アイバミ
血蟲 その一
「今ので最後の一匹ですネ」
このところ、蟲の数が増えてきた。やはり近い内にウロがあるのだろう。この家でも、小さいとは言え放っておくことのできない蟲が多く入り込んでいた。蟲除けなどで入り口になるだろう場所に対策していたにもかかわらず、だ。
そのような蟲に対処するため、わたし達のような者がいる。アイバミと呼ばれるわたし達は身体に蟲を宿し、蟲を遣い、蟲を殺す。それを生業として、生計を立てる者たち。それほど数は多くはなく、しかし最近では蟲による被害が増えてきたためになくてはならぬ存在だと自負している。
わたしが相対する蟲は殺虫剤では死なず、蟲により喰い殺させるしかその被害を抑える方法はない。そのくせにどこにでも入り込み、様々な害をもたらす。
単に身体に着けば不快なだけの存在だったり、身体の中に入り込み内部から喰い荒らす存在だったりと、種類も危険性も様々だからわたし達はその対処に後れを取っているのが現状である。
それでも、わたし達は虫を駆除し続けなければならない。ウロが引き起こされる、その前に。
「助かりました」
今日の案件は普通の家だった。天井に蟲の卵を見つけたから駆除して欲しいと、連絡が来た。駆除そのものは数秒で終えた。わたしの血液の代わりをしている、血蟲どもを天井に張り付いていた紫色で野球ボールサイズの大きさにまで成長していた蟲の卵に喰い付かせば、作業はそこで終了する。
あとは横で見ていれば、血蟲どもがわたしの体内から離れて行動できなくなるまでにはその卵も全て食い尽くされている。蟲の駆除とは互いに喰わせることなのだ。だから相食みと呼ばれている。
「大きな卵でしたネ」
種類まではわからないものの、それなりに大きな卵鞘だった。放っておけば、この木造建築の一つぐらいならば簡単に喰い尽くしてしまっただろう。そして念のために壁の隙間や屋根裏などを確認したところ、案の定ってわけだった。
「蟲対策ができてなかったのでしょうか」
見たところは問題ないように見える。蟲対策とは、通常の虫に対してすることとほとんど変わりはしない。入り込みそうな場所に、蟲が嫌がる何かを置いていれば蟲が家の中に入ってくることがなくなる。もしくは月に一度か二度、蟲避けの燻煙剤を焚くことでも効果がある。
でも聞いたところ、この家では前者の方法で蟲の対策を施していた。それでもこの様だった。
「また、新しい蟲かト」
蟲とその予防薬とは競争の関係にある。そして、今や予防薬は蟲の進化に追いつけてはいない。昨日出た薬品の中で、今日にはもう新しい蟲が活動していただなんてザラに聞く。それに蟲避けの薬品は人にも有害になり始めている。
認めたくはないが、もはや蟲に喰わせると言った原始的な方法でしか蟲に対応する手段がないのだ。
「……そうですか」
それがわかっているからこそ、この家の人も哀しそうな顔を浮かべ、それ以上はなにも言わない。だからわたし達もほとんど金銭を受け取らず、ただわずかな食料を貰って次の蟲の被害の場所へを急ぐ。ほとんど休むことはできない。でもわたしに限って言えば、休む必要はない。
-----
血蟲は元々、人の血液を吸い尽くす寄生虫だった。血蟲の卵が体内に入り込むと、十日足らずでそれは孵り、血液をエサとして爆発的に成長、そして孵ったその日のうちに数万もの卵を残して死んでいく。
その繰り返しで、血蟲は宿主の血液を全て吸い尽くし、その身体の支配権を奪い取ってしまう。血蟲に操られた宿主は水の中に身を投げる。そうしてその水を飲んだ新たな宿主の身体に入り……と、改良されるまでは致死性の高い凶悪な寄生蟲だった。
それを、アイツが改良した。血蟲それ自体が血液の代わりをなすように、全身が血蟲を血液として成り立たせるように、人の身体を作り替えた。そうしてわたしは、血蟲を操るアイバミになった。
やがて長い間、共存して生活している内に血蟲わたしを主と認めたのか、言うことを聞くようになった。驚いたことに、血蟲は他の蟲を喰らうように成長していた。アイバミとして強力な武器であることに違いはないが、わたしはそのことに恐怖を感じている。
明らかな意思を持った進化。これはアイツの思い通りの出来事なのか、それとも単なる奇跡なのか。やがて、この血蟲どもはわたしの身体を喰い荒らしてしまうのではないか。血蟲を信用してはならないのではないか。それでも、わたしは共存する他に手段はない。
「相変わらず便利な身体だよな、おまえ」
次の依頼主の元へとは電車で向かう。あまり人の多くない車内で、会いたくもない男が横に座った。わたしの同僚で、燻煙剤を主に使っているアイバミ。名前は知らない。聞いてもいないし、話す気もないらしいのだから。
「便利ですヨ」
いつ、もしかすると今すぐにでも喰い殺されるかも知れないことを除けばネ、と言いたいが口には出さない。卑屈になってもしょうがないのだ、付き合うしかない。
「有害な燻煙剤を使う必要もないですし、何より蟲任せにできますからネ」
実際に、血蟲が蟲を喰らうようになってアイバミとして大きく前進することができた。普通ならば、駆除する蟲の種類を見極め、その蟲の天敵となる蟲を放つことで対応している。もちろん、その蟲は特殊な燻煙剤で簡単に死ぬように品種改良された、仕事道具である。わたしのように体内に蟲を飼うアイバミなんて、存在しない。
「相変わらず全ての蟲を喰えるのか、ケツエキちゃんは」
ケツエキちゃんとは、わたしの中で蠢く血蟲の相性である。名付けはこの男。手入れなんぞしたこともないのだろう、ボサボサで適当に切られた黒の髪、決して美形とは言えない顔の造形は卑屈そうに歪み、身長はあまり背の高くはないわたしよりも少し高いぐらいで、男としての魅力はほとんど感じない。
着ている物も、お店のマネキンが着ている物をそのまま購入し、そのまま着ているのだという。だから、無駄にセンスは良い。
「喰えますネ」
指先を歯で食い千切る。その様子を見ていた乗客が目を丸くしてわたしを見たが、気にもしない。この男がお望みのケツエキちゃんと対面してやりたいのだ。
「喰われてみますカ?」
深く噛み切ったが、真っ赤な血液は垂れ落ちない。血蟲の体表は、薄く赤みがかった白色であり、それも目で見えるぐらいの大きさをしている。具体的に言えばノミと同じぐらいの大きさだろうか。
それが噛み切られた指先から、次々と顔を出しては男の方を見ている。指の腹側を上にして、血蟲が次々と這い出している指を男の方へと近寄らせる。男はそれでもひるまず、むしろ楽しそうな笑みを浮かべていた。
「カワイイもんだね」
どういう意味か、とは尋ねない。ろくな解答は返ってこないのだから。
「そんな物でしょうカ」
噛み切り、血蟲が這い出している指先を口の中に入れる。こいつたちが本当に人畜無害かどうかまだわかっていない以上、こうして人の多い場所で外に出すものではない。血蟲たちが口の中で跳ね回る。
それらを唾液に混ぜ、喉の奥へと追いやっていく。決して良い気分ではないが、もう慣れてしまった。血蟲どもが口の中で蠢かなくなったことを確認して、口の中から指を引き抜く。出血はすぐに止まった。血蟲たちの身体が、まるで血小板のように傷口を塞ぐのだ。
「ああ、そうだ」
男が白いスマートフォンを取り出し、何かを確認する。わたしはそんな物は持っておらず、メモは全て頭の中で記憶している。血蟲どものおかげか、メモに頼る必要がないぐらい記憶力が良くなった。昔はもっと物忘れが激しかったってのに。
「次はおまえとの共同の仕事だ、ヨロシクな」
ため息を漏らす。憂鬱な仕事になりそうだった。
アイバミ