僕がもらってあげる


小学校の卒業式、ちょうど私の誕生日でもあった。もしかしたらいけるかも……って思って当時好きだった人に告白した。そして見事にフラれた。だから翌日に美容院へ行って、この出来事を忘れようと長い髪をばっさり切ろうと決意した。でもいざ、はさみが入ると思うと涙が止まらなくて……美容師さんは私が落ち着くまで待ってくれたんだ。その人は私の話を真剣に聞いてくれて、髪が短くなる頃には笑っていたんだ。あの日から八年、私は今も彼に恋をしています。

「じゃあ、また来週」
「はーい」
 その言葉と同時にスマホを枕元に投げた。今日は飯野さんと電話できる、週に一回の楽しみ。たった三十分の幸せが今、終わった。机にあるカレンダーを手に取りため息をつく。もう少しで私の誕生日なんだって……。嬉しいはずなのに気持ちは複雑だ。
 ―あの約束、覚えているのかな―
今度の誕生日を迎えたら、やっと私も大人になれる……。

髪を切ってからしばらくして、私は図書館にいた。理由はただ単に本を借りにきただけ。でも本が高いところにあって近くに台もない。何回かジャンプして後ちょっとのところで、
「待って」
上から美声が聞こえた。
「はい。これであってる?」
「あっ…ありがとうございます。って、え!」
そこにいたのは、なんと飯野さんだった。一瞬そっくりさんかと疑ったけど本物だった。彼は点になっている私の目を見るとにっこり笑って、
「どうも」
 って挨拶してくれた。私も放心状態だったけど、とりあえず深々と頭を下げた。
「今日は仕事が休みでね。君も本好きなの?」
 小さく頷いた。まだ成長期を迎えていなかった私は当時、百三十センチ。それに比べて飯野さんは百七十センチもあった。羨ましい気持ちと悔しさがいりじまって、何も言葉がでてこない……。
「抱っこしてあげようか?」
「いいです」
「そのままだと首がとれちゃうよ」
 あの時の私は素直になれなくて、図書館なのに走りまわって台を探した。その台を持ってまた走り、飯野さんの隣に置いた。
「これで大丈夫」
 ドヤ顔で自慢したらしい。でも実際は見上げる距離が縮まっただけで、首は疲れた。彼はさっきの私と同じような顔をしたけど、手で口元を抑えて笑い始めた。
「何がおかしいんですか!」
 私の問いに笑いながら首を横に振って、
「可愛いね」
 たった、それだけを言って私の頭をおもいっきり撫でた。

「アハハハ。あの時は久しぶりに笑ったよ」
 それから一週間後の電話、さっきからずっと笑ってる。真面目に何で笑ったのか聞いているのに……また子供扱いしている。こっちは真剣に聞いているのに。
「いつか分かる時がくるよ」
 もう、そうやって答えを言ってくれない。飯野さんはいつだってそうだ。高校卒業した二年前も、思いきって告白したのに“成人するまで答えは待って”だとさ。しかも余裕の笑みを浮かべて言ったから……そこが好きだけど腹が立って、綺麗な靴を踏んだことはよく覚えてる。抱きついて“わかりました”って言ったけどね。
「そうだ! 告白の返事、聞かせてください」
 誕生日は来週だけど成人式には出たから、もう大人の仲間入りした感覚。それに一週間くらい誕生日を偽装してもたいして変わりはしない。
「ダメダメ、誕生日は来週でしょ? ちゃんと覚えているからね」
 ズルい……。こういう時だけ答えるなんて卑怯者! もう私だって大人なのに。
「来週の今日、ご飯に行こう。もちろん僕の奢りで」
「えっ? 本……」
私が答える前に電話がきれた。その後すぐに“八年前、僕が笑った場所で四時にね”と飯野さんからメールがきた。途中で電話きるなって怒りたかった。なんで急にそんなこと言ったのか聞きたかった。でも二人で出掛けられる、それがご飯だとしても……涙がでるほど嬉しかった。

次の日からまぁ忙しい毎日だった。期限が迫った大学のレポートをやらなきゃいけないから、ぶ厚い辞書と睨めっこして寝落ちして……。大人になったことを自慢したいから、新しい服と靴を買った。遠出して髪を切ってもらいエステにも初めて行った。ネイルもやってもらった。テレビのコマーシャルでやっていた化粧品も買った。化粧品を変えたって、気づかないことぐらい分かっている……けど、綺麗になった姿を見てほしいんだ。
 そしてついに、ついにこの日を迎えた。
 朝からハゲた爺さんの話をずっと聞いて、講義が終わると急いで家に帰った。いつもなら友達と学食に行くけど、今日は駅でケーキとパンを買って軽くすませた。家に帰ったら髪型や服を変えて、メイクも鏡の自分と睨めっこしながら丁寧にやった。
―大きくなったなぁ―
あの頃に比べて三十センチ以上も身長が伸びて、私服はほとんどズボンだ。でも今日はワンピース。子供扱いされたいのか、一人の女性として見られたいのか……自分でもわからない。無理して慣れていない靴まで履いちゃって……。同じ大学に通っている女の子達に比べれば全然高くないヒール。それでも少し歩いただけで痛かった。でもこれを我慢できなければ、大人になんてなれない。いつもと変わらない玄関が、その時は眩しかった。
―これが最初の一歩―
その決意が私の背中を押してくれた。

図書館について、ふと思った。八年前のあの日、どこのコーナーで何を借りようとしていたのか。肝心なことを忘れてしまった。飯野さんに直接聞けばいいんだけど……それは出来ない。好きな人に“あなたとの思い出の場所ってどこだかわかりますか?” 聞けるわけがない。約束の時間まで少しある。私は三階まである広い、広い図書館を必死に歩いた。走りたい気持ちだったけど、そこは大人なんで……。
 ―どこだろう。早く飯野さんに会いたいー
 そんなことを思いながら、響きわたるヒールの音にも気付かずに歩いた。でも見つからなかった。しかたなく飯野さんにメールした。“図書館のどこにいますかって”何時間待ってもその返事は来なかった。最初は怒らせたのかと思った。思い出の場所を忘れるなんて、嫌われたのかと思った。でも冷静に考えたら彼はそんな性格じゃない。だから今度は何回も電話した。携帯にも家にも……。閉館時間を過ぎても私は建物の外で待ち続けた。携帯の電池がなくなって、雨が振りはじめても。傘が無いから屋根の建物に行った。通り過ぎる、相合い傘しながら歩くカップルに傷つきながら……。いつの間にか電車の音がなくなった。
今日は二十歳の誕生日。春なのに冷たい風と激しい雨が、私の涙を消してくれた。

その日からドタキャンされた怒りや悲しみより、事故などに巻き込まれていないか不安な気持ちでいっぱいだった。メールや電話を繰り返して一週間、未だなんの音沙汰もない。
丨この状態が永遠に続くなんて、ないよねー
不安な気持ちに押し潰されて、大学に行けない日もあった。両親や友達から心配されるけど、まだ誰にも飯野さんのことを話していない。だから相談もできない……。
「はぁ」
 家に帰ると今日もベッドに寝っ転がりながら、彼に電話する。どうせ出ないと諦めかけているけど、習慣になってしまったのだろうか。もし今、誰かに飯野さんのことをどう思っているか聞かれたら……多分、好きとは言えないかもしれない。好き、だよ。でも昔みたく言えないんだ、はっきりと。凄く胸が痛いんだ。好きとは違う、不安や恐怖からだと思うんだけど……この感情がどんどんなくなっているような気がする。これが怪我だったらいいことだけど、私の傷は体じゃない。誰も見ることができない場所だから。
―心に穴が空くっていうのは、こういうことなんだろうかー
初めて感じるこの気持ち。人を失うって……飯野さんは家族や友達でもない。ただの好きな人。もしお互い学生だったら付き合っていただろうか? どんなに頑張っても年齢という壁は壊れてくれない。変えることのできない事実。八年も片思いしていたのに、こんなことはなかった。近距離でも遠距離でもない恋。今までがうまく行き過ぎていたのか? こんなこと想像したことなかったから……フラれて別れるほうがまだマシだよ。

「久しぶり。それよりまずごめんだな」
 私はきっと夢を見ているのだろう。今日の講義は難しい話で、ついていくのに必死だったから。それよりこの人誰だろう? まぁ……飯野さんでいいや、夢だし。
「飯野さんの声が聞けただけで充分です」
 それよりこの人はどうして謝っているのだろう。私はこの人に何をされたんだ? でも飯野さんと仮定しているのだから、この間のことだろう。
「今から会える?」
彼の声が聞こえる。あぁ懐かしい、と言ってもついこの間まで普通に電話していたけど。
「ごめんなさい。これからバイトなんです」
 嘘だ。バイトはもう辞めた。だって飯野さんがいなければ、綺麗になる必要もない。たった一週間のことでバカだと思うだろう。でも私は弱い人間だから、前が見えなくなるとすぐ立ち止まってその場に座る。
「あの日は本当にごめん……」」
 彼の話が頭に入ってこない。現実じゃないと、わかっているけど嬉しくて。
「おやすみなさい、飯野さん」
だんだん意識が薄れていく……もう夢の終わりだ。そう思って重い瞼を閉じた。話をしたいはずなのに私がシャッターを無理やり閉じた。自分は何をしたかったのか、ただ分かっているのは夢が現実になることはないこと。

真夜中、さっきから眩しいくらいに何か光ると思って目が覚めた。真っ暗な部屋だけど、顔半分がチカチカ光っている。その正体は……なんだ携帯か。手に持ったまま私は寝ていたようだ。でもこんな時間に誰だろう? 目をこすって画面を見たら、
「えっ!」
ドン
「痛った」
驚きのあまりベッドから落ちてしまった。その画面には確かに事実を物語っていた。飯野さんからの着信履歴、しかも三十分おきに。嘘だ、きっとこれも夢なんだ。でも私の手は真実を知りたかった。アドレス帳から電話すればいいのに、わざわざ一つずつ打ってから。
 プルルルル
「もしもし? よかった。大丈夫?」
確かに彼の声だった。嬉しいはずなのに涙がとまらなくて、呼吸もつらくなって何も言えなかった。この現実はいいことなのに、どうして私は苦しんでいるのだろう。頭の中で自問自答して、余計に苦しくなって……。
「大丈夫。ゆっくり息を吸って」
彼に言われるまま、思いっきり息を吸う。
「はい、はいてー」
「い、飯野ざぁん」
「落ち着いてから話そう。もう一回、深呼吸して」
飯野さんは待ってくれた。いつもだったら早く寝なよって、子供扱いするのに……この時は違った。やっぱり私の何倍も大人なんだ、飯野さんは。こんな状況でも冷静に対応してくれる。
「はい、もう一回やるよ」
彼に言われるがまま、深呼吸すること二回。なんだか彼がここにいるような感じがする。そう思うと気分も楽になって、ようやくおちついた。
「ふぅー、ありがとうございました」
「さっき電話した時、様子がおかしかったから……」
ん、電話? どういうこと。
「四、五時間前にしたよ」
 ……えっ。あれは夢じゃないの。そんな、嘘だ。
「大丈夫?」
「……」
「分かった。最初から話そうか」
 飯野さんは今日までの出来事を全て、教えてほしいと言った。だから包み隠さず話した。二人で出かけられることが嬉しくて服を買ったこと、初めてエステやネイルに行ったこと。そのせいでレポートが終わらなくて大変だったこと。
「僕も同じ。どんな服を着ればいいか分からなくて、スーツを買ったんだ」
「スーツ持っていますよね?」
「それは大人の事情」
 あ、またそうやって子ども扱いする。でも、もう大人だもん、私。
「私も大人です」
「本当の大人は、大人だって自慢しません」
 ……そうだけど。
「続き、聞かせて」
「はい」
 あの日のことを話した。いざ思い出すとまた涙が出てきて、言葉を詰まらせながらゆっくり自分の想いを伝えられるように……。
「ごめんなさい。思い出の場所、忘れちゃって」
「ううん。実は僕も覚えてないんだ。ドヤ顔がインパクトありすぎて……」
 普通は笑った顔なのに、よりによってドヤ顔って。泣き顔のほうがまだましだよ。
「だから君を見つけようと思っていたんだ、ってあれ? 怒っている」
「怒っていません」
「ごめんね。じゃあ次、僕の話」
 まだ終わってないのに……。文句を言おうとしたけど黙って彼の話を聞いた。あの日、飯野さんは立っていられないほど熱があったらしい。一人暮らしで美容院も定休日。でも私との約束は覚えていてくれて、連絡しようと手を伸ばしたら……意識がとんだらしい。目が覚めたら日付は変わっていて彼はすぐに病院へ行った。ただの風邪、だと本人は思っていたらしいが医者に、
「これインフルだね」
 と言われたらしい。だから家に帰って安静にしていたけど、着信の音がうるさくて眠れなかったらしい。それに加えて看病してくれる人がいないから、完治する頃には家が滅茶苦茶。何があったのか本人も記憶がないらしい。
「それ、だけですか」
「うん」
 それを聞いて、つい大きなため息をしてしまった。そして思った。
―バイトなんか辞めなきゃよかった―
もう一生、会えないんじゃないかって思い込んだ自分がバカだった。美容院に行って他の店員に確かめれば……私、あそこの常連なんだし。心配しすぎて大学休むとか愚かだ。こんな一人で抱え込まなくても、全てを話さなければ相談なんか出来た。飯野さんとの恋は決して悪いことではないのに “十歳以上、歳の離れた人に恋をしている”それを言うのが怖くて、周囲にどんな風に思われるか考えたくなかった。自分の中では偉そうに自慢をしていたけど、他人にはその存在を話すことさえできない。やっぱり私は子供なんだ。
「二年前、告白されて初めて君のことを意識したんだ。でも卒業式にフラレタ過去を知っているから曖昧なことしか言えなくて……でも、今日はちゃんと言う」
 私は目を強くつぶって、携帯を握りしめて彼の声を待った。これで全てがはっきりする。勿論、関係が壊れそうで怖い気持ちはある。だけどもう子供じゃないから、大人になる為にはこの一歩を踏み出さなければいけない。明日になったら友達にも家族にもきちんと話そう。八年前までさかのぼるけど、黙るのは子供まで。だからもう私は黙らない。だってはぐらかしてきた飯野さんが、ちゃんと言ってくれるから。
「準備はいい?」
 聞こえるように深呼吸をして言った。
「お願いします」
「僕も好きです。だから結婚を前提に付き合ってください」
「はい!」
 彼は覚えているだろうか。八年前、美容室での約束。あの時、本気にしていたのは私だけだった。でも今は違う。それを目標に生きてきたけど、これからは隣に立って歩いてくれる人がいる。約束が果たせた時、私は大人になれているだろうか。
「もう遅いから、そろそろ切るよ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ。紗矢」
 いつか、きっと言うだろう。大人になって嬉しかったことは
“大好きな人に名前で呼ばれたこと、その人と両想いになれたこと”
って、自慢するだろう……。

僕がもらってあげる

僕がもらってあげる

遠距離でも近距離でもない中途半端な恋。少女はちゃんとケリをつけて、大人になれるだろうか?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-04-15

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