桃源郷

作風が昔に戻ったようです。

天国には行けなかった。しかし地獄でもないらしい。

私はこのたび、27歳の命で儚くこの世を去った。
女ひとり犬を飼い、誰とも縁がなく、風邪をひいてそのままあっけなく、布団の中でちーんと消失した。
後に残された犬が不憫である。

私は、気が付いたら小船に乗せられ、どっこらせーと鬼が船をこぐ中、来た方を振り返り、自分の葬式がしとやかに行われ、案外皆笑って宴会のようで、犬は可愛さゆえにいとこ同士で取り合いになっているのを見て、ひとまずほっとし、対岸を目指した。

着いたのは閻魔の前。
閻魔様は赤ら顔に、存外人好きのしそうなぐりぐり目玉で、なかなか愛嬌があった。
お前のやったことは全て見ていたぞ、と、側に立つ坊主からひそひそと耳打ちされながら、「お前は小学一年生の時、同級生をいじめただろう」と言う。
「はい」と私。

しばらく間が空いて、「言い訳しないのか?」と聞くので、「おっしゃる通りでございます」と言った。
ひそひそと坊主がまた耳を打つ。
閻魔は困った顔になり、「しかしお前は、その後はよく学んだようだな。金遣いが荒かったこと以外に、大して罪がない」と言った。
これには胸を張り、「おっしゃる通り、私は自分の稼ぎで好き勝手はしましたが、借金も悪いことにもお金を使ったことはございません。強いて言うなら、一匹目の愛犬を思いやれなかったことぐらいです」と言った。

閻魔はむむむ、と唸ってから、「しかし、お前の前世は罪深く、人を殺している。今世の苦界はそのさばきである。よって来世でもその罪を償うべくまた人間に生まれるだろう。よってお前の身柄は、桃源郷へと送ることにする」と言った。

「それは天国ですか?」と聞くと、側の坊主がにやりとして、「なに、孤独地獄よ」と言う。
へえ、と思い、「願ってもないことです。あの世で祖父祖母ご先祖に、どのような説教を受けるか悩んでいたところですから」と平然と答えると、坊主は苦渋の顔をし、閻魔は「変な奴だな」と笑った。

「お前のようなぼんくらが行くには、丁度良い牢獄だよ」

さて、針山の横を通り、蓮の花の香りのする門の前も通り過ぎて、私が着いたのは、なんと昔住んでいた家であった。近所も何も変わらず、ただ誰もいない。

「達者で暮らしなさい」
そう赤鬼が同情を込めた言葉を残して去り、鬼って案外優しいんだな、と私はまたぼーっと突っ立って、「さようなら」と返事した。

家に入ると、懐かしい、ヒノキの香りのする玄関。母の気に入りの暖簾が、風にふわりと揺れた。
部屋に入ると、壁に兄の体重でできたひび。私と弟の描いた絵が飾ってあり、部屋の中の物は一切変わっていない。
しかし私が夜逃げ前に買ったランニングマシンなどはなく、自室に行くと、置いてある本などもまるで私が小学生だった頃のようだ。

と、庭の方から、しゃらら、と金属の擦れる音がした。
すわっと、大急ぎで階段を駆け下り、リビングの窓を開ける。

「わん!」

チヤコがいた。
チヤコは、昔私が飼っていた、雑種の雌犬だ。私は酒に酔うと笑い上戸になり、一度笑いながら自殺を図って、「チヤコのところへ行くんだー」とほざいていたらしいが、それぐらい執着していた相手だ。

なんだ、ここは天国じゃないか。
私はチヤコを撫でながら、「おいで、家に入れてあげる」とその鎖を取った。


幾日か経っただろうか。
この町にも、住人がいることに気が付いた。
最初、チヤコを連れて散歩していると、着物を着た爺さんが、畑仕事をしているのを見た。
見るからに人嫌いそうな顔だったが、目が合ったので、「こんにちは」と声をかけると、じろりと見てから、「ちょい、待っとりんさい」と言う。
ぼーっと私が待っていると、爺さんはとうもろこしを袋に入れ、「新人やろ、よろしゅうにな」とにっと笑った。

また、婆さんが昭和よろしくな家の前でロッキングチェアを出して編み物をしていたり、善人だか悪人だかわからないおっさん共が、べいごまや麻雀をして遊んでいるのをたびたび見た。
近づきはしなかったが、なるほど、私のように、扱いに困る連中ばかりだ。
皆一人好きな似た者同士。山に行けば画家がいたし、昔父とよく行った本屋には丸眼鏡をかけた、昔の人と言う感じの本好きがずらりといた。
皆、前世で人を殺したんだろうか。その割には行儀がよく、本を読むくらいしか取り柄がなさそうだ。
店員も無駄話を一切せず、たまににっこり笑って、「ありがとうございました」しか言わない。
真面目人間のたまり場だ。

なんだ天国じゃないか。私はまたそう思った。
誰一人言葉を交わさず、誰一人友達もいない。いるとしたら不良みたいな連中だけで、それもおふざけが過ぎる程度で、悪さはしない。
なんだ天国じゃないか。

夜、私は道端で売られていた南瓜を甘く似て、ご飯に混ぜ、それをチヤコに分けてやりながら、このままの日々が続いてほしいと切に願った。


次の日、私は自分がどんな本を集めていたのか見ていた。
日本昔話集、昔の人の知恵袋、保育園でもらうワークブック。それ以外にアルバムも出てきて、部屋の中をチヤコに自由に行き来させながら、それらをとっくりと眺めていた。
気が付くと正午。
さあ昼飯にしようと、腰を上げると、「ピンポーン」とチャイム。
「は?」と思い上から覗くと、なんと幼馴染がいるではないか。
私と同じ年恰好。ひどくおどおどしている。

「何?」
ガラッと開けて、ムッとした様子の私に、彼女はおびえた様子で、「ひ、久しぶり、上がっていいかな?」と聞いてきた。
服を見ると血まみれで、「ああ、こいつやったのか」とぼんやり思い、まあ仕方ないと上げてやった。チヤコがうるうる唸っている。

「で、誰を殺ったの?」と聞くと、「違うわ!事故だわ!」と彼女が切れた。彼女は私が夜逃げした際、ふざけメールを送り付けてきたので、絶交してそれ以来出会っていなかった。
中学生になって以来、天真爛漫だった彼女はひどく男に媚びるようになり、私は何度利用されたかわからない。なので生きている間もあまり関わりあうことはなかった。相変わらずガリガリのガリだ。

「まあとりあえず、風呂沸かすわ」
私はそう言って立ち上がり、彼女を風呂場へ連れて行って、自室へ服を取りに行った。あの子の身長なら私の子供の頃の服も着られるはずだと、小6にして163センチあった私は考え、割りと良い服を選んでやり、持って行った。
チヤコが彼女に吠えていて、彼女はびびって風呂場から出られずにいた。「これこれ」と押さえて、服を手渡す。彼女は人間不信が過ぎたが、私のぬぼっとした性格を知っているので、安心したように袖を通し、風呂場から出てきた。
うむ、やはり私はスマートだったようだ。彼女を見てそのガリガリ具合に感心する。
「ご飯にしよっか。南瓜飯、うまいよ」
私がそう言うと、彼女は突然、わーんと泣き崩れた。

普段から人を騙したり侍らせたりしてきた彼女には、ここは地獄らしい。
よしよしと頭を撫でながら、「まあ、すぐ慣れるさ」と言った。私との友情なんて不本意だろうが、致し方あるまい。当の私が不本意なのだから当然だ。
その後めちゃくちゃ喋りかけてくる彼女に辟易しながら飯を食べ、携帯をいじっては写真を見る彼女を、家に置いて、私はチヤコの散歩に出た。
好きなように季節が変わる山を眺めるのが楽しく、「ああ今日は紅葉が綺麗だ」と、私は画家に挨拶しながらあぜ道を歩いた。
帰ると彼女は畳の上で伸びており、電源の切れた携帯がごみ箱に捨てられていた。
さて何時に帰ってもらおうか。

そう思っていたのに、彼女は当たり前のように家に居続けた。これには堪忍袋が切れかけたが、まだ孤独性が治らないのだろうと、そっとしておいた。
彼女は庭に出て、メダカを眺めたりぼーっとしたりして、子供のように過ごしている。
孤独癖の染みついた私と、孤独性の治らない彼女。どちらの方がましなのだろう。
最近は散歩にも着いて来て、始めは興味も示さなかった木々や鳥のさえずりに耳を澄ますようになり、知らないうちに、画家と駆け落ちしていた。
うーむ、どちらがましなのだろう。

私は孤独な生活の戻った我が家で、彼女の手紙を読みながら、その魔性ともいえる女の性について考え、まあいいや、と和室で日向ぼっこをしながら銀河鉄道の夜を読みだした。
庭でチヤコが遊んでいる。

ある朝起きると、雪が降っており、積もっていた。
嬉しい気持ちで雪かきをし、とうもろこしの爺さんに挨拶をして、「うちで餅を搗くから食べに来なさい」と言われ、一人でもできるのかな、と思ったら、爺さんの家は意外と人がいた。どの人も先祖らしい。
子供もいれば赤ん坊も女の人もいて、皆朴訥として朗らかだ。

なんだ、やっぱり天国じゃないか。

汁粉の用意を手伝いながら、私はチヤコを撫でてくれる人たちを見て、そう思った。


さて、突然の冬もすぐに終わり、今度は夏が来た。
なんでも近所に、カダだかなんだかいう中国人の医者が出張してきて、無料で健康診断を行ってくれるとのこと。
回覧板でそう知り、死んでいるのに病気も何もないだろうと考え、珍しいので見物に行く。

山の方のグラウンドで簡単なテントが張られ、カダは興味がてら並んだ人の脈をとり、熱を測り、口をべーっとあけさせて、ほい次、はい次、と中国語で何か言ってはどんどん見ていく。

爺さんが来たので、「あれって意味あるんですかね」と聞くと、爺さんは、「自分は死ぬ前腎臓が悪かったから、今でもしくしく痛む。この際だから、取ってもらおうと思っている。あんたもどこか悪いところがあれば、見てもらいんさい」と言い、列に並んだ。

ひえー、手術台もなんもないのに、と私は若干びびったが、なるほど、死ぬとそういう考えになるのか、と合点し、それではチヤコの体を診てもらおうと、家に帰り、チヤコを連れてきた。
順番が来ると、カダはチヤコの耳の中を見て、何か私に長々と言い、怒った。
恐らくマダニがいると言っているのだろう。必死に頭を下げ、お願いのポーズをとる。カダは点眼のような薬を取り出し、数滴たらすと、耳からピンセットに似たものでどんどんマダニを取った。
また薬も飲ませた。
さ、これで大丈夫とばかりにぽんとチヤコを叩いて、次、と手招きされる。
お礼にこちらに来てから使ったことのない金を取り出すと、ぽかりと頭を叩かれた。
早く帰れ、とばかりに早口で罵倒される。
そうかそういう価値観か、と納得し、そこを辞す。

家に帰ると、誰かの雪駄が脱いである。高そうなそれに、はて?と思い家に上がると、なんと祖父がいた。
久しぶりも何もなく、早速説教。
つまらないことで死んでからに、親に苦労を掛けて、などなど。
しかしよく、頑張って生きた。最後はそう褒められて、いやいや私なんて、と返すと、「そろそろ使いが来るぞ」と言う。

生まれ変わりの時が来たのだ。

私はぎょっとし、初めて泣き喚いた。
いやだいやだ、ずっとここにいるんだ。チヤコと一緒に暮らすんだ、と喚くと、「それがお前の罪だ」と断言された。
次に死んだら、天国行きらしい。

「その時は、チヤコも天国にいるの?」と聞くと、ああいる、皆いる。父も母も、お前の周り全てがお前を待っている。祖父はそう言い、お土産に祖母の作った炊き込みご飯を置いて帰った。

私はチヤコと最後の夜を過ごした。レンジでチンした炊き込みご飯は筍入りで、春の来ないここには珍しく、やはり天国は年中春風が吹いているのか、と思った。

次の日、鬼が訪ねてきた。
「遺恨はないか」と聞くので、「あいさつ回りを・・・」と言うと、「そんな必要はここには無い」と言う。なるほどその通りだ。何も知らせずとも、悟るのがここの通りだ。私は鬼について行った。

最初のように、針山の横を通り、天国の門の前に来ると、今度は中に入るという。赤いその門を入り、桜の匂いに花をひくひくさせながら、遠くで聞こえる笑い声に耳を澄ませ、そちらとは反対方向の、寂しい道ばかり通る。

「着いたぞ」
見ると、大きな蓮の花。人間二人は入れるだろうか。水が張ってあり、現世であろう景色が映っている。
男女が二人、病院で手を取り合い、話している。
「さあ行くんだ」
え、と思う間もなく、私は背中を押された。


こうして私は、真っ逆さまにこの世に落ちた。
また生まれる。生まれてしまう。
今度はどんな苦しみが待っているだろう。どんな困難が待ち受けているだろう。
そう思って泣いたら、思いがけず美しい女の人の手に抱かれ、私はうっとりとし、目を閉じた。

桃源郷

最近絶望性が激しいな、と思っていたら書けました。私の死生観。

桃源郷

天国でも地獄でもない牢獄で、私は思いのほか楽しく過ごした。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-09

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