雨を呑む蛇
大粒の水滴がばちばちと窓に叩き付けられている。バケツをひっくり返したような突然の夕立に肩を落とした。朝の天気予報では1日中晴れだと言っていたのに。
放課を知らせる鐘が鳴り響く校舎の外は、どんよりとした灰色と雨粒で埋められていた。
抱えた球根を持ち直し、恨みがましい視線を空に送る僕は端からみたら相当怪しい人だろうけれど、どうせ注意を払う人なんていない。「今日植えたかったのに」
以前から期待していてその気でいたところへ、直前でおじゃんになって精神的な疲労が、どっと襲ってくるという経験、誰にでもあると思う。僕はまさに今、そいつに遭遇した。夏休み明けにも関わらず、せっせと朝早く登校して繊細な彼女達、アイリスのために石灰をすき込んで落ち葉、雑草を取り除くなどと朝から肉体労働をしたのにこんなのはあんまりだ。
放課後の教室に人影はなくからっぽの空間とほこりっぽさと、どこからか聞こえてくる運動部の筋トレのかけ声、吹奏楽部の無秩序な音出しが響いていて、それらがどこにも吸収されずにぼんやりと残っているような、何とも言えない空気が満ちていた。
暗い教室に1つぽつんと残ったリュックを背負う。僕も帰ろう。植えるはずだった球根を校内の端にある寂れた物置、否、園芸部の部室に運び入れていると、雨音に負けないにぎやかな聞き慣れた声が僕を呼んだ。
「前納(まえのう)!まだ残ってたんだね。相変わらず陰鬱な顔だなあ。何してるの?」
「陰鬱とは失礼だな。あと、痛いから肩叩くのをそろそろやめようか?」
実際は、彼女の華奢な手では叩かれようが殴られようが痛くもかゆくもないが、彼女が触れた場所から体温が上がっていくような感覚。このままだと全身の血液が沸騰して爆発してしまうだろう。違いない。一歩身を引きつつ答える。
「持ってきたアイリスの球根を置きに来ただけですよ。持って帰るのは面倒だから。わざわざ部室まで来るなんて珍しいですね。佐伯先輩こそ何か用があったんですか?」
「ん。教室に忘れ物取りに行ったら、見覚えのあるリュックが見えたからさあ。目立つね、この黄色」
からからと、傘を揺らして実に楽しそうに笑う。埃にまみれてくすんだ部室の空気も、僕のしみったれた表情も、鈍色の空さえも彼女が笑う度にぺりぺりとはがされていくような心地だった。
「それにしても珍しいってどういうことよ。私だって園芸部員なんだから部室に来るのは普通でしょ!」
「そのままの意味です。確か野菜育てるのは好きじゃないって言ってましたよね。佐伯先輩、小学校でやったミニトマトの栽培、夏休み明けに枯らしてそうです」
「な……何故それを!」
「本当に枯らしてたんですか」
佐伯実。みのり。実り。僕の言葉を否定できずに唇を噛みしめこちらを睨みつけている先輩は完全に名前負けしていた。
「野菜ってさ、食という生きるための手段につながるからか生々しくてなんだかね。でも花は好きだから!娯楽の為の趣味って人間らしくて面白いじゃない。さっき言ってたアイリスだってちゃんと知ってるもん」
憮然とした面持ちで言い切られても対処に困る。先輩に勧誘されて入部したのだから花が好きな事くらい百も承知だ。
「野菜だって花を咲かせて実をつけるんですよ。今年は一緒にミニトマト育てましょう」
「ええ!私はいいよう……」
虹の女神イリスと共に生まれたといわれる花、アイリス。僕のなかの灰色の空を剥がしてくれる彼女にぴったりの花だ。
誰とはなしにふと視線を向けた先にはいつの間にか、雨を呑み込む蛇がいた。
雨を呑む蛇