植野先生

とある高校での出来事

植野先生

 2月1日(月)夜8時頃、ある生徒が職員室の扉をノックして開けた。そこには雨に濡れた山元勇作がスリッパも履かず立っていた。何か思い詰めた様子だった。
「植野先生はいませんか」
 彼は、四月当初教室の位置が分からず、教室を移動する時には、休み時間の10分ではとてもいけない生徒だった。また、他の生徒とも普通にコミュニケーションが取れないということも聞いていた。いわゆる配慮を要する生徒の一人だった。それで何かあるなあとは思ったが、担任の植野tはもう帰った後だった。
「こんなに遅い時間に何かな。植野先生なら30分程前に帰ったけど」
「植野先生はいらっしゃらないんですか」
「はい、もう帰ったから。どんな用事? 数学の質問?」
「植野先生に相談したいことがあるんです」
「数学の質問じゃなくて、それ以外の相談をしたい?」
「はい」
「急いでいる?」
「いえ、急いではいませんが」
「そうか、そんなら明日でもいいかな」
「はい」
「そんなら気をつけて帰りなさい」
「はい」
 翌日、植野先生に、山元勇作が夜遅く来たこと、思い詰めた様子で相談したいことがあると言っていたこと、を伝えた。植野tは「思い当たる節があります。今日、話を聞きます」と応えた。僕は彼に任せた。
 その日の夜、ほとんどの先生が帰った後、植野tは僕の所に報告に来た。
「山元勇作の件ですが」
「はい」
「以前に相談したことがあると言って来て、聞いたことがあります。その時には解決策が直ぐには思い浮かばずに考えておくわ、と応えておいたので、彼の中ではその問題が未解決のままになっていたのでしょう、昨日、学校を休んでおり、一人で思い詰めたのだと思います、それで夜遅くに来たんだと思います。今日、放課後の担任会の前に彼と話をしました。いくつかの些細な問題に対して解決策を提示し、それで納得しましたので、彼の中では一応解決したと思います」
「ああ、そうですか。彼の問題って何ですか」
「彼は、他の人が拘らないようなことに対して非常な拘りを持つ時があります。他の人にとっては些細なことであっても、彼にとっては大きな問題となり、前に進めなくなる時があります。今回もそうでした」
「うん、具体的には何があったの」
「彼はノートを取る時、1ページを書き終わると次のページをめくるんですが、本当に次のページなのか、1枚飛ばしていないか、非常に気になり、何回も何回もノートのページをひっくり返して確かめます。確かめても心配でたまりません。それで悩んでいました。そこで、僕は彼に言いました。ノートの全ページにページ番号を書きなさい、そうすれば今書き終わったページと次のページが数字で分かるようになるから、ページ飛びを防げる、と。そうしたら、ああ、なるほど分かりました、今日、家に帰りましたら、全部のノートにページ番号を書き入れます、と言い安心したような表情になりました」
「うーん、なるほど」
「それから、ノートに書いている時、失敗することがあり、そんな時にはそのページを引きちぎって捨てていた、良くないなあと思い悩んでいる、ということなんですが、それに対しては、ボールペンで書いて消しゴムで消せなくても、修正ペンという物があって、ほらこうやっていくらでも消せるということを伝えました。ああ、そういう物があるんですか、分かりました、早速買います、と嬉しそうにしていました」
「うん、うん」
「さらに、ノートに関して失敗しなくても時々引きちぎって捨てることがあるとも言っていました。彼は、ある行為が人間として正しいのか、悪いのかを非常に気にするタイプなので、僕はそれは悪いことやでと話しました。ノートは木を切って、パルプにして紙を作り、それから出来ている。だから、ノートには木の命が込められている。ノートを失敗もしていないのに無駄に引きちぎることは、ノートに込められた木の命を捨てることになる、命を粗末にしてはいけない、それは人間として悪いことや、と話しました。かれはえらく納得していました」
「なるほど、素晴らしい話ですね。的確な指導です」
「はい」
 植野先生はにこにこ笑っていた。

植野先生

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-04

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