直立犬人

『新労働力雇用実務セミナー』という看板が掲げられた会場には、50名ほど集まっていた。
(高校の授業を思い出すなあ。ホント、つらいよ)
 人材派遣会社の採用担当である元木は、周期的に襲って来る睡魔と闘っていた。
(どうして、もっと楽しいしゃべり方ができないんだろう)
「元木さん、大丈夫ですか?」
 いきなり耳元でささやかれ、元木はビクッと上半身を起こした。すぐそばに、会場を巡回している係員が立っていた。いつの間にか、テキストに顔がくっつきそうなくらい頭が下がっていたのだ。
「あ、はい!」
 思わず大きな声が出てしまい、会場中の注目が元木に集まった。すると、おしゃべりを中断されたセミナー講師が、黒縁のメガネ越しに元木をジロリと見た。
「まだ説明の途中だから、質問は最後にしてくれんかね」
「はあ、すみません」
 会場のあちこちで失笑が起きたが、講師は構わず話を続けた。
「ええ、つまり、歴史的に見ると、日雇い派遣の禁止が、却ってフリーターの労働条件を悪くしたのである。派遣というのは、相手先では日雇いであっても、派遣会社にはちゃんと雇用されていたわけだが、それすらなくなって、本当の日雇いになってしまったのだ。労働条件の悪化は目に見えている。フリーターという生き方そのものが、成立しづらくなってきた。一方、企業側は依然として、需給調整の容易な労働力を求めている。そこで、だ!」
 講師は演台を拳でガンと叩いた。
「人間以外の労働力が使えないかと考えられようになった。もちろん、ロボットもいるが、まだまだ高価だ。そこで、動物を進化させるというアイデアが生まれたのだ。アイデアそのものは古い。そう、これはフィクションの話だが、みなさんの中にも、子供の頃、サルを進化させるという映画を見たことのある人がいるだろう。確かに、当初、サルは有望視されていた。だが、いかんせん、性格が凶暴過ぎる。映画でも、結局は、人類に反旗を翻していた。そこで、白羽の矢を立てられたのが、そう、我らのイヌなのだ!」
(この講師の言い方は大仰過ぎる。それに、『そこで』という言い回しが、やたらと多いな)
「ここにお集まりのみなさんは、企業の人事担当者として経験を積まれて来たと思うが、実際に直立犬人を使用されたご経験のある方は、おられるだろうか?挙手をお願いしたい」
 誰も手を挙げない。講師は、大きく頷いた。
「そこで、だ!今日は、みなさんに実物を見てもらいたい。今、エッという顔をされた方がいらしたが、心配ご無用。今も昔も、イヌは人間のベストパートナーだ。忠実で、従順で、賢い。少しも心配はいらない。みなさんも、一目で気に入ると思う。さあ、これからこの国を支える新しい労働力になるはずの、直立犬人に登場してもらおう。タロ!出ておいで!」
(お、こいつがそうか。意外にスマートだな。歩き方も全然ぎこちなくない。顔も割とかわいい。ただ、舌を出してハアハアいうのは、ちょっと、あれだな)
「みぬすん、くぉんぬつワン!」
 発音は不明瞭極まりないが、イヌが、いや、直立犬人がしゃべったことに、会場中がどよめいた。その反応を見て、講師は満足げに頷いた。
「どうかね、みなさん。口や喉の構造上、発音はこんなものだが、聞く方は完璧だ。業務命令は、普通にしゃべってもらうだけでいい。まあ、ボキャブラリーに限りがあるから、逆に、世間話をするのは難しいがね。さあ、そこで、だ!興味を持たれたら、是非、御社で試験採用してみていただきたい。使い方の可能性は無限だ。人手不足解消の切り札になること請け合いだ。昔、忙しい時には『ネコの手も借りたい』と言ったものだが、これからは、『是非ともイヌの手を借りたい』となるはずだ。それでは、みなさん、ご清聴、ありがとう!」
 ちょうどその時、セミナー終了を告げるベルが鳴った。すると、講師の横に立っていた直立犬人が、口からダラダラと唾液を流した。
(おわり)

直立犬人

直立犬人

『新労働力雇用実務セミナー』という看板が掲げられた会場には、50名ほど集まっていた。(高校の授業を思い出すなあ。ホント、つらいよ)人材派遣会社の採用担当である元木は、周期的に襲って来る睡魔と闘っていた。(どうして、もっと楽しいしゃべり方が......

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-28

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