明日が何かもわからずに
女性って誰しもが女優なのではないだろうか。それは人に演じて魅せるのではなく、自分自身も演じてしまっているように…
私と彼
正直私は、まぁまぁ普通だと思う。
中学高校とほとんど何事もなく終えて、大学の進学だけは親の希望通りにした。
両親の希望通り、両親にとって自慢の娘であることが私の生きる術だった。
勉強はできて、家事全般もそつなくこなすこと。そしていつも笑顔でいれば大抵のことは自由にできる。自らの活動範囲を広げるための最適な手段は、21年間で学んでいる。そうして大学もそこそこ有名なところに進学し、「一生できる仕事に就てほしい」と願う両親の為に法学部へと進んだ。我ながら親孝行しているのではないだろうかと感じている。
-ここだけを見ればだけれど。
大学に進学してからの私の生活は大きく変化した。
履修の関係で帰りは遅くなり、それと同時にサークル活動にも勤しむようになった。
初めは真剣に取り組むつもりなんてなかったけれど、なんとなく入った演劇サークルは私の大学生活の一部となっていた。
それと同時に帰りが遅くなって両親には叱られることも多くなったけれど、叱られた分は成績で返すことにしていた。
週に2回のサークル活動が楽しくなったのは二回生になった頃だった。役柄も前に出るような役をもらえるようになった頃で、特に楽しかった。そんな頃だ。木村優希を意識し始めるようになったのは。そして後に私はこの人によって全てを変えられていくこととなる。
ー大学に入ってからというもの、私という存在がどういうものなのか、客観視でにるようになっていた。
「千歳は本当に真面目だよねー!でもそういうとこがいい!」
「千歳〜次の講義のレジュメお願い!明日なんか奢るから!」
真面目で誠実なイメージを持たれやすい。が、反面いわゆる使いやすい奴。仲良くなって損はない奴というところだろう。わかっていてそれを特に嫌だと感じることはなかった。それなりに仲良くなれるし、感謝されることは嫌な気分にはならない。でも、そんな日常は基本的になんの刺激もなくて、いつも単調でつまらないと感じるものだ。そんな時、年明けの大きな舞台の配役が決定した。
「娼婦…?」
思わずクエスチョンマークが頭に浮かんだ。監督から渡された配役一覧表には私の名前が。そしてその横に書かれている役名はマーガレット(娼婦)だった。
「えー!千歳が娼婦って…ちっともイメージじゃないのにね!」
確かに。自分で言うのもなんだか、明らかに日頃の私のイメージとはかけ離れた役柄だった。監督が何を思ってこの役を私に充てたのか、是非教えて頂きたいくらいだ。
ーでも
「せっかくだし、やれるだけやってみるよ。」
正直、このときの胸の高鳴りは忘れられない。自分と全く正反対の役を演じる。それは単調な日々を過ごす私にとっては十分な刺激だった。
「でも相手が優希じゃねぇ…なんだか照れてできなそうじゃない?」
「柴田優希…ね。」
私の演じる娼婦を買う男の役。それこそが柴田優希と私との始めての絡みとなった。しかし、サークルに入って一年経った頃でも柴田優希との日常の絡みはほとんどないに等しかった。学部が同じなことは人伝に知っていたが、授業で見かけることもほとんどなく、サークル活動でも挨拶を交わすか交わさないかと言う程度だった。
そんな人とこの役柄を演じられるのか…と言う不安はあったが、役を演じる上でまずはコミュニケーションを図るところから始めようと思い、会話を始めることにした。
「優希。私達のシーンのことで相談があるんだけれど…」
サークルの皆から優希と呼ばれていた彼に対して、私もほとんど喋ったことはないけれど呼び捨てにしてみた。一年経ってるし、舞台までの期間からも考えるとよそよそしくしている時間はない。
「あ、はい…。」
…なのに、なんでこの人はこんなにもよそよそしいんだ。
おどおどして異性慣れしていないチェリーボーイ。それが私が優希に持った最初の印象だった。
お付き合いするような人ではないな…と感じた。異性と話すことには消極的だし、会話に関してもとにかく短く簡潔だ。私達はお互い最低限の会話しかせず、具体的にどう動くかだけを話し合った。
ー彼に対しての興味が変わったのは舞台に上がってからだった。
彼への興味
具体的な動きとしては、私が彼に買われるために体を存分に使って誘惑し、彼がそれに対して品定めをするかのように動き、最後は乱暴に引っ張って買って行き舞台袖へ履けるというもの。ありきたりな動きだが、そのときのセリフは全てアドリブでということだったのでこれが難しいかった。
結局、セリフの打ち合わせまでは時間がなく、彼が何を言うのかわからない状態のまま舞台稽古となった。
「動きだけは打ち合わせ通りにしようと思うから…セリフ思い浮かばなかったら動き優先でいいよ?」
一応、私なりに気を遣ってみたつもりだった。私はそれなりに動きに合わせて考えてはきたから、動きとセリフのバランスをみるつもりだが、優希はまだ考えていないかもしれないし…
「あ、うん…。」
あぁ、これは期待しないほうが良さそうだ。まぁとりあえずは構わない。私個人の舞台稽古だとでも思えば気は楽になる。
まずは…私の誘惑のシーンからだ。
『ねぇ…そこのお兄さん。ちょいと私を買ってはみないかい?一晩50ユーロで構わないよ?』
うん…動きとセリフのバランスはまずまずかな…。確かこの後は私が袖を引っ張って優希が振り向くところだったはず…。
そして私が袖を引いた瞬間だった。
『汚らわしい!私に触るな!』
…そこにいたのはあのチェリーボーイ優希ではなかった。本気で私のことを汚いものを見ているかのような気高い人間の面持ちと気品がその言動から溢れ出ていた。
「…⁉︎ぇっ…」
思わず素に戻ってしまい、小さく戸惑いの声を漏らしてしまった。
だって…そこにはいつもの大人しくて、おどおどして、どこか自信なさそうな優希はどこにもいなかったから。人を見下し、蔑むような目…。
そこに私はー
ー興奮を覚えた。今まで味わったことのない、なんとも言えない感覚だった。絶対にこの人を私のモノにしたい…そう思わされるような、そんな感覚。
「…あの、大丈夫?」
素に戻ってしまって、その迫力に思わず座り込んでしまった私に、優希も素に戻ってしまっていた。
はっと我に返った私はその座り込んだ状態から演技を続けた。
『旦那ぁ…そんなこと言わずにさ、ほら、見て?まだまだ若いから上玉だよ…?そこらの女よりよっぽど価値が高いと思うよ…?』
動きは大幅に変更した。本来ならここで私が振り払われてもお構いなしに抱きついて誘惑するところだが、座り込んでしまったことを逆手に取ったのだ。右脚だけをわざと伸ばし、そこから太ももが見えるか見えないか辺りまでスカートをたくし上げた。ゆっくりと滑らかに、上品に見えるかのようで、あえて下品さを残しながら…そして、顔はゆっくりと口の端を上げるだけ。決して目は離さずに、あくまでも…
ー貴方から私を求めるのよ。
『……。』
さぁ、どうするの?ここからどうやって持っていくの?
私は彼の次の動きが待ち遠しかった。
『ほう…?』
彼はそう言うと座り込んだ私の周りをぐるりと回り、じっと観察した。
後ろに周ってもわかる…
…見てる。私のことを品定めするかのように、またあの蔑む目で私を見ている…!
ゆっくり正面まで歩いてきた優希は立ったまま私を見下ろし、そして膝で私の顎を上げた。
『まぁ…一度遊ぶ程度ならば、お前のような売女にもそれなりの価値があるのか?試してやろう…』
その眼差しに、その行動に、その言葉一言一言に、魅せられていた。
あぁ…この感覚を求めていたんだ。もっと欲しい…この感覚を、もっと私に与えて欲しい…!
ーその舞台稽古を機に、私は優希への興味を高めていった。
普段は人と交流を深めることもなく、一人でいることが多くて謎に包まれている人。なのに、一度舞台に上がればそんな素振りは一切見せず、気高い貴族に早変わり…。
舞台で人が変わることなんてそんなに珍しくはないけれど、普段とのギャップがありすぎる。
本当に不思議な人だった。それと同時に目が離せない。
もっと彼を知りたい…。そう思わずにはいられなくなっていた。
私達の舞台稽古の時間が終わり、思わず私から彼へと駆け寄った。
明日が何かもわからずに