未来 Ⅳ 次のステージ

大学病院へ

初めて三ツ矢大学病院を訪れたのは、昨年の十二月。
期待していた手術の結果に酷く落胆し、三好先生に相談した結果、
大学病院で脂肪吸引や減量といった足の形を整える手術を数回繰り返す、という治療をしていくことに話は落ち着いた。
三好先生の紹介で診察をしてくれることになったのは、大学病院の形成外科に二人いる教授のうちの一人、勝木教授。

勝木教授は、十二月の初診察の際にしっかりと足を診て今後のことについて話をし、手術を半年先の春に予定してくれたのだった。
次の手術が半年先なんて…と時間がかかるのを気にしていたのだが、手術が予定されている春はすぐにやってきた。

父親に車で送ってもらい、朝九時半に一人病院入り。外来がある総合病棟の奥に、入院のための病棟があった。
わかりにくい奥のエレベーターを使い、渡り廊下のあるフロアへ移動。
渡り廊下を渡ると、急に行き来する人の数が増え、コンビニやレストラン等があり、エレベーターもいくつか並んでいた。
思っていたよりも、新しくて綺麗な病棟。
案内された病室は、少し広くてプライバシーもほどよく守られており、居心地がいい雰囲気。
角部屋の窓際、大きな窓の外は、医学部の建物やラグビーもできるような広いグラウンド、そのむこうは見晴らしのよい緑の風景が広がっていた。

勝木教授の話だと、今回は脂肪吸引の手術で入院は三日とのこと。
今までの病院と違い、病衣を大学病院で用意してくれたりと持ち込む荷物は少なくてすみ、
三日分の入院の荷物はとてもコンパクトになった。遠方だったので、こちらとしてはとても助かる状況。
それなのに、入院してみるとどういうわけか、入院期間は一週間の予定だと入院計画の内容をみた担当ナースに言われたのだった。

ベッドには、主治医の勝木教授の他に、担当医・川野という名前がでていた。
担当の若手先生、川野先生は、なかなか面倒見のよい親しみやすい男性の先生だった。
入院当日の夕方、初めて顔を合わせた。
「明日の手術の説明をしようと思ってるんですが、手術をする上の医師が、まだちょっと時間がとれなくて。
もう少しして、また呼びに来ますね。」
ベッドに笑顔で現れたかと思うと、そう言ってすぐにいなくなった。
川野先生は 、入院期間中、必ず毎日なんだかんだとベッドまで顔だしてくれるようになる。

どうも、上の医師が見当たらないのを探してまわっていたような感じに思えた。
手術をすると暫く入浴ができない為、夕方入浴の順番をとっていたのだが。
説明の時間とかぶりそうに思え、入浴時間をずらしてもらうようにナースステーションへ行くと、
川野先生が歩き回ってるのをたまたま見かけたのだった。

三十分もしないうちに、川野先生は、私を呼びに来てくれた。家族説明室の方へとのことで、川野先生の後をついて行く。
川野先生に促され、部屋に入りかけようとすると、男性医師が一人、既に机についている姿が目に入った。
「こんにちは。よろしくお願いします。」
そう声をかけて入っていくと、その男性医師も口を開いた。
「よろしくお願いします。どうぞ。」
正面の席を勧められ、失礼しますと席についた。

男性医師は、藤先生といった。さっぱりとした短髪、細面でメガネをかけている。
あまり笑顔はないようだったが、落ち着いた口調で話をする。
川野先生は、上級医師より説明がありますからと言っていたが、年は、多分三十代半ば、中堅の医師だろう。

手術の説明が始まり、相槌を打ちながら大人しく話をきく。
川野先生は藤先生の斜め後ろ、壁際のイスに腰掛け、一緒に話を聞いていた。

藤先生の説明は簡潔でわかりやすく、本当に落ち着いた雰囲気の話し方だった。
しかし、堅いわけではないのだが、あまり表情がない。
かと言って印象が悪いわけでもなく、話ややりとりは、とてもスムーズ。
賢くてそつが無いというのか、クールな印象。

暫くすると、手術をする足をみせてほしいと言われた。
席を立ち、私の席の横にやってきたので、靴下に手をかけながら口を開いた。
「皮がむけてたりして、汚いんですけど。」
「いいですよ。大丈夫です。」
藤先生は、穏やかにそう言って足を手にとったりしながら、様子を確認する。
「足は、どのくらい動きますか?」
「前は、九十度くらいしか曲がらなかったんですけど、今はもう少し曲がります。
先の方は、ここの腱がきれてしまってるので、親指は上にあんまり曲がりません。下の方には曲がりますけど。」
そんなことを言いながら、足を曲げてみせた。
藤先生が足の様子を見続けていたので、なんとなく気になっていることを口にだしてみた。

「もともと真田先生に診ていただいていて、太ももから皮膚をとれるだけとってなるべく全体的に移植するように言われてたんです。
でも、真田先生が異動されて、引き継がれた三好先生が足が大きくなるからって検討されてひどい箇所だけ移植したんですね。
真田先生からお話を聞いてたときは、皮下脂肪のこととか手術が続くようなことは聞いてなくて。」
そんな話をすると、初めに真田先生が診ていたことを知らなかったらしく、ああ、そうだったんですかと。
手術が続くことをきいてなくてという話に関しては、うーん、それはちょっと…と藤先生は言った。

「もともと甲の上の部分に盛り上がりができてしまってて。
写真をみるとすごくひどいようにみえるかもしれませんけど、とりあえず、靴が普通に履けてたんです。
でも、こんなに横につきでたようになってしまって。人の視線がパっとくるようになったのがわかるし。」
足の形が大きくかわったことに対するなんとなくの気持ちが、ついサラっと口をついて出てしまったり。

また藤先生が席につき、話の続きが始まる。
「三好先生をフォローするわけじゃないけど、頑張って薄くつけてると思いますよ。」

その言葉に、つい反応してしまい、藤先生の発言に続くように口を開いてしまった。
「もちろん、三好先生には本当によく診ていただいて、真田先生にもよく診ていただいたと思っています。
でも、まさかこんなに足が変形するようになるとは思ってなかったんです。
靴がまともに履けないようになってしまって、手術直後は、それまで履いてたスニーカーさえむりやり履くような感じで。
スニーカーしか履けないようだと、仕事にいくのにも困るし。」

「お仕事は?」
「会計事務所です…会計事務所にスニーカー履いては…ちょっと。」
「今は、靴はどうされてるんですか?」
「もう、スニーカーしか履けないです。仕事もただでさえ長期休職してたのに、更に長期休職です。」
手術の説明を受けるのに、まさかこんな話をするとは思ってはいなかったが、
話の流れでつい本音がポロポロと口をついてでてしまう形になってしまった。

そして、気になることも口にした。
「それから、あの…どの先生にも伺ってることなんですけど…」
そう言ってこれから手術が数回続くにあたって、術後は通常6ヶ月程期間をあけなければ次の手術ができないと言われていることを話した。
この6ヶ月というのは、やっぱりもう少し短くならないものなのかと尋ねてみた。
「そうですね、まぁ言われるとおり、通常は6ヶ月程様子を見て次の手術ということになります。と言っても、3ヶ月~6ヶ月で様子を見ることにはなるんですが。」
「その3ヶ月から6ヶ月というのは、傷の様子、状態によるんですよね。」
「それは、医師の判断によります。それぞれで判断の仕方が違いますからね。」
「そうですか…。」

そんなことを話しながら、ひととおり説明が終わった後、その場で書面にサインを書くように言われ、書類を2枚渡された。
藤先生が、使っていたペンをこちらに差し出す。
手に握ったまま差し出されたので、一瞬ペンのどこを持っていいのか迷いながら、ペンを手にとった。
少し藤先生の手に触れてしまったのだが、これは、後から考えても藤先生の渡し方がちょっとという気がした。
ペンの下の方をもって渡すか、ペンをそのままこちらむきにして置くのが、普通だろうと思うのだが。

サインを書き終わり、説明が一応終了。
「色々と申し上げまして、すみません。」
ついうっかり本音をポロポロと言ってしまったことについて、最後に少し侘びの言葉を言った。
藤先生は、手術の説明を色々としてくれ、何か疑問があれば、またベッドまで説明にいきますからと丁寧に言ってくれた。
私の侘びの言葉に対して、倍以上の返答をもらったように感じた。

家族説明室を出ると、藤先生と川野先生がこちらを見送る形で立ったので、こちらから先に口を開き、挨拶をした。
「明日は、よろしくお願いします。ありがとうございました。」
二人は、少し予想外の丁寧な挨拶でも受けたように、続けてすぐに頭を下げて挨拶をしてくれた。

そのまま、元来た廊下を暫くまっすぐ歩いていると、ふいに名前を呼ばれたような気がして振り返った。
すると、藤先生が私の方に走りながらやってきているのが目に入った。
「由木さん、処置室で太ももの傷を見せてもらっていいですか?」
「ああ、はい。」

手術の説明の際に、太ももの傷についても手術をするような話がでたので、
手術じゃなくて注射の治療をお願いしますというような話をしていた。それで、簡潔していたのかと思ったのだが。

処置室に行き、太ももの傷を診てもらう。
しかし、思いがけず太ももを見せることになり、少しきれいにしていない太ももを見せるのが恥ずかしく思えて、
なんだか気が落ち着かなかった。
大学病院の病衣のズボンは、太もものところまであまり余裕をもって上げられなかったり。
結局、少し見せて確認終了。

二人の先生と看護師さんが、処置室のドアを開けて見送ってくれようとしてるような気がしたが、
失礼しますと言いながら、目をみて挨拶することなく、そのまま、そそくさと診察室を後にしたのだった。

手術

手術当日は、よい天気だった。開始時間は十二時半、所要時間は四時間の予定。
母の体調があまりよくなかった為、弟が付き添いの身内としてきてくれていた。
担当ナースと弟と三人で、長い廊下を歩き、病室から手術室まで移動する。

手術室手前は、窓ガラスの多い長い渡り廊下になっていた。
現世から違う世界へ移動する境目のような、なんとなく不思議な空間。
手術がちゃんと終わって、またこの渡り廊下を通って元気にこちらに帰ってこられるかな…
なんて気にさせられるような。
手術室入口で、二人と別れ、手術室のナースに連れられて手術室へ入る。

手術室に入ると、こちらを見ている人にすぐに気づいた。
手術台の傍にメガネの男性医師らしき人がいた。
多分藤先生だろうと一瞬挨拶をした方がいいかなと思ったのだが、
メガネをとっていたので、ハッキリとよく見えなかったのだ。
すぐにナースから声がかかり、そちらを向く。
本人確認の為、パソコンの前へ連れていかれて、色々と尋ねられ、受け答えをした。
手術台に横になるように言われると、今度は藤先生がやってきて、本人確認と手術の内容確認をナースも交えて三人で行う。
手から麻酔を入れます、少し痛くなると思いますとナースに言われ、はいと返事をして大人しくしていた。
すると、思っていたよりもとても痛い。痛い。痛い。
「痛いですぅ。」
ついナースに言ってしまう。それほど痛かった。あんまり痛くて眉間にシワをよせてしまったり、顔が歪む。
痛いですねぇとナースが私の手を強くさすってくれる。
痛い、痛い…と思っているうちに、すぐ麻酔が効き始め、私の意識はなくなった。

「いちにいのさんっっ。」
数人のおおきな掛け声が聞こえ、ぼんやりと目が開いた。
藤先生らしき人や数人の人達が、私をシーツ毎抱えて手術台からベッドへ移動させているところのようだった。
麻酔から覚めるのは、なんとも不思議な感覚。
不意に意識が戻ったかと思うと、その後の記憶がとぎれとぎれだったり。

まだ意識がはっきりと目覚めていないようで、視界にはあまりハッキリと周りの様子が入ってこない。
でも、ぼんやりと目が開いたままだったのだろう。私に話しかける声が聞こえた。
名前を呼ばれたような気がして視線を向けると、弟が私の顔を覗き込んでいるのがわかった。
「ああ、のりくん。」
少しの間の後、不意に言葉がでた。
「今、何時?」
「えっとね、十四時半。」
「へぇ、早かったね。よかった…。」
「うん、そうだね。」
「もういいよ、もう大丈夫。今日は、ありがとう。」
「うん。」

そして、弟の横でなんとなく笑顔で私を見ている人が話しかけてきた。
「ブーツが履けるようになるまでね。」

まだボーッとしていて、申し訳ないことに返事をしなかった私。
後から弟と話していると、この時の私は、目が覚めて一応なんとなくきちんと意識があるような、ボーッとしてるような、わかってるのかなぁというような感じだったらしい。
話しかけてくれたのは、藤先生だったらしいのだが、私のリアクションはビミョーな感じだったよと。
わからなかったとは言え、申し訳なかったような。
あのクールな藤先生が、術後すぐに笑顔で気遣いの言葉をかけてくれたというのに。

そして、その後の記憶はとぎれとぎれ。気がついたら、観察室にいた。
「もう暫くお水が飲めないので、少し我慢してくださいね。」
そんなナースの声が聞こえた。
次は、普段の診察着姿の川野先生が、現れた。
最初から愛想の良い明るい感じの先生だったが、やはり笑顔で声をかけてくれた。
「足の写真、見ますか?」
そう言って、デジカメで手術前と術後の写真を見せてくれた。
「わぁ、大分減ってる。すごい。」
「そうでしょう。」
そう言って何か少し話をしてくれたように思う。

その後は、なんと勝木教授が現れて、手術の話を丁寧にしていってくれた。
この頃になると、麻酔も大分とれていたようで、失礼がないようきちんと受け答えができた。

そうこうしているうちに、割と早く観察室をでられることになり、病室に戻ってきたのだった。

観察室にいたのは、ほんの二、三時間だったのではないだろうか。
夕方十八時過ぎには、普通に起き上がって一人で夕食を食べていた。
包帯を巻いてはいるが、足も普通に動いた。
今までで一番術後の状態がよくて、嬉しかった。全くきつくない。
前回の十六時間の手術の後と言ったら、もう三日程苦しくて、顔もパンパンに腫れていたのだから。

夜になると、川野先生が不意に現れた。
手術当日だというのに、わざわざベッドまで付け替えにきてくれたのだ。
手術のお礼を言いながら、足も痛くないし、麻酔も取れてるし、すごく楽できつくないと伝える。
「この前の手術は、ものすごくきつかったけど。」
「ああ、この前のは大手術でしたもん。」

付け替えをしてくれている様子を眺めながら、なんとなく川野先生に話しかけた。
「最初に診てくれていた真田先生は、この傷跡部分全体にできるだけヒフを移植しようって言われてたんですけど、そうなるとすごく大きさが変わりますよね。」
「え、この傷部分全体に?うーん、それはちょっと。」
「血管ももってくるから、これが一番いい治療だと思うからって言われてたんですけど、結局ひどい部分だけ移植した方がいいっていうことで手術したし、こういうのって、先生方の考え方の違いですか?」
雑談のようにさりげなく、笑いながらずっと気になっていることを聞いてみた。
「うーん、そうですねぇ…。」
「三好先生にも真田先生にも十分よくして頂いたのは、よくわかってるんですけど、なんかちょっと疑問なんですよね。結局、ひどいところだけしか移植しなかったから、そうなると一番大きな組織拡張器を太ももにいれてたんですけど、一番大きなものを入れる必要があったのかとか。傷が結構大きいからですね。」
「それは、やっぱり後からヒフが足りないってことになると困りますからね。」
「へぇ、そうですか。でも、なんとなくこの治療じゃなくて植皮でよかったんじゃないかなと思ったりもするんですけど、そうなるとまた最初みたいに盛り上がってきたりしてあまりよくなかったんですかね。」
「ああ、そうですね。でも、ま治療法は色々あるのはあるんですけど。」

組織拡張器の治療をせずに他の治療をした方が、足の見た目がよくなったんじゃないか、
こんなに何度も手術をすることにならなかったんじゃないか、
真田先生は、どんなイメージで私にこの治療が一番いいと勧めたのか。
そんな疑問がずーっと心の中にあったのだ。

経験のあるなしにかかわらず、若い先生にも中堅の先生にも教授にも、
機会をみつけては、さりげなく質問して納得がいく答えをききだそうとしてきた。
一番状況がわかっている三好先生がどんなに説明してくれても、納得がいく答えだと思うことができなかった。
今まで、なんだかんだと尋ねながらも、組織拡張器の治療をしない方がよかったんじゃないかということは、気を使ってハッキリと言うことはなかった。

しかし、ここにきてなんとなく川野先生に言ってしまったのだった。
まだ若い先生だが、新人ではなく中堅の手前、割と医師としての力がついてきてる感じだったし、
親切丁寧で明るくハキハキしている人柄に少し気を許したのだろうと思う。
昨日の手術説明の際の藤先生との突っ込んだやりとりも、一緒にいて話を聞いていたし。
ハッキリと聞いた割に、やっぱり納得がいく程の答えは返ってこなかったが、
まぁ、この段階で聞けたことは、ある意味、気持ちが少しスッキリしたような気もする。

付け替えの処置が終わって川野先生が帰ろうとした時に、あっと呼び止めて声をかけた。
「先生、今の話、ここだけの話っていうことでお願いします。」
「ああ、はい。」
いつも笑顔の川野先生が、ちょっと真顔でえっという表情をして返事をした。

次の日は、調子を悪くしていた母が、大分落着いたからとわざわざ見舞いにきてくれた。
私も術後の体調はよい感じだった。足が使えないので退院まで車椅子だったが、
談話室でお茶を飲みながら、母とお喋りをしてのんびりとした時間を過ごした。

夕方になると、また川野先生がベッドまで来てくれた。
朝、処置室で処置をしてくれたというのに。
「明日、朝から手術だから由木さんの処置できなくて。
その次の日は、別の病院にいかないといけないから、もしかしたら、退院まで顔だせないかもしれなくてきたんですけど。退院後のことで、説明に。」
へぇ、そうなんですかと言いながら、川野先生の話をふむふむと聞いた。
退院後は、三好先生のところに通院でいいと。とりあえず、術後の状態を、土曜か月曜にすぐ見せにいってくださいねと。お手紙用意しておきますからって。
和やかに色々と話し、翌日来れるかどうかわからないけどと川野先生が言うので、とりあえず今度の入院のお礼を言い、また明日会えるといいけどと笑顔でやりとりをした。

結局次の日は、朝、川野先生の姿はなく、勝木教授が処置にあたってくれた。
勝木教授は、包帯の巻き方のセンスがあまりなく、なんだか大きくぐるぐる巻の足にされてしまった。
明後日金曜日の退院の際に、靴を履いて足をついて帰ってもいいかどうかを尋ねてみた。
「え、でも、靴入る?」
「今朝までの大きさくらいに包帯巻いて頂いてたら、なんとか履けるかなと思うんですけど。」
「あ、今日の巻き方、大きかった?」
そう言って笑いながら、ま、靴が入るならいいかなと勝木教授は言った。

午後になって点滴の処置をベッドでしてもらっていると、驚いたことに懐かしい顔が現れた。
三好先生の下にいた新人の春田先生だった。
三ツ矢大学病院からの異動で三好先生のところへ行っていたのに、半年程でまた大学病院へ異動になったらしい。
本当に医師の異動の多さには驚いてしまう。
でも、まぁ、少し退屈してたので、春田先生が顔をだしてくれてお喋りできたのは、ちょっと楽しかった。
それに、今後たまに大学病院にきても殆ど接点ないだろうから、ちゃんと挨拶もできたし。よかった。

そして、この日は、また予想外の顔が現れた。
退院までもう合わないかなと思っていた川野先生が、時間ができたらしく、またベッドまで来てくれたのだった。
退院についての色々を話し、本当にこれで最後だからと挨拶をした。

夕方、食事が終わった頃、ベッドに腰掛けたまま、イヤホンをつけてニュースを見ていた。
「由木さん。」
カーテン越しに私に呼びかけながら、人がやってくる気配がした。男性の声だったので、誰だろうと思いつつも、
テレビの方をむいていたので、咄嗟にはーいと気ままな感じの返事をしつつ、イヤホンを外す。
この日、三度目の訪問者。とっても予想外の人が現れ、驚いてしまった。予想外の来訪者続き。
そこにいたのは、藤先生だった。

主治医が教授だったので、手術のみ、教授のかわりに藤先生が対応してくれたのだろうと思っていた。
中堅の医師だし、ここは大学病院で手術が多い。
藤先生は、手術の対応に追われていて、術後の患者の対応はまた別…
私の場合は川野先生が担当として動いてくれているものだと思っていた。
実際、手術説明と手術の時しか顔を合わせていなかったし、術後、観察室でも藤先生の姿は見かけなかった。

カーテンの陰から現れた藤先生は、少し顔が笑っていた。
はーいと気ままな返事をした私のことが、少し笑えたのだろう。
藤先生の姿を見た私は、少し驚きながら、口を開いた。
「あら、藤先生。一昨日の手術の時は大変お世話になりました。ありがとうございました。」
「いえいえ、調子はどうですか?」
全く痛みもなくて足の調子はいいという話をした。

川野先生がちょこちょこベッドまで来てくださっててと言うと、少し顔が笑っていたような。
「明日はいないからってついさっきもここに来て、退院のことを少し話していかれたんですけど。」
「三好先生のとこの病院は、近い?」
「はい、とっても近いです。」
三ツ矢大学病院に比べたらね…退院後の通院については、もともと通院していた三好先生のところでいいというような話を川野先生としていたのだが。

そう言いながら、退院時に靴を履いて歩いて帰っていいかどうかということを尋ねてみた。
「本当は車で帰る予定だったんですけど、退院日がずれたから車の都合がつかなくって。
電車で帰ろうと思ってるんですけど。」
「公共の交通機関?」
「はい。家が○○市内なんですね、だから、私鉄で帰ろうと思ってて。
川野先生は、それくらいだったら、退院の時歩いて帰ってもいいだろうとは言われてたんですけど。」
「勝木教授は、なんて?」
「ああ、一応勝木教授にも今朝聞いてみたんです。そしたら、靴入る?って。
包帯を薄く巻いてもらったら、なんとか入るかなと思うんですけどって言ったら、まぁ入るならいいかなって。」
「靴はどんなの?」
「えっと、一応大きめのを履いてはきたんですけど。」
そう言って、藤先生に背を向け、ベッド横の少し奥に揃えて置いていたアディダスのスニーカーを取り出した。
向き直ると、靴が目に入った藤先生が口を開いた。
「スタンスミス。」
床の上に置くと、片方の靴を手に取って靴の感じを見ている。

履いてきたのは、アディダスのスタンスミスという靴。
スニーカーしか履けないので、どんな服にも合わせやすい、なるべくカジュアルになりすぎないものをと考えて購入した定番。
実は、怪我をするまで殆どスニーカーを履くことがなかったので、スニーカーについてはあまり詳しくなかった。
見た感じでよさそうと思って白とネイビーのスタンスミスを購入しようとしたのだが、購入する時になって人気で品薄状態だと知った。
店頭ではまず手に入らず、ネットでも予約購入しかできないものだった。
ここ最近のスニーカーブームでこういうことになってるのかと思ったのだが、
普通のスニーカーの倍程の価格であり、どうも前々から人気のある商品のようだった。
この靴をチラッとみた川野先生も、「お気に入りのスタンスミス?」なんて靴のことを言っていた。

「やってきた医者に、それぞれ好きなこと言っていかれてもねぇ。」
少し笑いながら、藤先生が言った。
「自分は、基本まだ暫く安静がいいと思ってるから。今がどういう状態かと言うと…」
そう言って、手術をした足の内部はまだきれいに出来上がってないからというような説明をしてくれた。
「明日の処置は自分がするから、まぁ。また、退院後の付け替えのこととかも説明します。」
咄嗟に藤先生が現れて驚いていたにもかかわらず、結局なんだかんだと色々話をした。

藤先生は、なんだかにくい感じのクール系みたいな雰囲気だから、ちょっと意外で面白かった。
最初は、あまり表情のない、和やかな会話や無駄な話をしそうもないように見えたけど。
話してみるとなんだかんだと話がでるし、なにげに笑顔がでたり、冗談ではないが笑えることを言ったり。
スタンスミスって靴の名前を言ったことすら、ちょっと意外だった。

翌朝、ベッドにやってきた看護師さんと話をしていると、処置室に呼ばれた。
ベッド横のインターホンのようなところから声が聞こえ、はーい、すぐ行きまーすと返事をする。
いつも前触れなく突然声がかかるので、バタバタと行くことになる。
スリッパを脱ぎ、スタンスミスを履いてみる。
やはり昨日巻いてもらった包帯で足が大きくなっており、怪我をしている足は微妙に靴に入らない。
まぁ、車椅子で行くので、とりあえずはいいけれど。

車椅子で処置室まで行くと、処置室前の椅子には既に待ちの患者さんが数人。
少し手前の壁際に車椅子をとめて待つことにする。

すると、すぐに処置室の入口から患者を呼ぶために藤先生が顔を出した。
処置室前の廊下を挟んだ丁度正面あたりにいたので、すぐに私の姿が目に入ったらしい。
先に待っていた男性患者にちょっとすみません、もう少し待っててくださいと声をかけている。
「由木さん。」
私の方を見て手招きをし、先に呼び入れてくれた。

診察室に入ると、勝木教授やもう一人の教授の姿もあった。
手術をしてくれた藤先生の処置も、この日が初めて。
まぁいいことだが、最終日の退院の日になって初めて立派な先生が勢ぞろいしていた。
勝木教授が私の足をみて、ああその靴を履くんだねと言っている声が聞こえた。

なんだかんだと皆で話しながら、藤先生が処置をしてくれる。
ドレーンという埋め込んであった管を抜き、自宅での処置の仕方を教えてくれたり。
水につけてもいいか尋ねてみたり、1ヶ月は激しく足使わないように言われたり。
どのくらいから外出していいかと聞くと、
藤先生は少し笑いながら、家にじっとしてなきゃいけないことないですよと。外出してもいいって。

処置が終わると、包帯でなくてサポーターでいいからという話になった。
家から持ってきたサポーターがありますと言うと、
看護師さんが、サポーターが入っているバックを病室に取りに行ってくれた。
「家では、もう少し圧がかかるのをしてるんですけど。」
「これくらいでいいですよ。あんまり圧かかりすぎるとよくないから。」
処置台から起き上がって、靴を履いてみた。ちゃんと靴に足が収まったので、よかったと口から言葉がでた。
「歩ける?」
藤先生に言われて、立ち上がって足を動かしてみる。

四日振りに立ち上がったが、なんとか歩けるようだったので、大丈夫ですと答える。
じゃあと処置室を出ようとする際、車椅子を部屋まで戻さないといけないかなと手をかけると、藤先生に声をかけられた。
「これは、このままでいいですよ。」
そうですかと返事をしながらお礼も言い、処置室を出てきた。

いつもきちんとしているイメージの藤先生だが、
二人の教授と一緒だと流石にいつもの余裕のある雰囲気とは少し違い、パリッとサクサク動いているように見えた。
教授って、やっぱり気を使って敬うように対応しないといけないんだろうね。
私も失礼がないように気を付けないと、なんてことを思いつつ、退院したのだった。


※※※作成中※※※

未来 Ⅳ 次のステージ

未来 Ⅳ 次のステージ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 大学病院へ
  2. 手術