高原の賦
第一章
正代は、ある墓地にやってきた。一番奥にある小さな墓石の前に立ち、いつも通りに花を入れ換えようとしたところ、
「あら、どうしたのかしら。」
と、思わずいった。
「どうしたの?」
隣で、五歳の息子、数一が言う。
「いつ、花を入れ換えたのかしらね。しかも、なんでダチュラなんか、縁起悪いわ。」
「誰か他のひとが入れ換えたんじゃないの?」
「いいえ、あの人は、家族なんていないはずよ。弟さんがいるけれど、外国にでも行ったんじゃないかしら。」
「つまり、僕の叔父さんになるの?」
「まあ、そういうことなんだけど、あんたは聞かなくていいわ。あたしは、いまでもあの弟さんのことが好きじゃないのよ。」
「ねえ、ママ。僕のパパって、どんなひと?生まれる前に死んだの?」
「素敵な人だったわ。ママにはもったいない位の人だった。あの人より、すごいことができる人はいないわよ。」
「いつも、こうやって、お墓参りにいくけど、けんちゃんまで、親無し子っていってバカにするんだ。どうしてうちにはパパがいないのか、教えて!」
数一の話し方や表情は真剣そのもので、嘘偽りないことを示していた。
「わかったわ。」
正代は、覚悟を決めた。
「うちに帰ったら、パパのこと、話してあげる。」
といい、花立に入っていただちゅらをゴミ箱に捨て、持参していたカサブランカを入れた。そうして入念に墓石を清め、線香をあげて、短い教を唱えた。数一もそれを真似ていた。
「いきましょ。」
正代は、数一のてを引いて、車に乗り込み、自宅に帰っていった。数一と、テーブルに向き合って座り、
「じゃあ、話そうか。」
と、静かに語り始めた。
菊川正道は、今日も喜んでいた。年度末の試験で、一位をとったのだ。
「よくやったな。順調に行けば東大確実だ。冬休みによく勉強しておけよ。」
と、担任教師が誉めていた。
「お前って頭いいんだな。」
同級生たちは皆そういった。
昼休みになっても正道は、試験勉強を続けていた。彼にご飯を一緒になどと持ちかける生徒は誰もいない。正道は、それでも、平気だった。東大にいけば友人もできるだろうし、テレビやファッションに夢中になり、いまの事しか頭にない人間のようにはなりたくなかった。それに、ある事情のせいで、浪人することは許されなかったため、高校二年生であっても、受験生と思い込み、必死に勉強をしているのだった。受験に邪魔になるから、彼女もほしくなかった。受験に関連しない授業でも、時間のムダといって、試験勉強をつづけていた。
授業が終わった。クラスメイトたちは、部活に出掛けていく。しかし正道は、部活には加入していなかった。そんなことに現をぬかしていたら、東大に入れなくなってしまう。だから、授業が終わるとまっすぐに帰宅した。教師も、東大にいくのなら余分なことはしなくていい、と、大いに公認してくれていた。
帰り道。正道の家は、自転車で40分ほどのところにあった。家と言っても平屋だての小さなものだ。家に近づいてくると、近所の人は立ち止まる。美しい箏の音が響いてくるからだ。逆に正道は、耳を塞ぎたくなるのだった。
正道は、痛い頭を抱えながらドアをあけた。美しい音が聞こえていた。正月に耳にすることはあるが、家の中ではいつも鳴っているのであった。
「今日もいいおとが、鳴ってるな。」
と、牛乳配達が隣のおばさんと話している。
「ほんと、いつも正月みたいだわ。」
おばさんはそういうのだ。
「でも、かわいそうだな。あんなに上手なのに、家から、一歩も出られないなんてな。朝子さんが、いくら稼いでも、足りないって言っていたぜ。」
朝子とは、正道の母のことである。
「弟さんが、大学行かないで働いて上げればいいのにね、あ、牛乳、、、。」
おばさんに悪気はないが、その言葉は正道の心を刺した。確かに、あと一年高校に行けば働いてもよい年だ。しかし、どうしても大学に行きたかった。しかも、東大にいきたいのだった。正道は、家についたら、急いで服を着替え、予備校に向かおうとしたが、箏の音が止んだ。
「正道、帰ってきたのか。」
と、声がする。ひどくしわがれた細い声だ。無視しようかと思ったが、襖が開く音がして、足音が聞こえてきた。
「せめて、挨拶くらいしろ。」
ふりむくと、一人の男性がたっていた。その顔は紙のように白く、げっそりと痩せて窶れている。黒い着物をみにつけており、右手指に箏の爪をはめているから、この人物が弾いているのは確かであるが、そのおとからは、連想できない顔つきをしていた。
「うるせえな。」
と、正道は言った。
「予備校か?」
この人物は、まさしく正道の兄であった。名前を菊川博一といった。しかし、正道とはまるで違う、穏やかな顔をしている。
「関係ねえよ。好きな箏でもやれ。」
「ごはんは?」
博一はもう一度言ったが、正道は、無視して家を出ていった。
ドアを閉めると同時に小さなうめき声がした。正道は、聞こえないふりをして、自転車を飛ばしていった。
「なんで、あんなやつがいるんだろう。」
正道は、ため息をついた。博一と正道は、十年離れた兄弟だ。こんなに離れた兄弟は今どき珍しい。そして博一は、その箏を武器にして東京芸術大学を卒業し、大学院にも進んで邦楽博士号をとるほどの、大変な秀才であった。それが正道には勘弁できないのだった。正道が東大を目指しているのは、兄よりすごい大学にいって誉められたい、という気持ちからだったのである。
「姉さんがいてくれたらなあ。」
実は、正道には姉がいた。名前を雪子といって、三年しか離れていなかった。雪子は、日頃から体が弱い博一の世話をすることもあったが、正道のことも気にかけてくれて、よく遊びに連れていってくれた。しかし、もうここにはいない。海外へ実習生として留学していたときに、イスラム系の者が起こした自爆テロに巻き込まれて死亡したのだった。空港に遺体を引き取りにいったときは、変わり果てた姉の姿に、正道は号泣した。
三人とも、父親はいなかった。今現在の家の収入は、高級クラブで働く母朝子だけしか、得ることができない。
博一は、働きに出ることを禁じられており、正道は、アルバイトをする暇などまるでない。父親の顔を正道は、遺影でしか見たことがないが、雪子はよく、歌舞伎役者にしたいほどかっこいいと言っていた。確か、仕事として電線の張り替え工事をしていたときに、電信柱から落ちて死んだ、ときいている。
そんなことを思い出しながら、正道は、予備校につき、きっちりと授業をうけた。周りの生徒が、ろくに勉強をしていなくても、正道は、しっかりと授業を聞いていたため、予備校でも可愛がられていた。
四月がやってきた。いつもの通り、夜勤あけで眠っている母を起こさないように、正道は、静に家を出て、学校にいき、しっかりと勉強していた。そして、昼休み、弁当を食べていると、隣の席に座っていた女子生徒が、
「菊川君、先生がよんでるよ。」
といった。正道がたちあがると、養護教諭が駆け寄ってきた。
「はやく中央病院にいって!お母さんが倒れたそうだから!」
正道は、しばらくポカンとしていた。
「ほら、はやく!」
我に帰った正道は、鞄も持たずに学校を飛び出した。中央病院への道はすぐわかった。信号も無視し、危ないと叫ぶ者も無視して、正道は、病院に飛び込んだ。
「すみません、菊川朝子は、、、。」
と、受け付けにきくと、
「はい、集中治療室にいます。」
と、答えがでたので、エレベーターも使わずに、階段を走っていった。
治療室には、博一が先にいた。顔を覆って泣いていた。
「兄ちゃん、お母さんどうしたんだよ。」
博一は答えない。
「兄ちゃん!」
それでも泣いているのであった。
「答えろ!」
と、足を鳴らすと、治療室のドアが空いて、医者が現れた。
「お気の毒でしたが、、、。」
「もう、わかります、言わなくても。」
博一はそういった。
「なんだよ、何があったんだよ、お母さん、どうしたんだよ?」
「お母さん、いま死んだんだよ。そうですよね?先生。」
「はい、、、。」
医者はそういった。
「去年からそうでしたよね。僕はうすうすわかっていました。母のゴミ箱から抗がん剤がでてきたりしていたので、まあ、どこの部位まではわからなかったのですが。」
「よくお分かりになりますね。まさしくその通りですよ。胆管細胞癌です。発見されたときには、かなり進行しておりまして、もう手遅れでした。せめて末っ子が東大に合格するまではと、朝子さんからきいておりましたので、あらゆるてを試みましたが、本当に申し訳ありません。」
「ちょっとまってくれよ!なんで何も言わなかったんだよ!」
正道は、面食らっていた。
「お前には東大にいってほしかったからだ。それが、お母さんの最期の贈り物だと思う。」
博一は静に答えた。
「僕も曲を書いたりして、お金を作るし、お母さんの貯金も調べてきた。東大にいくには充分あるから、お前はこれまで通りに勉強をしろ。」
「言われなくても、そうさせてもらう。俺は何がなんでも東大にいくんだからな!」
正道は、哀しみどころか、怒りを感じていた。そして、何も言わずに学校に戻ってしまった。
第二章
母の葬儀はすぐ終わった。参列したのは、博一と正道のみであったからだ。博一は、葬儀をあげてやりたい、といっていたが、正道が、費用のかからない家族葬にするという意見を押し通したからだった。それでも、二人にとってはかなりの出費であった。
その翌日から、正道は学校にいき、博一は家で家事をするという生活がはじまった。まるで、ままごとのようにぎこちなかった。
家族葬、というものは、正道には手続きも楽だし、費用がかからないので、素晴らしい葬儀の仕方だとおもっていた。しかし、朝子の職場の部下のものたちが、次々にやって来るので、正道は、不快になった。
ある日、正道が学校から戻ったところ、黒いスーツを着用していた中年の男性が家から飛び出してきた。
「こんな遅くまで何をしていたんだ!」
「学校ですけど?」
「あ、赤点補習?こんな遅くまでかかるなんて。」
ムカッときてしまった。
「違います、その逆の補習です。」
「そう。だからと言って、家族を置き去りにする権威はないよ。ほら、はやく入って!」
いったい何があったのかわからないまま、正道は、家に入った。
「博一くん、正道くんがきたよ。早く薬もらってきなさいよ。」
博一の薬は家族が管理するようにと言われていた。のみ間違えたりすると死に至る可能性があるからだった。
「自分でやればいいだろうが、、、。」
正道は、文句を言いながら台所に行き、頓服と書かれた紙包みをあけて、粉薬を1袋出してきた。これだけあればご飯なんていらないのではないか、と、思われるほど大量にあった。嫌々ながら兄の部屋にいくと、博一は畳の上に積まれた座布団によりかかり、胸を押さえて苦しんでいた。
「ほれよ、薬だよ。」
正道は、薬の袋を投げつけた。みれば、絃を張り替える途中の箏がおいてある。
「またか。」
と、正道は、嫌な顔をした。つまり、絃が切れて、お箏屋を呼び出し、やっていてもらっているうちに倒れたのだろう。
「またかねがなくなる。」
正道は、ため息をついた。箏は、よほどの技術がなければ、自分では張り替えられない楽器だった。そのために技術者を呼び出すのだが、張り替え代として、少なくとも一万円以上する。
「ごめん。」
博一はよろよろと立ち、薬を拾い上げた。そして、洗面所へいき、薬を服用した。
「だ、大丈夫なのかい?」
お箏屋は、心配そうに彼をみた。その間に、正道は、やいほいと自室に引き上げてしまった。
「悪くなったな。」
お箏屋の声が聞こえてきた。
「いえ、なんでもありません。このくらい。」
兄はそういっている。実際にはなんでもない、で、片付けてもらいたくないと、正道は思った。
「じゃあ、本日の張り替え料として、一万五千円です。」
いくら耳を塞いでも聞こえてくる。
「次は半年後ですね。また切れたらお電話しますので。」
半年後、、、受験も佳境にはいるころだ。
「絃のことより、君の方が心配だよ。少しでも体調が悪いなあと思ったら、すぐに、病院にいくようにしてね。」
「わかりました。領収書をおねがいします。」
「はいよ。」
正道は、思わず机のとなりにあったラジカセのスイッチを押した。丁度、ハードロックがうるさいほどなっていたため、それを聞きながら勉強をはじめた。その方が、勉強の能率もあがった。
翌日、正道が家に帰ってくると、また先客がいた。こんどは、張り替え屋ではなく、親戚の叔母だった。
「大変だったね、博一くん。」
叔母はそういう。正道くんとは言わない。
「そうですね。母に申し訳なかったかな。」
博一は、べそをかいているようである。
「ううん、自分を責めたらだめよ。すくなくとも、あんたは、大学院まで行けたんだからさ、十年くらい休んでいても、働けるわよ。」
「でも、もう27です。十年したら37になってしまう。それじゃあ、もうおじさんになってしまいますよ。」
「いやいや、37なんて、いまの時代はまだ若造よ。体をしっかり治してさ、思いっきりやりたいことをすればいいのよ。それに、お箏が弾けるんだから、これからの時代、音楽は必要になってくるんじゃないかしら。お姉ちゃんだって、そう望んでるわよ。」
「母を殺したのは、僕です。僕がちゃんと働いていたら、」
この台詞は意外だった。兄がそんなことを考えていたのか。
「いいのいいの、博一くん。あんたは、しっかりものの正道くんがいるんだし、少し任して、ゆっくり体を休めなさいよ。一人で全分野やらなきゃいけない訳じゃないんだし。家族ってそういうためのもんだから。あんたの兄弟は、まあ、雪子ちゃんはちょっとかわいそうなのかも知れないけど、しっかりしているんだから、ちゃんと、何をしたらよいのか、わかっていると思うわよ。また、高原の賦、きかせてよ。」
明るく陽気な叔母はそういった。任されている俺の身にもなってくれよ、と、正道は、言いたかった。
正道は、急いで予備校にいく支度をした。鞄にテキストを詰め込んで、玄関のドアをがちゃんと開けた。
「う、、、。」
細い声がした。
「ああ、ああ、ほら、しっかり!」
叔母が、背中を叩いている音がする。正道は、そんなおとなど聞いていられるか、と思いに任せてドアを閉め、予備校に向かっていった。家族も親戚も一番心配するのは、兄のこと。それが憎たらしくて仕方ないのだった。
自分だって、大学受験をしたいのに。
思えば、八歳の時、博一の大学受験だった。父はすでになかったから、母は手取り足取り情報を求め、ほとんど正道とは顔を合わせなくなった。まず、家には音楽大学を受験したという例はない。ましてや、邦楽なんていっそうのことだった。情報源は、博一が師事していた山田流箏曲の家元のみであった。しかし、それは逆を言えば素晴らしいことだった。邦楽は、やる者がなんせ少ないから、入試に関してあまりうるさくなかったのだ。博一は東京芸術大学の邦楽科を受験したが、定員の半分ほどしか受験者はおらず、すでに勝ったようなものだった。そんなわけで、合格は早かったが、母はそれいこう、めっきり弱ってしまったように見えた。正道は、それが頭に残っている。理由はわからないけれど。
その後、ストレートで博一は大学院にいき、博士号をとることに成功した。しかし、それと反比例して、体調を崩していった。そんなわけで、就職することができなかった。しかし、正道が不思議におもっていたのは、それ以降、博一が、ほとんど外へ出なくなっていったことである。
「お兄ちゃんって、偉いんでしょ?」
と、正道は、よく雪子にきいたものだ。
「これから偉くなるのよ。」
雪子はそう答えていた。
「じゃあ、どうして家から出ないの?」
と、きくと、
「いまは、ちょっと疲れてしまっているのよ。」
と、帰ってきた。
雪子は、音楽には興味をもたず、看護師になりたいと言い出して、看護専門学校に進学した。それは、もしかしたら、博一が影響したのだろうか、と、正道は、よく考えていた。同時に、姉の将来を決めてしまったのでは、姉がかわいそうではないか、とも感じていた。姉が、実習を選択したのは、もしかしたら、この家から出たかったのではないだろうか?結果として姉は永遠に戻れなくなったから。
そんなことを考えながら、正道は、予備校に向けて自転車を走らせていった。
第三章
予備校が終わった。正道が自転車置き場にいくと、雨が降っていた。どしゃ降りではなかったから、いつも通りに自転車を走らせた。テキストが濡れてしまうのが心配だったが、そこまでは降らないだろうとよそくしていた。
ところが、走り出して数分後、雨は本降りになってきた。これではまずい、と、ところどころ信号無視をしながら、猛スピードで自転車を走らせた。もう、夜も遅いので、兄はもう寝ているだろうから、家に帰ったら、しっかりと復習を、などと考えていた。
自宅が近づいてきた。もう、どの部屋もあかりは消えているだろうと予測していたが、玄関と、居間の灯りがついていた。同時に、雷が鳴り出した。正道が到着すると、黒い物体が玄関のまえにある。いや、物体は人であり、しかもぜいぜいと苦しそうに喘いでいるのだった。
「何をやってるんだよ、こんなところで、」
正道がいうと、博一は振り向き、
「無事に帰ってきてくれてよかった。大雨警報が出たというので、花を、玄関に、いれようと、思ったんだけど、、、。」
そこから先がない。
「余計なことするなよ!苦しいんなら寝てればいいだろうが!」
しかし、答えはなかった。
「兄ちゃん、たてるかい?すくなくとも、立てるんだろうな。こっちまで来たんだから。」
「ああ、ああ、ああ、たてるよ、、、。」
と、玄関のドアに手をつけて何とか立った。ぎこちない手つきで玄関のドアをあけ、よろよろと家の中に入り、博一は自室に入った。
「兄ちゃん、風邪引くから着物を脱げよ。」
博一は、びしょ濡れの着物を脱ぎ、タンスから別の着物を取り出して素早く着付けた。
「これ洗えるのか?」
「クリーニングにでも出してくれ。大島は洗えない。」
大島とは、大島紬のことで、紬の最高峰とされるブランドだ。正道が箪笥の中をみてみると、ほとんどの物は大島の着物であり、洋服は全く所持していなかった。もちろん、箏曲家というものは職業上そうなりやすいが、これほどまで持っているのなら、大変な気取り屋のようだった。博一は、着替えると倒れこむように布団に横になってしまい、まもなく、眠ってしまった。
正道は、はっとした。大事なものを忘れていた。いそいで玄関をあけ、自転車をしまいこんだ。鞄は、開けっぱなしで、辞書やテキストが散乱していた。あわてて、拾い上げると、辞書に書かれた文字が水で消えていたり、テキストにカラーペンで書き込まれた注意書が消えていたりして、無惨なことになっていた。
「ああ、どうしてこんな風に!」
これでは、テキストを買いなおさなければならない。
とりあえず、濡れたテキストたちを自室の机におき、ドライヤーで乾かしたが、半分以上の文字が消えていて、戦後すぐに発行された墨塗りの教科書のようだった。
さすがにその日は試験勉強をするきにはなれなかった。
翌日。
正道は、目を覚ました。昨日は入浴することも忘れていたようで、頭がくさかった。とりあえず、朝御飯にしようと食堂へいったが、何も用意されていない。食事を作るのは、博一の役目だった。正道は、兄の部屋にいった。
「兄ちゃん。」
と、声をかけると、博一もいま起きたらしく、布団の上に座っていた。
「正道、今日は、ご飯がたけそうにないよ。悪いんだけど、お前が炊いてくれ。」
「全く、仕方ないな。」
と、正道は、台所にたち、米を適当に研いで、炊飯器にいれ、スイッチを押した。確か、30分あれば炊き上がるときいていたから、しばらく待てば大丈夫。その、30分は受験勉強に費やした。
勉強が終わって、炊飯器のまえに戻ったが、炊飯器は作動していなかった。博一が、同時にやってきた。
「炊飯器、故障かな?」
博一が、炊飯器を開けると、米は入っていたが、水が入っていなかった。
「お前、水をいれないと、ご飯は、、、。」
弱い声だが、かなりの批判的な言い方であった。そんなこともできないでどうする?とでも言いたげだ。正道は、そんなことは一度も聞いたことはない。
同時に、柱時計が七回鳴った。
「わあ、遅刻だ!」
と、正道は、鞄を持ち、血相を変えて自転車に飛び乗り、学校へすっ飛んでいった。
学校へ到着すると、授業は始まっていた。
「なんだお前!どうしたんだ?」
と、教師が珍しそうにいった。
「すみません、少し体調を崩しておりまして。」
「じゃあ、教科書を開け。」
正道は、教科書を取り出そうと鞄をあけたが、そこに、教科書はみあたらない。あわてて、鞄をひっくり返すと、予備校のテキストや、雨で使い物にならなくなった辞書が落ちてきた。まわりの生徒たちがどっと笑った。
つまり、学校と予備校の鞄を取り違えたのだ。とたんに、他の生徒たちは、授業を聴こうともしなくなり、教師がうるさい、静かに!などをいっても、効果はでなかった。怒鳴られると、正道が間違えたからだ、と、反抗的な言い回しで、逆に教師たちが恐怖を感じるような、生徒も現れた。それでも、正道は、勉強を続けていた。
その日の放課後、いつも通りに帰ろうとした正道は、靴を出そうと下駄箱をあけたが、靴がみつからない。かわりに、燃えかすが入っていた。正道は、仕方なくその日は靴なしで家に帰った。
家に帰ると、箏の音がした。また何か書いているな、と、正道は、直ぐにわかった。しかし、今朝の表情とは裏腹に、明るく朗かな雰囲気の曲であった。博一は時々、病状が悪いにもかかわらず、明るい曲を書くことがあった。普段書いているのは、暗く重い曲で、同一人物が書いているとは思えない、という批評をもらったことがある。特に、叔母は、彼のことを「ショパンにそっくり。」と、評していた。
正道は、がちゃり、とドアをあけた。箏の音が止まり、襖の音がして、
「お帰り、正道。」
と、博一が現れた。朝より楽になったような顔つきだった。
「からだの方は?」
と、正道が聞くと、
「病院にいってきた。おばさんにつれていってもらったんだ。帰りに、お箏屋にいって、楽譜用紙をかったから、いま、書いていたよ。」
と、答えが出た。
「病院からはなんて?」
「別に、普通。」
だったら、ご飯くらい炊いてくれよ、と、正道は思った。
「ごめんね。今朝は何もできなくて。明日はご飯がたけると思うよ。」
と、博一は軽く頭を下げて、また部屋に戻っていった。
正道が自室に戻ると、教科書の入っていた学校鞄が、申し訳なさそうに机におかれていた。居間へいって、預金通帳を開いてみたら、残っている金はもう3文の一程度になっていた。皆、博一の治療費で飛んでいってしまうのだ。
「兄ちゃん、もう少し危機感をもってくれよ。」
と、正道が言うと、
「そうだな。」
としか返って来なかった。
正道は、靴を買いにいくのをやめてしまった。下駄箱に入れれば必ず燃やされてしまうのだし、金も少ししか残されていない。裸足のまま自転車をこいで学校へ行き、そのまま帰ってきた。教師がなぜ裸足だといっても、答えを出すことはしなかった。そんなことに構わず、東大にいかなければ。
その日も、裸足で学校からもどり、玄関を開けると、下駄が一足あり、中で話し声がする。
「ごめんな。いきなり呼び出して。朝起きたら苦しくなってしまって。」
と、兄が喋っている。
「いいってことよ。食事つくったり、掃除するなんて、うちは旅館やってるんだから、お安いごよう。」
正道は、この人物が誰なのか直ぐわかった。近所で古ぼけた旅館をやっている家の、一人息子である小島好生だ。
「ほれ、新しい布団で寝ろ。その方が病もはやくなおるぞ。」
「ありがとな。いくら出せばいい?」
おい!兄ちゃん、金がないのに、何で気がつかないんだ、と、言おうとすると、
「いやいや、これはわけありで、客には使えないんだ。金はいらないよ。無料奉仕するよ。」
と、聞こえてきたので、ほっとした。
実はこの人物の正体を正道は、知っている。いまでこそ、旅館経営をしているが、博一と芸大時代の同期生なのだ。たまに、旅館の前を通ると、尺八が聞こえてくるのはそのためだ。流派は都山流。旅館を継ぐべき人が、なぜ芸大に入れたのかは知らないが、自分のやりたいことを完遂したのが憎らしかった。尺八をやると、言い出したときは、大変な問題になったが、結局芸大にいってやれるだけやったら旅館経営に戻る、という結論に落ち着いた。猛勉強をして芸大に一発合格し、兄と同様に大学院を修了したあとは、約束通りに、家に戻ったので、家族も認めていた。
「なあ、博一聞いてくれよ。俺、今度、客の前で吹くんだよ。」
好生は、そんなことを話している。
「そうか。お前もそうなったか。」
「そうそう。一応、古典なんだけどさ。お前が、練習に付き合ってくれると、ありがたかったな。」
「いや、僕には無理だ。」
「そうだよな。そんな真っ青な顔をしていたら、雪女と間違われるぞ。お前は、男の癖に、女顔だからな。」
「このかおは、生まれつきだ。」
「でもよ、お前、ほんとに大丈夫なのか?そんな体で。俺、いい病院さがしてやろうか。お前だって、まだおんなじ年なんだから、もったいないぞ、ギブアップしたら。」
「考えておくよ。」
と、博一は言った。
「そのときは、ぜひあれを弾いてくれよ。筑紫歌都子の高原の賦。」
「いや、もう無理だ、あんな大曲。」
「今じゃないよ。お前が、体を治して、しっかりと歩けるようになってからだ。おい、寒くないか?」
窓から、風のおとが聞こえてきた。
「今年はおかしな天気だよな。風が吹くと、極端に寒い。」
「そうだな、夜は冷えるぞ。ごめんな、毛布持ってくればよかったかな。」
「いいよ、このままで。」
「バカ、お前、風邪を引いたらどうするんだよ、大変なことになるぞ、いま、あまっているのがあるかどうか、電話してやろう。」
「うちにあるので間に合うよ。押し入れにあるから、」
「じゃあ、出してやるよ。」
と、好生は、言い、直ぐに押し入れをあけた。正道もそれは音でわかった。
「かなり奥にしまいこんでしまったから、他のやつをみんな出してくれ。多分、下の段にある。」
と、兄はいっていた。
「おう、わかったぞ。」
何枚か布団を出している音が聞こえてきた。と、しばらくして、重いものが何かにぶつかったのか、ゴチーンと
言う音。
「いってえ!俺もドジだ、、、」
と、聞こえてきたが、同時に
「危ないじゃないか、、、う!」
という声も聞こえてきた。正道が怒りに任せてふすまを開けると、兄がまた苦しそうにあえいでいる。そして、額にこぶを作った好生が、背中を撫でていたのであった。
「危ないのはどっちだよ、兄ちゃん!」
正道が怒ると、
「ごめん、、、。」
というだけだった。
「しっかりしろや、弟さんも、心配しているんだから。
ちゃんと、薬飲むとかして、しっかり自己管理しろ。そして、もし、可能であれば、バチスタとかやってもらえ。もう手術するしか、助からないよ、こんなに悪くなってるんじゃ。」
はじめの方は安堵していた正道だったが、後半に入ってきたら怒りを感じた。
「ほら、みろよ。あんなかおしているぞ。」
他人だからこそ、言える台詞は存在する。
「ごめん。申し訳ない。」
博一はやっとそれだけを口にした。正道は、やいほいと自室に引き上げてしまった。
しばらくして、好生が帰っていく音がした。しかし、夕飯の支度をするおとは聞こえてこない。正道は、仕方なく、カップラーメンを作って食べた。冷蔵庫の中は、飲み物ばかりになっていた。
テーブルの上に、ガス代の請求書がおいてあった。預金通帳を開くと、半分以上赤字になってしまった。とりあえず持っていた現金と一緒にコンビニにいって支払ってきた。丁度、コンビニの入り口にアルバイト募集、という張り紙があったため、一番時給の高い真夜中に、応募してみることにした。
第四章
正道は、コンビニのアルバイトを開始した。予備校は中止した。でないと電気代もガス代も払えなくなるからだ。予備校がわには、もっとよい所があったから、と言ったが、講師にこっぴどくしかられるはめになった。
アルバイト時間は、夜の六時半から翌朝一時まで。時給は一時間に千円程度あったから、かなりの収入が得られたが、ほとんどは兄に持っていかれてしまった。さらに、電気代やら何やらで、自分の手元には何一つ残らなかった。
博一のほうは、相変わらず作曲を続けていた。大学院時代に、あるNPO法人に加入していたから、そこそこ作曲の依頼はあった。それは、子供に邦楽を伝えるための、作曲者の集まりのようなもので、子供向きの、箏の練習曲をよく委嘱されていた。それのお陰でか、博一も生活にメリハリがつき、簡単な料理等ができるようになっていた。
その日も、正道が起きると、豚汁のにおいがしていた。
「おはよう。」
博一が味噌汁を作っていた。
「兄ちゃん、体調は良いのかい?」
正道がきくと、
「ああ、この前もらった薬がかなり効いたらしい。」
と、返ってきた。
「今日、」
博一は続けた。
「浜松いってくる。」
「浜松?何をしにいくんだ?」
「ああ、打ち合わせだよ。浜松祭りで、演奏会が行われるからね。その、曲をつくらなきゃいけないんだ。依頼人の方にあいに行ってくるよ。」
「どうやっていくんだ?」
「十時の東海道線でいく。もう、指定席もとってある。」
と、きっぱりと返ってきたので、正道は、大丈夫だろうと思った。
「わかった。帰りは遅くなるのか?」
「五時には戻るよ。晩御飯は、うな重でも買ってくるよ。」
うな重!ごちそうである。毎日、カップラーメンの正道にとっては、天からのパンのようだ。
「おう、じゃあ、よろしくな。」
正道は、鞄を持って、学校に出掛けていった。
昼休み、正道の携帯電話が鳴った。いや、鳴っていた。電話のランプで鳴るのはわかるが、授業中には音のでない設定になっている。正道は、気がつかなかった。
授業が終わった。五時を過ぎているから、兄はもう戻っているはずだ。再び自転車に乗り、家に帰った。
しかし、家に帰ると、明かりがついていない。玄関のドアをあけようとすると、まだ錠がかかっている。おかしいな、と思い、兄の携帯に電話した。
「もしもし、兄ちゃん?」
「あ、弟さんですか?」
電話の声は女性であった。
「あれ、番号を間違えたかな?」
と、正道は携帯を見直した。しかし、番号は間違ってはいない。
「ご安心ください、お兄さん、意識が戻りましたから。」
「い、いしきがもどった?」
「はい、お兄さん、つまり菊川さんですよね。浜松駅で倒れているところを駅員さんに発見していただいて、こちらに運んでもらったので、大事には至らずにすみました。」
「あの、そちらは、」
「遠州病院です。お昼前にこちらに運び込まれて、しばらく昏睡状態でしたけど、三時頃に意識が戻り、歩けるようになりました。本来は、1日くらいこちらで様子を見たかったのですが、菊川さんが家にかえるといって聞かないものですから、迎えに来ていただきたくて、何度かお電話させていただいたのですが、、、。」
嘘だろう、なんてことなんだ、うな重どころか、自分まで浜松にいかなきゃいけないとは!
「迎えに来ていただけますか?一人で電車に乗ると、危険が増しますから。」
受付は当然のようにいった。
「でも、家族がいない人もいますよね。」
思わず反論すると、
「はい、おりますよ。でも、そういう場合は、ホームヘルパーを頼むとか、工夫をします。しかし、それに任せきりでは困ります。それに、お兄さんの年齢ですと、ホームヘルパーはつけられません。」
と、いわれる。
「じゃあ、家族の僕は何をしてもいけないんですか?」
「だって、兄弟なんですから、お互いの世話をするのは、あたりまえじゃないですか。福祉制度が何でもしてくれるかというと、そうではないんですよ!はやく、迎えにきてくださいね!」
と、電話はがちゃりと切れた。
正道は、しかたなく駅へむかって歩いていった。切符を買うために、大変な額を使ったため、夕食はおむすびを一つかっただけだった。浜松行きの電車は、二時間ちかくかかり、気の遠くなるような時間だった。
駅へ出ると、あたりは真っ暗だった。正道は、遠州鉄道をのりついで病院に行き、受け付けに、兄を迎えにきたというと、ブスッとした顔で、案内した。
「ごめんね。」
兄は処置室の椅子に座っていた。正道は、思わず殴り付けてやりたかった。
「お帰りは、新幹線ですか?」
と、看護師がきいてきた。
「いえ、在来線です。」
と、答えると、
「新幹線で帰ってもらえませんか。二時間以上移動すると、心配なんですよ。」
と、来る。
「わかりました。そうします。」
と、兄は言った。じゃあ俺は一人で帰る、とは、言えない雰囲気であるのはすぐにわかった。
「くれぐれも、大事にしてくださいね。ここまで悪いのは正直、何年ぶりか、という感じですよ。症状が小さいうちに対処するのが、難病の大切なところですからね。」
看護師は、親切で言ってくれているのはよくわかるが、正道は、受け入れられなかった。
「じゃあ、帰ろうか。兄ちゃん。」
「ありがとうございます。」
博一は、看護師に頭を下げると、病院を出ていった。正道もそれに続いた。幸い、兄が持っていた金で、二人分の新幹線代は賄えたが、それも、出所は貯金である。
「兄ちゃん、もう二度と行かないでくれよ、こんな遠いところ。」
苛立った正道は、そういったが、博一は答えなかった。
翌日も、正道は、学校へいかなければならなかった。眠い頭を叩きながら、裸足で教室に入ると、
「心優しい方は恵んであげてください!」
と、首回りに箱を吊るした女子生徒たちが、囃し立てていた。
「しょうがないな、全くよ。」
男子生徒たちが十円、一円を入れていくのである。正道が入っていくと、
「はい、正道さんへ、みんなからの寄付です!」
と、箱が正道の机の上に置かれた。
「この、や、ろ、う!」
正道は、思わず、女子生徒を殴り付けた。
「痛い、何すんの!」
しかし、怒りは収まらず、女子生徒たちを次々になぐりつけた。その時は英雄気分だった。
「こら、なにをやっているんだ!」
担任教師が怒鳴り付た。
「一体、どうしたんだ、菊川!」
正道が我に帰ると、殴った生徒たちの顔にアザができている。
「こっちへ来い!」
と、担任教師は、彼の手を引っ張って職員室に連れていった。教師にこっぴどく叱られたが、何を言われたのかは覚えていない。まあ、国立を目指しているのだろ、とかである。お前は優等生なんだから、どうしてそんなに怒鳴ったのか、などであった。
正道は、窮屈そうに沈んでいく夕日を浴びながら家に帰った。
「お前の兄貴は、あんなに抜群の成績だったのだから、弟のお前もしっかりせい!」
さきほど言われた台詞が思い出された。
家に入ると、カレーのにおいが充満していた。時おり箏のおとも聞こえてくる。ロンドンのよるのあめ、という曲であった。
「よ、お帰り。」
出迎えたのは好生だった。
「好生さんどうしたんですか?」
正道がきくと、
「いや、こいつがさ、呼び出したから。カレーをつくってやってくれと。」
「兄ちゃん!」
思わず声が出た。
「いいってことよ。俺が料理するなんて、こんなときだけだからさ。家では母ちゃんもいるし、作る人はいるからね。だからこうして、助けてやろうと思ってさ。おれは、篤志家だ。金なんていらん。」
「材料費とかは?」
「いらないよ。旅館で余った食品はなんぼでもある。」
といって好生はご飯の乗ったさらに、カレーをかけた。
「ほら食べろ。」
と、テーブルに、皿を三つ置いた。
「博一、練習は終わりにしろ。また、倒れるぞ。」
音が止まって、博一が食堂にやってきた。
「ちょっとまって、好生さん、もうひとつは誰が食べるんだ?」
「俺さ。あたりまえじゃないか。」
その口調に正道は、頭にきた。
「じゃあ、好生さんは、俺たちの食材で自分のカレーを食べるのか。悪いんだけど、俺たちのものをつくったら帰ってくれないか?」
「何でだ?博一がひとりぼっちで食事しているなんて、寂しいじゃないか。おれは一人っ子だから、一人で食事の寂しさはよくわかるもの。博一にそんな思いはさせたくないよ。」
「いや、好生さんは余計なお節介だ!しかも、俺たちの食品を食べていくなんて、汚いぞ!第一、その食事はな、俺が稼いだ金でできているんだから、俺が決定する権利はある!出ていけ!」
「正道くん、」
好生は静かに言った。
「いまは、仕方ないと受け入れてやってくれ。」
「学校は、どうするんだよ。俺だって東大に、」
「通信制というてもあるし、定時制だっていいじゃないか。あるいは、大検をとることでも、大学に入れるよ。いまは、辛いかもしれないが、博一がよくなって、周りのことができるようになれば、また大学にいけるかもしれない。いまは、しばらく辛抱しろ。俺の母ちゃんも、ばあちゃんが認知症になってから、高校中退して介護をしていたそうだが、大検を取り直して、三十を越えてから、大学に行ったぞ。三十を越えてからの大学受験なんて、これからは、当たり前になるんじゃないのか。」
「あのなあ、俺たちはそういう、恵まれた身分じゃないんだ!俺たちは、毎日食べていくので精一杯なんだから他人に余分な食料を供給していたら、こっちが損をすることになる。」
「しかし、お前も、そんなこと言ってたら、博一は、」
急にロンドンの雨は止んだ。
「俺がいく。」
正道は、言った。
「おい、正道、あんまり怒らないでやってくれよ、最近発作数も増えてるぞ。」
と、好生は言う。
「余計なお節介はしないでくれ。他人に気持ちがわかるはずはないんだから。」
といい、正道は兄の部屋にいった。いつも通り兄は箏に突っ伏していたが、正道は薬を放り投げただけだった。
戻ってくると、好生の姿はなかった。テーブルの上に、余計なことをしてごめん、もう来ないから、など書かれたメモ書きがあったが、正道は読まずに捨ててしまった。
次の日も、正道は学校にいき、辛い授業をしっかりとうけてきた。そして、儀式のようにコンビニでアルバイトをしていた。すると、一人の女性が、店にやってきた。それまでの不良みたいな客とは偉い違いの風貌で、高級な着物を身に付けていた。多分、茶道や華道に携わる人だろう。
「マイルドセブンを一箱。」
正道がそれを出すと、その女性は、正道の顔をしげしげと見た。
「もしかしたら、」
と、いきなりいわれた。
「菊川博一君の弟さんかな?」
「ど、どうしてわかるんです?」
正道があっけにとられていると、
「やはりそうでしたか。何となく顔つきが似たようなきがするなあと、思ったのよ。」
と、答えが出た。
「兄とは、、、。」
「ええ、彼は、芸大時代に、私が教えていたから。私は、教授の桂さとみ。」
なるほど、そういうことだったのか。
「彼は大丈夫?最近かなり悪くなったと、小島から聞いたから。もしかしたら、入院でもしたの?」
「いまは、家に居ますけど、、、。」
「ちょっと時間くれない?」
と、さとみは言った。正道はさとみから煙草の代金をうけとると、店長に許可をもらい、そとへ出させてもらった。
「いまは、家に居るっていってたけど、」
さとみは、買った煙草を吸いながら言った。
「小島から、細かいことは聞いてるわ。もし、可能であれば、バチスタとか、やらせてあげなさいよ。彼の場合、バチスタか、心臓移植しか手段がないんじゃないかしら。いまは、医療もいいし、若いんだから多少の痛みはあったとしても、立ち直れると、思うわよ。そして、まだまだ演奏会もやれるだろうし。彼の、高原の賦、私もききたいしね。」
「そうなんですけど、」
正道はつよく拳を握りしめた。みんな誰もがそういう。その人たちは、みんな自分のことには、触れてくれない、兄のことだけなのだ。なによりも自分が生活費を稼いでいるのに、その苦労は誉めてはくれず、金をむしりとっていく兄のことばかり心配する。それが本当に悲しく、つらく、また憎たらしいのであった。兄は本当に偉い人なのだろうか。金を作っている自分の方が、よほど実用的なのに、、、。それについて偉いといわれたことはほとんどない。
「その、手術を受けさせるには、何かが、必要なんです。そのために、働いているのに。本当は、もう受験生のはずが、」
「そうかあ、」
さとみは、煙草を、携帯用の灰皿に押し付けた。
「ごめんなさい、理想論ばかり言ってしまって、、、。じゃあ、とりあえずこれで生活の足しにしてちょうだい。返済は気にしないでいいわ。ほんとに、お兄さんの治療費は、バカにならないかもしれないけど、病気って、かかった本人が一番辛いのよ。それなのに、家族に迷惑をかけるって、自分を思い詰めて、そのあげく自殺って言う例もあるから、お兄さんの力になってあげてね。これ、少しだけど、何かに使ってちょうだい。」
と、財布をあけて、三万円を正道にくれた。
「いりませんよ、こんなもの!」
正道は怒りにまかせて叫んだ。
「何で?大変なんでしょう?頼っていいのよ。そういうときは。」
「結構です。他人の同情なんていりません。篤志家と言う人は、ただ同情して、自分が偉いと思い込んでいる、エゴイストのようなものですよ。そんな人からお金をもらったって、なんにも嬉しくありませんから!もう、兄には関わらないでくださいね!」
と、三万円をさとみに投げつけた。
「こら、何をしている!」
突然、店長のこえがした。周りをみると、客たちがあっけにとられて様子をみている。
「あの子、東大へいくっていってた子だよね。」
「高校、やめたのかしら。それにしても、偉いかたのご親切を断るなんて、無礼な子だわ。」
と、客がしゃべっている声も聞こえてきた。
「仕事ないに、私情を持ち込むようでは困るね、もう来なくていいから、他のところをさがしなさい。先日、ここで働きたいと言う申し出があったから、丁度いいことだ。」
店長はそういい、正道の制服を無理やり脱がせ、鞄を放り投げた。コンビニのドアは閉じて、いつも通りに戻ってしまった。さとみの姿はどこにもなかった。
正道は、とぼとぼと歩いた。もう夜遅くなので、カフェなども閉まっていた。どうしようかと悩む体力もなく、ただ、機械のように夜の道を歩いていくと、明かりがついている区間があった。兄のことがあるので、すぐ帰らなければならないが、なぜか足がそこへ行ってしまった。そこは、小規模な店が多かったが、花びら回転だの、指名料無料だの、看板に変な言葉が連なっていた。正道は、その店のひとつに入っていった。
第五章
正代は、今日も仕事に向かった。通常の会社員が帰宅する時間が、正代の通勤時間になる。派手な着物に、濃い化粧をし、シャネルの鞄を持った彼女は、一見すると、金持ちの奥さんのように見えるが、実はそうでもない、という雰囲気も持っていた。
彼女の職場、というのは建前からすると飲食店に見えるのであるが、実は違っていた。看板には、全裸の女性の写真に花びら回転という文字。花びら回転とは、桜の花びらが回転しながら飛んでくる、という意味ではない。正代は、従業員用の入り口からそこへ入った。
「今日は新しい人がきたよ。しっかり楽しませてやって頂戴ね。」
店長の女性がそういった。
「はい、どのテーブルですか?」
正代がきくと、
「3番」
と、答えがでたため、正代は長襦袢姿になり、そのテーブルに近づいた。
「はじめまして。中村正代です。」
正代は客に礼をして、隣に座った。
「若いのね。お名前は?」
「菊川正道。」
と、客は言った。
「よろしくね、じゃあ、始めましょうか。」
正代は、正道に抱きついた。正道も、こうしてもらうことは本当に久しぶりで、嬉しさだけではなく、ある感情も生まれた。正代が、床の上に寝転んで、指を降ってそれを促すと、正道は初対面にもかかわらず、すぐに彼女にのしかかり、多分自分を作ったきっかけになってくれた行為を実行した。制限時間は30分しかなかったが、花びら回転により、同じことをもう一度やることができた。
「いいのよ、いいのよ、」
と、正代はいった。すでに40近いおばさんであったが、正道は気にしなかった。
「あたしを抱くことで、あんたが楽になってくれれば、それでいいわ。あたしは、それが仕事なんだから。」
その言葉に、正道は救われた気がして、再度正代を抱いた、というよりすがりついた。年齢が高いため、地雷と呼ばれていた正代も、この青年を抱くことに、何か使命感を覚えた。
そのうちに、時間切れと社交さんから伝えられた。
「名残惜しいわ。」
正代が言うと、
「俺もです。」
体を拭いてもらいながら正道はいった。
「また来てね。」
正代は、衣服などを着せてやり、正道は勘定を払った。正道の財布は空っぽになったが、そんなことは気にしなかった。そして、正代に見送られながら、店をあとにした。
丁度、夜が明けようとしていたころだ。久しぶりに楽しい思いをした正道は、やっと安心して眠れると喜び勇んで家に帰った。いや、帰ろうとした。
丁度、あと数百メートルで家につく頃だ。すると、道路の右側に何か大きな物体がある。そのとき、鶏がなきはじめ、だんだんに明るくなってきた。物体と思われたのは人間で仰向けに寝そべっている、というか、倒れているのだ。
「に、兄ちゃん!」
驚きはしたが、同時にある予想が浮かんだ。すると、
「お客さん!お客さん!」
と、誰かが走ってくる音がして、先程の長襦袢の女性、つまり正代がそこにいた。
「ごめんなさい、金額を書き間違えてしまって、千円余分だったから、お返ししようと思いまして、」
と、彼女は、持ってきた千円札と、領収証を手渡そうとしたが、同時に彼の足下をみて、倒れている人間の顔を見た。
「あ、菊川博一先生じゃないですか!」
「どうして、兄の名を知っているんですか!」
「ええ、私、先生のCDを持っているんです。高原の賦ですけど、」
「また、何で俺の邪魔ばかり、」
「いえ、」
正代は、博一の口元に耳をつけた。
「辛うじて、まだ息があります。中央病院に行きましょう。すぐのところですから、救急車をまっていたら、遅すぎる。」
「兄はまだ死んでは、、、。」
「いきようとして苦しんでいるのに、そんなこと言わないの!わかりました、それなら私がつれていきます。」
正代は、そう言って、博一を持ち上げた。へちまのように、体重は軽かった。そして、病院に向かって走っていった。正道は嫌々ながらあとに続いた。
病院にたどり着き、博一は一命をとりとめた。しかし、病状は深刻であった。
「まったく!」
医者は雷のようにいった。
「どうしてここまで放置したんですか!心臓がメロンより大きいほど肥大しています。弟さんがいてくれたのが、信じられませんね!」
「何で俺ばっかり責められなきゃいけないんですか!まだ18なのに、やりたいことを持ってはいけないのですか!みんな俺が兄のために働いているというと、偉いねというけれど、自分のために何かしたいといいだすと、悪いやつだという!そんなに、付属品になることは美しいのでしょうか!」
正道は遂に怒鳴り付けた。
「君は、もう少し立場をわかった方がいい。」
医師は静かに言ったが、正道の怒りはさらにつのった。
「わかりました!じゃあ、解放させていただきます!ここで!兄がよくなるまで、預かってください!」
そのまま踵を返し、雨の振りだした道路に飛び出していった。
博一は残った。
正代は、状況をある程度直感的に理解した。博一は、処置室にある布団で苦しそうにあえいでいる。
「入院の手続きをすすめてください。」
正代はきっぱりと言った。
「あたしが、介護人になります。お代だってありますから。」
それは本当のことだ。独り者の彼女にはありすぎるほど、収入がある。話はとんとんと決まり、博一は個室に移された。横になっても苦しいようで、ぜいぜいとあえいでいた。こうなる理由を正代は知っている。横になると、下半身から急激に血液が流れ込んでくるため、心臓が処理しきれないのだ。
「先生、大丈夫ですか?」
思わず口にしてしまった。
「先生、、、?」
初めて正代の方を見た。
「はい、あたしは、中村正代です。先生をここまでつれてきたんです。」
「そうですか。こんなところ、、、僕にはふさわしくありません。あのとき、道路で野垂れ死にしていればよかったんです。僕のせいで、弟がどれだけ辛い思いをしたか。弟の、大学受験さえも、僕は奪ってしまいました。ほんとに、情けない兄貴ですよ。」
正代はそれをきいて、この人物は気取り屋ではないし、家族に対する思いもちゃんとあることがわかった。基本的に、先生と呼ばれる人は、いつも威張っていて、どこかしら支配的に振る舞うものだ、と、解釈していた。それは、中退した高校でよくわかっていた。しかし、この人は違う。
「もう、迎えも来るんですかね。父も、母も、妹も、みんな僕が殺してしまいました。だからこそ、こんな病気を発病したのかな。」
「どうして、悪くなるまで放置していたんです?」
「だって、自分のせいで、他の人に迷惑をかけてはいけませんから。芸大までいったけど、家族には申し訳ない思いをさせました。だから、その罰だと、静かに受け止めています。もう、最期だなと。悪人は誰も回りにいないのに、こうなってしまうのは、やはり僕が悪いことをしたとしか、思えないんですよね。」
本来なら誰のせいでもない。その通りなのだ。しかし、そうできないのを正代は知っていた。静かに受け止めるなんて、簡単にできることではなかった。
「レベルの高い人ね。」
正代は、軽く笑った。
「でも、罰は受けなきゃ。それが、正道に対する償いだと思うんですよ。」
「正道さんって、どんな人なんですか?」
正代は、面白半分にきいた。
「繊細な子でしたよ。男にはめずらしく。もっぱら妹が世話してましたけどね。まあ、あいつがやんちゃ盛りのときに、僕は芸大受験でしたので、何にも世話をしてやれなかったですけど。でも、あいつは、僕が入試の日に、妹がカレーを食べたいと言い出して、泣き出したときに、姉ちゃん、兄ちゃんが受験だから、よしにしてやろうぜ、と、言ったんです。それだけでしたけど、ほんとに、嬉しかったな。」
「たったそれだけのことをうれしいというのですか?」
「ええ。弟は、ほんとにさみしがりで。末っ子というのは、そういうものかも知れないけど、かわいかったですよ。」
「そうなんですか。あの態度からみると、正直申し上げて、上品とは思いませんでしたわ。すごく反抗的だったし、先生がここまで悪いのを受け入れない目付きでしたけど。 」
「いえいえ、繊細な子ですから、ああして言えたら文句なしです。18になって、自分の言いたいことが言えない方が、おかしいですよ。あいつのことですから、すぐ帰ってくると思いますよ。」
「そうですか、、、。私は、一人っ子だったから、反抗なんてしている暇がありませんでした。ただ、親の言う通りにしていれば、幸せになれるとおもってたのに。それが全然役にたたないで、結局、自分の道は、こんな汚い仕事につくしかありませんでしたわ。」
「いえいえ、生きてくためには仕方ないこともありますよ。少なくとも僕は偏見はありませんので。そういう人たちにたいしてはね。」
「ま、ま、まあ、、、。」
正代は言葉に詰まってしまった。
「格好でよくわかりました。でも、そういう人のほうが、苦労を知ってますから。僕はそう思いますよ。」
「あ、ありがとうございます。そういう人っていうけど、私はもう若くないんですよ。もうすぐ40になろうとしているのに、ピンサロですもの。」
「なるほど、椿姫の主人公とにたようなものですか。」
「まあ、そういうことになりますわ。」
看護師がやってきて、
「すみません、もうしばらくすると、消灯のお時間ですが。」
「わ、わかりました。私、帰ります。なるべく毎日来ますから、先生もどうかお大事になさってください。」
「はい、また明日。」
「中村さん、付き添ってくれるのはありがたいのですが、次回からその、ぞろっとした格好はやめていただきたいんですけど、」
看護師が文句をこぼしたので、博一は少し笑ってしまった。
「わかりました、明日はちゃんとします。じゃあ、先生、また明日。」
正代は、長襦袢のまま、立ち去っていった。外は寒かったが、心はぽかぽかと、暖かかった。
正道は、手元に残ったわずかな金で、新幹線に飛び乗った。もう、こんな辺鄙な町にはいられない。東京なら働くところくらいあるだろう。そう思うと、やっと、楽になれたのだった。
東京についた。とりあえずその日は、カプセルホテルにとまった。翌日、無料の求人雑誌をもとめ、片っ端から電話をした。しかし、年齢や学歴も不問、という仕事はなかなかない。女性のように、体を売るのはできない。
十回目に、年齢学歴不問、住み込み可、食事支給、というところへ電話すると、
「いつから働けますか?」
と、聞かれた。
「はい、すぐにいきますが。」
と、答えると、
「じゃあ、来てくれます?」
という。喜び勇んで正道は、指定された渋谷駅にいった。
渋谷にいくと、若い男性が近づいてきて、
「あなたが、菊川さん?」
といった。
「はい、僕が菊川正道ですが。」
正道はおそるおそる答えた。
「私、代表取締役のものです。杉内ともうします。」
杉内は、物腰がやわらかく、悪い人のようにはみえなかった。
「で、仕事というのは?雑誌には、遺品回収とありましたが。」
「そうなんですよ。」
杉内は、歩きながらいった。正道もつづいた。
「先月、この会社を立ち上げたばかりでして、お若いかたが連絡くださってうれしいです。仕事というのはですね、おもに一人で暮らしていて、亡くなった高齢者の遺品を、処理所に持っていくことです。いまは、結婚しない高齢者もいますし、ご家族がいても、単にお荷物さんである場合がほとんどですから、依頼は結構あるんですよ。丁度 、本日も一件ありますので、いってみますか?」
「わかりました。やります。」
正道は、即答した。
「じゃあ、いきましょうか。」
二人は、道路を歩いてあるアパートにいった。杉内が合鍵で部屋を開けると、木彫りが趣味の人だったのだろうか、手鏡や小さな箪笥がおかれているとともに、本格的な彫刻刀が置いてあった。
「鎌倉彫りだ。」
思わず呟いた。鎌倉彫りといえば、日本を代表する彫刻である。杉内は、それらをとりあげ、乱暴に袋に入れていった。
「一週間前に、脳出血で死んだんですよ。家族もいないそうで、早く始末してくれ、と、管理人さんにいわれていますのでね。」
まるで、雑草を抜くように、杉内は袋にぶちこんでいった。
「ほら、てつだってくださいよ。」
杉内は、正道に袋を渡した。
正道は、小さな手鏡を手に取った。精巧に桜の花を彫刻した鏡は、きっとお母さんが娘にプレゼントするか、あるいは逆だろう。これがごみとして、捨てられてしまうのか。正道は、躊躇したが、すぐに袋に放り込んだ。鏡は、ガチャン!と、おとをたてて割れた。
他にも、作品はまだまだあった。それをみていると、正道は、何となく悲しい気がした。
「悲しんではだめですよ。日本は、伝統を作りすぎて、西洋に比べたら、遅れているんですから。それに、甘えて生きるのはやめましょう。」
と、杉内は当然のように言った。
うん、そうだ。そうしよう。と、正道は決意した。同時に、これで兄とは正反対な生活ができる、と、思った。
翌日、正道は杉内と一緒に仕事に向かった。次の依頼品は、少しばかり大きなものであるが、と、依頼者はいった。
「大丈夫ですよ。こと、くらいならこちらでお引き取りできます。」
「こと!」
正道は驚いて、声をあげた。
「持ってきてもらえますか?」
杉内は、当然のようにいう。依頼人はその物体を持ってきた。まさしく、箏であった。
「認知症だった母が、もっていたものです。本人のはなしですと、私が生まれる前から弾いていたそうですが、それは、認知症でしたから、真偽はわかりません。いずれにせよ、置き場に困るし、私もやっと介護から開放されたのですから、思いでなんかいりません。持っていってください。」
杉内は、わかりましたといったが、その箏は、修理をすれば演奏できそうなものであった。
「もったいないな、、、。」
思わず口に出てしまった。兄がいたら、湯気をたてて怒るだろう。
「ほら、持っていってくださいよ、菊川さん。これひとつじゃないんですから!」
「一つじゃないんですか!」
正道はさらに驚いてしまった。
「ええ。お稽古してましたから。なんだか師範とか持っているらしいですけど、それのせいで、私は何度さびしい思いをしてきたのでしょう。まったく、憎たらしいものですよ。」
うん、それはそうだ。よくわかる。と、正道は言いたくなったが、言葉が出ないのだった。箏は、四面あった。杉内はごみのように、運び出していく。
「杉内さん、これ、邦楽器に出したらどうですか?」
正道は思わずきいた。
「ほうがっき?なんですかそれは。音楽なんて、なんのやくにもたちますまい。」
杉内は笑って答えるのであった。
「まあ、古いものを販売する商売もありますが、そうしたら、こちらもまたお金をとられなきゃなりませんからね。」
「そうですか、、、。」
「ボケッとしないでくださいね。次の依頼もあるんですよ。ぼんやりしないで、さっさとやりましょう。」
杉内は、引き取った箏四面を、乱暴に車にのせて、エンジンをかけた。
「どうもありがとうございます。」
依頼人の丁重な返事をあとに、車は走り去っていった。
「菊川さんよ、」
杉内は、運転しながらタバコに火をつけた。
「はやく、運び出しを覚えてもらいたいもんだ。なんで、さっきはモアイ像みたいにつったっていたんだ?」
「それは、、、。」
「あれは、みんな要らないものなんだぜ。要らないからうちへ電話するんだから。」
「これから、焼却所にいくんですよね?」
「当たり前じゃないか。」
「なんだか、大事なものが必要ないになってる気がして。」
「それをいったらおしまいさ。そうじゃなきゃ、俺たちは仕事ができない。」
「そうですか。」
正道はそれだけいった。仕事はやめない、自立するんだから。それだけを考えよう。そう思った。
第六章
数日後、再び廃棄処分の依頼が入った。このころには、正道も大部仕事に慣れてきて、あわれみは感じなくなっていた。
「ほれ。」
杉内が、茶封筒を手渡した。中をみると、金が入っていた。正道は素直に嬉しく思った。やっと、自分が自分でいい、という、安心感が持てた。
その日の依頼は、小さな女の子のいる家庭だった。しかし、学校にいってはいないという。不登校なのだろうか。
杉内と一緒に現場に向かった。呼び鈴を押すと、女の子のなきごえがする。
「あんたのためなのよ!」
頬に平手がとんだ、バシッと言う音。
「すみません、予約した時間通りに来たんですけど。」
杉内が強引にドアをあけた。
「こんにちは。」
正道はそれだけいった。中にはいると、高校生くらいの女の子が、車いすに乗っていた。
「えーと、キーボードをひきとれと、命令がありましたよね。」
「ええ、そうなんです。」
母親は、困ったかおをした。
「私のキーボードを捨てないでよ!」
女の子は泣きそうになっている。
「だって、あんたは、病気なのよ、そのためには、薬が必要なの。それをもらうためには、お金がかかるの。もう、キーボードも弾けなくなるんだから、もっていても仕方ないじゃない、だから、お金を作らなきゃ!」
母親の意見も最もだ。そのキーボードはかなりの高級品で、様々な機能がついた、上級者むきのものである。売り出したら、確かに高値になるだろう。
「せめて私の手が使えなくなるまで!」
女の子は泣き叫ぶ。
「そんなこと待っているほど、うちの経済力はないのよ、受験勉強もなにもしないで、音楽に浸かってたんだからもういいにしなさい!それよりも、一日でも長く生きていることを考えなさいよ!」
「そうなんだ。なら、私、死ぬわ。病気になっても音楽やっている人はたくさんいる。菊川博一なんかそうだったじゃない。だから、私だって、音楽をしていいと思うわよ。」
女の子は、思春期の真っ只中なのだろう。
「あたしだって、いくら筋ジストロフィーと言われたって、自分で行動したいわ。それはだめなのね。」
菊川博一!兄は、この女の子に影響をあたえるほど、すごい人だったのだろうか。
「杉内さん、今回はやめましょう。」
何を言うのだ!さっさと片付けていきましょう、というつもりだったのに!
「私情を挟むものではない、仕事ってものは。」
「いえ、彼女の方が、かわいそうです。音楽を愛する人にとって、楽器を失うのは本当に苦痛です。おかあさま、彼女の治療費が大変なのはわかります。でも、彼女が愛していた音楽を持っていってしまえば、彼女はさらに病状が悪くなってしまうとおもいます。それでは、より、生活が大変になるでしょう。もう一度、考え直してやってくれませんか?」
自分の頭のどこにそんな文章があったのだろう。口のなかから勝手に飛び出し、耳で聞いているような感覚だった。それはやっぱり、「兄」がいたからだろうか。
女の子は、嬉しそうに笑った。それは、真実であった。
「そうね。なんとかしてみるわ。」
と、母親は言った。
「便利やさんの言う通り、大の勉強嫌いだったあんたが、寝食を忘れて弾いていたんだものね。薬は、ジェネリックになるかもしれないし、他にいい薬もあるのかもしれない。いいわ、取り止めにしましょう。お母さん、焦りすぎたわ。ごめんね。便利やさんには、キャンセル料払いますから。」
「いえ、いりません。」
と、正道は言った。
「お嬢さんの毎日を充実させてあげてください。」
「わかったわ。便利やさん。本当にありがとう。私も、この子がこんな重い病気にかかったと解ったばかりなので、動転してしまったんです。気づかせてくれてありがとうございます。」
「じゃあ、僕たち、帰りますので、お嬢さんと、いつまでも仲良く暮らしてください。」
正道は、なにも持たないまま、その家を出ていった。杉内が、何も言わなかったのを、全く気づいてはいなかった。
正道は、ドアをしめた。不意に後ろで、タバコの火をつける音。そして、正道の腕に、、、。
しばらくすると、立て続けに悲鳴が聞こえてきた。さらに、空っぽのトラックが走り去る音。
小さな花屋で、正代は花束を作っていた。かつて生け花を習っていたから、花束を作るのは軽々だ。もう、娼婦にはなりたくないと、彼女は、誓いを立てた。それに、40歳を越えてしまったら、もうあの業界には居づらくなる。
花束を作ったり、鉢植えを販売したり、育て方を指導したり。花というものは、本当に短いけれど、精一杯の美しさで咲いている。これが、何よりもうれしいものだった。
一方で、博一も少しずつ曲を書きはじめた。楽譜は、小島好生が調達した。好生も、正代の存在を歓迎し、博一の恋人と勘違いして、是非、うちの旅館で結婚式をあげろと囃し立てるのだった。
しかし、数日後、好生はため息をつくことが多くなり、さらには博一の顔をみると、涙を流したりするようになった。
「博一、聞いてくれよ。」
好生は、真剣な顔で言った。
「俺、近いうちにロンドンに行こうと思うんだ。」
「ロンドン?」
「ああ、尺八吹きとしてな。」
「どういうことだ。」
博一の右手から筆が落ちた。
「実は、芸大時代に加入していた、尺八の家元から連絡があって、ロンドンの子供たちに尺八を教えているのだが、後継者がほしいので、俺にきてくれないかと。」
このようなケースは、若手の少ない邦楽ではよくあることだった。
「俺、断ろうと思っていたが、親が、せっかくのチャンスなんだから、行ってこいと言うんだよ。当分お前とも会えなくなるし、、、。」
「そうか。」
と、博一はいった。
「良いじゃないか。お前もそうしなきゃ生きていけないんだ。なら、やってみろ。」
「しかし博一、お前は大丈夫なのかい?」
「ああ、いじめられたこともあったから、大丈夫だ。のび太ジャイアン症候群、なんてからかわれていたこともあるじゃないか。」
「それ、小学生の時の話じゃないか。よく覚えているな。」
「ああ。」
と、博一は笑いかけた。
「僕がのび太でお前がジャイアンだ。いじめから親友になるなんて、稀なことだぞ。」
まさしくその通りだった。小学校に入ったばかりのころ、博一は気も弱く体も弱かったので、スポーツの授業を妨害してしまうことが多く、運動の大好きだった好生にいじめられていたのだ。しかし、博一が音楽室で箏を弾いていたところを好生が見つけ、同じ音楽が大好きな人間として、大親友に変わったのである。
二人は、お互いに涙をこらえながら、笑いあった。
「いいよ、僕のことは気にせず、がんばって勉強しなさい。」
「博一、お願いがある。」
好生は、真剣な表情になった。
「これからも、ジャイアンでいたいから、俺が帰ってくるより先に、逝かないでくれ。いいか、ジャイアンからのお願いだぞ。」
「わかったよ。ジャイアン。君の強さは知ってるから。」
と、博一は苦笑いした。
「君の、リサイタルも楽しみにしてるからな。」
「ああ、じゃあ、これが最後の楽譜だ。来週にはロンドンにいくから。しばらくいないから、多めに印刷しておいた。」
と、好生は、博一の机の上に大量の楽譜を置いた。
「ありがとな、、、。」
と、博一は我慢できなくなって泣き出してしまった。
「本当は、いってほしくないよ、、、。本当に。」
「俺だっていきたくなんかない。ほんとに、ずっとお前の側にいてやれたらいいのに。」
好生も、一生懸命堪えていた。
「また、会いに来るからな。そのときは、お前も、よくなって、素晴らしい音楽を作れるような、作曲家になってくれ。ショパンに負けないくらい、きれいな曲をたくさん書いてさ、どっかの国で、いずれは古典になってくれるような、すごいのを書いてくれよ。頼むぜ。」
「うん、わかったよ。ジャイアン。」
と、博一は涙を拭いた。
「じゃあ、俺、家に用事があるから、先に帰るよ。」
好生は、手拭いで顔を拭き、博一と握手して病院をあとにした。博一は、楽譜の上に突っ伏して泣いた。正代は、いくつか質問をしたかったが、敢えて何も聞かなかった。
翌朝、正代は出勤前に博一のところへ立ち寄った。ベッドに糊で貼ったように寝ていて、食事すらろくにとれず、三分粥や重湯を食べるしかできなくなっていた。
博一は病気に負かされていた。正代がなにをいっても曖昧な返事ばかりで、もともと白かった肌は、もはや蒼白になっていた。
「先生。」
正代は質問した。
「あの、好生さんの好きなお花ってありませんか?」
「名前はしらないんですけど、あいつ、こどものころに、お母さんにくれてやるとかいって、白いはなの冠を作っていたことがありました。ああ、なんか、トランプに出てきたのと、同じ形の葉をしていたような。」
「これじゃありませんか?」
と、正代はテーブルの上に植物図鑑を置いた。博一は起き上がって、それを見ようとしたが、
「う、、、。」
と、胸を抑え、布団に倒れ混んでしまった。正代は彼の背をさすってやり、もういちど、図鑑をみせてやった。
「そうです、それを。」
しろつめくさ。クローバーと呼ばれている花だ。
「わかったわ。じゃあ、私、仕事終わったら買ってきます。それがあれば、好生さんが側にいてくれるかもしれない。」
「あ、ありがとう、、、。」
と、博一はいった。
「じゃあ、先生も、ジャイアンとの約束ごと、しっかり守ってください。せめて、あと一曲は書いてくださいよ。」
「そうだね、、、。」
博一は久しぶりに笑みをもらした。
「もう一度、高原の賦が弾けたら。もう二度とないとおもうけれど。」
「じゃあ、それに向けて頑張りましょうよ。もう一度目を冷ましてください。お願いします!」
「そうだね。」
「先生、先生のことは私が助けます。だから、もう一度、ジャイアンとの約束ごとを守るために、がんばりましょう!お医者さんたちもそれを目指しているんですから!」
「わかりました。じゃあ、今夜は重湯ではなくてくず湯を出してくれ、といっておいて。」
蒼白な顔に少し赤みがでた。
「そうですよ、そうですよ。まだ、お若いんですから、やる気を出してくださいよ、先生。」
その日の夕食は、うどんであったが、博一は完食した。
そのつぎも、そのまた次もよく食べた。好生からもらった楽譜に、音符である数字を書き込んだ。医師たちは、これをみて、大いに驚いた。実は、医師たちも、もう曲を書くのは無理だと告げようと考えていたのである。しかし、書いたものは、明るくはつらつとしたものであり、こんな重い病気であるとは、思えないくらいだ。
数日後、博一と正代は、病院の庭を散歩した。たくさんのバラが植えられていた。
「もう、そんなたつんですか。先日まであんなに寒かったのが、もうバラが咲いてる。」
車いすに乗った博一は、そんなことをいっていた。
「僕自身も、こんなに長くいられて良かったとおもいます。」
「先生が、前向きだからですよ。」
「来年も、ばらのはなが、見られるかな。」
「まあ、当たり前じゃないですか。ちゃんと治せば大丈夫。」
「お散歩は如何ですかな?」
医師がやってきて、博一にきいた。
「ええ、気持ちいいです。」
博一が答えると、
「じゃあ、来月の院内文化祭の、」
この医師は、前置きも何もなくいきなり本題を切り出す癖がある。まあ、難しい病気を扱う人だからだろう。
「私どもの、テーマソングをかいて頂けないでしょうか?」
「い、いや、僕はもう、、、。」
「やりましょうよ、先生。それくらい、回復したってことなんですよ!」
一生懸命、正代はしりを叩いた。
「短いものなら。」
「はい、それで構いませんよ。そんなに複雑なコード進行はしないでくださいね。私たちは素人ですから。ちょうど、看護師の一人が、お琴を習っていまして、ぜひ、彼女に演奏をしてほしいとお願いしたら、okしてくれました。」
「かいて差し上げます。」
と、博一はいった。
「さて、午後の診察だ。では、お願い致しますよ。」
医師は、そういって、病棟に戻っていった。その日から、博一は脇目もせずに曲を書きはじめた。楽譜一枚につき、半分かいては休み、一枚書いてはまた休む。二枚以上書こうとすると、呻き声をあげてしまうため、このペースでしか書くことができなかった。正代は、彼につきっきりで汗をふいたり、食事を用意したり、看護師以上に介護能力を発揮した。きつい看護師のなかには、彼女を批判する者もいたが、それでも、正代は、彼のそばにいた。
「書けた。」
博一の筆がとまった。げっそりと痩せた顔に、笑顔が戻ってきた。
「よかった、先生。」
正代の目に涙が出た。
「私、私、、、。」
大事なことを伝えたかった。
「これが書けたから、少しはいいのかな。」
「当たり前じゃないですか!この前みたいな放心状態から、脱出したんですから!」
「大げさですよ。正代さん。」
博一は言ったが、正代は嬉しくて仕方なかった。嬉しいのである。他の感情はない。それがあることから来ているのだ。
「先生。」
正代は、静かに言った。
「私、これからも先生のそばにいますからね。ずっと。」
「そばにって、、、。正代さんだって、、、。」
正代の目は違っていた。
「すみません。」
彼女は博一の体にてをかけた。いつも、仕事としてそうやって来たが、彼の体はまた違う気がした。
そうやって数時間、面会時間が終了するチャイムが鳴った。正代は、体を起こし、
「じゃあ、また明日来ますから、今夜はよく休んでくださいね。」
と、そそくさと帰っていった。
「またね。」
と、博一はてを振った。
その日の深夜、博一は目をさました。いつも以上に苦しかった。しかしその数分後、急に体の痛みは抜けた。体に血の気が戻ってきたようだ。そして、自分の目の前には美しい夜明けが、、、。
「おはようございます。」
と、朝の回診にやって来た看護師が博一の部屋のドアをあけると、
「ど、どうしたのですか!」
博一は何も反応しなかった。昏睡状態に陥っていたのだ。看護師はすぐにナースステイションに走って、医師を呼び出し、医師は博一に酸素吸入や、点滴を施し、すぐに必要がある人には知らせろと命じた。
連絡を受けた正代は、猪のようなスピードで、博一のもとへ直行した。
「先生!先生!」
なんの反応もない。
「しっかりしてください!お願いします!」
必死に叫んでも届かなかった。正代がやって来て、数分後、機械のけたたましい音とともに、博一は星になってしまったのだった。
正代は、幼児のように泣きじゃくった。泣いて泣いてなき張らした。
「よかったですな。」
と、医師はいう。
「最期を看取ってくれる人がいるわけですから。彼も幸せものですよ。」
そうだ。その通りかもしれない。
正代は、自動的に立ち上がり、葬儀社に電話をした。そして、博一を荼毘に伏した。簡単に書いているようであるが、いくら思いだそうと思っても、正代はその風景を思い出すことができなかった。そして今も思い出すことができない。確かに、博一の遺骨は墓に納められているのだから、葬儀社にいき、火葬したのであるが、、、。
「その人が、僕のパパなの?」
墓石を掃除している正代に、数一がきいてきた。
「そういうことね。」
正代は、静かに答えた。
「そうかあ。なんかカッコいいな。僕も音楽家になりたいや。」
と、数一は言うのだった。実をいうと、数一の父親ははっきりしていない。高級娼婦という仕事上、相手の子を身籠ることは、よくあり得る。しかし、正代は博一の死後、娼婦としては、身を引いてしまったので、博一の血をもらった可能性は高かった。
「ねえママ、このお花、どうしようかな。」
数一が、ダチュラを、取り出した。
「どこかの家の人が、間違えていったのかも。縁起悪いから捨てましょ。」
「僕のパパと一緒に、飾ってあげたら?」
無邪気な和一はそういう。
「だって、パパは、無縁仏さんなんでしょう?一人じゃかわいそうじゃん。おんなじ花なのにさ。」
「あんたって、変わってるけど、そういうやさしいところもあるのね。」
と、正代はそのダチュラの花を、花立に入れてあげた。
「じゃあ、お買いものして帰ろうか。」
二人は、寺院をあとにして、近くにある百貨店にいった。しかし、百貨店はいつもの雰囲気ではなかった。警察官や、報道陣がたくさん集まっていた。
「ママ、どうしたのかな。お巡りさんがあんなにたくさん。」
しかも、百貨店の入り口は、申し訳ないが、本日は臨時休業、と、かかれていた。
「な、何が起こったのでしょうか?」
正代は、近辺にすんでいる人に聞いてみた。
「誰かが百貨店の屋上から落ちたみたいですよ。」
とっさに、誰が落ちたのかわかったような気がした。
「数一、今日は他のお店にしましょう。なんだか、物騒で危ないから。」
「そうだね。」
数一も納得し、二人は別の百貨店に行き、日用品を買って、家に帰った。
「僕、見たい漫画があるんだ。」
と、数一がテレビの電源をいれた。と、いきなり先程の百貨店が写し出され、
「今朝早く、百貨店とマンションを兼ねていた建物から、飛び降り自殺とみられる、男性の遺体がみつかりました。ズボンのポケットには、遺書がみつかりまして、次のようにかかれておりました。兄ちゃん、お前を、」
数一がチャンネルを変えたため、ニュースはおわった。正代は、お前を、のあとに続く文字が、直感で浮かんだ。しかし、そんなことを気にしていては、何もならないと考え直し、ニンジンを切り始めた。
高原の賦