【黒歴史掌編シリーズ】モノクロ(2013年6月)
モノクロ(2013年6月)
引っ越したその翌日から異変に気づいた。
気にすることは何もない。いつもは。
そう、たまにふとした瞬間に“何かがおかしい”のだ。
具体的に言い表せなくて申し訳ないが、
そういう異変がある時は、仮に太陽がまぶしいくらいの快晴だというのにどこか暗い。
モノクロのTVを見ているかのように彩度がなくなるのだ。
それも私の部屋以外、マンションの敷地内だけ。
そして、その間だけしきりに私に触れたがるマンションの住人。
いつものように「おはようございます」「こんにちは」と挨拶だけでいいはずだ。
触る必要はどこにもないはずなのに。
理由をつけて私に触れようとするその手が
その時だけは何故か感染性の強いウイルスのように感じられて、
ぎこちないながらもやんわりと笑顔でかわす。
そんな日々が1ヶ月ほど続いた。
確かに、少し神経質になっていたのかもしれない。
たまりかねて恋人に話してみるも、
「気のせいだよ。疲れてるんじゃない?」と優しく諭された。
とはいえ、どうしても触れられたくないのだ。
そんなある休日、
たまたま彼女に用事が入ったために、何もすることがなくなった私は近所の公園を散歩していた。
今時珍しい「拾ってください」の段ボールに入っていた子犬。
私は癒しが欲しかったのか思わずその子犬を持ち帰ることにしてしまった。
マンションに戻る際、入り口で住人と会った。
別にペット可のマンションだったから気兼ねすることはないのだが、
何故か身構えてしまう。
「あら、かわいいワンちゃんね」
そう触れてくる住人の手を避けることができず、子犬は気持ち良さそうに撫でられていた。
その時に気づけば良かった。その時もまた“モノクロ”だったことに。
変に心拍数が上がって落ち着かない。
私にも伸びる手をやんわりと交わして部屋についた後、子犬を降ろして水を勢い良く飲み干した。
飲み干して少し落ち着かせて気づく。
部屋もまた“モノクロ”であることに。
思わず子犬を見る。
子犬は黙って私を見ている。
私もその場で動けない。
一体、何だというのだろう。
子犬が笑った、ような気がした。
* * *
「まだ、彼、目を覚まさないの?」
「はい。ずっと寝ているようで・・・」
「何か思い詰めていた様子もなかったんだけど・・・心配よね」
「彼にとっては良かったのかもしれません」
「え?」
「何でもありません。それでは私はこれで失礼します」
「あら、引き止めてしまってごめんなさいね」
「いえ、では……」
あの後、どうしても彼が心配になり、私はその日の夜に彼の部屋を訪ねてみた。
電気がついていないので彼の名前を呼びながらつけてみると、
彼はうつ伏せで倒れていて、子犬は心配そうに彼に寄り添っていた。
彼が言っていた“モノクロ”は私には見えないようで、
その時も変わらず、いつもの部屋だった。
急ぎ救急車を呼び、子犬と一緒に救急車に乗って病院へ。
彼には身寄りがなかったのもあって、私が容態を聞くことになった。
「精神的なショックによるものが大きいと思います。身体には異常はなく、いつ目覚めるかは……」
もっと彼の話を聞いてあげていれば。一緒に暮らそうと言えば良かった。
後悔で胸が一杯になりそうになる。
その日は彼のそばで一晩中泣いていたような気がする。
次の日、仕事を休んで、子犬と一緒に彼のマンションに行って、管理会社の人と話をして。
家のものは全部引き払うように告げて。
そこまでは良かったけど、子犬は彼の部屋についた途端、倒れて死んでしまった。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
管理会社の人も驚き、「ガス漏れか!?」と慌ててハンカチで口を押さえていた。
その時、私も気づいた。
部屋が“モノクロ”になっていたことに……。
管理会社の人もそのままに部屋を出てきてしまったことは申し訳ないと思うけど、その時の私にはそんな余裕もなくて。
帰りに住人に声をかけられたような気がしたけど、どんな話をしたかなんて覚えていない。
「彼が言っていたことは正しかった!」
「私も同じようなことになるのだろうか……」
ただ、彼のいる病院に行きたくて。少しでも彼と一緒にいたくて。
病院に行って眠る彼に安心していつの間にか私も眠ってしまっていて。
そこからの記憶は私にはありません。
【黒歴史掌編シリーズ】モノクロ(2013年6月)