みなもさん
みなもさまは、どこにでも……いるのです。
夢で見たものをなんとか文にしています。不定期で書き直しします。
苔の蒸した山道を上がっていくと、大きな岩に囲まれた小さな池がある。
水底からは滾々と水が沸きあがっているが不思議なことに、その水の行先は解らない。
池の水は溢れることなく、ただ静かに……その清らかな水をたたえている。
山道を上がり、苔の蒸した岩場を越えていく。普通の人なら立ち入りもしないだろう。
そうした道を越えた先に小さな池がある。古い祠のある池……俺は手ごろな石に座るとタバコに火をつけた。
そうして「ふう~~」と煙を吐く……あの人に会えるのを願って……いや……人ではないか……
青い空に煙が消えていく……風があの匂いを持っていく……そして……
「じゃから……タバコはやめよと……」
鈴のような声がした。
俺は小さく笑うと、これ見よがしにタバコを持ち上げ、「だって、タバコ吸わないと出てきてくれないでしょ?みなもさん?」そう言って笑った。
「まったく……わしはその煙の臭いが気に入らん……」
池の水面、その上に白い帽子白いワンピ-スの女性が立っていた。彼女こそ、この池の主、神様見習い中の『みなもさん』だ。
「いいじゃないですか?みなもさん。ほら、今日のお供えは日本酒。それも剣菱の特級ですよ」
俺はポケットから携帯灰皿を出し、その中へタバコを放り込む。
心底嫌いなのだろう。彼女は煙が完全に消えたのを確認すると、「まあ……お供え物には罪はないの……」
そう言って跳ねるように水面を渡り、僕の隣に座る。
そうして、どこから取り出したのか「ほれ、何をしとるか?」フチの掛けた湯呑を目の前に……
「はいはい……」
「それで、今日は何用じゃ?お主が来るときは、なにがしかあるからのお」
「別に何でもないですよ」
「ほんとかの……」
「ねえ。みなもさん?」
「なんじゃ」
「僕とケッコンしません?」
「藪から棒じゃな」
「んじゃ、付き合ってくれません?」
「また突然にもどるの?」
「だって、ケッコンの前でしょ?」
「主の考え方がわからんわ……」
「だめですか?」
「ケッコンは昔しとった。わしは未亡人になるがよいのか?」
「いいですよ?未亡人。いいです!どんとこい!」
「なにがあった?」
「別に……ただ……みなもさんが好きなんだって気が付いたもんで」
「おかしな奴じゃ」
「みなもさんは……さみしくありませんか?ひとりって」
「僕はダメです……さみしくてしかたありません」
「じゃから……おぬしはどうしたんじゃ?おかしいぞ」
「……大学の進学で、ここを離れることになったんですよ……みなもさんとも離れることになりそうなんです」
「ふむ……それが自然じゃ……もともと、わしは人外じゃしなあ……それがわしらの関係じゃ」
「つめたいなあ……みなもさん」
「そういうもんじゃよ……」
「ねえ……みなもさん?」
「なんじゃ」
「もし、僕がずっとケッコンしなかったら、結婚してくれませんか?」
「なんじゃそれは」
「みなもさんと一緒にいたいんですよ」
「ふむ……だが、わしは人ではない。お主と夫婦になったとしても、いつかは解れるのだぞ?」
「しってます……」
「お主はきついのお……夫婦になっても別れなければならぬことを知っていても……それでもわしと一緒に居たいと願う……残酷じゃのお……
わしの事は考えてくれんのかの?」
「考えてますよ。考えてます……それでも、残酷だとしても、僕はみなもさんと一緒にいたいと思うんです」
みなもさんは「やれやれ……」と小さくつぶやくと大きく息をついた……そして……
「お主に少し昔話をしようかの……人と人外の話を……」
そういって俺の隣に腰を下ろした。
「まずは弥兵衛からかの……わしの旦那様の話をしようかの……」
つかんだ幸せ
弥兵衛は旅の途中だった。国元を離れてどれくらいだろうか……兄の敵を討たんがためどれくらい歩いただろうか……
国元を出たときには元服したばかりだった弥兵衛の体は細身で色も白く、とても仇討ちなどできるようには見えなかった。
だが、旅をを続ける内に、すっかり肌は黒く日に焼け、細身であった体もいまや別人のようになっていた。
果たして、その旅の過酷さたるや想像に難くないだろう……
「やれ……この先に村があるとは聞いたが……どれほど先か……」
照りつける日差しの中、弥兵衛は汗をかきながら山道を登っていく。この先の村に敵が居ると聞いてはきたが……
「このような山奥の村に、よもや隠れていようとはな……」
細い山道を登り、岩を越え……弥兵衛は登っていく。照り付ける太陽がジリジリと弥兵衛の体を焼いていく……
やがて、小さな水の音……ひやりとした空気……
木々の間に隠されたような小さな泉……こんこんと湧き出る清水……乾いた喉と体に、それはまるで甘露の様にみえた。
「ありがたや……かような場所で水とは……」
渇きに渇き切った喉に、一刻も早く水を……と近づいた弥兵衛だったが、池の奥に小さな祠を見つけた。
手入れもされず、いつ朽ちても良いような古く小さな祠ではあったが、何か人外ならざる雰囲気を感じた弥兵衛は恭しく近づき手を合わせた。
(御前の水を少々頂かせていただきます。願わくば、敵に出会い本懐を遂げられる力水となりますように……)
一頻り念じ、弥兵衛は池の水を一掬い口に含む。
「なんと……なんと旨い事よ……」
冷たい清水。同時にひんやりとした空気が弥兵衛を包む。強い日差しに身を置き続けた弥兵衛の体には、その両方が染み込むようであった。
「助かった……これこそ恵みか……」
手近な岩に腰を下ろし体を休める。木々の陰、吹き抜ける風が何とも気持ちよく弥兵衛は目を閉じた。
その時であった。
「ほう、侍とはめずらしいのお」
鈴の音のような声が聞こえた。弥兵衛はとっさに刀に手を掛けると辺りを見回す。そして息を飲んだ……
清水を湛える池の水面……そこに白い着物の女が立っていたからである。
「……おぬしは……」
「なに……驚くことはあるまい?先ほどお主が手を合わせてくれた祠の主じゃ」
「主……すると、あなた様は水神さまで……」
「いや、まだ神にはなっておらん。いわば……見習いじゃ。なに、そう身構えるな。わしはここに長くおってな。別に姿を現してはならんという決まりもないゆえ村の子ともよう話す……子供らは『みなも様』と呼んでくれとるよ」
そう言って笑った。なんとも魅了されるやわらかい笑顔であった。
「では……みなも様。何故、某の前へ?」
「ふむ……今時、礼儀正しいのがおるなと。顔をみたくなった。」
「な……なにを申されるか……水神様とも……」
「じゃから、まだ見習いじゃ。にしても……」
「いい男じゃな。ほれぼれするわ」
「ご冗談を」
「いやいや、見れば見るほどいい男じゃ……なにより、魂が淀んでおらん。わしが人であればとおもうくらいじゃ」
なんとも言えない笑い顔に、弥兵衛はすっかり力が抜けてしまった。妖、物の怪、祟り神……そういった類には人を虜にし、そののちに食らうという話も聞いたことがあるが、目の前の『みなも様』には、そんな雰囲気は感じられない。穏やかで柔らかな雰囲気にすっかりとほだされた弥兵衛は、ここに至る身の上を、みなも様に話していた。
「ふむ……ぬしは敵をおっておるのか……随分と苦労なことじゃな」
「主命もありますれば……とはいえ……少し疲れたというのも本音でございます……」
「ならば、ここで休めばよい。なに、一日、二日と休んでも敵はにげまい?わしも一人は寂しいの。それに、ぬしならわしの話もきいてくれるじゃろ?」
長きにわたり池の主としていたせいだろうか、『みなも様』は世間の事には疎く。弥兵衛の旅の話や最近の政などの話を、それはそれに楽しそうに聞いていた。また弥兵衛も『みなも様』の知る昔の話などを興味深く聞いていたのであった。
「そうかそうか……もう、将軍とやらは6代も変わっておったか……わしはまた、まだ2代か3代かと思っておったわ」
「みなも様の知っているのは神君家康公で……?」
「いや、違うの……たしか、ここで水を飲んで行ったのは、義昭とか名乗ったのお」
最初は一日、二日で村へ向かうつもりではあったが、『みなも様』との話が楽しくなり一日、二日と伸びていく。
やがて、「いっそ住んではどうじゃ?わしも一緒に住もうではないか?」と『みなも様』が笑った。
最初こそ「とんでもない!」と拒んでいた弥兵衛ではあったが、『みなも様』があまりに誘うので、弥兵衛は池の近くに小さな小屋を建て祠を新しく立て直し、住むこととなってしまった。
そのうち池の水で茶を沸かし、旅人たちにふるまうようになり……
更に街道ができ人の往来が増えると『みなも様』も店先に立つようになり、界隈では美人の嫁の茶屋として評判になってしまった。
「これは困りましたな……」
「なにがじゃ?」
青年であった弥兵衛も、このころには壮年を過ぎ初老へと入っていた。
「みなも様と某が夫婦だと……」
「不満か?」
弥兵衛は慌てて首を振る。
「滅相もない!ただ……神と人とが夫婦など……」
「ふむ……なれば問題ないわ。わしは見習いじゃ。神ではないし人でもない。おぬしが人とでなければ夫婦になれないというのであれば別じゃがな」
「そのような事はこざいません!……ございませんが……しかしですな……」
「おぬしの、そういう律儀なところは好ましいが……無粋じゃの~これでもわしは女子じゃよ……弥兵衛……」
みなも様は妖であったかもしれぬ……弥兵衛はそう思う。だが、それ以上にこの神でもない人でもない、穏やかな女性をを愛さずにはいられなかった。
全てをつつみ、冷やし、万物の中にもどす水……
この流れに逆らうことはおろかであろう……何より、武士としての定めより、人としての定めに従うことに何のためらいがあろうか……
弥兵衛は仇討ちを忘れる……いまの幸せを掴めずしてなにが本懐であろうかと……
そして……幾星霜……どれほどの月日が流れたであろうか……
春には桜を眺め、みなも様と茶を飲み……夏には星を眺め、酌をしてもらう……
秋には赤く染まる山を愛で、二人で冬の準備をした……
寒さ厳しい冬には肩を寄せ合い、暖かな春への思いを語る……
『ああ……なんと穏やかな事よ……幸せな事よ……』
弥兵衛にとって毎日が、めぐる季節が………過ぎていく年月が全てが穏やかで、暖かく…幸せであった……
だが……やがて人にはあがらう事の出来ない時が訪れる……
「みなも……様……」
弥兵衛はもはや老人となり、『敵討ちを!』とは思いこそすれ、それはもうとうに遠い遠い記憶となっていた。
敵討ちよりもつかむべきもの……離したくないものがあったからである……
「随分とやすんでしまいました……もう敵は、とうにあの世にいっておるのでしょうなあ……」
「じゃろうな……だがの……敵討ちなど不毛じゃ。それにあのまま敵討ちに行ってしまったら、わしとの馴れ初めもなかったのじゃぞ……」
「ええ……そうでありましょうな……」
弥兵衛は年相応の病を得て、床に臥せるようになってしまっていた。だが、みなも様は静かに優しく……水の様に変わらずそこに居る……
「……この地にきて……みなも様と出会い……旅続きだった人生に花がさきました……ありがとうございます……」
「最後まで様か……夫婦じゃぞ?今生の別れとなるのじゃぞ?最後の別れのときくらい……」
弥兵衛はそっと手を伸ばす。柔らかい髪……暖かな肌……愛した人のぬくもり……
そして小さく笑う……
「それがわたくしの……良いところなのでしょう……?愛しておりますよ……みなも……さま……」
「わしもじゃ……弥兵衛……」
静かに……ただ静かに別れは訪れた。仇討ち……敵討ちを成したとしてなにが幸せであっただろう?この世に受けた生に何が幸せであっただろう……
小さな茶屋での小さな幸せ……だれがそれを、愚かだと言おう……
ただ真っすぐな若者と神でもなく人でもない者、その二人にとって穏やかな時間だけが幸せであったのだから……
「弥兵衛……弥兵衛……わしが神であったなら……わしに力があったなら……わしと出会わなければ……」
水面を揺らす風と……雨が、すべてを包んでいく……
やがて……弥兵衛とみなもの小屋も無くなり泉だけが残った。だが……いまやもう、立ち寄る人はいない。
静かに沸き立つ水面だけが、あの穏やかな日々と二人をを知っている……
行くものは帰る
「明日には戦地か……」
小谷勝也は森を歩いていた。
戦争が始まり何年経っただろうか?日々、敵機が襲来するようになり、とても本営が発表する勇ましい状態ではない事が解る。
明日には、佐世保の港から軍艦にのり南方へと向かう。日本の森とは違うと聞いている。ひどく蒸し暑く、疫病も流行るという……
「守りたい……だけど……こんな戦争さえなければ……戦争さえ……」
勝也は技師になりたかった。技術は人を幸せにする。人に夢を与える。それを信じていた。
実際、勝也自身もロケット技師になり、あの夜空に浮かぶ月へと行ってみたい、そう願い勉学にいそしんできた。
だが……それは、もうかないそうもない。今はただ……ただ、この国と、父母を姉妹を守りたい。たとえ死ぬことになろうとも……
「なにを嘆く?若人?」
「な……」
気が付けば泉に立つ白い服の女……勝也はそれを見た瞬間に思い出す……
『森の奥には泉がある。それは人ではない者の泉……だが怖がることは無い。みなもさまは何時でも答えてくださる』
一瞬『ギョッ』とした勝也ではあったが、婆様さまが話してくれた『みなも様』だと気づいた瞬間、安堵に変わる。
「ふむ……わかいのお……」
その女は笑いながら、勝也を見た。
「みなもさま……でございますね?」
穏やかに笑って見せる。『怖がることは無い』 婆様が話してくれた通り……目の前にいる人は人ではない。だが恐れもない。
柔らかな空気……
「ほうほう……若いなりでも、わしを知っておったか?」
嬉しそうに笑う女。水面に立つ白い服の女……知らなければ妖でしかない。
だが……みなもさまは静かに穏やかな気配を放っていた。
「婆様に、みなも様の事は伺っておりましたので……怖がることは無いと……」
「まったく……このごろの者は過剰に怖がる。まあ、空から火が降るような世じゃからな。それは仕方がないのかもしれんがのお」
「戦争です……から……それも仕方が無い事でしょう……私も……私も明日には出立します」
「ほう?」
「明日には佐世保に……もはや、いきてこの地を踏むことは無いかと……」
「そうか……覚悟はしておるのじゃな……しかし……それでも……若い命を散らすか……口惜しいの……」
勝也は小さく笑った……諦めにも似た小さな笑いだった……
「みなも様は、どうして私の前に?」
「そうじゃなあ……おぬしの魂が泣いておったでの。それがまるで赤子の様じゃったので、あやしてやろうとな」
そう言って笑う、みなも様はまるで少女の様だった。
「もし……私が向こうで……戦地で死んだら、またここに……魂だけでも戻ってこれるでしょうか?」
「もどれぬよ?魂は皆、すべて天に帰るからの……ただ……帰ってきてほしいとわしは願って居る」
「神様でも願うのですね」
「わしは見習いじゃ……口惜しいがの……神であれば、何がしかの手を差し伸べてやれるのじゃろうが……」
「いいえ……十分です。」
「みなもさまは、この池の……水の化身なのでしょう?なれば、私はきっとここに帰ってこれます。だって、みなも様に会えたのですから。
雨となり霧となり、必ずこの森に……この村に帰ってこれます。みなもさま……ありがとうございます。私は再びこの地に帰れる自信が持てました」
「じゃが……わしは……」
「なにも言わないでください……正直に私は死ぬのが怖かったのです……ですが……いま、こうして人ではない、みなもさまに出会い……死後の世界に希望が持てました」
「おぬし……」
そっと、若者を抱く。
「なぜ……あのものと同じ清らかな物ばかり死ぬのかの……」
「わしが神でさえあれば……」
「みなもさま……どうか、この地をお守りください。私は死しても雨露となり、ここへ帰ってまいります。だから、どうか……どうか、この地の水だけは、お守りください……」
「主の願い……見習い故、『諾』とは言えぬ……だが、わしは待っておる。ここへ帰ってくることを待っておる……よ……」
「ありがとうございます……」
小谷勝也は、南方へと行った。この夜、みなもさまに会ったことは誰にも言わず……国のため、父母のため……姉妹のため……彼は行った……
やがて西で大きな火の玉が上がり、愚かな争いが終わった……一面の焼野原となった土地に生き残った者が集まり、新しい街を作っていく。
徐々にではあるが、希望が生まれ活気に満ち、人々に笑顔が戻っていく……
だが……
あの森は……変わらずそこにある……そして泉もそこにある……
知っているものもない。だから、訪れるものもない。それでも……泉は水を絶やすことは無い……
いつか帰ってくる。戻ってきたいと願った者を……迎える為に……
みなもさん
水面に立つ女性の夢をよくみるのです。なにか書き残して置ければと思い、思いつくままにかいたもの。面白くはないでしょう。それでも残して置きたいそう思ったのです