さよならと言ったら君は‥‥。

「友美…もう遅いよ。最終電車が行っちゃう。今日は泊まりなよ」綾香さんはそう言った。
「ありがとう。それじゃお言葉にあまえて泊まろっかな」
「うん、そうしなよ、眠くなるまで話し合おう」綾香はテーブルの上の皿に乗っかっているアメリカンチェリーを頬張った。
「うん!美味しい。知美、ほんとに好きな人いないの?それってなんか寂しくない?」
「まあね、ときめく人に出会ってない。これだ!っていう人はね…そういえばマクドナルドに行った時に素敵な店員さんには少しキュンとなったけど、でも学生さんみたいだし、わたしより年下な感じがした。なんかひたむきに接客している人に萌えるみたい。でも恋ではないな」
「そうか、わたしもたまに街中で通り過ぎる男性にドキッとすることがあるんだけど、その人ともう二度と会うことができないんだな、と思うと少しせつない感じがするんだ。声をかければ何かが始まるかもしれない。突然話しかけてね、すみません、メル友になってくださいなんてね。そうだ年代物のブランデーがあるんだけど飲む?」
「うん、お願い」わたしはテーブルの上のポテトチップス、のりしお味を口の中に入れてパリパリと頬張った。
「ワイングラスしかないけど」
そう言うと綾香はブランデーをグラスにトクトクと注いだ。わたしは香りを嗅いでみたが、それは今までに鼻を伝わってきた香りの中で一番香(かぐわ)しい匂いだった。
「綾香、こんな良い香りがする飲み物があるんだね。驚きだわ」
「マーテルのコルドンブルー。値段は一万円前後。わたしの誕生日のお祝いで自分へのプレゼントとして買ったの」
わたしはコルドンブルーを口の中に入れたが、それは今までに飲んできた液体の中で最上のものだった。
「美味しい…こんな飲み物があるなんて‥‥、ブランデーってこんなに美味しいんだ。初めて知った」
「そうでしょう。わたしは仕事を終えて寝る前に儀式としてブランデーを飲むことにしているの。その匂いを嗅いで口の中に注ぎ入れる時、今日一日がとても素晴らしい日であったと錯覚を起こすの。実際に仕事でトラブルがあったとしてもね」
「そうなんだ。わたしはトラブルにあった時は、ベッドに潜りこんで思いっきり叫ぶ。隣に住んでいる住民のことなんかは気にせずにね。それか一人カラオケで思いっきり発散する。ため込んでしまったら、きっと狂ってしまうからね」
「友美にもブランデー療法をお勧めするわ。なんだかそれだけで高貴な気分になれるの。翌朝がとても心地よく感じるの。通勤の電車の混雑した所でも余裕でにっこりと笑いながら立っていられる」
「へえ~、でもわたしは通勤の混雑した感じ、なんか好きだな。だって人の温もりを感じるんだもの。人の肌に触れる感じが好き。サラリーマンのおじさんの背広から出る匂いというのかな、なんか落ち着くんだよね。それにみんなこれから会社に行って、家族や自分の為に働くんだ、と思うとなんか共感できて感動するんだ。たまに電車の中で何度も遭遇する人がいるんだけど、心の中で頑張ってね!と微かに唇を動かして励ますの」
「なんか、知り合いになれる確率って相当無いよね。話合えばお互い感じるところって沢山あると思うのに残念。劇的な出会いを期待し過ぎて、わたしたちはこれから先も息を小さく吐きながら一生を過ごしていくのかな」綾香はフフッと唇を歪めて笑った。
わたしはブランデーの匂いを嗅いで口に含み、頭の中で想像を膨らまして電車の中でぎゅうぎゅう詰めで小さな息を吐いている大勢の出勤途中の人たちにさようなら、と言った。
すると、みんなは首をまわしてわたしの方を向いて、「また明日」、と言って、微笑をした。

さよならと言ったら君は‥‥。

さよならと言ったら君は‥‥。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-12

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