プールサイド夜話
夏の始まり
小中高と学生生活を過ごし、大学生になりそのまま社会人へとなった。
僕が働いているのは設計の仕事で主に道路や橋の図面をパソコンと睨み合いしながら制作している。最初の1年目は仕事を覚えることが大変でプライベートに意識を向けることができずにいたが、3年目を迎えてようやく自分の中に余裕を見つけることができるようになった。しかし余裕が出来てしまった分、新しい悩みが発生した。
その悩みとは、今までは忙しく感じていた仕事がぐるぐると円を描くように、ルーティンな仕事に変わってしまったということだ。
僕はまるで風車のように働いている。仕事という風が吹けばくるくると回るように仕事をやり続けるのだが、風が止んでしまえばもう動くことはないというふうにピタリと停止する。そしてそれは日常生活にも影響を出してきた。プライベートに満足感を得られなくなってしまったのだ。その後も僕は風車のように働いた。
*
その日は梅雨の鬱陶しい空気から解放された1日だった。連日して降り続いていた雨はいつの間にか止んでしまい、その日は午前中から夏を思わせる日差しが僕の生活している街を照らしていた。しかしそんなことは関係なく、僕の仕事は室内で行われる。仕事場は空調が完璧に整っているため温度も湿度も関係なく働ける。こういった環境が好きだという人もいるが、どうにも僕はこの環境に慣れることはできなかった。そして仕事は夜の9時まで続いた。
帰り道は住宅街よりも少し静かな場所だ。仕事用の椅子に長時間座っていたため、スーツには少しだけシワが残っていた。きつく結んでいたネクタイを少しだけゆるめ1番上のボタンを外す。
あたりは間隔的に街頭が並んでいる1本道で暗くもなく明るくもない。そういった場所を明日の仕事のことを考えながらぼんやりと歩いた。
今日書いた図面の修正を上司に報告しないといけないこと。他会社と協力しながら行っている業務のためその連絡を入れること。クライアントに費用の確認と交渉を行うこと。やるべきことは湧き水のように溢れ出てくる。こういった生活がこれから先も続くと考えると下手なホラー映画よりも恐ろしく感じる。でも両手両足に重い枷を付けられているため逃げ出せない。転職するという考え方もできるが、僕にそんな勇気はなかった。
小さくため息をついたあと、もう一度ため息をついた。
また明日も仕事だ。
*
それから数日経過しても環境は変わらなかった。昔は消防士や宇宙飛行士など格好の良い仕事に就くのだと考えていた。その考えが甘いと気づくのは社会を経験してからだ。
「胃腸に負担をかけているみたいで、免疫力が低下していますね」
昨日、仕事の合間に時間をもらって行った病院で言われた言葉だった。最近胃のむかつきや吐き気を感じることがあり、もしやと思って病院へ行っていると、やはりストレスが原因だった。
ストレス、ストレス、ストレス。考えたくはなかったがある程度は予期していたものだ。医者からは今後の仕事に関するありがたい助言を頂いたが、その助言を活かす機会は僕にはない。
その日の帰り道、梅雨の雰囲気はどこに行ってしまったのか、もう完全に夏が訪れていた。近くに生えている林では虫が鳴き、空には薄ぼんやりとした月が浮かぶ。僕はため息が出た。
しかし何故かその時はため息だけでなく涙がこぼれてしまった。
涙はゆっくりと頬を伝い、顎に来て地面へ落ちる。初めは少しの涙だったが、たちまち滝のように溢れるようになり、それと一緒に自分が今まで溜め込んできたものが爆発しそうになった。
僕は地面に膝をついた。持っていた仕事用のバッグはアスファルトに落ち傷が付く。しかし今はそんなこと考えてられない。どうして僕の生活はこんなにもバランスが良くないのだろう。普通に生活して普通に社会人となって、普通に働いている。これはかなり恵まれたことで文句を言うことはできない。しかし何故こんなにも爆発してしまいそうなのだろう。
目に溜まった涙は幾度となく溢れ続ける。視界は涙でよく見えない。
幸い人通りのかなり少ない場所であるためこんな恥ずかしい場面を見られることもないだろう。
ああ、何をやっているのだろう。急に自分のやっていることが恥ずかしくなり、急いで立ち上がる。スーツで涙をぬぐい、深呼吸をする。
僕は大丈夫だ。これからもやっていける。そう声をかけ自分を励ます。たったの少しも役には立たないが、言わないよりはマシだ。だが、少し気分転換は必要ではないだろうか。そう考え僕はいつも歩いて帰る道から少し外れて、違う道を歩くことにした。
プールサイド夜話