飛んでいったたこ

少女と父親の物語

飛んでいったたこ

 飛 ん で 行 っ た た こ


  約束

 冬の日曜日の午後でした。ともみがお父さんに言いました。
 「ねえ、たこあげに連れて行って。ほらこの前買ったビニールたこを持って。」
 お父さんが答えました。
 「たこをあげるには風が吹いていないとダメだよ。ともみ、今、外は風が吹いているかい?」
 季節は冬でしたが、外はとても天気がよく、風は吹いていませんでした。4歳になったばかりのともみは、たこをあげるには風が吹いていなければならないことを、以前にもお父さんから聞いて知っていました。でも、早くあのビニールたこをあげてみたくてたまらなかったのです。
 「風がなくても、たこあげに連れて行ってよ。」
 「風がなかったら、たこはあがらないよ。ともみ、たこがあがらなかったら、行っても面白くないでしょ?」
 「お父さん、そんなら、風がでてきたらたこあげに連れって行ってよ。約束よ。」
 「ああ、いいよ。」
 「いつになったら風がでてくるの?」
 「そうだな、夕方になるとでてくると思うよ。ともみ、あと二、三時間だよ。」
 「あと二、三時間? ねえ、二、三時間ってすぐ?」
 「ああ、すぐだよ。もうすぐだから、それまで外でお友達と遊んでおいで。」
 
  金田公園へ行く

 この地方の冬は、昼間風がなくても、夕方になるといつも風がでてきました。その日もいつものように、夕方近くになると風がでてきました。
 外で遊んでいたともみは、風がでてきたことに気がつきました。
 「風がでてきたから、もう帰る。お父さんといっしょにたこあげに行くから。」
 と言って、友達と別れました。
 ともみは家に入るとすぐに言いました。
 「お父さん、風がでてきたよう。たこあげに行こう。」
 「そうか、風がでてきたか。そんなら行こうか。」
 お父さんは、ともみを自転車の後ろに乗せ、ビニールたこを前のかごに入れて、金田公園へ行きました。金田公園は、自転車で十分以上もかかる遠い場所でしたが、たこをあげるのにちょうどいい広場がありましたから、たこあげにはいつもそこへ行っていました。
 金田公園の広場には、もう何人かの子どもたちがたこをあげていました。お父さんはともみを自転車から降ろしました。
 「お父さん、早く。早く。」
 ともみは自分でたこを持ち、お父さんの手をひっぱって広場の方へかけて行きました。
 「どれ、ともみ、お父さんがあげてあげるから貸しなさい。」
 「いやよ、自分であげるんだから。」
 ともみは、自分でたこをあげようとしました。でも、なかなかうまくいきません。風にうまく乗せることができないのです。
 「やっぱり、お父さんがやってあげよう。高くあがったら、ともみに糸を持たせてあげるから。」
 ともみはしぶしぶたこ糸をお父さんに渡しました。お父さんは風がでてくるのを見計らって、走りながらたこをあげようとしました。たこは少しあがりました。
 「たこ貸して、たこ貸して。」
 と言って、ともみはすぐたこ糸をお父さんの手から取ろうとしました。風はあまり強くありませんでした。
 「まだ無理だよ。もっと高くあがってからでないと、すぐ落ちてくるよ。」
 でも、ともみは、「たこ貸して、たこ貸して。」と言ってききません。
 お父さんは仕方なくたこ糸をともみに渡しました。でも、風向きが変わったり、風が弱くなると、たこはくるくると舞いながら落ちてくるのでした。
 「もっと高くちゃんとあがってからでないと無理だろ。高くあがったら、ともみに渡すから、貸しなさい。」
 お父さんは走りながらたこをあげました。風もうまい具合に強くなってきました。風の強さにまかせて、たこ糸を解いていきました。たこはだんだん高くなっていきます。
 「たこ貸して、もういいでしょ。」
 「さあ、自分で持ってごらん。しっかりと糸を持っくんだぞ。離しちゃいけないよ。」
 「わあ、高い、高い。」
 ともみも風にまかせてどんどん糸を解いていきます。たこはぐんぐん高くなっていきます。
 「ともみ、もう糸がなくなるから、解くのをやめなさい。しっかりと持って。離すな。」
 たこは面白いほど高くあがっていきます。風がだんだん強くなってきます。風向きも急に変わります。ともみは、風向きが変わったり、急に強くなったりすると、そのたびに糸を解いていきます。
 「ともみ、もっとしっかりと糸を持って。もう糸はないぞ。」
 「分かってるよ。しっかりと持つから。」
 「お父さんと替わろうか。」
 「大丈夫だって。」
 その時です。今までにない強い風が吹いてきました。ともみは、思わず、その風の強さにびっくりして、手を離してしまったのです。たこは強い風に乗ってぐんぐん高く、そして遠くへ飛んで行きました。ついにたこは木々や建物の陰になって見えなくなりました。あっと思っている一瞬の出来事でした。

  たこを探しに行く

 「ともみ、どうしよう。どこか遠くへ飛んで行ってしまったね。もう見えないよ。どうする?」
 「お父さん、あのたこ探しに行こう。あっちの方へ飛んで行ったから、行ってみよう。」
 ともみは、確かにたこの飛んで行った方向を指さしていました。
 「でも、たこはずーっと向こうの方へ飛んで行ったから、もう見つからないよ。ともみ、諦めたらどうだ。」
 「あのたこ、気に入っているんだから。絶対に見つけるんだから。ねえ、お父さんたこ探しに行こう。」
 「本当に見つかると思うか? 見つからなかったらどうするんだ。」
 「見つかるよ。絶対に見つかるよ。早く行こう。」
 「そうかな、見つかるかな。まあ、行くだけ行ってみるか。」
 お父さんはとても見つからないと思っていました。探しに行くだけ行ってみて、見つからなかったら、ともみも納得するだろうと思ったのです。
 「ようし、ともみ、自転車に乗りなさい。たこを探しに行くよ。」

 二人は、自転車でたこの飛んで行った方へ行きました。広場を通り抜け、建物と建物の間の曲がりくねった道を通って行きました。あたりは段々日もかげってきています。風も段々強くなり、寒くなってきました。
 たこはなかなか見つかりませんでした。
 「ともみ見つからないね。もう帰ろうか。寒くなってきたし。」
 「いやよ。あのたこ見つけるんだから。もっとあっちの方まで行こう。」
 しばらく行くと、空に赤いものが舞っていました。初めそれが何なのかよく分かりませんでしたが、よく見るとそれはたこではありませんか。しかもさっきまであげていたともみのたこのようです。
 お父さんが言いました。
 「おい、あれはともみのたこじゃないかい。ともみ、見てごらん。」
 ともみは自転車から身体を乗り出して見ています。
 「うん、そう! あれはともみのたこ! わあ、見つかった。」
 でもどうして、飛んで行ったたこに追いつくことができたのでしょうか。近づいてみると、そのたこは、糸が電線にひかかって巻きついており、電線がたこあげをしているのでした。
 自転車で、そのたこの真下まで来ました。
 「お父さん、あのたこ取って。」
 「うーん。」
 お父さんの返事は、弱々しく何にか自信なげでした。お父さんはどうやってたこを取ったらよいか思案げでした。「たこが電線にひっかかったときは、自分でとらずに、電力会社に連絡してください」という電力会社の広告を、お父さんは思い出していました。
 「ともみ、電線にひっかかったたこは自分で取っちゃいけないんだよ。電力会社に電話しようか。」
 「だめ、今取って。あのたこ取って。持って帰るんだから。早くたこ取って。」
 「どうやって取ったらいいんだい。勝手に電柱には登れないんだよ。困ったな。」
 ともみは、「たこ取って。たこ取って。」の一点張りです。
 「ともみ、やっぱり無理だよ。諦めて帰ろう。なあ、帰ろう。」
 お父さんが、自転車の向きを変えて帰ろうとしました。ともみは、
 「たこ取って。持って帰る。たこ取って。たこ取って。」
 と言ってききません。
 それでも、意を決したように、お父さんが自転車を動かしだしました。ともみは、ついに泣き出してしまいました。
 「ともみ、泣いちゃいけないよ。さあ、泣くのをやめて、帰ろう。あのたこは無理だから、諦めよう。なあ、ともみ。本当に帰るんだよ。」
 お父さんは、たとえともみが泣き叫んでも帰る決心をしました。そして、自転車のペダルをこぎだしたのです。ともみはわあわあ泣いています。お父さんは、ペダルに力を入れます。少し行ったところで、お父さんは後ろを振り返りました。何と、たこは、また空を舞いあがっているではありませんか。風向きぐあいで電線から糸がほぐれたのでした。
 「ともみ、たこがはずれたぞ。ようし、あのたこを追え。」
 お父さんは、また自転車の向きを変えて、たこを追いかけます。ともみはもう泣くのをやめていました。

  たこが見つかる

 お父さんは、自転車のペダルに力を入れ、たこを追いかけます。ところが、また建物の陰になって、見失ってしまいました。そのうち、広々としたたんぼに出ました。たんぼには、何人かの子供たちがたこあげをしていました。でも、あたりはもう薄暗くなってきています。西の空の夕焼けも赤暗くなっています。この子たちももう帰る頃でした。
 お父さんはまた弱気になってきました。
 「ともみ、またたこを見失ってしまったね。もう暗くなってきたから、帰ろうか。あのたこはどこに行った分からないよ。」
 「たこ持って帰る。」
 「でも、もう見つからないよ。暗くなってきたし、寒くなってきたよ。帰ろう。あのたこは諦めなさい。」
 「諦めない。あのたこ持って帰る。」
 「でも、どうやって探すんだい。こんなに広いところだと、きっともっと遠くへ飛んで行ったに違いないと思うけどな。」
 「暗くなっても探すんだから。寒くても探すんだから。」
 「無理だよ。」
 「無理じゃないもん。」
 お父さんは、自転車の向きを変えようとしました。ともみは、「いや、いや。」と言って、後ろを向いたままです。それでも、お父さんは自転車を進めました。
 ついにまた、ともみは後ろを向いたまま泣きだしてしまいました。
 「うえん、うえん、うえん、うえん。」
と力いっぱい泣いています。
 お父さんは困ってしまいました。自転車をとめ、ともみの涙を拭いてやりました。
 「ともみ、もう泣くな。泣いてもだめだよ。ほら、泣きやんで目を開けてごらん。」
 ともみの泣き声は小さくなっています。目も開けたようです。そしてまた後ろを見ています。
 「ともみ、今度こそ泣かずに、帰ろう。あのたこはいいたこだったけど、もう見つからないから、諦めよう。今度またあれと同じたこを買ってあげるから。」
 ともみはまだ納得できませんでしたが、内心もう見つからないかなとも思いはじめていました。お父さんがまた自転車に乗ろうとしました。
 ともみは何かに引かれるように後ろをふり返りました。その時です。ともみが急に大きな声で言いました。
 「あ、あった! あった! あそこに。たこがあった。」
 お父さんは自転車をとめました。
 「どれ、どこだい?」
 「あそこ。あそこ。」
 ともみの指さす方を見ると、たんぼのはずれの農家の庭先の木に赤いものがひっかかっているのがかすかに見えるようです。あたりは薄暗くはっきりとはしません。
 「あの木のところかい?」
 「うん。あの木のところ。」
 「あれは本当にたこかい? 本当にともみのたこかな? ともかくあそこまで行ってみようか。」
 「うん。」
 たんぼの細い道を通って、その農家の庭先までやって来ました。ああ、それは確かにともみの赤いビニールたこでした。お父さんも元気がでてきました。
 「これは本当にともみのたこだな。ついに見つけたんだな。ともみえらいぞ。」
  その家からは何やら話し声が聞こえてきます。はっきりは分かりませんが、どうやら、庭木にひっかかったたこのことのようです。
 お父さんは、塀の外から家の庭に向かって、声をかけました。
 「すいません。そのたこは、うちのです。ひっかけてすいません。」
 中から、娘さんの声がします。
 「ああ、そうですか。今取ってあげますから。」
 「どうもすいません。」
 寒さが身にしみます。ともみも震えています。
 まもなく塀の内側から、たこがのぞきました。
 「はい、どうぞ。」
 「どうもありがとうございます。」
 「これからは気をつけて下さいね。」
 娘さんの明るい声が響きます。お父さんは、大きな声で言いました。
 「はい、どうもすみませんでした。これからは気をつけます。どうもありがとうございました。」
 お父さんは、たこを受け取りました。たこの糸は長く、途中でからまりあっていました。お父さんは、からまった糸を巻ながらともみに言いました。
 「たこが見つかってよかったな。さっきの人、親切な人でよかったね。」
 ともみはたこがも戻って来ても黙っています。もう日は沈んでしまっています。暗がりの中で、ともみの顔をよく見ると、その目にはなみだが光っていました。声もださずに泣いているのでした。
 お父さんは、ともみを抱き締めました。
 「ともみ、よかったな。もう暗くなったから、今度こそ本当に帰ろう。たこを持って帰ろう。」
 二人は冬の夕闇の中を自転車に乗って帰って行きました。ともみは自転車の後ろで、たこをしっかり持ち、お父さんの背中に顔を埋めていました。たんぼにも、金田公園の広場にももう子供たちは誰一人遊んでいませんでした。

飛んでいったたこ

飛んでいったたこ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-03

Copyrighted
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