高齢者たちの嘆き
明日わたしたちは死ぬだろう。昔、偉い予言者の言葉通りに。最初は、迷信だと信じていた。いや、信じこもうとしていた。でも、不思議なもので恐れれば恐れるほど、迷信は現実のものとなっていったのだ。高齢者介護法に始まったルソー政権は、ついに若さを神聖視し、わたしたちは、やがて狭く汚い一画で暮らすことを余儀なくされた。一方若者たちは、政府がわたしたちから没収した財産を間接的に受け取り、この世の春を謳歌していた。その中には、もちろんわたしの娘二人も含まれる。この家族制度が、有名無実なものになって以降・・・・・・。高齢者の居場所は急速になくなっていった。働かない人間。働けない人間として、責められた。むしろ政府は、事務仕事をしていた人に、肉体労働を強いるなど無茶苦茶なことをやってきた。わたしたちの安寧の場はもはや墓場しかないのかもしれない。ただ、1人V45地区に聡明な老人がいた。世間の価値観に負けずに「高齢者は無能ではない」と叫びだしたのだ。わたしたちにとって始め、その老人は狂人だった。それでも粘り強く老人はかつて老人が尊敬され、敬われた時代の物語を話した。V45地区に老人の勢力ができあがってから、革命を起こそうとルソー政権に反旗する。その数わずか50人。よれよれで立つこともやっとの老人たちの行進は、続き、戦車が出てきて、全員ひき殺された。リーダーだった老人は目をくりぬかれ、全身の皮膚をはがされて、2週間死ぬまで、国会議事堂にさらされた。高齢者たちは、それぞれのゲットーで余生をおくり、死んでいった。誰もが長生きなど望まずに、「人間は年をとる」という事実を忘れ去ってしまったようだ。やがて高齢者に分類されるのを防ぐために、化粧品産業とアンチエイジング商品が盛り上がってきた。その結果、貧しいものたちが、多くゲットーにいれられた。そして、ついにルソー政権は、高齢者浄化法を制定する。明日私たちは、もっとも安価に死ぬだろう。いや、殺されるのだ。あの時、ルソー政権など生まれなければ、もう少し楽しい余生を過ごせただろう。でも、現実は常にひとつの未来を選択する。そうでない世界は、存在しなかったように消え去ってしまう。そして、私たちも消え去ってしまう。
高齢者たちの嘆き