失われた夏 7 夏の午後 海辺にて
夏の盛りを少し過ぎたばかりの週末の午後。
夏木雅人と森下彩は、太平洋側に面した美しい海岸のリゾートホテルに滞在していた。
二人は、ステーションワゴンに乗りこの海岸まで来た。
午前中の遅い時間に、ホテルにチェックインた。そのあと、ホテルのレストランで昼食を取って部屋に帰ってきたところだった。
二人は、部屋の外のバルコニーから海を眺めている。
今日は、午前中から夏の青空が広がって快晴だ。絵に描いたような夏の入道雲が湧き上がり、水平線の彼方の空も海も深いブルーに見える。
夏の太陽に、海は輝いている。
水平線の彼方から潮風が吹いてくる。チューブ状の綺麗な波が、海岸に向けて打ち寄せてくる。
海岸から少し沖の辺りに、沢山のサーファーが波乗りを楽しんでいる。
二人は、並んで海を眺めた。
「ねえ、これからどうするの」
「ホテルの屋外プールで日光浴」
「普通だわ」
「じゃあ、砂浜へ出て海水浴」
「ますます普通だわ」
「せっかくの夏なのに、何もしないのか」
彼の言葉に、彼女は微笑した。
「せっかく二人きりになれたんだから部屋で過ごせばいいわ」
「せっかく来たのに、何処もいかないのか」
「後で、黄昏の海辺を散歩すればいいのよ。そのあと、夕食を取ってから花火を見に行くわ」
「黄昏まで、まだ時間がある」
彼女は、隣りにいた彼の手の上に自分の手を重ねた。
「二人きりの時間を、より親密に確かめ合いたいの」
二人は見つめあった。
二人は、向き合うと抱き合った。そして、口づけを交わした。
その間、波の音と海岸やプールの雑踏だけが聞こえていた。
時折、海から吹いてくる南風が、潮の香りを残して二人を包みこんだ。
彼女は、彼から少し離れて微笑した。
「二人の夏の時間は、まだ残っているわ」
彼は、彼女を見つめた。
「それでは、残っている夏の時間を、親密に確かめ合おう」
二人は、黄昏までリゾートホテルのベッドの上で過ごした。
太陽がオレンジ色に西へ傾くころ、シャワーを浴びてリゾートホテルの外に出て来た。
リゾートホテルの海岸側に、プールがある。そこから、海岸の砂浜へ出て行けるようになっている。
白いホテルの建物の壁面は、オレンジ色に染まって、椰子の影がシルエットを映し出している。
二人は、黄昏の閑散とした砂浜を並んで歩いた。
夕凪の時刻だろうか。南風は、今は吹いてこない。静かに、波の音だけが聴こえる。
「ねえ、私…」
「何」
「海外に行こうと思うの」
「海外旅行か……。何処へ」
「違うの、海外に住もうと思うの」
彩の予想外の答えに、雅人は少し驚いた。
「えっ。何処に」
「アメリカ」
「アメリカ……」
雅人は、言っている意味がよくわからなかった。
「いいのよ。貴方は、仕事もあるし」
「一人で行くつもりなのか」
「二人」
雅人は、驚いた。
「えっ、男か」
「女よ」
「誰」
「そのうち、紹介するわ」
「何故、今まで言ってくれなかったんだい」
雅人は、不満そうに言った。
「そうね。いつか言うつもりだったのよ」
「そうなのか」
「そうよ」
「いつ行くんだ」
「夏が終わる頃」
また、雅人は驚いた。
「えっ、もう時間がないじゃないか」
「そうよ」
「だから、貴方と二人で夏をすごしたかったの」
彼は、黙ったまま応えなかった。
会話は、そこで途切れた。
二人は立ち止まり、沈黙したまま海を眺めた。
オレンジ色に染まる水平線の空は、やがてパシフィックブルーに変化していく。辺りは暗くなりはじめていた。
沈黙した二人に、波の音だけが静かに聴こえた。
二人は、海岸から帰ってくるとリゾートホテルで夕食を取った。
それから、部屋で着替えると花火大会に出かけた。
海岸の近くに神社がある。そこに露店が並んでいる。
金魚すくいや綿菓子、昔からあるプラスチックのお面。それに、風船のヨーヨー。何処かで風鈴の音色もする。
何処か夏のノスタルジーを感じる。
子供頃から、変わらない夏祭りの雰囲気を二人は楽しんだ。
境内を行き来する人の波の中で、二人は手を繋いでゆっくりと歩いた。
彼女は、髪を後ろにまとめて、浴衣を身につけていた。濃紺に鮮やかな朝顔の柄だ。うなじや胸元に、ほんのりと色香が漂う。
彼は、彼女の出来ばえに満足した。
彼は、ブルーのボタニカルプリントのアロハシャツにデニムをカットオフしたショートパンツを身につけていた。
二人は、神社を出ると海岸の会場へ歩いた。
海岸は、深い青から夜の闇へ変わろうとしている。
今夜は、陸から吹く風は微風だった。時折、吹いてくる風は秋風のように涼しい。
最初の花火が打ち上げられた。
海側の夜空を直線に上がっていき、頂点で華やかに花が開いた。
大きな花火の音が響く。
海の風景が一瞬照らし出される。
会場から歓声があがった。
二人は、花火大会が終わるまで楽しんだ。
失われた夏 7 夏の午後 海辺にて