コンフィチュール
君に愛されてみたかった
目の前にりんごが1つ転がった。おそらく買い物帰りの主婦が落としたのだろう。私の中でりんごがとろとろと煮詰められ、真っ黒い何かになって心の中に流れ込んで来ようとしたとき、私は心の中でそっと蓋を閉じた。りんごは、あの人の好きな果実だった。
あの人は、弓道部の先輩だった。背が高くて、誰からも好かれるような、人懐こい笑顔の人だった。私はあの人に恋をした。きっかけがなんだったのかはもう覚えていない。同じ空間で過ごすうちに、憧れが、好意に変換されていったのだと思う。99%、叶わないような、そんな恋だった。それでもいいと、思っていた。ただの先輩と後輩の関係が、半年間続いた。あの人は、私の好意に気付いていたと思う。それでも、いつもと変わらない、あの笑みを私に注いでくれた。あの人の卒業が間近に迫った2月。突然メールが来た。受験が終わった、とか、世間話程度の話題だろうと思っていた。『近いうちに、二人で会わない?』そういう内容だった。私の心は、わかりやすく跳ね上がった。『もちろんです。』と間髪入れずに返信した。数日後に、あの人の家でDVDを観る約束をした。男の人の、しかも好きな人の部屋に上がるなんて、と思ったけれど、恥ずかしさよりも好奇心が買っていた。あの頃の私は、ばかだった。知っていたくせに。あの人は、りんごのタルトとアイスティーを出してくれた。私、りんご、好きなんですよね、というと、あの人は俺も、と言って笑った。DVDを観ながら、二人で黙々とタルトを食べた。「俺のこと好き?」唐突にあの人が言った。もやもやした何かが、私の心に入り込んできた。しばらく沈黙したのち、私は「はい、ずっと。」と答えた。言ってはいけないと、わかっていたのに。彼は笑ったが、いつもの笑みではなかった。そして、私にキスをした。
彼の隣に寝ころびながら、私は確かな罪の意識を感じていた。その意識は煮詰めすぎたコンフィチュールのようで、なんだか胸がむかむかした。彼には、ずっと付き合っている彼女がいるのだ。私の中で彼が、私が、壊れる音がした。
コンフィチュール
物語は、ハッピーエンドばかりじゃない