境界はどのくらい、必要ですか。

どのくらい、つくろうか。

 境目なんて、曖昧でいいのに。
 境界なんて、引かなくていいのに。

 どうしてみんな、造っちゃうんだろう。
 なんで、はっきりさせたがるんだろう。

 色の名前だって、細かく言えばキリがない。
 おんなじ色にだって、ちがう名前がある。
 異なる色にだって、おんなじ名前がある。

 みるひとによって、その色の名前は変わる。
 みる時にも、みかたに依っても、色は変わる。
 そんな色に、ひとつの名前をつけて確定させることなんて、できない。

 なのにどうして、名前を付けたがるの?
 境界を、造ろうとするの?

 境界なんてないから、色はキレイなのに。

 漠然としたものにだって名前を付ける。
 生物に、名前を付ける。
 感情にだって、名前を付ける。
 状態にも、名前を付ける。

 境を、はっきりさせようとする。

 そうすると、名前があると、表現できるから、安心かもしれない。
 そうしないと、名前がないと、伝えられないのは、不安かもしれない。

 でも、名前を付けられて、ソレ(自分)(みんな)とは違うんだってつきつけられて、うれしいばかりじゃない。

 違いは、あってもいい。
 でも、曖昧なそれを無理矢理に確定させて、同じにしてしまうのは、間違っていると思う。

 曖昧な境目は、確定させることなんてできないのに。
 名前のないそこに、境界線を増やさなくても、感じられればいいのに。

 それができないから、今日もみんなは境界を造る。

境界はどのくらい、必要ですか。

境界はどのくらい、必要ですか。

とある方のエッセイを読んで、感化されました。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-15

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