夢の砦

 夢の砦に恋人がいるのだけど、そもそも夢の砦というのは夢の中に出てくる建物で、砦といっても単なるコンクリートのビルで、夢みたいにかわいいとか、夢のようにお菓子があふれているとか、蛇口をひねるとチョコレートドリンクが出てくるとか、欲しいものが発声しただけで現れるだとか、そんな夢みたいで夢のような場所などではない。空がパステルカラーの三色から成ることと、夜がないこと以外は現実の世界となんら変わりない。住人も文化も風景も。
 夢の世界には眠らなくても行ける。
 ぼくは十秒、目を閉じるだけで行ける。一分かかる人もいれば、三秒で行ける人もいると聞く。まばたきをしただけで行ける人もいるそうだが、それでは現実での生活に支障をきたすのではないだろうか。ぼくはまだ遭遇したことがないが、恋人はときどき街で光の明滅のように消えたり現したりを繰り返している人を見かけるという。
 恋人のことであるが、どうして彼が恋人になったのかは不明なのだった。
 夢の世界に初めて降り立ったときにはすでに彼はぼくの恋人として、ぼくの目の前に現れたのだった。当然のようにぼくのからだを抱き寄せ、くちびるにキスをしたので、ははァん、彼はぼくのコレなのかと心の中で小指を立ててみたりした。彼は髪が長かった。ライオンのたてがみのようだと思ったから、こっそりライオン丸と呼んでいた。ほんもののライオンではなくて、イラストで見かけるふっさり広がったライオンのたてがみであった。
 さて、恋人もぼくも夢の世界でミルキーパープルの空がいちばん苦手なのだが、ミルキーパープルの空の日がここ何日か続いている。薄紫色の空に天使が大量のミルクをこぼしたのが起源だと聞いたが、実にはた迷惑なことをしてくれたものだなと思う。いいかげん胸やけがするねと言ったら、恋人も深く頷いたのだった。
「琥珀(こはく)には似合わない色だ」
 ミルキーパープルの空とぼくを交互に見やり、恋人はさらに頷く。
 ぼくは恋人に「琥珀」と呼ばれている。
 ぼくのほんとうの名前は「光太郎」である。
「こ」しか合っていないが、ぼくを「琥珀」と呼ぶときの恋人の顔が好きなので、あえて正さないでいる。
「そういえばペンギンの団体が来たよ。昨日ね。たくさんの氷を売りにきたから、冷凍庫がいっぱいになるくらい買った。あとでかき氷作ってあげるからね、好きでしょ、かき氷」
 恋人ははにかんだ。
 ぼくは特別かき氷が好きだと彼に宣言した覚えはないのだが、どうやら前にかき氷の屋台で一緒に食べたそれを彼の方が気に入っているらしかった。
「ありがとう、うれしい」
 ぼくは笑い返した。
 きょうは夢の砦ではなく、夢の砦から数分歩いたところにあるファストフード店にぼくは現れた。ぼくが現れることが感知できるらしい彼は、ぼくが現れたテーブルの向かい側に座っていた。恋人は相変わらずライオンみたいな頭をしていて、オレンジの髪には艶がなかった。
「それと琥珀、そろそろわたしの家に住まないかい?キミのための部屋は用意してあるし、家具も揃えたよ。あとは琥珀次第だ。わたしを選ぶか、わたしの存在しない世界を選ぶか」
 バニラシェークをずずっと啜る。恋人の瞳は金色をしている。オレンジ色の髪に金色の瞳を持ち、肌の浅黒い恋人には実にミルキーパープルの空が不釣り合いだ。バニラシェークをずずずっと啜る。恋人が、ぼくの返事を待っている。
「バニラシェーク買ってくれたら、一緒に住んでもいいよ」
 窓の外で鳥たちが騒いでいる、もうすぐパステルピンクの空になるよって。
 ミルキーパープルの空がパステルピンクに変わったら、ゆびわを買いに行こうではないか、恋人よ。
 ぼくはバニラシェークを買いに行く恋人の背中に向かって、心の中でそう言った。

夢の砦

夢の砦

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-13

CC BY-NC-ND
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