白磁万年壺

これはある時、ある場所に、生きていたかもしれない、青年と少女の物語。


都からは遥か遠く、とある村から少し離れたとある山の中に、小さな小屋がぽつんと立っていた。豊かな森の、そこの周りだけがぽっかり開けた場所で、少し歩くと川にたどり着く、そんなところだ。人間はおろか小動物すらもあまりいない土地で、ときどき川の水音や鳥のさえずりが聞こえるくらいである。動物が寄り付かないのはその小屋の裏の、窯のある大きな作業場のためだった。
ある晴れた日、日が登った直後のまだ涼しい時間に、整った顔立ちとすらっとした肢体を持つ青年が小屋から出てきた。眩しそうに空を見上げながら伸びをし、微かなため息をつく。それから、裏の作業場の方に置いてあった重い荷車を引いて人気のない道を、村へ向かってゆっくりと歩く。
しばらく歩けば比較的小綺麗な道に出る。だんだんと人の影も見られるようになってきて、まもなく活気のある市場が見えてきた。青年は市場の片隅にそっと荷車を置いた。
道ゆく人々が、今日も良いのあるかしら? まぁお久しぶり、こないだのツボ重宝してるよ、などと声を掛ける中、青年は一人ひとりに柔らかい笑顔を返しながらもてきぱきとした手つきで荷車にかけてあった布を外し、地面に敷く。それから割れないように一個一個毛皮で包んだ皿や椀、壷を取り出して丁寧に毛皮を剥がし、敷いた布の上にきれいに並べた。
青年はこうして、一人で山の中で陶磁器を作っては、週に一度こうして市場でそれらを売り、食料や生活用品を手に入れてまた山へ戻る、という生活をしていた。彼の作る陶磁器は実用的でありかつ非常に美しかった。村の人にはもちろん、他の村からわざわざ買いに来る人、他国へ持って行って売ろうと買い付けに来る商人までいた。一度、評判を聞きつけた皇帝の使いが、高官や貴族、皇帝のために都で働かないか、とわざわざやってきたこともあった。しかし青年はいつもの優しい笑顔と柔らかな口調で、しかしきっぱりと断った。大変光栄なお話ですが、僕は都へ行くつもりは決してありません。いまある陶磁器は全てお売り致します。お金を積んでも受け取りませんよ。売ったもの以上のお金は頂きません。身に余る贅沢はせずに、ひっそりとここで暮らしていきたいのです。青年に丁寧にこう述べられた使いは、青年の強い意志を含んだ瞳にそれ以上食い下がれずに、陶磁器を高額で買い取って帰っていった。
暑い日差しの下、太陽の陽を受けてきらきらと輝く陶磁器の前に座り込む青年に、通りすがりの人々が立ち止まり、話しかけ、陶磁器を眺め、時には購入して帰っていく。青年と荷車の周りはあっという間に人が群がる。
あら、この深い青で花が描いてあるのいいわねぇ、上品で美しいこと。ええ、それは一昨日作ったばかりなんです。お、このでこぼこした黒い奴はいいなぁ、手が滑らなくて持ちやすいぞ。小さめに作ったのでお酒を飲むのにもぴったりですよ。この水差し、翡翠色で綺麗だわ、ちょうど古くなっていたし買っていこうかな。いつもありがとうございます……。
青年が村に下りるといつも周りには人が取り巻いていたが、これは青年の作る陶磁器が大変綺麗だったから、というわけだけではなかっただろう。青年自身も恐ろしいまでに容姿端麗で、長い睫毛に囲われた本当は大きな目を伏し目がちにし、口元にはいつでも憂いを帯びたような微笑を湛えていた。それでいて人当たりも優しく礼儀正しかったので、村一番の美男子でさえ文句なしの人気者だった。お兄さん今日もかっこいいね、そんなことはないですよ、お姉さんも相変わらずお綺麗で、お兄さん奢るわ、一緒にお茶でもどう? いえ、せっかくですが、僕にはもったいないお誘いです……。青年は女性たちからの好意を優しい微笑で断っていく。
持ってきた陶磁器は昼を過ぎた頃に全て売れた。空になった荷車を引きながら市場をまわる。陶磁器を売ったお金で、一週間分の食料を買い込み、他国から渡ってきたという豪奢な柄の絨毯や鮮やかな色の水注を興味深そうに観察して、気に入ったものがあれば購入して荷台に積んでいく。そうして日が傾きかけた頃に、村人たちに見送られながら村を後にし、また一人山の中の小屋へと戻っていく。

青年が陶磁器を作り始めたのは今から二十年と少し前、物心ついてしばらく経ったころだった。両親は早くに亡くなっており、代わりに年の離れた姉がそこまで育ててくれた。
両親の記憶は全くないが、ある日、姉が死んだときのことは何となく覚えていた。原因はなんだったか定かではないが、亡くなる前からしばらく寝込んでいた気がする。さっきまで動いていた人が、息をしていた人が、突然呼びかけても応答しなくなり、ゆすっても起きなくなる不思議さは覚えている。それよりも、もっと鮮明な記憶として残っているのは、村の大人たちが到着するまで放置されていた姉の死体の肌だった。
白く、滑らかで、ひんやりと冷たく、ずっしりと重く、触れると手に吸い付くような肌……肘から肩にかけての曲線、首に浮いた骨の形、鎖骨の作り出す陰影……すべてが、怪しい美しさと魅力を湛えているようで、背筋がぞくぞくする快感に包まれた、その感覚と光景だけはいやにはっきりと身体に染み付いていた。
似たような感覚に出会ったのは、その数ヶ月後、引き取り先の親戚に連れられて市場に行った時だった。隣村から来たという老人が、市場の端で陶磁器を売っていた。様々な食器や壺などが売られている中で目を引いたのは、たった一つだけあった白い器だった。翡翠色のものが多いのに、それだけが、薄い灰色のかったムラのない白で、見るからに艶々と滑らかでひやっとしていそうで、その気品に相応の重さがありそうで、あの時と同じ気持ちに襲われたような気がした。ざっ、と脳裏に浮かぶ死体の肌と、寒気がするような快感……しかし何かが違う、あの瞬間の感覚にはまだ遠い、もっと、何かが足りない……。
ずっとその白い器の前から動かなくなった彼に、老人が声を掛けた。そんなにその器が気に入ったのか、まだ幼いのにその良さがわかるとはお前さんには素質があるのに違いない、私に弟子入りせんか。弟子入り……?と彼は聞く。ぼくにもこれが作れるようになるの? ああ、なるとも。親戚も、厄介者が減った、と思ったようで、彼は老人のもとで陶芸を学ぶことになった。
その村から少し離れた山奥の老人の小屋で、ひたすら陶磁器の作り方を学び、週に一度は老人の作ったものを売りに行って生計を立てる、という暮らしが続いた。老人は優しく、作り方の基礎から道具のことまでなんでも丁寧に教えてくれた。彼が興味を持った白い器はこの地方では珍しく、翡翠色や黒いもの、いくつかの色を使ったもののほうが主流であることも教えてくれた。始めこそ年も幼く不慣れだったがすぐに要領を飲み込んだ。一年経った頃には自分で作った陶磁器を市場で売ることができるまでになり、数年経つと老人のものよりも売れるようになった。彼は、その地方で主流でありよく売れる器を作る傍ら、最初に心を捕らわれた白い器もひっそりと作り続けていた。老人のアドバイスを受けながら研究に研究を重ねたが、あの美しい屍の肌を見た時の快感には、まだまだ遠いような気がした。
それから月日が流れ、彼が青年と呼ばれるくらいの年になった頃、老人が青年に言い渡した。お前さんにはもうなにも教えることはない、もう立派に一人でやっていける歳だろう。ついては、私ももうすぐ寿命であろうし、陶芸を捨てて諸国を遊説しながら余生を送りたいと思う。お前さんは、ここに残るもよし、他の地へ行って新たな陶芸の可能性を切り開くもよし、陶芸をきっぱり諦めて普通の暮らしをするもよし、好きに生きなさい。老人は青年に全てを任せきった清々しい表情でそう言った。青年も、爽やかな笑顔で返した。では、僕も違う村を探して、窯作りから一人でやってみたいと思います。貴方には全てのことを教えていただきました。本当に感謝しています。少し寂しくもあったが、これから一人で再出発だと思うとわくわくもした。
こうして青年は一人で山々を旅し、今の村を見つけた。ここにしたのは、しばらく歩くとこの地方では珍しい、白い陶磁器を作るのに使う釉の原料の石が取れるからだった。

市場から帰ってきた青年は、荷車から買ってきた食料を出して小屋に入れると、そのまま窯のある作業所へ行った。手に入れた他国産の焼き物をよく観察し、何やら作業に取り掛かる。あの日感じたのと同じ快感を感じられるような白い陶磁器を作ることが、青年の人生最大の目標となっていた。納得のいくものではなくても、市場で売る気にはなれなかった。だから、商品となる焼き物を作る合間に、一人こつこつと白い陶磁器を作っていた。
数年経ってやっと最近、少しずつだが掴めてきたような気がする。

青年が少女に出会ったのは、いつものように市場へ行った、ある秋晴れの日のことだった。

陶磁器を全て売りきった青年は、荷車を引きながら市場を歩いていた。
ふと、普段は寄らない酒屋が目に止まった。今日は夜もよく晴れそうだから、月も綺麗に見えるだろうだし、一人でゆっくりお酒を飲むのもいいかもしれない。そうしたらこの間作ったあの黒光りする器を使おう。そんなことを考えながら酒屋に入ろうとした時、誰かが青年にぶつかった。あっ、という小さな悲鳴がした方向を振り向くと、少女が地面に倒れていた。自分にぶつかって転んだらしい。青年は条件反射で、大丈夫ですか、と問いかけつつ、目線が合うようしゃがみこみながら右手を差し出した。少女がぱっと顔をあげる。ぱっちりとした瞳、艶やかな黒髪、ふっくりとした頬、柔らかそうな唇、どこか作り物のような感じすらする整った顔立ち、それに、雛菊のような色白な肌……美しい娘だ、と青年は思った。
少女が立ち上がろうと、差し出した青年の右手に自分の右手を重ねた瞬間。
青年は、何かが自分の心を捉えたのを察した。

市場から帰った青年は、珍しく作業場には直行せずに、買った酒の壷と黒い小さな器だけを持って外へ出た。森の中を山奥の方へ少し歩くと、川に出る。日は暮れかけ、遠くの山が真っ赤に染まっていた。
川辺の大きな石に腰掛ける。こぽこぽ、と音をさせ、酒を器に注いだ。この器は酒を飲む用にと想定して作ったため、握ったときの感じから唇に触れる感触、一回に注げる量まで、あらゆる点において完璧でつい酒が進む。これはたくさん作れば売れるだろうな、もう少し飲み口のざらざら感を減らしてもいいかもしれない、などと考えながらぼんやりと月を見上げる。
あれからずっと、昼間出会った少女が頭を占めていた。少女は最近この村に越してきたばかりだそうで、市場にも数回しか来たことがないらしかった。青年は少女を家まで送る役を買って出た。この地域のことや市場の店の話なんかをしながら二人で歩く時間は、あっという間に過ぎていった気がした。普段女性からの誘いを断っている青年のそんな姿を見て、村の人たちはひそひそと好奇の目を交わしあったが、青年がそんなものに気づくはずはなかった。村の中心部からは少し離れた家の前で、二人は別れた。送ってくれてありがとう、また会いましょうね、と少女が笑顔で手を振って家の中へ入っていくのを笑顔で見送り、姿が見えなくなってもなおしばらくそこから動けなかった。
あれから少女のことがずっと頭から離れない。
正確には、自分の手を掴んだ、少女の手の感触が、だが。

次の週は、市場には行かなかった。
どうしたことか食欲があまり沸かなかったから、買い込んだ食料はまだ余っていたし、なにより、売るための器を全く作っていなかった。ただ、白い壷をひたすら作っていた。毎日粘土を成形し、数日乾燥させる間に、既に乾燥したものを素焼きし、素焼きしている間に既に素焼きしたものに釉をかけ、本焼きをする。釉をかけて本焼き、という作業を二度行うのが青年のこだわりだった。
窯の番をしながら暇な時間は、今までの中でもよく焼けたと思われる壷を眺めたり撫でたりして愛でながら、少女を思い出して過ごした。青年が一番気に入っているのは、半年ほど前に完成した、蓋のついた壷だった。人の顔より一回り小さいくらいの大きさで、全長の真ん中あたりが一番膨らんでいる。そこから下にいくほどすぼまっており、底に近い部分は両手で包み込むのにちょうどいいくらいの周囲になっていた。膨らんだ肩の部分は掌にしっくり収まるほどに大きな弧を描いて、口に向かってまた急激にすぼんでいき、低い円柱型の首を挟んですぐに底の面積と同じくらいの大きさの口が開く。口の縁は首よりも厚くなっていて、上に小皿をひっくり返したような蓋がはまっている。蓋の下部は本体の口よりもさらに一回り大きな環状の円盤がついているような形になっていて、蓋の上には丸い球状のつまみを備えていた。爪の先で弾くと中で反響して、カーン、と涼しい音が鳴る。少女のしっとりとした少し冷たい手を思い出しながら膨らみを掌で愛撫し、赤く腫れたような唇を思い描きながら滑らかに仕上がった蓋に自分の唇をすべらせていると、時はあっという間に過ぎていくようだった。
青年はこの形の壷を気に入っていたが、どうしても納得のいく色のものが作れなかった。いつか見た屍のような、少女の美しい肌のような、秋晴れの月のような、真っ白な色を出したいのに、どうしても灰色が強めに出てしまう。一つ目を作ってから定期的に何度も同じ形のものを作っていたが、納得のいくものがなかなかできずに諦めかけていたところに、偶然に少女と出逢い、なぜかこの壷のことを思い出した。それ以来またこの壷を作り続ける作業に取り憑かれてしまっているというわけである。
うまく白色が出なかった壷を壊す作業も好きだった。真っ白ではなくとも滑らかに艶やかに出来上がった表面にじわじわと蜘蛛の巣状のひびを入れたり、思いっきり岩に投げ落としたり、粉々になるまで石で砕いたり、美しいものをどうしようもなくなるまで壊す感覚は、青年の心にまた違った刺激を与えた。
そうして数日間ひとしきり壷を作ったり壊したりしているうちに、やっと食料が減ってきた。青年は渋々ながらも白い壺から離れ、商品となる器をいくつか作って、市場へ出掛けることにした。それでも市場に行けばまたあの少女に会えるのかもしれないと思うと、今すぐにでも行きたいような不思議な気持ちもした。なぜ一人の娘にこんなにも高揚感を覚えるのかわからなかった。

久々に市場に現れた青年を、村人たちはいつも以上に歓迎した。おにいさん、なんでこの間は来なかったの? ええ、少し体調を崩していまして。なんだなんだ、大丈夫か、俺の作った特製の酒を飲めばすぐに治るさ。あんたまたそんなこと言って自分がすぐ酔うんじゃないの。ははは。失礼な。お気遣いありがとうございます。青年を中心に、あっという間に市場が活気づく。その中にあっても青年はどこか上の空だった。少女は現れないだろうか、それだけを考えていた。
日が傾きかけ、焼き物がほとんど売れた頃、地面に座り込んでいる青年の視界に見覚えのある白い脚が飛び込んできた。はっとして脚の主を確かめると、待ち望んでいた少女が通り過ぎようとしていたところだった。何も考えず無意識に、お嬢さん……! という言葉が出ていた。そして次の瞬間、なんの話題も自分が持っていないこと、突然声をかけられた少女が嫌がらないとも限らないということ、そしてそもそも少女が自分のことを覚えているかということに気づき、絶望の淵に落ちた。
しかしそんな青年の心配は無用だった。怪訝な顔をして振り向いた少女は瞬時にぱっと顔を輝かせてこちらに向かってきた。わあ、あの時のお兄さん! お久しぶりです! そう言って青年の正面にしゃがみこんで目線を合わせてくる。瞳を覗き込まれてなぜか、鼓動が早まるのを感じた。僕のこと覚えていてくれたんですね、平静を装いつつそう答える。もちろんです、お兄さん優しかったんですもの。私、お兄さんもう来ないのかなと思ってました。青年は一週間前に市場に行かなかったことを後悔した。
少女は両手にいろんなものを抱えていた。大荷物ですね。ちょっと家族にお使いを頼まれてしまって。何を買ったんですか? ええ、布とお酒と穀物とか……。よかったら僕の荷車に置きますか? また家まで送っていってあげますよ。本当ですか? でもお兄さんお手間じゃないですか……? いえ、僕も帰り道がそちらの方なので、君さえ嫌でなければぜひ。じゃあお願いします! 助かります。
とんとん拍子でまたしばらく少女といられることになり、青年は驚いていた。こんなにも簡単に次の機会が来るとは。
数個売れ残った陶磁器はまた次の時にまわすことにした。食料を買うだけの金は手に入った。陶磁器と少女の荷物を乗せた荷車を引き、二人は少女の家の方に向かってゆるゆると歩き出した。青年は少しでも二人でいる時間を長引かせたくて、家に向かう途中にいつもの食料入手などを済ませることにした。少女に迷惑かと思ったが、少女も無邪気に買い物に付き合ってくれた。たまたま他国から来ていた行商の前で青年がふっと立ち止まると少女は、見ていきますか? と言ってくれた。青年が繊細な螺鈿の椀を見ている間、少女は行商の老人と楽しそうに話をしたり、西方から渡ってきたという楽器を珍しそうに眺めていた。結局椀を買った青年は、まだ楽器を見ている少女のあどけない横顔を盗み見た。長く黒い睫毛に可愛らしい表情、綺麗な鼻筋に、ほんのりとした赤みすらない真っ白な、作り物のような頬……ああ今すぐにでもこの肌に触れたい、そうぼんやりと思った瞬間、少女がこちらを向いて青年ははっとする。あ、あの僕買い物終わりました、柄にもなくあたふたしてしまう青年に、少女はいたずらっぽく笑う。じゃあ行きましょうか。お嬢さん、それ、買わなくていいんですか。見ていただけなので大丈夫、自由にできるお金もないですし。よかったら僕が買ってあげましょうか。いえ、他人に借りは作りたくありません。少女の断りの言葉は、あの白い壷を弾いたときのような冷たい音がした。
家へ向かってぶらぶらと歩きながら二人は他愛もない話をしたり、出店を覗いたりしながら楽しく歩いた。青年はこの時が永遠に続けばいいと思った。自分といる今だけは、少女が自分のものになったような気がした。少女は実に、よく笑った。小さなことでも楽しそうに声をあげ、幼い子供のように目を輝かせた。そのくせ時々酷く冷たい返事をしたり、大人のような眼差しをしたりした。
少女の家に着くと、青年は積んでいた少女の荷物を下ろして持たせてやろうとしたが、少女は、自分でやるので大丈夫ですよ、と涼しく言い放った。また壷を弾くときのカーン、という鋭い音を聴いたような気がした。
前のように、少女は笑顔で家に入っていこうとした。前回と違ったのはそのあとの言葉だった。今日もありがとうございました、また来週会えるんですよね、楽しみです。素直な少女の言葉に青年はたじろいだ。村の人や女性たちに幾度となく言われたことのある言葉なのに、こんなにも胸が騒いでいる自分にたじろいだ。青年の戸惑いを他所に、少女は爽やかに手を振って家の中に消えていった。
小屋に戻ると早速、商品にするための陶磁器を作るのに取り掛かった。早くこの義務を終わらせて、今日の少女の笑顔や無意識であろう冷ややかさを白い壷に込めたかった。商品の数が揃ったところですぐに白い陶磁器の製作に移る。
前の週に白い陶磁器を作りすぎたせいで粘土の原料となる陶石が足りなくなっていた。真夜中だったが荷車を引いて、石の採れる山奥まで出向く。青年が何年もそこで石を採り続けていたせいで、陶石も少なくなり始めていた。このままだとまた別の土地を探さなければならないかもしれない。その前に早く完璧な白い壷を完成させたい、少女を自分のものにしたい……深夜に光り輝く少女の肌のような月明かりを見上げながら、青年はそう心に誓った。

青年が市場に行くたび、二人は一緒に少女の家まで歩いた。村の人々はそれを見て微笑ましく噂をしあった。見目麗しい二人組だったので、村中の好奇の種になっていたが、直接尋ねるような無粋な人間はいなかった。二人は順調に距離を縮めてはいたが、会うのは市場から少女の家までの道のりだけで、特にそれ以上のことはなかった。青年はただひたすらに少女を自分のものにしたいと思ってはいたが、白い壷が思うように完成していない今、それはなんだか違うような気がして、なにも行動に起こせなかった、という方が正しいだろう。青年は相変わらず白い壷を作り続けていたが、あの記憶にある屍のような、少女の頬のような、秋の夜の月のような白さはまだ出ないままだった。

北風が冷たくなり雪がちらつく日が出てきた頃。いつもの帰り道、少女が突然、お兄さんが陶磁器を作っているところが見たいです、と言い出した。青年は戸惑った。少女が自ら、自分のものになろうとしている、少しずつその日が近づいてきている、と確信した。今は少し作業が取り込んでいるので、残念ながら今日は無理そうです。そう伝えると少女はむくれた顔をした。滑らかな頬を膨らませる様を見て、青年は一刻も早く白い壷を完成させたくなった。
その日から、怒涛の作業が始まった。不思議なことに眠さも食欲も感じなくなり、体が軽くなったような感覚だった。感情に任せ一心不乱にただ自己の理想だけを頭に思い描き、作業に没頭する。粘土を形成し、素焼きをし、釉を塗り焼いてまた釉の二度塗りをしてから焼いて、納得がいかずに割る、無限の繰り返しを不眠不休で続けた。一つ焼きあがる度に着実に理想に近づいているような気もしたが、それでも完璧にはまだ辿りつかないもどかしさが、更に焦燥感を掻き立てた。失敗作を思いっきり割ることで焦りを抑え込む日々が続いた。
会う度にやつれていく青年を、少女は本気で心配してくれた。ちゃんと寝ていますか、ご飯を食べていますか、と声をかけられるたび青年は、こんな純真でまっすぐな子に、自分だけのものにしたいという欲望をぶつけてもいいのだろうかという葛藤に襲われた。その葛藤も全て、完璧まであと一歩まできた白い壷を叩き壊すことによって押し隠した。

葛藤ともどかしさと焦燥感を抱えていたある冬の日の昼間、少女がとうとう小屋に来ると言った。青年は渋ったが、少女は折れなかった。単純にお兄さんの体調が心配です、ご飯を作りに行ってあげます。押されに押されて、睡眠不足で憔悴し始めていた青年は、少女を小屋に連れていくことを許した。
質素な青年の住処に来た少女は、物珍しそうに小屋の中、作業場を探検してまわった。作業場の窯や陶磁器の材料、作り方などについて細かく青年に質問し、青年も一つ一つに丁寧に答えた。青年が陶磁器を作っているところが見たいと言うので、数日前に一度目の釉をかけて焼いたばかりの白い壷に再度釉をかけて窯に入れるまでの作業を目の前でやってみせた。興味津々の少女が自分も少し手伝いたいと言うので、釉の一部をかけるのをやらせてあげた。青年が長年かけて研究した比率で、ある石を粉末状に砕いたものと、ある樹木を焼いた灰と、少しの金属を溶かしたものを混ぜ合わせた釉を入れた甕に、壷をいれて均等に釉をつける。壷にある程度の重さがあるので後ろから少女を補助してあげることにしたが、その時にふと触れてしまった腕が、目の前にあったうなじが、青年の心をさらに駆り立てた。こんな壷を作りたい、少女が釉がけしたこの壷が完璧に焼けるといい、その強い思いを込めながら刷毛でムラにならないように釉を伸ばし、焼きに入った。
僕は焼き上がるまでなるべく窯の番をしていたいので、君は小屋で休んでいて大丈夫ですよ、寒いなか山奥まで来て疲れたでしょう、小屋の隅にかけてある毛皮は自由に使ってください。青年の提案に少女は微かにあくびをしながら、そうですね、少し眠くなってきました、じゃあお言葉に甘えて……と言って小屋の中へ入っていった。
本焼きには十数時間かかる。それでも青年は一切疲れを感じなかった。なぜだか心が恐ろしいまでに高揚していた。作業場からは冷たく澄んだ月が見えた。隣の小屋であの月明かりのような少女が寝ている、そう考えただけで胸が高まる。無意識のうちに今までで一番理想に近い白い壷を取り上げて抱いていた。こんなふうに少女を腕に抱きたい、こんなふうに少女の肌を撫でたい、こんなふうに少女にくちづけたい、冷たく掌に吸いつく壷の感触が、数回しか触れたことのない少女の記憶を増幅させていく。弾けば冴えた涼しい音がし、ずっしりと見合った重さがあり、ああ、少女のような壷が出来れば……! 完璧な壷が完成されれば……!
気づくと青年はフラフラと窯を離れ、小屋に入っていた。天高くのぼった月が小屋の窓から差し込み、毛皮にくるまってすやすやと寝息を立てる少女を照らし出していた。無防備な少女の寝顔を、青年は眺めた。無表情の少女の顔は本当に整いすぎていて作り物のようだった。黒々とした睫毛と髪が漆塗りのように月光に輝いている。青年は思わず隣に跪いて、そっと、壷の膨らんだ部分に掌を当てるように、右手で少女の頬を包み込んだ。冬の空気で冷えた肌が、滑らかでひんやりした陶磁器の如く手に吸い付いた。空いた左手でその漆黒の髪を撫でると、少女が身動きしてその両手を振り払った。いつもの、カーンと冷たい音を聴いた。普段ならその音を気にしない青年だったが、その時は何故だか心がざわついた。少女は自分に触れられるのが嫌なのだろうか。もう一度、両手で顔を包み込むと、無意識だろうが、少女はまたも振り払う。数度それを繰り返すたびに、青年の心にはどんどんひびが広がっていった。まるで失敗した陶磁器に石を投じたときのように。
自分は少女に拒まれている、と、青年はそう考えた。触れれば振り払われる、だが少女に触れたい、いつも陶磁器にしているように愛撫したい、くちづけたい、何故少女は動く、せっかく美しいのだから白い壷のように、あの日触れた屍のようにじっと動かず、自分を受け入れてくれればいいのに、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ……。少女が動かなくなればいいと考えた。青年は周囲を見回す。小屋の内部には小さな台所の一角と少女の寝ている寝床何もなかった。台所に香辛料を入れた大きめの壷があったが、美しいものに傷をつけて壊すのは好きとはいえ、今回ばかりはなんだか違う気がした。美しいまま動かなくなればそれが一番だ、傷を入れるのはそのあとでもできる。
青年はふらりと外へ出た。正常な精神を失った男の顔が、月明かりに照らされた。あたりには冷えきった月のカーンという音と、窯がパチパチと燃える音だけが響いていた。
作業場に入った青年は近くにあった商品用の翡翠色の椀に、甕の中の釉を入れた。白く濁った釉は月の光を反射して右手の椀の中で静かに揺れた。
小屋に戻った青年は、左手で少女の頭をそっと持ち上げた。あくまで割れ物を扱うかの如く優しく胸に抱いたが、少女は目覚めたらしく身動きをした。言葉を発しようと開いた唇に速やかに釉を注ぎ込む。金属を含んだ青年特製の釉は、最後まで焼かない限り人体にはかなり有毒だった。少女は最期に、驚いたように美しい瞳をぐっと開いたかと思うと、力なくその白磁のような瞼を落として、青年の腕の中で動かなくなった。
椀が床に滑り落ちた音で青年は我に返った。これで少女が動かなくなった。自分を拒まなくなった。ああ、たった今、少女は青年だけのものになったのだ。奇妙な高揚感の中で青年は、少女がくるまっていた毛皮を剥がし、両腕に抱き抱えた。線の細い見た目とは裏腹に、ずっしりとした質量が腕にのしかかる。この重みを求めていた。まだ暖かさが残る体を優しく抱いて、青年は作業場に向かった。
屍を抱えたまま窯の前に座る。あと数時間で、少女と一緒に釉がけをした壷が焼きあがる。なぜか妙な確信があった。あの壷は完璧に焼き上がる。自分が長い間思い描いていた理想の通りに焼き上がる。それまでの間、屍を抱いて待っていよう。
白く、滑らかで、ひんやりと冷たく、ずっしりと重く、螺鈿のような繊細な髪、顎の輪郭、肩の曲線、浮き彫りにされた鎖骨、美しく膨らんだ胸から引き締まった腹にかけての滑らかさ、骨ばった膝、はっきりと見える踝、白魚のような指先と足指……すべてが月明かりによって微妙な陰影を作り出し、怪しい美しさと魅力を湛えていた。
こうしてその白い肌を撫で、愛撫し、くちづけ、噛み付いているうちに、すべてが浄化されていくような錯覚に陥った。いま、僕とこの僕が抱いている物体が世界で一番気高く高貴だ。これに勝るのは、もうすぐ焼き上がるあの白い壷の他にない。ああ、とうとう僕はここまで辿りついたのだ。もうなにも怖いものはない。なにも僕を邪魔できるものはない。焼き上がった完璧な壷には、穀物をたっぷり入れよう。屍がいつまでも食料に困らないように。いつまでもこの美しさを湛えたまま生き続けるように。この輝きが永久に失せないように。

いつしか、綺麗な太陽がのぼった。青年は優しい手つきで白い屍を膝からおろし、壁にもたれかからせて座らせた。
朝焼けの紅に染まった世界の中、これまでにない高揚感と満足感、そして幸福感に包まれていた。
窯をあける。

そこには、一点の曇りもなく焼き上がった、非の打ち所のない完全な白い壷が、朝日を受けて照り輝いていた。

白磁万年壺

白磁万年壺

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-12

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