夜11時、0.5秒前。
あ、今破裂したい。
地下鉄のホームの中、わたし絡まってうずくまって突然爆発する。
ぱあん!ぐしゃぐしゃ、ひゅう、ぱらぱらぱら。季節はちょうど夏だから、花火みたいで楽しい。わたしが咲いて、散って、消えてなくなって。みんなわあわあ歓声を上げて、指をさす、傍らにあるかき氷はきっといちごみるく。甘くてべったりした気持ち悪い液体、舌の根に残る味、ストーカーみたいね、ほんと。
霧山りつ、いきまーす。びゅーん。
からんからんからんからんからん鳴り続ける線路のサイレン、黄色い線の内側までお下がりください、まもなく電車が到着します、エスカレーターから降りてくる人々の群れ、大量生産サラリーマン、ふわふわした画一的服装の女、流行りのシャーベットカラーに身を包み化粧と香水と陳腐な愛や娯楽の言葉とけたたましい笑い声で完全武装した女たち、マカロンカラーだって、どっちでもいいよそんなもん、あの死んだ目をしたヘッドフォンおにいさん、段ボールの上で体育座りのおじさん、みんなここからどこへ行くのかな、天国?
光が見えた、もうすぐくる。
ごおおおおおって風がうなった。重い物体が高速でこちらへ向かってくるときに出す音だ、空気を突き破って一心にかけてくる音だ。金属が触れ合うがちゃがちゃ、ぎゃぎゃぎゃぎゃ、って音、トンネルの中がわんわん反響する。反響する。反響する。反響する。反響する。反響する。
嗚呼くるくるくる。こい。
それでわたしは、はれ、つ、す、su、r
「――おい何やってんだよお前!」
突然腕をつかまれてものすごい力で左に引っ張られた。がっ、って腰からお尻にかけての部分が何か固いものにぶつかった。痛いなあ、あんたこそ何やってくれてんのよ、せっかく人がこうして。
「馬鹿か、自分が何しようとしてたのかよく考えろ!お前が死のうと勝手だろうけどな、誰にも迷惑かけずにやれよ!ていうか俺の目の前でするんじゃねえよ!胸糞わりいじゃねえかよ!いや、その前に死ぬなよ!何があったか知らないが、死ぬよりもっとやれることあるだろうがよ!」
え、まさか、この男、私を助けたの。さっきから何喋ってるのこのひと。え、何を叫んでるの、死ぬ?死ぬなって?ってことは。
死ぬ・死のうとした・わたし。
失敗した・この男の・せいで。
「ばか!」
男の顔が、男って言ってもまだまだ幼い、高校生かな、いや大学生かな。ぽかんと開いてる。ぱかっとニキビの跡が、おでこに。くたびれた青いシャツ、メガネ、ボーダーのTシャツ、ジーンズ、ごく普通すぎるわあんた、個性なさすぎ。いやそうじゃなくて、そういう話じゃなくて。違うよ、あんたに言いたいのはもっと。
「なんなのよあんた」
はあ、と男が素っ頓狂な叫びをあげる。
「なんなのよはお前だろ!俺を責めてどうするつもりだよ、ほんっと、助けてやったのにお礼も言わずにこれかよ、これだから女ってわけ分かんねえ、もう無理!あいつの時だって・・・」
「あいつって誰、彼女?」
突っ込まれると弱いタイプらしいね、とたんに目え逸らしちゃった。図星だな。
純情君か、うつくしいねえまったく。きれいきれい。ああ素敵。とても素敵。
「うるせえな、なんだよ」
「彼女と何、ケンカでもしたの」
黙っちゃった。うわあこれも図星かよ。だっせえ。
「だっせえとかいうな!お前だって」
「お前だって、何?」
しん、と一段階空気の温度が下がる。世界の色味が寒色になる。私は無表情。
「ねえ、お前だって、何?」
男がゆっくり口を閉じる、唇が引き結ばれている。目がおびえたように震えだした、小動物が天敵に出会ったときの顔してる。
「わたしが、あなたの彼女と、何がいっしょなの?」
わたし何言ってるんだろう。こんな、駅で出会っただけの人に何をぶつけているんだろう。言ったって何が解決するわけでもないのに、何が開けるわけでもないのに、何が救われるわけでも、ないのに。攻撃したいだけ、責めたいだけ、ただそれだけ、言ってぶつけて攻撃して少しでも逃げたいんだ、いつもそう、わたしは、いつもこうやって振り切って逃げてきて。
「ごめん、それとこれは違う話だったな」
うつむいた男の髪の毛、真っ黒。対する私は金、やっすい染色剤で染め抜いて、わざと自分の髪を貶めて、痛めつけて、薄っぺらい色に仕立て上げた、下卑た髪の色。
「――もういいんだよ、ぜんぶ」
「逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げ続けたの。そしたら行き止まりに来ちゃったの」
私はどこへも行けない。
たくさんの人が行き来する駅の中、目的地を持ってずんずん行進する人に交じって私は、私の目的地は、そこにはない。
「死ぬな、って何?それってどういう意味?死ななかったら私どこへ行けるの?ボーナスステージにでも行ける?レベル上がる?だって嘘だよね、そうだったらここにいる人たちみんなとんでもなくレベル高い勇者や魔法使いだよね、なのにみんな、何してるの、あんただって、いったい何をしてるの」
「いや、それは、」
「わたし、最後の最後まで逃げてちゃったよ」
男は顔を上げた。眉が下がって、口が開いて、なっさけない顔、彼女が幻滅するよ、そんなんじゃ。
「逃げてないよ」
「何言ってんの、あんた」
「君は逃げてない、だって俺が助けたんだから」
「はあ?」
「似てたんだよ」
「え、」
「あんた、俺の彼女に、似てたんだよ」
うわ、何それ、最低の動機だわ。せっかく助けたのにヒーロー失格だよ。
「じゃあなんなのよ、逃げてなかったからって、なんなのよ」
「逃げたんじゃなくて、進んだんだよ」
馬鹿じゃないのこいつ。こいつのほうが電車にはねられて頭打てばいいのに。
それで何で笑ってんのよ、今。何で笑顔が出るのよそこで、違うでしょ。
「だからさ、ほら、こんなところで終わらせなくたっていいじゃん」
ほんとなんなの、この男は。
電車がホームに停まる。
開いたドアから吐き出されるたくさんの人間。個体。
ぞろぞろ、疲れて傷ついた兵隊のように、ロボットのように、幽霊のように。
みんなここからどこへ向かっているんだろう、わからない。
それでも、どこかへ。
ここではない、どこかへ。少しずつ。
「・・・そうだね」
男はにかっと笑った。ああこの全開すぎる笑顔、見覚えがある。
「ほら、ここから出るぞ」
打った衝撃でぎいぎい音を立てる身体をどうにか持ち上げてホームに投げ出す。その脇をすりぬけていく人間たち。
息をする、はあはあと野良犬の息をする。生きている。
「何かつらいことがあるんならさ、人に頼るって方法もあるんだよ。そりゃあ生き続けて何か得があるか、って言ったって、俺にはそんなのわからないけどさ、ボーナスステージなんかないのかもしれないけどさ、でもきっと何かは見つかるんだよ。俺、そう思うよ。だから、」
ごおごおごお。
がたんがたんがたんがたんがたん。
からんからんからんからん。
「――まもなく3番ホームに急行が到着します。線の内側まで下がってお待ちください、駆け込み乗車はおやめください――」
「・・・かんたんに、あきらめたりすr
どんっ。
男の身体がゆっくりスローモーションで光の中に落ちていく。金属の塊に吹っ飛ばされ、あっという間に見えなくなる彼の輪郭、形、痕跡、存在。何もかも無、無、虚無。ぐしゃぐしゃ、めちゃくちゃ。おーしまい。
ふあああああああああああああああああああああああん!
あんたのそういうところも、あんたに似ているあいつも、あんたがケンカしちゃったあたしに似てる彼女も、このホームにいる人間もほかの人間もぜんぶぜんぶぜんぶ、大っ嫌い。
あーあ。また破裂できなかった。
夜11時、0.5秒前。