輝輝坊主
1,窓際の祈り
雨の止まないこの街で僕は作られた。こぶし大に丸められた新聞紙に、布をかぶせ、新聞紙が落ちないよう、紐で止める。シンプルな顔を描かれ、完成する。てるてる坊主、容易に作り上げることができるそれだが、与えられる使命は、壮大なものだ。雨を止ませる。小さな体に祈られるものは大抵がこれである。今日も、降り止まない雨に僕は止んでくれと、お願いをする。そんな小さな願いを当たり前のように無視して雨は降り続ける。僕は無力だ。そんな僕に、祈り続けてくれる君は、いつも同じ時間に出掛け、同じ時間に帰ってくる。「いってきます」「ただいま」てるてる坊主の僕に、声をかけてくれる。こんな一言が嬉しくて、涙が流れそうになる。モノの僕には無縁の代物だが、流れそうになるのだ。そんなある日、君が風邪をひいた。熱もあるようだ。一人暮らしの君には、看病してくれる人もいなければ、見舞いに来る人もいない。僕が人だったら。そんなことを考える。当然、そんな考えは叶う訳もなく、苦しそうに咳き込む君を眺めるしかできなかった。「大丈夫?」そんな言葉もかけられないのかと、自分を恥じる。雨の降り止まないこの街、毎日が雨で、空気も冷たい。この雨を、止めることができたら君は風邪をひかなかったかもしれない。こんなに苦しまなくて済んだかもしれない。僕に力があれば……。そんな強い思いを少し汲み取ったのか、空は少しだけ、雨の勢いを殺した。君を思う。そんな簡単なことで、僕は強くなれる、この思いが空に届くのだと。だが、君の苦しみは、消し去ることができない。空の機嫌を伺うことはできても、身近なものへの思いは全く届かない。これが、てるてる坊主として作られた僕の宿命。空に祈り続けることをやめれば、それはもうただのガラクタに成り下がることと等しい。だが、大切な人を苦しませ続けることのほうがよっぽど辛いものがある。心を持った、てるてる坊主の些細な祈りだ、君の苦しみが少しでも和らげば。ただそれだけの祈りを空は受け取るのだろうか、お前はてるてる坊主だ、その祈りは聴き受けられないとはじくのか、きっとはじかれるだろう。祈っていいことは、空の機嫌。それ以外は祈ってはいけない。ある意味これは誓約なのだろう。動けない変わりに、天を仰ぐ力を。そんなところだろう。天を仰ぐ……。聞こえはいいが、できることなんてこれポッチもない。雨を止ませる代わりに、君の苦しみを止められたら。僕の祈りの方向が空ではなく、君を向いたら。それは、誓約の破棄を意味する。誓約は破ってはいけない。破ってしまえば、僕の意思が消え失せ、ただのモノへと変わるだろう。意思を持たぬ存在、それは果たして、この世に存在するのか否か、僕には到底わからないが、そんなことはどうでもいい、今は、君の体が心配だ。一刻も早く良くなれば。そう、空に祈り続ける。翌日、君の顔から苦しみの色が消えていた。空への祈りが届いたのか、ただ君が丈夫で治ったのか、僕にはわからないが、天を仰ぎ感謝する。君の風邪が治ったのは、あなたのおかげだと。雨は、降り止まないが君の苦しみは止まった。てるてる坊主の僕には祈ることしかできないけれど、その祈りが誰かを救うことができるのなら、僕は祈り続ける。これがいつか止まない雨を止めることができるかも知れないから。いつもの時間に君は出掛ける。「いってきます」とてるてる坊主に手を振って。
2,温もり
私は、雨の降るこの街が嫌いだ。雨は心を沈ませ、気持ちを暗くさせる。こんな雨が止んで欲しいと、私は一つのてるてる坊主を作った。誰でも作れるそれは、ただの気休め程度のものでしかないのだが、私にとっては新しい家族ができた、そんな気になった。一人暮らしの私には、なんとなく喜ばしいことに思えた。幼い頃、両親を亡くしていた私には頼れる身内がいておらず、ご近所さんに育ててもらっていた。ある程度大きくなったので、お世話になりました。と、そこを離れたのだが、一人で過ごすということに少し抵抗があった。だが、私の内気な性格は孤立する原因となっていた。高校生、思春期まっただなかの私に孤立とは、とても重たいおもりのようで、踏み出す勇気をより一層、失せさせるものとなっていた。この心に抱えたおもりを消し去ることができれば、孤立なんてしないのではないか。そんなことを思う私に、てるてる坊主は、少しの勇気を与えてくれる、そんな気がした。「いってきます」とてるてる坊主に声をかけ、扉を開ける。そうすることで、雨の降る街もどことなく、輝いてみえた。あぁ、こんな風に挨拶ができたら変わるのだろうか。内気なやつに挨拶なんてされたら、引いていくのだろうか……。そんな葛藤が続いた。「ただいま」とてるてる坊主に声をかける。なんとなく、てるてる坊主が笑って「おかえり」と返してくれる錯覚。私は可笑しくなったのだろうか。モノが笑うなんてありえないじゃないか。きっと疲れているんだ。でも、愛情を注げば注ぐほど、モノには情が生まれるという。「まさか……ね」そうして、私は眠りに就いた。「おはよう、てるてる坊主くん。今日も雨だね」こんなごく普通な会話がなぜ人前だと出来ないのだろう。恥ずかしいから?いや違う。きっと私は、コミュニケーションが苦手なのだ。変わりたい、そう天に願う。その時、風か何かでてるてる坊主が微かに揺れる。「てるてる坊主くん、私にできるかな?って答える訳ないよね……。じゃ、寝よっか。おやすみ」揺れるてるてる坊主に語りかけ、布団に潜り込む。「明日、頑張ってみよう」そう言われた気がする。情が生まれる、あながち嘘じゃないのかもしれないと、心で感じ始めた。雨がいつもより激しく降る朝、少し外に出るのをためらう。昨日の幻聴を思い出す。「頑張ってみよう」そうだ、頑張るって決めたじゃないか。そう、覚悟を決め、家を出る。雨は思っていたよりも激しく、傘をさしていても下半身がほとんど濡れてしまうほどだ。「うぅ、冷たい」下を向いて歩を進めていく。いつもより時間のかかる登校となった。ようやくの思いで学校にたどり着く。教室の扉を開ける。「ぉ、おはよう」言えた。なんとか振り絞って出した声は、クラスメイトの耳に届いたのか、届かなかったかな……。まぁ、言えたことに意味があるさ。机と机の間を歩き自分の席へと進む。その時「おはよっ、今日雨すごいよねぇ」と声が聞こえた。咄嗟に振り返ると、友達同士の会話らしかった。そうだよね、私なわけないよね。いつもと同じだ。いや、今日は違う、なんたって、挨拶したんだ。声は届かなかったかもだけど、大きな成長だよ。そんなことを考えていると濡れた体を拭くのを忘れていた。学校が終わる頃、体の不調に気づいた。だるい、体の節々がギシギシと音を立てているようだ。とりあえず、家に帰って寝なきゃ。フラフラと歩みを進めていく、雨は幾分ましにはなったが、止む気配はない。家の扉が妙に重たく感じる。「ただいま」とかすれた声で言う。風邪の辛さを忘れていた私は、何をしたらいいか分からず、とりあえず、横になった。「熱はからなくちゃ」体温計を取りに行くのもだるい。頑張れ私。そう気を入れ、立ち上がる。37.5℃寝たほうがいいかな。服を着替え、布団に入り目を閉じる。よく寝たら、風邪も治る、風邪治して、明日ちゃんと挨拶するんだ。なんとなく、雨も上がってきたような気もするし、頑張って治そう。眠りの世界に誘われ出したとき、声が聞こえた。「君の苦しみを消し去りたいんだ」あぁ、きっとこれは夢だ。私を心配する人なんていない。夢は、いいな。幸せだ。眠っている間は何も気にしなくていい、あぁ、このまま眠り続けていたい。……ダメだ、ダメだ。あの幻聴の人の言葉で頑張ろうって決めたんだ。夢に逃げない。そう誓う。そんなことを考えていると、体が暖かいものに包まれるような感覚。太陽の暖かさにどことなく似ていた。夢の中なのに、自然と笑みがこぼれる。てるてる坊主くんが頑張ってくれたのかな。そんなことを思って。翌朝、体のだるさはすっかり消えていた。昨日の夢はなんだったのか、疑問に残ることはたくさんあったが、気にしないでおこうと思った。「いってくるよ。てるてる坊主くん」そして、扉を開け、いつものように、雨の中を駆けていく。
3,祈り届く時
君の風邪が良くなった。僕はなにか役に立てたのだろうか。僕の祈りは天に届いたのだろうか。なんにせよ、君の苦しみが消えた、それは僕の幸せとなる。君の元気な顔を見るだけで僕は、なんでも出来そうな気持ちになる。君に作ってもらえて良かった。きっとこれは運命だったんだ。そう思い心で笑う。心は晴れているが、天気は相変わらず雨だ。この雨はいつ止むのだろうか。僕が祈り続ければ止むのか、そんな簡単なものなのかと、疑問が生まれる。僕は魔法使いではないし、占い師でもない。そんな僕には天気を変えることなんて出来ない。その思いは、僕の心に憤りを作り上げる。僕は本当にダメなやつだ。僕がいても何も変わらない。君はどうして、僕に微笑みかけてくれるのだろう。君の微笑みは、僕の中では太陽のようなものだ、雨の振り続けるこの街で僕の見つけた太陽。この太陽を守りたい。天気なんかよりも大切なんだ。……何を考えているんだ僕はと恥じる。僕はてるてる坊主。人でも動物でもない、モノだ。モノの僕に与えられた使命、それは雲の隙間から太陽を覗かせることではないのか。人とモノでは、与えられた使命が違いすぎる。第一、モノとしての使命も果たせていない僕は、一体なんなのだろうか。てるてる坊主としてこの世に生み出された僕は……。君のいない時間は本当にネガティブなことしか考えない。僕はダメだ。何度思ったことだろう。慰めてもらいたいのか、ただ君に甘えたいのか。このような邪念が祈りを届かないようにしているのではないか。僕に出来ることをやるんだ。出来ることをやらないで、出来ないことができるはずがない。気持ちの切り替えをし君の帰りを待つ。僕に出来ること、それは待つこと、そして祈ること。君の「ただいま」を心待ちにしながら、空に祈りを捧げる。雨よ、どうか君を濡らさないでおくれ。この雨が止むときそれは、僕が不要になる時でもあるのだが、晴れることで、君が笑顔になるのなら僕は、祈り続けよう。本当の太陽を拝む時まで。その時扉が開いた。君が帰ってきたのか、そう思った。君と他の人の声が聞こえた。学校で何かがあったのか、君に友達ができたのか。ある夜、君が学校の話をしてくれたのを思い出す。君は、学校では、いないような存在で、友達がいない。孤独で、悲しくて、相談するにも人がいないと。そんな君に、僕はエールを送った。このエールが届いているかどうかは定かではないが、君は話し相手を学校で作ってきたようだ。嬉しい。僕は純粋にそう思った。君の笑顔がより輝いてみえたからだ。僕は、てるてる坊主、空に祈り続けるもの。
4,
風邪も治り、できそうな気で満ち溢れた今日。私は下を向くのをやめた。まずは、行動から変えていこうと思ったからだ。変わることから目を背けていた私に勇気を与えてくれた幻聴に感謝だ。深呼吸し教室の扉を開ける。言える言えると自己暗示をし、息を吸い込む。「おはよう」昨日とは違い、はっきりとした声が発せられる。「おはよう、天谷さん」すぐに挨拶が返ってきた。初めての感覚。嬉しい感じが胸に広がった。声を発するだけで、私は何となく変われた気になれた。これを期に、なにか話をしたい、そう思えた。すると「今日も雨だねぇ」と声が聞こえた、この声は私に向けて発せられたものか、きっとそうだ、彼女の目は私を見ている。「そ、そうだね。太陽は何してるのかな。なんて」すると彼女の目が少し輝いて見えた。「太陽はきっと休暇中だよ。天谷さん、雨は好き?」会話ができている。これが普通なのかもしれないが、大きな進歩だ。「うーん、ちょっと苦手。なんていうか、空の流す涙みたいで。気が沈むっていうか」何を言っているんだろう私は、彼女はどう思うだろうか。ちらっと彼女の顔を見ると、笑顔で「なんか、深いね。空の流す涙……か」それからも会話は続き、授業開始の予鈴とともに、幕を下ろした。学校が初めて、楽しい場所に思えた。話しかけてくれた彼女は霧嶋さん。集団が苦手であまり人とは話さないのだそうだ。「天谷さん、いつも一人で私みたいな性格かと思ってたよ」内気な私を気遣ってか、彼女は沢山話をしてくれる。「そうだ、天谷さん今日遊びに行ってもいいかな?」うちに人が来る。そう考えただけで、胸が踊った。「もちろん!いつでも来て大丈夫だよ!」自分の性格の変貌に驚きが隠せない。私はこんなにも笑えて、こんなにも人と話せるんだ。できることをやるってホントに大事だ。こんなに学校が早く終わった感覚に陥ったのも初めてのこと。孤独じゃない帰り道、隣に誰かの温もりを感じながらの道はなんとなく明るく感じる。いつもイヤホンで塞いでいた耳に今日は人の話が流れてくる。なんと心地いいものなのだろう。「天谷さん、一人暮らしなんだ!すごいなぁ、私なんて家の中じゃ何もしないからいっつも邪魔者扱いされてばかりだよ」と、苦笑いを浮かべる霧嶋さんに私は、「自分も何も出来ないよ、料理だってあまりしないし、掃除もままならないし、なんだろうね、その、とにかく出来ないんだよ」ハハハと薄く笑った霧嶋さんが少し前に走り出し、不意に私の方を振り向き、「人のことをすごいって思うのはさ、自分にできないことをその人ができるからすごいって思うんだよ。私は今、すんごい感銘を受けたんだ、邪魔者扱いされる私が普段しないことを、普段の生活で当たり前のようにする天谷さん。本当に、そうだなぁ、なんていうか……んー、この答えはまた今度だなっ」そう言って向き直った。すごく純粋な意見で私は嬉しかった、ただ、霧嶋さんの言っている「邪魔者」という言葉が妙に引っかかった。私には家族と呼べる者が居らずそういった言葉が当たり前なのか否か、わからず少し戸惑った。ただ、霧嶋さんのこの笑顔に嘘偽りが無いということは見て取れたため、私は「邪魔者」について深く詮索はしなかった。そうこうしているうちに家の扉の前までやってきた。カチャリと鍵をあけ、ゆっくりと扉を開ける。「ただいま」と家に挨拶をする。霧嶋さんにとっては一人暮らしなのに、誰に言ったんだろうって感じに思ってるのではないだろうかと気付き、思わず振り返る。霧嶋さんは何も気にしていない風に、「お邪魔します」と言ってくれる。あぁ、変な人と思われなくてよかったと、胸をなで下ろす。「何も無いところですが、どうぞお上がりください」思わず丁寧な言葉になる。初めてのお客さんだから、どんな対応をしたらいいのかわからなかった。また、霧嶋さんはハハハと笑った。リビングに案内し座布団に座ってもらう。私は日課である、てるてる坊主に「ただいま」を告げる。こういった行動も不思議にとられるのではと、またも行動をとった後に後悔する。「あ、てるてる坊主じゃん、この街、雨止まないもんねぇ、願い届くといいね」よかった、なんとも思っていなかった。さて、本当に何も無い私のうちで何をして遊ぶのか、皆目検討がつかなかった。こんな時にまた幻聴が、助けてくれたらいいのにと思い、チラリとてるてる坊主を見る。だが、てるてる坊主はいつも通りの笑顔を向けるだけだった。まぁ、当たり前のことで、期待はしていなかった。「お話をしよう」思いついたのは、それだけだった。
輝輝坊主