クラウドアイドル

「ぼくのプリンセス、お目覚めの時間だよ」
 そう言って亜美を起こしに来たのは、アイドルの中越雄二だった。亜美は片目だけ開けて目覚まし時計を確認すると、不満げに口をとがらせた。
「もー、今日は日曜日だよー。会社は、お休みー」
 中越雄二は人差し指を立て、左右に動かしながら「チッ、チッ、チッ」と言った。
「今日は、亜美ちゃんが待ちに待った、ぼくの握手会の日だよ。行かなくていいの?」
「あー、そうだったー。サンキュー、雄ちゃん!」
 そう言って亜美が目覚まし時計のアラームボタンを止めると、中越雄二はフッと消えた。
「よーし、今日こそは本物の雄ちゃんに会えるんだー」
 もちろん、先ほどの中越雄二は本物ではない。目覚まし時計のアラームに連動した3Dホログラムである。ただし、中越雄二のファーストアルバムをダウンロードすると付いてくる特典だから、それ以外の方法では入手できない。しかも、ネットを通じて中越雄二専用のパーソナリティAIとつながっており、簡単な受け答えは本人と同じようにできる。その本人情報も日々アップデートされているから、昨日の出演番組の話題を振っても、違和感なく返事をしてくれるのだ。
 亜美は入念に化粧をすると、朝食の準備をした。朝食と言ってもスムージーだけだが、それを二人分用意するとテーブルに向かい合わせに置いた。別に、同居人がいるわけではない。テーブルに置かれたスイッチを入れると、向かい側の席に中越雄二が現れた。こちらはセカンドアルバムの特典で、一緒に食事をしてくれるのだ。もちろん、3Dホログラムだから本当に飲み食いするわけではないが、テーブルに置かれた飲食物をスキャンしてホログラムに再現し、実際に飲んだり食べたりしているように見せたり、味の感想を言ったりする。目覚まし時計のものより、画像も会話もよりリアルなバージョンなので、亜美はスッピンでは恥ずかしくてスイッチを押せないのである。
「うーん、亜美ちゃんのスムージーは、いつもおいしいね」
「ありがとー」
「今日の握手会、ぼくも楽しみにしてるよ。気を付けて、行ってらっしゃい」
「うん、行ってくるねー」
 今日はゆっくり会話を楽しむ時間がない。亜美はすぐにスイッチを切った。中越雄二は消え、当然だが手付かずのスムージーが残っている。それを亜美は黙って流しに捨てた。内心もったいないと思うが、中越雄二が飲んだことになっているから、自分で飲んだりしたら、夢が壊れてしまう。
「あ、そうか。どうせ今日、本物に会えるんだから、こんなことしなくても良かったなー。まー、いいや。楽しみだなー。うふふ」
 握手会の権利は、サードアルバムの特典である。会場は少し遠いが、亜美は張り切って出掛けた。

 夕方、亜美は無言で帰宅した。夕食を作る気力もないようで、ぼんやり座っていたが、静かさに耐えられなくなり、テーブルのスイッチを入れた。たちまち中越雄二が現れた。
「やあ、お帰り、ぼくのプリンセス。握手会、どうだった?」
 だが、亜美は返事をせず、それどころか、目から大粒の涙をあふれさせた。
「どうしたんだい?間に合わなかったのかい?」
 すると、亜美は泣きじゃくりながら、首を振った。
「ううん、間に合ったわ。会場は人がいっぱいで、少し待たされたけど、時間内に握手の順番が回ってきたの」
「良かったじゃないか」
「でも、会場が暑かったせいか、近づくと雄二は汗のニオイがしたわ。我慢して握手したけど、手がベタついてて。それに、それに」
「どうしたの?言ってごらん」
「雄二の顔に、ニキビがあったのよー」
 亜美は声を上げて泣き出した。
(おわり)

クラウドアイドル

クラウドアイドル

「ぼくのプリンセス、お目覚めの時間だよ」そう言って亜美を起こしに来たのは、アイドルの中越雄二だった。亜美は片目だけ開けて目覚まし時計を確認すると、不満げに口をとがらせた。「もー、今日は日曜日だよー。会社は、お休みー」中越雄二は人差し指を......

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted