受け継がれるレバー

新入社員のタカギは緊張した面持ちで、天を衝くようにそそり立つ巨大なビルを見ていた。
しばらく、そうしていたが、決心したようにそのビルの正面にある自動ドアを潜り、受付嬢に声を掛けた。
「すみません、私はタカギというものですが……」
「ああ、タカギさんですね。
今、担当の者をお呼びいたしますので」
 カウンターの向こうに座っていた女の人は、インカムのマイクに向かって何かを囁いた。壁掛け時計の秒針が一周する頃、奥にあるエレベーターが開き、一人の男がタカギの方へやってきた。
「おはようございます、タカギさん。
私はコマツです」
 タカギは頭を下げた。
「一応、あなた直属の上司になります。
何か分からないことや、困ったことがあれば言ってくださいね」
「はい」
 タカギの声は緊張で震えていた。無理もない、自分が天下の大企業オオツカグループの社員になれるなど、今でも信じれないようなことだ。
「それでは、あなたの仕事場に案内しますね」
 そういうと、彼は来たエレベーターに乗らず、正面ドアから外へ出てしまう。タカギはその後について行った。
外に出ると、ビルに脇付けされた小屋の扉を開けた。六畳程度の部屋の中心に地下へと続くらせん階段があり、二人はそれを下る。
「あのぅ、それで業務内容ってのは」
 明かりの少ない暗い周囲に声が響く。タカギは自分の声に少し驚いた。
「ん? ああ、募集要項に書いてある通りですよ。
ほら、着きました」
 階段が途切れる。そこには、握りの付いたレバーが一つあるだけだった。
「それでは、こちらのレバーの上下をお願いしますね。
別にノルマだとかはありませんので、自分のペースでやってくれていいですよ。
休憩はそちらの時計で12時からで、トイレは左手です」
 コマツは背を向けて、階段を上り始めてしまった。足音が完全に消えてしまうと、タカギは仕事に取かかった。
 その仕事は、自分の目の前にあるレバーを上げ下げすることだった。それだけだった。
レバーの上にある裸電球と、階段の足元を光らせる電灯しか明かりはなく、ほの暗い場所だ。その場所で自分がレバーを上下することによって生じる錆びた金属音と共に一日八時間過ごすのだ。
 一日目から酷く苦痛だった、しかし、一週間を超えると耐えられなくなってきた。問題は、何のためにこんなことをしているのか分からないということだ。
タカギは憔悴した顔で、コマツに聞いた。
「あの、これって一体どういう意味があるんですか?」
「キミが考えることではないよ、業務に戻りなさい」
 取りつく島もない返事で、コマツは忙し気に去ってしまった。
 それから一か月後。もう一度タカギはコマツに詰め寄った。
「教えてください、どうして僕はこんなことをしているんですか?」
 タカギの頬はこけ、髪には白髪が混じり、瞳はどんよりとどこも映していないようだった。その姿が自殺したタカギの前任者とオーバーラップしたコマツは、こんな風に答えてしまった。
「実は私も知らないんだ。
けれども、キミの疑問も最もだと思う。
だから、私の上司に聞いてみるよ。
少し待ってもらえるかな?」
「わかりました」
 気乗りはしなかったが、言ってしまったものはしょうがない。コマツは上司に、どうして本社ビルの地下にあるレバーを上げ下げする必要があるのかを聞いた。
「実は私も知らないんだ。
だが、その社員の疑問も最もだな。
分かった、私が社長に聞いてみよう」
「お願いします」
 コマツの上司はそういうと、社長の秘書に連絡した。今なら時間が空いているということなので、早速社長室へ向かった。
社長室はビルの最上階に広々と据えられていた。マホガニーの椅子に腰かけ、葉巻を燻らせた社長と対面するなり、コマツの上司は頭を下げた。
「お時間を取らせてしまってすみません」
「ああ、いいんだ。
それより、話というのは?」
「はい、ビルの地下にあるレバーのことについてです。
あのレバーを上げ下げする係員が交代したのはご存知でしょうか?」
「うむ、もちろん知っている。
それがどうかしたのか?」
「その新しく着任した男が、レバーを上げ下げすることに疑問を持っていまして。
前任者はそれについて思い悩んだ挙句、自害してしまいました。
今回の男も、もしかするとそうなるかもしれません。
自殺者が二人も出てしまうとなると、わが社の風評にも関わってくることでしょう。
そこで、ご相談なのですがレバーを上げ下げする理由を説明してみてはいかがでしょう」
 社長は眉根を寄せると、腕を組んで、思案気に唸った。
「うむむ、少し考えさせてくれ」
「はい、わかりました」
 コマツの上司が辞去した後、一人になった社長室で、ぽつりと社長が一言呟いた。
「実は私も知らないんだよな。
親父がやれというから引き継いだだけのことで。
どうしたものか」
 数日後、社長はその筋では高名な降霊術士の元に訪れていた。数年前に鬼籍に入った父親の霊を呼び出し、レバーについて聞くつもりだった。
「それじゃあ、やってくれ」
 社長が術士の肩に手を置く。
「それでは目を閉じて、リラックスしてください」
 しばらくして、暗い目蓋の裏に光球のようなものが現れてきた。初めはぼんやりとしていたが、光に目が慣れてきたのか、輪郭がハッキリしてくると、それが白い死に装束を着た父親であることを認めた。
「お父さん、お久しぶりです」
「おう、お前か。
もう死んだのか?」
「いえ、違いますよ。
今日はちょっとお話があって、降霊術で呼んでもらったんです」
「話? なんのことだ?」
「本社ビルの地下にあるレバーのことです。
あれは一体、どういう意味があるんです?」
「ん? 言わなかったか?」
「いえ、聞いてませんよ」
「なんだ、そんなことで俺を呼んだのか。
あれはな、会社に危機が迫った時に下げるレバーだ」
「えっ、そうなんですか?
けど、今は会社も安定してますし、どうして?」
 そう言うと、霊は昔懐かしむように目を細めた。
「今はな。
けど、昔は違った。
俺が親父、つまりお前の祖父から会社を継いだ時なんてのは酷かったよ。
軍需で成り立ってたようなもんだったからな、厭戦的な世情じゃ、ウチの立場ってのはそりゃあ悪かった。
明日をもしれない我が社だ、毎日毎日レバーを下げてた。
それがすっかり癖になっちまってな、今みたいな平生でもやるようになっちまったんだよ」
「へぇ、なるほど。
そんな事情だったんですね。
で、結局レバーを下げると何が起こるんですか?」
 霊はそれを聞くと、眉間にしわを寄せて腕を組んだ。
「う~ん、それがな、俺もよく知らないんだよ」
「実はですね、今もレバーを上げ下げしているんですが、その担当が理由を知りたがっていまして」
「なるほど、分かった、親父に聞いて来てやるよ。
俺と一緒で天国に居るんだ、ちょっと待ってな」
「お願いします、お父さん」
 霊は社長の暗闇から飛び立ち、天国の祖父の所へ向かった。
「親父居るか?」
「ん、何かあったのか?」
 綿雲で出来た家の中に、ゆったりとした椅子に腰かけて、腰まである顎鬚を撫でているのが社長の祖父だった。
「あのさ、会社の地下にあるレバーって覚えてるか?」
 そう聞いた途端、祖父は目を見開いて、背中を椅子から跳ね飛ばした。
「まさか下げたのか!?」
「えっ、ああ、下げたけど。
でも、なんも起こらなかったぞ」
「そうか……」
「なんなのさ、あれ」
「戦時中、わが社が軍事工場だったのは知っているな?」
「そりゃもうね」
「あのレバーはな、爆弾の起爆装置なのだ。
もしわが社が敵国に占領された場合、敵国に利用されないように爆破せよとのお達しで作ったものだ」
「ええ!?
でも、何百回と下げたけど何も起こらなかったぜ?」
「恐らく、レバーから爆弾へ伸びる電線に不具合か何かがあるのだろう。
古い装置であるし、お前たちから下の世代には何も伝えていないから整備もされていない」
「ていうか、そんな危ないものならちゃんと教えてくれよ」
「わが社の不朽を信じていたのだ、お前たちならレバーを下げることなどあり得ないと、それなのにお前という奴は。
しかし、本当に良かった爆発しなくて」
「……可能性ってのはあるのかい? 
その、爆発する?」
「ん? もちろんだ。
電線が途中で完全に途切れているならいいが、ただの接触不良だったとすれば何かの拍子でそれが治るかもしれない。
その時にレバーを下げたら当然爆発する」
 それを聞いた社長の父親は真っ青になり、下界へ急いだ。しかし、その時同じくして、ビルの地下ではタカギがレバーに手を掛けていた。

受け継がれるレバー

受け継がれるレバー

ショートショートの練習

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-11

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