銀河傭兵列伝 帰郷

銀河傭兵列伝 帰郷

『スペースソルジャーズ』外伝。
マキタたちの頼れる相棒、アーシット・マルカムが主人公の短編です。
凄腕傭兵マルカムがどうしても片づけたかったのは、彼自身が数十年前に捨て去った故郷での仕事であった。彼はそこで目にする。変わり果ててしまった故郷と、そして全く、そう、寸分たりとも変わっていない幼馴染の少女の姿を。

銀河傭兵列伝 帰郷

    (1)

“…国営放送のニュースの時間ですが、この時間はGPQ放送がお送りします。”
 バグルス・レンスキーは肉のたるんだ顔を上げ、テレビのモニターを見た。いつもは単なるBGM代わりに過ぎないテレビの番組に興味を引かれたのは数カ月ぶりのことだった。国営放送ではない? 確かにテレビの画面には、いつも暗い声で喋るオールドミスキャスターの造花のような顔はなく、色鮮やかなコスチュームに身を包んだ美しくうら若きイードゥン星人がマイクを抱いて立っていた。彼女の背後を忙しく行き来する見慣れない軍服は一体どこの星のものだろう。そのまた向こうに見える景色には見覚えがあるのだが。レンスキーは読みかけのカルテを机に置いた。
“…この放送は銀河連邦圏内二百二十七局をネットしてお送りしております。過去数多くのテロリストを保護してきたマドバルダ星に対し、銀河連邦最高評議会が幾度も引き渡しを要求してきたことはこの時間にも度々お伝えしてきました。しかし度重なる引き渡し勧告にも何ら誠意ある返答を寄越さなかった上、イエメット・ウォナクまでをも公然と匿ったマドバルダ星に対し、連邦最高評議会は遂に軍事介入を決定、事態は南銀河連邦軍から評議会直属のGFTac所属特殊部隊の出動にまで発展しました。総勢二百五十名の精鋭部隊は現地時間三一〇〇時、マドバルダ星首都レギンの大統領府を占拠、大統領及び政府閣僚全員の拘束に成功したわけですが、いくら都市が二つしかない小さな星、外敵への防衛網もお座なりだったとは言え、このような短時間のうちに二百五十名の少数部隊が独立国の大統領府及び防衛軍司令部、警察本部までを占拠し得たという事態は極めて異例のものと言えるでしょう。防衛網の弱さはこの星が帝国軍によって守られていた名残ではないかという意見も軍事アナリストから出されておりますが、帝国軍駐留の痕跡はなく、詳しい事実もまだ判明しておりません。ただ、点在する防衛軍基地にて特殊部隊に反撃を試みようとする動きも依然残っており、連邦軍派遣の増援部隊がマドバルダ星に急行中という声明がコンマ二時限前、連邦政府スポークスマンにより発表されております。先程臨時ニュースにてお伝えしました特殊部隊と保護されていたテロリストとの銃撃戦もひとまずは終了した模様です。”
 そうか…、レンスキーは頷いた。今朝未明首都方向から聞こえていたらしい銃撃と爆発音はそれだったのか。正直な話、気にもならず、安眠を妨害されもしなかった。普段から軍事訓練と称し、大統領府に怪しげな連中を集めて派手な銃撃戦ばかり行っていた政府だ。せいぜいその延長くらいにしか思っていなかったのだ。
 テロリストを保護し、彼らの上前や帝国からの保護料で懐を肥やしていた政府もこれでおしまいか。厚い腹の肉を揺すったレンスキーの口から意図せぬ溜め息が漏れた。まあ、大した変化が起こるとは思えないが。銃撃戦が終わったとか言っていたな。もうすぐ怪我人で全病室がごった返すことだろう。同じだ。これまでもそうだった。怪しげな軍事訓練とやらによって、年がら年中腕やら足やらを吹っ飛ばされた急患が運び込まれてきていたのだ。レンスキーはいつもそういった連中を機械的に処理してきた。ひどい政府が病院を常に満杯にし、レンスキーから考える時間というものを奪い去って久しい。この先どんな人間が政府の後釜に座るのかなど彼にはわからない。知りたいとも思わない。
 だがそれでも、彼の顔をテレビに向けさせたものは、心の片隅に残っていた期待の一縷だったかも知れない。もしかしたらこの先、無用な殺傷と運ばれてくる怪我人が減ってくれるかも知れないという期待の。
 映像が切り換わり、大統領府が映し出された。未だ煙に包まれた建物の周辺を例の見慣れない軍服の兵士たちが走り回っていた。軍服を着ていない連中もいた。舗装の剥げ、でこぼこになってしまった大通りを、小型だが足回りの良さそうな装甲車に先導され、十数名の男たちが引っ立てられていった。煙と砂塵とがもうもうと立ち込める中、装甲車の背にまたがるように座る男がカメラの前を横切った。軍服を着ていないその男の顔が、一瞬大写しになった。薄茶の髪の毛の下には傷痕だらけの顔があった。傷痕に覆われていない部分を探すのに苦労しそうな顔だった。ただ…、
「…ほう」
 透明に近い、エメラルドグリーンの瞳が一瞬カメラを睨んだ瞬間、レンスキーは呟いていた。眼差しは何度も死地をくぐってきた者だけの持つ厳しさに溢れてはいたが、眼の色だけが異様に美しかった。男の姿が画面から消えた後、レンスキーの印象に残っていたのはその澄んだ瞳の色だけだった。
“…銃撃戦の末、百三十七名のテロリストの半数が射殺された模様です。イエメット・ウォナクを初めとする四十一名が特殊部隊に投降、残りは、残りは…、フーギー星でいいんですか、この発音? フーギー星に逃亡したとの情報が非公式のルートから発表され…、”
 ついテレビに見入っていたレンスキーは、いつも以上にうるさい靴音の接近にも気づかなかった。ノックもなしにドアを開けたのは、丸々と健康的に太った女だった。アソーヤ・ウォータース。今時塊になって配属されてきた新米の看護婦だ。普段からただでさえ赤い顔が興奮のためにますます真っ赤になっていた。
「先生!」
「ああ、ウォータース君か。静かに歩きたまえ。曲がりなりにもここは病院なんだから」
 レンスキーは取ってつけたように澄ましたポーズでテレビから顔を背けた。その目前に肥えた体を立ちはだからせ、息を切らせながらウォータースは言った。「それどころじゃ、ありません、あの、あの患者が」
 あの患者って誰のことだ、そう訊こうとしたレンスキーの顔つきが引き締まった。この病院で〈あの患者〉と言えば一人しかいない。「…あの患者がどうした?」
「喋ったんです!」
「…間違いないんだろうな」レンスキーは肉に埋もれかけた目で看護婦を見上げた。錯覚? 大いに有り得ることだ。何しろ配属されて一時塊足らずに犯した失敗三ダース、そそっかしさでは病院一の彼女の言うことだ。「自分が言っていることの重大さがわかっているんだろうな」
 ウォータースは躍起になって自分の証言の正しさを主張した。いつも通り朝食後の検査に誘おうとした時だった。テレビを見ていた〈あの患者〉がいきなりわめき出したのだ。先生、つまり主治医であるレンスキーを呼んでこい、と。「今もわめき続けている筈です。急いで来て下さい先生。暴れてるんです。何とかアーシュラに押さえて貰っているんです」 レンスキーは立ち上がった。十八時塊にわたって沈黙を続けてきた患者だ。記憶も言葉も完全に失ってしまったに違いないとレンスキーでさえ思い込んでいた患者だ。それがいきなり喋り出したと言う。星の指導者が変わること以上の大事件ではないか。
 レンスキーは白衣を掴み、体躯に似合わぬ敏捷さで部屋を飛び出した。ウォータースがそれに続いた。二人のタンクのような影がセント=ラビリンス病院の廊下を走り去った。背後ではテレビがニュースを流し続けていた。
“…只今新しい情報が入りました。銃撃戦を逃げ延びたテロリスト七名が隣星フーギー星に逃げ込んだ模様です。それに対し特殊部隊も既に、十五名の追跡部隊を組織、フーギー星に送り込んだという情報も入ってきており…、”


     (2)

 連邦軍特殊部隊〈アルファコマンド〉隊員、ターク・ギャネルガは顔を上げた。痘痕だらけのデコボコ顔から汗を拭う。暑いわけではない。夜に入ってから冷え始めたとは言え気温は十四度あり、湿度も二十パーセント、大層過ごし易い気候だった。恒星ラフニスタからの距離が常に一定であるここ――フーギー星――には季節の変化というものがない。気候はいつも温暖、隣星であるマドバルダ星に比べ緑も豊か、自然災害が多いわけでもなく、本来ならリゾート地として賑わうべき場所であった。
 ところがフーギー星には人が住んでいない。十八時塊前に国民政府が崩壊して以来、マドバルダ星の植民地と化し、匿われたテロリストの避難所となってしまったという話だが、それでも集落の一つくらいはある筈ではなかろうか。人っ子一人いないとはどうしたことだろう。確かに小動物以外の生命反応はなかった。上空からの探査だけではない、この星に降り立ってから同僚以外の人間に全く会わないのだ。
 おかしいぞ、同僚のエッケナムが言った。ここにはマドバルダ星から逃げ込んだテロリストが隠れてる筈だ。少なくとも七人の生命反応はなくちゃいけないのに。
 その通りである。どこかに隠れてでもいるのか、あるいは上空からは見えないアジトでもあるのか。〈アルファコマンド〉追討部隊十五名はテロリストが使用したらしい宇宙船を発見後一斉に散開し、敵を探しながら臨戦態勢を取った。それからコンマ四時限、この星の時間で丸一日が過ぎようとしていた。
〈アルファコマンド〉は連邦軍エリートフォースでも最も出動回数の多い部隊の一つである。彼らの所属組織GFTacというのは連邦最高評議会直属で、連邦軍副長官が責任者を務めている。構成メンバーのほとんどは連邦軍のトップクラスを形成する兵士たち。志願率も高いが選抜は語学・実技を含む試験によって行われ、合格の後にも特殊能力習得のための地獄の訓練が待っているため落伍者も多い。よくバロア帝国軍特殊工作班と比較されるが、本来の使命は対テロリスト作戦における出動である。場合によっては最高評議会が出動を命じることもある、文字通り連邦軍の顔的部隊である。
 現在ギャネルガは一人で深い森の中に踏み入っていた。〈アルファコマンド〉は原則として地上では単独で行動する。二人組だとどうしても一方が一方に頼ってしまい、油断が生じるためだ。二人組での行動が原則だった連邦軍上陸特務班の隊員が、相棒に化けた変身生物に殺されたという先例もある。〈アルファコマンド〉隊員は全員脳の内部に独自の発信・探知機を埋め込まれており、その反応により味方か否かを判断できるだけでなく、指揮官が味方の現在地、その生死までを把握できる。脳に機械を埋め込むのは磁気嵐などに影響されやすい宇宙船乗りには危険である。“フロス=ケミランド協定”でも禁止の規定がある。もっとも古今東西、軍人が条約に縛られた試しはない。発信機は休暇中も働くため、隊員はプライベートな時間を持てないという悪弊もあるが。今もギャネルガ他、十四名のコマンド隊員が、フーギー星の首都であったムーニン郊外の森の中を、逃走した面
々の隠れ家を探し行動中の筈だった。ギャネルガの体内の探知機は全員の反応を捉えていた。今のところテロリストからの待ち伏せ攻撃(アンブッシュ)はない。もっとも待ち伏せがあったとして、大した攻撃はなされまい。唯一恐ろしかったイエメット=ウォナクは既に本隊に捕らえられている。本来ならば退屈にさえ感じる筈の追跡行動。
 ところが、今日はそれが妙な緊張を伴っていた。暑くもないのに、汗がしきりに頬を伝った。何かがいる、何かが自分たちを待ち受けている。そんな予感がつきまとって離れなかった。
 探知機の反応を探ると、十四名の仲間のうち、六人が動きを止めていた。あまりに退屈な追跡行に飽きて、休んででもいるのだろうか。それとも待ち伏せていた敵に…。ギャネルガは頭を振り、その考えを追い払った。おかしいぞギャネルガ、何をそんなにびくびくしている。発信・探知機は本人死亡とともに作動を止める。反応があるということは全員が無事である証拠ではないか。しかしいくらそう思っても、不安感は去らなかった。深い森の空を見上げると、木の枝々の透き間から月の代わりと言えなくもない大きなマドバルダ星が垣間見えた。
 糞っ。ギャネルガは小さく舌打ちした。早く帰りたい。任務も終了した。あのウォナクも捕まえたではないか。同志釈放を求め客船オルーアレリカ号を乗っ取り、アベトネ宇宙港を爆破したあのテロリストを引っ立てて帰還すれば、チーム全員に二度目のシャイニングスター勲章が授与されるのは間違いない。それを今時分どうしてこんな場所でうろついていなければならないのか。
 生じた不満は連想を呼び、ギャネルガは頭に浮かぶもの全てを毒づき始めた。特に指揮官である中尉への罵詈は執拗を極めた。いくら作戦上必要だったとは言え、臨時に雇われた傭兵連中に必要以上にペコペコする中尉が許せなかった。連邦軍の名門〈アルファコマンド〉が、傭われ軍団の手を借りて作戦を遂行すること自体が許せなかった。あの傭兵連中の偉そうな態度は何だ。特にあの、傷痕の展示会みたいなマルカムとかいう男。いくら歴戦の勇者だからって、あいつに媚び諂う中尉も中尉だ。しかもあいつの出す意見、提案のことごとくが自分たち以上に的を得ているのも腹立たしい。見ていろ、帰ったらまず…。
 空想に浸っていたギャネルガは、突然目の前に現れた白い影への反応が遅れた。慌ててレーザーガンを引き抜きはしたが、もしそれが殺意を抱いた敵だったら、今頃ギャネルガは蜂の巣にされていたところだ。だがそいつは敵でもなく、ギャネルガに対し殺意を抱いてもいないようだった。
 目の前に現れたのは、十五、六歳くらいの一人の少女だった。
 ギャネルガは己の目を疑った。敵の罠かとも思った。が、慌ててかけたゴーグルには変身生物の反応は出ず、少女が体の内部にも何の武器も隠し持っていないこともわかった。そう、体の内部にも。
 円らな瞳でギャネルガを見上げる少女は、その体に何も纏っていなかったのである。
 大きく溜め息をついたギャネルガは、改めて少女を見た。暗くて肌や髪の色などはわからないが、リンガ星系人種系の美しい顔立ちをしていることはわかった。君は何者だ、なぜこんなところに一人でいるんだ、しかもそんな格好で…。尋ねようとしたギャネルガに、少女はいきなり背を向けた。走り出す。
 ギャネルガも反射的に少女を追っていた。
 疑念は去らなかった。少女はこの星の住民だろうか。それなら他の住民はどこにいる。テロリストがどんどん逃げ込んでくるこの危険な場所で、あんな格好で暮らしているなど、飢えた獣の前に吊るされた餌同様ではないか。思いながらギャネルガの視線は小刻みに揺れる少女の尻の割れ目に釘づけになっていた。少女は森の彼方に見える小高い丘を目指していた。それにしても何という足の速さだ。アルファコマンド隊員の俺が追いつけない。
 やがて二人は森を抜けた。ギャネルガは丘と思っていたものが月――マドバルダ星の光を反射しているのに気がついた。人工物か、いや…。近づいたギャネルガはそれが何かの結晶であるのを知った。結晶の塔だ。
 いつ回り込んだのか、突然少女が背後からしがみついてきた。ギャネルガは少女を抱きすくめ、二人は草地に転がった。草むらの中から羽虫の群れが一斉に散った。少女が何かを訊いてきた。この星の言葉らしく理解できなかったものの、ギャネルガは適当に相槌を打った。いつの間にかあの不安と緊張が薄れていた。俺は何をあんなにびくついていたんだろう。少女が敵でなかったことに安心したせいもあろう。だが何よりも、湧いてきた欲情が不安に取って代わったのだった。〈アルファコマンド〉隊員としての使命感が心を刺したものの、それも一瞬に過ぎなかった。大丈夫、敵も現れない。ほんの三十分だけなら許されるのではなかろうか。何しろ久々の女である。しかもこんなに若い…。掌は自然に、まだ固いその乳房を揉みしだき、薄い恥毛に伸びていた。少女の肌の温みに触れた途端、自制心はたちまち臨界点を突破、ギャネルガはスーツのズボンを蹴り脱いだ。それでも用心だけは怠らず、レーザーガンだけは手に握ったまま、少女を上に跨がらせる。
 結合の瞬間、途方もない快感がギャネルガを襲った。全ての精気が少女に吸い込まれていくかとも思われた。そう、全てが。呻くギャネルガの顔を見下ろす少女の眼に、失望の色が広がった。唇から漏れたのはこの星の言葉だった。
「…また、あの人じゃなかった」
 しかしギャネルガは少女の失望を察することも、その言葉を理解することもできなかった…。


    (3)

〈…道を覆うのは霧でも靄でもなかった。前のよく見えない坂道を、車椅子は進んでいった。むせ返るような草いきれに混じって、硝煙の臭いが漂っていた。遠くから砲声が聞こえてきた。
「…ねえ、アーシット」
 車椅子を押す少女が苦しげに呟いた。
「…少し、休ませて。あたし、苦しい」
 十二、三時塊歳くらいだろうか、赤毛の少女は坂道の真ん中にしゃがみこんだ。左胸を押さえながら大きな瞳で少年を見上げる。息がせわしなく、荒かった。
 車椅子に乗るのは細面の、多少神経質そうな顔立ちをした少年だった。「だからついてくるなって言ったんだ。無理だったんだよ」
 疳の強そうな眼差しが忌ま忌ましげに少女を見下ろした。その瞳が少女と、その背後彼方に聳える、この星この街の名物であった結晶石の塔とを映していた。美しい眼だった。透明に近いエメラルドグリーンの瞳はそれに気づく周囲の誰をも唸らせずにはおかなかった。祖父母はいつも少年の眼を褒めて、この宝石のような瞳がお前の宝だと言った。もちろん今の少年にそれがどんな意味を持ち、何に役立つかなどわからない。少年自身が己の眼の美しさに気づくのはずっと後になっての話だ。
「…だって、車椅子が故障したんなら、あたしが押すしかないじゃない」
「僕一人で行けるよ。君は帰れ」
 少年は痩せ細った腕で車輪を回した。が、脊髄を破壊された少年の腕に力が入る筈もなく、車椅子はほとんど前進しない。それどころか坂道に押し返されそうになる。腕同様痩せた顔に血の色が射した。少女は仕方なしに立ち上がり、煙に咳き込み、よろめきながら再び車椅子を押し始めた。
「いいから帰れって、また発作が起きるぞ」
「あなたを置いて、帰れるわけ、ないじゃないのよ。わかってるくせに」
「いいってば。帰って花壇の世話を続けてろよ。またパパに怒られるぞ」
「いいの。パパなんて、あたしの病気のことなんて、気にしてもいないんだから。それに、あたしは、あなたの世話を、しなくちゃいけないんだから」荒い息の下から少女は言った。「…一生、しなくちゃいけないんだから」
 台詞が台詞ではあったが、諦めたような響きではなかった。当然のことだという口調であった。少年は首を振り、車椅子を少女の手に任せた。少女は腕だけで車椅子を押し切れず、近ごろ膨らみの目立ち始めた胸を少年の背中に圧し当てた。
 車椅子は丘の坂道を登り続けた。砲声が次第に近づいてきた。それに交じってレーザーガンや熱戦銃の細い銃声も響いてきた。だが、何よりも大きく響くのは少女の苦しげな吐息だった。流石に少年も罪悪感を覚えた。自走車椅子が故障したなどという嘘なんかつかなければよかったと思った。いつも自分について回り、あれこれと世話を焼く彼女が鬱陶しかったから、つい意地悪したくなっただけなのだ。だが少女は、それが嘘だとわかっても、怒りこそすれ決して引き返しなどしないだろう。一度言い出したらきかない性格、それもある。しかし何よりも…、
「…あなたが、こんな車椅子の生活を送らなくちゃいけないのは、全部、あたしのせいなんだから」
「もうその話はいいって言ってるだろ。くどいよエシーカは」少年は少女の顔を見上げ、言った。「あれは事故だったんだ」
 少女は首を振った。「…あなたを突き飛ばしたのは、あたしなんだから」
 ――そう、あの日少女を驚かす積もりで隠れた結晶石の塔の上。悪戯の度が過ぎたことは少年にもわかっていた。少女は大声で泣き出し、姿を現した少年を突き飛ばした。少年はバランスを崩し、高さ三十五メルテの塔の上から落下した。命こそ助かったものの、脊椎の粉砕された少年は自分の手足の自由を奪われた。
 あの日からもうすぐ二時塊が過ぎる。
「だからいいってば。エシーカはもう十分償ったよ。それに僕は、君のパパのお陰で手術を受けられる。もうすぐ車椅子の生活ともおさらばなんだから」
 そう、少女の父親は医者だった。父親の懸命な手術と手当のお陰で少年は一命を取り留めた。だが、砕けた脊髄は治せなかった。少年の手足に自由を取り戻すには、脊椎を入れ替えるしかなかった。いい加減な処置ならこの星ででもできたろうが、完全な形での回復を望むなら、大施設の整った大病院で手術を受けるしかなかった。今の時代でも命に関わる手術は大変に難しかった。人間の体が一人一人違う以上、機械任せにはできないからだ。その手配も、少女の父親がやってくれた。少女の父親は高名な生物学研究者でもあった。彼のコネでミミール星の星立大学病院が少年を引き受けてくれることが決まっていた。
「…もうじき出発だね」
 少女の問いに少年は頷いた。二千時塊に及んだ銀河大戦は膠着状態に陥り、一段落ついたとは言え、未だ銀河の各地では代理戦争が花盛り。ミミール星の大病院も銀河のあちこちから運ばれてくる怪我人の処置で大変らしく、少年の手術も延び延びになっていた。それでもやっと順番が回ってきた。手術は十五時限後――この星の暦で三十五日後の予定であった。
「…すぐに戻ってくるんでしょう?」
「わからない。当分の間はリハビリで戻れないかも知れないけど…」
「でも、それが済んだらすぐに戻れるんでしょう?」
「うん、だと思うけど…」
 少年は少女と顔を合わせないようにしながら言った。この日少年がついた二度目の嘘だった。手術のためにミミール星に出発した後、少年の一家がこの星に帰ってくることは恐らく二度とないであろう。祖父が決めたのだ。
 二時塊前、内閣全員が交替したマドバルダ星は突然、星外から逃げ込んでくる犯罪者やテロリストを保護し始めた。バロア帝国やその他の星々から入ってくる保護料に目が眩んだものではあろうが、連邦軍も連邦警備隊も手出しできない中立星域であるラフニスタ星系は、やがて逃亡犯たちの天国と化してしまった。隣星であるここフーギー星国民政府は、最初マドバルダ星のその動きを牽制していたが、甘い餌をちらつかせられた政府高官の幾人かが最近になってマドバルダ星寄りの政策を打ち出し始めた。もう一つの政府、国民評議会は政府のそんな動きに抵抗を続けているが、実権を持たぬ評議会の動きが大勢に影響を与えるとはとても思えなかった。
 祖父は言った。この調子では恐らくこのフーギー星も近いうちにマドバルダ星と同じ道をたどるに違いない。そうなる前にこの星を出よう、と。同居の叔父夫婦は愚図ったが、結局は賛成せざるを得なかった。少年には政府のこと、星間戦争のことなどはわからない。だが、この星がどうしようもない悪い方向に進み初めていることだけは理解できた。それにどちらにせよ、少年には選択肢がなかった。
 両親を早くに失い、祖父母に育てられている少年は、祖父に従う以外になかったのだ。
 それを少女には言えなかった。たかが十三時限、検査で星を離れた際にさえ泣き喚いた少女だ。こんなことを話せばどこまで取り乱すか知れたものではない。少女の父親には話してあるらしいが、この様子では彼はまだ少女に告げていないのであろう。できれば少年の一家が出発するまで話さないでいてほしいものだと思う。少年には少女の気持ちがわかっていた。しつこいと思える程つきまとうのも、悪い心臓を押して今こうやってついてきているのも、ただの贖罪の気持ちからではないとわかっていた。わかっていながらそれを認めることができずにいた。少女の想いの深さは彼女の年齢を逸脱したものだったし、それを理解し認めるには少年は幼すぎた。
 だが、それでも少年には少女の想いがわかっていた。だからこそ言うことができずにいた。少年は話題を変えることで桎梏から逃れることを試みた。「…パパは今日は何してる?」
「知らない。またあの変な細胞をいじってるみたい」
「あの、預かったとかいう変てこな塊かい?」
 少女はそう、と頷いた。遠くの星の友達から貰ったとかいう細胞が今度の研究材料らしい。少女の父ハミロ・モーハイルの名は近隣の諸国でも有名だったが、その意味も重要性も知らない少年や少女にとっては気味悪い実験ばかりを行うの変なおじさん、あるいは父親に過ぎなかった。そう言えば少年の眼の美しさを最初に褒めたのは彼ではなかっただろうか…。「…ねえ、それよりアーシット、話を逸らさないで」
「お、見えてきたぞ」
 丘の頂上に近づいたらしい。視界が急に開き、真っ青な空のドームの中、首都ムーニンが眼下に一望できた。全面積十二万キロメルテの広範囲に及ぶ大都市だが、実はフーギー星の都市はこのムーニン一つしかない。人口は五百六十万。小さな星にしては多い方だろう。ここは平和な星だった。連邦圏からも帝国領からも離れている上、ろくな資源もないために、銀河の二大勢力から狙われることなしにやってこられた。マドバルダ星が逃亡犯の天国と化すまでは。
 二人は切り立った崖の上から、煙りにかすむ麓を見下ろした。崖の斜面に面した場所に銀河最大手の一つ、ユッグドラシール重工の研究所員用保養所の建物がある。先程から二人の視界を遮っていたのは、そこから上がるもうもうたる煙だった。周囲は広大な敷地であるが、現在治安警備軍により封鎖されている。内部には現在誰もいない筈だ。逃げ込んだテロリスト以外には。
 そう、マドバルダ星と間違えて、銀河連邦警備隊に追われたテロリスト四名がこのフーギー星に逃げ込んできたのだ。首都ムーニンは大騒ぎになった。もちろん市内には外出禁止令が敷かれ、フーギー星の治安警備軍が出動した。慌てたのはテロリストたちも同様だったらしく、市内を走る輸送バスを乗っ取り、市民とバス運転手の計十四名を殺傷した揚げ句、郊外のこの保養所に逃げ込んだというわけだった。
 少年と少女の家は郊外にあった。臨時ニュースでそれを知った少年はわけもなく興奮した。この平和な星で戦争が始まった。それが少年の冷えきった手足に温みを与えた。郊外には外出禁止令が出ていないのをいいことに、少年は家を抜け出し、戦争を見物しにきたのである。
 崖の下、煙の透き間を通じて治安警備軍の包囲網が見渡せた。少年は車椅子のブレーキをかけ、ポケットから薄い光学双眼鏡を取り出した。既に戦闘は始まっていた。敷地のあちこちに重火器か爆弾によるものらしい大穴が穿たれていた。
「…ハージェスト=レーザーライフル、セルツ&ラステライト突撃小銃。あ、凄いぞ、バスタートマホークだ。ちゃんと最新式の銃も購入してるんじゃないか」
 一人ではしゃぐ少年の横で、少女は自分の息を整えるのに一生懸命になっていた。そんな少女に構いもせずに、少年は眼を輝かせて眼下の武器勘定を続けた。
「…あ、何やってんだ。あんなとこに固まっちゃ狙い撃ちされるだけじゃないか。馬鹿だなあ。指揮官は何やってんだよ。側面だよ側面…。ほら、撃たれたじゃないか」
 包囲網を完成させているにも関わらず、治安警備軍からの攻撃は少年の目にさえも散漫に映った。建物内部にいるテロリストたちを脅かすものではあるまいと思われた。対してテロリストの反撃は確実で、治安警備軍は次々とその数を減らしていった。少年は動かない筈の体のあちこちがむずむずするのを感じた。初めての感情だった。背骨を挫く前でさえ、このような昂揚を感じたことはなかった。もしこの体の自由さえ利けば、僕の方が巧く戦ってみせるのに。そう、
 この体の自由さえ利いたなら、今すぐにでも飛び込んでいってやるのに…。
 銀河のあちこちで暴れまわってきたテロリストたちに、民兵上がりの治安警備軍が敵うわけなどなかった。テロリストの反撃が激化するにつれて、包囲網は寸断され、逃げ出す警備兵まで出る始末だった。
 遂に装甲車までが出動してきた。エドランド=レーザー機関砲が保養所に向けられたのが見えた。猛然たる掃射とともに、建物が火柱を上げた。少年は思わず歓声を上げていた。燃えたぎった建物の破片が崖の上にまで飛んできて、少年と少女とをかすめた。肝は冷えたが少年は怖じけづかなかった。
 だが、少女は違った。
 いきなり顔が真っ青になった。喉の奥を鳴らし、その場にうずくまり、草むらを掻き毟った。「…アーシット、苦しい…!」
 我慢に我慢を続けてきた心臓がとうとう耐え切れなくなり、発作が起こったのである。
 爆発の破片にも怯えなかった少年が、これには驚いた。対処の仕様がなかったためだ。それでも放っておくわけにもいかず、少年は車椅子のブレーキを緩めた。瞬間、遅れてきた爆風が車椅子を押した。車椅子は少年を乗せたまま坂道をゆっくりと、だがやがて徐々に速度を上げて下り始めた。もちろん少女を置いたまま。
 苦しげな息の下、少女が顔を上げた。遠ざかってゆく車椅子の少年に向けて、必死に手を差し伸ばそうとしていた。
「…待って、待ってアーシット、お願い…」
 少年は車椅子の自走システムを動かそうとした。動かなかった。休ませ過ぎてエンジンが冷えてしまったのか、それとも本当に故障したのか。遠ざかる車椅子の上から、少女の顔だけが妙に大きく、はっきりと見えた。苦悶、死への恐怖、絶望…、それらを必死に耐えながら、少女は少年を求めた。側にいてくれと。手を握っていてくれと。
 しかし少年は少女の求めに応じてやることができなかった。
 車椅子はますます速度を上げ、少女の顔も次第に遠ざかっていった。少年も思わず叫んでいた。
「エシーカ!」
 ――おいマルカム、何を言ってるんだ?〉


    (4)

 恒星ラフニスタが瀕死の光を投げ込む夕暮れの部屋の中、ソファに横たわっていた男は目を開けた。傷痕のひしめく額にわずかに浮いていた汗を拭い、周囲をはっとさせずにはおかないエメラルドグリーンの瞳で、薄暗くなった部屋を見渡した。
 でっぷりと太ったミムゼイ・ハーリーが、紫色の酒壜を手に提げ、ソファの背後に立っていた。「どうした、夢でも見てたのか?」
「そうらしい」男は上体を起こし、目をしばたたかせた。ハーリーは笑い出す。
「凄腕マルカムも夢にうなされることがあるんだな。何となく安心できるぜ」
「俺にだって夢くらい見せろよ。それより何だそれは」
「これか?」ハーリーは手にしていた酒壜を持ち上げた。「地下の酒蔵から持ってきた。まだ山のようにあったぜ」
「まさか今から飲む気じゃないだろうな? 呑気な奴だ。いつ攻め込まれるかわからない状況だってのに」
「大丈夫だよ。各地の基地はひとまず落ち着いたらしい。確かに連中は俺たちを脅かすだけの戦力は持ってるが、俺たちと戦った後で後続の部隊を相手にできる程じゃない。それくらいはわかってるんだろうよ」
 マドバルダ星大統領官邸の応接室テーブルに腰を下ろし、ハーリーは酒壜の栓を抜いた。嬉しそうに香りを嗅ぎ、この戦場でこの酒にありつけるとは思わなかった、流石に金のあるところは違うぜなどと呟きながら、瓶から直接ラッパ飲みする。傷痕の男の非難がましい視線に気づき、瓶を差し出そうとする。「…あんたも飲むかい?」
「やめとくよ。中尉に何を言われるかわからんからな」
 男――アーシット・マルカムは右拳で左掌を打った。二枚の手袋を通じて甲高い金属音が響いた。
 ハーリーは酒を意に介した様子もなく酒をあおり続けた。「…大丈夫だって、あんたが目を光らせてりゃ、あの中尉、何も言いっこないんだから。それより凄腕マルカムを夢でうなすエシーカとか言うのはどんな女だ?」
「聞いていたのか」マルカムは照れたように苦笑いした。ノックとともに虫のようなオーストン星人が入ってきた。手にした皿をハーリーの前に置く。胚芽入りのトルテナス・チリが美味そうな湯気を立てた。食わないか、と言われたマルカムは立ち上がった。切り分けられたトルテナスを一口だけつまむ。
「しかし、政府軍の方も意外にあっけなかったな」
「ああ、俺もこんなに早く片がつくとは思わなかった」トルテナスを頬張りながら、ハー
リーが言った。「あんたが参加してくれたお陰だよ」
 マルカムとハーリーは銀河傭兵連合(G M L)に籍を置く傭兵である。GMLは金目当てで戦う男女の集団だが、腕さえ確実なら仕事にあぶれることはまずないと言っていい。連邦、帝国間の銀河大戦が膠着状態に陥ったとは言え、未だ銀河各地では戦火が絶え間無く、腕のいい戦士はあちこちの国家星系から引っ張りだこの状況だった。今回彼らはアルファコマンド支援のために連邦軍に雇われた。先行してマドバルダ星に潜り込み、情報収集や本部隊攻撃のための下準備などに走り回り、戦闘時にはアルファコマンドの援護に回り、遂には一緒になって突入まで行った…。「みんなそう言ってる。あの中尉の頭が上がらないのもそのせいだ。だがよ」
 薄く笑ったマルカムに、ハーリーは訊いた。「…凄腕マルカムがどうしてこんなチンケな仕事を引き請けたりしたんだい?」
「今ちょうど船を整備してるんでな。部下にも休みを取らせてるし、暇だったんだ」
「ネクサスⅫの奴だな。あれに比べればこんな仕事、屁みたいなもんだったろう。トルテナスもう一つどうだい?」
「やめとく」マルカムは肩をすくめる代わりに、拳で掌を打ち鳴らした。俺の記憶の中じゃもう少し美味いものだったんだがな…。「前の仕事で美味いものを食い過ぎた。舌が肥えちまったんだろうな」
「まだあの地球人の坊やとつるんでんのかい?」
「あいつはいい奴だよ。それに腕もある。いずれは銀河中に名を轟かせるだろうな」
「しかし時間もおかずにこっちに回ってきて、よくすぐに頭が切り替わるもんだ。それにあんた、この星の言葉とか状況に妙に詳しかったな」
「前にちょっとな…」マルカムは言葉を濁し、また拳を鳴らした。皿のトルテナスを平らげ、酒も飲み干したハーリーは言った。
「まあ、お陰で俺もいい顔ができた。何せ俺の掛けた一声に、凄腕マルカムがつき合ってくれたんだからな」
「ああ、俺の方もいい小遣い稼ぎができたよ」
「それをさっきの、エシーカとかいう女につぎ込むわけだな」
「違う違う」
 マルカムは暗くなった窓の外にエメラルドグリーンの目を向けた。夢にうなされる、か。同じ夢を見始めてもう四回目になる。恐らくは故郷に近づいたためだろう。
 エシーカ、か。
 もう二十時塊も前になるのだ。
 あの夢はほぼ正確に記憶を再現していた。実はその後の記憶ははっきりしないのだ。心臓の悪かったエシーカ、発作を起こしたエシーカを自分が助けたのだったか、あるいは彼女の父親に知らせたのだったか…。仕方ない話ではあろう。一家でフーギー星を出てから、もう二十時塊になろうとしているのだから。それなのに、夢の部分の記憶だけが妙に鮮明なのはなぜだろう。やはりそれだけ心残りだからだろうか。フーギー星政府が裏切り者たちによる政変で機能を失い、マドバルダ星の属国と化したという話を聞いたのは、一家がフーギー星を出て二時塊後のことだった。
 エシーカ。今頃どこでどう暮らしていることだろう。恐らくは父親とともにどこかに移住しているだろう。だがそれでも、もしかしたら、彼女の消息の断片くらいは手に入れられるかも知れない。マルカムはそう思ってこのチンケな仕事を請けた。彼はエシーカとの約束を、そう…。
 帰ってくるというあの約束を守らなかった。
 それが唯一の心残りだった。ずっとそれを謝ろうと思っていた。一度超光速通信を送れば済む話だった。幼い日の自分にはそれもできなかった。できないうちにフーギー星に政変が起こった。以来二十時塊、他人には恐らくほんの小さなものに過ぎないであろう心残りが、マルカムの胸に刺さった棘となった。忘れかける度にあの夢が、マルカムにエシーカのことを思い出させた。今更エシーカに会って謝ることができるとも思えなかった。しかしそれでもマルカムはやってきた。
 マルカムは拳を打ち鳴らした。もうどうしようもないのだ。わかっている、わかっているのにも関わらず、彼はフーギー星にやってきたのだ。二十時塊来背負い続けた罪悪感を、ほんの少しでも薄れさせようとして…。
「…君の手は義手なのか?」
 背後から声を掛けられ振り向くと、ドアのところにトナティック中尉が立っていた。「恐ろしく耳障りな音だな」
「ああ、済まない」マルカムは言った。手袋をしたままの両手を掲げる。「お察しの通り、これは義手だ」
「神経にこたえていかんよ」
 連邦軍アルファコマンド第二中隊隊長、アシェーカ・トナティック中尉は背を丸めて応接室に入ってきた。とことこと人形のように歩く様子は、連邦軍の顔的部隊の指揮官とは思えないくらいに貧相だ。栗鼠のような黒い目ばかりが際立つ顔立ちも軍人とは程遠かった。時折痙攣のように左肩を揺する。神経にこたえるよなどと言うが、もともと神経症の気があるのかも知れない。それもまた荒っぽさが身上のアルファコマンドの隊長には似つかわしくないものだった。
 ハーリーの前に置かれた酒壜を見て、一瞬眉をしかめたものの、怒鳴り散らすような真似はしない。ハーリーを無視して、マルカムの前に立つ。
「御苦労だったな。今度の作戦の成功は君の尽力によるところが大きかった」
「そうでもないさ」
「いや、急襲作戦の成否は先行潜入調査の出来不出来で決まると言っても過言じゃない。君の能力は評判を裏切らなかったよ。それに戦闘時に君の活躍も聞いている」
 人と目を合わせないようにしながらぼそぼそと喋る。マルカムの視界内でハーリーが馬鹿にしたように肩をすくめた。彼はトナティックのことをただの腰抜け軍人だとしか思っていない。
「運もよかった。ツキがあったのさ」
 マルカムはざっくばらんでありながら、決して礼を欠かない調子で言った。それがハーリーには不思議で仕方ないらしい。マルカム程の傭兵が襟を正して喋る相手ではないと思っているのだ。
 もちろんマルカムの考え方は違っていた。「後発部隊の到着は?」
「…ああ、遅れてるらしい。二時限はかかりそうだ」
「事故でもあったかな」
「また超新星出現だそうだ」トナティックは肩をすくめようとして失敗した。肩の痙攣と重なってしまったのだ。「…最近は銀河もいろんなアクシデントが多くてな。星図の書き換えも半時塊毎じゃ間に合わない状況だ」
「おい、何か気になることでもあるのか?」
 トナティックは落ち着きなく動く視線を今日初めてマルカムに向け、薄く笑った。鋭いな、と唇だけで呟く。「実は、あった」
「何があった?」
「…うん」トナティックはキョロキョロと周囲を見渡し、マルカムと、背後で踏ん反り返るハーリーに言った。「ここではちょっとな。二人とも五分後に私の部屋に来てくれ」
 ――トナティックが自室として使っている大統領の執務室に、マルカムとハーリーが入ってきた。トナティックとともにアルファコマンド副隊長であるツェー・アマノモスが待っていた。
 二人が椅子に座るのも待たず、副隊長アマノモスが話を切り出した。七人のテロリストたちが現在無人のフーギー星に逃げ込んだ。それをアルファコマンドの追跡部隊十五名が追いかけた。この出動の直接原因ともなった最重要テロリスト、イエメット・ウォナクを拘置した現在、残る七人を捕らえるか処分するかすれば任務は完了する。それはマルカムもハーリーも知らされていた。だが、
「…連絡が途絶えた?」
 マルカムの問いにアマノモスは頷いた。細身だが、隊長であるトナティックより堂々たる体格をしているリンガ星系人の彼は、まだ三十時塊歳を越えて間もない。しかし年齢に似合わないのは見事なくらい禿げ上がっているその前頭部だ。気にはしているらしいが、それを隠すより自分から笑いの種にしているきらいがある。結果彼の周囲には常に笑いが絶えず、むしろ副隊長としての人望を培う一環となっているらしい。ただ、そんなアマノモスもマルカムを怖がってもいた。作戦遂行時に抵抗したテロリストたち七人をものの三秒で片付けたマルカムを目の前で見たためだろう。
「事故とか通信機の故障とかじゃなくてか?」
「十五名の通信機が一斉に故障すると思うか? それにもし事故なら、連中の乗っていった宇宙艇の方にも何らかの異常があった筈だ」
「宇宙艇には異常は起きてねえってことかい」ハーリーが訊いた。
 アマノモスは首を振った。「…十五名全員が連絡を絶ったということは、何かが起きたとしか考えられん」
「しかし、一人や二人ならともかく、十五人だろう?」マルカムは言った。「しかも連邦軍アルファコマンドの隊員たちだ。子供のお使いじゃあるまいし、何の前触れもなしに一斉に連絡を絶つなんて…」
「君が我々に気を遣ってくれるのは嬉しいが、連中が連絡を絶ったのは事実なのだ」トナティックが口を挟んだ。「…但し、一斉にではないかも知れんが」
「一人一人待ち伏せにあったってことかい?」ハーリーが首をかしげた。「しかしよ、そんな腕の立つ奴が逃げた奴らの中にいたかな?」
「問題はそこなんだ」アマノモスが言った。「少なくとも逃げた連中の中には、そんな腕を持つ奴も頭の切れる奴もいない。じゃあ、以前に逃げ込んだ奴らが加勢でもしたのかという話になるが、実はフーギー星に追跡部隊が踏み込んだ際、生命反応が全くなかったらしいんだ」
「逃げ込んだ連中はもういなかった、と?」
「そう結論づけざるを得ない」
「そいつらも誰かに殺られたわけかい? 一体何なんだよそいつは? まさかあの星には人食い獣でもいる、とか?」
「魔物がいるという噂はある」トナティックが再度口を挟んだ。マルカムは思わず顔を上げ、トナティックを見た。馬鹿にしたように笑い出したハーリーに、トナティックは言った。「まんざら馬鹿にもできない噂だぞ。それ以外にフーギー星に人が住まない理由を、君は説明できるのかね?」
 政変時の混乱により多くの人が逃げ出したフーギー星だが、現在全くの無人。ところが、調べたところによると、政変の後も故郷を捨てたくない百世帯余りがまだ残っていたのだそうだ。それらの人々が謎の失踪を遂げて以来、フーギー星に住む怪物が彼らを食ってしまったのだという噂がマドバルダ星に広まった。もっともマドバルダ星の政府はその噂の根拠を確かめようともしなかったが。
「…おまけに自分たちが匿ったテロリストを平気で送り込み、連中がいなくなっても知らん顔を決め込んでいたっていうんだから呆れたもんじゃないか」
 ハーリーは笑うのを止め、マルカムを見た。マルカムは黙って考え込んでいた。
 魔物の噂はマルカムも聞いていた。フーギー星が無人だと聞いた時からおかしいとは思っていたのだ。あの豊かな自然に恵まれた故郷から、人々が一人もいなくなるなどということがあり得るだろうか。
 潜入調査の合間を縫って、マルカムはエシーカ父子の行方を探し、マドバルダ星のコンピューターを検索してみた。が、出ていったのか残っているのか、結局わからないままだった。フーギー星を領土としていながら、マドバルダ星は出ていった人々をチェックすることさえ怠っていたのである。ここの政府は底の抜けたバケツさ、秘密裏に協力してくれた役人の一人はそう言った。残った住民の失踪と魔物の噂はその役人から聞いたのだ。
「…君たちには調査を頼みたい」トナティックが言った。「追跡部隊と逃げ込んだテロリストたちがどうなったのかを調べてきてほしい」
「あんたらが行けばいい話だろうが」ハーリーが不満げに答えた。
「行きたいさ、できれば私自身が」トナティックは首を振った。「だが、援軍が到着するまで動くなという命令が私には出ている。それに現在は人数も多く裂けないんだ。知っての通り、ただでさえ人が足りない状況だからな」
 作戦参加の連邦軍二百五十名。うち、対テロリスト要員であるアルファコマンド隊員は六十名。正規軍はマドバルダ星の守りで手一杯だし、アルファコマンドの方は捕らえたテロリストどもを抑えておかねばならない。
「まさかあんた、俺たちだけで魔物の住む星に行けっていう気じゃあるまいな」
「何だ、君は魔物の存在なんか信じないんじゃないのか?」トナティックは小さく笑った。ハーリーは黙り込むしかない。
 アルファコマンドからは六人を出動させる、とトナティックは言った。現状ではその人数を出すので精一杯なんだ。指揮はこのアマノモスに執らせる。君たちにはそのバックアップを頼みたい。後発の部隊が二時限後に到着し次第、我々も応援に向かう。悪いがそれまで何とか手伝っては貰えまいか…。
 返事をためらうハーリーの横で、マルカムが言った。
「わかった。で、出動はいつだ?」
 ――応接室へ戻る廊下にて、ハーリーはひたすらトナティックを毒づいていた。
「…何が手一杯だよ。あの腰抜け隊長、結局俺たちにテロリスト退治をやらせる積もりに違いないぜ。こうなったら時間外報酬をたっぷりふんだくってやる」
「魔物の噂はどう考える?」
「あんなもの信じてなんかいられるか。何が応援だ。どうせアマノモスの奴、あんたに全部押し付けるに決まってるぜ」
「まあ、魔物じゃないにせよ、アルファコマンドの隊員十五人を一斉に黙らせる敵がいるとすれば、俺一人でどうにかできるとは思えんね」
「あんたなら大丈夫さ。だから引き請けもしたんだろ?」
「どうか、な」マルカムは唇だけで笑った。トナティックのことを腰抜け腰抜けと繰り返すハーリーに言う。「俺にはトナティックがそれ程腰抜けには見えないな。もっとひどい連邦軍人なら山のように知ってるぞ。特にカスパー・ノリス」
「ああ、あいつか」ハーリーは笑った。
「トナティックは確かに小心者かも知れないが、無能ではない。部下の生命をまず第一に考える配慮をちゃんと持っている。生き残れば出世する奴だと思うよ」
「あんたが言うならそうかも知れんな。しかしそれにしても…」
 会える会えないは関係ない。ハーリーと並んで廊下を歩きながら、マルカムは考えていた。本当はエシーカに会いたかった。会って一言謝りたかった。だが、彼女の行方の掴めない今、恐らくそれは無理だろう。それでもとにかく一度、一度だけはフーギー星に戻ってみなくてはならない。せめて…、
 せめてそうすることで…。
 自らは残ることになったハーリーだが、出撃するマルカムのために傭われ軍団から頼みになりそうなバックアップメンバーを選抜した。アマノモスがそれらをチェックし、トナティックが承認した。出撃はマドバルダ星時間で翌朝、傭われ軍団とアルファコマンドの混成部隊は準備に取り掛かった。
 トナティックがマルカムへの来客を告げたのは、メンバーを乗せる武装装甲車〈ブリザード〉と、マルカム愛用の装甲車〈ライトニング〉を整備している最中だった。
「…セント・ラビリンス病院?」マルカムは傷に隠れてほとんどわからない眉を吊り上げた。「俺は極めて健康でね。病院関係者には縁がないんだが」
「だが、相手は君に会いたがっているぞ。何でも、急を要する大事な用らしい」トナティックは言った。「セント・ラビリンス病院の医者だそうだ。とにかく会ってみてくれるか」


    (5)

 その太った男はレンスキーと名乗った。セント・ラビリンス病院の救急医療班主任だそうだ。もちろんマルカムとは初対面の筈だった。ところがレンスキーはマルカムを見た瞬間、妙に納得したような声を上げた。
「成程、そうだったのか。これでわかった…」
 失礼だがわかるように説明して頂きたい、とマルカムは言った。「それとも私が覚えていないだけで、以前どこかでお会いしましたか?」
 ああ失礼、とレンスキー医師は手を振った。「私は記憶力には多少自信があるのですよ。あなたの顔はテレビで拝見したのです。こういう言い方が適当かどうかはわかりませんが、あなたの眼が非常に特徴的だったせいでしょう」
 そして、呟いた。彼も同じものを見ていたんだ…。
「彼…?」
「うちの患者です。もう十八時塊入院している。名前も何もわかっていません。喋らなかったんです。私どもは彼が言葉も記憶も失っていると思っていた。それが今朝いきなり騒ぎ始めたんです。そして何を言い出すかと思えば、攻め込んできた軍隊の中に、アーシット・マルカムがいる筈だ、彼をここに連れてきてくれと、こうです」
 恐らくは私と同じテレビを見ていたんでしょう。一瞬だがあなたの顔を大写しにした映像があった。あなたの印象的な眼と一緒にね。
「…じゃあ、記憶が戻ったと?」
「それがまたわからないのですよ。彼はただ、あなたを連れてこいとしか言わないのです」
「…私が行った方がよろしいのかな?」
「そう願えますか」
 マルカムはトナティックとアマノモスに許可を貰いに大統領執務室に向かった。
「…準備はほとんど終わってる」アマノモスは言った。「夜明け前に戻ってこないと先に出発するぞ」
 そうだな、時計を見上げたマルカムは頷いた。「遅れるようだったら先に出てくれ。後からすぐに追いつく」
 そしてマルカムはレンスキーに連れられ、セント・ラビリンス病院に向かった。夜も更けた今は既に病室の明かりは全て消され、非常灯だけが点った廊下が妙に寒々しかった。唯一明かりのついたナースステーションからよく肥えた赤ら顔の看護婦が飛び出してきて二人を迎えた。変化はないか、と看護婦に尋ね、レンスキーは早速マルカムを、地下二階にある“彼”とやらの病室に案内した。
「…同席しましょうか?」
「いや、大丈夫だとは思うが…」
「何かあったらベッドサイドの呼び出しボタンを押してください。私はナースステーションに待機しています」
 マルカムは頷き、病室のドアを開けた。
 部屋の空気はこもっていた。外気が入っていないためだけではなかった。いくら換気しても、消し去れない臭気がそこにはこもっていた。ベッドサイドに置かれたスタンドが弱々しい光を発していた。きちんと整理され、花が飾られていなければ、ここを死体安置所と思ったことだろう。そう、
 部屋に漂っていたのは死臭だった。
 片隅のベッドに横たわっていた影が、ゆっくりと上体を起こした。半分塞がれてでもいるらしい気管から、せわしないヒューヒューという音が漏れた。マルカムは目を凝らした。踏み出しかけた足が止まった。
「………!」
 淡い明かりに照らし出されたその影――“彼”は、死人以上の代物だった。
 顔にも腕にも体にも、全くといっていいくらい肉がついていなかった。肉という肉が殺げ落ちてしまったかとさえ思える程だった。それはもはや痩せこけているなどという尋常な状態ではなかった。餓死した死体でも、目前の男よりはふっくらして見えた。肉を失い、形状だけがはっきりした頭蓋骨の眼窩の中に、飛び出しそうな眼球がぎょとぎょとと動いた。歯と毛髪は大半が抜け落ちており、息をする度に、男の肺から腐った肉の臭いが滲み出してきた。
 何だこれは。抜け殻か。それとも性質の悪い冗談か? 誰かが墓から掘り出した死体を操っているのではあるまいな…。一瞬本気でそう思った。とてもではないが、マルカムには目前の男が生きているとは思えなかったのである。
 そいつが自分の方に必死に手を伸ばしてくるのを見た瞬間、マルカムは慄然とした。地獄からマルカムを誘う餓鬼に見えた。うっかり近寄ったら引きずり込まれるのではないかとも思われた。そんな予感があった。
 そのせわしない息に混じり始めた妙な雑音が、実は声であることにマルカムが気づいたのは、部屋に入ってから一時間は過ぎた頃だったろうか。
 ミイラのようなその男はこう言っていた。
「…アーシット、アーシット、私だ。私だよ…」


    (6)

「…直径六千二百キロメルテ。重力は銀河標準値の二分の一」
 上陸装甲車ブリザードのコクピットにて、スキンヘッドの頭を汗で光らせたアルファコマンド隊員オイカ・レジーが、宇宙から観測できるフーギー星のデータを読み上げていた。「…周辺電波増光型。地磁気は比較的強いようですね」
 アマノモスが言った。「星の表面の様子はわかるか」
「無理ですね。星の周辺を厚い大気が覆っています。透明度は高いんですが、表面細部捕捉は困難です。自然は豊かなようではありますが…」
「正確にわからないんなら言うな」
「どうします? 降下しますか?」訊いたのは傭われ軍団のドク・ラーマイクだった。大柄な若いナガン星人は大抵のことをこなせる器用さを持つ、ハーリーのチーム内では将来を嘱望される傭兵の一人だ。「それともマルカムが追いつくまで待ちますか?」
 アマノモスはうむ、と考え込んだ。待ち受けるのは得体の知れない怪物かも知れない。マルカムはあまりに凄腕過ぎて薄気味悪い男ではあるが、こんな状況下では恐らく最も頼りになるに違いないのは確かだ。アマノモスは自分の独善的な印象や判断を部下に押し付けるような偏狭な軍人ではない。だが、
「…降下しろ。マルカムはすぐに追いつくさ」
 本来なら既に終わっている筈の任務だ。部下たちは疲れ、帰りたがっている。アマノモスもできることなら早く帰還したかった。何しろ娘がもうすぐ一時塊歳の誕生日を迎えようとしている。こんな任務、とっとと終えてしまいたかった。マルカムが追いつくまでに下調べを終えられれば、それだけ時間も短縮できようというものだ。
 アルファコマンドと傭われ軍団計十六名を載せた二台のブリザードは、フーギー星の厚い大気の海に降下していった。
 濃厚な大気と深い雲を抜けた瞬間、眼下に現れた緑の沃野に一同は嘆声を上げた。マドバルダ星も豊かな自然を持ってはいたものの、この星はそれ以上だった。純粋な酸素も濃く、大気汚染は皆無に近い。どうしてここが無人なのかがますますわからなくなった。顔を見合わせた一同の脳裏を、やはりここには何かいるのではないかという危惧がよぎった。噂通り、得体の知れない何かがいるのではないかという危惧が。
 だが、一同の危惧にも関わらず、地上には何も確認できなかった。二台のブリザードは探査波を照射しながら陸地を二往復以上飛び回ったが、都市跡にも森林にも、小動物以外の動くものの存在は何一つ捉えられなかった。
「…上空からじゃキャッチできないのかも知れんな」アマノモスは言った。「どこかに隠れ場所でもあるのかな」
「ああ、そう言えば」レジーが毛髪のない頭をかしげた。「…東の郊外に変な塔が立ってましたね」
「人工物か?」
「わからないんですよ。結晶石でできていたのは確かですが」
「気がつかなかったな。だが、それが人工物だったら…」アマノモスは命じた。「着陸だ。但し接近はするな。足で調べよう」
 二台のブリザードは真昼の都市――首都ムーニンだった――の外れに降りた。アルファコマンドの面々が一斉に飛び降り、熱核ライフルを腰だめに構えて四方に散った。傭われ軍団の中からも四人が続いた。アマノモスは残った連中に、装甲車を守り、何かあったら援護にくるように言い置いて、降りた面々の先頭に立った。一同は散開したまま、鬱蒼とした森に入る。
 結晶石の塔は大きかった。地上一五〇メルテはあったろう。森の中からさえ、木々の透き間を通してよく見えた。まるで道標である。すぐにたどり着いた一同は、しばしの間目前の道標に見入っていた。自然物なのかあるいは人工物なのかは接近しても尚判断できなかった。自然物にしては表面があまりに滑らかなのだが、継ぎ目がない。
 結晶石は探査波を通さない。何かいるとすればこの中しかない。アマノモスは一同を散開させたまま、周囲を調べて回るように指示した。その直後、アルファコマンド隊員の一人がアマノモスに知らせた。入り口がある。
 一同は入り口に殺到した。
 塔の内部は綺麗に刳り貫かれ、立派な住居となっていた。アマノモスはシェーファー=レーザーピストルを構え、先頭を切って飛び込んだ。他の隊員たちが続いた。入り口の中は薄暗い広間になっていた。誰もいない。アマノモスはほっと息をつき、銃口を下ろした。広間内部を見回す。結晶石がいくばくかの光を透過させるらしく、ほのかに明るい。奥の階段が視界に入った。階上の部屋もあるらしい。
「…行け」
 アマノモスの指示で、五人の隊員が塔内部を調べに走った。アマノモスたちは警戒を解かず、彼らが戻るのを待った。「…ここは何なんでしょうかね?」
 オクトゥール星人のコンプトンの問いに、アマノモスは首を振るしかなかった。「私にもわからん。多分誰かの住居だとは思うが、住民はどこに行ったのか」
「政変の際に逃げ出したんじゃないですか」
「かも知れんが」アマノモスは改めて広間を見渡す。塔内部をフルに使っているらしく、とにかく広い。中央には古びてはいるが、立派な体裁のソファとチェアが置かれていた。テーブルの上にはティーカップ。アマノモスは近寄って、手にとってみた。随分以前から放っておかれたままらしく、白い筈のカップが埃に黒ずんでいた。
 暗い壁際に目をやった隊員の一人が、ひっと声を上げた。アマノモスたちは銃口を上げ、振り返った。声を上げた隊員が指さした方向を見て、アマノモスも息を呑んだ。
 ミイラのように干からびた死体の群れが、壁に沿って並べられていたのである。
 死体らしいとわかって、一同は肩の力を抜いた。恐らくは百数十体、ずらりと並んだミイラの群れをしげしげと眺める。光が届かないので、あるいは動くものばかり目で追っていたためでもあろう、全く気づかなかった。隊員たちは己の怯えように気恥ずかしげに笑い合った。死体の群れをのぞき込む。
「…威かしやがって」
「何ですかね、このミイラの群れは?」
「ミイラの博物館でもあったんじゃないか、ここに…?」
 口々に呟く隊員の背後からミイラの群れを眺めていたアマノモスは、それらが皆、何かに座らせられているのに気づいた。椅子であったり、引き抜かれた木の株であったりいろいろだったが、とにかくミイラ全員が行儀よく座り、並べられていた。目が暗がりに慣れてきたのだろうか、奥の方の三体は壊れた車椅子に腰掛けているのがわかった。違う、服装を見ればわかる。このミイラの群れは新しい。恐らくは政変以後に、ミイラにされてしまった連中を、何者かがこうやって座らせたのだ。
 恐らくは彼らをミイラに変えた誰かの手によって…。
 と、ふと手元の探査装置に目を落とした隊員の一人が、突拍子もない声を発した。「せ、生命反応が出てます!」
「おいおい、そりゃあ俺たちのだろう」他の面々は笑ったが、アマノモスだけは真顔で応じた。
「どこに?」
「こ、ここです」その隊員は必死だった。「少なくとも、百以上…!」
 その瞬間、塔の中に、つんざくような悲鳴と絶叫とが響いた。階上から、調べに上がった隊員たちのものだった。銃を上げたアマノモスたちだったが、救出には向かえなかった。 目の前のミイラたちが目を開け、立ち上がり、一斉に彼らに飛びかかったからである。
 アマノモスはレーザーを乱射、数体を撃ち殺した。撃たれたミイラどもは文字通り、枯木のように砕け散った。一滴の血も流れなかった。強行突破を図ったアマノモスだったが、数には敵わなかった。殺到するミイラの群れにたちどころに押さえ込まれてしまう。他の部下や傭兵たちもほとんど反撃できぬままに終わった。倒れたアマノモスは見た。同様に引き倒された部下の一人が、ミイラたちにのしかかられ、そして…、
 目の前で干からびてゆくのを。
 だが、アマノモスにとってより衝撃的だったのは、のしかかるミイラの一体の衣服を見た時だった。見慣れたその服は自分と同じ、アルファコマンドの制服であった。肩にぶら下がった認識票の番号が読み取れた。22867…。
 ギャネルガ!
 アマノモスは理解した。こいつらの大部分はこの星の住民の成れの果てなのだ。そしてこいつらは、やってくる連中を襲い、生命を吸い取っているのだ。教われた連中はこれまたミイラどもの仲間と化し、次々と人を襲うようになるのだ。
 報告を…、隊長に報告しなければ…! あがくアマノモスの体に衝撃が走った。どうやら自分も生命を吸い取られ始めたらしい。予想に反し、その感覚は悪いものではなかった。むしろ、これまで妻と試したどんなセックスでさえ感じ得なかった快感をも覚えた程だった。めくるめく快感に思わず気を緩めると、たちまち体の力が抜けた。次第次第に目の前が暗くなり…。
 その頃、ブリザード装甲車から数キロ離れた草むらの中にて…、
 結晶石の塔に向かった本隊の運命も知らず、傭われ軍団の一人ペプラは、夢中になって少女の肌を貪っていた。少女の細長い脚が裸の尻を締め上げる度に、ペプラはみっともない呻きを上げた。全身の力ごと吸い取られそうな快感だった。
 体位を変え、ペプラの上にまたがった少女の脳裏に蘇る情景があった。一体いつのことだったろう。もう随分昔のような気がする。暗い部屋の中、無針注射器を手にした男が自分に迫ってくる。立派な体格、生え揃った髭、普段は優しかった黒い目が、今は憎悪と恐怖の色を湛え…。あれは誰だったのだろう。少女にはわからなかった。その男の名前も素性も、既に彼女の記憶から消え去っていた。薄れがちな記憶の中で唯一形を伴って残っているのは、車椅子に乗った少年の姿だけ…。
 少女は腰の下で呻くペプラに目を落とした。「…あなたは、アーシット?」
 この星の言葉を知らないペプラは口の中で呟くだけだった。快感を追うのにそれどころではないという感じだった。少女の眼が燃え上がったかのように見えた。
「あんたもあたしを騙すのね…」
 その赤毛が天に向かって逆立った。同時にペプラの体が震え、水分が瞬間的に蒸発したかのように、その体が干上がった。


    (7)

“…マルカム、おい、マルカム!”
 通信はマドバルダ星の宇宙港を飛び立つ前から入っていた。トナティックからだった。
“マルカム、聞こえていないのかマルカム!”
「…聞こえてるよ」
 戦闘装甲車〈ライトニング〉の操縦席にて、各種機関のチェックを終えたマルカムは面倒臭そうに応えた。
“一体どうしたんだマルカム、”ほっとしたようなトナティックの吐息が通信機から漏れた。“…出発する前に連絡をくれてもいいだろう。病院の方は何だったんだ?”
「ああ、あれは大した問題じゃなかった」マルカムは言った。もちろん嘘だ。マルカムはあのミイラと、マドバルダ星の時間にて丸一昼夜話し込んでいた…。「それより何だ?」
“…すぐに戻れマルカム。フーギー星は危険だ。”
「…何かあったのか」
“アマノモスたちからの連絡が途絶えた。”
「………」
“聞いてるのかマルカム?”トナティックの声は震えていた。“…今すぐ戻るんだマルカム。あの星は危険だ。やはり何かがいるんだ。”
「そんなことはわかり切っていたんじゃないのか?」
“後発隊が到着するまで待て。突入はそれからでも…、”
 何が後発隊だよ…、マルカムは鼻で笑った。「糞つきのケツの穴だぜ」
“…何だって?”
「何でもない」また出してしまった。取って置きの罵倒文句だ。マルカムの名前『アーシット』は地球語でケツの穴(アス)と糞(シット)に聞こえるのだそうだ。地球人の友人から教わって以来、すっかり気に入ってしまったのだ。「…後発隊が何千人来ても無駄だよ」
“…どういう、意味だ?”
「この件は俺でなくちゃ解決できないんだ。以上、通信終わり」
“待てマルカム、おい…!”
 マルカムは通信機のスイッチを切り、戦闘装甲車ライトニングの機首をフーギー星に向けた。後を自動操縦に任せ、シートに沈み込み、目を閉じる…。


    (8)

 手入れされていない枝々が、深い緑の影を庭に落としていた。その庭も、刈り揃えていない芝生に覆われ、草原と化していた。生い繁り放題の草花が、明るいラフニスタの陽光の下、むせるような芳香を発していた。羽虫が飛び回っていた…。
 屋敷は残っていた。
 窓ガラスが割れていた。壁や屋根が少し汚れてはいた。だが、度重なる騒動にも巻き込まれず、家は二十時塊前に立ち去った頃の原型を保っていた。
 森の中からそれを眺めながら、マルカムはほうっと息をついた。
 残っていたんだな…。
 二階の窓が開いていた。微かな風が窓を揺らし、きしみを立てた。あの窓の中で、自由に歩き回ることを待ち望み、空を眺めていたのだ。隣にはいつもエシーカがいた。エシーカは花が好きだった。あの咲き放題の草花は、彼女が植え、手入れしていたものだ。その横にはいつも、車椅子に座り彼女を見つめるマルカム自身の姿があった。
 そして今、その庭を眺めながら、瞼の奥に幼かった己の姿を思い浮かべているマルカムがいた。
 思えば遠くに来てしまった。目の前に生家があるというのに、手を伸ばせば触れる距離にあるというのに、それが何万光年もの彼方に感じられる。
 手足の自由を失った少年マルカムを、車椅子に乗せ、庭を一周させてくれたのは祖父だった。希望を失くし、いじけ切ったマルカムを、祖父は一生懸命慰めてくれた。手足の自由が利かなくたって、できることは沢山ある。お前は頭がいい。学者にでもなればいいのだ。
 こんな体で学者になんかなれるもんか、そう言い返したマルカムに、祖父は言った。馬鹿を言え、学者はな、頭と気力さえしっかりしていれば誰でもなれるんだ。わしのひいじいさんが話していたが、昔メドゥーサという星系の地球という星に、今のお前のように車椅子の生活を余儀なくされながら、宇宙誕生の秘密にまで迫った物理学者がいたそうだ。手足こそ自由にならなかったが、彼の精神は大宇宙の荒野を駆け巡っていたんだ。手足の自由を持つ筈の人間の大部分が己の殻を抜け出られないというのにだ。どうだねアスシット、凄いと思わないか?
 多分祖父は彼を本当に学者にしたかったのだ。しかし自由を取り戻したマルカムの選んだ道は、人殺しのエキスパートだった。あの日、エシーカと一緒に見た銃撃戦に昂揚した血。恐らくは彼の中には血生臭い仕事を選ぶ素質があったに違いなかった。祖父も祖母も、マルカムの仕事を知らぬままに死んだ。彼が宇宙科学の研究員をしていると信じたまま、死んだ。マルカムにはとても言えなかった…。
 御免よおじいちゃん…。
 祖父と彼と、エシーカと、逞しい髭面の大男だったエシーカの父の四人で花の手入れをした花壇の前で、マルカムは立ち尽くし、呟いていた。懐かしかった。祖父との思い出、エシーカとの思い出、全てが懐かしく感じられた。罪悪感でさえも懐かしかった…。
 その気になれば…。
 そう、その気になれば、マルカムはこの家を保存できた。まだこの屋敷は祖父の名義になっていた筈だ。引退できるまで生き延びられたら、ここに帰ってくるのもいいな。この家で暮らすのだ。
 だが、その前にやることがあった。やり終えておかねばならないことがあった。マルカムは踵を返し、歩き始めた。
 あの、結晶石の塔に向かって。


    (9)

 ――私は科学者としては成功した。
 セント・ラビリンス病院の地下の一室で、あまりに長い間使わなかったためだろう、麻痺してしまった舌を必死に回し、あのミイラは語った。しかし、親としては全くの不適格者だった。
 私は自分の研究に没頭するあまり、自分の娘の病気の悪化にまるで気づかずにいたのだ。 エシーカは心臓が悪かった。拡張型心筋症だ。心臓からの血液駆出率が減る一方の病気だ。もちろん今の医学力を持ってすれば、大した難病ではなかった。私はエシーカが成人するまで手術を待とうと思っていた。それからでも遅くはないと思っていたのだ。
 君からの連絡を受けたあの日、エシーカを我が家に運び込んだはいいが、あまりの発作のひどさと顔色の悪さに私は驚いた。まさかここまで悪くなっていようとは思ってもみなかった。私が診た時には、エシーカの心臓は三分の二が機能していなかったのだ――。
 …マルカムは結晶石の塔の前に立った。
 背中のバックパックを下ろし、中から取り出したのは、ハーフナー社が軍用歩兵兵器として開発した多用途特殊ライフル(SPAWNI)の銃身と銃床を切り詰めたものだった。引き金もない。それを右手に提げ、ベルトを掴んだマルカムの義手左腕が、肘の先から外れた。外れた義手の肘に、SPAWNを装着する。安全装置が自動的に外れ、銃身の開閉式パラボラが開く。エネルギー充填を示すゲージが見る間に色を変え、最後にその上に『FULL』のマーキングが浮かび上がる。
 マルカムは歩き出した。結晶石の塔、エシーカとその父ハミロの家、そして幼い日のマルカムが転落し、体の自由を失った思い出の場所へと。
 ――急を要する容態だったが手術は不可能だった、抜けた歯の透き間から漏れる息に明瞭さを欠く発音で、ミイラは言った。私の研究所にはエシーカに移植すべき人工心臓がなかったのだ。私はそこでも準備を怠った。それが全ての始まりだった。
 あの臓器を覚えているかね? そう、いつか君とエシーカに見せた、保存培養液の中だけでも動き続けていたあの細胞だ。あれはムスペル星探索に赴いた友人から詳しい検査を依頼されていたものだった。
 私にはあれが心臓に見えた。
 何物の心臓なのかはわからん。友人は持ち主のことを教えてくれなかった。恐ろしい生物だと匂わせはしたが。確かにそうだろう。脳や神経からの指令も、流れる栄養も血液もないのに動き続ける心臓なんて、並の生命力じゃない。
 もう少し冷静であるべきだった、今ではそう思う。だが、エシーカは死にかけていた。しかもその心臓は、我々の、つまり人間のものと驚く程よく似ていた。と言うより、形だけは人間のものと全く同じだったのだ。私に選択の余地はなかった。少なくともあの時の私にはなかった。何か不都合が起こればまた手術し直せばいい。
 私は心臓をエシーカに移植した。
 不都合どころの話ではなかった。エシーカは驚く程健康になった。手術後わずか三時限後には、走り回るようにまでなった。あの心臓の生命力がエシーカに乗り移ったかのようだった。私はひとまず安心した。
 あの子の変化に気づいたのは、フーギー星が混乱の最高潮を迎えた時期だった。いや、変化というのは正しくない。変化のなさというべきか。
 君たちが出ていって二時塊。エシーカは十五時塊歳になった。ところが変わっていないのだ。エシーカは手術を受けた時と全く変わっていなかったのだ。外見も、肉体も、まるで成長しなくなっていたのだ――。
 …洞窟の入り口のような玄関を入ると、数十、数百体のミイラどもがうずくまっていた。それらが、マルカムが入っていった瞬間、一斉に身じろぎした。恐らく新たな餌の接近を感知したためだろう。干からびた顔が同時に上がり、そこだけ水分を失い切っていない眼球が、みなぎる生命を求めてぎょとぎょとと動いた。
 マルカムはゆっくりと左腕を上げ、SPAWNの銃口をミイラどもに向けた。
 ミイラが一斉に立ち上がった…。
 ――混乱が続いたとは言っても、実は私たちの住む郊外は大きな被害を受けなかったんだ。アーシット、君の家もまだ無事な筈だよ。結果フーギー星を出なかった人々は、自然と郊外に移り住むようになっていた。その人々がある時期から急に減り始めた。もちろん人々は騒ぎ始めた。疫病か、それともマドバルダ星の細菌兵器か、とね。しかし騒ぎはすぐに収まった。騒ぐ人間もいなくなってしまったからだ。私には何が何だかさっぱりわからなかった。
 謎が解けたのは、私自身が襲われた時だった。
 私を襲ったのは、肉体の精気という精気を全て吸い取られ、抜け殻と化してしまったような人間だった。いや、元人間というべきか。そいつが自分の吸い取られた精気を他の人間から取り戻そうとしていたのだともわかった。
 だが、襲われたことへの驚きではなかった。何よりも私にショックを与えたのは、そいつの服だった。顔こそ見分けがつかなかったが、そいつは間違いなく隣家の青年だった。そして私は彼が行方をくらます三日前、エシーカに連れられて森に消える姿を目撃していたのだ。
 アーシット、ヴァンパイヤを知っているか!
 ヴァンパイヤ伝説は銀河各地に未だに残っている。エシーカはまさしくそれだった。生命力を吸い取る怪物と化していたんだ!
 私はエシーカを問い詰めた。あの子は否定しようとさえしなかったよ。
 ただ一言、“だって、アーシットじゃなかったんだもの”。
 …今思えば、あの子はずっと君の帰りを待っていたんだな。
 だが、その時の私はただただ逆上していた。あの子の首を絞めた。我が娘を自らの手で始末しようとしたのだ。もっとも今考えればそれは、自分がヴァンパイヤを生み出してしまったこと、自分の娘をヴァンパイヤに変えてしまったことへの恐怖だったかも知れん。だが、怪物となったエシーカは簡単に殺されてはくれなかったよ。恐ろしい力で私を弾き飛ばした。私は無針注射器に毒を込めた。それでも銃を持ち出さなかったのは、あの心臓を調べたいという功名心が心の片隅に残っていたためかも知れん。私はそれをエシーカに打った。
 だが、エシーカはそれでも死ななかった。
 揉み合っている時、エシーカが怪我をした。割れたガラスで足を切ったのだ。相当深い傷だったのだが、数秒で回復してしまった。しかも一滴の血も流れなかった。そうだ。
 エシーカの体の中にはもはや一滴の血も流れてはいなかった。
 あの心臓がエシーカの血を、人間を、奪い取ってしまっていたんだ――。
 …ヴォンヴォンヴォンヴォン
 SPAWNをが唸りを上げ、殺到するミイラどもを粉砕し始めた。その破壊力と連続攻撃性は携帯レーザーガンの比ではない。フルパワーで撃てば装甲戦車にさえ穴を空ける代物だ。ミイラども、いや、生命力を吸い取られ、今や他人の生命エネルギーを吸うことでしか活力を保てぬゾンビどもは、砕け、破裂し、それでも一滴の血も流さずに本当の死を迎え、その場に積み上げられていった。
 アルファコマンド制服を着たゾンビが背後から飛びかかってきた。少尉の襟章をつけたそいつは多分アマノモスだったろう。マルカムは振り返りもせず、そのゾンビを撃った。ゾンビは頭部を粉々にされ、陶器のような破片を撒き散らした…。
 ――あれは心臓ではなかったのだ。
 友人が心臓ではなく細胞と呼んだわけがやっとわかった。あれは一種の寄生生物だったんだ。恐らく心臓の形をした――或いは最初は心臓の形などしていなかったのかも知れない。寄生した相手の体の中で、必要な臓器の形に変化しただけなのかも知れない――あの中に、生存に必要な条件を全て満たしていたんだ。培養液の中だけで生き続けていられたのもそれで頷ける。そして宿り主を見つけ、何らかの方法でその体内に侵入し、乗っ取り、他人の生命エネルギーを吸い取って生きていく。吸い取られた他の人間も、同じように別の人間を襲い始める。やがてその星は怪物の巣窟となってしまうだろう。現に今、フーギー星はそうなっている筈だ。私のところに渡ってきたのは、恐らく銀河のどこかで同じような事件を引き起こした奴らの末裔に違いない。友人は調査に赴いて、そいつの起こした事件を知り、私のところに送ってきたんだ。私はそれを事もあろうに、自分の娘に移植してしまったのだ…!
 エシーカは私に掴みかかった。“私はアーシットに会うまで死ねない、”そう言ってね。 恐ろしい形相だったよ。恥ずかしい話だが、私は実の娘の表情に怯えたんだ。君も知っていた、花の大好きだったエシーカは、私が愛し、君を愛したあの優しいエシーカは、もうそこにはいなかった。血だけではない。エシーカは〈人間〉をも奪い去られていたんだ。唯一、君への想いだけを除いて。それを阻むものは誰であろうと、父親の私でさえ、あの子にとってはただの邪魔者に過ぎなくなっていた。
 気がついた時には私はこのザマだ。以前見たあの青年と同じにされてしまったわけだ。私はフーギー星を調査に来たマドバルダ星の管理官に拾われ、以来十八時塊、ずっとこの病院で暮らしてきた。
 生命エネルギーを吸いたくならないかって? 吸いたいさ。わかるかね、毎朝生命力にあふれた看護婦たちが側に来るのが、私にとってどんなに苦痛だったか…。今でも私は君に飛びかかりたくてうずうずしているんだ。だが、私は幸いにも自分の意識を失わずに済んだ。いや、幸いどころか、残酷にもエシーカは、私の人間としての意識をほんの少しだけ残しておいてくれたのだよ。意識のある間は私は怪物に成り下がるわけにはいかなかった。十八時塊の間ずっと耐えてきた。己の姿を鏡で見た瞬間には本当に死にたくなったよ。だが、罪を償うまでは死ねなかったのだ――。
 全てのゾンビどもを本当の死体に変え終えたマルカムは、ゆっくりと塔の中に歩みを進めた。何者かが階段を下りてくる気配があった。暗がりに慣れたマルカムの目には、その下りてくる裸の少女がはっきりと見えた。整った目鼻、頭と、股間を薄く縁取る燃えるような赤毛、内股に乾いてこびりついた、恐らく今片づけた中の誰かのものであろう精液さえも見て取れた。
「エシーカ…」
 よく一緒に風呂に入ったマルカムは彼女の裸を見覚えていた。エシーカは全く変わっていなかった。左胸の手術の痕すら残っていなかった。二十時塊前、二人で過ごした頃のままの彼女が、今マルカムの前に立っていた。
「…あなたは、アーシット?」
 ――頼むアーシット。あのミイラはマルカムの腕にすがり、懇願した。私を殺してくれ。殺してくれ。
 近頃我慢がきかなくなっている。耐えようとする心が次第次第に薄れてきているんだ。欲しい。生命エネルギーが欲しい。これまでは何とか堪えてきた。十八時塊耐えてきたんだ。だが、もう、限界だ。朝、気がつくと、手が自然に看護婦に伸びようとしているんだ。いずれ近いうちに、私もエシーカに生命力を吸われた連中同様、ただの怪物になってしまうだろう。
 これで私は務めを果たした。君に全てを託すことができた。だが、今後、緊張の糸が緩んだ私に残されるのは、他人の生命を求め、貪るだけの、生きた死人としての道しかないだろう。
 私にまだ人間としての心が残っているうちに…!
 ミイラは、いや、エシーカの父、ハミロ・モーハイルは目をしばたたかせた。恐らくは涙をこぼそうとしていたのだろう。しかし今や彼は涙もこぼせなかった。涙腺すら干上がってしまっていたのだ。頼むアスシット、私を殺してくれ。
 そして、エシーカを殺してくれ…!――
 …降りてきたエシーカに、マルカムは微笑みかけ、この星の言葉で答えた。「そうだよエシーカ、僕がアーシットだ」


    (10)

 マルカムは左腕を上げるのに、全精神を集中し、意志の全てを振り絞らねばならなかった。右手は駆け寄ってくるエシーカを抱き締めようとさえしていた。あの頃のままのエシーカを抱き締める、何度それを夢に見たことだろう。心に残った悔いが、願望が、何度それを夢に見せてきたことだろう。
 だが…、
 ――頼むアーシット!
 マルカムは目を閉じ、SPAWNををフルパワーで撃った。
 エシーカは全身で衝撃を受け、宙を飛び、後方の壁に叩きつけられた。結晶石の壁が揺らぐ程の衝撃が走った。
 マルカムは慄然とした。フルパワーで撃ったSPAWNはシールドを掛けた戦車の装甲にさえ穴を穿つ。人体など木っ端微塵のミンチと化す筈であった。だが、マルカムの見守る中、エシーカは茫然とした表情で立ち上がった。右胸に大穴が空いていた。まだ固そうな乳房が千切れ、傷口に垂れ下がり、裂けた筋組織から砕けた肋骨がはみ出し、その奥の肺が膨らみ、縮んだ。ハミロの言った通り、血は一滴も流れなかった。
 しかもその傷は見る間に塞がりつつあった。肋骨はつながり、筋組織は寄り集まり、千切れた乳房はアメーバのように胸を這い上がり、傷口に吸い付いた。
 エシーカが茫然とした顔のまま、マルカムを見た。
「…どうして、こんなことを、するの?」
「………」
「あなたは、本当に、アーシット?」その顔が歪みつつあった。「…それとも、やっぱり違うの?」
 恐ろしい形相に変わりつつあった。ハミロを怯えさせた夜叉の表情に。
「…あんたも私を騙すのね?」
 エシーカの体が揺れた。と思いきや、彼女はマルカムの前に立っていた。熟練の戦士マルカムの目さえ追いつかぬ、信じ難い速度であった。SPAWNをを構えようとしたが遅かった。エシーカはこれまた信じ難い力でマルカム左腕のSPAWNを銃身を押さえていた。大男マルカムがいくら全力を振り絞っても、銃身はピクリとも動かなかった。
 エシーカが肩に力を込めた瞬間、凄まじい音を立て、義手からSPAWNがもぎ取られた。ジョイントが砕け、千切れたコードが火花を上げた。マルカムはエシーカを振り払い、入り口に逃れようとした。が、無駄だった。
 エシーカに押さえ込まれ、マルカムは無様に床に転がされていた。細い彼女を振り払うのは簡単に思えた。しかし両脚をフルに突っ張っても、マルカムはエシーカを振り払うどころか、動くことすらできずにいた。まさに恐るべき力であった。
「私を騙す奴は許さない」エシーカは顔を近づけ彼の眼をのぞき込み、言った。左手はマルカムの右腕を押さえ、華奢な指がマルカムの、鎧を兼ねたテクタイト合金製の首輪の下に傷痕の鮮やかに残る首に回された。
「…私をアーシットに逢わせまいとする奴は絶対に許さない」
 エシーカ、君は俺の眼を見ても俺だと気がつかないのかい? もう俺のことを思い出せなくさえなってしまったのかい…?
 赤毛が逆立った。同時にマルカムは、体の力が抜け始めるのを感じた。吸い取られている、それが実感できた。首を絞められ、たちまち混濁し始めた意識には、どこか妙に心地よい感触であった。
 混濁する意識の底で、誰かが呟いた。…おい。
 マルカムは応えた。何だよ…。
 …どうだ?
 何が…?
 …悪くない気分だろう?
 マルカムは頷いた。ああ、確かに、悪く、ない…。
 …このまま死んでもいいんじゃないか。
 ………?
 …このまま死ぬのがお前には似合いだよ。
 どうして…?
 …祖父を騙し続け、両手を血に染め続けた揚げ句、故郷に帰ったはいいが、今や化け物となり、お前を思い出せもしなくなった恋人に殺されるなんて、いかにもお前に似合いの終焉じゃないか。
 …………。
 …え、そう思わないか?
 かも、な…、そう応えたマルカムの体がすうっと楽になった。意識が暗闇に引きずり込まれるに任せようとした。瞬間、
 ――頼むアーシット、エシーカを殺してくれ…!
 脳裏に蘇った悲痛な声が、マルカムの意識を呼び戻した。
 ――エシーカを解放してやってくれ。あんな怪物のままで生き続けさせないでくれ。頼むアスシット、あの子を殺してくれ!
 マルカムは右腕を動かしてみた。動いた。今やマルカムが完全に参っているとでも思ったのだろう。エシーカは押さえていた彼の腕を離していた。マルカムは右拳を握り込んだ。ミシッ…、という音を立て、義手の指が握り込まれると同時だった。
 拳から幅八ミリ、長さ五十センチの錐刀が飛び出した。
 マルカムは跳ね起きた。体にエシーカをぶら下げたまま、入り口横の壁に向かって走る。そして錐刀をエシーカの左胸、心臓目がけて突き刺した。
 錐刀はエシーカの背中に抜け、壁の結晶石に突き立った。エシーカは暴れ、マルカムの首に回した指に力を入れた。テクタイト合金製の首輪がたわみ、マルカムの顔はたちまち赤黒く膨れ上がった。目はかすみ、耳鳴りが襲い、頭の中でハンマーが鐘を叩いた。意識は何度も奈落の底に転がり落ちそうになった。
 しかしそれでも、マルカムは次にすることをわきまえていた。
 錐刀を十五万ボルトの電流が流れた。
 電流はエシーカの肉を灼き、心臓を炙った。さしものエシーカも、これには絶叫を上げた。だが、力は弱まらない。指先はマルカムの首の皮膚をむしり取り、遂には肉を突き破りそうにまでなる。駄目か、マルカムの薄れかけた意識に、ちらと諦観が走った瞬間…。
 ピシッ…。
 結晶石の壁に亀裂が走った。
 チタン酸鉛を越える強誘電効果を持つ純粋結晶、そこに流れた十五万ボルトの電流が引き起こす圧電効果は、塔そのものを揺るがした。亀裂はたちどころに塔全体に走った。天井が崩れ始める。
 降ってくる結晶石の破片から逃れようとエシーカは暴れた。マルカムはそれを許さなかった。錐刀はエシーカの体を縫いつけたまま、電磁波を流し続けた。やがて天井全体が丸ごと落ちてきた。塔そのものが崩れ始めた。
 マルカムはエシーカを、半ば抱き締めるように押さえ続けた…。

 立ち込めていた砂塵がようやく地面に還った森も、もうすぐ闇に包まれようとしていた。昼間の騒ぎに逃げ出していた虫も戻り、鳥たちも今は木々の枝にて静かに目を閉じていた。 エシーカの家だった結晶石の塔は、完全に崩れ落ち、破片の山となっていた。
 空気の動きを察知した虫たちが、わっとその場を離れた。近くにいた鳥たちが避難した。カチリ…、という音を立て、崩れた結晶石が作る山の一角が、わずかに形を崩した。
 小さな破片がしきりになだれ落ちるその山の下から、マルカムは顔を出した。
 …巨大な破片が二人を押し潰す前に、マルカムは何とか脱出し得た。あの心臓の形をした化け物は十五万ボルトの電流に耐え切れず、エシーカの体の中で膨れ上がり、破裂した。直後に落盤に似た落石が、エシーカの体を完膚無きまでに粉砕した。錐刀は折れたが、マルカムの方は破片をかわすことができた。額を切り、首の周りは血まみれだったが、大した傷ではなかった。既に傷だらけの顔だ。いずれ多くの傷の中に埋もれてしまうだろう。マルカムは何とか無事だった右腕で必死に這った。上半身だけが抜け出した。
 と言うより、上半身だけしか残っていなかった。
 血は一滴も流れていなかった。流れる筈がなかった。マルカムの体は頭を除き、大部分が機械だった。主要臓器だけが円筒形のカプセルに詰め込まれ、機械製のボディ、胸部内部に収納されている。
 落石に胸部が潰されなかったのは幸運だった。下半身は失われたが、大した問題ではない。替えの体ならいくらでもある。マルカムは二十時塊来、機械の体と付き合ってきた。
 脊椎を入れ替える手術は成功しなかったのだ。
 …あの日、マルカムはミミール星の大病院で手術を受けた。途中までは順調だった。そう、同じ病院に入院していたエンブリオ星大統領を狙ったテロリストの爆弾が破裂するまでは…。
 そこでも命を取り留め、やがて全身を機械化することで体の自由を取り戻したマルカムだったが、二度と女を抱くことのできない体になっていた。例えエシーカが怪物となっていなくても、マルカムは彼女と愛し合うことはできなかったのだ。しかし、それだからこそ助かった。生身での接触だったら、マルカムはとっくに生命エネルギーを吸い尽くされていた筈だからだ…。
 森の鳥たちがまたしても騒ぎ始めた。上空をサーチライトを点けた探索艇が通過した。連邦軍のものらしい。恐らくはトナティックだ。そうでなければハーリーか。後発隊が到着したので、マルカムたちの救出に駆けつけたのだろう。
 もうすぐ見つけて貰えるだろう。だが、このまま見つけられなくてもいいような気もした。今あるのは虚脱感だけだった。
 もうどうでもよかった。
 …魔物は去った。マドバルダ星はこれから変わってゆくだろう。フーギー星にも人が戻ってくるに違いない。しかしマルカムにはそれさえもどうでもよかった。引退した暁には生家に戻ろうかという考えも、いつの間にか消えていた。
 二度とここに戻ってくることはあるまいと思った。
 …故郷などというものは、思い出によって作り出される幻影に過ぎない。それを心の中で美化した人々が懐かしむだけに過ぎないのだ。だから故郷を去っても、例えそれがなくなっても、いつまでも懐かしむことができる…。少なくともマルカムにとって故郷とは、彼自身が心の中に後悔という形で生み出したものに過ぎなかった。そして、その中心にいたのはいつもエシーカだった。今、マルカムの脳裏に浮かんでくるのはエシーカの笑顔だけだった。あれだけ心を切なくした家や祖父との思い出も、申し訳なさも、嘘のように消え失せていた。古びた家への執着も、全ての風景への懐かしさも、全て嘘のように…。
 故郷が、そして思い出があれだけ懐かしかったのは、その全てがエシーカと結びついていたからだ。いつもそこにエシーカがいたからだ。祖父との思い出さえエシーカの前ではおまけに過ぎなかった、意識のどこかに生じた己の女々しさへの照れが生じさせたものに過ぎなかったのだ。そう思うと悲しかったが、実際祖父との思い出はその後いくらでも作れたし、現に作ってきたではないか。
 では、俺はそれ程までにエシーカを愛していたと言うのか、いや…。
 恐らくエシーカはマルカムの“男”の、最後の拠り所だった。この先二度と女を愛せないであろうマルカムの中に唯一残り、美化し得る面影は、彼女だけしかいなかった。マルカムの故郷は、エシーカを愛せる“男”でいたかったマルカム自身が作り出した幻だった。マルカムに後悔と望郷の念とを持続させていたのは美化された幻だったのだ。
 そう思うと何となくわかるような気もした。どちらにせよそのエシーカを自らの手で殺した、そう、殺してしまった今…、
“男”としてのアーシット=マルカムも死んだ。そして…、
 彼自身の故郷も永遠に失われたのであった。



                                  2016 4 7

銀河傭兵列伝 帰郷

銀河傭兵列伝 帰郷

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-04-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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