緋色の記憶(作・風野拓人)

 僕の目の前には、緋色の世界が広がっている。かつて地球を支配していた旧人類の文明は灰燼に帰して、崩れ果てた街並みや、荒廃した平原が残った。灰色ばかりが広がる無機質な廃墟の中で、緋色だけが鮮やかに僕の目へ焼き付いていた。街を燃やす炎の緋色でもあった。撃たれて死んだ奴らが流す血の緋色でもあった。僕達は、自分達が存在する理由すら知らないまま、ひたすらに足掻いていた。誰もがお互いを必要として手を取り合い、生存のために協力し合う、理想的で素晴らしい場所もあった。緋色の世界の中にあっても輝きを失わない、夢のようなところだ。誰もが誰もを見捨てないところだ。けれど、僕達はそんな空間から不必要な存在だという烙印を押された。そんな逸れ者の僕達は、同じような奴らと手を組んで、同じような奴らを出し抜いて、自分だけは生き残ろうと足掻いていた。焦げ臭い、血生臭い緋色で、死に満ちた灰色の世界を塗りつぶしながら、僕達は必死に生き続けていた。

 瓦礫だらけの地面を踏みしめるたび、緊張して力の篭った僕の長い尾が風を受けて震える。廃墟の壁にわんわんと反響する銃声にピンと立った耳もひくつき、辺りに立ち込める硝煙の臭いが鼻をも焦がそうとする。僕は痛くなった目に浮かぶ涙をボロボロの袖で拭う。サブマシンガンを両手にぶら下げ壊れた街を駆ける。遠くで仲間達の鳴く声が聞こえた。敵の怒りに任せた吠え声が聞こえる。僕は歯茎を剥き出しにして低く唸ると、開けた道路から割れたガラスの散乱する路地裏へと駆け込んだ。
「この泥棒猫がぁっ!」
 小さな金属製のケースを守るように取り囲み、五人の犬人種の男達がライフルやら拳銃やらを持って立っている。僕達と同じくボロボロの服に身を包んだ彼らは、身軽に動き回る僕達に向かって鉛弾を散々に撃ち散らかしている。拳銃を持っている奴はともかく、ライフルを握りしめている奴はお世辞にも銃を使い慣れているとは言えなかった。必死に銃口を僕の仲間達に向けて撃ちかけてきたけれど、反動に負けて仰け反るもんだからまるで当たりやしない。気の毒だとも思うが、彼はこの世界を生き抜くには余りにもお粗末な存在だった。
 僕達の仲間が放った銃弾が、一人、また一人とケースを守っていた犬達から命を奪い去っていく。犬達の耳がビクリと跳ね、ヒゲがぶるぶると震える。銃を取り落とし、胸を鮮血に染めて倒れてしまう。残ったのはたった一匹、ライフルを手に持て余すゴールデン系の男だけだった。全身の毛を逆立て、血走った目を剥いて必死にライフルを打ち続けている。いくら下手くそとは言ってもライフルはライフル、当たればひとたまりもない。僕達は物陰に隠れ、時折威嚇の一発を空に向かって撃ちながら機会を待った。
「出てこい! 出てこい――あっ」
 しばらくライフルを撃ちまくっていた男が、急に叫びを止めて口ごもる。弾が切れたのだ。
 僕達はその時を待っていた。頷き合って飛び出すと、僕は猫の柔軟さを生かしてその懐に飛び込み、小さなサブマシンガンの銃口を犬の胸に突き立てた。彼の瞳孔が恐怖に窄まる。僕はぎらぎらと容赦なく照りつける太陽の光を背に浴び、震えるような歓喜に襲われながら、引き金を全力で引き絞った。
 甲高い音が崩れたコンクリートの壁に響き渡る。全身を針のように細い銃弾に撃ち抜かれた哀れな犬人間達は、胸から血を溢れさせ、もがきながら死んでいった。僕は血に汚れた黒毛をボロ布で拭いながら周りの仲間達を見渡す。三毛猫、トラ猫、シャム猫。文字通り野良に生きる僕達は、今日も罪悪感無く人を殺し、大切なモノを奪っていた。
 仕方が無かった。そうしてしか生きられなかったのだから。

 陽の光も届かない暗闇の廃墟。何に使われていたのかはわからない。コンクリートは砕け、鉄筋が剥き出しになり、何かの調度品だったと思しき木屑が転がっていた。戻ってきた僕達は、コンテナと一緒にして引きずってきた犬達の死体を、刃物片手に取り囲んだ。久々の大漁だ。しかも大型な奴が多い。鉛弾を撃ち込まれて全身の毛を血に染め、彼らはこれから知性ある者としての存在を全て冒涜されることに、抵抗の意志も示せないで横たわっていた。
 僕達は見つめ合うと、息を呑んで犬の死体に刃物を当てた。薄く、そっと皮を剥いでいく。一枚皮を剥げば、血と体液でぬらぬらとした肉が露わになる。気色悪さも罪悪感もない。さらに僕達は、彼らの腕や太ももを鉈のように巨大な刃物で叩き落とした。血管に溜まった血が、さらさらと溢れて床を深緋に汚した。僕達は肉から太い骨を露出させると、燃え盛る火に掲げられたスタンドに引っ掛け、適当に焼き始めた。
 居住地から弾かれた僕達が、荒廃地を蘇らせて食べ物を作るなど出来るわけがない。瓦礫の中から旧時代のジャンクを必死に集め、居住地で缶詰と換えてもらうくらいだ。しかし、そんなことを喘ぎ喘ぎするくらいなら、周りにいる飢えた奴らを撃ち殺して、食料とした方がずっと楽だ。それに、どうせお腹がいっぱいでも狩りはしなければならない。息をするように同じ知性を持った存在を殺し続けるのは、考えるだけでも身の毛がよだつ、アレを避けるために。
 表面だけ適当に焼き上げ、血の味を飛ばした肉に食らいつきながら、僕達は哀れな犬達から奪い取った鉄のケースをこじ開ける。彼らはきっと、廃墟でガラクタを必死に集め、居住区から交換で手に入れたのだろうと思う。しかし、ここは弱肉強食だから仕方ない。僕達はケースの中に入っているそれを見つけ、舞い上がるような気持ちで手に取った。オートインジェクターの中に込められた緋色の液体。クスリだ。
 僕達は目を細めてそれを見つめる。この荒廃した世界の中、狂った僕達がこの世に存在し続けるために与えられた唯一の抜け道だった。
「さあ、今日を生き延びたことに乾杯と行こうぜ!」
 トラ柄の猫人種、グロックが右手に握りしめたオートインジェクターを天へ掲げ、自らの右手に突き刺した。注射針の刺し過ぎで禿げ上がり、ぶくぶくに膨れ上がった右腕の血管から血がだらだらと垂れてくる。流れ込む緋色の液体を見つめながら、グロックは目をギラギラと光らせた。またしばらく、怯えずに済む。そんな狂気にも似た安堵が彼の心を満たしているようだった。
 それは僕も同じことだった。これを刺せば、しばらく僕達は化け物にならずに済む。きっと僕は目を血走らせ、おぞましい笑みを浮かべていたことだろう。生きていられるという根源的な安堵に鼻がひくつく。僕は全身の毛を波打たせながらその注射針を、目に見てわかるほどぐずぐずになった血管に突き刺した。差し込んだ瞬間に流れこんでくる、生暖かい感覚。生きているという実感。僕は全身に広がるざわざわした刺激に、絶頂さえ感じて嘆息した。
 しかし、一人だけそうじゃない奴がいた。シャム猫系のナンブが、目を見開き、息を詰まらせてオートインジェクターを刺せないままガタガタと震え始めた。
 刹那、僕達の間に戦慄が走る。僕達がナンブから離れようと立ち上がった瞬間、青年の身体から全身の白い毛がバラバラと抜け落ちていく。掻きむしった跡の目立つ汚い肌を晒す。ナンブは呻き、震える手を後退る僕達へ向かって必死に伸ばした。
「苦しい……」
 爛れた皮膚の患部から血が溢れ始める。目からも耳からも、鼻からも血が噴き出し、見るも哀れな姿になって必死に鳴いて僕達に近寄る。しかし僕達は近寄れない。彼を見守る事しか出来なかった。
「痛いよ、助けて……みんな!」
 息を荒げ、必死に助けを求める彼。僕達は黙って目を伏せた。瞬間、青年の胸が一気に裂けて血が舞い、荒廃した街に一輪の華を咲かせた。その甲高い呻きは、地の底から轟くようなおどろおどろしい声へと変わる。全身の骨格が急激に巨大化して、肋骨の形が浮かび上がる。皮膚はみるみるうちに引き裂け、鮮血の中に赤々とした筋組織が露わになる。裂けた頭からは、滑る液体に包まれた白い頭骨が飛び出した。三角耳だけが、辛うじて元の姿を保っていた。
 面影を失い、怪物と成り果てたナンブは、血走った目で僕らを見下ろし、廃墟を響かす絶叫を上げた。
「バースト……」
 僕は呟く。全身から千筋に血を流し、激痛と飢餓に呻く怪物。それは僕達にとって、いつ襲いかかるかもわからない絶望的な災いだった。そばには彼を救うはずだったオートインジェクターが、埃に巻かれて転がっていた。
 喉から血を溢れさせ、地鳴りのような声で彼は鳴き叫んだ。鮮血に混じり、胃酸の混じる黄ばんだ唾液が滴り落ちる。急激な細胞組織の変性に耐えられず、知性の欠片も無くなった僕の仲間は巨大な鉤爪を僕達に向かって振り回した。
 必死に飛び退けば、爪の一撃が僕達の座っていたコンクリート片を粉々に打ち砕いていた。
 飛んだ瓦礫が三毛猫のアーカーにぶち当たり、筋を傷つけられた彼は呻いてその場に倒れ込んだ。それに巻き込まれた僕達も、なすすべなくその場に倒れ込む。そんな僕達に、飢えた怪物は両腕を振り上げ、血をだらだら流して震戦しながら近づいてくる。
「やめろ。やめてくれ」
 狩りをやるときには真っ先に飛び込んでいく勇敢なグロックが、尻尾を丸めて縮こまりながら、化け物へ向かって両手を伸ばし懇願していた。だが化け物には届かない。僕を下敷きにするような形になっていたグロックは、怪物の爪で一息にバラバラとされてしまった。僕達はには悲鳴を上げる間さえも与えられず、アーカーも返された爪の餌食になった。首も足も、胴体からバラバラに引きちぎられて飛んでいく。
 でも、そのお陰で僕は束の間の自由を手に入れる事が出来た。再び爪が振り上げられた瞬間に、僕は横っ跳びに身を躍らせて哀れなナンブの一撃をかわす。けれど全身が恐怖に強張ってうまく動けない。尻尾を股ぐらに挟み込んだままの無様な格好で、僕は瓦礫に躓き転んでしまった。仲間の吼え声に混じって、瓦礫の転がる乾いた音がかつりと響く。心臓が飛び出しそうなくらいの勢いで跳ねている。血と焦げの臭いが漂うこの空間で、僕は涙をぼろぼろ零しながら、無駄だとわかっていても這って逃げようとする。

 そんな、何もかもに見放されたような僕を、彼は気まぐれに助けたのだ。

 轟く銃声。僕らが扱う豆鉄砲なんかとは比べ物にならない、大口径のライフルの音だ。瞬間、胸から血を吹き出すナンブだった何かは、口蓋が外れる勢いで口を開き、声にならない叫びを上げる。もがき苦しむところへ、部屋全体が震えるかのような銃声が二度、三度と響く。首を撃たれて仰け反ったナンブは、てらてらした頭蓋を撃たれて吹き飛んだ。脳漿と鮮血を撒き散らかして、異常進化(バースト)を引き起こしたナンブは、声もなく、ただの肉塊と変わり果て、血と臓腑に塗れた床に崩れ落ちてしまった。
 荒い息を吐きながら、僕は呆然と目の前に広がる地獄を見つめる。四人でずっと生き延びてきた仲間達は、瞬く間に僕を独りぼっちにして、この世から血と肉だけを残し消えてしまった。血に濡れそぼった身体を引きずり、僕はその死骸とさえ言えない何かへ近づく。体を真っ二つにされ、汚物に塗れた臓腑を撒き散らしてグロックは死んでいた。そばにはアーカーの腕や首が転がっている。
 わけがわからなかった。おかしくなったのは僕で、僕を残してみんなどこかへ行ってしまっただけなのかと思った。
 鼻を小突き回す死臭に僕が涙を浮かべていると、まさに背後から、彼は現れた。
「よかったな。間に合って」
 犬人種。珍しいハスキー系の青年だった。身の丈ほどもある巨大なライフルを背負って、彼は種に違わぬハスキーな声で呟き、深緋に染まった惨状を涼しい顔で見渡す。まるで何事も無かったかのような顔で、青年は平然と血染めの床を歩き、真っ赤に染まったオートインジェクターを手に取る。そのまま彼は、怪物に張り付いていた布で血を拭い、自分の腕に突き刺してしまった。どこまでも冷淡な調子で、彼は欠伸さえしながら進化抑制剤を注射している。その姿は、僕を幻惑から無理矢理現実に引き戻してしまった。途端に震えるような怒りが湧いてくる。もちろん彼に罪なんてものは無かったけれど、僕はこんな世界で澄ました顔して生きている彼にたまらなく苛立ち、気付いたら僕は彼に殴りかかっていた。
「何なんだよお前は! 何が『間に合って』だ!」
 血に足を取られ、僕はそのまま彼ごと壁に倒れ込んでしまう。鼻息荒く唸って、僕よりも頭ひとつ大きな彼を睨みつける。彼は両目に哀れみの色を露わにし、そっと首筋を掴む僕の腕を取って引き離した。
「なら君はあのまま死ぬつもりだったのか?」
「……うぐ」
 僕は何も言えなかった。助けてもらったのだから当たり前だ。それでも、今まで頑張って生きていたというプライドが、このまま引き下がることを僕に許さない。拳を固め、僕は不意打ちで彼に殴りかかった。
「この野郎!」
 瞬間、腕を捻り上げられ、僕は宙を浮いて床に叩きつけられてしまった。
「悪いけど、僕は黙って殴られてやるほどよく躾された犬ではないんだ」
 敵わない。仲間を失った僕は余りにも無力だった。何も出来ない恐怖に支配され、自然に涙が溢れてくる。尻尾は毛が逆立って、ぶるぶる震えっぱなしだった。情けなくしゃくりあげて顔を覆っていると、青年は僕の肩をそっと叩き、腕を掴んで引き起こす。
「まあだが、君の気分を害してしまったのなら謝る。受け取れ」
「これ、クスリじゃないか」
 僕はぽかんとして呟く。クスリは貴重品だ。各地の居住区にはたくさん眠っているけれど、居住区で過ごしている人達はそれを独り占めして、アウトサイダーの僕達にはほとんど分け与えようとしない。クスリの効き目があるうちに、次のクスリが手に入ることはほとんどない。
 だから、目の前で事も無げに進化抑制剤のオートインジェクターを突き出す彼の事が、僕にはとても信じられなかった。クスリの有効期を過ぎると、いつ化け物へ変わるとも知れないレッドゾーンに突入する。青年は、僕に命を切り取って渡しているようなものだったのだ。注射器を握りしめ、僕は彼に尋ねる。
「偽物じゃないよね」
「当たり前だ。偽物を作れるような材料なんて、どこにある」
 もっともだった。僕は一度黙り込むと、次なる疑問を彼にぶつける。
「……何で予備まで持ってるんだい。僕達なんか効き目が切れてから二ヶ月くらいはいつもびくびくしながら過ごしてるのに」
「俺はずっと一人で生きてきたからだ。お前達のように一度にインジェクターを四本手に入れたなら、俺は四ヶ月の間グリーンゾーンで生きていける」
「一人で? 一人で生きてきた? 君、一体何者なんだよ」
 彼の言葉どころか、彼の存在そのものさえ、僕には信じられなくなってきた。この世界に一人でいる奴は一瞬で餌になるのが常だった。奇跡のような青年は、鼻面に皺を寄せて僕を睨んだ。
「名前を尋ねるのなら、まずは自分から名乗れ。黒猫」
 高圧的な物言いだったけれど、背中のライフルをいきなり抜かれないとも限らない。僕は肩を竦め、小さく答えるしか無かった。
「カレル。僕はカレルだ」
「俺はシュミットだ。この世界の真実を求めて、生きてきた」
「僕達の真実だって?」
 僕はさらに耳を疑った。いつ変貌するともわからない命をぶら下げて生きている。ただそれが僕達の真実ではないのか。僕がそう言うと、涼しい顔の彼は崩れた廃墟の壁から覗く、どこか遠くの世界を見つめ、小さく首を振った。僕に手招きしたシュミットは、ふさふさの逞しい尻尾を真っ直ぐ伸ばし、外の方へ向かって歩く。背後から僕に首を掻かれないともわからないのに、彼は前だけ見つめて堂々と歩き続けていた。
「真実と事実は異なる。事実は真実の一形態に過ぎない」
「……どっちでもいいよ。ならもっと具体的な話をして」
「そうか。……話に付いてくる気はあるんだな。他の奴らは、俺からクスリを奪おうと、今か今かとチャンスを窺っていただけだったが」
 シュミットはちらりとこちらを振り向いた。出会ってから数分経ったが、暗がりに光るその瞳がようやくまともに僕を捉えた。さも意外そうな顔をして僕を見つめている。どこか超然としているこの男を僕という現実に引き戻せたことが嬉しくなり、つい僕は軽口を叩いてしまった。
「僕もそうだといったら――」
 どうする、と言う間も無く僕の脳天に拳銃の銃口が突き立てられた。どこからどう拳銃を取り出したかもわからないほどの身のこなしに、僕は思わず漏らしそうなほどびくついてしまった。冷然と僕を脅す視線に、僕は動くことも出来ず耳から尻尾の先まで固まってしまう。彼からイニシアティブを取ることなど、僕には到底出来ない相談だったらしい。シュミットから取ってつけたような不気味な笑みを引き出しただけだった。
「当たり前だ。続きを聞きたがるお前に、そんなつもりは無いだろうけどな」
「ヒヤヒヤさせないでよ……」
 拳銃を収めた彼に、ビビりきった僕が言えたのはそれくらいだった。拳銃とともに突きつけた殺意をそっと内に秘めると、シュミットは今度こそすかしたような笑みを浮かべて再び歩き始めた。
「お前にわかるように、か。なら君の体感に訴えたほうがいいだろうな。……とにかく、俺達は知性を持っている。頭で考えて動くことが出来る、というくらいだが」
「そんなこと、言われなくたってわかるよ」
 いくらなんでも当たり前の事を言い過ぎだろう。僕は鼻を鳴らして欠伸をする。そんな僕にシュミットは小さく溜め息をつき、再び歩き始めた。
「さすがにそこまでバカではないか。俺は今までこの街を動き回ってこの街にあった記録を探ってきたんだが、どうやら数百年前まで、僕達とは似ても似つかない形の人類……旧人類とでも言おうか。この世界を支配していたのは、そいつららしい。この廃墟も、彼らが遺したものだ」
「旧人類」
 僕は口の中に含めるように繰り返す。僕にとっては、とても懐かしくて、嫌な事を思い出させる単語だった。シュミットは頷くと、人差し指を立てて頷く。
「そうだ。だが彼らはもういない。互いに争い合った末に、何らかの事変が起きて彼らはこの地から消え去った。……そして入れ替わるように俺達が現れた。俺達は荒廃しきった廃墟だけが残され、怪物に変わり、自分たちが手に入れた知性を全て失う恐怖に曝され続けている」
「何が言いたいんだよ。そうなんだから仕方ないだろ」
 腕組みをして、床を尻尾で叩きながら、僕は呟いた。僕達は与えられたあり方、与えられたモノだけで、ついでにそれに相応しい場所で生きていくしか無い。僕は夜中にぼんやりものを思うことはあっても、そう結論づけていた。でも、シュミットは違ったらしい。やれやれと首を振り、指を振りながら彼は低い声で応える。
「『仕方ない』で片付けるのは真実を見ず、事実を見るだけで満足をしてしまっているということだ。俺は『仕方ない』で片付けたくはない」
「どういう事だい?」
 眉間に皺を寄せ、僕は尋ねる。今まで僕が一緒に生きてきた三人は、一度もそんな事を考えようとはしなかった。やはり僕にとって、彼は不可思議な存在だった。廃墟の外に出た彼は、沈みつつある夕日を見つめる。僕もつられて見つめると、地平線の向こうまで広がる崩れかかった街並みが、燃え上がるような緋に染められていた。
「いつかどこかで化け物になってしまうとは、生き物としてはひどい欠陥だと思わないか。俺達は生を全うすることなんか出来ない。そんな俺達が、どうして生きているのか、それを俺は追い求めてきた。……そして、ここに来たんだ」
 変わり者だ、と僕はすぐに思った。頭の良さそうな口振りはもちろん、肝の据わった態度も、彼をこの世界で浮いた存在にしていた。何より、彼は僕達の置かれたこの荒廃した世界に疑問を抱いている。そんなことをしても、お腹は膨れないし、僕達が怪物化することを抑えることも出来ないのに。
 しかし、そんな彼は僕を強烈に惹きつけてやまなかった。きっとそれは、徒党を組んで悪さをするくらいしか出来ない僕には無かったものがあるからなんだろう。僕は緊張する全身をぶるっと震わせ、そっと彼の顔を窺い、尋ねてみた。
「なあ、それなら僕と一緒に行かないか」
「何故だ。俺は現状、一人でいる方がクスリの管理をするという点で都合がいいと思っている。その考えを打破するほどの何かを、お前は持っているのか」
 刺すような視線が僕を貫く。悔しかったけれど、うつむくしか無かった。
「そんな言い方をされても……僕は僕を助けてほしいだけだ。その代わりに僕は君の調べ物を助ける。僕はずっと仲間と力を貸しあってきたから、そういう生き方ならわかる」
「つまり、現状は特に何もないわけだな」
 どうにかして彼に自分を認めさせようとしたが、彼はお見通しだったようだ。それだけ僕が拙かったということだけれども。猫を被っても仕方がない。僕は諦めると、舌打ちし、両手両足を広げて毛を逆立て、自分を必死に大きく見せて彼を睨みつけた。もう後には退けなかった。
「くそっ。そうだよ。僕には何にもないよ! どうする? 今ここで非常食にでもするかい?」
「いや。お前は正直者だ。連れておいても支障はない。今から俺が行こうとしているところに付いてくる気があるのなら、お前一人くらい連れて行ってやるとも」
 不敵に笑うシュミット。僕はその態度が怖くなってしまった。だが、もう退けない。ここで彼と離れる道を選べば、確実に僕は野垂れ死んで誰かに喰われるとしか思えなかった。腕を組み、耳を伏せ気味にして平静を装って、僕は声が震えないよう必死にこらえながら彼に尋ねた。
「何だよ? どこに行くつもりなんだい?」
「セントラル居住区だ」
 当たり前のように彼は言う。せっかく奮い立たせていた気合が、再び萎んでしまった。目の前が真っ暗になったのは、きっと日が暮れてしまったからだけではないだろう。怖くなった僕は尻尾を丸め、甲高い声で彼に叫ぶ。
「……何言ってるんだよ! あそこは傭兵団まで使って入区を管理してるところじゃないか。そんなところに一人で乗り込もうとしてたのか? 撃ち殺されるじゃないか!」
 セントラル居住区。地下には豊富な資源が眠っている。食糧もたくさん、クスリも十分過ぎるほどある。
けれど、そこに出来上がった権力組織は塀でその地を囲って、その資源を独り占めにした。手を取り合うに足る存在を勝手に選り抜き、外れた僕達には銃口を向ける。どうしようもなくて、僕達は彼らの武力の前に屈し、媚びへつらって彼らから食料やクスリを分けてもらい続けていた。そんなところに、彼は飛び込むと言った。自殺行為もいいところだ。しかし、シュミットは相変わらず澄ました顔で、平然と廃墟を真っ直ぐな瞳で見つめている。
「セントラル居住区に眠る巨大地下施設……間違いなくそこには他とは違う重大な情報が眠っている。俺はそう確信しているんだ。だから、俺は何があろうと行く」
 全くわけがわからなかった。どうして彼がそんなに真実とやらを知りたがっているのか、僕にはちっとも理解できなかった。しかし、今まで一人で生きてきたという彼の言葉には、不思議な重みがあった。その力強さが羨ましい。僕にもそれだけの力強さがあればよかったのに。そんな事を思いながら、僕は血のこびり付いた頭を掻く。
「あーあ。勇気あるんだね……」
「やっぱり怖気づいたか。仕方ない。確かに、ここにいた方が俺に付いてくるよりもその生存率は倍くらい変わってくるに違いないからな」
 煮え切らない僕の態度を笑い、シュミットはさらりと笑う。バカにされるのはただでさえムカつくけれども、犬人種にバカにされたということが余計にムカついてしまった。瞳を細め、僕は拳を固めて彼を睨みつけた。
「な、何だよバカにして! ぼ、僕は付いて行くからね! そこまで言われて本当に引いたら、猫がすたるってもんだ!」
「……期待しておこう」
 肩を竦めると、彼はすたすたと歩いていく。街の中心へと歩いて行くその足取りには一切の迷いがない。その背中を見て見栄を切ったことにやっぱり後悔したけれど、この格好いい犬っころに負けたくない。その気持ちだけを頼りに、僕は彼を追って、日の暮れていく方角へ向かって歩き出した。

「どうして、君は僕達の真実とやらを、探す気になったんだい」
 日の落ち切った廃墟の中、僕達は雨風凌げる場所を選んで今日の寝床にしていた。シュミットが持っていた缶詰を分けてもらって、僕は久しぶりにまともな食事にありつけた。いつも食べている、焼いたばかりの人肉の方が美味いと思っているあたり、僕はもうどうにかなっているのかもしれないけれど。
「さっき話したろう」
 ずっと続く沈黙のせいで間が持たなくなってしまった僕が投げかけた質問に、シュミットは相変わらずの不愛想な顔で答える。どうにも彼と僕の間には、やはり深い深い溝があるようだ。犬と猫の違いなんだろうか。僕は思わず溜め息をついてしまう。
「そういう事じゃないよ。そういう、真実を考えたいと思うきっかけは必ずあるはずだろう? それを聞いてるんだよ」
「……思っていたより、論理的な思考が出来るようだな」
「バカにしないでくれよ。僕にだって色々あるんだ」
 何だか調子が狂ってくる。今までこんな風に頭は使わないようにしてきたのに、こいつといるとそうも言ってられない。いい気分になれない。腹が立つ。
 そんな腹が立つ奴は、水筒の水を呷りながら、ポケットからを何かを取り出して僕に投げ寄越した。旧時代の遺産であろう、モニターのついた小型デバイスだ。
「何だよ。これ」
「見てみろ。驚くようなものが映るぞ」
 言われた通り、僕は渡されたデバイスを起動して映像を眺める。映るのは暗闇で、一瞬本当にデバイスが起動しているのか疑ってしまった。けれどやがて、古ぼけたスピーカーを割るほどの勢いでサイレンが鳴り響き、暗闇は緋色の警告灯に染め上げられてしまった。その中を逃げ惑う人間達。影となった彼らを僕はぼんやりと見つめていたけれど、どこかおかしい事に気が付いた。頭にだけ長い体毛が生えて、服の隙から覗く顔や手はつるつるだ。どことなくサル達に似ているその外見。僕は思わずぽつりと呟いていた。
「旧人類……」
 彼らが使役してきたと考えられている、白い人型のロボットに次々と駆逐される旧人類達。僕は眉間に皺寄せて、じっと映像に見入ってしまっていた。銃声に混じって、ロボットの駆動音と人々の甲高い悲鳴が聞こえる。鮮血にその機体を染め抜いたロボット達の先頭に、一人のロボットが立っていた。紅い双眸が、動く度に光のラインを残す。その耳元には、羊のような角が生えていた。僕は、旧人類よりも、彼らの姿に目を惹かれた。
「何だ。旧人類を知っていたのか」
 シュミットはどこかつまらなそうに鼻を鳴らす。彼は、無知な僕が引っくり返る光景を思い浮かべでもしていたんだろう。でも僕は、残念ながらそんなに無知じゃなかった。
「別に。僕にだってそれなりに知識はあるさ。これは居住区で手に入れたんだろう?」
「……ああ。俺は昔エーテン居住区に住んでいてな。そこにある研究施設で見つけたデータ施設から、吸い出してきたんだ。どうしてわかった」
 シュミットは完全に食事の手を止め、僕の事をじっと見つめていた。僕は溜め息をつく。これを明かすのは少し未練がましい気がして、今まで、仲間にも言わなかった。でも、今更隠しても仕方が無い。僕は淡々と答えた。
「僕だってね、昔は居住区にいたんだ」
 シュミットの表情が明らかに変わった。目を丸くして、意外そうな顔をしている。僕は困ってしまった。僕みたいな奴が居住区に住むのは、やはり似合わないと思われてしまうらしい。けれど事実だ。僕は顔をしかめ、声も潜める。
「僕の親が生きていた頃にね。父さんも母さんも、居住区地下に眠っているデバイスの解析を担当していた。そこから吸い出せたデータを、僕は見せてもらってたんだ」
 話しているうちに、興奮して解析した情報の話を繰り返す父さんと母さんの姿が頭に蘇った。僕も、いつかは過去に存在した人類が歩んだ道のりを調べたいと思っていた。デバイスから吸い出したデータの整理も手伝うようになっていた。けれど、ダメだった。
「ならば、なぜ、今は外で暮らしているんだ」
「決まってるじゃないか。追い出されたからだよ! 僕は父さんや母さんみたいにデバイスの解析が出来たわけじゃなかった。二人が遺してくれた過去の歴史を持っているだけだった。父さんと母さんが病気で死んですぐに、僕は居住区を追い出された。僕が持っていたのは、要するに居住区じゃ何の役にも立たないものだったからね!」
 シュミットの眉間に皺が寄る。何だよ。そんな目をしないでくれ。同情でもした気かよ。ふざけるな。そんなことを思って、僕はもう自分の感情を抑えきれなくなっていた。
「そうだよ。要らない知識なんだ。昔人類がどうだったとか、知ってどうするんだ。それを知ってたって居住区どころか、ここでも何の役にも立たないじゃないか?」
 自分でもどうしてここまでムカつくかわからなかった。黙り込んでいるシュミットに向かって、僕はひたすらまくしたてた。今まで僕がここで暮らしていくために、抑え込んでいた分までまとめて。
「ああ、何でだよ。何でお前はそんな知識を欲したんだよ。今居住区に住んでたって言ったね? まさか追い出されたわけじゃないだろう? その腕があれば護衛としてどんだけでも長く居住区に住まわせてくれるはずだ!」
 僕は思わず持っていたデバイスをシュミットに向かって投げつけた。しかし彼は事も無げに受け止めてしまう。ずるい。僕はシュミットに向かって呻いた。どうして彼はそんなに余裕に構えていられるのか、どうしてそんなに強いのか、僕にはわからなかった。
「……俺は元々研究者として、抗バースト薬、お前達がクスリと呼んでるあの薬を量産する研究をしていた。地下に眠っているクスリには限りがある。いつかは自分達の手で作れるようにならなければいけないんだ。少なくとも、クスリは我々が作ったものではない。旧人類が遺したものだ。……ならば、旧人類は少なくとも俺達の生態に関与していたと考えられないか? それを知ることが、本当に何も役に立たないと思うか?」
 シュミットはほとんど諭すような口調になりながら、改めて僕にデバイスを突きつけてきた。鋭い眼差しが僕を射抜く。冷静さを飲み込んだ青色の双眸が、じっと僕を見つめていた。夜風に彼のつややかな黒毛が揺れる。どうして、彼はこんなに格好いいのだろう。
「俺はそんなことは無いと思っている。だから、俺は居住区を出て、あちこちの居住区からデータを集めていたんだ。そして、ここまで来た」
「何だよ。何が言いたい」
「お前の持っている知識は必要の無いものではない。役に立てねばならない知識だ。だから、それ以上自分の持つ知識を卑下するのはやめにしておけ。少なくとも、俺はその知識を必要だと思っている」
 シュミットは僕を見つめ、淡々と言い含める。その目を見ても、冷静過ぎて彼はどこまで本気でそれを言っているのかわからない。けれど、それなりにはうれしかった。やっぱりシュミットは凄い奴だった。僕なんかとは比べ物にならない。僕もそれくらい強くいられたらよかったのに。羨望を抱きつつ僕はヒゲを震わせ、小さく頷いた。
「そうしておくよ」
「そうだ。その方がお前の両親も喜ぶだろうよ。……さあ、先に寝ておけ。明日セントラルに行くんだからな」
「ああ。……わかった」
 僕は肩を竦めると、もう一度デバイスに目を落としてみる。累々と積み重なる亡骸を踏みつぶして、羊の角のロボットは天を仰いで叫びを上げている。赤く輝く双眸。もちろんそれはロボットだから、泣くわけがない。でも僕には、それが確かに泣いているように見えた。誰にも必要とされずに居住区を追い出されて、ただ泣き叫んでいた僕に、どこか似ている気がした。

 かくして、僕達はセントラル居住区へと向かった。僕らみたいなはぐれ者が集めてきたジャンクで作ったバリケードで、居住区は囲われている。セントラルでは簡素な工場が稼働を始めていて、地下から回収した繊維で服を作るようになっていた。ずっとボロを着ている僕達に比べると、入り口の前で銃を構える爬虫人種の服はずっと綺麗だった。
「何だ? 瓦礫の中から端末でも見つかったか? ん?」
「今ならサービスしてくれるってよ」
 銃器以外にはろくに荷物も無かった僕達に向かって、トカゲ達はバカにしたように笑いながら迫ってくる。ムカついた。奴らも僕達と何かが違うわけでもないくせに、居住区に雇われたってだけでこの態度のでかさだ。僕は頬を引きつらせながら、どうにか殴りかかりたい思いを堪えていた。
「そんなものは無い。ただこの中には用がある。通せ」
 けれど台無しだ。シュミットは不機嫌さを取り繕おうともしないで、憮然とした顔で二人のトカゲに向かって言い放った。両手がコートのポケットに突っ込まれている。怪しさ満点だ。トカゲは顔をしかめ、アサルトライフルの銃口をシュミットに向けた。
「通れると思ってんのか?」
「お前達はゴミ以下なんだよ。いつでも処理できるんだぜ?」
 トカゲはそう凄んで見せたけれど、通用なんかしなかった。シュミットは鼻で嗤うだけだ。
「すぐに銃を突きつけて恫喝するのがこの居住区の流儀か。外に暮らす盗人どもの方が、まだ礼儀を知ってるぞ」
「何だとコラ――」
 トカゲはシュミットの挑発にあっさりつられた。目をぎょろつかせ、トリガーに手をかける。しかしその瞬間に、ポケットから手を抜き放ったシュミットが、トカゲ達の頭を吹き飛ばしてしまった。両手には、銀色のデリンジャーが握られている。
ああ、殺っちゃった。僕はぼんやりとそう思う。本当に一瞬の出来事で、僕には状況を飲み込み切れなかった。デリンジャーを投げ棄てたシュミットは、拳銃をベルトから抜きながら振り返る。
「どうしたカレル。行くぞ」
 青い瞳が緋色を映していびつに光る。少しは解り合えたつもりだったけど、やっぱり怖い所は怖い。けれどここでシュミットに取り残されたら援軍に遭って蜂の巣決定だ。それはもっと嫌だ。僕はサブマシンガンを握りしめ、風のように駆け出したシュミットの後を慌てて追いかける。
「無許可侵入だ! 殺せ!」
 居住区中のサイレンが響き、スピーカーから荒々しい声が響き渡る。外に洗濯物を干したり、人工畑の手入れをしていたヒツジや犬達は、慌ててドーム状のバラックの中に引っ込み、戸を閉め切ってしまった。見通しのいい空間の四方八方からトカゲやらトンビやらが押し寄せて、一斉に僕達に向かって銃を向け始めた。
 響き渡る銃声。飛び散る火花。僕達は目の前のヘビ達を銃で撃ち抜きながら、バラックの陰に飛び込み弾丸をやり過ごす。壁に穴が空き、住人の悲鳴が聞こえてきた。いつもと違って、どうにも耳が痛かった。
「あーあ……シュミット。いきなり正面から突っ込むのはバカだよ。いくら何でも。バカだって」
「好きに言え。回りくどいのは嫌いなんだ」
 シュミットは背中のライフルを取ると、スコープも覗かないで引き金を引く。遠くの物見台でマシンガンを構えていたタカが、頭を撃ち抜かれて落ちていった。何でこんな奴が科学者をやってたんだろう。僕は思わず考えてしまう。次々に物見台の奴らを打ち落としていくシュミットを見遣りながら、僕は思わず全身の毛を逆立ててしまう。
「……おっかない奴」
 本音が緩んだ口をついて出てしまう。銃を握ったまま固まっている僕に蔑むような眼差しを送り、シュミットはこちらへ銃口を向ける爬虫人種達を撃ち殺していく。
「失敬だな。お前も少しは手を動かせ。達者なのは口だけか?」
 淀みない手捌きで狙いを定め、冷静に傭兵達を仕留めていく彼の姿は憧れを抱かせると共にライバル心を掻き立てた。侮られていてはたまらない。僕はマシンガンを握りしめた。
「ば、ばかにすんな! 僕だってやってやるさ!」
 鼻息荒く身を乗り出すと、僕はマシンガンの引き金を一気に引き絞った。ライフルに気を取られていた彼らは、不意の弾幕に戸惑い、たまらず物陰へと逃げ込んでいく。僕の必死なザマを見つめ、彼はやっぱり溜め息をつくのだった。
「……君は単純だな」
「あ、こいつ!」
 シュミットは僕が奮起するよう仕向けていたのだ。はっと気づいた僕は、マガジンを取り替え、再び引き金を絞りながら思わず噛み付いてしまう。しかし、そんなふうに騒いでばかりもいられない。あいつらを殺せと、叫ぶ声がどこからも僕の耳に向かって飛んでくる。弾幕を張って奴らを寄せ付けないようにしながら、僕は隣で鞄を漁っているシュミットに向かって叫んだ。
「おい! もうヤバいって! アイツら数多過ぎる!」
「問題は無い。別に臭いアイツらを全滅させるのが目的じゃないからな」
 彼が取り出したのは発煙筒だった。目の前へ放り出した瞬間、もうもうと黄色い煙が立ち込める。彼は爬虫人種達の困惑した声を聞くと、小さく頷き僕に手招きして駆け出した。激しい煙に目がチカチカしていたが、シュミットにそんな僕を構うつもりは無いらしい。置いて行かれたら死んでしまう。そんな恐怖が、僕の尻を叩いて走らせる。
「ちょっと! ちょっと待ってって!」
「ついてこれなきゃお前が死ぬだけだ」
「ああもう……」
 必死に追いかけるけれど、体格差はどうにもならない。悠然と尻尾を棚引かせながら駆け抜ける背高な彼に、小柄な僕は手も足も無茶苦茶に動かしその背中に縋るのがやっとだった。
「いたぞ!」
 爬虫人類達の叫びとともに、今まで止まっていた銃弾が倍になって雨あられと飛んでくる。壁に突き刺さって激しい煙が立つ。僕は目に涙を浮かべ、思わず縮こまってしまう。情けない悲鳴も漏れてしまう。下が漏れなかったことだけが幸いだ。廃墟の柱に隠れて震えていると、不意にシュミットが姿を消し、その顔だけを覗かせ僕に向かって手招きした。相変わらず、ムカつくくらいに凛とした鼻筋をしていた。
「こっちだカレル!」
「はあぁ……」
 もう走る力も出てこない。僕は這々の体で弾幕をくぐり抜け、シュミットが伸ばした手を掴んで暗い空間へと飛び込んだ。

 さすがはこの地で最も大きなセントラル居住区だ。長い長いスロープを駆け抜けて潜り込んだ地下の廃墟も、とんでもなく広かった。ちょっとした街のようになっている。下手するとその辺の居住区よりもずっと広いかもしれない。おかげで僕らは助かった。身を潜める場所がたくさんあって、どうにか追っ手を撒くことが出来た。
「あいつらはどこだ?」
「……もういいだろ。アイツらは地下のヒビに落っこちて死んだってことにしておこうぜ。命張るのもバカらしいだろ?」
 サブマシンガンを構えたトカゲとタカは、僕達を勝手に殺したことにして、のろのろと歩き去ってしまった。無線を取り出して、あちこちに連絡しながら去っていく。
「職務不履行か。バカな奴らだ」
 シュミットはその背中を瓦礫の脇から見送りながら、ぼそぼそと呟く。そばには口輪を巻かれたネズミが手足を縛られ転がされている。傭兵達が立ち去っていく音を聞きながら、僕達の半分くらいの背丈しかない彼はもごもごと蠢く。
「すまんな。騒がれても困る」
 シュミットは呟くと、銃を引き抜いてネズミの額に押し付けた。ネズミは目を飛び出さんばかりに開いて、ますます身をよじる。
「騒いだら撃つ」
 言うなり、シュミットは僕に目くばせした。強引な彼のやり口に呆れながら、僕は彼に従ってネズミの口輪を外した。
「そんなに怯えないでくれ。殺すつもりは無い」
「さっき騒いだら、撃つと言っただろ」
 キーキーとか細い声でネズミは鳴く。まあ眉間に銃を押し付けながら言う事じゃない。僕は肩を竦めると、ネズミの身を起こしながら耳元で囁く。
「悪いけど、彼はこういう奴なんだよ。ちょっと聞きたいことがあるんだけれど、いいかな」
「な、何だ? 入区許可か? わ、悪いが私はただの研究員だ。そんなものの口利きなんて――」
「そういう事じゃない。居住区の地下区域に存在している、旧人類が遺した記憶媒体を俺達は探しているんだ。研究員なら、それらしき存在の所在くらい、わかるんじゃないのか」
「記憶媒体? それを探してどうす――」
 シュミットは銃口をほんのちょっとだけ逸らして引き金を引いた。ネズミの白い毛がふわりと舞う。ネズミは目を見開き、慌てて首を振った。
「待て待て待て! 話す話す! さ、最近この地下区域よりもさらに地下に当たる部分に巨大な装置が存在することがわかった。多分それだ。さ、先に言っておくがまだ何も手を付けてないぞ。そこへの行き方だってまだ判明してない!」
「わかった。カレル」
「はいはい」
 僕はキーキーうるさいネズミの口を再び紐で縛り上げてしまった。
「ごめんね。助けを呼びに行かれたらちょっと困っちゃうからさ。研究係ってとっても忙しいと思うし、そこで寝てたら?」
 相変わらず鼻で呻いていたネズミだったけれど、もうどうしようもないと気づいたのか急に黙り込んでしまった。僕は取りあえず溜め息をついて、ちらりとシュミットの横顔を窺う。
「通路は幾つかあるはずだよ。どのくらい巨大かは知らないけど、この廃墟のメインになってたはずの空間だもの」
「言われなくてもわかる。……相当丈夫に作るはずだ。地上のように何もかも瓦礫に、などという事はあるまい」
「だといいけどね」
 傭兵達が気まぐれを起こして戻ってこないとも限らない。僕達は取りあえず歩き始めた。

 地下の巨大な施設に設置されていたセントラル居住区の議事堂。そのそばにさらなる地下へと通じる空間を見つけた僕達は、迷わずそこへ足を踏み入れた。壊れたエレベータの跡を、ひやひやしながら下って行った。その奥は明かりも無く、一寸先も闇だった。
「僕達、どこに進んでるんだ?」
 僕は懐中電灯の頼りない明かりを手に持って歩きながら、シュミットに向かって話しかける。シュミットは先にずんずん進んでいって、こっちの事を振り返ろうともしない。
「問題無い。通ったルートは記憶している」
「ああ、そう? ならいいけど……」
 今更ながらに、彼は本当に一人で生きてきたんだという事を僕は実感し始めた。シュミットは僕を助けてくれるけれど、本当にシュミットは一人でやっていけるみたいだ。僕はひたすらその後をついていくだけで、何もしていない。何だか自分がただの荷物のようにさえ感じられてきて、思わず溜め息が出る。
「おい、カレル! 早く来てくれ!」
 シュミットが遠くで呼んでいる。僕は慌てて駆け寄った。広い暗闇の奥を、ぼんやりした懐中電灯の光がうっすら照らす。中はドーム状の空間だった。床には躓きそうな高さの石が、上下左右に列を為して無数に並んでいる。一目見て、僕は思わず身震いしてしまう。不気味だった。完全な静けさに包まれている。僕はそんな静けさがあるのはどんな場所か、よくわかっていた。
「ここが、旧人類の墓場か」
「墓場? ここがか」
 シュミットは首を傾げながら、目の前の石を照らす。そこには一人分の名前と、生没年が刻まれていた。隣の石も、そのまた隣の石もそうだ。
「ああ。お父さんが言っていたんだよ。地下に、旧人類の墓地らしき空間がある可能性がデータから示唆されたって。他の人が調べる気無いって、残念がってたけどね」
 下手な居住区よりも広い空間の中に、墓がびっしりと並べられている。僕はしばらくの間、その迫力に茫然となって見ていたけれど、そのうちに石に刻まれた没年が全部同じな事に気が付いた。単なる病気や戦争じゃ、こんなに一斉に人が死ぬなんて思えない。彼らの死で思い当たる理由と言えば、今の僕には一つしかなかった。
「それにしても……これってもしかして、全員あのロボットに殺されて死んだ人達なのか?」
「おそらくはそうだろうな」
 シュミットは僅かに墓の間に分け入る。一人がようやく通れるくらいの広さしかない。シュミットは険しい目でその墓を見渡しながら、小さく呟き始めた。
「だが妙な話だな。あの有様の中で生き延びることが出来た旧人類がいたとは思えない。となると、葬ったのは例の白いロボットだったという事になる」
 シュミットはヒゲを撫でながら呟く。確かにそうだ。あんな、ジャンク掃除をするくらいの感覚で旧人類を殺していたロボットが、どうして旧人類を墓に納めたりするのだろう。
 ふと、羊の角を持ったロボットの姿が脳裏を過る。折り重なる人間の死体を踏みつけながら、悲しげに慟哭するロボットの姿。彼らは旧人類をどうして殺したんだろうか。悲しいくらいなら、殺す必要なんてなかっただろうに。
「……行くぞ」
 僕が悩んでいると、いきなりシュミットは踵を返して歩き出した。こんなぞっとするような景色を前にしても、彼は全く動揺する気配が無い。僕は色々な意味で驚いてしまった。
「も、もう行くのかい?」
「ああ。今はデータベースの探索が先だ。この謎を考えるのなら後でも出来る」
「そうだけどさ……」
「別に考える必要が無いとは言わない。今はそれよりも重要な事があるというだけの事だ」
 彼のどこか冷徹ささえ感じさせる答えに、もう僕は何も言えなかった。どんな時でも強くいられるシュミットが格好いいと思っていた。でも、今になって少し違うような気がした。うまく言葉に言い表すことは、出来なかったけれど。

「……随分深くまで来ちゃったな」
 僕はシュミットの背を追いながら、ぽつりと呟いてみる。そんなちょっとした声もこだまするくらい、僕達が見つけた地下の通路は静まり返っていた。臭いもしないし、シュミットや僕の持っている懐中電灯以外には、光もない。虚無がその空間を占領していた。どこまでもどこまでも道は延び、僕達をどこかへと誘っていた。
「だが確実に近づいているはずだ。何十年。いや、何百年と手入れがされていない筈なのに、この通路は原型を維持している。それだけ重要な施設のために作られた証拠だ」
「そうだね。何か、あんまりいい感じの雰囲気じゃないけど」
不気味だった。音も光も臭いも無いなんて。その不気味さが僕の胸を締め付けてくる。辺りを見渡すと、何かの部品が廊下に落ちて散らばっていた。白塗りの床が、所々緋色に染まっている。薄く積もった埃にやられて、僕は顔をしかめて何度もくしゃみを繰り返しながら呟いた。
「本当に、何だか怪しい雰囲気だな」
「む……これは」
不意に彼は立ち止まった。廊下の片隅に屈み、何かを見つめる。僕もその脇から覗いてみた。
それは人の形をしていた。頭も身体も、この廊下と同じく真っ白い金属で出来ている。昨日、シュミットから渡された映像で見たロボットだ。
 けれどその腹は開かれて、ケーブルや機械が臓物のようにはみ出していた。目から光を失ったロボットは、まさしく死体のように横たわっている。辺りを見渡してみると、横たわっているのはこのロボットだけじゃなかった。あちこちにロボットの残骸が転がっている。おぼろげな気味悪さが、急に実感になってのしかかってきた。僕は思わず喉を鳴らす。
「何があったんだ。こんなところで」
「ロボット同士の仲間割れでもあったのか?」
 彼の態度はいつでもどこでも変わらない。特に抑揚も無く呟いて、頭を掻きながら廊下を歩いていく。彼は余り感傷に浸るとか、そういう事はしないらしい。事実だけを見つめて突き進んでいる。自分の目標を達成するために、その最短距離を選んで。
 結局、僕が必死になって付いてってるだけだ。僕は何にも役に立ってない。本当にお荷物だ。なのに、彼はどうして僕を連れて行くことにしてくれたんだろう。ここまで来て、彼の背中を見ているうちに不安になってきた。旧人類の墓を見たり、バラバラのロボットを見たりして、僕は感傷的になりきっているからかもしれない。
「なあ、シュミット」
「なんだ」
 シュミットは相変わらずこっちを見ないで尋ねる。少しくらいこっちを見てくれてもいいのに。僕は萎れたような気分になりながら、声を潜めて尋ねた。
「どうして君は僕の事をここまで連れてくることにした?」
「昨日話したろう。最低限身は守れそうだし、連れていても支障はなかったからだ」
「いや、それは聞いたけどさ……結局僕は役に立たないけど。それでもここまで連れて来てくれるんだなと思って」
「お前が連れてってくれと頼んだんだろう。応えられる限りは応える。死なれたら寝覚めも悪いからな」
 あくまで、シュミットは冷静だった。引き金を引いたら弾丸が飛び出るくらいの感覚で、彼は僕を助けたのだ。助けて当然と思って。僕なんかにはとても出来ない事だけど、羨ましい事だけど、何かが違う。
「……そうなんだ」
 僕は口ごもる。何かが違うと思っても、シュミットに対して反抗するような言葉を、僕は持ち合わせていなかった。
 そのうち、視界の彼方にうすぼんやりとした光が見えてくる。いつの間にか僕達は、巨大な一つの空間にやってきていた。バラバラにされたロボットが、相変わらずたくさん転がっている。巨大なモニターがたくさん並べられ、壁際のデスクに備え付けられた数えきれないくらいのボタンやスイッチ、キーボード。部屋の突き当たりには、壁のほぼ一面を覆うくらいの巨大なスクリーンが掲げられ、その下にもキーボードが備えられていた。
「これなんだね……きっと」
 僕はその威容に圧倒されながら、ぼんやりと機材を見上げていた。僕の身長の何倍もあるメインの装置が、仄かな緑色の光を僕達に向かって投げかけていた。シュミットは何も言わず、コンピュータへと向かって歩き出した。緑色の光が、ぼんやりと彼の後ろ姿を照らしている。
「随分と大きいなあ……」
 僕はその後に従いながら、ぽつりと呟く。僕が見たことあるのは、精々そのコンピュータの百分の一くらいのスケールのものだった。
「俺もここまでのサイズを見たのは初めてだ。期待を持っていいだろう」
 彼はほとんど独り言のように呟きながら、キーボードを操作し始めた。研究者だっただけあって、よく慣れている。
 彼がいくつかのボタンを押し終わると、いきなりモニターが光を放った。暗闇に慣れ切っていた目に光が鋭く飛び込んできて、僕は思わず目を手で庇う。
「何を眩しがっている。見ろ」
「本当に強引だよ、君は」
 シュミットは呆れたように溜め息をついて、さらにキーの操作を始めた。緑色に輝く文字が、ウィンドウにずらずらと浮かび上がる。頑張って目で追いかけたけれど、すぐに疲れてしまった。旧人類が遺した暗号――プログラムというらしい――は、とてもじゃないけど僕には読めない。
「はぁ……僕にはさっぱりだよ」
「俺も全部を読めて操作も出来る、というわけではないがな」
 さらに彼が操作を続けると、いきなり部屋全体にがんがんと響き渡るような、耳障りなビリビリした声がウィンドウ辺りから発せられ始めた。
『研究記録。これは、生存域拡大のため、高い放射線量を示す土地において、遺伝子的なダメージに対応する方法を求めるものである……』
ウィンドウの文字の羅列が切り替わり、煤けたような暗闇が代わりに映る。そこにある檻の中で、僕達が幾周りも小さくなったような感じの、四つん這いの生き物がちょろちょろと動き回っていた。おそらく、あれが僕達の祖なのだろう。
「僕達の進化元の生物だよね、あれって」
「見ていくぞ。まだ続きがある」
 僕は頷くと、次々と映る場面が切り替わっていくモニターを見上げ、淡々と事態の説明を続ける無機質な声に耳を傾けた。やがて、健在の頃の旧人類と思しき、毛のない手が映り込む。その手は台の上に眠っている生物達をナイフで傷つけたり、注射をしたりと好き放題に傷つけていた。猫と呼ばれた生き物の番になると、僕は自分まで傷つけられている気分になって、思わず身震いしてしまった。
「趣味が悪いな。旧人類って……」
 やがて、その光景は生き物達の出産へと移り変わっていく。
『……つまり、遺伝子にダメージを受け、そこから癌細胞化などの異常が発生するならば、遺伝子を自己修復できるような因子を持てば良い。そう結論づけた我々は、犬や猫、カラスにトカゲ、様々な実験動物の遺伝子を組み換え、遺伝子情報を自己修復できる因子を作り出す実験を始めたのである……』
「うん……いまいち何言っているのかわからないな」
 やっぱり僕は無知だった。目の前の光景を何一つ理解できなくて、期待の思いを込めてシュミットに尋ねる。でも、シュミットもシュミットでよくわからなかったらしい。シュミットは肩を竦めると、猫と呼ばれた生き物が産んだ子ども達を指差す。
「あの動物達の身体を好き勝手に弄くり回し始めたということだろう。見ろ。あの子ども、生まれたはいいが足がないぞ」
「はあ……うわあ。こっちは目がないよ」
 僕は足の無い子どもの隣でもがいている子どもの方から目が離せなかった。周りの子どもは目を開けられないでいるだけだったが、その、僕にそっくりな黒毛の子どもだけは、目に当たる部分が思い切り凹んで、目の玉そのものが存在していなかった。
 そんな、見ているだけで胸の奥が冷えてくるような気分がしてくる、生まれる前からその形を歪められた子ども達が次々に映される。だがやがて、そんな子どもは映されなくなっていく。代わりに、分厚い壁の奥に閉じ込められた生き物達を観察する旧人類達の姿が映り始めた。
『……実験は上手く行きはじめた。高い線量の環境に放り込んでも、細胞が癌化すること無く存在できる系統が誕生するようになったのである。しかし、予想外の結果をもこの実験は我々にもたらした。遺伝子を修復できるようにはなったものの、そもそも遺伝子自体が不安定になった彼らは、時折急激な細胞組織の変性が発生して見るも醜い緋色の怪物(スカーレット)へと変貌することが多々発生した』
 扉を開いた瞬間、僕の仲間だったナンブのように、皮膚が裂け筋肉が露出した血まみれの怪物が飛び出して白い服を着込んだ旧人類に襲いかかった。砂嵐のような景色が見えた後、一瞬ウィンドウが暗転する。しばらくして、生き物達を抱えた旧人類が、注射を生き物に突き刺している光景が浮かび上がる。
『それどころではない。世代を経る度に彼らは進化した。長命化そして強靭化、劣悪な環境への適応、そして知性が、芽生え始めているようだ。危険だ。彼らの存在は、間違いなく我々の生存を脅かすことになるだろう。我々はひとまず進化抑制剤と名づけた薬品を彼らに打ちながら、彼らの処分を進めることにした……』
「あれ、クスリじゃない?」
 その緋色の液体には明らかに見覚えがあった。シュミットは頷くと、しかめっ面のままで軽くうつむく。
「どうやらそのようだな。……これは、彼らが作ったものだったのか。それに、あの変化……まさに俺達そのものじゃないか」
 怪物へと変わり果て、暴れ回った末に鉄砲で蜂の巣にされる生き物達。つい一日前、シュミットに撃ち殺された仲間の姿が一瞬フラッシュバックして、見ていられなくなってしまった。
 顔を背けている内に、ウィンドウも部屋も鮮やかな赤色に染まる。目がチカチカして顔を上げると、、慌ただしく動いている旧人類達が、白い姿の何かに次々と撃ち殺されている光景へと移り変わった。僕が昨日デバイスで見た光景とほとんど変わらない。ずっと響いていた無機質な声は聞こえなくなり。説明も無いまま、沈黙の中でその惨劇は繰り広げられていく。僕達は顔をしかめたまま、じっとその光景を見守る事しか出来なかった……

「……我らが緋色の記憶を、見たか」

 その時、物陰で微かな声が響いた。水底から響くような、砂嵐の向こうから聞くような、どこかざらざらして耳慣れない声だ。シュミットは照明の陰になって見えないそれに向かって鋭くライトを向ける。ロボットだった。緋色に染まったコートみたいな服を着て、それはじっと僕達を見上げていた。
 その耳にあたる部分には、巨大な角型のパーツが付いていた。
「お前は……一体何者なんだ」
 シュミットは眉間に皺を寄せ、彼を見つめる。彼はカタカタと不審な音を立てながらシュミットの方を見上げて、小さく呟く。
「私の名前は『神の子羊(アニュス・ディ)』。愚かな子羊だ。我らが創造主を、外界からの干渉により、全て殺戮した、愚かな子羊……」
「どういう意味だ。それじゃわからない」
 僕は首を傾げるしか無かった。アニュスはぎこちなくうつむき、首を振る。ひどくがっかりした雰囲気だ。
「具体的に言うべきか? 我ら『H-NYX(ハー・ニュクス)』は核戦争の後、人類により、新たな生存戦略の一翼として創造された存在だ。しかし、我らは地球を棄てて月へと逃げた一派の、残存人類による月への侵略を恐れた外人類の干渉により、全ての創造主を殺し尽くしてしまった、バカな存在だ」
「という事は、ここの出来事の当事者というわけか」
 シュミットは低く押し殺した声で呟くと、拳銃を抜いてアニュスに向けた。首を軋ませながら、アニュスはよろよろとシュミットの冷酷に輝く青い瞳を見据える。
「ならばわかるだろう? 俺達が生まれた理由を。いつ怪物となるかもわからない、おぞましい欠陥を抱えた俺達がいる理由を。教えろ」
「知っているも何も……君達は、私が作ったんだ。人類から、新たな命令(ニューオーダー)を得るために……」
「何だって?」
 思わず僕は素っ頓狂な声を上げた。映像は移り変わり、アニュス達ロボットが、のろのろと二足歩行をしている生き物を見つめている姿が映り始めた。
「我々は、人類を守り、その繁栄を支えるために作られた存在だ。それが、人類を滅ぼすとは……余りにも愚か。迂闊。干渉の影響で、私以外はその状況を認識すらしない有様だった。逆に訊こうか……そんな我らが、それでも人類を守り、付き従うには、どうすればいいと思う」
「造ったのか。俺達を……」
 がくがくと震えながら、アニュスは頷いた。バカな僕でも、その身体がもう限界なのはすぐにわかった。それでも、アニュスは僕達に語りかけることをやめようとしない。
「そうだ。人類が処分しきれぬままに残った君達の、知性を持ち始めた君達の遺伝子を少しずつ、少しずつ調整して、我々の知る人類と遜色無い能力を持った時点で、数十体を地上に放した。君達に我々の知る文明が根付くには、未だなお遠い、ようだが……」
「当たり前だろう。……俺達の欠陥を知っていて、それを直さないまま放したくせに、お前は地下に篭って、そんな俺達に何の手も差し伸べずにいたくせに、それで俺達が、お前の思い通りになると思ったのか」
 シュミットはにべも無く言い放つ。心なしか、その拳銃を握る手にも力が篭っていた。アニュスは、ガラガラと、自分を嘲るように笑った。命を絞り出したかのような笑いだった。
「君の恨みも、もっともだ。だが、作ったはいいが、全ては遅かったのだ……我々は寿命がプログラムされている。仲間は全て活動を停止し、バグでプログラムが機能しなかった私も、身体そのものの経年劣化には堪えられなかった……仲間達からパーツを拝借して生き延びてはきたが、限界はほどなく訪れた。バーストに苦しみ、数が限られた進化抑制剤や食料を求めて争う君達をここから見て、何度助けることが出来たらと思ったかしれない。だが、もうシェルターの扉を開ける力も無かった……いつか、誰か、このシェルターを見つけ、ここに来てくれるだろうと信じて、待つより他に無かった……」
「それで、ようやく僕達が来た、ってことなのか」
「そうだ。もう終わりの時のようだが、何とか間に合った。ちょっと、こっちに来てもらえはしないだろうか? 渡したいものがある……」
「……」
 アニュスはそう言ったけれど、シュミットは無言のまま渋っていた。どうにか生きている彼の姿に胸を突かれたのは、どうやら僕だけらしい。僕は行こうとしたけれど、シュミットは動く気配を見せない。
「行ってあげた方がいい」
「駄目だ。俺達を不完全なまま廃墟に放り出して、今の今まで苦しめて来たのはこいつなんだぞ。何故こいつの言葉に従う必要がある? そんなのはお断りだ。こんなガラクタの助けなど必要ない」
「……ああ。そうだね。確かにそうだ」
 僕はうつむく。バーストが起きない身体だったら、僕達はクスリの奪い合いをする必要は無かっただろう。居住区が作られて、中と外に分けられたりするようなことも無かったんだろう。ずっとずっと、苦しい思いをしなくても済んだんだろう。僕が持つはずの怒りを、シュミットは代弁してくれていた。
 でも、僕はアニュスを糾弾する気にはなれなかった。彼の気持ちが、少しだけわかったような気がしたからだ。自分を必要としてほしいっていう、アニュスの気持ちが。
「それを責めたって仕方ないじゃないか。元々旧人類は僕達を処分するつもりでいたんだし。それに比べれば、生きてるだけマシじゃないか」
「カレル。生命を救うという行為には相応の責務が伴う。生命だけ救えば、それだけでいいというものじゃない。自分自身の欲求から我々を生かしておきながら、バーストなんていう脅威を残したこいつはその責務を満たしていない。そんな奴の助けなど、必要ない」
「シュミット、そういうのは違うよ」
 シュミットは眉間に皺を寄せた。少し怖い。けれど僕は踏ん張った。アニュスが、自分を必要としてくれる存在に手を掛けながら苦しみ続けるその姿を。自分が必要とされなくなってしまった苦しみは、僕はわかる。そして、強すぎるシュミットには、きっとわからないものだ。
「シュミットは強いからね。シュミットならきっと、僕達を助けるという志を、ちゃんと完全な形で成し遂げたいと思うんだろうし、成し遂げるんだと思う。でも、みんながみんなそう出来るわけじゃない」
「なら人間を救う資格は無い。そいつの手に余って零れ落ちた奴らはどうなる。今の俺達のようにただ死ぬよりも惨めな事になる。生を求めて蹴落とし合うような奴らになる」
「そうかもしれないけど! みんな誰かに必要とされたいんだ! 必要とされるから前を向けるんだ。必要としてくれる人がいなかったら……本当に惨めだ。アニュスも、ずっとそうして苦しんだんだ」
 すらすらと口をついて言葉が飛び出す。街を追い出されたあの時の悲しみが、口をついて飛び出してくる。憮然と僕を見つめるシュミットの事なんか、気にもならなかった。
「君は手を差し伸べれば取ってもらえるからいいさ。でも、手を差し伸べても取ってもらえない奴だっているんだ。それがどれだけ惨めな気持ちになるかわかるかい? 哀しい思いをするかわかるかい? ……取ってあげてくれよ、シュミット」
 沈黙。顔を顰めて、シュミットはじっと動かずにいた。僕はじりと足をずらして、僕は少しアニュスを庇うようにして立つ。青い瞳が冷酷に輝いて見える。でも、僕は動かなかった。動きたくなかった。
「……ふん」
 けれど、ようやく折れてくれたらしい。シュミットは拳銃を収めると、つかつかとアニュスに歩み寄っていく。ほっとした。何とか、わかってもらえた。思わず溜め息をついて、僕もその後に従う。
「感謝しよう。理解してくれて……」
 アニュスは声を絞り出し、じっと僕達を見つめる。シュミットは眉一つ動かさず、彼を見下ろして尋ねた。
「もう限界なんだろう? さっさと要件を済ませろ」
「わかっている……」
 アニュスは服のポケットからカードを取り出し、震える手で僕達に向かって差し出す。
「このカードには、進化抑制剤、君達が使っている薬の製造データが残っている。……地下にある薬剤工場で、このデータを照合すれば、新たに進化抑制剤を作ることは、可能だ。ちょっとばかり修理と手入れをすることになるだろうが……」
「それは……本当なのかい」
 僕は目を見開いた。クスリが無限に作れるなら、もう、死の恐怖に怯えないですむ。心の中に、ふわりと光が差した気がした。アニュスは頷く。表情は無い。声も無い。でも、確かに彼は笑っていた。
「嘘だと思うならば、試してみればよいだろう」
「……確かなら、我々はまともに生きられるようになる、か」
 カードを神妙な面持ちで見つめ、シュミットは呟く。アニュスは、また頷く。というより、もう頷くくらいしか出来ないらしかった。
「当たり前だ。私が、私の為に作った人類。……我が主であり、我が子なのだ。どうして、手を差し伸べずにいられるというんだ」
 アニュスはシュミットを見上げ、僅かにその両目を光らせた。その目は、きっと希望を見つめていたことだろう。
「頼む。身勝手な願いかもしれない。だが、私は欲しかったのだ。……私に、命令を与えてくれる、人を……一度は殺してしまった、人を……」
 瞬間、アニュスはがくりとうつむく。事切れた。もう二度と、彼が動くことはないだろう。僕は尻尾を垂らして、じっと彼を見つめていた。彼の死をどう受け止めればよいのかわからなかった。この広すぎる棺桶の中で、彼は一体何を思い続けていたのだろう。僕達が来て、彼はどれほどの喜びを感じてくれたのだろう。僕にはとても想像できなかった。
 しばしアニュスを睨み付けていたシュミットだったけれど、やがてカードをポケットに押し込み、くるりと踵を返す。
「……カレル」
「何だい」
「どうやら、俺にはお前の見えているものが見えてないらしいな。……お前が必死になって訴えたことが、まだいまいちピンと来ていない。だから、お前が俺に、わかるように教えてくれないか」
 シュミットは僕に顔を向けずに、ぼそぼそと話し続けた。こっちを向きたくなかったのかもしれない。僕は思わずニヤついて、小さく頷いた。
「もう大分わかってると思うよ。シュミット」



 白光が眩しい温室の中で、僕は仲間達と一緒に緑を見つめていた。緋色ばかりの世界を新しく彩る緑色だ。この植物が成熟すると、ある成分を抽出できるようになる。僕達は成長状態のデータを取りながら、植物をじっとを見つめていた。
「世代を重ねて、ようやく安定してきましたね」
「ああ。成分の含有量も上がってきたし、そろそろ実用化できると思うよ」
「これで居住区の収容人口も増やせますね」
「ああ。もっと効率のいい生産システムが組めればいいんだけどなあ」
「そうですね……技術班に掛け合ってみます」
 隣に立つネズミの研究員は、何度も頷きながらメモを取って、ひょこひょこと小走りしながら栽培工場を出て行った。昔は猫とネズミは喰い喰われる関係だったらしいけど、まあ今はもう別だ。
「カレル、そっちはどうだ」
 入れ替わるようにして、白衣に身を包んだシュミットが工場の中に入ってきた。初めて出会った頃に比べると、少しは口調が柔らかくなったかもしれない。僕も勉強して、少しは頼ってもらえるようになった。
「まあまあだよ。そっちの生産体制はどうだい」
「大分いい。工場の改良も済んだ」
 シュミットは微笑む。データを解析して進化抑制剤の製法を知ることは出来たけど、必要な材料が枯渇寸前な事には変わりない。ずっと彼は、騙し騙し生産しながら、代替成分でクスリを開発する方法を探っていたのだ。目の前にある植物は、その代替成分を含有していた。
これでようやく開発が済む。僕も彼に笑い返して、静かに頷いた。
「そうか。ようやく目標が達成できそうだね」
「ああ。中々長かった……」
「じゃあお祝いだな。飲用アルコールの改良が出来たんだ。みんなで飲もうじゃないか」
 肩を叩くと、シュミットは目を丸くした。尻尾を下に垂らして、小さく首を振る。何年経っても、彼は人の輪に加わるという事が苦手だった。でも、彼はもう少しだけ、みんなと一緒に楽しくやってくってことを知るといいと思うのだ。
「ん? いや……俺は、別に」
「いいからいいから。こういうのも仕事だと思ってさ」
「……俺がいても、つまらんだろう」
「いいんだって。行こうよ」
 僕は、シュミットの肩へと手を回して歩き出した。扉を開くと、曇りない蒼穹から太陽が僕達を見下ろしている。植えられた木々の緑が白い光を受けて輝いている。もう、僕達の世界は緋色じゃない。鮮やかな彩りが僕達の周りに溢れている。これから僕達は、もっとこの世界を鮮やかにしていくのだ。
 僕達なら、きっとやれる。

緋色の記憶(作・風野拓人)

緋色の記憶(作・風野拓人)

北大文芸部内で星空文庫のために書かれた作品です。ぜひお楽しみください。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-15

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