【黒歴史掌編シリーズ】短冊に書く願い(2011年7月)
短冊に書く願い
――ここは星がよく見えるな。
手入れでもされているのだろう。草が綺麗に生え揃っている河原で空を見上げている男がいた。
男は夜空を見てため息をつく。
(七夕だから短冊って安直だよなぁ……)
男は一枚の短冊用の紙を手に持ち、空を見てまたため息をついた。
(明日までか……何書けばいいんだろう……)
何も書かれてない“それ”を見て、三度目のため息をつく。
「悩み事ですか?」
「うわぁっ!?」
いきなり横から聞こえた声、横を見た男は一拍分遅れてやや裏返った声をあげた。
「そんな声上げられたら、私が驚くじゃないですか」
小さな笑みを浮かべながら淡々と男を見るスーツ姿の黒いショートカットの女性。
淡々としているその姿に、納得できる要素を見出せそうにないと思いながら、男は否定の言葉を飲み込んだ。
(いつの間に横に座ってた!?)
そんな思わず問いただしてしまいそうな事もついでに飲み込んで。
「悩み事ですか?」
つい数分前にも聞いたような、テープを巻き戻したかのような同じ言葉をもう一度聞く。
「悩み事というか……」
語るにはあまりにも自分の悩み事は小さいのではないか。
そんなことを思い、男は思わず言いよどんでしまった。
「私で良ければ聞きますよ?」
「うーん……」
――話を聞くまで帰らないつもりだろうか?
(夜も遅いというのに……大丈夫なのかな?)
「帰るところだったら申し訳ないし……」
だから、男は“申し訳ない”と伝えることでその場を逃れようとした。
「私は今日は星を見て過ごす日なので、心配いらないですよ」
さらっと。
そのまま流れていってしまいそうなほど軽く言われてしまった。
(夜も遅いのに……危機感はないのだろうか?)
しばらく経った後。
「七夕、短冊に願い事書けって言われたら何を思い浮かぶ?」
“観念した。”そう言わんばかりにうな垂れて、男はため息と共に言葉を吐き出した。
「そうですね……」
空を見上げ、しばらく沈黙。
男は次に言葉を発するまで、同じように空を見上げる。
「……私は
“今日も明日も明後日も。ずっとこの綺麗な空が見れますように。”
そう書きます」
男は声が聞こえた方を見た。まじまじと見てしまった。
「何か変なこと言っちゃいましたか?」
まじまじと見られて気恥ずかしくなったのだろうか。
女性は、はにかんだような小さな笑みを浮かべて男を見た。
男は首を横に振る。
「考えもつかない俺よりずっと良いと思う」
男は言い終えるとまた空を見上げる。
「会社でさ、七夕に短冊を飾るらしい。
いい大人が何をしてるんだろうなと思いつつも明日までに書いて来いって言われて。
でも、何も思いつかないから、ずっと空見てた」
不思議と言葉になったことに、男は自分でも驚いていた。
ずっと曇り空だったのが突然晴れたような、そんな心持ちだった。
「1年に1度。良い事だと思いますよ」
「そうかな……」
たとえ1年に1度だとしても。
男には短冊に願い事を書くことが何故良いことなのかがわからずに、また空を見上げる。
隣で同じように空を見上げたような、そんな気配がした。
「織姫と彦星は1年に1度しか会えないんですよ?」
「その話は知ってる」
男自身は、あまり伝説は興味がなかったが、よく祖母が聞かせてくれたので覚えていた。
「きっと毎年
“来年も会えますように”
って書いてると思います」
その言葉に、男はまじまじと見てしまった。
空を見上げている女性の横顔を見て、少しだけ、暑くなったような気がした。
それからまたしばらく経って。
お互い空を見上げたまま、穏やかに時が過ぎていた。
男は立ち上がり、軽く伸びをした。
「明日も仕事だからそろそろ帰って寝るよ」
「お疲れ様でした」
小さな笑みを浮かべたまま、小さく手を振る様子を見て。
一人残すのも気が引けたのだろうか。
男は、伸びを終えると、また元の場所に座った。
しばらく言いにくそうに言葉を詰まらせつつも、はっきりと言った。
「やっぱり、ここにいる」
そして、また空を見上げる。
「大丈夫ですか?」
気遣いだろうか。心なしか声が穏やかに聞こえる。
「まぁ、書く内容も決まったから」
空を見上げたまま、ぽつりとそう呟いた。
「良かったです」
本当に喜んでいるのか、穏やかな声色ではわからなかったが、都合の良いように解釈しよう。
男は、そう思い、女性の顔までは見ることはなかった。
* * *
―いつの間に寝ていたのだろう。
気づくと空は明るくて。
隣にいた人はいなくなっていた。
(まだ間に合うな)
腕時計を見ても、会社には充分間に合う時間で。
――外で寝ていたというのに、よく寝た気がする……。
天気はあいにくの曇り空だったが、心はどちらかといえば晴天で。
足取り軽やかに会社への道を男は歩いていった。
(これでいいかな)
会社にて男は短冊を飾り終わるとその日の仕事を始めた。
書いた短冊の内容までは誰にも言わなかったが、それでいいと思っていた。
短冊が僅かな風で少し揺れる。男が書いたものだろうか、少し無骨な字が見えた。
“昨日の彼女に来年もまた会いたい 橘 宗太郎”
たまたま通りかかった一人の女性がそれを見つけた。
(昨日の……あの時の!)
女性は思い当たる節があるのだろうか。
ちらりと辺りを見回して、同じ名前の名札をした男を見つけた。
男はどうやら真剣な顔でモニタに向かってキーボードのキーを叩いていて、女性に気づいていないようだ。
(これから口実見つけてたまに来ようかな……)
小さな笑みを浮かべたまま、女性はそのフロアを出て行く。その足取りは軽い。
さきほどまで女性に見られていたことに気づいていないのか、男はキーボードのキーを叩きつつも、今朝短冊に書いた願い事について考え事をしていた。
(本当は来年じゃなくて、もっと頻度高いといいんだけどなぁ……)
考え事をしている男が、あの時の女性に会えるまでは、来年ほど遠くはないのかもしれない。
【黒歴史掌編シリーズ】短冊に書く願い(2011年7月)