死にたい気持ち

 
 死にたい気持ちに理由は必要ですか。
 私はもうなんだかよくわからないのです。
 死にたい気持ちは私の一部となっています。
 もし私が死んだら、ああこの人は__だったから死んでしまったのね、と皆様で理由を付けてやって下さい。



 死にたい。けれど、ご飯を食べた。
 死にたい。けれど、テレビを見た。
 死にたい。けれど、新聞を読んだ。
 死にたい。けれど、お風呂に入った。
 死にたい。けれど、眠って起きた。
 死にたい。けれど、勉強した。
 死にたい。けれど、合格した。
 死にたい。けれど、入学した。


 入学したけれど、何かが違った。
 何が違うのだろう、自分のことなのにわからなかった。
 自分が嫌で死にたくなった。


 今はもう使われていない教会の屋上へ上がった。
 真っ白で綺麗な外観。なぜ使われなくなったのだろう。
 いざ柵を乗り越えようとしたとき、真横に男の人が立っていた。
 すごく驚きびくっと身体が跳ねた。さっきまで私一人だったはずなのに。

 柵に手と足を掛け男の人を見たまま、私の動きは止まった。
 男の人はかなしそうにこちらを見ている。
 そして透けている。

 透けている。

 幽霊なのだろうか。
 はじめて見た。半透明な人。

 よく見ると、男の人の腰くらいの位置に、隠れながらこちらを見ている女の子もいた。
 女の子も同じく透けている。
 男の人にぴったりと甘えるようにくっついていて、身体半分を覗かせ上目遣いでこちらを見ている。

 よくよく見ると、二人の格好が、まるでご先祖様の子供の頃のようなものだった。
 男の人は、坊主が少し伸びたような短髪で、白いカッターシャツに黒いズボン。黒いベルト。シャツの裾をズボンの中にきっちりと入れている。
 そして、裸足に下駄。
 はじめて見た。夏祭り以外での、裸足に下駄。

 女の子は、おかっぱで、丸襟の白いブラウス。袖なしの赤いワンピース。足首までの白い靴下に、甲にベルトが付いた赤い靴を履いているのがちらりと見える。

 あ、可愛いな、と思った。思わず女の子に微笑みかけた。

 女の子は少し目を見開き驚いた様子のあと、ぱっと男の人の後ろに完全に隠れてしまった。


「ご、めんなさい。驚かせちゃった、みたいです」
 私は男の人に謝った。
 男の人は首を横に振り、静かに笑った。
 そして柵を持つ私の手に手を乗せた。

 ひんやりとした。そこに物体はなく冷たい空気だけが私の手をまとっているように感じた。
 でも、彼の手はそこにある。見える。半透明だけれど。

 彼の手の下に私の手が見える。
 不思議なことが起こっているな、なんて呑気なことを思った。

 柵を越えたい気持ちはもうなくなっていた。

 私が柵から身体を離すと、男の人も手を退けた。
 男の人は少し後ろに下がり、ぺこりと頭を下げた。
 女の子が男の人の腰あたりからひょっこり顔を出すと、恥ずかしそうに私に向けて手を振った。
 ちっちゃくて、可愛い手。
 私は顔がほころび、応えるべく手を振り返した。

 すうっと、二人は消えた。

 振り返した手を宙に浮かせたまま私は、お腹空いたな、と、また呑気なことを思った。


 次の日、学校へ行き、講義を受けた。
 次の日も、学校へ行き講義を受けた。
 その次の日も学校へ行き講義を受けたが、つまらなくて死にたくなった。
 死にたくて、途中で講義を抜け出した。
 死にたくて死にたくて、学校の中で一番高い建物を探した。
 総合図書館が目についたので、それを目指した。
 はじめて建物の中に入った。
 中央に大きな螺旋階段があった。
 見渡すと、年季のある木の柱、扉もある。
 興味が湧いた。
 私は扉を開いた。
 整頓されている多くの本たちを目にした。
 本棚、机、椅子。木製で古めかしいが丁寧に扱われているようで、とても上品で綺麗だ。
 奥へ進む。本に触れる。もっと古い本が見たくなり、さらに奥へと進んだ。

 そこには誰もいなかった。茶色に褪せた本たちを眺めて息を吸った。
 亡くなったおばあちゃんの家にあった書庫を思い出した。

 おばあちゃんに会いたいな。
 死にたいな。
 そう思い、この建物の屋上へ向かおうと足を動かしたとき、
 目の前に男の人が立っていた。

 あの、半透明の男の人だ。
 あのときのように隠れている女の子もいる。

 また、現れた。また、驚いた。そしてまた、男の人はかなしそうにこちらを見ている。

“私の死にたいがいっぱいになったら現れるのですか?”
 心の中でなげやりに疑問をぶつけた。

 男の人はかなしそうに首を縦に一回振った。

 そうなのか。

“でも死にたいんです”
 心の中でつぶやいた。

 男の人はまた、かなしそうに首を縦に一回振った。

 女の子がおずおずと小さなこぶしをこちらに差し出した。
 何だろうと思い、私は女の子のこぶしの下に手の平を添えた。
 半透明なこぶしが開かれると、私の手の平にピンク色の貝殻が乗った。

 綺麗だ。
 私は女の子を見た。

“あげる”
 女の子ははにかみながら言った。
「ありがとう」
 私は笑顔になり、声に出してお礼を述べた。

 すうっと、あのときのように、二人は消えた。
 消えたけれど、手の平にある貝殻が、彼らを在る者として意識させた。


 死にたくなるから、学校へ行くのを止めた。
 死にたいけれど、アルバイトを始めた。
 室内プールの監視員。私は子供専用のプール場を受け持った。

 真面目に仕事をしていると、半透明の二人が現れた。
 私は今は死にたいと思っていない。けれど現れた。

“死にたそうに見えましたか?”
 心の中でつぶやく。
 男の人は首を横に振った。
 女の子が男の人の後ろからぴょんと出てきた。
 子供用の水着を着ている。
 ピンク色でフリルのスカートが付いている。
 私はあの貝殻を思い出した。

「可愛いね」
 私は女の子に言った。
 照れながらも嬉しそうに笑った女の子は、プールのある方へと駆けていった。

 私は男の人と二人になった。
 男の人は私を見るとにっこり笑い、着ているカッターシャツを脱ぎはじめた。
 私は恥ずかしくなり余所を向いていると、シャツがぽーんと目の前を横切った。
 ランニングシャツになった男の人は、下駄は脱いだけれどズボンは穿いたまま、女の子を追いかけプールに入った。

 放り出された半透明のシャツに手を伸ばした。触れられないかも、と一瞬躊躇したが、思いきってさらに手を伸ばした。
 触れることが出来た。
 半透明のシャツは冷たいような温かいような不思議な物体だった。
 教会での、彼の手を思い出した。
 あのときも実は、感じようとすれば温かかったのかな。

 下駄にも触れられた。
 きちんと揃えて置いてみた。
 シャツは皺にならないよう軽く空気を通して腕に持ち、私は二人を眺めた。
 なんだか幸せな光景だった。


 父から電話があった。
 学校の関係者で今とても有名な人が、わざわざ私のために学校へ来てくれるそうだ。
 私は断った。
 けれど父は、学校を退学してもいいけれど、その前に一度だけでも会ってみなさい、と言ってきた。
 死にたくなったけれど、会うことにした。


 死にたいけれど、久し振りに学校を訪れた。
 待ち合わせ場所は、あの総合図書館の最上階にある一室だった。

 螺旋階段を上る。側面は白い壁で、手すりと階段は木でできている。
 はじめて上がる階段。図書館の本棚たちと同じく、上品で綺麗だな、と思った。
 ここを上る人達はこうやっているのかな、と思いながら、薄く光沢のある木の手すりを意識して手でなぞりながら上った。


 中へ入ると、すでに父と学校の関係者である女性が対面してソファに座っていた。
 私はおじぎをし、父の横に、少し離れて座った。
 私は女性を見た。テレビでも新聞でも見たことがある人だった。


「あなたは学校が嫌い?」
 唐突に女性が尋ねてきた。
 何と言ってよいかわからず、黙ってしまった。

「この学校で頑張れば、私のように有名になれて不自由のない人生を送れるのよ」
 何か違うと思った。けれど、何が違うのかはっきりとした言葉が浮かばず、何も言えずにいた。

「あなたは頑張って勉強して、この学校に入ったのよね」
 うん、そうだ。

「合格を知ったとき、嬉しくなかった?」
 嬉しかった。

「けれど今は来ていない」
 うん。

「もったいないと思わない?合格できなかった人もいるのよ」
「ここでは色々なことを最先端で学ぶことが出来るの」
「新しいものだけじゃなく、古いものも大切にしている素晴らしいところよ」
「あなたは将来、何になりたくて、何を目指してここへ来たの?」


 私は部屋を飛び出した。



 目標は、学校に入学することでした。
 この有名な学校へ入学出来れば、親は喜ぶと思いました。
 死にたい私は親よりも早く死にます。親不孝者だから、少しでも親孝行なことをして死にたかったのです。
 入学し、目標を達成したら、それが私の人生のゴールとなっていました。
 人生のゴールを迎えた私は何をしても何も思わなくなりました。

 死にたいけれど、親をかなしませたくなかったのです。
 それが、
 かなしませたくないけれど、死にたい、に変わりました。
 私自身は有名になるのも、不自由のない人生を送るのも、全く興味がありませんでした。

 この学校にいる人達は何かを目指して勉強している。
 何かを得たくてここにいる。
 私には、それがありませんでした。

 私は今から私の人生の目標を見つけられるのでしょうか。
 今まで考えたことのないことを考えると、とても恐くなりました。

 これが私の死にたいの理由なのでしょう。
 とてもちっぽけで甘ったれています。


 わからない、なのでしょう、といったものの、自分はわかっていたのかもしれません。
 とてもちっぽけで甘ったれな私は、私を否定されるのが恐ろしかった。かといって、もう、死にたいを私から除くことは、できそうにないのです。


 死にたいのです。
 死にたい。



 逃げたい。



 逃げちゃえ。

 なぞってきた手すりに足を掛け、私は螺旋の穴へと身をゆだねた。


 穴の底を感じるはずが、なぜだかやわらかい布を感じた。
 白い大きな布に包まれながら、私はゆっくりと落ちてゆく。
 見上げると、こちらをじっと見つめている、父と女性の姿があった。


 死ねない。
 嫌だ。
 けれど。
 思い出した。
 あの女性が、有名になった理由。研究していること。


 目の前に男の人が現れた。
 限られた時間は、この布に包まれて落ちているわずかな瞬間。
 私は必死に男の人に抱きついた。
 男の人もきつくきつく抱きしめ返してくれた。

“有難う。有難う。私はこれからずっとあなたのことを忘れません。
あなたは私の心の中にずっといます。必ずです。誓います。忘れません。ずっといます”

“有難う。逃げてもいいけれど、死ぬのはよしましょうね。
僕はきっともう君の前には現れないけれど、約束しましょう。


僕たちを知ってくれて、有難う、有難う”

 女の子も現れた。
 私に抱きついてくれた。
“わらってくれて、かいがらもらってくれて、ありがとう”
 私は女の子をぎゅっと抱きしめた。

“ありがとう、ありがとう」



 私は学校の医務室で目が覚めた。
 丸椅子に父が座ってこちらを見ていた。

「あの女の人は?」

「帰ったよ」

「あんな有名な先生と、知り合いだったんだ」

「娘を助けてくださいとお願いしただけだ」



「どうして螺旋階段から飛び降りるってわかったの」

「あの先生の研究結果と、親の勘だよ」



「私の死にたい気持ちは、我儘だったのかな」

「わからないよ。けど、死にたい気持ちは確かに在って、でも、望んだ気持ちじゃないんだろ?」



「うん」
 涙が出ていた。



 自死が病死よりもはるかに多くなったこの世界で、自死を防止する様々な商品が開発された。
 そして、自死は病死の一部ではないかと研究されるようになった。
 研究される過程で、既に自死してしまった者のDNAからその者の思考回路をコンピュータ上で再現することが可能となった。
 同時に、現在自死の思考を持つ者にだけ、その再現された思考の持ち主の姿が見えるようになった。
 これは研究上イレギュラーで、何故姿が見えるようになったのかはまだ解明されていない。

 また、研究は無駄で、自死は弱い人間のただの我儘だと言う人々も少なくない。



「先生がお前の自死回路を抑えるためとはいえ、嫌な言い方をして申し訳なかったと言っていたよ」


「うん」

「あと、気が向いたらで良いから、遊びにおいでって」
 そう言うと父は、先生の研究所の住所が書かれている名刺を渡してくれた。


「うん」

「お父さん」


「うん?」



「ありがとう」



 私は、死にたい。死にたいけれど、死にたいと思いながら死ぬまで生きるんだ、きっと。

死にたい気持ち

死にたい気持ち

死にたい気持ちが自身の一部となった、私と半透明の男の人とちびっこ女の子。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-04-03

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