忘れまじ、日本人の心と姿

東日本大震災に寄せて

忘れまじ、日本人の心と姿

 テレビは海外のある被災地を映し出していた。トラックから救援物資が道端に降ろされた瞬間、その国の現地の人達は我先に飛びつき、奪い合い、ののしり合いながら喧嘩しているのだった。彼らのあさましい姿が私の目に焼きついた。テレビはその映像とともに解説を加えていた。外国ではどこでもこんな状態だと言う。さらに、略奪や暴動が日常的に起こっていると。
 翻って、この度の東日本大震災での日本人の行動はどうだったか。
 被災者は、家を流され肉親や知人を失っても、人を思いやり助け合い秩序を乱さなかった。限られた救援物資にも列を作って受け取る。温かいうどんが配られると聞くと皆、避難所前に整列する。しかし配られるのは二十数杯だと言われる。「もっと困っている人達がいるからそちらに回して下さい」と誰かが言う。そうすると受け取ったうどんの茶碗を後ろの人に渡し、渡された人がさらに後ろの人に渡していく。最後には老人と子供にうどんが行き着く。
「6mの津波が来ます。高台に避難して下さい。」冷静で落ち着いた口調で繰り返し繰り返し放送が流れた。3月11日、大きな揺れの後、宮城県南三陸町防災放送担当だった遠藤未希さん(24歳)は防災対策庁舎2階から呼びかけ続けた。その声を聞き、南三陸町の住民は何人も高台に逃げた。「10m以上の津波が来ています。早く高台に避難して下さい。10m以上の津波が来ています。早く高台に避難して下さい。」――声は段々震えていたが、途中で切れた。避難した高台の高校から3階建ての防災対策庁舎が波にさらわれるのが見えた。屋上に出た職員も波に飲み込まれていくのが見える。庁舎に残った約30人の職員うち、助かったのは10人。へばりついた瓦礫とともに赤い鉄骨だけが無残な姿をさらけ出していた。避難所に逃げた女性は、「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれた。ありがとう」と涙ぐんだ。
 自衛隊のある中隊長は次のようなメールを書いた。
〈先日、瓦礫の中から3歳の男の子を発見しました。お母さんが探しておられたのを知っていましたから、連絡して確認してもらいました。服装で分かったそうです。
 最後にどうしても抱っこしたいとのことだったので、収納袋のまま渡しました。
 その子を抱きしめて「よかったね。自衛隊さん達が助けてくれたよ。お前も今度生まれ変わって大きくなったら自衛隊に入れてもらおうね」と泣いていました。
 瓦礫の中でお線香をあげて隊員みんなで見送りました。〉(*)
 福島県浪江町のその下り坂へ来ると、自衛隊車両も警察車両も消防車両も徐行する。道端に小学生らしき女の子が二人で「ありがとう 毎日毎日 ごくろうさん」と書いた段ボールを掲げて立っている。この子達は何としても自分たちの感謝の思いを伝えずにはおられず、毎日道端に立っている。この子達の素朴で素直な気持ちに応えるため、救援・救助に向かう全自衛隊員、全警察官、全消防隊員が背筋を伸ばしその子達に敬礼する。
 一方、人々の記憶から薄れつつあるが、平成17年4月25日、JR福知山線の尼崎市で脱線事故が起り、電車は線路のカーブ付近のマンションに突っ込み大破して止った。乗客106名が亡くなった大惨事だった。そのJR福知山線の電車内のことである。その女性車掌は、尼崎の事故現場にさしかかる時に黙祷をしていた。そして、事故現場を通り過ぎると後ろ向きになり敬礼をした。その女性車掌の後ろ姿は凛としており、背筋がぴんと伸び、敬礼した指先に神が宿っているようだった。おそらく、毎回事故現場付近で同じように黙祷と敬礼をしているのだろう。誰に命じられたわけでもなく彼女の気持としてそうしている。それは気持だけではあるが、その気持がJR西日本を支え、そして日本の社会を支えているように思う。その女性車掌の誠意は胸に迫るものがあった。
 
 少ない救援物資に愚痴一つこぼさず整然と並び、困っている人がいたら助け合う被災者達がいた。自分の命が尽きるまで町民のためにその職責を全うした女性職員がいた。泥まみれになりながらも水溜りの中や瓦礫の中から遺体を収容する自衛隊員達がいた。警察官がいた。消防団員がいた。そんな彼らに「ありがとう」と感謝のメッセージを送った幼子達がいた。その幼子達に敬礼する隊員達がいた。尼崎の事故現場を通過する時黙禱し敬礼するJR西の女性車掌がいた。
――これが日本人の心と姿である。我々は日本に生まれ日本で育ったこと、日本人であることを誇りにしてよい。我々は忘れてはいけない。この日本人の心と姿を。そして、我々はこの日本人の心と姿を継承していく責務と使命を負っている。

(*)西村愼悟「日本人とはいかなる民族か 共に生き共に死にたいと思う絆」より引用

忘れまじ、日本人の心と姿

忘れまじ、日本人の心と姿

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-05

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