お花の墓を作る人

 黒い髪の彼はお花の墓を作る人で、ぼくは彼のことを“お花の墓を作る人”と呼んでいる。
「あ、お花の墓を作る人」
 彼は「やあ」と手を振ってくれる。お花の墓を作る人は、陽気な人なのだった。そして、勉強熱心な人なのだった。
「お花の墓を作る人、図書館に通い始めて何日が経ったの」
「何日だろうね。たった数日のような気がするし、数十日のような気もするし、数百日は経っているような感じだし、とうに数千日は過ぎているかもしれないな」
 お花の墓を作る人は始終、こんな調子であった。
 お花の墓を作る人が毎日いるのは市立図書館で、お花の墓を作る人は二階の植物に関する書籍が揃うコーナーではなくって、植物の本がずらっと並んだ棚のとなりのとなりの、そのまたとなりの棚の前で決まって立ち読みをしている。
 お花の墓を作る人がよく読んでいるのは、ミドリガメの本である。
 ミドリガメの生態に興味があるらしい。飼育方法も。ミドリガメに関する本なんて二、三冊しかないのだけど、お花の墓を作る人はその二、三冊を何度も何度も読み返しているらしかった。
 ミドリガメのことを一つ訊ねれば、ミドリガメのことを五つは答えてくれる。
 水槽の選び方、水の量、餌の種類、掃除の頻度、甲羅を磨く際の注意点、などなど。
 お花の墓を作る人、より、ミドリガメにくわしい人、という呼び名の方が相応しい気がしている。
 ほんとうの名前は知らない。年齢も。住んでいる場所は、図書館の近くの犬小屋みたいな家だと言っていたが、図書館の近くは二階建ての一軒家ばかりで、犬小屋みたいな家など見たことがない。けれども、お花の墓を作る人がうそを吐いているようには思えなかったので、もしかしたらぼくらの目には見えない家に住んでいるのかもしれなかった。
 お花の墓を作る人の話はそのすべてがうそのようだが、すべてがほんとうのことみたいで、お花の墓を作る人と会話をしていると、ときどき、時間を忘れるし、市立図書館にいることも忘れるし、ぼくが、お花の墓を作る人より十個は年下であろうことも忘れてしまう。年齢は知らないが、十は離れているにちがいない。擦り切れて傷だらけのぼくの黒いランドセルを、懐かしそうに眺めてくるから。
「今度一緒に、桜の花びらを埋葬しない?」
 カラオケに行かない?、くらいの軽さで、お花の墓を作る人に誘われた。市立図書館に毎日足を運ぶようなってからはじめての春の、ある雨の日のことだった。
 外は水浅葱色の霧が立ち込めていて、市立図書館に入ってから、お花の墓を作る人がいる二階の棚までのあいだに来館者はおろか、図書館の関係者らしき人もひとりとして見かけなかった。水浅葱色の霧が出た日は、もうひとりの自分と遭遇する確率が高いので無用な外出は控えるよう、市内を広報車が回るのであるが、お花の墓を作る人はこんな日でも図書館に来ていると思った。むしろ、こんな日だからこそ、お花の墓を作る人は喜んで外に出ていると思った。
 その証拠にお花の墓を作る人はめずらしく、無造作に伸びた黒い髪を後ろで束ねまとめていた。長ったらしい前髪を、シンプルな黒いヘアピンで留めて、お世辞にもかっこいいとはいえない顔を晒していたが、その顔には赤みがさしていて、いつもよりも肌がつやつやしていて、まるで人間のようであった。(まるで人間のようって、お花の墓を作る人はまぎれもなく、人間なのだけど)
「桜の花びらの埋葬って、どうやるの?」
 ミドリガメの本を片手に、ぼくは訊ねた。
 ぼくはここ数日、お花の墓を作る人が薦めるミドリガメの本の一冊を読んでいるのだけど、ミドリガメに然して興味がないものだから、本を読むフリをしてお花の墓を作る人の横顔ばかり観察している。そのおかげで内容は何一つ頭に入ってこないが、お花の墓を作る人の鼻が意外と高いことを発見した。
「散った桜の花びらを掻き集めて、土に埋めるだけさ。簡単だろう?
けれどこの市内だけでも、桜の木が幾万本とあるからね。
体力と根気がいる作業だ。その点はキミ、お若いのだから心配ないだろう。
でも、そうだねェ、精神的にクるものはあるかもしれないな。
なんせ桜の花はすぐに散ってしまうからね。
次から次に墓穴を掘らなくてはならない。まだ幼いキミの目に、その光景はどう映るかな。
ぼくなんか大変だよ。花の声が聴こえるからね。
桜の木の下になんかいたら、頭がおかしくなってくる。
花びらが散る度に奴ら、悲鳴を上げるんだから」
 どことなく楽しそうな感じで、お花の墓を作る人は言い連ねた。
 ぼくは「考えておきます」とだけ答えて、ミドリガメの本を読むのに集中した。といっても、やっぱりミドリガメの生態や飼育方法に心躍らないものだから、ぼくは文章だけを追いながら、彼と桜の花びらを埋葬する自分の姿を想像してみた。
 黒い服で、やるのだろうか。
 ぼくはひいおじいちゃんのお葬式のことを思い返して、でも、何かちがうなと思っていた。
 お花の墓を作る人は鼻歌を歌いながら、窓の外に広がる水浅葱色の世界を見ている。

お花の墓を作る人

お花の墓を作る人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-03

CC BY-NC-ND
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