船岡山(作・キュアセブン)

今は昔、村上の御時の話である。
 都の外れの船岡山は、亡き人を納め葬る処として知られていた。辺りは時期に構わずいつも寒々と物寂しく、昼ですら人気なく夜ともなれば往来はとんと絶えてしまうような場所だ。生い茂る木草の露さえ何となく異所のような奇怪さを湛え、木深き松の風は、野寺の鐘のように不気味に一帯を震わせている。天狗や木霊という物怪共も、こういった場所にこそ棲みついているのだと察せられて、京の人々からは疎まれ、恐れられていた。
山の奥へと分け入ると窪地があり、数基の塚が現れる。そこには稀に訪れた人によって供物が捧げられている。かの乞食は、そんな供物を目当てに船岡山に居ついていた。
 垢に塗れた弊衣に、筵を纏っている彼は、山の中腹にぼろ屋を構え、一日々々を貧しいながらも何とか耐えしのぎ、生き延びていた。身寄りもなく土地もなく、立身出世をなす程の才覚もない。若いころは自慢であった顎髭も齢四十を迎えてからはすっかり細まり色褪せて彼の貧相さを一層、強調するものと成り果ててしまっていた。
 平生は雑草や木の実に鳥の死骸を食らい細々と生を繋いでいたが、いつでもかように食べる物が手に入るとは限らない。三日も飲まず食わずとなる場合もままあった。そんな際彼はきまってその窪地に向かい、墓荒らしじみた真似をするのである。塚を掘るのには、長年使い古して今や刃先のすっかり損じてしまった鍬を用いた。で、飯の種は勿論の事、金に換えられる物は全て掘り起し、包みにつつんで、塒にまで持ち帰るのである。彼が京に降りるのは、それらの盗品を売り捌く時くらいだ。ただ彼には商才もないため、折角の宝玉なども安値で買い取られてしまうのが常であった。

 秋の暮れ方――乞食は、山道を歩いていく人の音を聞いた。複数人の足音である。窪地に続く獣道と彼の小屋はさして離れていない。
然し、夜も間近の時分にわざわざ船岡山に入ってくるとは、何とも物珍しい。はじめ、何かの物怪の類かとも案じた。ただ、それを気味悪く思うには、彼はあまりに船岡山に馴染みすぎていた。何しろ十数年来、山奥に住み込んでいるのである。根無し草の乞食にとって、かの山はある種の故郷であると言って良かった。
 ちょっとした好奇心から、彼は小屋を出ると、人気のする方に近寄っていった。茂みの奥に屈んで身を隠し、息を殺して、小道に目をやる。注意すると女のすすり泣きも聞こえた。周囲はすでに薄暗い。やがて彼の潜む茂みの真ん前を幾人かが通っていった。棺がちらりと見えた途端、しめた、と乞食は思わず北叟笑んでいた。事情は知らぬが、どうやら新たに塚を設ける気であるらしい。これでまた飯や金の蔓が出来るというものだ。乞食は葬列に少し遅れて、忍び足で彼らを追っていった。目算、十人程が葬列に加わっている。
 やがて乞食は窪地を見下ろせる場所に立って、彼らの様子を観察した。月のさやかな晩であった。案の定、彼らは塚を作ろうとしていた。といって、動いているのは下人らしき男らだけである。大方は棺を取り囲み、皆顔を袖で覆っている。棺の大きさから推測して、中に入っている骸は赤子ほどであろうと、乞食でもわかった。棺に最も近く寄り添って、一際激しく涙雨を降らしているのが、その母に違いない。父と思しき男は一方で、棺に寄り添う人々から少し離れて、今や狂わんばかりに黙然と打ち震えていた。
「世の中を何にたとへんと順朝臣の詠みたりしも、かかる時にこそ」
 女の声があった。乞食はその言葉の意味を解しかねた。彼女の引いた和歌は源順という歌人の〈世の中を何にたとへん風ふけばゆくへも知らぬ峯のしら雲〉という一首であるのだが、乞食に和歌の素養などあるはずもない。彼はただ彼らの悲しんでいる風な光景を、鼻白む気持ちで見下ろしていた。棺の周りで人びとは様々なことを話し合っている。その声は否応なく乞食の耳にまで届いた。赤子の死因は、都で流行し始めた感冒だという。ただ、それを聴いても彼の心は一切の同情を起こさなかった。その興味は単に棺の中身にしか向いていないのだ。彼はひたすらに人の去るのを今か今かと待ち望んでいた。
その内に夜は更けて、空気も冷たさを帯びていった。薄着には堪える時節になったものだと、これから来るであろう寒さを思うと、彼は暗澹たる気分になってきた。今年の冬は、生きてゆかれるであろうか。年ごとに老いてゆく我が身を憂えると、彼はどうしようもない恐怖に脅かされる。全く躰が言う事を聞かなくなる時分を想像すると、身の毛もよだつ思いになる。乞食は、ひもじさに喘ぎつつ生きている我が身を、否でも応でも、今まさに埋められんとしている棺の中の児と、引き比べずにはいられなかった。若しやすると、何事にも心得ずに生きて来られたであろうかの児のほうが、己よりもいくらか幸いかもしれぬ。葬られんとする児の出自は殆ど想像も付かない。然し棺の中に秘められた赤子と自らの不遇を重ねる時、乞食は自らの生を、忌まぬ訳にはいかなかった。すると先まで恐れていた老いと、それに伴って近づいてくる死を歓迎する気が湧くのを、抑える事は能わなかった。死にたいのならば、飢えればいい。飢えたいのならば、物を食らわなければいい。或いはいっそ赤子を殺した感冒に罹ってしまえばいい。そこまで考えて乞食は、こうして墓泥棒の機会を狙っている自分を意識すると、妙な感を抱いた。己は生きたいのであろうか。それとも死にたいのであろうか。彼はほとほと何が何やら分からなくなって、それより深く物思うのを止した。物憂い秋の夜長だった。
果たして塚が仕上がり、人々が引き揚げていったのは、夜半を過ぎてからである。
新たな塚の場所は憶えていた。窪地の中に入るといきおい彼はその場に駆け寄って、塚を掘り返していった。鍬を持ってこなかったのが惜しまれたが、作ったばかりの塚の土は柔らかく、手でも容易に掘りあばく事が出来た。
乞食は土を掻き分けた末に棺を手にして、その蓋を無理やり開けた。衣服やこまごまとした調度を取り出すと、それらを持って帰るべく、自らのぼろの内に入れた。供物を除けたところで幼子の死骸が露わになる。彼は誘われるように、その小さな顔に目を向けていった。棺に入っていなければ、死んでいるとも思われない。一文字に締まった口元に、乞食は幼いながらも秘められている高貴さを見た。
その時である。
ぱちり、
と唐突に幼子の眼が開いたのだ。
不意を衝かれて乞食は棺を取り落さんばかりに驚いた。息も止まった。まだ物の文目も知らぬであろう児の瞳は、辺りを縦横無尽に見回して、終には、乞食と眼が合った。
夜寒の所為か乞食の体がぶるりと震える。瞬きさえ出来ずにいた。一方の赤子は、暫く彼を見つめた後、一つくしゅんとくしゃみをしたかと思うと、ゆっくりと瞼を閉じていった。然しそれは眠っただけのようである。寝息が何よりの証だった。赤子の口から飛んだ唾が、彼の顔に変な生温かさを残していった。
 処置を如何にするか一寸、困った。放っておけば、野たれ死んでしまうに相違ない。さりとて親の元に帰すのも難儀である。また、万一この児の素性が分かったとして、彼の話を聞き入れてもらえるとは到底思えなかった。この親共は、すでに児が死んだものと思っているのだ。この幼子を生かすには、つまるところ、彼自身が養い育てるより外に道がないだろう。ただ、乞食にはそれをなし得る程の財力も飯もなければ、そうすべき義理もなかった。
 児は、薄汚い乞食の胸に抱かれている事を塵も厭わず、すやすやと寝入ってしまっている。
 その安らかなる寝顔に乞食は何を思ったか、棺を地に据えると、赤子を中に寝かせて、やおらその首を両の手で絞めた。抵抗はなかった。息絶える様を見届けようと、乞食は半ば睨むような具合で赤子に視線を送っていた。眼を反らしてはならぬ。そう念じて一心に指先に力を込めてゆく。
事は、ものの数秒で切れた。寝息はかくて途絶えた。赤子をもう一度棺ごと抱えなおすと、今更に軽く感ぜられた。船岡山の静寂が急に強まった気がした。
己は狐に化かされでもしたのであろうか、又は児が元々生きながらにして埋められてしまったのか、それとも見えざる何者かの手によってこの世に舞い戻ってきたのか――乞食には見当もつかない。一つ判然としているのは、彼が手を下したという事実である。不図、その殺めた瞬間を乞食は恐ろしいものに触れでもするかのように回顧した。と、内に潜む心良き慈悲と忌避すべき怪物との奇妙な調和が、そこに在る事を自覚せねばならなかった。どうであれ彼には得体の知れぬ心持であった。
 懐から先刻盗んだ物を取り出し、乞食はかの骸の上に被せた。そうして改めて蓋を取り付け、穴の底に沈めるとすぐに土で埋めてゆく。数刻かけてようやく、塚を元通りになし果せた。
暫しの間、その場に黙って立ち尽くしていた。振り仰ぐと木々の狭間に覗く彼方の峯を、一片の横雲が秋風に吹かれ過ぎようとしている。闇深い船岡山にも朝の気配が迫ってきていた。
己は生きようとしているのか、将又、死のうとしているのか。
乞食はそんな事を二たび思いあぐねていた。彼の思考など露知らず、腹の音は一番鶏の如く野山に鳴り響く。躰は、如何したって生きねばならぬと告げているのであった。乞食は塚の前から踵を返すと、一目散に住処への道を辿った。一昨日に蓄えておいた食料はまだ底を付いてはいないはずだ。彼は後どれ程持つか胸算用をしてみた。
――どうやら、未だ少しは生きてゆけるようであった。

                         (了)

船岡山(作・キュアセブン)

船岡山(作・キュアセブン)

北大文芸部で星空文庫のために書かれた作品です。お楽しみください。

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-15

Copyrighted
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