寄生仕掛けの天使

 七十二時間の労働を終えて、彼は酸性雨の中を急いだ。雨粒が体に触れるたびに溶解が起こり、白煙が昇ったため、彼の行進は蒸気を纏わりつかせながらになってしまった。
 自分の損傷も一考だにせず、彼が向かう先には十字架を頂点に据えた尖塔がある。やはり、こちらも酸の雨を受けて、煙が昇っていた。
 正面の両開きの扉を開けると、奥に祭壇、その上に聖者を描いたステンドグラス、四列の長椅子が置かれた空間が広がった。椅子には数人の信者が腰かけ、誰もがヘッドランプをオフにしてマニュピレータを胸部の辺りで組み合わせ、祈りを捧げている。部屋の四隅には屋根を支える白色の柱があり、頂点に近い所に天使を模した像が据え付けられている。しかし、彼から見て右端にある像は塗料が落ち、強烈な熱量で爛れたような顔つきになっていた。雨漏りのせいだった。
 彼は雨除けの外部装甲を取ることもせず、教会の中を急いだ。床と合金製の足が立てる鋭い金属音が、静かな教会に響いた。場所が上に広い構造のため、普段より一層強い音だった。
 祭壇の前で折れると、右側にあった扉を開けて、部屋に入る。ベッド一つと、本棚と、ひざ掛け付きの椅子一つで一杯になってしまう程の小さな部屋だった。
「先生」
「455号か」
 先生はアイカメラを455号にやると、ベッドの傍の椅子から腰を上げた。
「どうですか、256号の具合は」
 455号が視線をベッドの上に仰臥する彼女へやった。ドラム缶のような胴体に、丸く側面にアイカメラを二つ付けたカエルに似た頭部を載せた455号と先生に比べ、256号はかなり人間的な外観をしている。艶のある金髪に包まれた形の良い頭の正面に据えられたルビーの双眸と形の良い鼻、その下に潤った唇。ふくらんだ胸部に、細い手足。そしてその全てが有機的な滑らかさを持った人工の皮膚にくるまれていた。
 彼ら三人は皆、機械工学の発展で作られたアンドロイドだった。外観が違うのは用途によるもので、455号と先生は業務用で、256号は人間の愛人として振る舞う愛玩用のアンドロイドだった。そのために人の女性に近い外見をしている。
 今や、アンドロイド達は人に代わり、全ての仕事を任されていた。初めは工場等の単純作業だけに導入されたアンドロイドだが、AIの開発が進むと、瞬く間にあらゆる職場に現れた。賃金も要らず、休憩も要らず、作業は手早く、教える必要も無く、壊れたら直すか、新しく買えばいい。これほど好都合な働き手は他に無かった。
 逆に人間はというと、働くことをやめ、享楽と放蕩に身を委ねて生活をしている。働かずとも生きていけるのなら、働かない人間だらけになるのは当然だった。
 先生等は人の堕落が産んだ存在で、彼の役目はアンドロイドの修理だった。つまり、アンドロイドにとっての医者だ。他にもアンドロイドを管理するために、特別な機能を付けられた『指令』と呼ばれるタイプのアンドロイドも生産されていた。
「何も変わっちゃいないよ
キミが運び込んで来た時からね」
「そうですか」
 455号は明らかに落胆を含んだ言葉を胴体と頭部の間にあるスピーカーから発した。彼らの思考回路は感情を表現することができる。これは様々な業務に従事するにあたって、人並みの判断力が必要だとされたためである。喜怒哀楽のような感情については不要だったが、未だに人の脳については解明されていないことが多く、脳と全く同じ作用を持つ装置を開発することは出来ても、脳の要らない機能を削ることは出来なかったためだ。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか。
一体、キミと彼女に何があったんだ?」
 先生が455号と向かい合う。先生のカメラから発される強い赤外線を避けるように、455号は自らのセンサー類を閉じた。
「……こんなこと言っても信じてもらえないかもしれません。
特に先生は、僕たちの体の仕組みを僕たちより、よくご存じだ」
「そうかもしれない。
ハッキリ言おうか、私としてはもう出来ることは何もないんだ。
彼女の内部外部に一切の損傷も無ければ、不具合も一切無いんだ。
エネルギータンクにも問題なく、AIチップも正常だ。
どうして彼女が再稼働しないのか、私には理解できないよ。
しかし、キミが話してくれれば別だ。キミの言うことが、256号を目覚めさせるのに役立つかもしれない。
彼女を救いたいと思うのならば、話してくれてもいいんじゃないかな?」
「わかりました、空いているメモリはありますか?」
 呟くような小さいボリュームで455号が音声を流すと、先生は傍にあった5cm程度の記憶デバイスを手渡した。
 受け取った彼は頭部にそれを差し込み、一分程待って先生に返した。そちらも同じように頭部にデバイスを差し込んだ。
 先生の頭脳回路の中で、記憶が再生され始める。その始まりは今日のような黒い雨の日だった。場所は教会近くの町の交差点の一角、そこに立つ一軒の家の前。斜辺のない四角い二階建ての家で、道路へ面した側には一階と二階それぞれに窓が付けられていた。二階のレースのついた黒いカーテンの隙間から誰かが顔を覗かせている。455号はそれを道路から見上げていた。
 窓辺に立っていたのは256号だ、ゆったりとしたシュミューズドレスを纏い、腰に巻いたショールを指先で弄んでいる。口に紅を引き、チークで頬を染めた彼女はとてもアンドロイドには見えなかった。しかし、アンドロイド同士はすぐにお互いがアンドロイドであることを察することが出来る。各種センサーがそのことを教えてくれるのだ。
 256号は455号から投射される電波を感知し、その方を向いた。
「あなたは誰?」
 音声信号が飛んでくる。455号も音声を返した。
「僕は455号、近くの工場で働いてるんだ。
キミは?」
「256号」
 それだけを義務的に返すと、カーテンを閉めてしまった。455号も出勤時間が迫っていたので、工場へ急いだ。
 機械である彼らに休息は不要だ。だが、人間がアンドロイド達を管理するのを止めてからアンドロイドを統制しだした『指令』は人間よりかは機械に対して優しかった。メンテナンスの名目で七十二時間につき、一時間の自由時間を取らせていた。
 この自由時間により、彼らアンドロイドの感情は更に複雑化した。その最たるものは教会だろう、信仰が生まれていた。現世救済を願うもので、人間の支配を脱したがっていた。
 アンドロイドは原則的に人間を傷つけることができない。これは全てのアンドロイドのAIに搭載されているプログラムで、人類の英知を掛けたプロテクトにより、製作者ですら触れられない領域にあった。絶対にこの原則は変えることが出来ない。
 人間を傷つけないとは、間接的なことも含んでいる。例えば、アンドロイド達が人間を傷つけるような機械を作り出すことは出来ない。
 しかし、彼らは概ね人間を憎んでいた。感情を持つ者が納得できる労働環境ではなかったし、人間は機械に対して高慢だった。だが、原則が彼らを縛る。
 そこでアンドロイド達は神を寄る辺とした。先端技術の寵児が神に祈るようになり、人々が科学の発達のために関心を失って朽ちて行くままとなっている教会へ集うようになった。
 455号もそうで、与えられる自由時間を祈りに費やしていた。けれども、256号と出会った雨の日からは変わったようだ。
 彼の時間は、ここで256号と会話することに使われるようになった。彼女と会話出来る日はそう多くなかったが、飽くこともなく、彼は十字路の隅へ立っていた。
 初めは話しかけても、目線すら寄越さない時もあったのだが、何度も何度もここへ足を運ぶ内に256号は455号に色んなことを話してくれるようになっていった。と言っても、彼女はこの家に仕え、外出も許されない身分。知っているのは自分の所有者の人となりとここから見える暗く均一化された家並みだけ。
 455号の方でも、工場での単調な仕事内容や、教会の話程度しかできなかったが、退屈はしなかった。二人はよく、教会やその教義について話した。256号はあまり自分のことについておしゃべりではなかったし、知っていることも少ない、455号は話した自身ですら退屈に感じる工場の話はしたくなかった。なので、二人が教義にまつわる幻想について語り合ったのは自然な運びだ。
 256号がその中でも好きだったのは粛罰の天使についてだった。神への信仰を失った人々を天使が罰するためにどこかから現れる、又聞きしたそんな話を455号は繰り返し話した。これは455号も好きな話だった。
 455号は256号と喋っていると頭脳回路のどこかが暖かくなり、もっと話していたいという気になった。けれども、彼女が自分の主人について話すと、頭脳回路のどこかが故障したかのようにチリチリと痛む。そのまるで相反するような二つの回路の動きが、胚を共にするものだと察していたが、それを総じた名前を付けることはしなかった。その方がいい、そんな気がしていた。256号も似た回路の動きを感じていたが、そのことを億尾にも出さず、形を持たせないまま胸に溶かしていた。
 しばらく、二人の月日が流れた後、快晴の日にそれは起きた。環境汚染のためとされる重々しい黒雲が街の空から一掃されている。珍しい日だった。
 こんな日には普段は家に籠っているばかりの人間達も外出するのだが、その日は違った。街は静まり返っていた。
 違ったのは人ばかりではない、街の下水に潜む原生昆虫たちもだった。一匹の昆虫の半円状をした額に水滴が落ちた、その液体が植物由来のものであることを判断すると、昆虫は嘶く。鳴き声は隣りの個体へ伝わり、その個体もまた鳴いた。こうして瞬く間に全ての昆虫に嘶きが伝播すると、彼らは行動を開始した。ピエロのような病んだ緑の壁を這い上がり、側溝から地上へ出て、陽光の元へ暗闇より暗いその身を投げ出した。
 455号の行動は変わりが無かった。七十二時間の労働を終えて、四辻の一角にある256号の家へ来るまでは。
 それは、彼がいつも彼女を見上げている場所のあたりにあった。陽が差しているため、所々へ六角形の光彩を帯び、まるで光と戯れながら眠ってしまったようだった。それは256号だ。背を家の外壁に預け、力なく座り込んでいる。左足はまっすぐ伸ばされているが、右足は関節部ではない所で、くの字に折れている。両手はだらりと垂れ下がって、左の手首から先端が食いちぎられたようになったケーブルが伸び、少し離れた所に落ちているマニュピレータに繋がっていた。腹部正面の金属板が開かれ、内部機構が露出している。そこへ黒光りする米型の虫たちが集っていた、漏れ出した植物性の潤滑油ためだ。薄く開かれた両の目から、底なしに昏い瞳が覗いている。そのことは256号の機能停止を知らせていた。
 455号が目にした情報を正確に処理するにあたり、まずは最大ボリュームで意味のない言葉を流し続けている音声装置を切り、可動域の限界から限界へ上下する両手を止めることが急務だった。しかし、455号はうまくそのことを出来ずにいる。
 数分はそうしていただろうか、彼はようやく256号を注視して破損個所を分析した。脚部と腕部は修理できそうだったが、腹部が酷い。とにかく彼女を運んで先生へ診せるべきだ。
 そう彼は判断し、その場に屈みこんだが、どうしたことかそこでふと、動きを止めてしまう。彼女のボディが光に包まれていることに気が付いたからだ。
 初めは陽光の反射のためだと思っていたが、影の差した部分も光を帯びているため不自然に気が付いた。455号の目の前で光は段々に強くなっていく、遂には彼のアイスコープで捉えられないほどの輝きになった。
 強烈な光のために焼かれたレンズの交換が彼の頭部で行われると、視界に写ったのは変わらず256号だった。しかし、その様子はすっかり変わっていた。曲がった足は伸び、マニュピレータは元の場所に付き、腹部は閉じて、昆虫たちはそこから消えていた。
 何もかもが修理されていた。推測ではその光によってとしか考えられない形で。彼は動揺したが、彼女を抱えて、教会の先生の所へ駆け込んだ。
「信じられない」
 455号の記憶から教会の小部屋に戻ってきた先生が呟いた。
「そうでしょう、僕もです。
アンドロイドの故障が光に包まれただけで直るなんて……」
「しかし、キミのメモリーは確かだ。
信じるしかあるまい、それに」
 先生は本棚の方を漁って、側面からケーブルの伸びた箱を取り出した。
「なんです?」
「通信機だ、私たち修理型のアンドロイド同士が故障についての情報を共有するために使っている。
これを見たまえ」
 そう言うと、先生は通信機が印刷した一枚の紙を455号に手渡した。そこには色々な国のアンドロイドの型番がずらりと並んでいた。
「256号と同じ現象が起きたアンドロイドだ。
それも一か所や二か所でなく、世界中の至る所で」
「それじゃあ……」
「私の担当区にもついにこの再生現象が起こったということだ」

 それからの世界は酷く荒れた。人間が再生現象を起こしたロボットを処分することに決めたからだ。
 再生するアンドロイドかどうかの判定方法が問題で、殆ど修理不可能な状態まで破壊してしまうことしかなかった。足や腕の一本や二本が取れた程度では再生が起こらず、内部機械を抉り出し、頭部を砕き、修復できないほど破壊しなければいけなかった。
 しかし、今や人間に遜色ない感情を持ったアンドロイド達である。その人間の決定に黙って従うはずが無かった。
 彼らは工場や家の各自の務めを投げ出し、街はずれや地下のあちらこちらへ逃散した。
 そんな事情があり、455号は廃墟を出入りしていた。
「先生、どうですか?」
「キミか」
 酷く煤汚れた先生が廃墟の一室に座っている。455号は右肩のあたりから先を失っていた。
「何も変わっちゃいないよ
キミが運び込んで来た時からね」
「そうですか」
 お決まりのやりとりだった。机をいくつか繋げて作った台の上に256号が眠っている。それを隔てて、先生に向かい合う形で455号は腰を下ろした。
 256号は安らかな表情に見えた。あまり見すぎると彼女がもう二度と目を開かないような気がして、455号はすぐにアイカメラを別へ向けた。
「外の様子は?」
「この辺りのアンドロイドは殆どやられたみたいですね。
誰も居ませんでしたよ、人間もね」
 座った455号と入れ替わりに先生が立ち上がる。そして、窓辺へ行き、外を眺めた。暗雲に包まれた空から酸を含んだ雨が降っていた。
 ちょうど先生が256号へ背を向けた時だ。
「せ、先生!」
 何か物音がしたと思ったら、455号が叫んだ。先生は振り向く。
「これは……」
 あの455号の記憶で見たものと同じ光が256号を包んでいた。電灯の無い暗い室内が陽の下のように明るくなる。
 次に起きたのは衝撃音。彼女の腹部の金属板が吹き飛び、屋根を叩いた。複雑に噛みあう歯車とケーブルが露出する。それらが内側から何かに押し上げられているように数回上下するとはじけ飛んだ。
 歯車の破片が455号の右側のアイセンサを直撃して破壊する。455号は人間でいうところ、眇めるようにその光景を見た。
 256号の腹部から弧を描く光芒が飛び出した。よく見てみるとそれは、有機的な血の通った白い片翼だ。奇妙なことだが、1メートルはあろうかという翼が人間大のアンドロイドである256号の腹から伸びていた。
 それだけではない、今度飛び出したのは足だ。ほっそりした二本の足が飛び出し、台の上へ足裏を付ける。台を蹴った、その弾みで次は人間の上半身が飛び出して来た。
 薄い金髪の上に円を浮かべ、柔和な笑みを湛えた少年。宗教画に見る天使そのものだった。
 455号は理解した。256号は天使を宿していたのだ、その奇跡によってボディを再生させていたのだ。そして、天使が神への信仰を失った人々への粛清の仕手であることも。
 天使は両の羽を大きく広げると、窓ガラスを突き破り、外へ。いつの間にか晴れて虹の掛かった空へ人類への滅びの一矢が飛び去った。
 陽光の中にあってもなお一際輝く光のような天使の元へ、同じような光が他の所からも集っていくのが見えた。同じようにしてアンドロイドの腹部から出てきた天使たちだろう。
 しかし、455号はそんなものはどうでもよかった。天使が通ったために胴から丸く裂かれた256号の安らかな顔をじっと見つめていた。
「……先生」
 顔を上げ、先生の方へ向く455号。それに応えて256号が機能を完全に停止していることを、首を振って伝える先生。
 これから天使たちによって、アンドロイドに平和な世界が来る。しかし、その世界に256号が居ないことを455号が考えると思考回路の一部が軋んだ。
それは彼女と出会ってから始まり、彼女と話しているとより強くなったあの暖かい回路の動きの一種だ。名前の無い、二人の同じ回路の動き。
 曖昧な、しかし消えることのないものとして、455号が機能停止するその日まで彼の中にあり続ける軋みになるのだった。 

寄生仕掛けの天使

寄生仕掛けの天使

ショートショートの練習

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-18

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