卒業生に贈る叙事詩

ある高校で卒業式に贈った叙事詩

            卒業生に贈る叙事詩
                             
 4月10日離任式が終わった。離任される先生が舞台から降りようとしていたその時、突然ある生徒が立ち上がって言った。
「離任される先生のために歌を作ってきました。それを歌いたいと思います。いいでしょうか。」
 一瞬、何が起こったのかとみんな思った。次の瞬間、許可を得て二人の三年生がギターを抱えて舞台に上がってきた。その三年生は言った。「離任される先生に捧げる歌を作ってきました。気持ちを込めて歌います。聞いて下さい。」会場は静まりかえった。二人の歌声とギターの音は体育館に響き渡った。二人はこの学校を去っていく先生のために、歌詞を書き、曲をつけ、歌の練習を重ねて来たのだった。そして、勇気を持って舞台に上がってきた。その歌詞も曲もみんなの心に染み渡った。離任される先生は目に涙を浮かべていた。歌い終わって、二人の三年生と先生は握手し抱き合った。

 5月30日体育祭前日、グランドでの練習が終わった後、桃団の生徒が次のように言った。
予行が終わり、グランドの準備が終わった後、青団、赤団が順番にグランドで実地練習をした。どの団もまとまりがあったし、熱がこもっていたし、楽しそうにやっていた。それを見て桃団の人はみんな沈んでいた。
「ちょっと、やばいん違う。うちとこ、なってないわ」
と思った。練習場所だった柔道場に桃団の応援団が集まった頃、副団長がみんなに声をかけた。
「みんな、集まって、集まって」
 みんな何事だろうと思って集まった。彼女は言った。
「みんな、応援団やってて楽しい? 青団も赤団も、さっきグランドで練習しているの見たと思うけど、みんな楽しそうに一所懸命声を出してやっていた。うちら、楽しそうにやってる?」
 みんな黙っていた。このままじゃ負けてしまうことは目に見えていた。
「今まで色々あったけど、ほんまに色々あったけど、もう今日しかないねん。三年生が指導しなあかん立場やのにちゃんとやれてない時もあった。バイト、バイトと言って集まらない時もあった。一年の男子がなかなか振りを覚えられないのを一年の女子のせいにしたこともあった。そもそも応援団になったんかてじゃんけんで負けて嫌々なった人もいるやろ。いくら愚痴を言うてもええ、不満があるならいくら言うてもええ、三年生の至らないところがあったのなら謝る。ごめんな。でもな、本番は明日やねん。もう、練習は今日しかないねん。応援団になった以上、責任をまっとうせなあかんのと違うか。うちら三年生にとっては、これが最後の体育祭やねん。精一杯のことをして負けたならしゃーない。赤団や青団が頑張って声出して練習しているのを見て、このまま引きが下がるわけにはいかんと思うた。うちら、精一杯のことをして散りたい。みんな、やってくれるか。」
 側で団長は泣いていた。三年の女子も涙ぐんでいた。二年の女子が言った。「やります」と。一年の女子も言った。「先輩、やります。一緒に頑張りましょう」
 副団長は言った。
「ほな、みんな、精一杯大きな声出して、頑張ろうや。うちの後につけて、声出してや」 柔道場での練習が始まった。でも、直ぐにみんながまとまったわけではなかった。一年の男子がぐずぐずしていた。でも、女子は必死に声を出し始めていた。徐々にテンションが上がってきた。
 40分ほど経っただろうか。グランドでの練習が終わった赤団が柔道場に入ってきた。桃団は入れ替わりにグランドで練習することになっていた。このグランドでの練習が実地練習の最後だった。みんなに気合いが入ってきた。柔道場からグランドに行く途中で、一年の男子が団長や副団長のいる三年の女子のところに集まってきた。一年の男子が言った。
「今まですいませんでした。これからは一所懸命にやります。本番まで頑張ります」
 どうやら一年の男子も解ってくれたように思った。一年も二年も三年もみんな、心を一つにまとまったように思えた。グランドに出てからの練習は今までにない充実したものになった。みんな、声が出ていた。その声がグランドに響いていた。団長や副団長の指示する声がよく通った。みんな、指示通りきびきびと動いた。熱気があった。真剣だった。そして顔に笑顔があった。これならいけると思えた。これだけ出来れば、本番で負けても悔いはないと思った。
 そして、いよいよ5月31日体育祭本番。予定より1時間近くも早くプログラムが進み、応援合戦は11時50分開始と決まった。最初に演技をするのは桃団だった。5分前には大体全員が揃っていた。気合いの入っているのがビンビン伝わってきた。昨夜決めたように声を出し、演技すればいいのだ。音楽が鳴り出した。桃団はリズムに合わせ手を振りながら前進した。体調を崩し、声のほとんど出なくなった団長以外、みんなの声は本当に良く出ていた。グランド中に桃団の声が響き渡った。ダンスも多少とちったところもあったが、大体良く出来た。団長をかばいながらよく頑張った。もう思い残すところはないと思った。
 桃団の次は赤団だった。最も早くから練習を始めた赤団は、さすがにダンスがうまかった。特に、赤団の団長はノリにのって表情も輝いていたし、手の動きも足の動きも体全体の動きも抜群だった。赤団全体でやったウエーブは非常にきれいだった。
 最後の青団は、途中で音楽が途切れたのがかわいそうだったが、非常にまとまっていたと思う。みんなで団長を盛り立てているように見えた。
 結局、応援合戦では青団が優勝したし、競技では赤団が優勝した。でも、桃団で頑張ったことに悔いはない。実質二週間ほどの闘いだったが、苦しかったことも、投げ出したいことも、嫌になったことも、キレそうなったことも、色々あったが、桃団で頑張って本当に良かったと思った。桃団の衣装のTシャツには「我らの青春、ここにあり」と書いてあった。文字通り、三年生の青春はここにあった。

 9月8日庄内体育館、熱気に包まれた中、女子バスケットボール部は大塚高校と戦った。部員達は相手の力に押されいつものようなプレーが出来なかった。監督のイライラした声が次々と飛んだ。キャプテンは何遍も気合いを入れ直した。一時期点数差を縮めたもののじりじりと点数差は開いてきていた。応援席にいたキャプテンの母親は、身体全体の身振り手振りで声なき声援をまさに全身で送っていた。その姿は必死だった。しかし、試合は負けた。これが女子バスケットボール部三年生にとって最後の試合となった。キャプテンはチームから一人離れ、涙を流した。その涙の一滴一滴には三年間の苦労が詰まっていた。女子バスケットボール部としての活動が終わった。ボールを追いかけてきた三年間が終わった。毎日、しんどかった。辞めたいと思うときが何度もあった。監督の怒鳴り声にぐっと堪えた時もあった。目的がなくなったときもあった。朝早くから夜遅くまで毎日毎日声を張り上げながら体育館を駆け回った。そして、今日、終わった。今までのことが一遍に思い出され、涙になった。

 9月19日文化祭前日。3年3組のお化け屋敷のセッティングが始まった。監督の声が飛んだ。「和の4番パネル、入ります。みんな、持って、持って、ぶつけずに、ゆっくり、ゆっくり、入れて。」今まで何が出来上がるのか一部の生徒しか知らなかったお化け屋敷が、次から次へと巨大なパネルが運び込まれ、セッティングされることによってその全貌を現し始めていた。そして、監督の指示に従って竹や笹をパネルの間に入れた時、日本風のお化け屋敷の雰囲気がぐっと出てきた。それは誰の目にも明らかだった。みんなの頭にイメージが沸いた。その瞬間、みんなのやる気に火がついた。みんなの工夫がそれぞれの場所で始まった。「迫り来る手」の場所で、「のれん」や「墓場」の場所で、「貞子の井戸」で。今まで何もなくて殺風景だった通路に竹の庭を作り出す。ちょっと物足りないと思う所に障子が置かれ、すだれが置かれ、笹が置かれる。とりわけ笹の威力は絶大だった。和風のお化け屋敷は次から次へとアイデアが生まれ着々と完成度を高めていった。みんなの技術的なアイデアはもう既に担任のレベルを超えて、どんどん進んでいた。
 しかし、洋風のお化け屋敷(3-1)は和風(3-2)の完成度に比べ貧弱さは否めなかった。それをどうにかしたいという気持ちがみんなに起っていた。急遽、黒ビニールでくるんだ段ボールで障壁が作られ、洋風ののれんが作られ、十字架や十字架のついた墓や棺が作られ、絵も追加された。みんな必死だった。
 和風の教室と洋風の教室をつなぐ通路も、傘立てを利用して竹笹を立て、その周りに準備通り背の高いすだれに黒ビニールを裏打ちした巻物のようなものを立てて完成した。全体がほぼ完成したのは、本番前日の夜10時だった。徹夜もありうると半分覚悟をしていた僕にとって実は予想以上に早い出来上がりだった。当初の輪郭(アウトライン)だけで細部が曖昧でもやもやしていた物よりはるかに立派な現物が目の前に出現していた。並の高校生が文化祭で作るお化け屋敷のレベルをはるかに超えていた。どこに出しても決して恥ずかしくない立派なお化け屋敷が出来上がっていた。
 文化祭開会式の後、浴衣を着たお化け達やゾンビ、スクリーム、フランケンシュタイン、修道女、迫り来る手達、足を引っ張る役等が中に入った。受付では注意事項を書いた三つ折りの案内とお札を渡し、注意を与えながら並ぶ人達を整理した。いよいよお化け屋敷が開店した。お客が中に入るたびに、中から悲鳴が上がった。しかも次から次へと。出口から出てくるお客の中には本当に泣いている女の子が何人もいた。お化け役の生徒達は舞台の上では決して見られないような迫真の演技をしていたのだった。お化け屋敷の立派な出来上がりがお化け役の生徒達の魂に乗り移ったようだった。
 いつ行ってもお客の長い列が出来ていたし、あちこちから悲鳴が上がっていた。お化け屋敷は空前の大成功だった。枚方パークのお化け屋敷より怖いとか、エキスポへ持っていってやってもお金が取れるとか、有り難い言葉をいくつもいただいた。
 初日は3時に一旦終わり、SHRの後、修理に取り掛かった。僕は修理のつもりだったのだが、生徒達は今日やってみて、修理だけでは物足らず、もっと良くしたいという欲求にかられていた。更なる改良を加え始めた。学校を出たのは8時頃だった。
 二日目、3組のお化け屋敷は早朝からの改良もあり、更にヴァージョンアップして開店した。初日よりもスムーズに運営されていた。お客の整理係はロープを張って並び方を誘導していたし、受付もシステマティックに役割分担されていた。初日にあったようなトラブルもなく順調だった。中で演ずる浴衣を着たお化け達、ゾンビ、スクリーム、フランケンシュタイン、修道女、迫り来る手達、足を引っ張る役等も人数が増えていた。みんなひたむきに一所懸命だった。その姿は輝いて見えた。
 2時ちょうどに終了するために人数制限したが、断られ残念そうにしていた人達は沢山いた。終了後、自然発生的にみんなで写真を撮った。そこには一つのことを成し遂げた、充実感に満ちた、意気揚々とした若者達の姿があった。
 体育館で閉会式が行われた。各賞の発表があった。
 PRパネル賞3クラスの中に3年3組が入った。PRパネルの配布は9月に入ってからだったのだが、その規定に違反して夏休み中に生徒会室からPRパネルを運び出し、こつこつと地道に絵を描いていったグループの勝利だった。
 PR大賞(PR合戦賞)は単独で、3年3組だった。これは当然だと思った。
 そして、いよいよ本賞の発表に入った。3年3組は奨励賞にも、企画賞にも入らなかった。僕はその時点で畷北大賞はもらったと思った。実際、3年3組は優秀賞3クラスの中に入り、畷北大賞を獲得した。受賞のため、まだ衣装を着けたままの生徒数人が舞台に上がる時、監督が担任に声をかけた。「先生、ありがとうございました」
 最も苦労し頑張ったのは、総監督だった。仕事をやってくれる人が数人しか集まらない時も、みんながだらけている時も、なかなか進まず行き詰まった時も、人間関係のトラブルが起こりクラス内がぎくしゃくしていた時も、本番が近づいてきてみんなにもやる気が出てきた時も、そして、前日のパネルや装置、部品のセッティングの時も、常に笑顔で、次から次へとアイデアを出し、計画を練り、やるべき仕事を明確にし、指示を出し、許可を与え、みんなに勇気と希望と安心感を与え続けてきたのは、総監督だった。そして、畷北大賞を受賞する舞台に上がったお化け達はみんな泣いていた。
 
 10月4日午後1時半、会場の体育館は真っ暗になり創立20周年記念式典がいきなり和太鼓の演奏で始まった。三年生5人の力強い太鼓の音が会場に響き渡った。バックには生徒会執行部が作成した垂れ幕が張られ、「響」と書かれていた。太鼓のメンバー5人は勇壮に力強くしかも華麗にして繊細に太鼓を叩き続けた。普段の彼らの姿からは想像もつかないくらい凛々しく立派に輝いていた。この三年間で最も輝ける姿だった。練習は、太鼓集団「魁」の指導を受けながら、七月から始まった。夏休み中も続いた。一時期十名近くいたメンバーも練習の厳しさに次々と脱落していった。残ったのが、三年生5名だった。血を流し汗を流しながら頑張り通した五名だった。文化祭のオープニングでの和太鼓演奏で成功を収め、20周年記念式典でも大成功を収めたのだった。

 6月21日男女バスケ部近畿大会出場。
 11月4日四条畷市市民文化祭に3年2組が出場。ソーラン節を上演し、本校文化祭での雪辱をはらす。ダンス同好会も出場。
 12月14日寝屋川一中校区我楽多フェスティバルにダンス同好会、フォーク同好会が出場。

 1月24日学年末試験初日、試験が終わって三年生七名が雨の中を下校していた。彼らは四條畷市岡山の田圃に単車がこけているのを見つけた。よく見ると単車の下に郵便職員が倒れて雨に打たれていた。このままではやばいと思い、彼らは助け起こした。しかし、その郵便職員は意識がもうろうとしており、側にはブドウ糖などの医薬品が散らばっていた。三年生は声をかけ、救急車を呼んだ。救急車はなかなか来なかったが、雨の中出来る限りの介抱をした。ようやく救急車が到着し、運んでもらった。彼らは人命を救助したのだった。四条畷郵便局長、課長、そして助けられた本人が本校に来られお礼を言われた。

 僕は讃えよう。
 四条畷北高校を卒業していくあなたを、
 人生の最も輝ける三年間を作り上げたあなたを、
 クラブにおいても、学校の行事においても、そして勉強においても
 全力で闘ってきたあなたを、
 苦しい時も、辛い時も、悲しい時も、不安にかられた時も、投げ出したくなった時も、
 決して諦めず、もう一度自分を見つめ直し、再度挑戦したあなたを、
 僕は讃えよう。
 飯盛山の神々よ、
 三年間頑張り通した卒業生を讃えよ。
 畷北をかつて卒業した先輩たちよ、
 こぞりてこの後輩を褒め讃えよ。
 ああ、大地の神々よ、この卒業生たちを褒め讃えよ。

 別れの時は来た。
 畷北を去り、一人で立ち、
 自分の道を歩み、
 自分自身を探し求めるのだ。
 あなたが自分自身を探しあて、
 過去を懐かしむ時があるならば、
 高校時代を思い浮かべよ。
 そこには、時をともにしてきた多くの仲間がいる、
 教師がいる、
 しばしの感傷に浸り、また、明日に向かって進むがいい。
 それまでのお別れだ。

卒業生に贈る叙事詩

卒業生に贈る叙事詩

  • 自由詩
  • 短編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-06

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