写真家と少女

 近くにあるショッピングモールにぶらりと寄ってみる。臨時美術展がやっていて男の太ももの写真がたくさん並べられていた。多くの人が足をとめて観賞している。
 白髪でありながら、まだ顔は青年というアンバランスな風体をのせた車椅子がキュッキュッと床を滑りながら縦横無尽に走り回っている。係りの人だろうか?桃色のブレザーを着ている老女が「先生落ち着いてください」と大声をあげた。多くの人が注目する。中には、芸術を鑑賞する時間をじゃまされた、とにらむ人までいる。実際、その太ももは、毛がびっしり生えた醜悪なものから(もっともある人にとってはそれは美点のひとつになるだろうが)、筋肉美と人工的な(完全脱毛したように見事に毛がない、毛穴さえ見えない)肌によってつくられた伝統的な美観念を主張し続けるものもあった。ある写真で、じっと立ち止まっている少女がいる。白髪車椅子の「先生様」は、その少女にいたく興味をそそられたよう。少女が一心に写真を眺めているのを後ろから写真を少女を構図に入れんばかりに、凝視しだした。その少女の後ろ姿はミニスカートからのぞく太ももと写真の「やせこけた」病弱そうな太ももとの対照が、光と影のようにコントラストを描き出している。「この写真が気に入りましたか?」先生は少女にとうとう声をかけた。少女は、写真(太もも)から目を離さずに、大きなため息をついて、まくしたてる。「It's a beutiful poem.And you are very expensive experience man.」先生はその英語の発音がひどくなまっていたのもあったろうが、英語がしゃべれないらしい。すぐに老女のほうを見て助けをこう。老女は立っていた壁沿いから優雅に(バレエダンサーのように背筋を伸ばして)歩いてきた。少女と2、3言交わす。先生は「なんて?なんて?」としきりにうながす。老女もまたため息をつく。「先生の作品はすばらしいそうです。特にこの太ももは高価な詩のようなものだとおっしゃっています。しかるに、先生。この太もものモデルをたずねておられますが?」老女の言葉が終わると、先生の白髪の一本がきれいに清掃された床に落ちた。そのとき、少女が振り向いて車椅子の先生を見た。(見たというより、目に入った。やはり少女の心は未だにすこし毛の生えた太ももにあった)「ああ・・・・・・」少女は一気に50近く老けてしまったようだ。疲れといらだちを表情に浮かべて、歩み去る。「This is mine!!」先生はカタコトの英語でそう言うと、去っていく少女に動かなくなった足の太い部分(すなわち太もも)をさらけ出した。しかし、少女は振り返らなかった。先生の太ももが少女を変えてしまったのだ。翌日も個展は開かれたが、少女の姿は二度と現れなかった。それから先生は、いつものように太ももを撮り続けた。そして、また個展を開いた。その個展にも少女はいなかった。代わりに太ももを見つめる1人の女がいた。その女は先生を見て、やはり笑わない。老女は気付いていたのだろうか?何かの運命が、ここには働いていることを?どうしようもない先生のどうしようもない個展が、人に決断をさせる、意味を知るがいい。「どこにもない太ももってなんだ?」先生は20年後髪のなくなった頭で考え出した問いを解決することなく亡くなった。翌日先生の個展には一枚の太ももの写真が届いた。女流太もも写真家(アレノ・ランドウィル)とあった。その名前を見て、老女(いつまでも年をとっていない)は、うらやましさとともに、哀れを感じて、涙した。彼女の前途は明るい。でも、どうして、あんな道を選んでしまったのか。因果律を逆からたどっても無意味と知っていた。でも、老女はたどっていった。老女は自分があの日の少女だったと気付いてしまったのだ。それから老女は自分を愛する技を手に入れた。そして、過去を見つめる術を経験した。それから、自分を許したのだ。先生の墓は、鳥取の砂丘近くの墓地にある。骨は入っていない。骨となった太もも写真を撮ったアレノが今も大事に持っているだろう。その他は先生の写真の現像に使われた。色よい写真ができあがるのは先生の執念だろうか。ただ混ぜただけで何も変わるわけもないのに・・・・・・。

写真家と少女

写真家と少女

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-14

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