ファイターに祝福を

みんなが何かと戦ってる。

負けても良いよ、私がついてる。

今日も部長に怒鳴られた。
女子にくすくす笑われた。

甲斐性なし、家族に言われた。

数年前から誕生日もクリスマスも無い。
ただただ、日々が過ぎていく。
勉強の出来る息子に、鼻でため息をつかれ、馬鹿にされる日々。

高卒であることをなじってくる同僚。お前の方が馬鹿だ、そう言いたいのをいつも飲み込む。

そんな俺の通う場所。
それは居酒屋。

ここに不思議な女の子がいる。
店員でも無いのに、お酌をして客との会話を楽しみ、暇があると読書している。

流行りの話なんかするとどんどん話題に乗り、『君は将来何になるの?』と聞くと、何にもならないよ、と答える。

『私は私のまま、哲学者にでもなるよ』

そう言って、年齢不詳の彼女は若いのか年寄りなのか分からない笑みを見せる。

暗い奴に寄って行って、会話に混ぜ、ただただ笑っている。

『樽男の話、知ってる?』
彼女が言った。

昔、樽に入って日がな一日過ごすのが好きな樽男がいた。
王様が評判を聞きつけ、何でも好きなものを与えるから、樽から出てこないか?と男に言った。

すると男は、『退いてください、日が射さない』
王様を、邪魔だ、と言ってのけたのだ。

私もそんな風になりたい、と彼女は言った。

すると親父さんが、んなこと言ってお前、親のすねかじりじゃねぇか、と笑った。

彼女は、しょーがないじゃん、ここは日本なんだから、と膨れた。そしてまた笑う。

俺は彼女に読み終えた本を渡しては、彼女が昔習ったという整体をしてもらう。

背中や首を押してもらうと、本当に頭痛が治ったから、才能あるよ、また働けば?と聞くと、もう働くのは飽きた、と言って次は足を押すため、背中に乗ってきた。

ちょっとドキドキ、でも彼女は何にも気にしてない。
イケメンが近づいてきても、私死にたくないから、と断ってしまう。
その代わり、友達になってよ。
それが彼女の常套手段。店の客を増やし、何とか稼ぎを増やそうとしている。

結局俺も通っているのだから、その手口に乗ってしまったわけだ。
彼女は徹底して、働きたくないらしい。その代わり、昔倒れたときの障害年金があるから、まぁ将来の心配は無いよ、とあっけらかんと言う。

私にも、色々あんのよー、おじさん。

そう言って、彼女はこれ読んだ?とまた本を取り出す。
店の畳は、殆ど本棚でいっぱいだ。
昼間から入り浸る本好きの仙人みたいな大学の教授もいて、こんなん貰っちゃったと、太宰治の初版本を棚の上に飾っていた。

ある日、私が休みの日に店で彼女を相手に雑談をしていると、玄関に男が立ち、金を出せ、と喚いた。

俺がビビっていると、彼女が立ち上がり、刺身包丁をスラリと抜いて、構えた。
長い長い、よく切れそうなそれ。

向こうがビビって逃げ出した。
ふーっと息を吐く彼女を、俺はとっさに張り倒した。

危ない、怪我をしたらどうするんだ、と怒鳴って、ホロリと涙を零した彼女にハッとし、土下座した。

ごめんよ、助けられたのに、そう言うと、片桐さんは間違ってないよ、あたし、馬鹿なの。そう言って彼女は鞄から錠剤を取り出し、震えながら飲み込んだ。

顔が真っ青で、小刻みに体を揺らしている。
大丈夫、慣れてるから。

そう言って、彼女は笑った。

この世に彼女を壊してしまった何かがあって、彼女は今もそれから逃げ続けている。
普通の幸せを諦めて、小規模な居場所を守ろうとしている。
俺は自分は幸福なのだと、今更ながら思った。
頭の良すぎる人間ほど、壊れやすい。

彼女が何故徹底して底辺にいようとするのか、今なら分かる気がした。

しかし、一人で生きるには、この世は辛すぎて。
なぁ、大丈夫なのか?

そう聞くと、みんなが見ててくれるから、大丈夫だよ、まだ頑張るよ。
彼女はそう言って笑い、今の武勇伝、しっかり報告しといてよね、と私の肩をペシッと叩いた。

明日も俺は部長に怒鳴られて、ちっともうだつの上がらない男になるんだろう。
でもここには、みんながいる。

此処は哲学の間だ。様々な客がいて、色んな感情が炸裂しては、消えていく。
その中を、彼女が泳いでいく。
赤いスカジャンが金魚のように、ひらり翻って水面に波紋を作るかの如く、客の間を泳いでいく。

誰ともつるまず、浅く広く付き合いをして、自分の心を持て余して。

さぁ、景気付けにビールでも飲もうよ、片桐さん。
彼女は笑って、瓶ビールをパカンと開けた。

ファイターに祝福を

頑張ってる人を書きました。

ファイターに祝福を

行きつけの居酒屋にいる、小さな哲学者。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-25

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