落ちこぼれの微笑み(に登場する人物や兵器の解説)
オットー カリウス
第二次世界大戦中に、当時のドイツ第三帝国、国防軍の戦車部隊にて活躍した軍人で、150両以上の敵車両を撃破し、柏葉付騎士十字章をドイツ軍人の中で535人目に受章するなどの華々しい武勲を出した。
有名な戦闘としてはマリナーファの戦いや、キンダーハイムの戦いなどがあり、どれも戦車一両ではなく、戦車それぞれまたは歩兵とが連携し、それぞれをカバーしあう近代的な戦闘方法を重視していた。
今でもその名を知る人間は少なくなく、戦車を語る上では欠かせない人物の一人でもある。
残念なことに2015年1月に病によって長き生涯を終え、現在はその伝説的な武勲と名を残すのみとなっている。
しかし、彼のファンはいまだに多く、私自身も彼の意思を継ぐ者でありたいと願う。
まことに残念なことながら、お悔やみ申し上げたい。
彼の一生を年表にするとこのような感じである。
1922年5月27日にドイツ、プファルツのツヴァイブリュッケンにて生まれ、高校生までは一般的な生活を送り、1940年3月に高校を卒業後国防軍配属を目指す。
しかし二度にわたって身体的な問題により入隊することができず、5月25日にやっとの思いで入隊する。
最初の入隊先はポーゼンにある第104補充歩兵大隊という歩兵部隊であった。そこより戦車部隊への異動を希望し、第7機甲補充大隊に無事移動。
ここで初めてチェコ製の38(t)戦車に乗ることになる。
装填手を任されることとなったカリウスはその後、10月に第21戦車連隊第1中隊に配属され、ホルスタイン州プトロスに移動する。
1941年8月1日に軍曹に昇任すると18日には銀色戦車戦闘章を受章し、順当に軍隊生活を送っていく。
1942年2月には曹長に昇任し、10月1日には少尉となる。その後フランスを転々とし、所属替えとなる。
1943年初頭に所属替えとなり、第502重戦車大隊第2中隊へ配属、あのVI号重戦車「ティーガー(タイガーまたはティーゲル)」の戦車長となる。
その後は扱いの繊細さを要求されるティーガーを最大限に活かし、まさにティーガー乗りとして活躍を続けていく。
11月23日に1級鉄十字章を受章し、冬季の戦闘の負傷から12月15日には銀色負傷章を受章。
1944年5月4日騎士十字章を受章し、さらに7月15日には金色戦車戦闘章を受章。
そして7月27日には柏葉付騎士十字章をドイツ全軍で535人目に受章し、それと同時に中尉に昇任する。
長らくソ連軍をあいてに戦ってきたカリウスはその後の戦いの中でソ連兵に射撃され、負傷。
脊髄を損傷していたかもしれないような重傷を負うも、元気であったのは不幸中の幸ともいえる。
療養中、9月11日には金色負傷章を受章し、年明けと同時に前線に復帰する。
しかし、長らく戦ってきたソ連の地を離れることとなり、カリウスはソ連軍がいまだ根強く立ちふさがり続ける東部戦線を離れ、米英軍を主体とする西部前線へと踏み出す。
1945年1月2日、長き療養が影響し第500機甲補充大隊に勤務することとなり、2月11日に所属替えとなり、第512重駆逐戦車大隊に配属を受ける。
ここで初めて戦時中、最大の重駆逐戦車と言われたヤークトティーガーの戦車長となる。
東部戦線ほどの激しい戦闘もなく、2か月が経過、あられもない姿となったドイツの中で、4月16日にカリウスは自ら米軍と交渉し、同大隊ごとイーゼルホンにて米軍に全面降伏した。
その後ソ連が先だって赤旗をベルリンに掲げ、ドイツは降伏。戦争が終わった。
カリウスはその後大した戦争犯罪に問われることもなく自由となり、その後の人生を考えたうえで薬剤師を目指すこととなる。
1952年薬剤師の勉強に励み、国家試験に合格すると、第二の人生を送るための土台を築く。
1956年には、ヘルシュヴァイラー・ペッタースヘイムにて自身の薬局を開業する。
この薬局、薬局名が本人の命名で「ティーガー」となっており、今でも長らくティーガー薬局として営業している。
「最近の若者はこの名前を見てもなんのことだかわからない様子です。なんだか寂しい気もしますね」
彼は苦笑しながら日本の取材人にそう語った。
Pz.kpfw.Vl Ⅵ号戦車 ティーガーl(Sd.Kfz.181)
第二次世界大戦中最も有名な戦車の一つで、ドイツ重戦車の中でも伝説を誇る活躍を見せた戦車。
初陣を飾った1942年当時では最高である100mmの正面装甲をもち、有力な高射砲として威力を発揮し続けた88mmの主砲を搭載。
文字通り、連合軍を震え上がらせた。
(ティーガー開発の経緯)
戦前よりⅣ号戦車の後継兵器として、新たな戦車は必要とされていた。そしてⅣ号を上回る装甲をもった重戦車が開発対象となり、ドイツ兵器開発の重鎮であるポルシェ社とヘンシェル社の開発競争が始められた。
後継としてヘンシェル社がVK3001型重戦車を開発したが、これは4両を開発して中止に終わった。次に36tクラスの重戦車してVK3601が1941年7月に開発開始されるも、ここで兵器省より88mm砲を搭載可能な45tクラスの重戦車開発計画が出され、苦しくも中止に終わる。
ポルシェをリードし、開発を繰り返してきたヘンシェルもここでポルシェと同位となり、二社ともこの計画案を元に開発を進めることとなる。
そして、ヘンシェル社がVK4501(H)を1942年に完成させ、ポルシェもまたVK4501(P)を完成させる。
事実、この勝負はポルシェ博士のこだわりである内蔵機械の問題でヘンシェル社の試作車が実用試験に勝利、制式採用となり、生産対象として1945年8月より生産開始されることとなる。
この採用された車両こそが、Sd.Kfz.181 ティーガーE型重戦車である。
E型とは(Early Production)である、初期生産型を意味し、最初期に生産された極初期型をあわせ、中期型、後期型など、戦時中全4タイプのティーガーが実際に生産された。
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