだったんだから、厄介者だろうね」
 手に持った懐中電灯の僅かな灯りに照らされた昴さんの顔はニヤリと笑っていた。
「余裕、そうですね」
「作戦があるんだ。ゼロくん、手伝ってくれる?」
「勿論です」
 僕は頷いた。昴さんの話した作戦は、彼が最近編み出した新たな技を取り入れたものだった。
「なるほど、昴さんはもうこの奥にいる怪物の正体に気付いていたんですね」
「入った瞬間に見えた。20メートル先ぐらいから張り巡らされてて、その手前には無数の悪霊が溜まってる。そして更に奥へ行けば、今回のラスボスが待ち構えてるよ」
「まるでゲーム感覚ですね」
 僕がそう言うと、昴さんは怪物が潜んでいるであろうトンネルの奥に目をやり、真剣な顔でこう言った。
「ゲームだよ。コンティニュー不可能なゲーム」

   〇
 僕の前方を走る昴さんは、自分たちを囲うように結界を張り巡らしながら少しずつフィールドを形成していく。進むにつれて増していくトンネル内の霊気が体感温度を徐々に下げているのがわかる。
「もうすぐ第一関門だよ!準備OK?」
 昴さんが走りながら僕に問いかける。
「はい!」
 トンネル奥の悪霊達は既に気付いたようで、警戒している者や襲って来ようとしている者の姿が見える。
僕はこれまでに無いほどの電気をチャージすると、それを放電させた。放出された雷は昴さんの形成した結界の管を通り、奥に張り巡らされた化物の巣を容赦なく破壊していく。大抵の悪霊もこれで片付いただろう。
「ゼロくん、体は大丈夫?」
「はい、寧ろ気持ちがいいぐらい放電できましたよ」
僕はニヤッと笑いながら昴さんを見た。彼が先程形成した結界は僕を核とした電磁砲となっており、そのおかげで僕自身が念動力で電気を操作することなく、思いっきり放出できたのだ。
「さぁ、残った連中も手っ取り早く片付けちゃおうか」
 昴さんはそう言いながら新たに結界を形成し始めた。今度は細い糸状結界で、それを赤外線センサーのトラップのように張り巡らせていく。それらは残った悪霊達を絡めて動きを封じ、ジワジワとダメージを与えていっているように見えた。
「ゼロくん、トドメをどうぞ」
 彼のその言葉を皮切りに、僕はウエストポーチから数枚の呪符を取り出して呪文を唱える。呪符は刃物のように鋭くなり、忽ち動けなくなった悪霊達を突き刺した。
「よし」
 昴さんはそう言うと作り出した結界をスッと消した。どうやら最初の関門はクリアできたようだ。
「昴さん、やっぱり僕よりも強いじゃないですか」
 僕が不服そうな顔をすると、昴さんは苦笑してこう言った。
「結界だけだよ。ゼロくんの電撃も凄すぎて心臓に響いたよ。それに、呪符を用いる術ならほとんど出来るという君は紛れもなく天才だと思う。今の術も見ててすごいなと思った」
 昴さんは楽しそうに言ってくれた。そこまで褒められると、少し照れてしまう。
「さ、さぁ!無駄話してないで先へ進みましょう!」
 僕は照れ隠しに少し大きめの声で言った。本当に褒め上手な人である。
「ドォン!」
 不意にトンネルの奥から凄まじい轟音が鳴り響き、僕と昴さんは顔を見合わせた。
「なんだ!?」
 僕が声を上げると、それに反応するかのようにまた同じような轟音が鳴り響いた。
「今の騒ぎで怒らせたかな?じゃあ、作戦通りにいこうか」
 昴さんは至って冷静に言った。そうだ、いつも通りでいればいい。僕の全力をヤツにぶつけるのだ。
「行きましょう」
 僕の返事を聞いた昴さんはコクリと頷くと再びトンネルの奥へ向けて駆け出した。
「ドォン!ドォン!」
 先程よりも音が大きく聞こえる。不意に前を走る昴さんがキッと立ち止まった。
「ゼロくん、懐中電灯は?」
「さっき除霊中に落としたみたいです」
「じゃあ、電気出してもらえるかな?」
 そう言うと彼は僕を結界で囲んだので、適当に放電させた。
「なっ!」
 僕の発した灯りに照らされた目の前の光景は恐ろしいものだった。行く手を阻むかのように張られた無数の巨大な蜘蛛の巣、それに絡まった大量の人や動物の骸骨。
「す、昴さん・・・これって、もしかしてさっきも?」
「いや、さっきの場所に張られた巣には見当たらなかった。この人たち、どうやってここまで来たんだろう。それとも・・・この奥にいるトンネルの主に捕まって連れてこられたのか」
「ドォン!!ガサガサッ!」
 昴さんが話し終えるや否や、奥の暗がりから不気味な音が鳴り響いた。僕は条件反射で身構える。
「ドスンッ!」
地面を揺らして巣から飛び降りてきたその怪物の姿を見て、思わず総毛立った。僕の発する電気によって照らし出されたそれは、全身が濃い灰色で、よく見えないが尻には何かの模様がある巨大な蜘蛛だった。
「いや~、驚いた。そんなに巨大なのに動きは機なんだね」
 昴さんは大蜘蛛を眺めながら暢気にそんなことを言いながらも的確に結界の準備をしている。
「ゼロくん、始めようか」
「はい」
 僕等が声を掛け合った直後、昴さんの合図を理解したかのように大蜘蛛がガサガサッと動き出した。
「逃がさないよ」
 昴さんは抵抗する巨体に構わず、動きを封じるように次々と糸状結界を張り巡らせる。大蜘蛛もそこから抜け出そうと結界を壊し続けるが、昴さんの作り出す糸状結界は次々と重なり合うことで強度を増し、破壊が追い付かない状況にあった。
 確かにここはトンネルの主である大蜘蛛の縄張りだが、昴さんが結界の術を使用するのには十分すぎる環境に思えた。
「さぁゼロくん、今のうちに!」
 僕は即座に妖刀を作り出すと、結界の隙間で暴れている大蜘蛛の脚へと飛び掛かった。一本目、二本目、三本目、四本目・・・と、不意に大蜘蛛の尻から噴出された糸に足を引っ掛けて危うく派手に転ぶところだったが、自身の念動力で上手く地面に着地した。
「大丈夫!?」
「大丈夫です!」
 そう言って僕は残りの四本の脚を斬り落とそうと再度飛び掛かる。しかし大蜘蛛が激しくもがいているせいで上手く接触できない。
「ブンッ!」
 不意に振り下ろされた大蜘蛛の脚が僕を直撃し、コンクリートの地面へ叩き付けられた。気を張っていたおかげで大したダメージは受けなかったものの、衝撃でお腹が痛い。
「クソッ!」
 僕はもう一度蜘蛛の脚へと妖刀を振り翳し、薙いだ。
「斬れた!」
 続けて残りの三本も斬り落とし、大蜘蛛は胴体と尻だけを残した状態になった。昴さんはその周囲を分厚い結界で囲い、ズズッと地面に下ろす。
「ゼロくんお疲れさま。これで沈められるよ」
 彼はそう言うと、そのまま地面の下へと大蜘蛛を埋め込み始めた。
「もう悪さ出来ないよう、永遠に眠らせてやる」
 結界に囲われた大蜘蛛は跡形も無く地面の下へ沈められた。
「やった・・・!やりましたね昴さん!」
 僕は達成感で思わず声を上げた。
「なんとか上手くいったよ・・・ゼロくん、助けてくれてありがとう。これで僕の仕事は終わりかな~」
 昴さんは伸びをしてそう言った。今の結界術は少なくともチャージに三カ月はかかる大技で、更に立て続けて結界を作ったため体力の消耗は激しかっただろう。
「本当に今使ってしまってもよかったんですか?」
 僕が訊くと、昴さんは笑顔でこう言った。
「今だから使ったんだよ。結界師にできることなんてたかが知れてるし、僕がこの術を準備していたのは今日のためだったんだって、そう思ってる」
「そうですか・・・本当に、ありがとうございました」
「礼を言わなきゃいけないのはこっちさ。僕一人じゃ封じられなかったからね。ゼロくんの才能は、正しいことに使えば必ずいい未来が待ってる。少なくとも僕はそう思ってる。僕は結界しかできないけど、ゼロくんは色々できる。そのできることを、今日は最大限に発揮できたんじゃない?」
 昴さんの言葉で先程までのことを思い出してみると、確かにそうだった。昴さんは僕が制御無しで放電できるよう結界を張ってくれて、除霊の時も大蜘蛛の脚を斬る時も、まるで練習用の的みたいに固定してくれた。
「本当はもっと強いのに、その力を最大限まで発揮できないのは、自分だけで何でもやろうとするからなんじゃないかな?ゼロくんプライド高いからね。周りを見てみれば、ちゃんと仲間がいるよ。もう少し、頼ってみたら?」
 昴さんはそう言って微笑んだ。
「それを、僕に教えるために先程のような作戦を?」
 今まで、ずっと一人で戦っていた。僕の祖父もきっとそうだった。きっと、鈴那さんやしぐるさんも最初はそうだったのではないだろうか。でも、今は仲間がいる。
「まあね。少しでもゼロくんの力になれたらと思って」
「もっと、頼ってみようかな。昴さん、本当に・・・お礼を言わなきゃいけないのは僕じゃないですか!まったく・・・ありがとうございます」

   〇
 トンネルを出ると、鈴那さんと右京さんが楽し気に何かを話していた。僕達の姿を見付けると嬉しそうに、そしてどこかホッとしたような顔で近寄ってきた。
 全員で車に乗り、旧海城トンネルを後にする。狭い山道を抜けて国道を進み、僕達の住む住宅街まで着くと右京さんは事務所の前で車を停めた。
「さあ、今日はみんなお疲れさん」
 そう言って伸びをする右京さんに僕と鈴那さんと昴さんは礼を言い、車から降りる。
「今日は、本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
 右京さんと昴さんに別れを告げた後、僕と鈴那さんは一度事務所の中へ入り書類や荷物を整理した。
「折角なので、この後しぐるさんの家に行きましょうか。今日の報告も兼ねて」
「うん!」
 書類の整理を終えた僕達は、事務所を出ると妙な違和感を感じた。若干、いつもと空気が違う。
「とりあえず、行きましょう」
 気にするほどでも無かったので、僕は鈴那さんを促すとしぐるさんの家へ向かって歩き始めた。
「鈴那さん、今日は本当にありがとうございました」
 僕の言葉に鈴那さんは苦笑した。
「あたし何にもやってないよ。ゼロこそ、今日はお疲れ様」
「いえ、事前に霊視してもらわなかったら上手くいかなかったかもしれません。助かりました」
「えへへ、どういたしまして」
 今日の仕事をしたのは、僕と昴さんだけではない。右京さんが車で送迎してくれて、鈴那さんが霊視をしてくれて、それが無ければ、絶対に上手くいかなかった。
「ゼロ、あれ何?」
 不意に鈴那さんが一点を指さして言った。気が付くと、先程からの妙な違和感が強くなっている。
「人除けの結界?誰がこんな場所に・・・」
 ここは住宅街から然程離れていない。というかしぐるさんの家にわりと近い。
「何か嫌な予感がする・・・鈴那さん、もう一仕事増えそうですが手伝ってくれますか?」
「もちろん!」
 鈴那さんが答えたのと同時に、目の前の横道から誰かが飛び出してきた。見覚えのある銀髪に少女のような外見。彼女は僕達に気付くとニコッと笑いこう言った。
「あら、目的は一緒かしらね?」
「日向子さん!恐らくそのようですね。あの人除け結界は?」
「分からないけど、何か大きな力同士が衝突してる」
 大きな力、考えられるのはやっぱり・・・。
「しぐるさん!」
 僕は全速力で駆け出した。それに続いて鈴那さんも走り出す。結界の中へ入ると、まずは二人の少女が目に留まった。露ちゃんと夢乃ちゃんだ。僕は彼女らに駆け寄り、事情を聞く・・・までもなかった。なぜこんな状況にあるのかは、目の前でぶつかり合う二つの力を見て合点がいった。
「しぐるさん・・・と、ロウ!」
「はいはーい喧嘩はそこまで!」
 僕が驚くのと間を置かず、日向子さんが二人の間に割り込んだ。彼女の実力に比べれば、ロウの力は然程大したことは無い。これで一安心だ。僕は思わずホッとしてため息を吐いた。

   〇
 ゼロが話を終えると、俺より先に露が口を開いた。
「人除けの結界・・・だから全く人気がなかったんですね。あっ、それよりこの町で起きてることはサキさんが詳しく知ってましたよね?」
「それならさっきしぐるには話した。ゼロ、お前さんは連盟から聞かされてんだろ」
 サキの言葉にゼロは頷き、ウエストポーチからこの町の地図を取り出して広げた。
「町を丸ごと呑み込む術です。奴らはその下準備として、三か所の心霊スポットを狂暴化させました。龍臥島、婆捨穴、旧海城トンネルの三つです。まあ、龍臥島に関しては心霊スポットでは無いですが・・・」
 彼は地図に赤ペンで書かれたマークを指しながら話を続ける。
「そして、その三か所に囲まれた地区を僕達はデスゾーンと呼んでいます。デスゾーンに囲まれた場所の悪霊はどれも多少狂暴化し、霊的な被害が増えます。しかし今回の除霊で三か所の心霊スポットは全て消すことができました。これで奴等の術を阻止する手助けにはなったと言えるでしょう」
「でもよぉ、異界連盟の連中がまたデスゾーンを作っちまうってことはねーのか?」
 サキが疑問を口にする。それは俺も気になっていたが、ゼロは首を横に振った。
「その心配はほぼありません。デスゾーンを作るには丁度いい場所を見付ける必要がありますし、術が動き出すまでもうそんなに期間があるわけでもないでしょう。短期間でデスゾーンを完成させるのは不可能です」
「なるほど。けど、術が動き出すまでそんなに時間が無いのなら、俺達にとってもデメリットになるな」
 俺がそう言った直後、玄関の戸を開く音がした。気になって俺が見に行くと、そこに立っていたのは予想もしていない人物だった。
「親父・・・」
「しぐるか、久しぶりだな」
 海外にいたはずの親父は表情一つ変えずにそう言った。
「日本に帰ってくるときは連絡しろって言っただろ!そうすれば、飯ぐらい・・・」
「荷物を取りに帰ってきただけだ。また直ぐに行く」
 親父はそう言って自分の部屋へ入って行った。とりあえず俺は居間に戻り、親父が帰ってきたことを告げる。
「友達が来ていたのか。露も元気そうだな」
 部屋から出てきた親父は居間の前へ来ると、相変わらず感情の読めない顔で言った。昔からそうだ。何を考えているのか分からない、不気味なまでの無表情。
「どこに行くんだよ」
 俺が訊くと親父は玄関の方に目を向けて言った。
「さあな」
 そう言って廊下を歩き始めると、また玄関から外へ出ていった。
「・・・悪かったな。俺の親父、いつもあんな感じだから」
「なあ、しぐる」
 俺が言い終わるや否や、サキは親父の居なくなった廊下を見つめながら呟いた。
「うん?どうした」
「お前の親父って・・・霊感無いんじゃなかったか?」
 サキの言う通り、確かに親父は霊感も霊能力も無い。それは昔からだ。
「そうだけど、なんでそんなこと?」
「・・・目が合った」
 俺はサキのその言葉で、一瞬意味が分からなくなった。
「・・・まさか、偶然だろ」
 俺が否定すると、サキは少し間を置いてこう言った。
「ま、突然見えるようになったりもするからな。お前もお前のじいさんも見える人なんだから、その可能性はあるんじゃねーの?」
「そう、なのかな」
 何だか釈然としないが、とりあえずそれで納得することにした。いや、本当にサキの勘違いということもある。今はそんなことよりも、この町を守らなければいけないのだから。

鈴音ノック

 ゼロと一緒に夢乃ちゃんを家まで送り終わった後、スマホを見ると日向子ちゃんからメールがきていた。メールにはさっきのロウっていう妖怪を撃退したことをゼロに伝えてほしいという内容ともう一つ、私に用があるから来てほしいと書いてあった。
「日向子ちゃん、ロウ倒したって。あたしちょっと呼ばれちゃったから鬼灯堂行ってくるね」
 私はゼロにそれだけ告げると、最寄りのバス停からバスに乗り鬼灯堂へ向かった。店のボロいガラス戸の向こうには帳場に腰掛けた日向子ちゃんの姿が見える。
「やっほー、どうしたの?」
「いらっしゃーい、ありがとね来てくれて。ちょっと話したいことと、渡したいモノがあって」
 日向子ちゃんはそう言って私を奥の間へ通してくれた。なぜだか少し緊張する。
「鈴那ちゃんさ、あれからお父さんとは連絡取ってないの?」
 日向子ちゃんがお茶を出しながら最初に言った質問がそれだった。そういえば、あの時から一切連絡を取っていないしパパが今どうしてるかも分からない。
「ぜんぜん取ってない。今どうしてるんだろうね・・・」
 当時、虐待を受けていたとはいえパパをあのまま一人にしてしまったことへの罪悪感を今更抱いている。
「鈴那ちゃんが悪く思うことじゃないのよ~。でも、またいつか会いに行ってあげてね。しぐるくんも連れて」
 日向子ちゃんは私の心を見透かしたかのように言った。
「うん、わかった」
「よし、それと~今日はちょっぴり大事なモノを渡したくて呼んだんだけど」
 そう言って日向子ちゃんが作業机の引き出しから取り出したものは、見覚えのある日記帳だった。表紙にはシンプルに『鈴音日記』と書かれている。
「それ、ママの日記・・・なんで日向子ちゃんが!?」
「夏陽ちゃんから預かってほしいって頼まれてたからね~。びっくりした?」
「え?なんで、え・・・」
 城崎夏陽(なつよ)、ママの名前だ。
「もしかして、日向子ちゃんママと知り合いだった・・・?」
「まあね~、わたしは顔が広いから~・・・って言うか、色々あってね。夏陽ちゃんが亡くなってから、時がきたら鈴那ちゃんに渡してほしいって頼まれてたのよ。理由はこの日記を読めばわかるから、わたしからは敢えて言わないわ。鈴那ちゃんも、お母さんから真実を聞かされたいでしょ」
 彼女はそう言ってからニコリと笑い日記を差し出してきた。
「うん、ありがとう」
 私は日記を受け取ると、それのページを捲り始めた。何となく察した。日向子ちゃんが言いたいことも、これからママが伝えてくれることも、そして私自身のことも・・・。
 日記の最初は当り障りのない私のことばかり書かれていた。

「鈴那が生まれてきてくれてよかった。」
「鈴那が学校で嫌なことをされてるらしいから何か助けになってあげたい。」
「鈴那が学校を早退してきたけど、私にはこの家をあの子の居場所にしてあげることしかできない。私も馬鹿だな。」
「鈴那がピアスを付け始めた。可愛い、似合ってるよ。」
「鈴那が可哀想。ごめんね、お父さんがあんな人で。あの人はどうして未だに私なんかと一緒に住んでるんだろう。喧嘩ばかり・・・いや、一方的にやられてるのはこっちかもしれない。鈴那と逃げたい。ごめんね、お金が無いや・・・」

 ママらしい文章で色々とその日に思ったことを短く書き記してある。私は目に涙を滲ませながらページを捲り続けた。

「例の女の子が亡くなったという事件のニュースを見ちゃった・・・そろそろ限界、いつかあの子にもこれを読んでもらおう。私が何とかするしかない。」

 例の女の子?もしかして・・・私は続きのページ読み進めた。

「やっぱり・・・馬鹿なりに調べてみたけど、汚染が夏のとある時期にしか出来ないのと同じで、浄化も全く同じ条件で行える。雨宮さんが言ってた通りだった、あの人の犠牲は無駄にしたくないから、私がやる」
「千堂という人物に会ってきた。雨宮さんの知人で事情を話したら分かってくれたけど、どうやら私じゃだめみたい。鈴那、お願いがあります。私の代わりにやってほしいことがあるの。」

 やってほしいこと・・・それを知るのが、何だか怖い気がして次のページを捲るのに戸惑う。意を決して開いたページには、遺書のような出だしの文章が少し長めに綴られていた。

「これは鈴那への手紙になります。これをあなたが読んでいるってことは、私が死んじゃってから何年後かの世界になってるはずね。日向子さんには迷惑かけてないかな?彼氏は出来た?そんなことより、大事な話があったね。」

 大事な話・・・そのあとに書かれていた文章を全て読み終えた私は、静かに日記を閉じた。こんな突飛な話は理解できない。できないはずなのに、私の心を確かにノックしてくれたのは紛れもなくこの日記に書かれた全てのことだった。
「あたし・・・しぐのところに行かなきゃ!」
「ちょっと待って!」
 立ち上がって部屋を出ようとした私を日向子ちゃんが制止した。
「でも・・・」
 抑えられないほどの衝動とこの想い、今すぐにでもあの人へ伝えたい。あの人と、この町のために!
「明日、ぜんぶ伝えられるから」
「え?」
 明日?明日何があるのか私は知らない。どういうことかと日向子ちゃんに問い質してみれば、真剣な顔から僅かに笑みを零してポツリポツリと話し出した。
「明日・・・作戦開始よ。全ての事が交わり、終わり、そして始まる。わたし達の町を守れるのは、わたし達しか居ないわ」
「作戦。ママが日記に書いたことは・・・」
 日向子ちゃんは黙って頷く。正直、私はどうすればいいのかまだ分からない。ママの頼みが私に務まるのか・・・そんな自信が無い。
「あたし・・・あたしに出来るかな?」
「できるわよ。鈴那ちゃんにはしぐるくんが居るじゃないの」
「しぐのことは信じてる。でも・・・」
 私はしぐの顔を頭に思い浮かべた。大好きなあの人・・・そうだ、思い出した。
「あたし・・・なんで今まで忘れてたんだろう。ずっと前に夢を見たの!夢の中である人が言ってくれた・・・今は辛くても、いつか必ず運命は変わる。しぐるとひなをよろしく頼むって・・・」
「その、夢で出会った人は?」
 日向子ちゃんが私に訊いた。確か男の人だった。名前は・・・聞かなかった気がするけど、それでも分かる気がする。
「だからあたし、今こうしてしぐと出会えたんだ。知らなかったけど、自然とそうなっていったんだ・・・」
 私は涙を零した。たぶん夢に出てきたあの男の人は、しぐのパパなんだと思う。今思い返すと、どこか雰囲気が似ていたような気がする。
「分かったみたいね、夢の中の人が誰だったのか」
 また日向子ちゃんは私の心を見透かしたように言った。
「ねえ、日向子ちゃんってテレパシー使えるの?」
 私が何気なく訊ねると日向子ちゃんは冗談交じりの笑みを浮かべて首を横に振った。
「そんなわけないでしょー。でも、分かるのよ。わたしはそういうモノだから」
「そういう、モノ?」
「ううん、何でもないわよ。さ、明日に備えて今日はゆっくりしましょ。何か食べたいのあるー?」
「・・・はい!あたしカレー食べたい!」
「よし、じゃあ食べに行くわよ~。わたしオススメのカレー屋さんがあるからそこにしましょ」
 日向子ちゃんの意味深発言が気になったけれど、それより今は頭を使ってお腹が空いた。明日のことはまだ少しだけ不安だけど、きっと大丈夫。もしも・・・私としぐの出会いが運命ならば作戦は成功する。何度となく自分に言い聞かせながら、私はその時を待った。

ブレイバーの決意

 相変わらず蒸し暑い真夏日だ。こんな日に呪術師連盟本部から召集され、俺たちはゼロの父親である雅人さんが運転する車で神奈川県の某町まで来ていた。
「父さん、詳しい話は本部から聞いたよ。具体的にこれから僕達はどうすればいいの?」
 ゼロの問いに雅人さんは「本部で全て話す」とだけ言った。ゼロもそれ以上は追及せず、黙り込んでしまった。
「まぁ、俺様まで呼んだってことは本番直前ってことじゃね?な、しぐる」
「お前・・・いいかげん俺の頭から下りろ」
 サキは車に乗ってからずっと俺の頭にいる。どれだけここが好きなのだろうか・・・。
「いいじゃねーかよ相棒~。これから俺様の力が必要になってくるかもしれねーんだぜ?なー露ちゃん」
「サキさん、ここおいで」
 隣に座る露が、自分の膝上を軽くポンポンと叩いてサキに来るよう促す。
「よっしゃあ特等席!」
 サキは俺の頭から勢いよく飛び跳ねて露の膝に乗り移った。全くこのロリコンヘビが。
「兄さんが大変だと思って乗せてあげただけです。サキさん、変なことは考えないでくださいね」
「そんな・・・この太ももの上でエロいこと考えるなだなんて鬼畜だぜ・・・」
「やっぱり駄目ですっ!!」
「いてっ!」
 その声を出したのは俺である。露が投げ飛ばしたサキは俺の左頬へ直撃したのだ。
「ぐへぇ」
「ご、ごめんなさい兄さん!大丈夫?」
 露は当然のようにサキよりも俺の心配をしてくれた。まあ、当然だろう。
「大丈夫だよ。それよりサキ、お前こんな時間からこんな場所で欲情するな」
「うるせえ!妖怪にとっちゃ欲情するのに時間も場所も関係ねーんだよ!つーか露ちゃぁん、俺様の扱いひどくない・・・?」
 露はサキの言葉が聞こえていないかのように俺への返事を笑顔で口にした。
「よかった。サキさんのせいで兄さんが怪我をしたら怒りますからね」
「露ちゃんが投げたんだろうが・・・」
 結局、俺の膝上に留まったサキは元気を無くして項垂れている。自業自得である。
「サキさん、いくら妖怪とはいえTPOをわきまえてください。日向子さんを見習うべきです」
 助手席のゼロが後ろを振り返り言った。全くその通りである。その通り・・・なのか?
「あの女だって時間帯関係なく触手ウネウネの刑とかしやがるだろ・・・」
 サキの発言で皆が静かになった。白けたというのが正解だろう。無論、彼の意見が間違っているわけではない。しかしこの場で触手ウネウネという言葉は如何なものか。
「ずいぶんと打ち解けたな」
 雅人さんは優し気な声でそう呟いた。確かに、初めてサキが目覚めた時はゼロや俺もピリピリしていたが、今ではまるで友人のようだ。本当に・・・平和だと思えるこの町だが、その裏でとんでもないことが起ころうとしているなんて・・・。
 呪術師連盟の本部に到着すると、入り口で二人の青年が待っていた。元T支部の北上昴と、本部の春原という超能力者だ。彼らは俺とも既に面識があり、今回の作戦に参加する仲間だ。
「よぉ~零、みんなも元気そうだな~」
 春原は相変わらずといった感じでヘラヘラとしているが、昴のほうは真面目な顔で俺のことを見ていた。
「春原、改めて謝りたい。T支部の件は僕の早とちりで余計なことをしてしまってごめん」
 ゼロは春原に向かって頭を下げた。以前、T支部が潰されたときに見たあの二人ではないみたいである。
「そんな謝んなよ~そういう作戦だったんだからさ~。お前昔からめっちゃ真面目だし、作戦を話したところで俺と喧嘩してくれねーだろ。つーか、こっちこそ色々悪かったな」
 春原から差し出された手をゼロは握った。どうやら仲直りできたらしい。
「しぐるくん」
 不意に昴が俺の名前を呼んだ。彼は少し不安げな顔をしており、俺はどうしたのかと訊ねた。
「ゼロくんから話は聞いてると思うけど、今の僕は力を使い果たしてまともに戦えない。そして君には、おそらく戦いの前線に立ってもらうことになる。気を付けて。詳しいことは、全て中で伝えられるよ。行こう」
「ああ・・・分かった」
 俺が返事を返すと、二人に建物の中へ案内された。戦いの前線・・・俺にできるのだろうか。つい昨日覚悟を決めておいて今更迷うのも情けないが、この不安は簡単に払拭できるものではない。
 建物が山の中にあるわりに内部は少々近未来的な構造で、いかにも秘密組織のアジトという雰囲気だった。俺達はエレベーターで二階に上がると、少し奥にある自動ドアの前まで通された。
「ここが本部の総指令室。もうみんな集まってるから」
 春原がそう言ってドアの横に付けられたモニターに顔を映すと、丈夫そうな自動ドアが簡単に開いた。どうやら顔認証システムらしい。室内には既に11人ほど居り、そのうち俺が知っているのは5人だった。
「鈴那!」
 俺は思わず彼女の名を呼んだ。鈴那は昨日、夢乃ちゃんを家まで送っていったきり帰ってしまったのだ。何か思い悩んでいるのかと心配していたが、再び会えて少し安心した。
「しぐ、昨日は急に帰っちゃってごめんね。ちょっと日向子ちゃんに呼ばれちゃって」
 そう言った鈴那の隣には日向子さんもいる。彼女は俺達に笑顔で手を振った後、顔の前で両手を合わせてペロリと舌をだした。
「てへ、ごめんねしぐるくん。ちょっと鈴那ちゃんに大事なお話があって、急だけど呼び出しちゃったのよ」
「日向子さん!いえ、鈴那が無事なら大丈夫です。それに・・・長坂さん、右京さん達も」
 俺は見知らぬ男女二人と一緒にいる長坂さんと藤堂親子にも声をかけた。彼らは俺たちの元へ歩いてくると、緊張感を帯びた表情から少し笑顔になった。
「しぐちゃん、よく来てくれたな。紹介するよ。彼らは俺の仲間で本部の呪術師、桜井と小野寺だ」
 右京さんに紹介された桜井さんと小野寺さんは、よろしくと言って俺に微笑みかけた。
「そして、向こうにいるのが呪術師連盟各支部の元支部長と、会長の千堂さんだ。しぐる、お前にとって大事な話がある」
 長坂さんが会長の千堂という男性のほうを見てそう言った。支部は計4つあったらしく、H支部の菊池さん、K支部の中西さん、S支部の真鍋さん、そしてT支部の雅人さんがここに集まった。会長の千堂さんは長坂さんと同年代ぐらいの人で、俺を見ると少しだけ嬉しそうな表情になった。
「君かね、浩太郎の孫は・・・うむ、そっくりだ」
「えっ!?」
 俺は千堂さんの口から祖父の名が出たことに驚き、半ば叫ぶような声を出してしまった。
「私は千堂香山というものでね、浩太郎とは友人のような関係だったのだ。彼はどこまでもお人好しな男だった。最後は町を守るために世を去っていったが、私はその後も浩太郎を忘れたことは一度も無い」
 俺は千堂さんの言っていることが理解できなかった。俺自身、祖父である雨宮浩太郎の明確な死因は聞かされておらず、生前の祖父が何をしていたかも知らないのだ。
「あの、千堂さん・・・祖父のこと、どこまで知ってるんですか!町を守るために世を去ったってどういうことですか!」
「まぁ、落ち着けしぐちゃん。大丈夫、これから全て話してくれるから」
 千堂さんへ興奮気味に言葉を投げかけた俺は、右京さんに宥められて落ち着いた。
「そうだな、君は浩太郎のことを詳しく知らなかったのか。話が先走ってしまってすまない。20年前、浩太郎は私の制止を振り切りとある儀式を行った。彼はそれにより命を落としたが、今になってしまえば正しいことだったかのようにも思える。そう思いたいのだ」
 千堂さんはそう言うと、これまで祖父の成してきたことやこれから起こることについての全てを話し始めた。

   〇
 浩太郎と出会ったのは30年程前のことだった。呪術師連盟本部が位置する千堂山の神だった私は、偶然仕事で山へ訪れた浩太郎と出会った。元はこの山の祠に住み着いた妖だった私を神として祀ったのはこの土地に住む人々だった。私の祠を見付けた浩太郎は、持っていた握り飯を一つ祠に供えてくれたのだ。彼は強い霊力を持っており、私の姿も見ることが出来たためか飯を分けてくれたのだそうだ。浩太郎が祓い屋であり、今もこの山の怪異を調査に来たという話を聞いた私は、握り飯の礼に調査を手伝うことにした。
 無事に仕事を終えると浩太郎は山を下りていったが、それからひと月程後に再び彼は私の元を訪れた。その後は毎月、浩太郎は握り飯を持って山へ来るようになったのだ。私と浩太郎は色々な話をした。彼の仕事の話も家族の話も、私はただひたすらに聞いていた。それが楽しかったのだ。
 ある日、浩太郎が死ぬ三年前のことだった。私は妖者達から風の噂で、浩太郎の住む町で巨大な呪詛が動き出したとの話を耳にした。その土地に住む友人に確認したところ、周辺で一部の妖者達に不穏な動きがあるのは確かであり、呪詛の件も強ち嘘ではないと思ったのだ。
 巨大な呪詛というのは、その土地と瓜二つの並行世界『影世界』を創り出し、現世界と融合させてしまう恐ろしい術だ。これまでも幾つかの土地がその呪詛により闇へ堕ちたことがあるため、私はその件を浩太郎へ話した。影世界を創造される前に連中を根絶やしにすることも考えたが、おそらく既に組織化しているであろう相手に対抗するには戦力不足だった。そこで私達は各地の呪術師や霊能力者を集め、呪術師連盟を創ることにしたのだ。初めは浩太郎の知人達を迎え入れ、結成から一年後にはこの山の一角に人除けの結界を張り、そこへ呪術師連盟の本拠地となる基地を建てた。
 呪詛に対抗する手段はもう一つ存在したが、それはあくまでも最終手段であった。私はその方法を敢えて浩太郎に教えなかったが、彼は自分で調べたらしくその儀式を私に提案してきた。光の当たる場所には影ができる。影のある場所には必ず光がある。呪詛に対抗する方法とは、化物共の創造した影世界と融合される前に真逆の世界と融合し、新世界を創ることだ。儀式の正式な名称は無いが、影世界との融合を『汚染』、光の世界との融合を『浄化』と表現する。しかしそれには、呪詛が行われる町の神体と力を調和させる程の大きな霊媒が必要であり、儀式を行えるのも若い女性に限られていた。
「俺が赤楊の御神体と力を調和させれば、のちに生まれてくる孫へ力を受け継がせることができる。夢をみたんだ。いずれ俺によく似た男の子と、可愛い女の子の孫が生まれてくるという夢をね」
 浩太郎が62歳になった頃、私にそう告げたのである。彼が言いたいことは、件の町にある赤楊神社の神体と自身が霊力を調和させることで、いずれ生まれてくるはずの孫へその力を受け継ごうという内容だった。あまりに無謀すぎる案だと判断した私はすぐさま反対したが、彼は止めなかった。
 数日後、私の前に姿を現した浩太郎は明らかに様子がおかしく、異様な霊気を放っていた。目は赤く光り、自身の力を制御するので精一杯なようだった。
「おそらく、お前と会うのはこれが最後になるだろう」
 浩太郎は私にそう告げてから山を下りて行くと、それから二度と姿を現すことはなかった。彼の霊媒はあまりに強力過ぎたためか、赤楊と気の流れが完全に調和してしまったのだ。そのせいで霊力は極限まで覚醒し、人である彼の中へ神にも等しい力が生まれたのである。
 浩太郎が消息を絶ってからひと月後、彼の遺体が楊島で発見された。赤楊の神体である楊島と完全調和した彼は、最後までその力が消えぬようにしたかったのだろう。
 それから数年後、異界連盟と名乗る連中に接触したが、何もできずに敢え無く撤退した。そこで私達は初めて雨宮浩太郎という男が、いかに偉大で強い霊力の持ち主だったかということを思い知らされたのだ。結局は異界連盟を潰すことは叶わず、今から4年前、遂に影世界は創造されたのであった。

   〇
 千堂さんは全てを話し終えると、今まで座っていた椅子から立ち上がって俺の元まで歩み寄ってきた。
「あの時、浩太郎の肉体を離れた魂はまだ生きていた。人という器から解放されて神にも等しい存在となった彼は、自らの力を二つに分けて生まれてきた孫達へと与えたのだ。君と、君の妹へ」
 俺は訳が分からなくなった。ひなの能力は、確かに生前の祖父が受けた赤楊の力と酷似しているような気がする。だが、俺の中にそんな能力があるなんて感じたことすらない。強いて言えば、サキの言っていた俺の潜在能力ぐらいだろうか。
「俺の能力が・・・祖父のものだと」
「先程も述べたように、この世には光と影が存在する。それは人の心も同じだ。浩太郎は赤楊と調和して覚醒した力を光と影に分裂し、光を雨宮ひなへと託し、影を君の中へと封じ込めた。彼の能力で光というのは調和の象徴、影は不調和の象徴であり、雨宮ひなが霊の力を吸収してしまうのは調和が取れすぎているからだろう」
 千堂さんの言っていることが本当ならば、俺の中に封じられた能力は危険なものなのかもしれない。調和が霊の力を吸収するのならば、不調和は・・・。
「俺の力は、霊の力を反発する能力ってことですか?」
「反発という表現が正しいかは分からないが、君は除霊能力が極めて高いということだ。影世界と相対する光の世界と融合するには、調和の力が必要なのだ。浩太郎は自身の強大な影を君の中に封じた後、4年後に生まれてきた君の妹へ光を与えた。光の力も抑え込んだはずなのだが、どういうわけか彼女の中で目覚めてしまったらしい。その結果、あのような事件が・・・」
 忘れもしない。3年前の7月10日にひなが殺された事件だ。サキの話によれば、彼女の霊は今もなお悪霊の力を吸収して暴走し続けているらしい。
「おそらく、調和の力を抑えるのに必要な不調和の力が足りなかったんでしょう」
 そこでゼロが初めて口を開いた。彼はこの部屋に入ってから今まで一言も話していなかったので、皆の視線は一気にゼロへと集中した。
「影を制するには光が必要で、逆に光を制するのも影です。しぐるさんに影を封じる際は浩太郎さんの中にも十分な光の力があったはずです。しかし、ひなちゃんに光を与える時には既に影の力をしぐるさんへ与えてしまっていた。だから、ちょっとした弾みで力が目覚めてしまう可能性は高いかと思います」
 千堂さんは、覚醒した祖父の力を人という器に収めることは難しいと言っていた。そのために影の力を先に生まれてきた俺に与え、後から生まれて儀式を行える条件を満たしているひなに光の力を与えたと考えれば辻褄が合う。と、そこで俺は何かがおかしいことに気付いた。
「あの、みんな一番大事なところに触れてないけどさ・・・ひな、はもういないんだぞ。儀式って誰が・・・」
「あたしが、代わりにやるの」
 俺の疑問に答えたのは鈴那だった。驚いて彼女を見ると、少し俯いていて表情は緊張しているように見える。
「鈴那・・・どういうことだ?」
 俺が狼狽えていると、鈴那の隣にいる日向子さんが口を開いた。
「鈴那ちゃん、こうなることは3年前から決まってたのかもしれないの。この子のお母さんは浩太郎くんと親の代から知り合いでね、浩太郎くんから一連の話を聞いてたのよ。ね、千堂」
 日向子さんはそう言うと千堂さんを見た。この二人、知り合いだったのか。
「鬼灯の言った通りだ。雨宮ひなが亡くなった後、城崎夏陽という女性が私の元を訪ねてきた。彼女は自分が浄化の儀式を行うから、赤楊と霊力を調和させてくれと言ってきたのだ。確かに夏陽は霊媒として素質のある人間だったが、体が弱く歳も儀式が行える条件を満たしていなかった。そこで彼女は、同じ霊媒である自分の娘に力を託したのだ」
 千堂さんの発言に対して日向子さんは気に入らない部分があったらしく、何か小言を言っているが俺の頭はそれどころではない。
「ちょっと、わたしのこと鬼灯って呼ばないでくれる?日向子ちゃんなのっ!とにかく、夏陽ちゃんは鈴那ちゃんに調和の術を施して赤楊の御神体と力を調和させたの。もちろん、危険が伴わないよう僅かな力だけどね。ただ、その術が夏陽ちゃんの体に負担をかけたみたいで、三年前の秋に・・・」
 日向子さんがそこで話すのを止めると、今度は鈴那が自分から話し始めた。
「ママ、あたしに日記を残してたの。その日記の最後に、あたしへのお願い事が書かれてた。雨宮ひなちゃんと一緒に浄化をしてほしいって」
 どういうことだ?鈴那が赤楊の御神体と力が調和されていて、浄化の儀式を行うということはわかった。だが、ひなと一緒に儀式を行うという言葉の意味が・・・まさか!
「もしかして、ひなの霊を!」
 俺の思い付いたことが正しければ、確かに儀式は行える。しかし、なぜこのタイミングでひなの霊が現れることを鈴那の母親は知っていたのだろう。
「強い霊は強い力に引き寄せられる。呪詛を成功させるには強大な怨念が必要なため、その条件が利用されるのだ」
 千堂さんが俺の心を見透かしたかのように言った。鈴那の母親が千堂さんからそのことを聞かされていたとすれば、日記に書かれた内容にも納得がいく。だが、それにしてもひなを悪霊の力から助け出せなければ意味が無い。と、そこで露の肩に乗っていたサキが俺の思ったことを口にした。
「でもよぉ、あの子は悪霊の力で暴走してんだぞ。もし止められなかったらどうするつもりだ?まさか千堂、お前こんな僅かな可能性に賭けてんのか」
 千堂さんはサキの言葉に迷うことなく頷くと、俺の肩に手を置いて優しく微笑んだ。
「浩太郎が死んだ時も、影世界が創造された時も、雨宮ひなが死亡した時も、私は何度も駄目だと思った。だが不思議なことに、1つ希望が消えるとまた新たな希望が1つ見えてくるのだ。しぐるよ、雨宮ひなの暴走を止められるのは対の力を持つ君だけだ。そしてサキ、彼を支えてやってくれ」
 サキにも言われたが、やはりひなを助けられるのは俺だけなのか。まさか、サキも初めからそれをわかった上で今まで協力してくれていたのか?
「千堂さん・・・俺、必ずひなを助けます。あとサキ、お前もしかして全部知っていて・・・」
「あ、何を?」
 俺の言葉を聞いたサキは首を傾げた。
「え、だってほら、今までひなのこと気にかけて協力してくれてたんだろ?それにお前もあの時、ひなちゃんを止められるのはお前だけって俺に・・・」
「いや、知らねーよ。ありゃただ呪術師連盟は汚染浄化云々で手が回らねーと思ってたからお前しかいないって言っただけで、お前にひなちゃんと対の力があったなんて初耳だわ。ってかお前の中にバリアで封じられてた膨大な霊力ってそれだったんだな!納得だわ~」
 サキはそう言って笑った。少しでもコイツに感動してしまった俺自身を殴りたい。それでも、今まで俺達を助けてくれたのは事実だ。俺は露の肩で笑うサキを見て言った。
「よろしく頼むな、最後まで」
「おう」
 サキはチョロリと舌を出して頷いた。目覚めたのが最近とはいえ、コイツとは三年の付き合いだ。サキとなら、絶対にひなを助けられる気がする。
「さて、そろそろ総括するとしようか」
 千堂さんはそう言って、先程まで座っていた席に戻り話を続けた。
「既に呪詛の準備は進んでいる。二つの儀式が行える条件は太陽暦の盆、8月15日の黄昏時であること。つまり明日、全ての運命が決まるのだ。しぐる、浩太郎の想いは託した。鈴那、しぐるを信じなさい。そして零・・・」
「はい」
 千堂さんに名を呼ばれたゼロは表情を変えずに返答した。確かゼロは人ならざる者に対して警戒心を抱いていた。この前春原の言っていたことからすると、もしかしたらゼロは千堂さんのことが気に入らないのかもしれない。
「零、もっと肩の力を抜きなさい。君は真面目過ぎるから、あまり気を張っていると疲れてしまう。明日に備えて、この後はゆっくり休みなさい」
「会長・・・ありがとうございます!」
 ゼロは緊張感が少し解れたのか、そう言って笑顔になった。どうやら彼が千堂さんのことを嫌っているというのは俺の勘違いだったらしい。
「明日か」
 俺はそう呟くと、千堂さん達から聞いた祖父のことや鈴那のこと、そして明日のことを頭の中で整理した。デスゾーンを壊したことで霊の狂暴化を抑えたとはいえ、暴走しているひなの力は侮れない。あの子を助けるには、俺も力を解放するしかないのか。力の封印を解くには、きっと・・・脳裏をよぎった1つの方法を心に抱き、そして覚悟を決めた。

   〇
 作戦会議を終えた俺達は各自帰宅することになり、俺と鈴那と露、そしてサキは長坂さんの車で帰ることになった。日向子さんはゼロ達に用があるらしく、雅人さんの車で帰ると言っていた。途中のサービスエリアで一旦休憩することになり、長坂さんは駐車場へ車を停めると深く溜め息を吐いた。
「明日・・・俺の最後の大仕事になるかもしれんな」
 赤楊神社・・・俺達が住む土地の氏神を祀っており、長坂さんの管轄する神社だ。つまり、明日の儀式には長坂さんの協力も必要である。呪術師連盟がこの人を呼んだのは、禁術使いの御影としてではなく、神主の長坂として協力してほしかったからだろう。
「そういえば、神主辞めるみたいなこと言ってましたっけ」
 俺の言葉に長坂さんは「うむ」と頷き、全てが終わった後にやりたいことを話してくれた。
「喫茶店をやろうと思ってね。しぐる達も遊びに来てくれるか?」
「もちろんですよ。禁術使いの淹れるコーヒー、楽しみにしてますね」
 俺がそんな冗談を言うと、長坂さんは困ったような顔でクックッと笑った。
「勘弁してくれ。さて、少し外の空気でも吸おうか」
「そうですね。鈴那、ちょっとそこら辺見てこない?」
 俺の提案に鈴那は頷き、皆で車を降りると俺達はサービスエリアの施設を何気なく見て回った。
「もうサキさん!その尻尾から出てる炎なんとかならないんですか!熱くはないけどおっかないですよ!」
「無理だっての!出ちまうもんは仕方ねーだろ。それより露ちゃん、さっき俺様のことぶん投げた詫びとして今夜は一緒に風呂入ろうぜ」
「う・・・へ、変なこと考えないなら、いいですよ」
「いや、考えるわ」
「だめですっ!このすけべ蛇!」
 先程から後ろのほうで露とサキが茶番を繰り広げているが、これも俺の中では日常の一部となってしまった。隣を歩いている鈴那は明日のことで緊張しているらしく、車を降りてから一言も喋っていない。
「鈴那、明日のこと心配?」
 俺の質問に彼女は小さく首を振った。表情はどこか切なげで、何かを言いたそうにも見える。
「少しだけ、不安だよ。でもね、千堂さんがしぐを信じなさいって言ってたし、しぐなら何とかしてくれると思えるから。だって・・・」
「だって・・・何?」
 彼女は一呼吸置いてから、俺と向かい合って話し出した。
「あたし、この町に来てからずっと何か大事なことを思い出しては忘れてた気がするの。それがしぐに会ってからもっと心に引っかかるようになって、ずっと何かを伝えたかった。それが昨日、夢の中でママと話してやっとわかったの。昨日だけじゃない、今までもずっとママは夢で伝えてくれてたんだ。しぐのことも、ひなちゃんのことも全部・・・」
 鈴那の話を聞き終えた直後、俺の頭では彼女と出会ってから見たこと聞いたことが少しずつ繋がっていくような気がした。鈴那が家出をしてこの町に来たこと、俺と出会ってから時々何かを言いたげだったことも、3年前からずっと彼女の母親が望んでいたのだとしたら、きっと明日も・・・。
「鈴那、ありがとう」
 俺がそう言うと、彼女は照れ臭そうに笑った。それは何の変りもない、いつもの笑顔だった。正直、俺にはまだ理解できていないことも少なくない。それでもやるべきことは明確で、俺の心に迷いはないのだ。明日より先の未来が消えて無くなる前に、この手で大切な人達の笑顔を守ってみせる。
「おーい、そろそろ帰るぞー」
 不意に長坂さんの声がしたのでそちらを見ると、既に露とサキは一緒に居て楽しそうに笑っている。
「はーい!」
 俺はそう返事をして、長坂さん達の待つ方へ二人で歩いていった。俺達の町へと帰るために。

デイドリームリバイブ

 サンサンと町を照らしていた太陽は、いつの間にか見えなくなった。まだ、日が沈んだわけでもないのに。
今日の空は赤色に染まらない。灰色の雲がいっぱいに広がって、泣き出してしまったから。
 傘を持ってない私は、近くの公園にある屋根の下で雨宿りをした。
お兄ちゃんに連絡して、迎えにきてもらおう。とは言っても、見える景色の中に公衆電話は見当たらない。しかも、今日はお兄ちゃん、体調不良で学校お休みしてるんだった。
私はベンチに腰を掛けながら、何となく空をながめた。
雨で濡れちゃった服を早く乾かしたい。このままじゃ、風邪ひいちゃうよなぁ。
「はぁ~、散々だね」
 覚えたての単語を吐いた私は、今日の学校であった出来事を思い返した。
 仲のいい友達はお休みで、3時間目の体育の授業では頭にボールが当たって、昼休みには男子たちが教室にセミを持ってきて・・・今は突然の雨に足止めをされてる。ほんと、ムカつくを通り越して呆れちゃう。こんなこと、お兄ちゃんに話したらめちゃくちゃ心配されそう。
 ぼんやりとそんなことを考えながら、まだ背負ったままのランドセルを膝の上に置く。
 気付いたら、何かがゆっくり近づいてくるのが見えた。それは金魚みたいな、宙を游ぐ魚だった。魚は私の前まで来ると、ゆっくりと口をパクパクさせた。サッカーボールぐらいの身体を、ユラユラとさせながら。
「たぶん、君も散々だったのね」
 魚の気持ちは解らないけど、なんだか寂しそうな雰囲気だなと思った。
「はぁ、今日の占いは12位だったの。案外あたるんだよね~・・・今日はお兄ちゃんも体調悪いみたいだし、やっぱり雨が止むまで待ってようかなぁ」
 私の話に魚は何も反応しないで、ただユラユラと浮いてるだけ。
「あ、もしかして私の能力を狙ってるの?だーめ、どうせ君みたいなのは取り込まれて終わりだよ」
 私の力は、こういう不思議な存在を取り込んじゃう不思議な力。小さい頃に比べたら慣れたけれど、いまだに力を抑えられないこともある。
「私、バケモノだから・・・なーんてね。あーあ、早くお兄ちゃんに会いたいし、走って帰っちゃおうかなぁ」
 そう言ってから数分、私は魚とにらめっこしたまま雨が止むのを待った。
「あ、止んでた」
 ふと気が付いた時には、もう雨は止んでいた。いつの間にかぼーっとしちゃってたみたいで、さっきまで目の前にいた魚はいなくなっていた。
 私はベンチから立ち上がると、泣き止んだ空の下を歩き出した。今日は最悪な一日だったけど、夜はきっといい日になるよね。お兄ちゃんも、お母さんも、家で待ってるんだから。

   〇
「まぁ、それからすぐにお母さんは死んじゃったんだけど。まさか、その1年後に自分が死ぬことになるとはね。今じゃもう慣れちゃったよ。暴れまわってて、慣れちゃったとか言うのはおかしいかもしれないけど」
 夏空の下の砂浜で、私は1人のお姉さんに色んな思い出を話していた。お姉さんは私の話を聞いているうちに、声を出して泣き出しちゃった。
「ほんとにごめんねえええええ!あたしのせいで死なせちゃってええええ!うわあああん!」
「だから、あゆみさんのせいじゃないってば!もう、泣きすぎだよ~」
「だってぇぇぇ・・・お兄さんのこと、心配でしょぉ・・・まだ小学生でやりたいことも沢山あったでしょおおおお!ごめええええん・・・!」
 この人は、すっごく泣き虫。でも、私のために涙を流してくれるんだから、心が優しいんだよね。
「たしかに死んじゃったけど、あゆみさんは悪くないの!あゆみさんをこんなふうにした悪い人たちがいけないの!大丈夫だよ、ほんとに。だって、もうすぐお兄ちゃんが助けに来てくれるから」
「ぐすん・・・そうなの?」
「うん、だってこの町は・・・私の生まれた町だもん」
 お兄ちゃん、元気にしてたんだね。また会える日が来るなんて、本当に嬉しいよ。信じてたんだ、だから・・・

「待ってるよ」

感傷ナイトメア

 夢を見た。真っ白な世界で、俺の前には1人の女性が立っている。そういえば、この前も夢の中で会ったことのある人だ。
「やぁ、しぐるくん。3日ぶりぐらいかな?」
 女性は俺にそう言って微笑んだ。その笑顔には、俺の大切な人の面影がある。
「お久しぶりですね。えっと、名前は・・・」
「夏陽(なつよ)、鈴那のママです」
「ああ、夏陽さんでしたね。すみません、忘れてしまって」
「いいのいいの、この前は少ししか話せなかったからね。今回も、あんまり時間は無さそうだけど」
 俺はその言葉へ直ぐに返事をすることができず、少しのあいだ真っ白な世界に沈黙が流れた。
「へへ、ちょっと話しにくいかな。前回も中途半端なところで終わっちゃったし」
「え、いや、そんな・・・大丈夫です。全て千堂さんから聞きました」
 俺が言ったことに「うんうん」と頷いた彼女は、少し切なげな表情で目線を下へと向けた。
「鈴那は・・・だいぶ落ち着いたかな」
「はい、最初会った頃は不思議な子だな~なんて思ってましたけど、今では本当に頼りにしてます。まぁ、出会って1か月も経ってないですけど」
「いいんだよ、鈴那が成長するには君が必要だったんだ。それに、ひなちゃんも・・・」
「夏陽さん、祖父やひなのために色々ありがとうございます。あとは俺が何とかします」
「そう言ってもらえると心強いな~。ありがとうね、しぐるくん。さて、そろそろ時間みたいだよ。それじゃあ、次の世界で出会えたら・・・」

「また、話をしようか」

   〇
 午前9時、神原探偵事務所に集まった俺達は、最後の作戦会議を開いた。雅人さんは俺達に作戦内容を伝えると、通信機を手渡してきた。どうやら、これで連絡を取り合うらしい。わざわざこんな物まで用意して・・・高かっただろうに。
「必要なことがあれば、いつでも情報交換をしてほしい」
 雅人さんはそう言って、自分用の通信機を手に持ってみせた。
「了解っす。まさか俺がこんな大役を任されるとは。なぁ、しぐちゃん」
 右京さんがヘラヘラと笑いながら言った。この人と蛍ちゃんは、俺がひなを救出する際の補助をしてくれるのだ。俺からしても、信頼している右京さんがいてくれるのは心強い。
「右京さん、よろしくお願いします」
「おうよ!」
 そして、ゼロと春原は楊島周辺の護衛、各支部の支部長と昴は楊島の護衛と浄化の補助、鈴那と長坂さんは浄化を行う。市松さん達は、既に異界連盟の妖怪共と戦うため、島を中心に待機しているらしい。
「なぁ、日向子さんは?」
 俺は日向子さんの姿が見えないことに気付き、隣にいたゼロへと訊いてみた。
「向こうの世界でやることがあるので、行きました」
「向こうの世界って?」
「浄化で融合させる世界です。僕らが行く前に準備をするらしくて」
 準備・・・俺はまだ、影世界どころか、その反対側である『光の世界』のことすらも詳しく知らない。この町と瓜二つと言うからには、別の俺達も存在しているのだろうか。それとも、人のみが存在しない町が広がっているのだろうか。もし前者が正しいのならば、世界が造られた4年前から後に死んだ人間、ひなはどうなっているのか。それなら、4年前の夏に死んだ母さんは・・・?
「なぁ、影世界とかが出来たのって、4年前の何月何日か分かるか?」
 俺の問いに、ゼロは少し考えてから首を横に振った。
「ちょっと分かりませんね。会長からも、その辺は詳しく聞かされてないので」
「そうか・・・ありがとう。もしかしたら世界を浄化すれば、ひなが戻ってくるんじゃないかと思ったんだけど。だめかな」
「しぐるさんは、ひなちゃんを助けられると思いますか?」
 ゼロは、俺の目を真っ直ぐ見てそう訊ねてきた。そんなのは決まっている。助けられるかどうかではなく、助けてみせるのだ。
「助けるさ、必ず」
「なら、大丈夫ですよ!」
 そう言ってゼロは笑った。大丈夫とは、どういう意味なのだろうか。彼は何かを知っているのか?それを訊こうとした直後、誰かが俺の肩をポンと叩いた。
「しぐちゃん、そろそろ行くぜ」
 右京さんだった。どうやら、俺達はもう出発する時間のようだ。
「しぐるくん、頼んだぞ」
 雅人さんはそう言うと、俺に向けて親指を立てた。それに返すように、俺も親指を立て「大丈夫です!」と言った。

   〇
 右京さんの車は、俺の頭に乗っているサキの指示通りに進んでゆく。ひなは既にこの町へ来ているようで、俺も僅かながらその気配を感じ取っていた。この気配を懐かしいと感じるのは、相手がひなであるという先入観なのかもしれないが、この町に渦巻く理由のない悪意の中で、呑み込まれそうな彼女の意思を感じずにはいられなかった。
「見えた!近いぞしぐる!」
 サキがそう言って、俺の頭から飛び降りた。右京さんは海と松林のある公園の駐車場に車を停め、ここからは徒歩で行くことになった。
「蛍、人形そのまま連れていけるか?」
「うん」
 右京さんの娘さんである藤堂蛍ちゃんは、人形術という一風変わった能力の使い手である。以前、その術を見せてもらったことがあるのだが、数体のマリオネットを操作して悪霊を制圧するその光景には圧倒されたものだ。
「しぐる、俺様はとりあえずお前さんに憑依しとくぜ。危なくなったら自分で抜け出すから、本気で行けよ!」
 サキは先の無い尻尾で、俺の頭をポンと叩いて言った。本日1回目の作戦、その担当が俺だ。成功するか分からない作戦だが、試してみる価値は十分にある。
「わかった。サキ、ありがとうな」
「しぐちゃん、今回どんな作戦でいくの?」
 俺とサキの会話が気になったようで、右京さんがそう訊ねてきた。
「俺の力は、まだ完全に目覚めてない。だから、暴走しているひなの力に俺の力をぶつければ、俺の力も上手く覚醒してくれるんじゃないかと思って。それまでは、サキの憑依で応戦するつもりです。右京さんは術でサポートを、蛍ちゃんは人形で俺達を包囲してほしいんです」
「まじかよ!けっこう危ないなぁ・・・でもそれしか無いもんな。よし!二流呪術師だが、サポートは任せとけ!」
 右京さんがそう言って俺の肩に手を置いた。
「右京さんは二流じゃないですよ!俺にとっては、流星時雨を伝授してくれた第二の師匠みたいな人なんですから」
「やだなぁ、照れるじゃん!まぁ、頑張れよ!」
 そんな会話をしながら松林の遊歩道を進んでいると、不意に例の気配が強くなるのを感じた。
「しぐる、行くぞ」
 サキがそう言い終えるや否や、俺の身体に憑依した。
「ああ、憑依・・・!」
 某ヒーローの「変身!」と似た、申し訳程度の決め台詞を言った俺は、通信機のイヤホンへ当たる風が変わったのを皮切りに、理由のない悪意が漂う方向へと歩み始めた。
「夏風ノイズ。こんな変わり者の風は、そういう名前がお似合いかもな」
(どうしたよ、お前らしくもねぇこと言っちまって・・・死ぬなよ?)
 俺の言ったポエム擬きに若干引き気味のサキは、それが死亡フラグとでも言いたいかのように注意を促してきた。
「死なねーよ。俺の任務は、ひなを助けることだけじゃないからな」
 俺の・・・俺達の前には、黒い悪意の竜巻が、もうすぐそこまで迫ってきていた。
「最大出力で行くぞ」
 俺はそう言うと、黒い竜巻の上まで飛んで突破口が無いかを確認した。が、どう表現すればいいものか。普通に例えるならば、隙が無いと言うべきなのだろう。技を打ち込む隙間が無いという意味でもあるが、渦巻く悪意の分厚さというか、威圧感のようなものが凄まじいのだ。だが、それに怯んでもいられない。俺は手始めに、黒い竜巻へ向けて気功を撃ちこんだ。
「ひな!その中にいるんだろ!いたら返事してくれ!」
 気功と俺の言葉は、竜巻の轟音と共に掻き消された。やはり一筋縄ではいかないだろう。そう思い、一旦地上へ降りた俺は、身体全体に念を込めて竜巻に突進した。
(おい!いくら何でも無謀すぎんぞ!)
 頭の中にサキの声が響いたが、悪いけど構っていられない。この中にひながいることは分かっているのだ。冷静に考えているより早く行動を起こしたい。
「うおおおおおおおおっ!!」
 全力で叫びながら突っ込んだ俺は、呆気なく突き飛ばされて松の木に背中を強打した。やばい、サキがバリアを張ってくれていたから助かったが、それでも息が苦しい。
(ったく、お前バカか!そのまま突っ込むとか危険すぎる!周りよく見ろ、右京達とタイミング合わせて行くぞ!)
「え?」
 サキの言葉で周囲を見渡すと、木の上では右京さんが術の陣を準備しており、蛍ちゃんはマリオネットで竜巻を包囲し、力を弱める術を試みている。
「もう一回いけるか?しぐちゃん」
「いけます!」
 全く、自分で立てた作戦を忘れて勝手に突っ走るとは、俺もなかなかの馬鹿である。クラスメイトの山岡や遠藤に馬鹿だなんて言えないな。
「奥義・流星時雨!」
 右京さんが竜巻へ向けて術を撃った直後、蛍ちゃんのマリオネットはその場を退き、俺は最大限の力を込めて再突進した。
「除霊タックル!」
 と、今考えた技名を必死に叫びながら。
(なんじゃその名前・・・)
 サキの呆れた声が聞こえ、右京さんの術が竜巻へと直撃し、そこへ俺が突っ込んだ。気が付くと、俺は黒い竜巻の中で、無意識のまま立ち尽くす少女へ手を差し伸べていた。少しずつだが、前に向かっている。この手は必ず届かせる!
「大丈夫・・・!ひなッ!」
 無機質な悪意の中に響いた俺の声は、彼女に届いただろうか。気付けば俺の中でサキの声は聞こえなくなり、不思議と身体が軽く感じるようになっていた。
 伸ばした俺の手は少女の手をしっかりと握りしめ、悪意の渦に抗って抱き寄せた。その瞬間、いつか見た夏風に吹かれる花が、心の中に咲いた気がした。
「ひな、ずっと伝えてくれていたんだな」
 次第に俺の意識は遠退き、次に目を覚ました場所は、見覚えのある無人駅のホームだった。いつかの夢で見た、あの風景・・・俺は近付いてきた電車へ乗り込むと、適当な席に座った。電車は途中の駅で止まることなく、気付けば終点が近くなっていた。
 俺はその駅で降りると、何となく歩き始めた。違う、何となくではない。道を覚えていたのだ。この場所は、あの時みた夢と同じ海辺の町だ。
 海岸沿いの土手を歩いていると、砂浜で立つ一人の少女と、蹲る一人の女性が見えた。俺は少女が誰なのか直ぐに分かり、砂に足を取られながらも急いで駆け寄った。
「ぐすん・・・もう、これ以上なにも壊したくない・・・どうして世界を呪ったりしちゃったんだろう。あたし、馬鹿だ・・・」
「そんなことないよ!あゆみさんは悪くないって・・・もう何回言ったんだろう。私達が助けるから・・・もう、終わりにしよ」
 嘆く女性に向けて言い聞かせていた少女は、そう言ってから俺の方を振り向いた。彼女は、三年前の姿のままでそこに居た。
「ひな・・・!」
「待ってたよ、お兄ちゃん」
 俺はひなの元へ駆け寄ると、そのまま優しく抱きしめた。彼女の身体は冷たかったが、心は確かに息をしているように感じた。
「ずっと・・・ずっと探してたんだ。お前が死んでから、俺に欠けた何かを。けど全然見付からなくて、気付いたら自分が自分じゃなくなっているような気までしてて・・・支えてくれる仲間は沢山いた。みんなに迷惑かけっぱなしで生きてきた。けど、やっぱりお前のいない人生なんて、俺にとっては価値なんて無かった」
 ひなを抱きしめたまま、心の底から溢れだした感情をぶつけるように話し、涙を拭うこともしないでひたすら流し続けていた。
「お兄ちゃん、ちょっと苦しいってば」
 ひなが苦笑しながら言った。俺は抱く力が強くなっていたことに気が付き、慌てて彼女から少し離れる。
「あ、ごめん・・・い、色々話したいことあるけど、今はやるべきことやんなきゃな」
「うん・・・でも、ありがとね。助けに来てくれて」
 ひなはそう言って、3年前と同じ笑顔を俺に見せてくれた。こんな時でも笑顔になれるなんて、やっぱりひなは強いな。
「あ、そうだお兄ちゃん、このお姉さんの力を私が取り込んで暴れちゃってるの。早く助けてあげないと!」
 俺はひなの後ろで蹲っている女性のほうを見た。彼女は、まだ泣いていた。
「ひなが、お世話になりました。あの、あなたを助けたいんです。協力させてください」
 俺は女性と同じ目線まで屈むと、そう言って手を差し伸べた。無論、彼女の力によってひなが死んだのは事実だ。だが、彼女もまた被害者だということも分かっている。今は、二人とも助けなければ意味がない。
「あたし・・・世界を呪っちゃったんだ。親から虐待されて、学校でもいじめられて、何度も何度も自殺しようって考えたけど、やっぱり死にきれなくて。でも、助けてくれた人がいたの。もう大丈夫って。でも、それも結局は嘘だった・・・あの人はただオモチャが欲しかっただけ。あたしは都合のいい人形でしかなかったの。だから・・・あたし、彼を殺して、自分も死んだんだ」
 ひどい話だ。この世界から一方的に虐められた挙句、自ら命を絶つだなんて。理不尽だ、本当に。
「初めて人を殺した感覚が、自分が死んでからも怖くて、その怖さだけがどんどん強くなっていって・・・気付いたら親も、あたしを虐めた子たちもみんな呪い殺してた。それからワケが分からなくなって、気付いたら隣にひなちゃんがいて・・・」
 女性は話し終えると、再び泣き出してしまった。その様子を見たひなは、女性の頭を優しく撫でている。
「あゆみさん、私がここにいるのは、あゆみさんのせいじゃないんだよ。あのときは、ただあゆみさんの力が暴れちゃってて、だから私の能力に引き寄せられちゃったんだよ。私は大丈夫だから、もう悲しまないで」
 ひならしい言い方だ。この子は昔から自由気ままだが、人に優しくて誰よりもしっかり者で、俺の・・・憧れだ。
「ひなちゃん・・・ありがとおおおお!!うわあああん!!おっ、おにいさんも・・・助けにきてくれてありがとうございますうううあああん!!」
「え、いやぁ、俺はまだ何も・・・でも、必ず助けます!ひな、行けそうか?」
 俺の問いかけに、ひなは笑顔で頷いた。
「うん、もちろんだよ!ずっとこの時を待ってたんだ」
 ひなはそう言って、俺に左手を差し出してきた。俺は彼女の左手を右手で握り返し、二人でもう片方の手を夏空に翳した。
「止めよう、この暴走を」
 ひなの力が暴走している今の状況ならば、彼女と対の力を持つ俺が暴走を止められる。今ここにいる、ひなの力を借りて。
「あゆみさん、もう大丈夫。お兄ちゃん、頑張ろうね!」
「ああ、いこう!」
 俺達が力を解き放った瞬間、海辺の風景は一瞬にして何もない真っ白な風景へと移り変わった。
「止まった・・・」
 僅かな沈黙の後、女性がそう呟いた。確かに、先程まで感じていた妙な気の流れは完全に消え去り、ひなも嬉しそうな顔をしている。
「あ、結構あっさり止められたな」
「私とお兄ちゃんが力を合わせれば最強ってことだね!やったー!」
 俺とひなはハイタッチをした。何年ぶりかのハイタッチだ。
「ありが・・・とう・・・!」
 先程まで蹲っていた女性が、気付けば立ち上がっていた。彼女は涙を流しながらも、嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう、ありがとう・・・!ごめんね、こんなに長い間迷惑かけて。ひなちゃん達にも、この世界にも・・・」
「もう、大丈夫です。これからは、せめて・・・安らかにお眠りください」
 俺がそう言い終えた頃は、もう既に彼女の姿が消えかかっていた。笑顔で、手を振りながら。あの海辺の町は、彼女の中にあった心象風景のようなものだったのだろう。彼女が現世の束縛から解放されることで、その風景も消えたのだ。
「お話してくれてありがとう、あゆみさん」
 ひなの声を聞いた直後、俺は凄まじい立ち眩みに襲われて意識を失い、気付けば右京さんと蛍ちゃんが俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「あっ、気が付いたか!よかったぁ・・・竜巻の中に入ってったと思ったら、暫くして急に静かになったから心配してたんだが、成功したんだな!立てるか?ひなちゃん、そこにいるぜ」
「え、あ、どうも。ひな!?」
 ひなが、いるだと!?どういうことだ!低血圧だったはずだが、妙に軽い身体を起こしてみると、先程まで黒い竜巻が渦巻いていた場所では、赤い目を眠たそうに擦るひなと、その横で彼女を見つめるサキの姿があった。
「ひな!お前、その姿は・・・?」
「ん、お兄ちゃんおはよ~。私?いま幽霊になってるから、身体がふわふわしてる感じだよ~」
 初めてだ、幽霊とこんなふうに会話をしたのは・・・ひながこうして実体を保っていられるのも、彼女の能力なのだろうか。
「お、おはよう。あ、そうだ!ひな、たぶんもう成仏したいかもしれないけど、最後に一つだけお願いがあるんだ!聞いてくれるか・・・?」
「ん?いいよ!っていうか、そっか~・・・死んでるから成仏しないといけないんだね。散々だなぁ・・・ま、いいや。お願いってなに?」
 ひながここまで楽観的なのは、死んでから3年も経ってしまっているからなのだろうか。昔は自分のことをバケモノだなんて呼んでいたのに、成長したな・・・と言うべきなのか?
「今この町はな、巨大な呪詛で人の世界じゃ無くなろうとしてるんだ。その呪詛を止めるには、お前の力が必要なんだ。楊島に城崎鈴那っていう霊媒の女の人がいるから、彼女に憑依して町を救ってほしい。詳しい話は向こうで教えてもらえると思う。まずは右京さんの車で楊島に向かおう」
 ここで俺は「幽霊も車に乗れるのか」という疑問を覚えたが、心霊スポットの怪談でそんな話をよく聞くので、まあ大丈夫だろう。
「う~ん、話が難しいね・・・でもわかった!私にしかできないことなら、私がやるしかないよね!」
「ありがとう!それと、ひな」
「うん?」
「大好きだよ。どんなに離れていても」
 俺の言葉を聞いたひなは、嬉しそうに抱きついてきた。今更だが、シスコンここに極まれりだな。
「お兄ちゃん・・・またいつか、会えたらいいね」
「ああ、またいつかな」
「ちょいちょいちょいちょい、いくら3年ぶりの再会とはいえ兄妹でイチャイチャしすぎだろ~!おいしぐる、露ちゃんが妬いちまうぜ?」
 兄妹水入らずの時間に突如として乱入してきたサキは、そう言って俺の頭に乗っかった。
「あ!あの時のヘビさん!生きてたんだ~」
 そう言えば、ひなはサキとも知り合いだったか。彼女が死ぬ直前、最後に言葉を交わした相手はサキだ。
「久しぶりだなぁ~!って今頃気付いたのかよ!生きてたぜ、しぐるのおかげでなぁ」
「よかった~、あのときは巻き込んでごめんね。あと、助けようとしてくれてありがとう!」
「な、なんだよぉ照れ臭いじゃねーか」
 ひなが楽しそうに話しているのを見て、俺はこの上ないほど嬉しくなった。だが、これから喜んでばかりもいられない。この町の脅威を、何としてでも阻止しなければならないのだ。
「サキ、右京さん、蛍ちゃん、ひなをお願いします」
「え・・・しぐちゃん、これからどうすんの?」
 俺は通信機を使い、ひな救出の任務が終わったことを知らせると、そのまま次の任務を遂行すると告げた。
「おいおい、少しは鈴那ちゃん達に顔見せてけよぉ。それにお前さん一人で大丈夫か?俺様にできることがありゃ力を貸すぜ?」
「サキ、俺の力は完全に目覚めた。お前はもう俺に憑依できないだろ。だから、お前は向こうに行って露を守ってやって欲しい。それに・・・」
 今はこの町を救うことが大切だ。そのために、俺は早く敵地へ赴かなければならない。浄化の儀を行うのであれば、当然ながら汚染の儀を行っている異界連盟の者が存在する。影の力が蔓延る領域に抵抗なく乗り込めるのは、影の力のみを持つ俺だけだ。つまり・・・
「今の俺は、浄化された楊島に入れないからさ」
 俺はそう言って精一杯の笑顔を作った。本当は寂しさで胸が張り裂けそうなのを、誰にも悟られないように。イヤホンからは、浄化の準備が整ったという昴の言葉が聞こえてくる。
 さぁ、ここからは俺一人の作戦だ。

デイドリームリマインド

 黒い竜巻が過ぎ去った後の空気は、まだ淀みを残していた。それが先程までの強力な霊気によるものなのか、それともまた別の何かなのか。それは定かではない。炎天下の林道を走り続けていると、少し開けた場所に出た。ここへ来て、ようやく霊気の正体を判別できた気がする。
 誰かが、来る。
「しぐる、どこへ行くんだ?」
 俺の前に立ちはだかったのは、予想もしていない人物だった。一瞬、思考の停止した俺は、なぜその人物から霊気を感じ取れたのか等と考えている余裕すら無かった。
「親父・・・」
「こんなことを聞く必要も無いか。首領様のところへ行くんだろう?そうはさせないがな」
 なぜだ?なぜ親父がそんなことを言うのだ。と、そこで俺は、一昨日サキが言っていたことを思い出した。親父に、サキの姿が見えているという主旨の発言だ。
「どうしちまったんだよ親父!まさか、本当に超能力を・・・」
「これは首領様から恵んで頂いた力だ。使い果たせばそれまでだが、力の影響でお前たちのように霊や妖怪を見ることができるようになった。今日はあの蛇は連れていないんだな」
 まさか、そんなことがあり得るのだろうか?異界連盟の首領とやらは、能力を他者に分け与えられる程の力を持っているというのか?
「どうして・・・どうして異界連盟なんかに!俺は昔からアンタの考えてることがさっぱり分かんねぇ!こんなこと、母さんだって望んでないだろ・・・」
「お前はまだ何も知らない。お前の母さんがどうなったのかを、その真相を」
「何、言ってるんだよ。母さんは4年前に急死して・・・」
 そうだ。母さんは4年前、ひなが亡くなる約1年前に死んだのだ。まるで眠るように。若すぎる死だった。心臓麻痺とのことだったが、詳しい原因は分からなかった。
「あいつは、影世界の創造と共に魂が呑まれたんだよ。3年前にひなが死んでから少し経った頃、俺は首領様に出会い、この話を聞かされた。ひなの件を相談した霊能力者が、偶然首領様だったのだ。初めは首領様が影世界を創造したことに憤りを感じたが、影世界との融合に成功すればあいつも・・・お前の母さんも元に戻るということを教えられた。俺は彼女を救うためならば、この町など・・・!」
「ふざけんなよ・・・この町が影に堕ちたら、母さんが戻ってきたところでどう生きていけばいいんだよ!」
「町を出ればいいじゃないか。この町が異界と化すまえに家族で逃げるんだよ・・・勿論、露も一緒にな。第一、浄化とかいうのが成功したところで、ひなや母さんは戻って来ないだろう!しぐる、今からでも遅くない。俺達のところに来い・・・!」
 親父はそう言うと、俺に手を差し伸べた。そうか、親父はこんなことをしてまで、俺達家族のことを想ってくれていたんだ。ずっと・・・ずっとそうだったんだ。人は精神的に追い込まれると正常な判断が出来なくなると聞いたことはあるが、今の親父はまさにそうなのだろう。俺は溢れ出した涙を半袖の裾で拭うと、一呼吸置いてから叫んだ。
「クソ親父ーッ!!!」
 言いたいことなら山ほどある。だが、最初に出てきた言葉がそれだった。
「俺達だけが逃げたって、この町が無くなったら意味が無い。せっかくできた仲間も、友人も、恋人も・・・全て無かったことになるなんて嫌だ。俺は本当に、みんなを守りたい・・・!」
「しぐる・・・」
「あと俺、さっきまでひなと一緒にいたんだよ。もう霊体だけどさ。3年前のまま変わってなくて、相変わらず可愛かった。ひなは今、浄化に協力してくれてる。母さんだって、生きてたらアンタにそうしてくれって言ったと思うよ。優しいからさ。親父が・・・父さんが大事なのは、家族のことだけじゃないだろ?俺達が生きてきたこの町に、俺達の想いが残っているはず。だから、一緒に町を救おうぜ・・・」
 俺が溢れだした想いを吐き出すと、それを聞いた親父は膝から崩れ落ちた。
「俺は、俺はどうすればいいんだ!間違ったことをしていたのか・・・?いや、そんなことは分かっている!おかしいのは俺の方だ。ただ・・・俺は、能力に憧れを抱いていた。親父とお前には霊能力があるのに、自分だけ力に恵まれないことに嫉妬していた。そんな中で、首領様は汚染に協力すれば力を分けてくれると言った。だから、俺は・・・」
「そんな理由かよ・・・いや、そんなの痛いほど分かる。俺だって、ひなやゼロ達の持った強い力に憧れてた。昔から霊感ばっか強くて、じいちゃんみたいに霊を祓う力は持っていないことを悔やんでた。でも、それは犠牲を出してまで手に入れていいものじゃないだろ!」
 上手く言葉が出ない。親父の気持ちは死ぬほど理解できるのに、やっぱり自分の気持ちを誰かに伝えるのは難しい。
「そうだよな・・・」
 親父はそう言ってゆっくりと立ち上がり、ため息を吐いた。
「俺が力を持てば、何かが変わると思っていた。だが、実際はお前たちの浄化を邪魔する以外の用途も無い。結局、この力は誰かを救えるわけでもない、破滅の力だ」
「その通りだ」
 不意に聞こえてきた声は、どこかで聞いたことのある男の低い声だった。上を見上げると、木に腰掛けている赤い蛇模様の白い和服を着た長髪の男が目に入った。確か、婆捨穴で遭遇したロウの仲間だ。
「キノ様!」
 親父は男を見てそう言った。その表情は、彼のことを激しく恐れているようだった。
「首領様がお前に与えた力は、この町を、世界を破滅へと導くもの。その力を我々のために使ってもらわねば困るね」
「お前、どうしてここに!」
 俺がそう訊くと、キノはニヤリと笑い木から飛び降りた。
「その男、貴様の父親の心に迷いが見えたからな、正しいほうへ導きにやってきたのだ。ついでに、貴様も始末しようと思ってな」
 キノがそう言い終える頃には、既に俺の目の前まで迫ってきていた。俺は咄嗟にバリアを張り、念動力でキノの力を押し返す。
「ほう、なかなかやるようだな。しかし、以前見た時の貴様はこれ程の力を持っているように思えなかったが・・・何が起きた」
「お前には関係ない!」
 俺は足で地面を蹴り、念動推進力で身体を大きく前進させた。さすがに身体が軽い。慣れていないためジェットコースターのようで少し酔いそうだが、これなら予備動作無しで超能力を使えそうだ。
「食らえ!」
 精一杯の念力を込めた拳はキノの服を掠り、俺はコケそうになりながらも再びキノに目を向けた。が、先程までいた場所にキノの姿は無い。
「どこを見ている」
 声のしたほうを見ると、キノは親父の首を掴んで立っていた。
「親父っ!」
「貴様がこれ以上攻撃するならば、父親の命は無いぞ」
 卑怯な真似を・・・俺は拳に溜めていた念力を抑え、キノを睨み付けた。
「しぐる・・・俺に構うな」
 親父が苦しそうな声で言った。そんなことは出来ない。今ここで親父まで死んだら、俺はもう・・・。
「ほう、お前はもう私達に協力する気が無いということでいいのだな」
 キノの言葉に、親父は首を掴まれたまま僅かに頷いた。
「この町が消えるくらいなら、目の前で我が子が殺されるくらいなら俺は・・・!」
 親父から強い念波が感じ取れる。その刹那、親父はキノの首元に向けて念力の刃を放った。キノはギリギリのところで防いだが、その反動で親父の身体は解放された。
「成る程な、我々の敵になるならば、お前も用済みだ」
 キノはそう言うと、瞬時に親父の前まで移動した。俺はそうはさせまいとキノに殴りかかったが、不意にヤツの足元から現れた赤い大蛇に襲われた。まさか、サキと似たような能力を・・・。
「クソッ!」
 呑み込まれそうになりながらも大蛇を消し去った俺がもう一度キノに目を向けた時には、再び親父の首が掴まれていた。咄嗟に構えたせいか、勢いで通信機が放り出されてしまったことにも気付く。
「もう遅い」
 キノがニヤリと笑みを浮かべ、そう言った。
「がァッ!」
 そんな声と共に、親父の胸からは鮮血が飛び散る。キノは血に塗れた自身の右腕を抜き出すと、まるでゴミを捨てるかのように親父の身体を放り投げた。
「全く、使い物にならん。次は貴様だ」
 俺は頭が真っ白になり、目の前で起きたことを理解できずにいた。理解したくない。こんなことが・・・。
「お前・・・ッ!」
 考えている間もなく、俺の身体は自然と力を放出させてキノに飛び掛かった。自分でも訳の分からない叫び声を上げながら何度も攻撃を浴びせ、目の前の相手を地に叩き付ける。
「まさか、これほどまでの力を持っていたとは・・・いいぞ、怒りの感情に支配された人間は実に素晴らしい!」
 キノが何かを言っているが、そんなことは関係無い。圧力に耐えきれなくなった地面は崩壊し、大きな窪みが形成されて土の塊が宙に浮く。地へと拘束したキノの首に強い念力をかけ、形が変わるまで押さえつけた。声にならない声でもがくキノの姿が目に入ったのを最後に、俺の意識は赤く染まりきった。
 この後、何が起こったのか詳しくは分からない。1つ確かなことは、俺が影の力に呑まれて暴走したということだけだ。

蝉騒の止む頃に

 唐突に通信機のイヤホンから鳴り響いた爆音の次に聞こえてきたのは、兄さんの叫び声だったらしい。浄化の準備を手伝っていた私に、右京さんがそう教えてくれた。
「しぐちゃん、何らかの拍子に通信機落っことして、ボタン押されたまま戦ってんだな。あの声を聞く限りただ事じゃないってのは確かだ」
「そんな・・・助けに行かなきゃ!サキさん手伝って!」
 私が言うと、サキさんは声を荒げてそれを制止してきた。
「ちょっと待てよ、流石に露ちゃんが行っちゃまずいだろ!ってかお前さんよぉ、なんで真っ先に露ちゃんに言っちまうかなぁ・・・」
 サキさんが呆れた声で右京さんに言うと、彼はヘラヘラ笑いながら顔の前で両手を合わせた。
「すまん!だって、しぐちゃんのピンチには露ちゃんかなぁと思ってさ。ほら、ひなちゃんもずなちゃんも浄化で手が空いてないし・・・サキが憑依すれば、露ちゃんの潜在能力は最大まで引き出せるだろ?」
「んなこと言ったって・・・はぁ、手が足りないのは確かだ。俺様がいるからってお前らが安全とも限らないし、しぐるがどんな状態なのかも分からん。それでも行くか?」
「行きます。兄さんを助けなきゃ」
 私はサキさんの言葉に頷いてそう言った。兄さんを助けるには、私がやるしかないんだ。そうは言っても、怖くて足が竦みそうになる。
「露ちゃん」
 ふと背後から名前を呼ばれたので振り向くと、巫女姿の鈴那さんに連れられた黒髪の女の子が私を見ていた。兄さんの実の妹、ひなちゃんだった。
「お兄ちゃんが大変みたいだけど、よろしくね」
「あたしからも・・・しぐを助けてあげてほしいな。露ちゃんならできるよ!」
 二人から励まされ、私の中の恐怖心も少し薄らいだ。
「わかりました。私が兄さんの助けになれるなら・・・鈴那さんやひなちゃんの分まで頑張ります!」
 ひなちゃん達にそう告げると、私は右京さんに連れられて車に乗り込み、サキさんの指示で兄さんがいる場所へと向かい始めた。
「まずいな、こりゃしぐるの霊力だ。ひなちゃんの時みたいにビンビン伝わってきやがる。あいつ、暴走してんな」
 サキさんはそう言って顔をしかめ、下をチロチロさせた。
「そんな・・・じゃあ、今の兄さんは意識が無いってことですか?」
「分からねぇ。けどな、勝算ならあるぜ。俺様がヤツの中に入って力を抑えればいいだけの話だ」
 確かに、今までずっと兄さんの中にいたサキさんならそれができるかもしれない。けど、兄さんの力はひなちゃんの真逆・・・サキさんが中に入ることは難しそうだ。
「サキ、その作戦じゃ仮に入れたとしてもお前が死ぬだろ。露ちゃんと俺の力でしぐちゃんを止めりゃいい話じゃねーのか?」
 右京さんの言葉に、サキさんは首を横に振る。
「しぐるの力を甘く見るな。あいつは神の力の半分を宿してるようなもんなんだぜ!外側から攻撃してどうにかなるようなもんじゃねえ・・・内側から抑え込むしかないんだよ」
「サキさん・・・兄さんのことを心配してくれるのは嬉しいです。でも、サキさんが死んじゃうのは嫌です!だから、少しだけ私達に頑張らせてください。それでもダメだったら、サキさんにお任せします」
「別に心配してるわけじゃ・・・いや、俺様もしぐるにゃ助けられたからな。義理は果たさなきゃならねえ。わかった露ちゃん、そこまで言うなら俺様も全力で手助けしてやる」
「サキさん、ありがとうございます!」
「蛇の恩返しかよ。妖怪のくせに律儀だなぁ」
 右京さんがそう言うと、サキさんは苦笑しながら「バカ野郎」と言った。
「上手いこと言ったつもりかよ。ところで、娘ちゃんは連れてこなくても良かったのか?いつもはお前さんのほうがベッタリだろ」
「蛍は浄化の準備を手伝ってる。島に結界を張るには、人形術が有利だからな」
 そういえば、島を離れる前に蛍ちゃんが人形たちを使って力を集中させているのを見たけれど、それを聞いて納得した。
「おい、近いぞ」
 不意にサキさんが表情を変えて言った。窓から外を見ると、黒い霊力が竜巻のように渦を巻いているのが見える。
「おいおい、本当にひなちゃんと同じじゃねーかよ」
 右京さんはそう言って適当なところに車を停め、通信機のイヤホンのボタンを押してから「しぐちゃん見つけた。何かあったらまた連絡する」とだけ伝えた。
「兄さん・・・」
 私は車を降りるとサキさんに憑いてもらい、身体の主導権を委ねた。木々の上から蝉時雨の降り注ぐ中、サキさんは走りながら視界に入った植物達へ強い命令信号を送り、それらを次々に操ってゆく。黒い竜巻・・・兄さんを目前にした頃には、大量の植物を従えていた。
「しぐる・・・荒れてんなぁ」
 サキさんは私の声でそう呟き、少しずつ兄さんの元へと近付いていった。ふと横に目を移すと、白い和服を着た人がボロボロで倒れているのが見えた。
(サキさん、あの人・・・)
「おう、ありゃ妖怪だな。状況は大体わかった。そういうことか」
 サキさんはため息交じりに言うと、別のほうに目を移して拳に力を込めた。
「クソ、あの野郎やっぱり霊能力を・・・露ちゃん、あんまり見るなよ。しぐるの親父が死んでんだ。おそらくあの蛇柄着た妖怪にやられたんだな。それを目の前で見たしぐるは暴走して、今の状況ってとこだろ。まさかこんな事態になるとは」
「そんな・・・」
 視界の端に映る真っ赤な光景は、お父様の血がそう見えているんだろう。さっきまで私の中にあった恐怖心が、再び蘇ってきた。
「露ちゃん、今はしぐるを助けなきゃどうにもなんねぇ。いくぞ!」
 そうだ、今はそうするしか無いんだ・・・人があんなに残酷な死に方をしているのを見たのが初めてで、すごく怖いけど・・・私には大事な役目があるんだ。
「悪い、遅くなった」
 追い付いた右京さんは、視界に映った世界を見て表情を変ると、手で口元を押さえた。
「右京、しぐるの霊気抑えられるか?そしたら俺様がこいつらで一斉に取り押さえる。その作戦でいくぞ」
 右京さんは険しい顔をしながらもサキさんの提案に頷くと、一瞬だけ首を傾げて苦笑した。
「声が露ちゃんだから、一瞬ビビった。お前サキだったか」
「・・・いや、どうでもいいことに触れてんじゃねーよ!とにかくやるぞ!」
 人が目の前で死んでいるのに、この人達は何を話しているんだろう・・・。右京さんは「りょうかい」と言いながら両手に紙人形を持ち、キレよく構えをとってそれらを宙に舞い放った。
「龍の舞!」
 右京さんの周囲を取り囲むように乱舞していた紙人形は、一斉に黒い竜巻目掛けて飛び出した。一瞬は攻撃が当たったように見えたけれど、紙人形たちは竜巻の放つ霊気で細かく切り刻まれてしまった。その直後、竜巻は幾つもの霊力の弾丸を生成し、こちらに殺気を向けたのがわかった。
「まずい、やべーのがくるぞ!」
 サキさんは叫びながら自分の操る木の根に飛び移り、放たれた無数の弾丸を避けた。右京さんも何とか避けきれたようで、地面に手をついて着地すると冷や汗を拭った。
「うおぉ、やべぇなこれ・・・斯くなる上はこの清め塩で!」
 右京さんはそう言うと、ウエストポーチから取り出した袋入りの塩を手で鷲掴み、竜巻へと向かって投げた。塩は当然のように、ただただ竜巻に呑み込まれてしまった。
「お前さん、さっきからクソザコ感がすげぇぞ」
 サキさんが呆れた様子で言うと、右京さんは頭を掻きながらそれに反論した。
「うるせぇ相手は生身の人間だぞ!なんとか傷付けないようにって試してんだよ」
「んなことしたって無駄だぞ!あの黒い渦を止めねえ限りしぐるの霊力は暴走したままだ」
 その言葉を聞いた右京さんは、ため息を吐いてからまた別の体勢に構えた。
「呪撃・影縛りの陣」
 右京さんの足元から伸びた影が、素早く地を這い竜巻を取り囲む。今度は手前で防がれることなく、しっかり届いたらしい。
「あの野郎、いつになく真面目な顔してんな。いいぞ!そのまましぐるの霊力を消耗させといてくれ!」
 サキさんがそう言いながら植物に再び命令信号を送り、木々の根や蔓などが竜巻を覆うように渦を巻いた。
「しぐちゃんの霊力が強すぎて、影縛りが持たねえ・・・早めに頼む」
「わかった!」
 サキさんの命令で、何重にも絡まりあった植物達が竜巻を囲い込む。お願い兄さん、目を覚まして・・・!
「いけねぇ!」
 右京さんが声を上げたその瞬間に影縛りが解かれ、竜巻を覆っていた植物も凄まじい轟音と一緒に全て散り散りに切り裂かれてしまった。
「うそだろ・・・どうすりゃいいんだこれ」
「だから言ったろ!外側から攻撃してどうにかなるもんじゃねぇって!」
 サキさんはそう言って私の中から抜け出した。途端に私の身体は軽くなり、一瞬だけ浮遊感に襲われる。
「ちょっとサキさん!なにしてるんですか!」
「右京、ちょい身体貸せ!俺様に考えがある」
 そう言い終えるや否や、サキさんは問答無用で右京さんに憑依した。
「影縛りッ!」
 右京さん・・・いや、サキさんは影縛りで再び竜巻を取り囲み、兄さんの霊力を抑え始めた。
「この術、霊気を吸い取ることができる。消耗させた霊力をこのまま俺様のもんにして、影を媒体にしてしぐるの中に入れりゃ上手く抑えられるかもしれねぇ!」
「そういうことですか・・・!でも、それをやったらサキさんが!」
「構わん!しぐるが助かるなら俺様がしぐるの一部になってでも助けてやる!」
 サキさんの霊力が途端に強くなったのが感じ取れた。すごい、私の時とは比べものにならない力だ。
「お前さんの潜在能力、最大まで引き出させてもらうぜ!」
 強い念動力でサキさんの立っている地面が窪み、より一層術にも力が入る。その時、強い力を放つ光の矢が竜巻の頂点を突き刺し、黒い霊気の渦を一瞬にして消し去った。光はそのまま兄さんの中へと入り込み、先程までの爆風が嘘のようにこの場を静まらせてしまった。
「おいマジかよ・・・影の力を一瞬で抑え込みやがった」
 サキさんは右京さんの中から出ると、そう言ってひょいと地面に降りた。
「何が、起こったんですか・・・?」
 私の問いに、サキさんが「ありゃ千堂だよ」とだけ答えた。
「マジかよ!会長が・・・?」
 右京さんも驚いているようで、尻餅をつきながら口を開きっぱなしにしている。会長、千堂さんってあの人だ。呪術師連盟の会長・・・でも、どうしてあの人が兄さんに入ったのだろう?
「千堂のやつ、しぐるの一部になって影の力を調和させるつもりだ。思い切った真似しやがって」
 サキさんはそう言いながら兄さんのところへ這っていくついでに、倒れている和服の妖怪へと近付いてその中に入り込んだ。和服の妖怪はゆらゆらと立ち上がり、奇声を上げながら身体を振るわせて再び倒れ込んだ。
「サキさん・・・なにしてるんです?」
 私が訊くと、またもや和服の妖怪が立ち上がって、今度はサキさんの声で普通に話し始めた。
「こいつの身体、丸ごと俺様のもんにしてやったぜ。いやぁ流石はしぐるをこんなまでにするだけのことはあるな。すげぇ妖力を持ってやがる」
「お前・・・えげつないことするな。でも、そいつの意識が目覚めたらサキ負けるんじゃね?大丈夫なのか?」
 右京さんの問いに、サキさんは人差し指で自分の頭をトントンとしながら答えた。
「完全に精神を破壊してやった。人間も妖怪も、気を失ってるときが一番無防備になんだよ。こいつはもう俺様のもんだ!」
 サキさんはそう言うと、身体を縮めるように元の蛇の姿へと戻った。
「あ、戻れるんですね」
「妖怪だからなぁ。実体があるとはいえ、生物じゃねぇ以上はいくらでも姿を変異させられる。力を取り戻した俺様の手にかかればな。さてと、おーいしぐる大丈夫かー?」
 サキさんは思い出したように兄さんの元へ行くと、細長い舌で頬をチロチロと舐めた。その後、私と右京さんも倒れたままの兄さんに駆け寄り、目が覚めるまで声をかけ続けた。

   〇
 赤く染まりきっていた俺の意識は、気付けば明るく晴れ渡っていた。何が起こったのか、全く分からない。だが、目の前には誰かがいる。見覚えのある、あの中年男性だった。
「しぐるよ、目を覚ませ」
「千堂さん、どうしてここに」
「ここは君の精神世界だ。君は影の力に呑まれ、暴走していた。今は私がそれを抑えている。気分はどうだ?」
 千堂さんの言っていることを理解するまでに少し時間がかかる。俺には暴走する寸前までの記憶が残っており、自分が力に呑まれたという自覚は辛うじてある。そうだ、親父がやつに殺されて俺は・・・。
「ぐっ・・・!」
「落ち着けしぐるよ、あの妖はもう倒された。君は苦しいだろうが、今は浄化を成功させねばなるまい。よく聞け、私が君の心の一部となり、影の力を私自身の力と調和させる。さすれば、もう暴走することもないだろう。君と私は、文字通りの一心同体となるのだ」
 千堂さんの声を聞いていると、なぜか気持ちが落ち着いてくる。目の前に立っている彼の姿が徐々に薄くなりはじめ、俺の黒い力が浄化されていくのが分かった。
「そうだ、このまま私に身を委ねよ。影の力が調和されたとはいえ、案ずることはない。これだけの強い力を持ってすれば、影世界の領域に足を踏み入れることは可能だ。君ならば、必ず汚染を阻止することができる。信じておるぞ、雨宮しぐる」
 次第に俺の意識は遠退き、次に目が覚めた時には目の前で露や右京さん達が俺の名前を呼んでいた。
「あ、兄さん!大丈夫?本当に、本当に無事でよかった・・・」
 露はそう言いながら大粒の涙を流し、その雫は俺の頬に落ちた。
「露・・・なんでここに?」
 俺は上半身だけを起こし、周囲を見回す。キノの姿はなく、血塗れになった親父の亡骸だけがあった。サキと右京さんから事の顛末を聞かされた俺は、自分の身に起こったことも全て話した。
「しぐちゃん・・・親父さんのことは、本当に・・・」
 右京さんは俯きながらそう言った。俺はまだ泣き止まない露の頭を撫でると、その場に立ち上がり親父のほうを見た。
「もう、家族がみんな死んじゃったなぁ。仕方ないけど」
 俺は親父に歩み寄り、手を合わせた。せめて、安らかに眠れるように。
「サキ、お前がキノに止め刺してくれたんだよな。ありがとう」
「まぁ、しぐるが倒してくれたから呑み込めたんだけどな。おかげさんでそこそこ妖力も戻ったぜ」
 サキがそう言いながら姿を変え、人型を形成し始めた。
「待て、今その姿を見ると殺意しか湧かない」
「あ、悪い・・・」
 慌てて姿を元に戻したサキは、露の後ろに隠れてチラリと俺を見た。珍しく素直だ。俺に気を遣っているのだろうか?それが無性におかしくなり、思わず吹き出してしまった。
「冗談だよ、もうヤツはいない。それがサキの新しい姿ってことでいいだろ」
 サキは俺の言葉に苦笑しつつ、露の頭の上に飛び乗った。
「そいつはちょっとなぁ・・・俺様もこっちの姿のほうが落ち着くし、小さけりゃ露ちゃんの頭にも乗れるからな」
「サキさん、正直そこに乗られるとバランスとるの大変なんですから、なるべく控えてくださいね」
「うぇ、すんません・・・」
 いつの間にか泣き止んでいた露は、そう言って頭上のサキを掴んで両手に乗せた。俺は露たちのところへ戻ると、右京さんに頭を下げた。
「本当に、お騒がせしてすみませんでした。俺、行ってきます」
「いや、謝ることなんて何にもないさ。あとは俺達に任せて、しぐちゃんは思いっきり戦ってきてくれ」
「兄さん、気を付けて・・・全部終わったら、また一緒にお出掛けしようね!」
「しぐる、お前ならできる!3年間世話になってた俺様が保証するぜ!」
 2人と1匹から激励を受けた俺は、目頭が熱くなりながらも「ありがとう」と、一言ずつ噛みしめるよう声に出す。蝉騒の止む頃に、巨大な悪意の渦巻くほうへと向けて歩き出した。

八月の最終戦争~零の始まり~

 呪術師連盟本部での作戦会議終了後、しぐるさん達が帰ってから、僕は日向子さんに「大事な話がある」と言われ、もう少し本部へ残ることになった。
「いいわね?わたしは明日、光の世界をこの世界と融合させるための強行手段を実行しようと思ってるの。だから、ゼロくん達は全力で鈴那ちゃんとひなちゃんのサポートをしてあげてね」
 彼女の口から、突然聞かされた話がこれだった。日向子さんがこの世界と光の世界を融合させるための手段・・・一体どうすれば、そんなことが出来るのだろうか。
「それ、日向子さんが居なくなりますか?」
 違う。僕が訊こうとしていたのはそんなことではない。上手く質問ができず、感情だけが先走ってしまう。
「・・・ごめんね。わたしにはそれしか出来ないの。それに、ずっと前から決めていたことだから。確実に浄化を成功させるには、わたしが新世界の守り神となって、こちら側からの浄化を手助けするしかないの。それがわたしの役目でもあり、野望でもある。神様になっても、あなた達をちゃんと見守っているからね」
「そんな勝手に・・・!どうして、こんなところで別れなくちゃいけないんですか?僕にとって、日向子さんが師匠です。日向子さんがいたから、今の僕があるんです!僕は日向子さんのことを・・・誰よりも尊敬しています。だから、せめて最後に訊かせてくださいよ!僕の、この力のことを」
 そう言って僕が生成した刀を、日向子さんは儚げな目で見ている。この妖力、なぜ僕が使えるのかを詳しく知らない。親に聞いたところで、これまで「生まれつき」としか教えてくれなかったのだ。しかし、彼女は一番身近なところにいる妖怪だ。もしかしたら、この力は日向子さんの・・・。
「ゼロくんは、その話を聞いてどうしたいのかしら?」
 彼女の表情は曇っている。間違いなく、このことについて何か知っているのだろう。
「この力の根源が分かれば、僕はロウに勝てるかもしれない。もっと強くならないといけないんです」
 僕の言葉を聞いた日向子さんは、一瞬だけいつもの調子で溜め息を吐いてから、再び表情を曇らせた。
「ゼロくんは昔から危なっかしいと思ってたけど、生真面目すぎて力に溺れるタイプね」
「なっ、ちょっと待ってください!断じて違います!僕はただこの町を救うにはそれしか無いって・・・」
「いいえ違いません!その生真面目さが危険なの!まぁ、知ったところでどうにも出来ないでしょうし、教えてあげるわ」
 そう言ってまた溜め息を吐いてから、日向子さんは過去のことについて語ってくれた。
「あなたの力は、生まれつきだった。雅人くん達も、まさか自分達の子供が強い妖力を持って生まれてくるなんて、思っていなかったでしょうね。」
「それじゃあ、僕の力は本当に・・・」
「わたしが意図的に与えたものじゃないかと疑っているのかな~、なんて気はしていたわ。けれどね、こればかりは本当なの。むしろ、あなたの妖力を抑え込んだのは、わたしなのよ」
 そんな・・・どういうことなのか。僕の力は、抑え込むほど強力だったということなのか。
「なぜ、あなたがそんな力を持って生まれてきたのか・・・言うなれば、特異体質だったのよ。人が強い妖力を持っていると、人としての身を滅ぼしてしまう可能性があるの。だからわたしは、あなたのお祖父さんに頼まれて、あなたの妖力を封印しようと試みた。でも、わたしには力を抑える程度のことしか出来なかった。あなたの力が強力すぎて、全てを封じることなんて不可能だったわ」
「日向子さんが、僕を助けてくれるために・・・」
「それもあるけど、本当は怖かったのよ。あなたみたいな優しい人の子が、人でなくなってしまうことが」
 気が付くと、僕は泣いていた。日向子さんが僕のために妖力を封印してくれた。それを知りもせず、力も求めようとしてしまった自分の愚かさが、もうじき日向子さんと別れの時がくることもあってか、無性に悲しく思えてならなかった。
「ごめんなさい。僕は、日向子さんを責めるようなこと言って・・・」
「責められた覚えはないけどね。いいのよ、あなたが健やかに育ってくれたことが、わたしにとって何よりの幸せだったわ。ゼロくんなら、妖力が無くても勝てる。だって、仲間がいるじゃないの。しぐるくんも、鈴那ちゃんも、昴くんも、春原くんも、みんなあなたの心強い仲間でしょ」
「そうですよね。それに、日向子さんも・・・僕の師匠であり、大切な仲間です」
「ゼロくん・・・」
 一瞬、日向子さんの目が潤んでいるように見えた。それでも、彼女は優しく微笑んでいた。

「日向子さん、ありがとうございました」

   〇
 夕景が滲みかけている。この状況を打破するには、やはりあの力を解放したほうがいいのではないだろうか?などと考えてしまう。
「クソッ!たった二人だけでこの数を相手するなんて、絶対どうかしてるぞ!」
「いいじゃねーかよ。このぐらい張り合いがないと、つまんねーだろ」
 僕の苛立ちをよそに、春原は戦いを楽しんでいるように思えた。どうすればそんなお気楽思考でいられるのか。
「俺達が怯んでたら、浄化だって上手くいかないかもしんねーだろ!いつも通りでいこうぜ!」
「春原、お前・・・冷静なのか緊張感が無いだけなのか分からないんだよ」
「バカ野郎、無理にでも落ち着いてるだけだっつーの」
 そうか。こいつも本当は焦りそうで仕方が無いのだ。こんな状況下で、それを必死に抑え戦っている。春原の言葉で平常心を取り戻した僕は、一度態勢を立て直そうと敵から離れ、迫りくる複数の影達を捉えた。
「頼む、動いてくれ・・・!」
 これだけの草木があれば、確実に奴らを一掃できる。問題は、僕自身が上手くコツを掴めたかどうかだ。実戦経験は、まだ一度もないあの技を・・・。
「動けぇ!」
 全身から火を噴くほどの熱量で念じた直後、標的である無数の影を植物達が刺突した。上手くいってくれたようだ。
「すっげー!お前いつの間にそんな能力まで」
 春原も一呼吸置けるほどには敵を片付けたらしく、元に戻っていく植物を見て驚いたような表情を浮かべていた。
「露ちゃんの能力を真似てみたんだよ。植物に命令信号の念を送れば、僕でも動かせると思って」
「さすが・・・念動力に妖力と発電能力で、次は植物操作かよ。相変わらず多才だなぁ」
「関心している場合じゃあないみたいだぞ。まだ敵は残ってる」
 僕は残った敵に目を向け、再び全身に力を込めた。ふと思ったが、僕は複数の敵を相手にした際の対応が得意なのかもしれない。
「プラズマサイズ!」
 電気を纏った鎌を生成した僕は、地上から数メートル離れた空中まで飛び、念動推進力を用いた高速移動で身体を回転させながら木々を飛び回った。妖力で生成された鎌の鋭い刃が、黒い影に電撃を浴びせながら切り裂いていく。
「スピニングダンス!」
 この先は何としても死守しなければならない。それが、今の僕の戦う意味なのだ。
「さぁ、チェックメイトだぁ!」
 渾身の力を込めて無意識に放った言葉はどこかで聞いたことのある台詞だったが、そんなことはどうでもいい。僕は両手に念力を込めて二本の巨大な鞭を形成し、全ての影を周辺の木々諸共、跡形もなく粉砕した。
 何秒かのタイムラグで数本の木が倒れ、少し経つと僅かに蝉の鳴き声が聞こえてくるほどには落ち着いた。
「お前、派手にやったなぁ・・・これで全部か?」
 春原は呆れているような、驚いているような顔で僕に訊いた。
「まだ、中ボスが残ってるっぽい。隠れてないで出て来い!ロウ!」
 僕が後方を振り返り声を荒げると、険しい表情のロウが先程まで何もなかった場所に姿を見せた。
「神原ァ・・・なぜ見破った!」
 ロウは相変わらず夏だというのに首へマフラーを巻いており、粘着質な喋り方で僕に怒ったような口調で言った。
「お前、僕に殺意を向けていただろ。気配を隠し切れないなんて、どれだけ僕に恨みがあるんだよ」
「黙れ神原零!ボクは今度こそお前を殺してやる・・・そこのオマケも一緒になぁ!」
 ロウは春原のことも見て言った。春原はそれが気に入らなかったのか、少しキレている。
「はぁ?テメエ舐めてんじゃねーぞ?お前みたいな雑魚妖怪、俺と零がいれば余裕だっつーの」
 春原の煽りもあってか、ロウは鬼の形相で何の予備動作も無く術を向けてきた。
「貴様らァ!」
 僕と春原はロウの攻撃をかわし、左右に散った。春原がロウの動きには劣るものの、それなりの速度で移動しながら技の準備をしている。
「念爆っ!」
 両手で念を使ったからか、通常よりも大きな爆発が起きた。爆撃はロウの右足を掠めたが、どうやら大したダメージにはなっていないらしい。僕はすかさず妖力で刀を生成し、ロウに向けて振り翳した。やはりロウの動きは早く、寸でのところで躱されてしまう。
「くそっ!」
 僕は着地した地面を殴った。余計な念力を込めていたせいか、地面は窪み大きな音が熱された空気を震わせた。先程、木々をなぎ倒してしまったせいで近くの植物を操作できない。馬鹿なミスをしてしまったものだ。こうなればと思い、僕はロウが地面に着地した瞬間を見計らい術の狙いを定めた。
「呪撃・影縛りの陣!」
「なんだと!?」
 右京さんの見様見真似でやってみた術も上手く成功した。このまま奴を束縛しておけば、春原が攻撃しやすくなる。
「サンキュー零!とっておきの力見せてやんよ・・・!」
 春原は空中に浮いたまま全身から念力を放出させ、今にも爆発しそうな状態まで達しかけていた。力のせいか目の色も念の色と同色になり、強い光を放っている。
「念動・・・連撃砲!」
 掛け声の直後、春原は幾つもの光線を凄まじい勢いで放ち、それらは全てロウに直撃した。爆音の中、ロウの叫び声が微かに聞こえた気がした。
 光線の勢いで土煙が舞い、当りが見えなくなっている。少しずつ煙は消え、視界が見え始めてきた頃、僕の目線の先ではロウが横たわり何かを呟いていた。
「おかしいだろ・・・なんでだよ・・・」
「何がだ?」
 僕がそう訊ねると、ロウは重そうに身体を起こしてこちらを睨んだ。
「なんで・・・ボクは強くなったはずなのに・・・!やっと師匠を超えたと思ってたのに!お前が・・・お前らがボクの全てをぶち壊したぁ!」
「確かに、俺達二人よりはアンタのほうが強いかもしれねぇ。けどな、戦いにはチームワークと応用力ってもんが必要なんだよ」
 春原はそう言いながらロウの元へ歩み寄っていく。とどめを刺すつもりだろう。こんな奴に慈悲なんてない。好きにすればいい。でも・・・。
「ふざけるな・・・ふざけるなァ!」
 その直後、ロウが再び凄まじい形相になり、春原に拳を向けた。身体はボロボロのはずだが、その動きは先程とも劣らぬぐらい早く、油断していた春原は一言「やべぇ」と呟きバリアを張った。
「視界共有!」
「あああああああああああああっ!なんだァ!やめろおおおおおお!!!」
 聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、ロウの左目がまるで何かに操られているかのようにグルグルと焦点を定めずに動き回った。奴の目を瑠璃色の陣が覆っているのだ。なるほど。
「来てくださったんですか、昴さん」
 荒れ狂うロウの背後で瑠璃色の左目を大きく開いている彼は、僕の言葉に笑顔で頷いた。
「僕も、少しはお役に立ちたいからね。結界が使えなくても、できることはまだあるよ」
 昴さんはロウの目を解放し、大きく息を吐いた。ロウはその場に倒れ込み、苦しそうに嘆いた。
「なんで・・・ボクはぁ・・・」
「ロウ、お前は迷っているんだな」
 僕は彼の前まで歩み寄り、腰を屈めた。確かにこいつは悪い。だが、薄々気付いていたのだ。どこか僕と似ている。妖怪のくせに、妙に人間臭い部分があるのだ。僕と同じ・・・人間のくせして、どこか妖怪みたいだ。そんな歪さが、僕と彼の唯一の共通点なのかもしれない。
「はは・・・やっぱり駄目なんだなぁ、ボクは。どこで間違えたんだ・・・」
「おじいちゃんが言っていた。闇を操る者は光を求めてはならない。光を操る者もまた、闇に支配されてはならない。とな。そのくせ人は闇にも光にもなり得る曖昧な存在だ。ロウ、お前も人のようだ」
「ボクが・・・」
 ロウがゆっくりと顔を上げ、僕の目を見た。その目は、今まで見たことのないような、僅かに光を取り戻したような目だった。
「駄目なんかじゃない。道を間違っていたとしても、お前はお前だろ。いいじゃないか、もう一度お師匠様のところで一から修行してこいよ」
「神原・・・」
 その瞬間、凄まじい揺れとともに邪悪な気配が一気に増していくのがわかった。一瞬地震かとも思ったが、これは確実に違う。この町を蝕んでいた見えない悪意が今、実体化しようとしているのだ。
「クソ・・・なんで急にこんなことが」
 春原は動揺しつつも技の準備をしている。夕焼け空を覆うほどの巨大な影は、まるでアポカリプティックサウンドのような声で唸っている。世界の終末を告げる音・・・正しくこれのことか。
「あれは・・・首領様の術が実体を持ったものだ。倒したところで汚染は止まらないが、倒さない限りは・・・」
 ロウが掠れた声で言った。僕は彼の言葉に頷き、巨大な影を睨むように見上げた。
「倒さない限りは被害が増える。そういうことだな?」
「そうだ・・・」
僕の言葉に力なく返したロウは、そのまま目を閉じて顔を突っ伏した。今はあれを止めなければ状況は変わらない。必ず倒す!
「春原いくぞ!」
「おうよ!」
 僕は春原が空中で技を繰り出すタイミングに合わせ、それに自分の電撃を被せた。
「超・電磁砲!」
 電気の砲弾は黒い影を貫いたが、奴は少しも動じない。それどころか、こちらの居場所を教えてしまったことで僕達の危険が増すばかりだ。まずい、このままでは楊島諸共呑まれてしまう。
 その時、いつの間にか黒い影の放っていた槍のようなものが、すぐそこまで飛来していた。ほんの僅かな時間の中で、僕は自分が死ぬことを悟りつつあった。
「がァァッ!」
 ・・・正面で誰かの声が聞こえ、思わず瞑っていた目を開くと、目の前に立っていたのはロウだった。彼の胴体には先程の槍が突き刺さり、口からは黒い血が溢れ出している。
「そんな・・・ロウ!お前なにを!」
 彼は立ち尽くしたまま、溢れ出す血に構わず口を開いた。
「これで、少しは役に立てたかなぁ・・・少しは、罪滅ぼしができたのか・・・」
「待ってくれよ、こんなことって・・・」
「神原、救ってくれよ・・・この、町を。この槍・・・ボクの、力で・・・お前ならきっと」
 ロウはそう言い残し、静かに消えて逝った。だが不思議なことがある。ロウの妖気だけは消えていないのだ。この、目の前に落ちた槍だけからは。
「ロウ・・・お前の命、預かるぞ」
 僕は槍を手に持ち、自らの妖力を流し込んだ。力を流し込むと、槍の中にあるロウの妖力が循環して流れ込んでくるのがわかる。彼は寸でのところで、自分に残された全ての力をこの槍に送り込んだのだ。僕がこれを使えば、おそらく後戻りはできない。だが、今はそうするしかない。
「日向子さん・・・約束、破ります」
 僕は覚悟を決め、より一層強い力を送り込んだ。その直後に自分の中の何かが外れ、封じられていた力が放出されていくのがわかった。それと同時に、身体が人間のものでは無くなっていくことも感じていた。
「おい、零?」
「春原、昴さん、援護を頼む」
 僕は二人にそれだけを告げると、槍を先程よりも鋭く変形させて影に突き立てた。影は抵抗するように何本もの槍を放つが、今の僕には全て肉眼で動きを捉えられるうえ、信じられないほどの速度で移動が出来ている。
「プラズマスピアー!」
 新たに形成した槍を電磁波で纏い、影を貫く。まるで僕の攻撃が、天候を左右してしまったかのように空で雷が轟いた。
「解眼!」
 昴さんは春原に潜在能力解放の術を施し、春原も影に連撃砲を撃ち続けている。昴さんの呪眼、まさかあれほどの機能が備わっていたなんて知らなかった。
 僕は溢れ出す力をさらに振り絞り、影の頭上まで飛びあがると再び槍を構えて地に向けて飛び込んだ。
「これが、最後だァ!!」
 凄まじい轟音と、断末魔のようなアポカリプティックサウンドが不協和音のように鳴り響く。そこで僕の意識は途切れた。

   〇
 次に目を覚ましたとき、視界の中にいたのは僕の大切な人だった。いや、人ではないか。
「日向子さん」
 彼女は僕のことを抱きかかえ、嬉しいような悲しいような表情をしていた。最後に感じた温もりは、彼女に抱きしめられたときの感覚なのだろう。僕は、静かに目を閉じた。

八月の最終戦争~福鈴~

 ずっと、一人が不安だった。
 何をすればいいのか分からなくて、誰の言うことを聞けばいいのか分からなくて、ママがいなくて寂しい・・・その感情だけが、日を追うごとに強くなっていった。いっそ、死んでしまえたらだなんて思った。
 そんな時、私の前に舞い降りた。それから起こった全ての出来事が、奇跡の物語だったんだ。
 しぐ、最初は心の拠りどころがほしくて、あなたに依存してしまっていた部分はあったのかもしれない。どうせ、みんなは私のことを、壊れ物へ触れるように接してくるのだから。そう思っていた。けど、あなたはそんな私にも普通に接してくれた。心の傷も深くて、自傷行為してるようなこんな私のことを、ちゃんと一人の人間として見てくれたんだ。
 しぐだけじゃない。今ここに、私の周りにいる人達みんながそうなんだ。私が何をしていようが否定しないでいてくれて、優しさと勇気をくれて、そのおかげで強くなれたんだ。
 だから、今はみんなのことが心から大好きで、しぐのことを、心から・・・愛している。

 思わず閉じていた目を見開き、私は海の向こうに広がる町を見渡した。そうか、この町はこんなにも広く、美しかったんだ。

「鈴那ちゃん、準備はよいかね?」
 神主姿の長坂さんが、真剣ながらも少し笑顔を見せながら私に問いかける。私はもちろん、彼の言葉に頷く。
「お願いします」
 先程、右京さんやひなちゃんに私の巫女姿をべた褒めされて少し照れてしまったが、その喜びは、今は胸の奥にしまっておこう。
「ひなちゃん、いくよ」
 私は、私の中にいるひなちゃんに声をかけた。心の中からは、彼女の優しい声が聞こえてくる。大丈夫だよ、と言っていた。
 さぁ、この町を救おう!

   〇
 夢を見ているようだ。
 雨宮ひなという少女が、これまで見てきた世界、これまで感じてきた悲痛、兄との思い出・・・その全てが、まるで自分の走馬灯みたいに頭の中を駆け巡っている。
 今、こうしている私は一人じゃない。そんなふうに思えて、強く強く祈った。きっと、新しい世界では日向子ちゃんも待っている。あと少しで、もう少しで・・・新世界への扉はあまりにも固く閉ざされ、なかなか開くことなんてできない。けれど、浄化の儀を出来るのは私達しかいないんだ。

 ママが託してくれたこの力で、この町を救ってみせる!

 不意に響いた耳鳴りのような音で、私は目を覚ました。
 少し汗ばむ陽気の中、優しい夏風が入道雲を動かしている空の下で、私は見覚えのある一人の少女を見つけた。ゆっくりと振り返った少女の髪が、赤いリボンと一緒にふわりと揺れる。
「さようなら」
 少女が、そう言っている気がした。

八月の最終戦争~蝉、時雨る~

 いつかこんな日がくるだろう・・・など、思っていたわけがない。蝉時雨の中で微かに聞こえる死者たちの声も、知らない世界の悲嘆も、この世界の片隅で繰り返されているであろう惨劇も、何もかも全て知っているはずがないのだ。
 それでも、ある日突然自分達がその当事者になった時、最初は案外気付かないものだ。だから俺は、こんなところまで来てしまったのだろう。
 ひなと約束した夏祭りまでには間に合わなかったが、せめて最後に話ができて嬉しかった。それが、俺の夢だったのだから。
 もしかしたら、俺もそろそろ・・・ひなのところへいくかもしれない。これで終わりだ。またいつか、夏の日に。

   〇
 見えない悪意の正体は、既に肉眼で視認できるものになっていた。俺の目の前で渦巻く巨悪なオーラが、ギロリとこちらを振り向いた気がした。もはや怯むことも無い。この怪物を倒せば、全てが終わるのだ。この町と自分の命を天秤にかければ、おそらく町のほうへ傾くだろう。しかし妙だ。これまでの妖怪達とはまるでオーラが違う。こいつは、やはりサキの言っていたとおり人間なのか。
「来たか、小僧。いや、雨宮しぐる」
「そこまでだ。なぜ俺の名を知ってるのか・・・なんてどうでもいい。すぐに倒さないと」
 俺が殺気を放ったとき、怪物のような姿は消え去り、そこには一人の男が立っていた。俺は、その男を見たことがあった。
「お前は・・・」
「ほう、私を知っているのか。さすが雨宮浩太郎の孫だな」
「見たことある・・・あんた、確か」
 俺が生まれる前のことだ。おそらく、オカルト好きなら未だに誰もが知っているであろう人物。かつてテレビで名を馳せた天才霊能者、逢坂圭吾。カメラの前で次々と怪奇現象を解決し、若くして一躍人気になった霊能タレントだ。その実力は本物だったが、あることがキッカケで世間から偽物だと叩かれるようになり、35歳のときに表舞台から姿を消した。
「逢坂さん・・・なぜ、あなたが」
「復讐だ。いや、世直しかもしれない。この世界は腐っている。私は貧しい家庭で育った。幼少期から壮絶ないじめを受け続け、ようやく見つけた居場所では主役でいられた。心霊番組では除霊をしていれば金が貰え、視聴者から賞賛されていた。だが、やはり私は迷っていた」
 逢坂は睨む俺の前で物憂げな表情を浮かべ、話を続けた。
「霊能者を、辞めたかった。私はこんなことをしたかったのでは無い。普通の人のように、平凡な生活を送りたかったのだ。そしてあるとき、私は怪異に襲われるスタッフを前にして、ついには除霊を行わず見殺しにした・・・それからだった。私は世間から大バッシングを受け、詐欺師、偽物、人殺しなどのレッテルを貼られ、自然とテレビから干された」
 逢坂の話を聞いた俺は泣いていた。同じ霊能力を持つ者としての同情と、この男をここまで残酷にしてしまった世の中への恐怖心が涙腺を刺激する。
「所詮、人間など自己中心的で傲慢な生き物だ。倒すべきは霊ではなく、人間のほうである。私を見下したこの世界を影に落とし、新たなる世界に神として君臨するのだ!」
「あんた、それは確かに復讐する理由にはなる。俺だって、そんなふうにされたら復讐心に駆られて同じことをするだろう。同情するよ」
 俺は汗ばんだ手で握りこぶしを作り、感情をぐっと堪えた。
「ほう、ならば私と・・・」
「でもな、考えてみれば妹が死んだのも、祖父や夏陽さん、父さんまであんなことになったのも全部・・・あんたのせいなんだ。だから、俺にはあんたに復讐する理由がある。絶対にな・・・!」
 俺の中で芽生えていた殺意は、自分自身の放った言葉とともに解放された気がした。気が付くと、反射的に逢坂へ目掛けて攻撃を仕掛けていた。
「そうか・・・町を守るのは二の次で、君も本質は私と同じ復讐の鬼か」
 俺の怒りを込めた拳を片手で受け止めた逢坂は、そう言って凄まじい霊力を放った。
「だから何だ。こんなの、初めから決めていたことだ。犠牲になった全ての人達の仇、取らせてもらう!」
 俺は更に力を強め、その場で念爆発を起こす。反動で俺の身体は跳ね返ったが、砂塵の中に見える逢坂の影は微動だにしていない。それどころか、更に強い力を溜めていくのが分かった。
「残念だ。お祖父さんはもっと強かっただろうね。君は妹に比べて、大した力も持っていないようだな」
「ふざけるな!ぐっ・・・」
 俺が再び前進しようと足に力を込めた直後、一瞬で身体の自由が利かなくなり、全身から嫌な汗が噴き出した。まるで金縛りだ。
「どうした。影の力とはそんなものか」
 気付けば背後をとられ、逢坂は俺を強く蹴り飛ばした。続けて操り人形を操作するように俺の身体を捻じ曲げ、一気に地面へと叩き付けられる。息が苦しい・・・強すぎる。
「私は君よりもはるかに強い。なぜか?人間を超えたからだ。自ら命を絶ち、解放された魂は強力な思念体となりこの世に存在している。いわば神だ」
 そんな、そんなはずはない。三年前、確かにサキが会った霊能力者とは逢坂のはずだ。それに、俺から見てもこの男は霊なんかでは・・・。
「お前・・・一体何者だ」
「この身体も思念体さ。人間だと思っただろう?生きている間から悪霊を喰っていてよかった」
 バケモノだ。こいつはもう、人間や悪霊という括りではない。この世は、とんでもないバケモノを生み出してしまったらしい。
「さて、儀式の邪魔はさせない。消えてもらうぞ」
 逢坂はゆっくりとこちらに向かってくる。だが、俺がこんな簡単に・・・負けるはずがない。
「油断したな!」
 俺は素早く逢坂の後ろに回り込み、先程の蹴りをそのまま返した。予定通り逢坂に攻撃は当たったが、やはり倒れるまではいかなかった。続けて大量に霊力の球体を生成し、逢坂へと向けて放つ。逢坂はバリアを張ったが、幾つかは攻撃が通ったようだ。
「お前が父さんを・・・貴様が、貴様がみんなを!」
 俺は怒りに任せ、最大出力で逢坂に力をぶつけた。身体の中で、再び影の力が大きくなっていくのが分かる。
「なるほど、まだ力を隠していたとはな。だが、もう手遅れだ。君はもうじき死ぬ」
 逢坂は俺の攻撃を受けてもなお倒れていない。勝ち目がないのは目に見えているかもしれないが、今はこうするしかない・・・復讐だ、復讐、復讐!
「ぐっ・・・」
 不意に身体が動かなくなり、その場で倒れ込む。呼吸が荒い、浮遊感に襲われる。何かが、俺の力を蝕んでいる。
「ようやくだ・・・君は馬鹿だな。影の力は影の力を引き寄せる。君が私を憎むほど影の力は大きくなり、私の力に吸収されていたんだ。そんなことにも気づかず、私を倒そうと必死になって・・・さぁ、大人しく私の一部となれ」
 その時、不快な音が町へと響いた。音の方向に目を向けると、町を呑み込むほど巨大な影の怪物が唸っていた。アポカリプティックサウンド・・・世界の終末か。
「あとは・・・頼みます」
 俺の意識は少しずつ遠退き、逢坂の力に呑まれていった。

 この時を待っていた!

「本来の予定じゃ、この通りになるんだろ?」
 思いのほか、目が覚めるのが早かった。流石は千堂さんだ。一瞬で俺の力を抑え込んでくれた。
「馬鹿な!なぜ影に取り込まれたはずのお前に意識がある!?」
 逢坂が先程まで見せなかった驚きの表情で俺を見ている。力に吸収されるはずの俺が、まだ思念体として実体を持っているのだから無理もない。
「とりあえず、今度はこっちの予定通りに進めさせてもらいますよ」
 俺は自身の力と繋がっている逢坂の霊力を出来るだけ掻っ攫い、再び俺の身体に戻った。
「なるほど、これがひなの力か。コントロール出来ないと、確かに余計な霊力まで吸収しそうだな」
「お前・・・何をしたァ!」
 力を奪われて取り乱している逢坂を見て、俺は少しだけ申し訳なくなったが、町を守るためだ。許してほしい。
「影は影を引き寄せるんだろ。それに、ひなと接触したときに少しだけ光の力を渡してくれたんだ。だから霊力を吸収する力を使えた。かなりの荒業だったけど、なんとか上手くいったか」
「怒りに任せて戦い、わざと呑み込まれたというのか。そんな力を持っていたとは」
「これは俺だけの力じゃあない。ひなや仙堂さん達と、みんなのおかげで戦えているんだ。もうじき、俺の仲間があの怪物も倒すと思うぜ」
 俺はそう言って、先程の巨大な怪物を見上げた。遠くの方では、明らかに自然発生ではない稲光が見える。ゼロの力だろう。
「馬鹿な、馬鹿な!」
「逢坂さん、あなたを除霊する」
 俺は全身から最大限の力を湧き出し、砕き散らす勢いで逢坂に気功を撃ち放つ。爆発音と同時に、逢坂は苦しげな声を上げた。その瞬間、遠くで爆発音とラッパのような不協和音が鳴り響いた。向こうも終わったようだ。直後、俺達の意識は何も無い空間へ飛ばされた。辺り一面が白く、音も聞こえない。そこに、俺と逢坂が二人。
「私が・・・敗北したというのか」
「逢坂さん、あなたの気持ちには共感します。けど、そのために大勢の人達を犠牲にするのは間違っている」
「ああ・・・間違っていたよ。君は復讐の鬼などではなかった。しかし、君が違ったとしても人間は愚かで罪深い!すべての過ちを断罪すべきだ!」
「無理なんですよ。罪や過ちを犯さない人間なんて一人もいない。確かに、罪は許されないかもしれない。けど・・・いつかその分だけ、優しく生きればいい。俺だって、過ちだらけです」
 俺は倒れ込む逢坂の前に座り、これまで自分が犯してしまった小さな過ちを思い出して苦笑した。本当に申し訳ないこともあるが、おかしなことのほうが多い気がする。
「君は、本当にそれでいいのか?」
「いいんです。だからもう・・・やめましょう。こんなこと」
「ああ。ようやく私の魂は、影から解放されたようだ」
 次第に逢坂の姿が透過されていく。終わるのだ。そして、次の世界が始まる。
「そうだ逢坂さん、最後に訊かせてください」
「なんだ?」
「どうして、祖父のことを知っていたんですか?」
「ああ・・・雨宮浩太郎先生は、霊能界では有名人だったからな」
 なんだ、いつもと同じか。俺は心の中でそう呟きながら少し笑った。今日という、長い一日が終わる。

   〇
 優しい呼び声で起こされた。つい昨日、聞いた声のはずなのに、とても懐かしく思えてしまう。
「しぐるくん、起きて」
 目を開けると、いつもとは違う格好のその人がいた。巫女のようだが、少し違う。これが神様なんだな・・・なんて、少し見とれてしまう。
「大丈夫?しぐるくん」
「日向子さん、ここは?」
「わたしの世界よ。よく頑張ったわね!これで戦いは終わり、浄化も成功した。わたしね、新しい世界の神様になったの」
「ああ、そうでしたね」
 俺の返答に、日向子さんは少し戸惑っている様子だった。
「しぐるくん、知ってたんだ」
「千堂さんから聞きました。ずっと心の中で話してて。だから、知ってますよ。新しい世界が始まれば、みんなの記憶も・・・」
 浄化には、一つだけ困った点がある。世界が創造されてから後に起こった出来事が、すべてリセットされているのだ。もちろん、影世界に関することのみとなる。
「ごめんね・・・結局、最後まで怖くて言えなかった。みんなが、浄化をやめちゃうんじゃないか~なんて思っちゃって」
 日向子さんはそう言ってはにかんだ。相変わらずだ。日向子さんにこの表情をされると、大体のことなら許してしまう。
「大丈夫です。俺もきっと、全てを忘れてしまう。でも、あの世界で起こったことは確かに現実でした。それだけは、絶対に消えません」
「しぐる・・・くん・・・」
 日向子さんは嗚咽しながら大粒の涙を零し、俺を抱きしめてくれた。
「ありがとう・・・ありがとう。次の世界であなた達が全てを忘れても、わたしはずっとこの町を守り続けるからね」
「お願いします。神様」
「うん!」
 彼女は涙を拭い、俺に顔を向けて頷く。長い夏が、終わる気がした。

モノローグ~ヒナのユートピア~

 世界の終わりって、何なんだろう?何かが終わるってことは、新しい何かが始まるってことなのかな。わかんないけど。
 お兄ちゃんが、私のいない人生に価値が無かったなんて言ってたのを、ふと思い出した。そんなことないのに、それ言っちゃったらみんなに失礼だよ。
 でもね、もしも逆の立場だったら、私も同じこと考えちゃうと思うんだ。死んでから楽観的になっていたけれど、生きているときはもっと感情的で、馬鹿みたいなことで泣いたり、笑ったり、怒ったりしてた気がする。だから、今こうして色々思い出してみると、すごく切なくて、感傷的になってしまいそう。私、生きてるのかな?なんて勘違いしちゃいそうだよ。
 早々に話が脱線しちゃったね。私が話したかったのは、この世界が終わった後のこと。次の世界がどんな感じなのかってことなんだ。
 鈴那お姉ちゃんは、どんな世界がいい?あ、ごめんね。この声は届かないんだった。死人に口なしとか、上手く言ったものだよ。
 私はね、みんな笑顔になれる世界がいいな。世界が変わるって、たった町一つが変わるだけだけど、それでも平和が一番だね。
 欲を言えば、お兄ちゃんと一緒に夏祭り行って、りんご飴を食べて、花火を見て・・・ううん、次の世界ではみんなで行きたい!お兄ちゃんと、鈴那お姉ちゃんと、露ちゃんと、ゼロさんと、みんなで。あ~、蛇さんも連れてってあげようかな。暇そうだし。
 って、今の私はもう死んじゃってるんだけどね。あーあ、願い事いっぱい言ったけど、もう叶わないかも。
 まあ、それでもいいよ。お兄ちゃんやみんなが幸せに暮らせてるなら私も幸せだし、それが私にとってのユートピアかな。ユートピアって、トマス・モアの描いたユートピアを私は見たこと無いし、この言葉を当てはめていいのかもわかんない。でも、私の描いた理想郷がこの世界から見たユートピアだとして、私達が世界を作る手助けをしたなら、正しいんじゃないかな。お兄ちゃんは、きっとそう言ってくれる。だって、優しいから。
 長くなっちゃったけど、そろそろお別れだね。お兄ちゃんと、もっと話したかったなぁ。こんなひとり言じゃなくて、もっと、ちゃんと・・・やっぱり、贅沢はいいや。
 どうせ全部終わる。あの夏の喧騒も、三分前のことすらも、全部・・・だから、今度こそ本当にさようなら。
 また、夏のどこかで。

夏風ノイズ

 夢を見た。俺は見覚えのある山の中を歩いている。不意に、何かが顔に引っ掛かった。蜘蛛の巣だ。田舎に住んでいれば慣れっこにもなりそうだが、俺は言うほど田舎に住んでいない。言うほど田舎ではなくとも蜘蛛の巣に引っ掛かることはあるが、なかなか気持ち悪いものだ。
 引き返そう。そう思った直後、何かに足を掴まれた。思わず下を見ると、足首には太い蜘蛛の糸が絡まっている。これはやばい。逃げようにも、やたら頑丈な糸で切れそうにない。そうこうしている内に、この糸を放った犯人が姿を現した。巨大な蜘蛛だった。今まで心霊現象には何度も出くわしたが、こんな化け物を見たのは初めてだ。まるで、妖怪・・・。
「そこまでだ、土蜘蛛!」
 唐突に聞こえてきたその声の主は、俺の頭上、木の上にいた。20代前半の男性だろうか。彼の周りを飛び交っているのは、ただの鳥ではなさそうだ。
「その気色悪い糸を千切れ!一の巻・旋風陣!」
 ピィー!と、男性の吹いた笛の音が山の空気を振動させる。それを皮切りに、飛び交っていた藍色の鳥達は一斉に動き出し、風とともに俺を縛っていた蜘蛛の糸を切り裂いた。
「さぁ、チェックメイトだ」
 木から飛び降りて見事に着地した男性が、腰に着けたポーチから風車を取り出した瞬間、木々の隙間を吹き抜けていた風が一斉に男性を取り囲み、風車を強く回転させ始めた。
「初段・突風の陣」
 男性の放った風車は大蜘蛛の胴体を貫き、禍々しい巨体は静かに消滅していった。

   〇
 目が覚めた。
 何だか、不思議な夢を見ていた気がする。起きてしまうとその内容を思い出せないのは、いつものことだろう。時計を見ると、午前9時になる頃だった。8月16日、もうじきお盆も終わりか。どうせならば、夢の中で祖父にでも会いたかった。
 不意に、廊下を小走りで駆けてくるような足音が聞こえてくる。俺の部屋の襖が開けられ、少女が赤いリボンを揺らしながら微笑んだ。
「お兄ちゃん、休みだからって寝坊しすぎだよ。起きて!」
「おはよう、ひな」
 妹のひなだ。俺は高2でこの子は中1。もう一人いる妹も中1だが、養子なので血は繋がっていない。
「さぁ、もうお母さんと露ちゃんは先にご飯食べちゃったよ。私はお兄ちゃんのために待っててあげたんだから!」
 なぜか胸を張ってそう言う彼女に、俺は苦笑した。確かに、寝すぎた気はする。それにしても蒸し暑い。今年の夏は、やはり異常である。
 居間へ行くと、母親と露が俺達の朝食を準備していた。露とは、養子の妹のことだ。水色の長い髪で、少しお転婆なひなとは違い、落ち着きのある可愛らしい子だ。
「おはようしぐる。随分長く寝てたわね。昨日夜更かしでもしてたの?」
「おはよう。いや、わりと早く寝たはずだけど。っていうか昨日何してたっけ?」
 母親の問いで、改めて昨日のことを考えてみるが、よく覚えていない。
「兄さん・・・昨日は家族でお墓参り行ったあとに、街までお出掛けしたよ。お父さんだけ仕事だけど」
 露が半ば呆れた顔で教えてくれた。そうか、そういえば街のほうに行った記憶がある。何をしたのかはあまり覚えていないが、とりあえずソフトクリームを食べて暑さですぐ溶けてきたということだけが断片的に頭の中にある。
「ソフトクリームか」
「しぐる~、まだ夢の中かな?はい、ご飯できたから食べてね」
 ふと我に返った俺は、並べられた朝食の前に座り手を合わせた。元々、我を忘れていたわけではないが。
「いただきます」
 母の味は相も変わらず美味しいが、なぜか懐かしく思えてならなかった。
「お兄ちゃん、今日は何かやるの?」
 食後の歯磨きをしていると、ひながそう訊ねてきた。俺は咄嗟に「ちょっと出掛けてくる」と返す。特に用事があるわけでもなく、強いて言えば気分転換だろう。
「そっか、気を付けてね」
 ひなは笑顔で言うと、洗面所を出て行った。出掛ける前に、しっかり水分補給をしていこう。

   〇
 最寄りのバス停からオレンジ色のバスに乗り、大手町で下車する。暑い、暑すぎる。夏休みということもあり、街の喧騒はいつもに増して騒々しい。さて、どこへ行こうかと考えていると、不意に視界の端で何か黒いものが動いた。
 昔からだ。俺は霊感がかなり強い方で、こんな街中でも見えなくていいものが見えてしまう。先程の黒いものは、明らかに人外の気配であった。霊ではない、妖怪の類である。しかし、何か懐かしさが込み上げてくるような気がするうえ、心なしかその気配は自分に似ている。
 無性に気になって仕方がない俺は、黒いものの後を追った。人通りの多い商店街を抜け、狭い道から更に裏路地へ入る。
「鬼灯堂・・・」
 そう書かれている看板の掲げられた、古ぼけた一軒の店。駄菓子屋のようだ。そこの前には、先程のものと思われる一匹の黒い蛇がいた。蛇は尾っぽから紫炎を揺らめかせ、じっとこちらを見ている。まるで、俺をここまで案内してきたかのようだ。
「よう、しぐる。気分はどうだ?」
 蛇が俺に向けて言ったと思われる言葉は、やけに馴れ馴れしく、妙な気分だ。というか、喋れるのかコイツ。
「お前、なんで俺の名前知ってるんだよ」
「そりゃあ、相棒の名前を忘れるわきゃねーだろ。てか、おかしいな・・・お前さんは忘れてねーはずだぜ?じゃなきゃ俺様みてーな得体の知れないあやかしに着いてこねーだろ」
 さっきからこの蛇は何を言っているんだ?おかしい、覚えのある声とこの妖気は何なのだろう。
「まぁ、入れよ」
 蛇に促され、鬼灯堂という店の中へ入ってみることにした。薄汚れたガラス戸を引いて店内を見ると、レジと思しきカウンターの奥に一人の少年が座っていた。少年は人のようだが、僅かながら妖気を醸し出している気がする。
「いらっしゃい。お久しぶりですね、しぐるさん」
「ゼロ・・・?」
 俺は今、彼の名を呼んだのか?そうだ、あの少年の名前は神原零。ゼロだ。そして、この蛇はサキ。
「ようやく思い出したか~!待ってたぜ相棒!」
 サキが俺の肩に飛び乗り、懐かしい重量を感じた。かつての世界で起きたことや、全ての仲間たちのこと、そして汚染を阻止して新世界を創造したことも全て思い出した。
「ゼロ!俺は、全部思い出したよ。だって、日向子さんや千堂さんに言われてたんだ。新世界では汚染と浄化に関する記憶は全て消えるって。ゼロはなんで覚えてるんだ?鈴那や右京さん達は?」
「覚えているのは、たぶん僕としぐるさんと、あと数人ほどです。僕は自分の妖力に干渉しすぎて影響を受けなかった。しぐるさんは、千堂さんの力を身体に宿したままですからね。思い出すのに時間はかかったみたいですけど。それに・・・」
 ゼロが俺の後ろを見て軽く頭を下げる。気になって俺も振り返ると、和服を着た中年の男性が店へ入ってきたところだった。
「長坂さん!?」
「しぐる、やっぱり覚えていたか」
「長坂さんは、たぶん過去に使った禁術が影響してるんでしょうね。まったく、平和な町になったんですから、もう妙な術は使わないでくださいね」
 ゼロの忠告に、長坂さんは苦笑して「わかっておる」と言った。
「どうせ神主は辞めるからな。喫茶店を始める約束は果たすぞ。しぐる、遊びに来てくれ」
「何気に、最初に聞いた時から楽しみにしてましたから。もちろんです!」
 何かを思い出すことがこんなにも嬉しく、切ない気持ちになるのは初めてかもしれない。気を抜くと、少し感傷的になってしまいそうだ。
「さて、サキさん長坂さん、ちょっと店番頼めますか?」
「任せなさい。というより、客も来ないだろう」
「だなぁ」
「そうですけど、そんなこと言うと日向子さんに叱られますよ。しぐるさん、ちょっと出掛けましょう」
 ゼロはそう言ってスマホと財布だけポケットにしまい、軽く伸びをした。俺達は長坂さんに見送られて店を出ると、そのまま商店街とは逆の方向へ歩いて行った。上土を出て通横町の交差点を過ぎ、最初のバス停を過ぎたところ辺りで、俺はゼロに気になっていたことを訊ねた。
「ゼロ、家族とはどうなってるんだ?記憶は?」
 俺の問いにゼロは動じることも無く、普通ですよと答えてから詳しく話し始めた。
「父も母も琴羽も、記憶はありません。けど、僕が色々話したんですよ。こちらの世界での昨日までの記憶が僕には無い。だから、会話に矛盾が生じるんです。思い切って伝えたら、最初は信じてもらえなくて・・・」
 それもそうだろう。世界が創りかえられたなんて突飛な話を突然されても、信じられるわけがない。
「でも、琴羽が言ったんです。強ち冗談でもないよねと。どうやら琴羽の能力で、過去に影世界が創造される前に予知していた記憶が残っていたらしいんです。まさかとは思い記録も残さなかったらしいんですが、断片的に覚えていてくれたおかげで僕の頭がおかしいだけじゃないってことぐらいは証明できました」
「予知って、新世界のことか?」
「そうです。影世界のことまでは予知できなかったらしいんですが、世界が創られることぐらいは何となく勘付いていたっぽいですね。なので、両親も少しは信じてくれました。僕はこれから、この世界でどう生きていくかを考えてみようと思います」
 ゼロは少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべた。彼の話を聞いた俺も、少し嬉しくなる。それからも、夏の思い出や他愛もない話をしながら暫く歩いていると、気付けば港の通りまで出ていた。横断歩道を渡り、内港の横にある商業施設の建物の前まで行くと、そこに立っていたのは見知った顔の女性だった。
「来てくださってありがとうございます。市松さん」
「いいえ~、みんな無事でよかった。なんだか久しぶりね、しぐるくん」
 彼女はそう言って、肩に乗せたイズナを撫でながら微笑んだ。彼女まで記憶が残っていたとは驚きだ。
「お久しぶりです。市松さんは、どうして記憶が?」
「私はほら、狐憑きの家系だもん。朝起きて代わり映えしなかったし、浄化とか汚染とか夢だと思ったけど、右京さんに連絡してみたら昨日は全く別のことをしていたらしいので。それに、イズナ達も覚えていたから」
「妖怪や神様は、世界の変動に記憶が左右されない。だから、それらの力に干渉している僕達の記憶はそのままなんですよ。おかしなものです。友人達とは記憶が違うんですから」
 ゼロは苦笑しつつも、どこか寂しそうな表情を浮かべた。いや、ホッとしているようにも見える。
「さぁ、僕はここでお別れです。しぐるさん、市松さんとドライブにでも行ってこられては如何です?市松さんも色々話したいからって来てくれましたから」
「え、そうなんですか?」
 俺が市松さんの顔を見ると、彼女は以前見せたような笑顔で頷いている。ゼロと別れて施設の駐車場まで行くと、見覚えのある自動車が停められていた。市松さんはそれの運転席に乗り、俺は隣の助手席に座る。
 港を出て、車は伊豆方面へ向かう。俺が霊力のことで悩んでいた頃、こうして市松さんが西伊豆のほうまでドライブに連れて行ってくれたことを思い出す。今日は、どこまで行くのだろうか。
 最後の戦いで、市松さんはどうしていたのか。俺がどうなったかなど、8月の最終戦争について語り合う。過ぎてしまえば思い出になるが、本当に壮絶な戦いだった。
 内浦に差し掛かった頃、俺はふと今日の行き先が気になったので、市松さんへ何処まで行くのかと訊ねた。
「う~ん、それはまだ秘密。でも、せっかくイズナ達が見付けてくれたからさ。これはしぐるくんを連れていかなきゃって思ってね」
 果たして、イズナが何を見付けたというのか。気にはなるが、秘密と言われたら詮索のしようがない。楽しみにしておこう。
 懐かしい中学校前を通り、西浦の海と長閑な街並みが車窓の向こうで流れていく。以前通った狭い道路を再び通り、幾つかの海水浴場を通り過ぎた先の更に奥へ進むと、辿り着いたのは大瀬崎だった。
「大瀬崎ですか。まさか、ビャクシン樹林でオバケが出たとかじゃないですよね?」
「違うわよ~、もっと大事なこと。でも、お盆だから妖怪土用波に注意しないとね~」
「土用波って妖怪なんですか・・・」
 何気ない冗談を言いつつ、いい匂いを漂わせてくる海の家を背に、イズナの案内で神社のある方面へと歩いて行く。ダイビングショップが見えてきた頃、店の手前にある桟橋で、彼女は海を見ていた。
「鈴那・・・!」
 俺は思わず走り出すと、鈴那の後ろで立ち止まり声をかけた。覚えているかも分からない。突然話しかけたら迷惑だろうか?変なヤツにナンパされたとか思われてしまうかもしれない。それでも、俺は・・・。
「鈴那・・・!さん、ですよね?」
 下手に緊張して変な訊ね方をしてしまった。彼女はきょとんとした顔でこちらへ振り返ったが、俺と目が合った瞬間に表情を変えた。何か思い出したような、そんな顔だった。
「あの・・・!俺、君のことを!」
「あたし・・・あなたと、どこかで」
 彼女の目から涙が溢れ出す。気が付けば、俺も泣いていた。
「雨宮・・・しぐる。それが俺の名前だよ!覚えてないか・・・?」
「・・・しぐる、さん。しぐ、そうだよね?たぶん」
「そうだ!しぐって呼ばれてたんだよ俺。他に何か覚えてるか?」
 俺の問いに、彼女は首を傾げながらも何かを思い出そうとしていたが、それ以上は覚えていないらしい。
「でもね、しぐ」
「うん?」
「あたし、あなたとは大切な思い出が沢山あった気がするんだ。ちょっと思い出せないけどね。だから、あたし・・・しぐと友達になりたいな!」
 俺は流れる涙を拭い、そして笑った。
「こちらこそ。あれだな、俺からすればだけど・・・2度目の初めまして、かな」
「うん、初めまして!よろしく!」
 彼女の見せた笑顔は、いつも通りのあの笑顔だった。

   〇
 大瀬崎には鈴那の母親である夏陽さんと一緒に来ていたようで、俺と鈴那が向かい合って泣いているところも見られていた。夏陽さんは御神体の加護のようなものがあってか、魂だけは既に光の世界へ在ったのだという。そのため、彼女は俺の夢に出てきた時の記憶まで鮮明に覚えていた。今は旦那さんとは離婚して、沼津へ移住してきたらしい。と、新世界ではそういうことになっている。
 鈴那は、夢の内容をぼんやり覚えている程度の記憶しか残っていないらしく、俺と付き合っていたこともほとんど忘れてしまっているとのことだ。大丈夫、また彼女との日々を創っていこう。そしていつか、今度は俺の方から告白しよう。
 家に着いてから再びひなの顔を見た時、俺は泣きじゃくりながらひなを抱きしめた。ひなはやはり記憶が無いようで、気味悪がっていた。
「お兄ちゃんみたいな人のこと、シスコンっていうんだよね。ちょっとキモいな」
「シスコンだろうが何だろうが!好きによんでくれぇ!ひなあああ!」
「お母さーん!お兄ちゃんがおかしくなっちゃった!病院つれてく?」
「暑さで頭やられちゃったんでしょ。ここまでくると狂気だけどね。寝かせとこ」
「兄さん・・・すごく、気持ち悪いね」
 無事、俺は母親と妹達から罵倒され果てた挙句に自室で寝かされた。
 次の日からは、また変わらない日常が続いた。残りの夏休み、課題も終わってしまい除霊の仕事も無い。暇すぎてどう過ごせばいいのかわからないまま日々が過ぎ去り、気が付けば2学期が始まっていた。
「ひ、ひなちゃん、ちゃんと下に着ないと透けちゃうよ!」
「え~だって暑いじゃん!別に気にしないからいいよ。ね、お兄ちゃん!」
「ひな、頼むから着てくれ」
「ひなちゃん、セーラー服似合うねぇ・・・」
 会話の最後、ここに居てはいけない者の声が聞こえた。
「おいサキ、お前いつのまに俺んち住み着いてんだよ」
「いいじゃねーか!3年間同居した仲だろ。また露ちゃんの用心棒でもやってやるわ。暇だし」
「兄さん、その蛇さん昨日から居るけどなに?除霊しないの?」
「あ、コイツは・・・俺の使役してる妖怪。サキって名前」
 俺は咄嗟にそう言ってしまったが、サキは案外普通に頷いた。そういうことでいいらしい。
「ふーん、そうなんだ。サキさん用心棒してくれるんですか?最近は物騒だもんね。じゃあ、よろしくお願いしますね」
「あ、受け入れてもらえた。まじか」
 サキは拍子抜けしたのか、呆けた顔のまま露たちの後をついて行った。
「学校まで着いてくるのはやめてください!」
 数秒後、露の怒った声とほぼ同時にサキが戻ってきた。
「あー、なんか露ちゃん前よりキツくなってねえか?」
「ツンデレなんだよきっと。さて、俺も行くわ。じゃあサキは留守番よろしくな。行ってきます」
「おう、気を付けてな」
「露ちゃんに着てきなさいって言われちゃった」
 俺が出ようとすると、ひなが苦笑しながら戻ってきた。
 家を出て、バス停でバスを待つ。残暑の中では、まだ生き残った蝉達の声が熱を揺らしている。
「ありゃ、しぐちゃん。学校か」
 不意に声をかけられ、誰かと思って見てみると、右京さんが何やら大きな荷物を持って立っていた。
「右京さん、おはようございます。どうしたんですか?」
「ああ、ちょっと仕事で色々あってさ。蛍の人形が壊れちゃったんだよ。これから修理に持ってくところ」
 右京さんは以前と変わらず、明るい笑顔でそう言った。
「え、ということはこの近くで何かあったんですか?」
「海のほうでちょっとな~、まあ解決したけど。そんなわけだから気を付けて、いってらっしゃい!」
「行ってきます!」
 彼も前の世界での記憶は無いが、夏休み中にゼロから再び紹介してもらい、新しい怪異調査事務所を創設するとかの関係でまた色々と話すようになったのだ。調査員候補には、以前のT支部メンバーや春原もいる。
 暫くすると、見慣れた色のバスが目の前に停車した。それに乗車し、駅まで向かう。そこから更に歩けば、俺達の通う高校があるのだ。始業の日はやけに懐かしく感じたが、数日通ってしまえばまた慣れるものだ。
 放課後、俺はゼロに呼びだされて1年の教室がある階へ来ていた。少しすると教室からゼロが出てきて、俺を見ると軽く会釈してきたので、俺もつられて少し頭を下げた。
「どうです?この世界には慣れましたか?」
「この世界も何も、あんまり変わってないから何とかやっていけるよ。それに・・・ひなも母さんも、父さんも居るから」
「そうですか。よかったです」
 かつての記憶は無くても、大切な家族が生きている。それだけで、俺には十分すぎた。
「それで、答えは出せましたか?調査員になるかどうか」
 本題はこれだ。怪異探偵事務所を立ち上げるにあたり、一週間前から俺も声を掛けられていたのだ。
「確かに、俺には強い霊力がある。今はなるべく力を抑えてるけど、除霊には役に立てると思う。ただ・・・」
「ただ、なんですか?」
 ずっと迷っていた。これから俺がすべきことは何なのか。何がしたいのか。そして、少しずつだが目標みたいなものは見えてきた気がする。
「やめとくよ。なんか、たまに手伝うぐらいならいいけど、他にしたいことがあるんだ」
「・・・そうなんですね。わかりました!では、どうしようもない時にはお願いするかもです」
 ゼロははにかみながら言った。これでいい。もしも、またこの町を脅かすほどの悪意が現れたら、その時はやってやる。
「小学校の先生になろうと思ってさ。何度も見てきた・・・痛いほど見てきた非情な現実が繰り返されないように、教育者の立場として子供達に生き方を教えていけたらって」
「素敵ですね。しぐるさんなら、きっといい先生になれますよ。応援してます!」
「ありがとう。あと、小説を書こうと思うんだ。あの夏に、向こうの世界で起こったこと、この世界になるまでの・・・俺達の物語を」
 というか、もう既に書き始めている。俺の拙い文章力では、上手く表現できないのが最初の悩みではあるが。
「ふーん、しぐ小説書くんだ!」
「鈴那!いつの間に!?」
 気付かないうちに後ろで俺の話を聞いていたらしい鈴那が、ニヤニヤしながら顔を覗き込んできた。
「いいと思うよ。しぐの小説、楽しみにしてるね!」
「ですね。それで、タイトルとかはもう決まってるんですか?」
 タイトルは、きっとこの物語が始まった時から決まっている。あの日、あの時、イヤホンを超えて聞こえる蝉時雨が教えてくれた全ての始まりが、この物語のタイトルだ。

「夏風ノイズ、かな」

エピローグ

 日曜の朝、小説を書いている。街を行き交う人々の声も、熱された空気を揺らす蝉達の合唱も、3年前の夏の温度も、全てを綴るには、俺の文章力が足りないようだ。
 ただ、あの夏の全てが、まるで3分前のことのように思えてならない。それほど鮮明で、消えることのない事実であったのだ。
 窓の向こう、夏が終わった空を見る。ラジオから流れてくる音楽は、一昔前に流行ったアーティストの夏曲だ。曲名はわからないが、漠然とした懐かしさが込み上げてきて感傷的になってしまう。
 どうか、あのまま夏が続いてほしい。そんなことを願ってしまうくらいなら、物語に描いてしまえよ。心の奥で、誰かがそう叫んでいる。だから俺は、消えないようにあの夏を模倣するのだ。
 この夏の出会いと、あの夏の別れを、忘れないように。

夏風ノイズ

ありがとうございます。

夏風ノイズ

生まれつき霊感の強い青年、雨宮しぐると、変わり者のJK霊媒師、城崎鈴那。二人の出会いをきっかけに繰り広げられるひと夏の青春ホラー群像劇。 絵は唐猫 杏さん。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青春
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-04-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 夏の喧騒、三分前に
  2. 呪術師ゼロ(前編)
  3. 呪術師ゼロ(後編)
  4. 二面性霊力差
  5. 雨天の怪異
  6. 鬼灯堂
  7. 夏の宵、見上げた火の花
  8. 七月末の最後に
  9. 夜祭後の
  10. 海中列車(前編)
  11. 海中列車(後編)
  12. 喰らう(異聞)
  13. 中に潜むもの
  14. 見えない刃
  15. ジョゼと夕立
  16. 潮風アンサー
  17. 回想レスト
  18. 炎天プロムナード
  19. 蛇と少女
  20. 呪術師連盟
  21. 除霊と焦燥感
  22. 憑代と操り人形
  23. 海辺の街で
  24. 納涼ブレイク
  25. 放置された闇
  26. 夏に囚われて
  27. しぐると露(前編)
  28. しぐると露(後編)
  29. デスゾーン
  30. 鈴音ノック
  31. ブレイバーの決意
  32. デイドリームリバイブ
  33. 感傷ナイトメア
  34. デイドリームリマインド
  35. 蝉騒の止む頃に
  36. 八月の最終戦争~零の始まり~
  37. 八月の最終戦争~福鈴~
  38. 八月の最終戦争~蝉、時雨る~
  39. モノローグ~ヒナのユートピア~
  40. 夏風ノイズ
  41. エピローグ