無剣の騎士 第2話 scene4. 脈玉

このタイトルは本来ならもっと早めに登場するべきだった気がするけど気にしない。

 アストリアの現国王、マクシミリアン・セシル・プロ・アストリアはもう何年も病の床にあった。毎日のように王家付きの医師が往診に訪れては癒しの脈玉で治療をしていくのだが、病状は一進一退の繰り返しであった。小さな怪我や軽い風邪であれば脈玉の力ですぐに回復するのだが、病弱な体質を改善するほどの力はないのだ。脈玉も万能ではない。
 比較的時間に余裕のあるシェリアは勿論、多忙なエドワードでさえも父王のもとを見舞いに訪れることが多かった。もっとも、エドワードの場合は、政治上の判断を仰いだり相談を持ちかけたりするためでもあったが。

「お加減は如何ですか、父上」
 エドワードが声を掛けると、王はエドワードを見て微笑み返した。
「今日は悪くない気分じゃ」
「それは良かったのじゃ」
エドワードの隣に付いて来たシェリアもつられて笑った。
「わしのことはよい。民の方はどうしておる?」
「はい、概ね、つつがなく。――ただ、幾つか気になる動きがありますが」
「気になる動きとな?」
王は眉間に皺を寄せた。
「はい。脈玉の鍛冶職人たちの中に、ウィンデスタールとの同盟に反対する勢力が未だくすぶっているようなのです」
「あの組合(ギルド)はまだ内部で分裂しておるのか……」
一部の鍛冶職人たちは前々から、ウィンデスタールに脈玉の製造技術が流出すれば自分達の仕事がなくなるのではないかと危惧していた。当然の結果として、彼らはウィンデスタールからの留学生受け入れにも公然と反対している。
「ウィンデスタールと同盟を結んだのは、もう半年も前じゃろう?」
シェリアは戸惑うようにエドワードの袖を掴んだ。
「うむ、そうだ。だが、反対派は同盟を結ぶ前から既に存在していた」
「フェリックスとオークアシッドの一派じゃな……」
「はい。ただ、叔父上と義父上が職人達の動きに関わっておられるかどうかは、分かっていません」
 フェリックスとオークアシッドはリヒテルバウムと親交を深めるべきだと主張する大きな対抗勢力を率いており、そんな彼らにとってウィンデスタールとの同盟は受け入れ難いものであった。
「ウィンデスタールからの第一期 留学生達は約一か月後に卒業を控えております。そして彼らが帰国するのと入れ替わりで、第二期生が来ることになっています」
「ふむ、反対派が動くならその頃合かの。留学生達の警護を強化するよう、伝えておくのじゃ。加えて、それまでの間に不祥事を起こして連中に攻撃材料を与えることがないように気を付けよ」
「承知しました」
エドワードは手元の書類に王からの指示を書き留めると、継いで頁をめくって別の書状を取り出した。
「父上、別件なのですが。昨日、ウィンデスタールから使いの者が到着しまして」
「ウィンデスタールからとな? 何用じゃ?」
「はい、この書状によりますと、我が国からウィンデスタールへ輸出されている脈玉入り武器の数が、調印時に合意した数よりも少ないのではないかとのことです」
「真か?」
「この件については現在、ケネスを調査に当たらせております」
 条約が履行されていないとなれば、外交問題に発展しかねない。もしウィンデスタールとの同盟が解かれるような事態にでもなれば、リヒテルバウムが再びアストリアに侵攻してくる可能性さえ出てくる。
「もしや、また戦が酷くなるのかや? エドも出撃せねばならぬのかや?」
シェリアは泣きそうな顔でエドワードを見つめた。エドワードはちょっと困ったような顔をしたものの、首を振って否定してみせた。
「案ずるな。大げさに捉えれば内憂外患に聞こえるかも知れぬが、いずれもまだ小さな芽だ。大きくなる前に刈り取ればよいだけのこと。大丈夫だ」
「ならば良いのじゃが……」
シェリアの顔はまだ曇ったままだ。それを見た王はエドワードに声を掛けた。
「エドワードよ、婚約の儀の折りにそなたに贈った首飾りは、身に着けておるな?」
「はい、ここに」
エドワードは片手を首の辺りに突っ込むと、細い鎖を引っ張って服の中から脈玉を取り出した。その脈玉は戦いのための銀色でもなければ癒しのための真珠色でもなく、硝子のような透明であった。
 邪なものや悪いものを感知し退けると言われる脈玉。他の種類に比べて産出量が極めて少ない希少種だ。王家所有の鉱脈から打ち出されたこの脈玉はこの種のものとしては殊のほか大きく、故に王家の秘宝の一つとされている。
「この脈玉がある限り、エドワードは大丈夫じゃよ、シェリア。我がアストリアの王は代々、この首飾りを胸に難局を乗り越えてきたのじゃ」
王は脈玉を手にとって、目を細めた。かつて自分がこの首飾りを身に着けていた頃のことを思い出しているのかもしれない。
「そういえば、わらわにも婚約の時に受け継いだ脈玉の秘宝があったのじゃ!」
シェリアは懐から短剣を取り出した。
 柄の片面に銀色の脈玉、もう片面には真珠色の脈玉が嵌め込まれている。このように、武器に癒しの脈玉が使われているのは極めて珍しい。これら二つの脈玉は、その力が均等に釣り合うよう精巧に大きさが揃えられており、そのように造るには非常に高い技術力が要求される。故にこれも、王家に伝わる秘宝の一つだ。ただし、エドワードの持つ首飾りが王に伝えられてきたのに対し、この短剣は代々 王家の女性たちに受け継がれてきた。護身用として。
「二人とも、婚約の儀の折りに伝えた言葉は覚えておるな? その秘宝を常に肌身離さず、大切にするのじゃぞ」
「はい」
「はいっ」
 この時ふと、何故父上は今になってこんな遺言じみたことを仰るのだろう、とエドワードは思った。まさか、自分の死期が近いと感じておられるのではあるまいか。
「……父上、気を強くお持ちください。秘宝を引き継いだとはいえ、余はまだ王ではありませぬ。父上こそが、この国の王なのですから」
王はエドワードの言葉をはぐらかすかのように笑った。
「わしはまだ死なんよ」
そして、シェリアに片目を瞑ってみせた。
「可愛い孫の顔を見るまでは、な」

        *    *

 アストリアでの留学期間が、早くも終盤に差し掛かろうとしていた。ウィンデスタールからアストリアへやって来たのも、アーシェルに初めて会って一目惚れしたのも、つい先日のことのような気がする。この数か月の間に、脈玉に付いて多くのことを学んだ。キースとも親しくなった。
 レザリスはそんなことを思い返しながら、教師の話に耳を傾けていた。
「君たちの卒業まで残り後一か月ほどになった。
 講義は本日を持ってほぼ終了だ。ヴァーティス殿の実演も今日で最後になる」
教師はそう言うと、隣に立っていたアーシェルを促した。アーシェルはそれに応えて生徒達に向き直った。
「半年足らずの短いお付き合いでしたが、皆さんと親しくさせてもらえて嬉しかったです。最初、殿下から指令を受けた時には僕のような未熟者が皆さんを教えるなんて、と思いましたし、今でもうまく教えられたのかどうか自信がありませんけど、少しでも皆さんのお役に立てたのなら幸いです。ウィンデスタールに帰っても、ここで学んだことを活かして頑張ってください。ありがとうございました」
アーシェルが頭を下げると、教室中から温かい拍手が送られた。
「さて、かねてから伝えておいたとおり、君たちは卒業までの残りの期間、卒業制作に取り組んでもらう。脈玉を使った武器として何を造りたいか、各自もう決めてあるな?
 今から一人ずつ職員室へ来て、希望を伝えるように。材料が調達できるか、期間内に完成できるかなどについて私が相談に乗る。今日は、面談が終わった者から帰ってよろしい」
 教師はそう言い終えると、アーシェルを伴って職員室へと引き揚げていった。
 途端に騒がしくなる教室。生徒達は互いに自分の作りたい物について熱く語り出すのだった。
「ねぇねぇ、レザリスは何にするの?」
隣の席から声をかけられたレザリスは、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「あたし? あたしはねぇ……」

「ヴァーティス殿の剣の模造品を造りたいだと!?」
 教師は素っ頓狂な声を上げた。少し離れた席でくつろいでいたアーシェルは思わず紅茶を吹き出した。
「はい。あたしが造ったところで威力は本物の足下にも及ばないことは分かっていますが、それでも造りたいんです」
レザリスは教師の目を真っ直ぐに見詰めてきっぱりと言い放った。その表情には、不退転の決意が見て取れる。
「単に脈玉入りの剣を造るだけならともかく、あの剣と鞘に施されている装飾を真似るのはかなり骨の折れる仕事だぞ……。いや、君の鍛冶職人としての技術は優秀だ。一か月みっちり取り組めば、模造品くらいなら造れるかもしれない。しかし……」
 アーシェルの剣は元々エドワードが使っていただけあって、それにふさわしい華美な装飾が施されていた。かなり精巧な立体物である。記憶だけを頼りに構造を再現するのは不可能だろう。かといって図面に正確に書き写すことは困難であり、もしそれができたとしても図面から正確な立体物を再現することも困難に思われた。
(木や粘土で形だけの模造品を先に造るか? いや、それこそ一か月じゃ足りないし、卒業制作の主旨からも外れてしまう……)
 教師は腕組みをしたまま、おもむろにアーシェルの方に顔を向けた。
「ヴァーティス殿。ゲイルハート君の希望を叶えるには、彼女が貴殿の剣を常に目の前に置いて観察しながら作業する必要があります」
「でも、この剣は貸せません。常に持ち歩くのが、騎士団の規則ですから」
「やはり、そうですよねぇ。となると……」
「ヴァーティスさんには、あたしの作業に付き添ってもらうよう引き続きこちらに通っていただくしかありません!」
レザリスはここぞとばかりに強い口調で言った。
「ヴァーティス殿、出張期間をあと一か月ばかり延長していただくことは、可能ですか?」
教師の目は「断ってもいいんですよ」と語りかけていたが、こんな時とっさに断る理由を思いつけるほど、アーシェルは世渡り上手ではなかった。
「騎士団長にお願いすれば、たぶん許可は下りるんじゃないかと……」
レザリスはくるっと後ろを向くと、満面の笑みでがっちりと両の拳を握りしめた。

        *    *

 アストリア王国の端、ウィンデスタールとの国境に程近い関所。普段は、脈玉の輸出に携わる商人達が通行する程度で比較的静かな場所なのだが、この日は珍しく慌しい雰囲気に包まれていた。
「この騒ぎ、何かあったのか?」
門の傍らに立つ門衛の一人が、関所の喧騒を横目にしつつ仲間の門衛に尋ねた。
「ああ、今日は中央から外務大臣のケネス・ロザモンド・シュタール様が来られているらしい」
「外務大臣様 自ら? こんな辺境の関所に?」
「何かまずいことでもあったんだろう。俺も詳しくは知らんが……」

「関係書類はこれで全部でしょうか? 関所長殿」
 ケネスは手にした書類を軽くはじき、次いで近くに堆く積まれた書類の山を振り返った。
「はい、半年ほど前の脈玉輸出開始から今日までの関係書類はそれで全部でございます、閣下」
関所長はかしこまって答えた。
「では調査のため、一旦こちらで預からせて頂きますがよろしいですか?」
「はっ、ご随意に」
ケネスはこの日の輸出分に関する書類をぱらぱらとめくってみた。
(……調印時に合意した数から考えると、一回の輸送量がこれだけでは確かに少ないような気がしますね……)
中央に戻って確認しないと正確な数字は分からないが、記憶を頼りに概算してみても、やはり数が足りていないように思われた。
「あの、閣下。一つ申し上げておきたいことがあるのですが」
関所長は冷や汗をたらしつつ言葉を発した。どうぞ、とケネスに促されて、言葉を続ける。
「脈玉の輸出に関する情報のほとんどは、国家機密でございます。どんな武器が、いつ、どの程度運ばれるのか、私共下々の者には知らされておりません。私共関所の人間は、侯爵様の署名入りの書類に不備がないかどうかを確認するのが主な仕事でありまして……」
ケネスは片手を挙げて相手の言葉を遮った。皆まで言わずともよいとの合図である。
「心配なさる必要はありませんよ。貴殿の責任が問われることは恐らくないでしょう」
ケネスが微笑むと、関所長はやっと安堵の表情を浮かべた。
「さて、必要な資料も揃ったことですし、そろそろお暇しましょうか」
ケネスは書類を机の上に置くと、部下達に撤収の指示を出すため関所長の所から出て行った。
 残された書類の一番上には、脈玉の輸出量を確認した責任者である侯爵の署名が記されていた。その名は、ジョセフ・オーレウス・ウィンストン・ゼファール・オブ・オークアシッド――。

無剣の騎士 第2話 scene4. 脈玉

⇒ scene5. 悲運 につづく...

無剣の騎士 第2話 scene4. 脈玉

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-13

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