knock
ありふれたことが何よりもつまらなくて
ありふれたことが1番幸せであると
君は笑顔で言ってくれますか。
ありふれた話
ここがどういう所かと説明しようとすれば
「普通」
である。
どこにでもある大手スーパーマーケット、そのスーパーマーケットによって廃れてしまった商店街。グレるにグレきれなかった学生達、家が密集しただけの団地、高齢化社会の波に悪い意味で乗り団地の平均年齢は上がっている。
バスは7時半と午後3時の2本だけ、駅前には学生達のたまり場のカラオケ店、冴えない顔の運転手達。
私はごく、普通の街で生まれて育っている。
そう進行形。
学生の私は今まさに死んだ魚のような目をしてスマホをブラックライトを存分に浴びている。
高校2年生。
1年生の三学期、私は出席日数、授業時数ともにぎりぎりに進級し今はまた死んだようにスマホのゴシック体を追う。
「なにがしたいんだろ」
Twitterを開き、顔も見たことのない人達とこたわいのない会話をすることに1日を潰す。
胸がざわざわして生きたここちがしない。
私はとてもつまらない人間だと思う。
この世界のありふれた空気と同じくらいつまらないと
そう思う。
逃げたくない話
学校が嫌いだったわけではない。
と言えば嘘になる。学校が休校になれば大喜びもしたし、インフルエンザで休めればわくわくした。
でも、友達とあーだこうだ言い合えるのはとても楽しいものである。
勉強は嫌いではない。
むしろ好きである。自分の知らないことを知る快感が好きだった。次々と知識が自分を埋めていく感覚が好きだった。
なにより好きだったのは歌だ。
凄く、緊張する。
高校の敷地内へ入り、校舎へ足を踏み入れる。
先生に言われた通り入口から左にまがり手前の階段を2階まで登った。
登りきると音楽室とかかれた年季の入ったプレートがぶら下がっているのが見える。
それに吸い込まれるようにして私は足を勧めた。
すーはーすーはー
knock