三日間。
「恥ずかしいから、こっち見ちゃダメ!!」
…彼女は僕に会った瞬間にそう言った。わざわざ僕の住むこの街まで自分で会いに来たくせに。
彼女とはネットのとあるソーシャルネットワークサービスで出会った。出会い系とかそういうのではなく、ごく普通にユーザ同士が交流を持つごくごくありふれたSNSだ。
たまたま同じコミュニティに属しており、僕がこれもたまたま彼女のページを訪れた時に、色々な男性会員から明らかなナンパ行為のような書き込みを大量に受けていたのを見かけた。
なんというか…少しいわゆる不思議ちゃんっぽい独特の語り口調で書かれる彼女のメッセージは一見するとなるほどちょっと危なっかしい、言い換えれば簡単に落とせそうなそんな印象を与えるかもしれないと思った。
彼女のページにはたくさんの自作の詩がちりばめられており、なんとなく見ているうちにこれはハッとするような感性の持ち主だなって感銘を受けた。
普段のコメントや日記では少し天然っぽい、悪い言い方をすれば頭の悪そうな印象を受ける人もいるかも知れないが、その中に鋭い感性を感じる言葉が織り交ぜられていた。
きっと彼女は決して頭の悪い子ではないんだろう。むしろとても頭のいい子ではないか? もしかしたらこの不思議ちゃんキャラはわざとやってるんじゃないか? とまで疑った。僕はなんとなく日々彼女の日記を読み続けた。
そんなある日、彼女は僕のページに訪れてメッセージを残していった。それはいつも自分のページを見に来てくれてありがとう、というようなよくある挨拶だけだったが、僕はなんとなく嬉しくなった。
それから僕の方も彼女のページに訪れてはコメントやメッセージを残すようになり、いつしかメールアドレスを交換してメールで色々な事を話すようになった。お互いの事も知るようになった。彼女は札幌に住む大学生で、有名な博士の銅像の建つ国立大学の理系の研究過程の4年生だという事もわかった。…やはり頭いいんじゃないかと僕は思った。彼女は彼氏との事や日々の生活、アルバイト先の事など色々話してくれ、僕にとってもそのやりとりは楽しいものだった。
ある日の事、いつもの様に彼女は自分のページに新しい一編の詩をアップしていた。淡々と書かれていたが、ひどくそれまでの物に比べれば陰鬱な印象を与えるものだった。
何かあったのかな? と僕は思ったがあえてこちらから聞く事はなかった。その夜、突如彼女から僕の携帯に連絡がきた。
パソコンがおかしくなっちゃったの! そう彼女は言った。僕がコンピュータ関係の仕事をしている事は伝えてあったので僕のメールの末尾に書いてある電話番号にかけてみたと言った。僕は彼女にアドバイスを送り、なんとか彼女のパソコンは復旧した。彼女はうれしそうに何度もお礼を言った。
ふと、気になって僕は彼女に、最近何か悲しい事でもあったの? と聞いた。
「あたし…彼氏にふられちゃった」
彼女はそう言ってえへって笑った。明るく言っているがその言葉の裏に深い悲しみを隠しているのを感じた。彼女よりは僕は大分年が上だったが彼女はタメ口で話す。でも不思議と不快感は感じなかった。
僕はそもそも彼女をどうこうしようという気はなかった。そもそも東京と札幌ではあまりにも距離がありすぎる。会う事すら難しいだろう。だからこそむしろ僕はすんなりと彼女という存在を受け入れ、相談に乗り、そして今慰めの言葉をかけている。
それからはメールのやりとりの他に、夜よく電話で話すようになった。いつしか彼女は僕の名前の一文字に「ちゃん」付けで僕を呼ぶようになった。こそばゆい気もしたが、いやな気はしなかった。彼女なりの親愛の情けの現れなのだろう。彼女は彼氏がいなくなって淋しいから新しい彼氏ができるまで疑似恋愛に付き合って欲しいと言い、それからはかなり照れくさくなるようなメールをたくさん送ってくるようになった。それはそれで楽しくもあり、僕もなるべく誠意を持って返事を書いた。
「ねぇ…あたし会いに行っていい?」
突然彼女は言った。それは構わないけど? と僕は答えたが、まさか札幌から東京くんだりまで来はしないだろうとたかをくくっていた。またいつもの恋愛ゲームのノリで言ってるんだろうと。
僕もそういう事ならと悪のりして、じゃあ会いに来たらいっぱい可愛がっちゃうからね! なんて答えてた。
夏になった。彼女とは相変わらずメールのやりとりをしてて、それはもう日課になっていた。最初に出会ってから気づけばもう半年以上も経つ。
「夏休みになったから、前からの約束通りそっちに行くね!」
急に電話でそう告げられて…まさか? と思ったらもう飛行機の予約もしたと言う。本気か…? と一瞬疑ったが、もちろん実際に会えるのならば僕も会いたいとは思う。それは悲しい男の性であろう。
職場に近い渋谷駅で待ち合わせをした。南口のモヤイ像で、と。そう、あのルパン三世に盗まれた事もあるあのモヤイ像の前だ。お互い写真もよく送り合っていたので顔は知ってる。
もはやこの状況になっても正直僕は彼女と会ってどうしていいのか、まったくわからなかった。どうしようっていうのか? どうしたいのか?
そして彼女は果たして本当にはるばる渋谷駅に現れた。体にフィットした、いわゆるボディコンっぽい黒いノンスリーブのミニのワンピースにブーツという出で立ちだった。見知っていた通り少し浅黒い肌をした痩せてすらりと背の高い子だった。ヒールの高いブーツを履いているので僕とさほど身長が変わらないくらいだ。見た感じちょっと軽そうな女の子だった。
僕の前に来た瞬間に彼女は持っていたバッグで顔を隠して…冒頭のセリフを言った。
「なんだそりゃ」
僕は笑って言った。
「だって…恥ずかしいんだもん…」
そう言われても…僕もどうしたらいいかわからない。とりあえず笑いながら少し落ち着こうと言った。どこのホテルを取ったか聞いて、とりあえずそちらに向かって歩く。246沿いのビジネスホテルだった。時計を見ると午後3時のチェックインの時間まで1時間以上あった。
ホテル近くのハンバーガーショップに入ると窓際の席に並んで座った。対面の席が空いてるからそっちに座ろうって言ったら恥ずかしくて顔見れないから並んでるとこのがいいって言った。
しばらく並んで色々な他愛ない話をしていると普段メールや電話で話してるように打ち解けて以前からよく見知ってる相手のようになれた。いや、以前から見知ってるのには違いないんだが。
気づけば3時を過ぎていたので、とりあえずチェックインして荷物を置いてこようと僕が言い、二人はホテルに向かった。ビジネスホテルの簡素な狭い部屋に入って、僕は彼女が荷物を置いている間入り口近くに立ったままさてこれからどうしようと思案していた。
ふいに、彼女は僕に抱きついてきた。
「ちょ…ダメだよ…そんな事しちゃ」
僕は努めて冷静にそう言った。
「だって…ホントに好きになっちゃったんだから…しょうがないよ」
彼女はそう言うと黒目がちの大きな目を閉じて僕を見上げた。僕は我慢ができなくなって彼女に口づけた。彼女の体から力が抜けていくのを感じて、くっついたままそのままベッドに倒れ込んだ。
その後はもう…理性が飛んだまま。遠いとかあまり会えないとかどんな理由を付けようと会ってしまえば所詮男と女に過ぎなかった。何も考えずにお互いの体を獣のように貪るだけだった。
結局彼女が東京に滞在していた三日間の間…ほとんど部屋にこもったままで食事で外に出る時意外はずっと二人裸で過ごし、ひたすらお互い求め合うだけだった。他に何もいらなかった。
彼女は札幌に戻る事になり、僕は羽田空港まで見送りに行った。浜松町からモノレールに乗り、その時からすでに彼女は泣いていた。泣きながら飛行機の乗り場で何度も何度も振り返って手を振って、そのうち見えなくなった。
その後、毎晩のように淋しい、会いたいって電話が来るようになった。今度は僕が時間を作ってそっちに行くから待っていて欲しいって伝えて彼女を慰めるのが日課になった。
そいてある日、ぴったりとメールが来なくなった。こちらから送っても返答はない。電話をしてみても出なかった。僕は気になったが仕事が忙しく、気づけば夜になり…連絡が着かないまま2日過ぎた。
ふと一通のメールが彼女から届いている事に気づいた。心労が祟って倒れて入院してしまったと書いてあった。本当に好きだけど会いたい時に会えないのが辛すぎる。だから終わりにしよ? って書いてあった。
そうか、彼女はあまりにもそういう相手に依存心の強すぎるタイプだったのだろう。変に僕が世話を焼いてしまったがために可哀想な事をしてしまったのかも知れない。
デジタルな出会いで始まったアナログな恋愛ゲームはデジタルな0か1かという選択肢で0を選ばれてしまったようだ。
毎年夏が来ると僕はあの彼女と過ごした狂おしいようなたったの三日間を思い出す。
三日間。